格闘の世界エルハザード 〜後編



 さて一日遡ろう。
 視察目的で体育館を訪れたルーン。隣にはファトラが控え後には何やら白い布が被せられた大きな箱がある。
 既に菜々美達は到着しておりファトラが会場に入るや鋭い視線を投げかけた。
 「待たせたな」
 その言葉を無視するように菜々美達はファトラを睨めつけ口々に叫ぶ。
 「まこっちゃんをどこへやったのよ!」
 「誠に変なことしてみろ。ただじゃすまさねえからな!」
 「誠を置いて城へ帰るというなら許して上げるわよお姫さん。さあさっさと誠を出すべさ!」
 だが彼女らが予想しなかった方から答えが返ってきた。
 「皆さん何をそんなに興奮されているのですか?誠様ならここにいらっしゃいますよ。ファトラ、競技の要項をお伝えしていないのですか?」
 ルーンの言葉にびっくりした表情の菜々美達を後目にファトラは弁明する。
 「いえそんな事はございません。どうも彼女達は勘違いしているようです」
 「そうですか。では再度確認した方が良いかもしれませんね」
 のんびり答えるルーン。
 「ふむ…そう言えば細かいルールを決めておりませんでしたし今一度確認するとしましょう」
 そうファトラが述べたときそれまで大人しくしていたアフラが口を開いた。
 「ファトラはん、そのルールですがちょっと提案があるんやけどよろしゅうおすか」
 「提案?」
 「そうどす。まず参加人数が五人と半端ですやろ?それにトーナメント方式としても時間が掛かりますしここはバトルロイヤルでどうですやろ。そして勝敗の基準は場外、10カウントのノックダウン、またはギブアップ。いかがどす?」
 アフラの顔をじっと見つめるファトラ。どう考えても裏がある。
 「わらわは構わぬがそうなるとミーズに審判を頼んでおったが無駄になるな」
 「私もラウンドガールをやるつもりで折角バニースーツを用意しましたのに…」
 少々的外れなことを言うアレーレは無視してアフラがファトラの言葉に答える。
 「どうですやろ、ミーズ姉さんに解説をして貰うというのは。ルーンはんかて見るだけやのうて動きの意味が分かると面白いのと違います?」
 その言葉に思わずファトラは苦笑した。ミーズの方を見るとどうやら話はついているらしい。大きく頷いている。
 「分かった。ルールはそれでいいであろう。ではミーズ、手間をかけるが姉上に色々とご説明差し上げてくれ」
 そう言って再び笑いを噛みしめるファトラ。そしてアフラの方を見て話し出した。
 「バトルロイヤルか。どうじゃ、わらわからも一つ提案があるのじゃが」
 「提案?またなんぞ変な事考えたんと違いますやろな」
 「なに試合に緊張感を持たせようかと思うてな」
 「緊張感?なに言ってやがる。てめえ相手に緊張なんかするもんか」
 「そうか。では聞いてくれるな」
 挑戦するような目でシェーラを見つめるファトラ。アフラが慌てて止めようとしたがシェーラの答えが早かった。
 「あったぼうよ!言ってみな、その提案ごとぶっ飛ばしてやるぜ」
 「バトルロイヤルとなると勝者以外は全て敗者じゃ。どうじゃ負けた者はなんでも言うことを聞くというのは?」
 その提案に一瞬ぎょっとするシェーラだったがすぐに笑みを浮かべた。イシエルも同様である。同情するような目でファトラを見る。
 「ファトラ姫、いまだったら取り消してもいいわよ。自分で自分の首を絞める事はないっしょ」
 「ふふふ…ではいまの条件で構わないのじゃな」
 「ファトラさん、自分で言ったんだからね。あとでなに言っても通用しないわよ」
 菜々美にまで突っ込まれる。だがアフラだけは真剣な表情を見せた。
 「ファトラはん、負けたもんは言うことを聞く言いはりましたができないこともあります。無理なことは言わないこと、それと一回だけと言うことにしまひょ」
 慎重なアフラににやりと笑いかけるファトラ。
 「良かろう、それで構わぬ。では勝者には賞品と共に敗者を自由にできると言う副賞がついたわけだな」
 全員を見渡してからファトラは後方にある箱に被せてある布に手をかけ
 「では優勝賞品だが…」
 一気に布を引き下ろす。
 「これじゃ」
 それは箱ではなく檻であった。中に入っているのはもちろん誠である。檻の中の誠を見て目が点になる菜々美達。だが一瞬後
 「かっわいい〜」
 「ほう…ファトラはんの影武者をやっているだけあってよう似おうとりますなあ」
 「う〜んさすが私の誠…何を着ても華になるっしょ」
 だが皆が誠の姿を褒め称える中、シェーラだけは何と言って良いか分からない。横を向きぶすっとした表情をしている。
