若桜さんが到来


【海へ行こう!】

 夏の容赦ない日差しは高く澄み渡った青空を通して、燦々と輝く太陽から垂直落下してくる。
 見渡す限りの青々とした田んぼは湯気立ち、それを刺し貫くようにして走る乾いた砂利道からは陽炎が立ち上る。
 夏だ。
 ひたすらに暑く、この大地には生きる物がいないかと思うほど静かだった。
 鳥のさえずる声すら聞こえない。それほど暑い、真夏の昼間。
 時々思い出したように頬を撫でる風が、わずかに潮の香りを含んでいた。
 それ以外に周りにはなにもない、ここはそんな土地だった。
 「それにしても、暑いですね」
 かけられた声に、俺は我に返った。
 視線の先、延々と続くかと錯覚する白い砂利道の少し先を歩く女性に俺は返す。
 「そうですね、今年の暑さは尋常じゃないですね」
 言葉に、彼女は射した白い日傘の下で小さく微笑む。
 薄い青の混じった白いワンピース姿の乙音さんだ。今日は腰までの黒く長い髪を結い上げている。
 日焼け知らずの白い肌は、天の青空と地の緑の間でクッキリと切り取られているような一枚絵を思わせた。
 「亮クン、お茶飲みます?」
 「ええ、お願いします」
 乙音さんが手下げバックから小さな水筒を取り出すと、用意してあったコップに冷たいお茶を注いでくれる。
 それを受け取ろうとした時だ。
 「いただきっ!」
 横から小麦色の細い腕が伸びたかと思うと、コップをあっさりと奪い取る。
 「こら、雪音っ」
 乙音さんとおそろいの、こちらはやや赤みが入った白いワンピース姿の雪音ちゃんは、コップの中身を一気に飲み乾した。
 飲み終えてから、動きを硬直させる。
 「どうした?」
 「あ…う」
 ギギギと軋んだロボットのようなな動きで俺に振り返る彼女。
 麦わら帽子のせいでよく分からないが、顔色が紫っぽく見える。
 「にが、にがぃ」
 泣きそうな顔で訴える雪音ちゃんに、
 「特製のアロエとにんにくと朝鮮ニンジンのお茶なの」
 答える乙音さん。
 「元気出るでしょ? おかわりいる? 亮クンもどうぞ」
 「「いや、それは遠慮したい」」
 珍しく俺と雪音ちゃんの意見が一致したのだった。


 そもそもどうして俺達がこんな灼熱地獄にいるのかと言うとだ。
 昨日の夜のこと。お隣ではこんな会話がなされていたらしい。
 「暑いわね、雪音」
 「うー、海でも行きたいね」
 「じゃ、明日行きましょう。お隣の亮クンも誘って」
 「え、お兄ちゃんも?! アタシ水着、スク水しかないんだよ」
 「GJ」
 「訳わかんねーよっ!」
 「いいじゃないの。よく知っている間柄なんだし」
 「だからダメなんじゃない! 知らない人だけならスク水でもいいけどさ、よく知られているからこそ恥ずかしいでしょ」
 「…そうかしら?」
 「そうです! そもそも姉上はどんな水着持って行くつもりなんです?」
 「貰い物のバトガールの…」
 「ダメダメダメ、目立ちすぎるから絶対にダメー!! っていうか、それはコスチュームというんですっ!」
 「じゃあ、どうしましょ?」
 「買いに行きましょう」
 「これから?」
 「そう、これから」
 「NOW?」
 「英語で言っても同じだから。NOWです」
 妹に腕を引っ張られ、姉はあたふたとついていく。
 壁の向こうから一部始終を聞いていた(というか薄いので聞こえている)俺はその10秒後、問答無用で買い物兼水着選びに付き合わされたのだった。
 そして翌朝。
 電車を乗り継ぎ、目指すは田舎の海水浴場。アパートから3時間の場所だった。
 8両編成だった電車は一回の乗り継ぎで3両となり、2回目の乗り継ぎでワンマンとなる。
 そして目的の駅の一個手前での出来事だった。
 「え、この電車ってここまでなんですか?」
 「そうだよ。次の電車を待ってくれな」
 運転手兼車掌のおじさんはあっさりとそう答えた。
 時刻表を見ると、次の電車はまるまる1時間後。
 駅前には民家が数件並ぶだけで、当然喫茶店もなければキオスクすらない。
 当然、コンビニなんてものもない。
 それでもこの駅は、この路線では大きな駅だ。何故なら無人駅ではないから。
 「とんでもないところにきちゃったわねぇ」
 困った顔の乙音さん。
 「しょーがないよ、たった1駅なんだから歩こうよ、お兄ちゃん」
 早く泳ぎたい一心の雪音ちゃんは俺にそう言った。
 「そうだなぁ。いいですか、乙音さん?」
 「私はかまいませんよ」
 そんな訳で、俺達は次の駅を目指して歩き始めたのである。


