格闘の世界エルハザード 〜中編
また少々意味合いは違うが藤沢も同様であった。禁酒は辛いが仕事が終われば上等の酒を浴びるほど呑める!菜々美からもそう激励され我慢に我慢を重ね仕事に励んでいた。
作業日数と報酬は関係ないので早く終わればそれだけお得だったのだがもう少しで、あと一日か二日で体育館が完成するという前の晩、菜々美は藤沢の夕食に酒を出した。
「菜々美君!これは?!」
「これって、見ての通りお酒よ先生。体育館は明日にでも完成するんでしょ?だからその前祝い」
「しかし終わるまでは呑んではいかんと…」
「大丈夫よ。作業はもう殆ど終わっているんだもん。先生今日までがんばったんだから少しくらいなら許してくれるわよ」
「そ、そうかな…」
そう言いながら酒瓶に手を伸ばす藤沢。このとき彼はにっこりと笑いながら心の中で手を合わせる菜々美に気がつかなかった。
翌日作業現場に藤沢の姿がなく、当然のことながら契約通り報酬の酒は渡されなかった。いやロンズとストレルバウは体育館が殆ど完成していることと、その完成には藤沢の働きが大きかったことから半分くらいは良いのではないかと思っていたのだがファトラから横槍が入ったため藤沢は無報酬となりあとには大量の酒が残った。
正確には注文だけでまだ届いてはいないが数日以内に届くはずであり今更キャンセルもできない上それら大量の酒を備蓄する余裕はなかった。
頭を抱えるロンズの元へ現れたのが菜々美である。ロンズは精一杯抵抗したものの最終的には最初に菜々美が提示した金額よりも少し多い額での決着となった。後日、菜々美は安く仕入れた高級酒で一儲けする。
ファトラが藤沢への報酬について異議を唱えたのは菜々美からの要望によるものだったが、これに対する見返りとして菜々美は武闘会への参加を約束させられていた。
もっとも菜々美はいざとなったら誠を楯にして逃れるつもりだったが。
さて話は少し遡る。
体育館完成まで一週間足らずという報告がファトラの元へ届いた。早速ファトラは武闘会の日程を決め菜々美と大神官達へ伝達した。
もちろんルーンの予定は空けておくようロンズに厳命している。普段のロンズなら難色を見せるところだが、この時ばかりは周りから人が変わったと囁かれるほどの力業でスケジュールの確保を行った。
ファトラが次に行ったのは体育館開館記念の催しの募集である。一般市民よりオープニングに相応しい競技を募集し多いものの中からファトラが選ぶという事になっていた。
これに関してロンズ達には表向きの催しであると説明した。武闘会はあくまでも秘密裏に行うと言うファトラの話をロンズとストレルバウは鵜呑みにしたのである。
またファトラはストレルバウにとある研究を急がせていた。当初難色を示したストレルバウだったがその理由を聞くやファトラの要求に応じ学会の準備も後回しにして実用化に努力した。
ロンズとストレルバウが実を粉にして働いている傍らでファトラは計画が着々と進んでいることに満足を覚えていた。実はロンズとストレルバウを疲れ果てるまで使うこともファトラの計画の一端だったのだが両名ともそんな事とはつゆとも知らず励んでいた。
取り敢えず菜々美の武闘会への参加は取り付けてあるため残りはシェーラ達大神官(但しミーズは除く)である。すんなり参加するとは思えないし先に約束した菜々美も本当に参加するか怪しかった。
だが、それに関してはファトラには切り札があった。これを示せば彼女らは絶対に参加するという自信を持っていた。
あとはロンズとストレルバウの排除である。それは体育館が完成しその公式の開館が一週間後と決まった翌日に決行された。
懸案事項が殆ど片づきあとは残務処理のみとなったロンズはのんびりとルーンの執務室へ通じる廊下を歩いていた。
新しい体育館で最初に催される競技については午後にファトラから発表されることになっているがその準備は藤沢が行うことになっておりロンズは武闘会のことだけでよかった。その武闘会はオープニングセレモニーの前日に行われることとなっている。全ては順調であった。
ルーンの前へ出たロンズはにこやかな表情で頭を下げた。彼女はロンズの労をねぎらう言葉を掛ける