 で、肝心の誠はと言うと、薬の効果は既に切れていた。半分切れかかっている時に最後の衣装を着せられてから檻詰めにされたのである。城を出る前に正常に戻ったのだが、うっとりと自分を見るルーンを前にして何も言えず無言のまま従ってしまった。
 実は誠はまだ自分がどんな恰好をしているか知らなかったのだが周りが余りにも騒ぐので気になったらしい。アレーレに頼んで鏡を用意して貰ったのだが世の中知らない方が幸せという場合もある。
 鏡に映っていたのはストレートロングに大きめのリボン、フリフリのミニに白いハイソックス、そして赤いローファーだった。もちろん薄いが化粧もしっかりしてある。そして一番悲しかったのは、自分でも似合っているとちょっとだけ思った事であった。
女装似合って自己嫌悪中(自己陶酔も含み)

 皆の賞賛を受けルーンは嬉しそうな表情を見せたがそれとは裏腹にファトラは青い顔をしている。一歩違っていたら自分がその恰好をさせられていたのだから無理もない。
 ともあれ競技のルールとその勝者だけに与えられる栄光(?)の確認も終わった。
 「ではこれで開幕じゃな。所でそなた達は着替えなくて良いのか?ちゃんと皆の分の衣装も用意しておるが」
 その言葉にアレーレが持ってきたのはもちろんレオタードだ。
 「バカ言ってんじゃねえ。あたいらはこれが戦闘服なんだ。このままやらして貰うぜ」
 全員の気持ちをシェーラが代弁する。
 「そうか…まあわらわは構わぬがな。では始めるとしようか」
 それを合図にバニー姿のアレーレが闘技場に上がり開会を宣言する。ミーズはルーンの隣に陣取り、そして五人の戦士達が闘技場に揃った。
 闘技場は直径が十メートルくらいの円形でレスリングのリングのような感じだ。ルールはここから落ちるかノックダウンまたはギブアップとなっているがバトルロイヤル形式で行われるため最後の二人となるまでは場外で決着が付くと思われる。
 ルーンがゆっくりを手を挙げ開始の合図を行った。その瞬間ファトラを囲むように四人が並ぶ。
 それを見てミーズとルーンが同時に呟いた。
 「まずいわね」
 「まずいですわね」
 同じ事をいう二人だが意味が違っていた。
 ミーズのはあからさまにファトラを排除しようと言うシェーラ達に対するコメントである。
 それに対しルーンは神官達の間に油断を感じていた。また囲まれたファトラも余裕の表情を見せている。
 「ほう、わらわ一人に四人が掛かりか。よほどわらわが怖いと見えるな」
 「馬鹿言ってんじゃねえ!一番危ない奴(危険の意味が違うが)から排除するに決まってるだろ!」
 シェーラの言葉を合図にじわりと輪を縮める面々。だがファトラは動く素振りを見せない。それを見た菜々美が、やはり戦いに慣れていないためか逆に訝しげな表情を見せ歩が遅れた。
 その隙をついて突然ファトラが飛び出した。菜々美に向かうかと思われたが、その直前で向きを変えて後方へ抜けだし間合いを取る。
 慌ててシェーラ達も振り向くが既にファトラは安全圏に立っていた。
いてまえ!

 「相変わらずすばしっこい奴だな。だけどそこまでだ」
 そう言ってシェーラはゆっくりと前へ出ようとするが一歩踏み出したところでアフラが止めに入った。
 「シェーラ、スタンドプレーはあきまへんえ。相手はあのファトラはんや、慎重にいかんと」
 「ふふふ…どうやらわらわの実力が分かっているのはアフラだけのようじゃな」
 「ふん、あんたのことや何かあるのと違いますか?」
 「やれやれ、戦う相手の力も見抜けぬとはな。まあ良い、四人まとめて面倒見てしんぜよう」
 そう言って服に手をかけるファトラ。それを見て今度はイシエルが口を開く。
 「服でも脱ごうっての?そんな貧相な体じゃ色仕掛けにもならないべさ。もっとも私達にはそんなもの効かないけどね」
 リングでの熱い(?)戦いをよそにミーズは焦りを感じていた。
 「シェーラやアフラは気づかなかったみたいですがいまのファトラ姫の動きは素晴らしいものです。もし彼女達がこのまま油断していたら逆に痛い目に遭うかもしれません」
 「そうですね。それにイシエル様も菜々美様も平常心を失っているみたいですしこのままではファトラの楽勝で終わってしまうかもしれませんね」
 あっさりと言うルーンに驚きの表情を向けるミーズ、だが彼女が口を開く前にファトラが破けんばかりの勢いで服を脱いだ。あとには黒ずくめのファトラが残る。
 「な、何よその恰好…恥ずかしくないの?」
 呆れたような顔で菜々美。