 じりじりと灼熱の日差しが緩むことなく俺達を突き刺しつづける。
 「もーーー! 誰よ、誰が歩こうって言い出したのっ!」
 キレたのは雪音ちゃんだ。
 その返答に、俺と乙音さんは無言のまま彼女を指さした。
 「あぅ!」
 雪音ちゃん、撃沈。
 「しっかし田舎の一駅を舐めてましたね。こんなにも距離があるとは」
 俺は大きくため息。
 「そうですね。いくら歩いても景色が変わらないのも気が滅入ります」
 と、その時だ。
 ガタンゴトン……
 響く音。そして遠く、電車が走っているのが見えた。
 それは俺達がもしも駅で待っていれば乗っていた電車。
 「「あーーーー!」」
 悲鳴とも、怒声とも言えない叫びが三人から漏れたのだった。
 結局それから30分後に海水浴場には到着したが、準備運動要らずだったことだけが幸いであったと加えておく。


 どこまでも続くかに思われる青い海と、なだらかに伸びる白い砂浜。
 太陽の日差しはその青と白をより強調させているかのようだ。
 耳に響いてくるのは波が砂浜に打ち寄せる音と、隣を歩く彼女の息遣いだけ。
 静かで美しい場所だった。
 ―――と、言うような海岸などこの日本にそうそうあるものではない。
 得てして足元を子供達がちょろちょろと走り回り、砂浜はどことなく黒っぽい。
 そんな砂浜にはタバコの吸殻や、いつやったのか分からない使用済みの花火、空き缶が半ば埋もれていたりする。
 肝心の海の水は濁り、ところどころ妙に暖かかったりする訳だ。
 少し泳げば、腕にはどこから流れ着いたのか分からない海草が絡まり、隣のカップルと危うくぶつかりかけたりする。
 そう、これが日本の一般的な海水浴場である。
 駅を一駅分歩いて1時間半。体は汗だくだが、拭きつけてくる潮風はそれゆえに心地よい。
 「「うわぁーー」」
 隣の2人が歓声とも溜息ともつかぬ声を上げていた。
 それはきっと『海』というものに抱いていた憧れを壊されたからだと思う。
 実は乙音さんと雪音ちゃん、これまで海を見たことがなかったらしい。
 田舎が山のほうなのだろうか??
 「想像していた通りね、雪音」
 「はい、姉上!」
 「なぬ?!」
 「ほらほら、あの海の家で売っているラーメンなんか、ぜんぜん美味しくなさそうよ。食べてみたいわ」
 「監視員さんが口うるさいですよ、あの目をかいくぐると思うとワクワクしますねっ!」
 どうやら俺はまだまだ甘かったらしい。
 「さ、お兄ちゃん、泳ごうよ!」
 俺の腕を引っ張る雪音ちゃん。そんな彼女を、
 「まずは海の家を借りて着替えてからよ、雪音」
 乙音さんがたしなめる。
 と、その時だ!
 何かが、頭上で光った。
 「「?!」」
 一瞬の後、ごごん!と空気を突き破るような破裂音が響いた。
 雷だ。
 いつしか空は黒く曇り、それに気付いた時にはバケツをひっくり返したような雨が降り注いだ!
 「うわっ、とにかく適当な海に家へ」
 「はい」
 「うん!」
 俺達3人は手近な海の家に飛び込んだ。
 「いや、まいったまいった」
 すっかりぐしょぬれになってしまったTシャツの裾を絞りながら、俺は上空を見上げる。
 大粒の雨が乾いた砂浜にどんどん吸い込まれている。
 「夕立、ですかね」
 隣で困ったように乙音さんが呟いた。
 「そうですね、って?!」
 彼女に視線を向けるが、そこに映った光景に慌てて視線をそむけた。
 「??」
 乙音さんは首を傾げ、俺の視線の先に回りこんでくる。
 また目をそらす、その先にまた回りこんでくる。
 「どうしたんです?」
 「いや、その。雨で濡れたから、ちょっと目に染みて」
 「そうなんですか?」
 とても言えない。
 すっかり濡れてしまった乙音さんの薄いワンピースが、彼女にぴったりとくっついてしまって下着のラインすら透けて見えてしまっているなどとは。
 そらした俺の視線の先で、いつのまにやらパーカーを上に羽織った雪音ちゃんがニヤリと笑って親指を立てている。
 顔に似合わずオヤジくさいと思った。