「ロンズ、体育館の建設ご苦労様でした。先ほど視察を行ったファトラから報告を受けています。素晴らしい出来映えだそうですね」
「はっ、有り難き幸せにござります。できましたらそのお言葉を作業に参加した者全てに賜ればと存じます」
「そうですね。オープニングセレモニーには私も参加しますのでそのときに述べましょう。所でロンズ、一仕事終えたばかりで疲れているとは思いますが…」
「とんでもございません。あの程度で疲れるほどこのロンズ、老いてはござりませぬ。ご用となればどこへでも参る所存でございます」
そう言って深く頭を垂れる。
「そうですか。ではこの書状をガナン公国へお願いしたいのですが」
ルーンはやや厚みがある封書を差し出した。
「これは?」
封書を受け取りながらロンズは呟く。よく見るとルーンではなくストレルバウの花押がある。はっと顔を上げたロンズにルーンが答えた。
「これはストレルバウから預かったものらしいのですが」
「それは分かっております。なぜ博士自ら出向かずこの私に命が下ったのでございますか!」
言葉は丁寧だが語気が荒い。無理もない。ガナンまで往復していたら体育館のオープニング、いや武闘会に出席できなくなる可能性があるからだ。
だがルーンはロンズをたしなめることもなくその問いに答えた。
「何でもストレルバウは急用ができたとか申していたそうです。そしてこの書状はとても大切なものでどうしても期日までに届けねばならないとか。どうしましたロンズ?」
おや?という表情でロンズを見るルーン。ロンズは端から見ても分かるくらい肩が震え顔が赤くなっている。
「申し訳ございません。ストレルバウ博士に面会して参ります。この件は後ほど」
一方的に話してロンズは退出していく。
ルーンはそれを眺めながら ”ファトラの言う通りになったけど大丈夫かしら?”
とのんびり考えていた。
先ほどとは打って変わって険しい表情で廊下を歩くロンズ。
”博士!一緒に艱難辛苦を嘗めた仲ではござらぬか!どうして私を!!”
殺気すら滲んでいる。
廊下を歩くものは皆ロンズとは目を合わせようとせず端によって道を空けた。
「博士!ストレルバウ博士!どこにいらっしゃるのです!」
怒鳴りながらストレルバウの書斎へ入っていくロンズ。相当キレているようだ。
奥の部屋へ通ずる扉を蹴破るようにして入っていったロンズの目の前にストレルバウが倒れていた。一瞬殺気が迸るがさすがにおかしいと気がついたようだ。ストレルバウを抱き起こし声をかけた。
「どうしました博士。何か言って下さい」
だがストレルバウは口を開くものの声が出ない。また顔も土気色である。尋常でない事態であることに気づいたロンズだったがかすかに聞こえるストレルバウの声を聞こうと耳を近づけた。
「…にげろ…侍従長…これはわ…なじゃ…」
「なんですって?」
「早く…逃げるのじゃ…騙された…」
「何ですと!誰に…ファトラ様、ファトラ様が我らを謀ったと言うのですか」
ロンズの言葉に頷くストレルバウ。
「な、なんと…。分かりました。私だけでもこの場から逃げ出し博士の無念を晴らすべく必ずや武闘会に出席してご覧に入れます」
今度は怒りの言葉を発しようとするストレルバウだったが残念ながら話すだけの力はなかった。ロンズはぐったりしたストレルバウを床に置き一言告げて立ち去ろうとした。
だが突然剣に手をかけ身構える。
「何奴!」
周りには殺気が漂っていた。
「何奴とはご挨拶だなロンズよ」
姿を見せたのはファトラである。続いてファトラの親衛隊が現れた。
「ロンズ、ストレルバウに手をかけるとは気でも狂うたか?」
「馬鹿な!どうしてこの私が!ストレルバウ博士に手を下したのはファトラ様でございましょう!」
ファトラを指さして激高する。
「わらわには動機がない。だがそなたはそうではあるまい。姉上の執務室を出たそなたがストレルバウを呪う言葉を発しながら歩いていたのを多くの者が目撃しておる。また書斎に押し入るように入ったことも周知の事実。そして異変を聞きつけたわらわが駆けつけてみれば事切れたストレルバウの隣にロンズ、そなたがおるのじゃ。状況証拠としては十分すぎるであろう」
にやりと笑うファトラ。その笑いを合図に親衛隊がロンズを取り囲み一斉に打ちかかった。
