2. 妄想の世界へ!

 浴槽から助け出されたファトラであるが幸いな事に外傷はなかった。
 しかしベッドに横たわる彼女はぴくりともしなかった。


 「大丈夫でしょうかストレルバウ」
 もう何回も同じ事を尋ねていた。
 「大丈夫です、脈も呼吸も安定しておられますしお顔の色も良い」
 そこまで言ってから彼もまた何度となく繰り返した言葉を述べる。
 「姫様も少しは休まれて下さい。むしろ姫様のお顔の色の方が…」
 「良いのです、ストレルバウ。私の事よりもファトラを」
 「は、かしこまりました」
 昨日午後に浴室で倒れたファトラだが外傷がないにも関わらず目覚める気配がない。
 ルーンはファトラの傍に付き添い一睡もしていなかった。
 アレーレは疲れたのであろう、ファトラの手を握り締めたまま眠っている。
 誠達も入れ替わりやってくるが病室に大勢いてもというストレルバウの言葉に従い部屋にはルーンとアレーレだけであった。
 ストレルバウが言わなければ彼らも一晩中付き添ってくれていた事だろう。
 ロンズは実務を開始している。ルーンがいなくては効率も落ちるのだがそれでも何も言わず黙々と進めていた。
 ルーンは改めて彼らに感謝していた。
 そして早くファトラの口から彼らへ対し礼の言葉を述べて欲しかった。



 午後になってもファトラは目覚めなかった。
 ルーン達は段々と焦燥感を募らせていた。
 「ファトラ様ぁ…」
 アレーレは半分泣き声だ。
 ”もしも、そんな事はあってはならないが万一もしもの事があればアレーレは後を追います”
 そう思いファトラの手を握り締める。
 とその時、ファトラの指がぴくっと動いた。
 「ルーン様! 今指が指が!」
 「どうしたのですかアレーレ」
 「指が動いたんです!」
 「本当ですかアレーレ」
 ルーンもファトラの手を握る。
 今度は体も少し動いたような気もする。
 「アレーレ! ストレルバウを! 早く!」
 「かしこまりました!」
 脱兎のごとく一気に飛び出すアレーレ。
 ルーンはファトラの手を握り必死に呼びかけていた。



 「ストレルバウ博士、ファトラさんは…」
 「…。今の時点では何とも言えんよ誠君」
 「そんな校長。そこを何とかしないと」
 「藤沢君、分かっとる、分かっとるんだが情報が少なすぎる」
 「過去、似たような事例とかないんですか。そうですよ寝込んだまま中々目を覚まさないと言うのはある話でしょう」
 「君達の世界ではどうだか分からないが、このエルハザードでは余りそのような話はなあ…」
 「そんな博士。ファトラさんの症状は初めてや言うんですか?」
 「いや聞いた話では過去20年以上眠り続けた男がいたとかいうのがある」
 「20年…」
 「以上ですか…」
 「うむ」
 なんか胡散臭い話だ。
 それに誠は昨夜ロンズに言われた事が気になってしょうがなかった。


