5. 激昂の世界へ!

 コンコン。
 扉がノックされる。
 「はぁーい、どなたですか」
 「私よ、私」
 「あ、菜々美お姉様。どうぞ御入り下さい」
 やってきたのは菜々美とウーラであった。
 「やあ菜々美ちゃん。だけどここにおる事がよう分かったな」
 「うん、病室に行ったら誰もいないでしょ、ウーラがいたから匂いを追っかけてもらった訳。ファトラさん目が覚めたんだ、よかったね」
 ウーラはとてとて歩きながらファトラを見る。
 「だいじょうぶか。ファトラ」
 「まあ可愛い猫ちゃん」
 ぴしっ! ウーラと菜々美が凍り付く。
 誠とアレーレも動きが止まった。
 「ファ、ファトラさん! 一体どうしたの。何があったの」
 何とか呪縛から逃れた菜々美がファトラの元へ駆け寄り一気に捲し立てる。
 「ねぇ言って頂戴。お金以外の事なら、ううん、利子付けてくれるならお金の事だって相談に乗るわ」
 「な、菜々美ちゃん、落ち着いてや。ファトラさん記憶がなくなってしもうたんや」
 「記憶…、そう言えば先生がそんな事を言っていたような…」
 「藤沢先生、菜々美ちゃんとこに寄ったんか」
 「うん、思い出したわ。先生いきなりやってきてこれからマルドゥーンへ行くけどファトラさんが動いてどうとか、記憶がどうとか言ってたわね」
 「ちゃんと説明しとらんのか」
 「うん。で、よくわかんないんでやってきたんだけどまさか記憶喪失とはねぇ」
 「はあ、すいません」
 よく分からないけど取り敢えず謝るファトラに思わずこけそうになる菜々美。
 「と、とにかく何か進展はあったの?」
 「それがさっぱりや」
 「そうなんですぅ菜々美お姉様ぁ。ファトラ様ったら私やお姉様達との楽しかった愛の日々も忘れているんですぅ」
 「っていつ私があなた達と愛の日々を送ったのよ!」
 「いいじゃないですかそんな細かい事気にしなくても」
 「どこが細かいのよ! 全く」
 「まあまあ菜々美ちゃん。それよりも何かええ考えないやろか。自分の部屋を見たら何か思い出すかと思うたけど駄目なんや」
 「私を抱きしめても何も思い出してくれないんですよぉ」
 「それは重傷ね」
 「でしょう。菜々美お姉様もそう思いますよね」
 「ちょっとアレーレ、それはいいから抱き付かないで」
 「えー良いじゃないですか少しくらい」
 「良くないわよ。離れなさい」
 「お二人とも仲が良いんですねぇ」
 ぱたっと動きが止まる菜々美とアレーレ。
 「まこっちゃん!」「誠様!」
 二人同時に叫ぶ。
 「ファトラさんこのままの方がいいんじゃない?」「ファトラ様を何とか元に戻して下さい!」
 「えっ。ごめん、同時に言われると分からんわ。だけど菜々美ちゃん、なんかアレーレとは違う事を言うたような」
 「だからぁファトラさん、無理に戻さなくてもこのままで構わないんじゃないかなぁと」
 「なんでや菜々美ちゃん」「どうしてそんな事をおしゃっるんですか!菜々美お姉様!」
 今度は言葉は違うが同じ事を訊いている。
 「だってさあ、そりゃあ今のファトラさん、いつもと全然違ってて変な感じだけど大人しくて素直だしさぁ」
 「そんなぁ素直で可愛いなんて、てれちゃう」
 「誰が可愛いと言ったのよ誰が。とにかく今のファトラさんの方が扱いやすいしこの先本人も苦労しなくて済むんじゃない?」
 「苦労って、ファトラさんがこの先苦労するとは思えへんけどなぁ。なあアレーレ」
 「そうですわ。ファトラ様はこの先私と愛のハーレムを作るんですもの。質の高いお姉様方を集めるのは少しは苦労するかもしれませんがそんなものは苦労のうちに入りませんわ!」
 拳を握り締め、力いっぱい力説するアレーレとそれをジト目で見る誠達。
 「誠、ハーレムってなあに?」