全てが用意周到に仕組まれていたことを悟ったロンズ。完全に囲まれる前に一角を切り崩し外へ出ようとしたところを横から攻撃される。それを受け流し扉へ向かおうとしたがその攻撃もフェイントだった。
”いける!” そう思った瞬間、ロンズの目の前にファトラが現れた。手には棍が握られている。すっと棍を伸ばすファトラ。その先端は正確にロンズの水月を捉えていた。どっと前へ倒れ込むロンズ。続いて後頭部を打たれそのまま気を失ってしまった。
「馬鹿め。大人しくしておれば痛い目に遭わなかったものを」
ファトラはそう呟きロンズ達を運び出すよう指示を出した。そして主のいない部屋を見渡したファトラは満足そうに笑みを浮かべ報告のためにルーンの執務室へ向かった。
「ファトラ、ストレルバウの様態はどうなんですか?」
心配そうにルーンが問い掛ける。
「詳しいことは分かりません。熱にうなされたように訳の分からないことを呟いています。未知の伝染病やもしれずわらわの権限で隔離しています。様態に関しましては逐一報告が入ることになっていますし今の所は怪しげな言動以外おかしな点は認められませんので命に別状はないかと思われます」
「そうですか。よろしく頼みますよ。ところで、ロンズはどうしました」
「ええ、ストレルバウが急病で倒れたことを説明すると納得してガナンへ向かいました」
「では両名とも体育館のオープニングセレモニーには参加できませんね。彼らの尽力なくして完成しなかったのですが…」
残念そうに話す。
「仕方ありません。二人とも残念そうにしていました。姉上、彼らのためにも成功させたいと思います」
「そうですね。彼らの代わりにあなたが指揮すると言うことでしたが」
「指揮と言っても単に人や物の手配を行うだけですよ。では姉上、準備がありますのでこれで失礼いたします」
「分かりました。無理をしないようにして下さいね」
にっこり笑ってファトラを送り出すルーン。先ほどの報告の真偽なぞ考えようともしなかった。
もっともストレルバウに関しては『隔離している』というのは正解である。
ただし地下牢にだ。薬で動けなくなったストレルバウを伝染病と偽ったのである。その言葉を信じた牢番は余り使われることのない地下牢への扉を開けて一番端に閉じこめることに同意した。
食事は差し入れるがそれも離れたところから棒で押しやり、ストレルバウの言葉には病気が原因の戯言と耳を貸さなかった。
ファトラが言うように命に別状があるはずがなく、これも正しいと言えば正しいことではあった。
そしてロンズは…
気がついたロンズの周りには二十名前後の兵士達がいた。訝るロンズに一人が封書を差し出す。表には『演習要項』とあった。慌てて中を開いたロンズの顔色が変わった。
小隊を率い森を抜けてフリスタリカを目指せとある。そしてロンズ達の行動を阻止すべく第一師団が防衛ラインを引いているとあった。
ロンズ達が今いる大まかな場所と日付を訊くとフリスタリカから歩いておよそ五日の距離とのこと。
武闘会まで六日である。
「なんとしても間に合わせてみせる!」
命令書を握りつぶしながらロンズは固く誓うのであった。
「さて、後はシェーラ達の参加を確認すれば終わりじゃな」
のんびりと話すファトラ。体育館開館記念の競技も決定し後のことは全て藤沢に押しつけてある。
当の藤沢は、問題なく終了させれば酒を出そうというファトラの提案に飛びつき(力仕事でないため禁酒する必要もない)喜んで準備を進めていた。
ファトラにしてみればシェーラ達大神官が武闘会に参加することを約束すれば『全て完了』であった。
「ですがファトラ様、どうやってお姉さま方からお約束を取り付けるのですか?」
首を傾げながらアレーレが質問する。どう考えてもすんなりと出場するとは思えなかったからだ。
「それについては誠に働いて貰う」
「誠様に、ですか?」
「そうじゃ。すぐに誠を捕らえて参れ」
「はい、実はもう…よいしょっと…これこの通り袋に詰めてお持ちしておりました」
「な、なんと。先程から気になっておったのだがその袋の中身は誠か!手際が良いのうアレーレ。誉めてとらすぞ」
「有り難き幸せ。では」
そう言いながらアレーレは袋の口を開く。すると縄で縛られた上に猿ぐつわで口も塞がれた誠が出てきた。