 「誠殿、藤沢殿お願いがあります」
 「なんでしょうかロンズさん。僕にできる事ならなんでもしますよ」
 「ええなんでも言って下さい。不肖この藤沢真理どんな事でもお受けしましょう」
 「申し訳ござらん。ファトラ様の事ですがまず今回の件は暫く他言無用でお願いいたします」
 「ええ分かってます」
 「無論です」
 「では次に誠殿、ファトラ様が回復されるまでこの城から外へ出ないで頂きたい」
 「とおっしゃいますと?」
 「もし万一ファトラ様がお気付きになられなかった時」
 「ちょっと待って下さい! ロンズさん! そんなファトラさんが目を覚まさなかった時なんてそんな事言わんといて下さい!」
 「誠殿、私とてファトラ様のご回復を堅く信じておりまする。ですが今日明日という保証はございません。ストレルバウ博士が中心となり治療に専念しておりますが未だお気付きになられない御様子。ですが誠殿、時間は待ってはくれないのです。来週には国賓として隣国カシェクから使節団もやってまいります。ですので…」
 「僕に身代わりをやれと…」
 「申し訳ございません。ですが誠殿」
 「分かりました。ですがファトラさんは必ず良くなります。ロンズさんの今の頼みは無駄になりますよ、きっと」
 「有難うございます誠殿。今の言葉、ルーン殿下にもきっとお伝えいたしましょう」
 「で、私への頼みとは?」
 「おお藤沢殿。藤沢殿大変申し訳ないのだが、ファトラ様が完治されるまで禁酒をお願いできないでしょうか」
 「禁酒ですか。今は酒呑んでる時じゃありませんから言われなくても呑みませんが」
 「これは失礼した。その通りですな。変な事を言って申し訳ござらぬ」
 「いやぁ良いんですよ。ですが何かあるとお考えで?」
 「いえそうではござらん。ですが最悪の事を考えそれに対処できるようにする事が私の職務ですので」
 「色々大変ですなぁ」
 「いえ殿下の事を思えば私の苦労なぞ塵のようなものです。ではお願い致します」


 「ふう」
 誠は溜息をついた。
 僕は何の力にもなってへん…。
 先エルハザード文明の研究ではストレルバウに次ぐと言われるようになった誠だが医学に関する知識は普通の学生とそう大差ない。
 「先生」
 「なんだ誠」
 「先生、僕が今までやってきた事はなんやったんでしょう?」
 「何とは?」
 「僕は今まで一生懸命先エルハザードの事を勉強してきました。だけどそれらは誰の役にもたってへんやないですか。僕は今までいろんな人達に助けて貰って研究を続けています。ですが今の僕は何もできへん…」
 「誠、それは違うぞ」
 「でも先生」
 「いいか誠。今お前が感じている無力感は誰でも同じように感じているんだ。医者を除き見守る事しか出来ん」
 ストレルバウも口を開く。
 「そうとも誠君。わしとて医学にも通じているのは単に年を経ているからに過ぎないのだよ」
 「そうだ誠、今回はたまたまお前の専門外だっただけだ。誰もお前を無力だなんて思いやしない」
 「いや藤沢君あっさりとそう言われるとわしの立場がなくなってしまうのだが」
 「あ〜コリャすいません。校長」
 「まあよい。誠君、君はまだ若い。自分の行き先を変えるのはいつでもまた何度でもできる。焦る事はない」
 「そうさ誠。お前の当面の目標は『神の目』の解明だ。これは誰でもできる事ではないぞ誠。お前がもし医学もやりたいと言うのならその後でもいいだろう」
 「そうじゃよ誠君。イフリータを連れ帰ってから二人で病院を開くのもいいだろう。うんうん、イフリータの看護婦姿かぁ…。誠君!」
 「は、はい」
 「わしは絶対に行くぞ!」
 「へ、どこへですか?」
 「どこへって君の病院じゃ!」
 「僕の病院?」
 「そうとも白衣姿のイフリータを見ずにおられようか!」
 「あ、あの博士…。な、なんか話しがずれているような…」
 アレーレが飛び込んできたのは丁度ストレルバウが虚空を見つめにやにやしだした頃だった。
 「博士!あっ誠様もこちらでしたか!」
 「どうしたんやアレーレなんかあったんか!」
 「ファトラ様が」
 「ファトラさんが」一瞬息をのむ。
 「動いたんです!」
 「ほんまか! アレーレ! 博士聞きました。博士…」
 だがストレルバウは妄想の世界にいた。
 「は・か・せ! 聞いてます!」
 「おっ、なんじゃ良い所だったのに、ん、どうしたアレーレ息を切らして」
 「ですからファトラ様が動いたので博士を呼ぶようにと王女様が」
 「何! なぜそれを早く言わん! こうしてはおれん。誠君行くぞ!」
 「は い…」
 釈然としないものがあったがファトラが動いたと言うのは朗報である。
 全員ファトラがいる部屋へ向かった。


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