 水平線すら見えない海、広がる砂浜。
 そして高い波、降り続ける雨、強風。
 「台風って来てましたっけ?」
 「いや、来てはいないと思うんですけど」
 ようやく乾いた乙音さんはイチゴ味のカキ氷を崩しながら、俺の答えに「そうですかぁ」と呟く。
 せっかく延々と歩くというおまけつきで海へきたというのに、一度も海水に触れることなく終わりそうだ。
 「しょーがないから今日はどこかに泊まっていこうよ、姉上」
 「そうね」
 伸びた焼きそばを頬張る雪音ちゃんに、乙音さんはそう頷いた。
 いやいやいや。
 この時期、予約もなしに泊まれるところなんてあるはずが、
 「大丈夫ですよ、亮クン。きっとどうにかなります」
 「いや、無理でしょう」
 「んー、じゃあもし大丈夫だったら、今夜の酒代は亮クン持ちですよ」
 「はぁ。構いませんよ。とれればの話ですけど」
 「うふふ。あ、すいませーん」
 微笑む乙音さんは海の家の主人を呼び寄せると、何かを話し始めた。
 「じゃ、3名で」
 「ありがとうござんしたーっ!」
 海の家の主人はそう言うと、乙音さんに一礼して去っていく。
 「とれましたよ」
 あっさりと乙音さん。
 「らっきー♪」
 笑う雪音ちゃんに、
 「え、どうやって?!」
 俺は首を傾げる。
 「実は案外、旅館の当日キャンセルってあるものなんです。で、この海の家は近所の旅館が経営しているものでしたので」
 「へぇ、そうなんですか…」
 「でも当日キャンセルがあった旅館を探すのが大変なんですけどね。一件目で見つかるなんて運が良かったです」
 「海に来たことがないのに、良くご存知ですね」
 ふと根本的な疑問が口をついて出た。
 「ええ。旅行の本とか読むの好きなもので…」
 やっぱり変わった人だとは思う。
 「あとですね、都合上3人1部屋なので、我慢してくださいね」
 「あ、はい」
 それは俺が男扱いされていないだけなのか、それとも害はないものと判断されているのか。
 「私も雪音も寝相が悪いので、くれぐれも息の根が止まらない様に注意してください」
 どうやら自分のためにも、廊下で寝たほうが良さそうです。


【花火を見よう!】

 行き当たりばったりな突然の小旅行。
 いろいろあって、目的の海へとたどり着いたかと思った矢先、大雨が降り出した。
 結局、雨は夕方まで降りつづけたせいで海を堪能することができなかったのだが、乙音さんの運の力で宿を取ることができた。
 そして今。
 俺達3人は浴衣に着替え、すっかり晴れてしまった夜空を地元の神社の境内から見上げている。
 しばらくすると、
 ひゅー
 そんな空気の抜けるような音がどこからともなく聞こえ、
 どん!
 お腹に響く夜を叩く音とともに、星空に輝く夜空に黄色と青の光で作られた大輪の花が咲いた。
 どん、どんどん!!
 咲いては消え、咲いては消える。
 こうしてじっくり花火を見るのなんて、何年振りだろう。
 ふと視線を隣に移す。
 そこには目を輝かせて花火に魅入る雪音ちゃんと、
 「どうしたんです、亮クン?」
 「あ、いえ」
 何故か俺と視線の合った乙音さん。
 そんな必要もないのに、慌てて俺は視線を夜空へと戻す。
 隣で、かすかに笑う声が聞こえたと思うが、
 どん!
 花火の音に掻き消えた―――