目が何かを訴えているが半分諦めているようにも見える。
ファトラは誠を眺めながら口を開いた。
「うむ、確かに誠本人のようじゃな。さて誠、聞いての通りそなたにも働いて貰う。と言っても大したことではないから安心せよ」
にやりと笑うファトラを見た誠は逃げようというのか必死になってもがいているが縛られているため転がるくらいしかできない。
それでも少しは離れることができたがすぐにアレーレが元の位置へ戻し、そのまま誠の上に乗って動けないよう押さえてしまった。
ただ誠は仰向けになっているのでちょっと危ない構図ではある。
誠が逃げようとしたことには構わずファトラは言葉を続けた。
「シェーラ達には絶対に参加して貰わねばならない。姉上にわらわの実力をお見せする少ないチャンスであるしせっかく苦労してここまでお膳立てしたのじゃ。無駄にはできぬ」
一旦言葉を切り誠の顔を覗き込む。
「そなたにはエサになって貰う。さすれば間違いなくシェーラ・シェーラと菜々美、そしてイシエルは参加する。アフラも他の三人が参加となれば了承するであろう」
「もがーうぐぁ」
「え〜と、なんで僕がそんな目に、と仰っているようです」
通訳したアレーレの方を見て誠は頷く。
「なぜじゃと?先日そなたはわらわのしもべになると誓ったではないか」
「うぐごががあ」
「お手伝いするとは言ったけどしもべになんて聞いてません、だそうです」
「同じ事じゃ。それにこの件については姉君、ルーン・ヴェーナス殿下の許可も戴いておる。わらわに従わぬのは姉上の命に背くことにもなるぞ」
「がるうぅぅ」(涙目)
「あのう…そんな馬鹿なと仰ってますが…」
この点に関してはアレーレも同感であった。ファトラは誠ではなくアレーレのために説明を始めた。
「賞品を何にするか、姉上にご相談したのだがやはり皆が喜ぶものでないとならないという結論に達したのじゃ。所が全員が納得するものとなると皆無ではないかと言うくらい共通点がない」
「そこで誠様ですか?」
「そうじゃ。誠なら菜々美、シェーラにイシエルは文句ないだろうしアフラとわらわは下僕として使うことでメリットはある。その旨を姉上に申し上げたのだがそれだと人身売買みたいで響きがよろしくないと申された。そこで期間限定で誠に望みを叶えて貰う権利を有する、と言うことで話がまとまっての」
「なるほど、それなら丸く収まりますね」
感心するアレーレに対し
「あがああぐごお」
どうやら抗議しているらしい誠。
「という訳で誠よ、しっかり働いて貰うぞ」
「誠様、頑張って下さいね」
誠の抗議は無視して話はついた。
「だけど誠様が余り騒がれるようでは面倒かと存じますが」
「ああ、当日まで誠を手元に置いておく必要もあるしおとなしくして貰わねばならぬ」
「何か妙案がおありなんですか?」
「人を監禁する際のバリエーションは幾つかあるが代表的なものは二つではないかと思う。一つは檻に閉じこめる、そしてもう一つは薬物を用いておとなしくさせるという手段じゃ」
ファトラの言葉に大きく頷くアレーレと顔色が変わる誠。
「今回は城内での監禁となるので静かにしてもらうというのが妥当な判断じゃな」
楽しそうに笑うファトラ。
「そうですわねえ」
同じく笑顔のアレーレ。
それに対し誠は逃げようと必死に動き出した。それを見たファトラはゆっくりと溜息をついて口を開く。
「誠、これ以上騒ぐというなら今ここに菜々美達を呼んでも良いのだぞ」
その言葉に誠の動きが止る。
「そのような恰好をしているそなたを見て彼女らはどう思うであろうのう…縛られた上にアレーレが上に乗って…この場はわらわの言うことを聞いた方が得策のように思うのだが」
「ファトラ様、私が服を脱いでおくというのも良いかもしれませんねえ」
両名のセリフが冗談でないことは誠にも理解できた。一瞬固まった後、観念したように目を閉じる。
「さて誠、この薬を飲んで貰おう。別に毒ではない。少々思考回路が鈍くなるだけじゃ」
そう言ってファトラが差し出した錠剤を見て誠はぎょっとしたような表情に変わった。