 「え、えーと…。あ、後で説明するわ。それより菜々美ちゃんなんでファトラさんが苦労するんや?」
 慌てて話を菜々美に振るがファトラは気にしていないようである。
 「えっ、そうね…。例えばさ、将来ファトラさんお嫁に行っちゃう訳でしょ。今のファトラさんだったら山ほど縁談が舞い込んでくるだろうけど…」
 「そんな事ありませんわ。ファトラ様はずぅっと私と過ごすんですう」
 「そうは言ってもファトラさん第二王女だもん。いつまでもこのままでって訳にはいかないでしょ」
 「そんなぁ…」
 「そんなって言ってもね。ねえファトラさんも…、ファトラさん?」
 ファトラは顔を赤らめもじもじしながら何かつぶやいている。
 「あのうファトラさん?」
 「…綺麗なお嫁さんになれるよなんて…いやんいやん…」
 「ファトラさん!」
 「は、はい。なんでしょう」
 ようやく戻ってきたようだ。
 「全くもう。だけどまこっちゃん、こっちの方が あれ よりましだと思わない?」
 「思わないってねえ、菜々美ちゃん…」
 「そうですわ菜々美お姉様。それにこのままだと菜々美お姉様も困りますよ」
 「困る? 私が?」
 「誠様」
 「なんやアレーレ」
 「ちょっとこちらへ来て下さい。ファトラ様と菜々美お姉様はそこで待ってて下さいね」
 アレーレは誠を引っ張って部屋の端へ歩いていく。
 「何かしら、ねえファトラさん。ファトラさん?」
 ファトラはアレーレ達の、正確には誠の後をついて行く。
 「ちょっとファトラさん。アレーレがここにいてって言ったでしょ」
 端まで来て立ち止まったアレーレは今度は誠にそこにいるように言ってから菜々美の所へ戻る。
 当然ファトラは誠の傍だ。
 「いかがですか菜々美お姉様」
 「どういう事これ?…はっそう言えば…」
 一気に誠の元へ跳躍し誠の首を締め上げる。
 「ちょ、ちょっと菜々美ちゃん。どうしたんや離してや」
 「言いなさい!」
 「は?」
 「ファトラさんと何があったの? さっさと言いなさい!」
 目が据わっている。
 「何って。何もないにきまっとるやろ一体…」
 「さっきここに来る時その辺歩いている人にファトラさんどこにいるか訊いたのよ」
 「そ、それで」
 「殆どの人が『ファトラ様は誠様と仲良く歩いていました』と笑いながら答えてたのよね。その時はなんだろうと思ったけどこれではっきりしたわ。さあきりきり白状しなさい! 今ならまだ許す余地があるかもよ」
 「ちょっと菜々美ちゃん、許すも何も…。ちょ、ちょっと苦しいって…」
 「止めて下さい。誠苦しがっているじゃないですか!」
 ファトラが菜々美の腕を掴む。
 さすがに菜々美も力ではファトラに敵わない。
 誠の首から手を放すと誠の背中を擦っているファトラの方を向く。
 「大体ファトラさん。あなたいつもアレーレと一緒だったじゃない。なんでまこっちゃんなのよ!」
 ファトラを指差して言い放つ。さっきと言っている事が違う。
 「待つんや菜々美ちゃん」
 慌てて誠は菜々美とファトラの間に入る。
 菜々美の方を向いているから丁度ファトラを庇ったように見える。
 「なによまこっちゃん、ファトラさんの味方をするの」
 「何言ってるんや菜々美ちゃん。ファトラさんは何も悪い事しとらんやないか」
 「そうですとも菜々美お姉様。悪いのは優柔不断な誠様です!」
 「ちょっと待ってやアレーレ。なんで僕が悪いんや?」
 「だって私からファトラ様を取ったじゃないですかぁ」
 「取ったてねぇアレーレ。しょうがないやないか」
 「しょうがないでは済まさないわよ!」
 「そうです! 私のファトラ様を返して下さい!」
 誠が攻められている間、当のファトラはというと誠の背中に寄り添い幸せそうにしている。