 海の家から宿へと案内された俺達は、想像もしなかった立派な温泉と、思ったよりも豪勢で美味しかった料理、そしてぴりっと辛口な地酒を俺達は堪能することができた。
 なんだか1年分の運を使い果たしてしまったようだ(主に乙音さんのだが)。
 ほろ酔い気分な俺と乙音さんに、一人ジュースを悔しそうにすすっていた雪音ちゃんが突然窓を開け放ったものだ。
 「ねぇ、なんかお祭りやってるみたいだよ!」
 耳を澄ませば、たしかに。
 遠く風にのってお囃子の音が聞こえてくる。
 宿の女将さんに聞けば、近所の神社で夏祭りが今日明日と行われるらしい。
 「亮お兄ちゃん、もちろん行くよね!」
 正直、部屋で地酒を飲んでいた方がラクなのだが。
 「他ならぬ雪音ちゃんのお願いだ。行こうか」
 一人でジュースばかり飲ませていては可哀想だとも思う。
 「そうですかー、じゃ、私も行きます」
 ややおぼつかない足取りで乙音さんも立ち上がった。
 近所の神社は歩いて5分程度。
 海に面して小さな山があるのだが、そこに建つ小さな地主神社でのお祭りだった。
 神社へと続く寂れた商店街(のような通り)には、ささやかながらも出店が並び、海を楽しむ観光客がメインでそこそこ賑わっている。
 くいくいっと、浴衣の右の袖が引っ張られた。
 「亮お兄ちゃん、金魚すくいがあるよ」
 雪音ちゃんだ。
 「やってみる?」
 「海に逃がして良いのなら」
 「やめてください」
 ろくな事を考えない。
 くいっと、今度は左の袖が引かれた。
 乙音さんである。
 「射的がありますよ、亮クン」
 「あ、懐かしいですねー」
 「『鏖殺の亮』と呼ばれたころを思い出したんですか?」
 「そんな時代はありません」
 人の過去を勝手に作らないで欲しい。
 そんなこんなで出店を眺めながら、俺達はゆっくりと神社の方向へ向かって歩いていく。
 丁度境内についた頃、夏祭りにあわせて開催される町内会の花火大会が始まる時間となった。
 「花火って、くるくるまわって最後に爆発するヤツ?」
 「ちがうわよ、雪音。人に向けて飛ばすやつよ」
 「……間違ってはいませんが、それはねずみ花火とロケット花火ですね。今から観るのはそれよりも大きい、空に打ち上げるヤツですよ。観たことないんですか??」
 「「インドア派だから」」
 「そうですか……」
 海が観たことないという姉妹は、花火もまた見たことがないと言う。
 俺はどこか違和感を覚えつつも、2人とともに花火が咲くのを夜空を見上げて待つのだった。
 花火を見て、どんな反応をするのかを想像しつつ―――


【泳ごうよ!】

 今日もやっぱり暑かった。
 絶好の海水浴日よりといえるだろう。
 案の定、昨日は急な夕立に見舞われた海岸には、多くの海水浴客がいる。
 遠くから見ると、まるでペンギンのコロニーのようにも見える。
 「っしゃー、海だぁぁ!!」
 唐突に叫んだのは隣の雪音ちゃん。
 薄緑色のパーカーをばさっと空に投げ捨てた。
 現れるのは空と同じ色をしたワンピースの水着。小麦色の手足がそこから伸びている。
 スレンダーな胸が、今後のこの子の成長を不安にさせた。
 「お兄ちゃん、早く泳ごうよ!」
 言って視線を海にロックオンさせたまま、俺の腕をつかんで彼女。
 「ちゃんと準備体操してからになさい、雪音」
 こちらは白いパーカーに身を包んだ乙音さん。雪音ちゃんの投げたパーカーを拾って畳みながら告げる。
 雪音ちゃんとは対称的に、真っ白な足が見て取れた。
 「どこ見てるんです、亮クン?」
 「いえ、別にどこも。それより乙音さんはパーカー脱がないんですか?」
 雪音ちゃんに砂浜を引きずられながら、俺は問いかける。
 「え? えっと、日に焼けるのがどうも、ね」
 「せっかく来たのに、ですか?」
 「え、えーっと」
 何故か言葉に詰まる乙音さんに、雪音ちゃんが言葉をつけ加えた。
 「姉上、大丈夫。その水着は思ったほど露出広くないから」
 「露出??」
 「雪音!」
 「じゃ、泳いできまーす!!」
 俺の腕を放し、雪音ちゃんは一目散に波のうち寄せる浜辺へと駆けていく。
 残された俺達は、
 「とりあえず、パラソルを開きますね」
 「あ、お願いします」
 子脇に抱えたビーチパラソルを開くしかなかった。
 