「さすがに、いや元はと言えばそなたが開発したのであったな。さようこれはそなたが頭痛薬制作の過程でできたもの。偶然の産物だけに同じものが作れないと言うのが残念じゃがちゃんとストレルバウが錠剤の形に生成し七日分ある」
「どんなお薬なんですか?」
「それはな」
一旦誠の顔を向きにやりと笑ってから続ける。
「思考が鈍くなり人の言うことに素直に応える…まあ人形のようになると思えばよい。一錠でほぼ半日、個体差があるので一概には言えぬが大体それくらいの間は効くようじゃ」
「と言うことはもしこの薬をアフラお姉さまに飲ませたりすると」
目が輝いている。
「そうじゃ。わらわの思うように動いてくれるし絶対に反抗なぞせぬ。しかし」
そう言って柳眉を寄せた。
「しかし?」
こちらは首を傾げている。
「無抵抗ではなく無反応なのじゃ。その様なものを抱いても面白うない」
「なるほど…動く人形と同じなんですね」
「うむ。そう言うわけで余り使う機会がなかったのだが今回ようやく日の目を見ることができた。誠、そなたも嬉しかろう。自分が作ったものが人の、それもわらわの役に立つのだからな」
「全くですわぁ」
そう言って笑う二人。一方誠は涙目で何かを訴えていた。それには構わずファトラはアレーレに命じて誠を座らせた。
「誠」
ファトラは誠の目を見つめ声をかける。
「これから口の戒めを解いてつかわす。分っていると思うが大声を出したり薬を飲むのを拒んだ場合どうなるか…その時はアレーレではなくこのわらわが直々に愛してしんぜよう。そしてアレーレには菜々美の所へ使いに行って貰う」
誠のうなじから胸元へ指をなぞらせながら話すファトラ。どうやら本気らしいファトラの言葉に観念したのか誠は首をうなだれた。
それを肯定と取ったのかファトラはアレーレに命じて誠の猿ぐつわを外す。
「アレーレ、水を持て」
「はい、ただいま」
ファトラは誠の顎を持ち上げ話を続ける。
「安心するがよい。そなたがおとなしくしている限りわらわは何もせぬ。そなたは大事な賞品(商品?)じゃからな。傷が付いては価値が下がる。武闘会が終わるまでは何もせぬから心配するでない」
つまり決着が付いたら後は知らないと言うことである。だがもう誠には抗議するだけの気力はなく静かに薬を飲んだ。
数分後、誠の目から光が消えた。
「効いたのですか?」
「そのようじゃの。以前試したときと似たような表情になっておる」
「以前って誠様にでございますか?」
驚いたような表情でアレーレが問い掛けた。
「いやとある女官に試してみたのじゃ。しかし申したとおり単に言うことを聞くだけの人形に過ぎずすぐに飽きてしまった」
「そうでございましたか」
「ああ…もう良いようじゃの。アレーレ、誠を着替えさせよ。わらわの服でよい」
「女装させるのでございますね」
にやりと笑う。
「木の葉を隠すには森の中じゃからな。わらわの傍に侍女がおっても不思議ではない」
そう言って笑うファトラだが実際にはアレーレ以外の侍女がいることは殆どない。アレーレも一瞬そう思ったのだが異を唱えることなく誠の服を脱がせ始めた。
「こ、これは…」
「なんかどきどきしちゃいますね」
誠のセミヌードに対する二人の感想である。体の線は直線的ではあるがファトラそっくりの容貌と女性のように細やかな肌に加え、服を完全に脱いでいないことが逆に倒錯的な雰囲気を醸し出していた。
更に誠の表情にはなにも感情らしきものが感じられないことがその度合いを強めている。男性には興味がないファトラではあったが予想外のことに心が揺らいでいた。
「と、とにかく服を着せよ。その後で化粧じゃ」
動揺を隠すためか少し大きい声で命令する。
「はい、直ちに」
アレーレはやや名残惜しそうに命に従いファトラの衣装ケースを物色し誠に着せる。
「如何でしょうか?」
ドレスを着せカツラを被らせた誠をファトラの正面に座らせ確認する。
「そ、そうじゃな…もう少し地味な服がよくはないか…わらわの身代わりではなく侍女なのだからな」
「では別の服をご用意いたします」
それから更に三着着替えさせようやく決まったもののファトラは ”何となく姉上のお気持ちが分るような”
と思い、慌ててそれを打ち消した。
衣装が決まり次は化粧である。アレーレが化粧品を用意し誠に向かい合ったところでファトラが声をかけた。