 それを見た二人が更にヒートアップする寸前、誠が切れた。
 「何を言っとるんや二人とも! ええかげんにせいや! 何度も言うけどファトラさんは病気なんや。それをまず何とかするのが先やろ。誰が悪いとか悪くないとか全然関係ないやないか!」
 誠の剣幕に二人は思わず後ずさる。
 「誠」
 「なんですファトラさん」
 「誠が大きな声を出すから皆怖がっているじゃない。駄目だよそんな事をしちゃ」
 ファトラに諭されてというか場違いな台詞で素に戻る誠。
 「え、とファトラさん…」
 「ほら誠、二人に謝って」
 「あ、はい。ごめんな二人ともつい大きな声出してもうて堪忍や」
 「え、ううん良いんだけど…やはりファトラさんこのままって訳には行かないようね」
 「やっと分かっていただけてアレーレ嬉しいですぅ」
 「って抱きつくんじゃないって言っているでしょう」
 「ああん、いけずぅ」
 「所でまこっちゃん、今までどんな事をしてきたのかもう一度説明して頂戴」
 「ああ、ええで」
 誠は手短に説明する。
 その間ファトラは誠の横に座ってにこにこしている。
 菜々美はこめかみの辺りをひくひくさせながらも黙って聞いていた。
 「と言う訳なんやけど、何かええアイディアある?」
 菜々美はぶつぶつ言いながら何か考えているようであったが突然立ち上った。
 「わっ。なんやいきなり」
 「ふっふっふ、まこっちゃん。ここは私の出番のようね」
 「どういう事です菜々美お姉様?」
 「いい。今までファトラさんはルーンさんの声を聞いたり、顔を見て、それからアレーレを抱きしめても何も思い出せなかった訳よね」
 「そ、そうやけど」
 菜々美の異様な迫力に思わず押されてしまう。
 「つまり人間の五感の内視覚、聴覚そして触覚が駄目だったという事よ。残りは味覚と臭覚。となると私の料理が切り札よ!」
 「なるほど五感かぁ。確かにそうやなあ」
 「いい,ファトラさん!」
 びしっとファトラに指を突き付け宣言する。
 「必ずこの私が直して見せる! 私の特性料理を食べれば必ず思い出すわ! いいわねファトラさん!」
 「はあお願いします」
 「だあぁ、なんか気が抜けるわねぇ。まあいいわ。じゃまこっちゃん膳は急げよ!」
 「膳やない善や。それに菜々美ちゃん、ファトラさん目覚めたばかりやからまだ城の外には出しとうないんや。ロンズさんも許可出してくれんやろうし」
 「私は誠が一緒だったらどこでもいいわよ」
 「何言ってんのよファトラさん! んー、じゃまこっちゃん明日の昼来て頂戴。それならいいでしょう」
 「ああ、明日になったらまた状況も変るやろうし、もしかしたら治っとるかもしれへんしな」
 「その時は快気祝ね。じゃあ私これから帰って仕込を始めるわ。待っててねファトラさん。明日は飛び切りの料理をご馳走するわ」
 「ええ楽しみのしています」
 「んもう、本当に調子狂うわね。所でまこっちゃん、ロンズさんどこにいるか知ってる?」
 「ロンズさんやったら執務室やと思うけどなんで?」
 「決まってるじゃない、料理の代金貰わないと。それに私の料理で直ったら治療費ね。それじゃまこっちゃん明日よろしくね」
 うきうきした足取りで出て行く菜々美を見送る誠達。
 「料理代やて…」
 「治療費、とおっしゃってましたね…」
 「「ロンズさん(様)気の毒に…」」
 寝不足のロンズにハイテンションの菜々美。
 勝負は誰が見ても明らかである。
 思わず同情してしまう二人であった。
 もっとも同情はするが助けにいこうとは0.1%も考えなかったが。


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