 
 聞こえてくるのは定期的な波の音と、海水浴客の笑い声。
 じりじりと照りつける太陽の光の下、俺と乙音さんはパラソルの下で涼んでいた。
 浜辺では飽きることなくうち寄せる波に向かって、延々とストレートパンチをかまして自然に挑戦しつづける雪音ちゃんの姿が見える。
 「暑いですね」
 声は隣から。
 「そりゃ、パーカーを着込んでたら暑いですよ」
 「うぅ…」
 うめき、乙音さんは視線をあたりに泳がせた。
 しばらくその状態が続き、
 「うー」
 一人唸って、パーカーの襟もとから自身の体を覗き込む。
 その間に俺は、ビーチボールを膨らませた。
 「乙音さん」
 「はい?」
 ボールを子脇に、俺は立ちあがる。
 「案外、『思っていたよりも』ってこと、多いと思いますよ」
 「…そうですかねぇ?」
 「じゃ、まずは俺がそんなにヤバい水着かどうかを見ますよ」
 「……亮クンだからこそ、余計見せたくないってのもあるんですけど」
 「何か言いました?」
 「い、いえ、なにも」
 しばらく考えた後、乙音は戸惑うようにして立ちあがった。
 「あんまりじっと見ないでくださいね」
 つぶやき、白いパーカーが彼女の足もとに落ちる。
 パーカーと同色ではあるが、それよりも白いツーピースを身につけた白い肢体が現れた。
 思わず胸の谷間に視線が行きそうになるのを理性で彼は食いとめる。
 露出が多いかといわれれば多いがシンプルな分、そんなにおかしくは感じない。
 「ど、どうですか?」
 「よく似合ってますよ、恥ずかしがる理由はないです」
 言って俺は空いたほうの手で乙音さんの右手をとり、浜辺へ引っ張る。
 「え、あの」
 「ビーチバレーでもしましょう」
 もう片手のボールを見せて、俺は笑った。
 つられて乙音さんもようやく軟らかな笑みを浮かべる。
 引っ張られていた彼女の手は、いつしか俺に並ぶ。
 それを視界の隅で見ていたのだろう、雪音ちゃんも走ってやってきて俺のボールを奪った。
 「さ、勝負勝負♪」
 「よし!」
 「負けませんよ」
 炎天下、こうして俺達は夏の海を楽しんだのだった。


 「いたたたたっ!」
 「体中が焼けるように痛いです」
 帰りの電車。
 慣れない日焼けをして、風が吹くだけで全身に痛みを感じて引きつる俺と乙音さんは常に涙目。
 対してぐっすりと寝込んでゆらゆらとシートで揺れる雪音ちゃんの姿があったとか。


【とんちゃもん】

 「ねぇ、恵美ちゃん。もしもドラえもんの道具が1つだけもらえるとすると、何を貰う?」
 唐突だ。
 唐突にそう雪音に問われる。
 もっともこの娘の場合、何事も唐突なので驚くべきことではない。
 そして付き合いの良い恵美はうーんと唸った。
 『バイバイン』を使ってお金を無限に増やすとか…いあや、ダメダメ,世界がお金で埋まっちゃうし、デフレ現象がおきてしまう。
 では『そのウソホント』を使い、この世を支配してやろうか……。
 と。
 「雪音ちゃんなら何がほしい?」
 問い返す。
 「そうねー。どこでもドアで世界中を旅するっていうのも良いし、タケコプターで空を自由に飛びたいし…って、どうしたの、恵美ちゃん??」
 「いえ、あまりにも雪音ちゃんがまぶしくて。というか、自らの腐りきった性根を目の当たりにしたような気がして、ね」
 「???」
 恵美は2日ばかり少し落ち込んだと言う。