「待てアレーレ。化粧はわらわが施そう。傍で見ておれ」
「そうでございますか…では」
ちょっと不満そうにファトラに場所を譲る。
「では誠、わらわがそなたをより美しくしてしんぜよう…」
「どうじゃアレーレ。美しいではないか」
満足そうにファトラが頷く。
「もう…完璧ですわ!これ以上ないってくらいです。だけど本当にファトラ様そっくり…すぐには見分けができませんわ」
「そうじゃな。だがさすがにこれではまずい…勿体ないが顔を覆うしかないか…」
本当に残念そうだ。
「何とかならないでしょうか。この綺麗なお顔を隠すのは余りにも惜しいですわ」
力説するアレーレ。
「ふむ…服を替えるとかで誤魔化せればそれに越したことはないのだが…」
「そうですよ。もっと色んな服を試してみましょうよ」
と、二人が新しい遊びを始めようとしたとき突然後から声がかけられた。
「何をしているのですか?ファトラ」
その声に心臓が止ったかと思うくらいどきりとするファトラとアレーレ。振り向くとそこにはルーンが立っていた。
「こ、これは姉上、いつの間に…」
慌てふためいているせいか声はうわずり挨拶も忘れている。
「何度呼んでも返事がないので勝手に入らせていただきました。そこにいらっしゃるのは誠様ですね」
本来なら姉とは言え無断で部屋に入られたことに抗議するところであるがファトラも何となくやましさを感じていたため何も言えない。それどころか
”誠に化粧を施している所を見られた!?” と逆に恥ずかしさでパニックに陥りかけていた。
「は、はいその通りです」
何とか答えるがこの場を取り繕うのは難しいように思える。そんなファトラの胸中を知ってか知らずかルーンは誠を見つめたまま言葉を続けた。
「美しいですね。あなたが化粧をして差し上げたのですか?」
「はい!姉上!」
「誠様…どうしたのですか、まるで眠っているみたいで反応がありませんが」
「そ、それは…」
「薬を用いたようですね…以前ストレルバウが試作したものですか?」
「は、はい。いえ最初にこれを作ったのは誠でして。今まで使う機会はなかったのですが、これで誠も浮かばれる…いやそうではなくて…」
「ふふふ…そうでしたね。誠様が偶然に作られたものをストレルバウが調合したのでしたっけ…所でなぜ誠様にあなたの服を着せているのですか?」
いつものルーンなら女装させている理由ではなくなぜ薬物を用いたのかを問い質したはずである。それに気づかずファトラは一生懸命言い訳を始めた。
「じ、実は武闘会が終わるまで誠を手元に置いておく必要があったのですが余り協力的でなかったものですからつい薬を…いえ決して悪気が有ったわけではございません。また女装させたのはわらわの侍女という名目で侍らせ、いえ使えさせようと…」
もうしどろもどろだ。しかしルーンはそれを咎めるでもなくファトラの顔を見つめた。
「ファトラ、あなたの傍にアレーレ以外の侍女がいることは余りないでしょう。なのにこんなに可愛い子がいたら皆不自然に思いますよ」
「そ、そうですね」
誠ではないが思考回路がパンクしていて考えがうまくまとまらない。
「ですが私の周りには多くの侍女がいます。ですから誠様は私が保護いたしましょう」
「は、はいよろしくお願いいたします」
つい勢いで答えてしまったファトラだったがルーンの目の奥がきらりと光ったのに気づき心の中で舌打ちした。
”姉上の思い通りという訳か…” しかし誠をおもちゃにしようとしていた現場を押さえられたのと、確かにルーンの傍の方が誰にもばれずに済む確率が圧倒的に高い。
”仕方ない…誠には何もしないと約束したが相手が姉上ではな。まあ実害があるわけではないし誠には泣いて貰うか”
などと無責任なことを考えながら誠と例の薬を引き渡す。
「ではファトラ、武闘会のその日まで誠様は私が責任を持って預かります。後のことはよろしくお願いしますよ」
「分りました」
笑顔で去っていくルーン達を見送るファトラとアレーレ。両名ともほっと溜息をつき部屋の中央に座り込んだ。
「また姉上にうまくしてやられたな」
「そうでございますわね」
「それにしても心臓が止るかと思った」
「そうでございますわね」
「誠は連れて行かれたが何もお咎めはなかったし良しとすべきであろうのう」
「そうでございますわね」
「アレーレ、さっきからそなたはそればかりじゃの」
「そうでございますわね」
心身共に疲れ果てたようだ。
一方、誠を手に入れたルーンは満面喜色であった。誠を連れて執務室へ、ではなく趣味の部屋へと入っていく…。
「さあ誠様こちらへ」
ルーンは数名の侍女と共に誠を導き入れ武闘会当日まで誠に色々なドレスを着せたり化粧を変えたりしながら過すことになる。
いつもならロンズから苦情が出るところだがそのロンズはファトラの謀略で演習中、ストレルバウは地下牢であった。
後日職務に復帰したロンズが遠回しに苦言を申し立てたが 「後のことはファトラに任せておりましたわ」
と軽くいなされる。
確かに 「後のことはよろしく」 と言ってファトラの部屋を出たのでそう言う解釈も有りだがファトラ相手に無茶な話である。
無茶ではあるがルーンは 「お願い」 と言いファトラは 「分りました」
と答えている。ロンズとしてはそれ以上追求できなかった。
そのロンズだが、ストレルバウ襲撃の容疑でファトラに捕らえられたことについては、たまたまストレルバウが急病で倒れたところへロンズが怒鳴り込んで行ったためにファトラが勘違いしたと言うことになっていた。
ただし演習への強制参加については何も説明はない。もっともルーンのサインがあれば理由などいらない。
またロンズも武人。無理矢理放り込まれたとは言え戦場には熱いものを感じるようだ。それに加え是が非でも武闘会の期日に間に合わせファトラの鼻をあかすつもりでいたため戦闘力は通常比43%、非人度に至っては200%も増加していた。
フリスタリカから歩いて五日。何もなければ余裕を持って間に合う距離だが至る所に仕掛けられた罠と待ち伏せ。これらを突破してとなると辿り着けたとしても大幅に遅れるのが普通である。
だが彼は待ち伏せに対しては部下を囮にして背後から襲いかかり一気に殲滅。罠には同じく部下をその中へ放り込むという荒技を駆使し考えられない速度で王都を目指した。
だが進むに連れ敵の包囲もきつくなり部下も一人、二人と散っていく。それでも彼は諦めなかった。
”レオタード姿の大神官らを見るまでは!” ロンズはこの一念であらゆる妨害をクリアしていったのである。
そのために心を鬼にしてまで突き進んできたのだがやはり遅れが生ずるのは仕方ないところではある。そしてロンズには焦りが見え始めていた。
”まずい…この分ではぎりぎり、いや間に合わぬ可能性も…”
彼はその思いが自身の判断を鈍らせていることに気づいていなかった。
「さあ誠様、次はこのドレスを着て下さい」
部屋の中には数多くのドレスが並んでいる。もちろんそれら全てはファトラのためにとルーンが用意したものである。
だが最近ファトラはつき合いが悪くルーンも不満がたまっていた。そこへ人形のようになった誠の出現である。ルーンは嬉々として誠を迎え新作のドレスを披露していった。
誠は何も言わず黙々と言われたとおり服を着替えていく。だがそれには何の意志も感じられない。その点がやや不満ではあったものの、ファトラの時とは違う楽しみを見つけたのか武闘会当日まで続けられた。
さて武闘会だが、オープニングセレモニーの前日にルーンが視察の名目で体育館を訪れる際に極秘に行われることになっていた。
既に招待状が送られている。もちろん菜々美達は出場する気なぞさらさら無かったが優勝賞品の項目を見るや否とは言えない。
いやアフラは別にどうでも良かったのだがシェーラとイシエルから 「怖いのか?」と言われると、明らかにそれが挑発と分かっていても出ないわけにはいかなかった。
もちろん彼女らは行方不明の誠を捜し回っている。誠さえ見つかれば馬鹿馬鹿しい茶番に付き合う必要は無いのだが誠の行方は要として知れない。
ファトラがさらったと思われるのだが尾行、そして部屋の探索も行ったが発見できなかった。まさかルーンが誠を保護(?)していたなど誰も想像すらしなかったのである。
そしてそのまま武闘会当日を迎えることとなった。
「うおぉぉ!」
森にロンズの絶叫が響く。
ついに彼はフリスタリカの街まであと一歩の所まできていた。