【でーぶいでー】

 「ふんふんふふ〜ん♪」
 と、鼻歌を歌いながら上機嫌で帰宅する乙音さんを目撃したのは、曇天が暗くなりかけた夕方である。
 「あ、こんにちわ、乙音さん」
 「あら、亮クン。ただいま」
 玄関の前、カギを開けながら乙音さん。
 その右手には結構大きな箱が提げられていた。
 「ご機嫌ですね」
 「えぇ、DVD買っちゃったんですよー」
 笑って、手に提げた大きな箱を掲げる彼女。
 DVD?
 「そろそろVHSじゃ、モノ足りませんしねぇ」
 あぁ、DVDレコーダーのことか。
 ふむ、箱の大きさもちょうどそれくらいの大きさだ。
 ……どこのメーカーかさっぱり分からないのが気になるところだけれど。
 「へぇ、結構高かったんじゃ?」
 「それがね、サンキュッパだったのー」
 「へぇ」
 39,800円か。
 とすると、HDDが250GBくらいの、一世代前のタイプかな。
 「地デジ、地デジ〜〜♪」
 「あー、いえ、地デジは多分…というか絶対に関係ないと思います」
 「へ? そうなの??」
 「まぁ、そうです」
 1を説明すると10を説明し、10を説明するには100を説明しなくてはならないような気配だったので華麗(?)にかわす。
 「ふーん、ま、いいや。あ、そうだ、亮クン」
 立ち去りかけたオレの袖をはっしと掴み、乙音さん。
 「はい?」
 「暇ですよね?」
 「飯を食いに…」
 「絶対に暇ですよね」
 「…はい」
 そんな流れで、取り付けをお願い(強制)されたわけなのだが。
 箱を開けてびっくりした。
 「あのー、乙音さん?」
 「なぁに? 亮クン?」
 「これ、DVDデコーダーじゃないですよ」
 「え?」
 「DVDプレイヤーですよ」
 それも旧式。薄いけれど結構大きなDVDプレイヤーだった。
 当然、リージョンフリーでもない。
 ダマされたか……。
 「えー、違うの?」
 「違います」
 「録画はできるでしょ?」
 「できません」
 「……CMカットは?」
 「録画できないのですからできるわけないです」
 「Gコードは?」
 「だから録画できねーって」
 「じゃ、じゃあ、何ができるの?」
 「DVD観れます」
 「他には?」
 「それだけ」
 「3980円も出したのにー!?」
 「DVDプレイヤーでも安っ!!」
 オレの思っていた購入金額の桁が1つズレていた。
 なんでも、秋葉原の露店ジャンクショップで買ってきたそうで。
 当然保障もなければ返品もきかない。
 でも確かにプレーヤーで3980円は安い、と思う。
 「えー」とか「どうしよう」とかぶつぶつ言っている乙音さんを横目に、とりあえずTVとの配線を完了。
 テストで『鋼鉄天使くるみ−実写版』のDVDを再生させたら、しっかりとカリンカが映ったのでどうやら壊れていることもないらしい。
 S端子出力もついているし、見た感じどうやら新古品っぽいし。
 VHSデッキがまだ生きているみたいだから、考え様によっては良い買い物かも??
 「じゃ、そーゆーことで」
 「あーうー」
 涙目の乙音さんを置いて、オレは早々に近所のファミレスへと旅立ったのだった。
 その後のDVDプレイヤーはというと―――
 「最近のTUTAYAって、VHS置かないでDVDしかないんですよねー」
 なんて言いながら、結構満足そうに活用する乙音さんの姿を垣間見ることができることから、しっかりと役立っているようだ。
 ネコに小判、という格言がふと思い浮かんだのだった。

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