”間に合わぬかもしれぬ…” そう考えたロンズは本能、いや煩悩を一気に解放したのである。
それまでは行く手を阻む相手に対し多少なりとも手加減をして打ち込んでいたのだが、人間性を捨て去ったロンズは野獣の如く襲いかかった。
その迫力にさすがの第一師団も為す術はなくロンズの怪進撃は止まるところを知らなかった。
気が付くとロンズは町外れを走っていた。周りから奇異な目で見られている自分に気づき慌てて剣をさやに収める。
それでも走ることは止めずひたすら体育館を目指していると王宮方面から何やら黒っぽい塊がやはり猛スピードやってくる。
”敵か!” 一瞬訝ったロンズだがよく見るとそれはストレルバウであった。
「おおストレルバウ博士!ご無事でしたか!」
速度を落とすことなく問い掛ければ
「当たり前じゃ!あの程度でこのわしを押さえきれると思うとはファトラ様もヤキが回ったとしか思えん!」
元気な声が返ってくる。地下牢に捕らえられていたストレルバウは武闘会当日まで行動を起こさず体力を温存していたのであった。
「侍従長こそ相当苦労したようだが?」
ぼろを纏ったようなロンズを見ながら聞き返す。
「ふっ、第一師団には悪いことをしましたな。私の邪魔さえしなければ無事でいられたものを」
目が半分イッている。
「そうか…見よ!体育館はすぐそこ。我らはファトラ様の陰謀に打ち勝ったのじゃ!」
「その通り!行きますぞ!」
その言葉を合図に勢いよく玄関へ駆け込みその勢いのまま奥を目指す。
「感じますか博士!」
「もちろんじゃ!この熱気…武闘会は絶頂を迎えていると見た!抜かるなよ侍従長!」
「分かっております!では!」
会場へ続く扉を一気に押し開け中へ飛び込む。
そこで彼らが見たものは…筋肉の山であった。
ふんどし一丁で相撲を取っている者、ビキニを着てポーズを取っている者、様々であったが皆、己の体を誇示するが如く半裸である。
呆然とする彼らに横から声が掛かった。
「お!これはロンズ侍従長にストレルバウ博士。良かった間に合ったんですね。いやぁみんなお二方の帰還を待ちわびてまして少々盛り上がりに欠けてたんですよ」
ロンズとストレルバウはぎぃっと首を声のする方向へ向けた。
「ふ、藤沢君、これは一体…」
「え?見ての通り体育館落成記念競技です。やはり最初に使うのはここを作るのに努力してくれた連中だろうとファトラ姫の粋な計らいでして…あ、そうでしたね。お二人とも競技内容が発表される前に出かけられたんでしたっけ」
勝手に納得した藤沢は更に説明を続ける。
「…という訳で力自慢の彼らに打ってつけの競技と言うことで、アームレスリング、相撲、そしてボディビルコンテストを行っているんですよ。え〜と…ロンズ侍従長は相撲、ストレルバウ博士はボディビルにエントリー済みですので早速着替えて下さい。お二方とも優勝候補ですからね。注目度は抜群ですよ」
笑いながら話す藤沢だったが当然の事ながら二人にとって寝耳に水である。しかも藤沢が二人を評した『注目度抜群』の言葉の通り周りに筋肉自慢のマッチョ達が集まってきていた。
「今日はルーン殿下の視察となっていたはずでは…」
声が震えている。
「ああそれですか。なんでも殿下のご都合で視察も含め予定は一日繰り上がったんですよ。で、視察は昨日行われ本日の午前中にオープニングセレモニー、午後から競技開始と…どうしましたロンズさん?体が震えていますが…お!武者震いですな。いやさすがです。お〜いみんな。ロンズ侍従長にストレルバウ博士も燃えているぞ!」
「おおう!」
藤沢の呼びかけに全員が会場を揺るがさんばかりの大声で応える。
「じゃあお二人とも急いで準備を…そうですな、誰か手伝って差し上げろ。一分一秒も惜しいからな」
その言葉が終わらない内に筋肉の塊に埋もれていく両名。わっしょい、わっしょいとかけ声を出しながら更衣室へ移動するマッチョ達。ロンズに触れて感激する者、高齢にも関わらず筋肉質なストレルバウに感心する者、会場は否が応に熱気が高まっていく。
「うんうん、男の競技はこうでなくっちゃいかん」
一人頷く藤沢に対し
「「い・や・じゃあああああ…」」
二人の絶叫が空しくこだまする。
だがその魂の叫びも筋肉の壁に阻まれ外へ漏れることはなかった。
合掌。