 全身を覆っているその衣装は体にぴったりと貼り付いており体の線がはっきりと分かる。もしも色が黒ではなく白だったら裸と見間違えるくらいだ。見えているのは頭と手、足だけだったが余り意味がないような感じである。
 「これはストレルバウに作らせた特殊素材でできておる。もっともベースを開発したのは誠じゃがな。表面の摩擦係数が殆どゼロに近いという優れものじゃ」
 「それがどうした?そんなもんあたいらには通用しないぜ!」
 シェーラの言葉に対しファトラはゆっくりと首を振りながら応える。
 「やれやれ、いま言ったことの意味が分からぬとはな…どうやら大神官とは名だけのようじゃのう」
 言い終えたあとシェーラの顔を見てにやりと笑う。その瞬間シェーラがキレた。アフラが止める間もなくファトラに飛びかかっていく。
 「待つんやシェーラ!一人ではあかん!」
 「ばっきゃろー!こんな奴あたい一人で」
 そう言ったときにはファトラの体を捕まえていた。
 「どうだ!このまま場外へ叩き落としてやる!!」
 シェーラはファトラを掴み一気に押し出そうとした。だがファトラは笑みを浮かべたままシェーラの両肩に手を置きぐっと力を入れる。彼女の体が上へ抜け、そしてシェーラの肩で倒立し今度は体をひねって降り立った。
 シェーラには何が起ったのか分からない。確実に掴んでいたはずのファトラの体がするりと抜けてしまったのである。すぐに迎撃体制を整えるべく向きを変えようとしたが既に遅くファトラにバックを取られていた。
 ファトラが耳元で囁く。
 「そなたから抱きついてくるとは嬉しい限りじゃ。この次はベッドの中で頼むぞ」
 それだけ言うとシェーラの背中を軽く押した。大した力ではなかったのだが不意をつかれた形になったシェーラには十分だった。踏鞴を踏みそのまま場外へと落ちる。
 ゆっくりと振り向くファトラ。彼女が背を見せていたときアフラ達は攻撃したくともできなかった。別にシェーラを巻き込むからではない。勝者は一人だけでありファトラと一緒に葬ることができるのならそれに越したことはない。
 だが動けなかった。付け入る隙がなかったのである。ファトラがこちらを向いてからイシエルが口を開く
 「ふうん…思ったよりはやるわね。だけどそれまでよ。覚悟なさい!」
 じわりと間合いを詰める。他の二人もそれに合わせ前へ出た。
 それを見てミーズが語り出した。
 「いまのは完全にシェーラの敗北です。相手を見下した時点で確定したようなもの、その油断がファトラ姫の罠を見抜けなかった。だけどあの服は一体?」
 解説しながら首を傾げる。
 「あれは誠様が完璧なレインコートを作るとか仰られて試作された生地をストレルバウが改良したものです。コストがかかりすぎると言う理由でそれ以上の研究は打ち止めとなったのですがファトラが作らせたみたいですね。見ての通り良く滑りますので体を掴むのは殆ど不可能でしょう」
 相変わらずのんびり答えるルーン。彼女にはいまのファトラの動きは予想できていた。そして楽しそうに盤上を見つめる。
 一方ミーズはほぞをかんでいた。彼女もまたファトラの実力を見誤っていた。ファトラの挑発に乗ったシェーラはその策にはまり脱落。そして残った三人にもまだ油断が見える。
 そしてファトラはのんびり立っているように見えるが綺麗な自然体で隙はなく、近付いてくる三人を見ても動じなかった。
 動こうとしないファトラに僅かだが焦りを感じる三名。だがシェーラの事がある。三方から同じ速度で進んだ。三人ともいつ攻撃されても良いように身構えながら進んだのだがファトラは一向に動く気配がない。もうお互いの間合いに入っていた。
 ”いつでも攻撃できる” そう考えたイシエルではあるが隣にいる菜々美は運動神経が良いとは言え格闘は全くの素人である。イシエルの動きについてこれるとは思えないしアフラと即席のペアというのも難しい。
 ”ちっ!シェーラがやられてなければ…” ファトラの後に見えるシェーラを恨めしそうに見る。”彼女だったらアフラと一緒に自分のフォローもできただろうに…”
 ファトラを一気に場外へ叩き出し返す刀で残りを、と目論んでいたイシエル。もちろん同様のことは他のメンバーも考えていた。
 最初にバトルロイヤルを提案したのはアフラである。背は低いが驚異的なパワーを誇るシェーラ、メンバーの中では最も背が高いイシエル。ファトラに加えこの二人に効率よく、そして確実に勝利するには妥当な作戦だった。
 幸い他の三人は、ファトラを仕留めるため、というアフラの言葉に賛同してくれた。菜々美にしても経験値では彼女らの足下に及ばないことを重々承知しており混戦の中に勝機を見出そうとその作戦に乗ったのである。
 当初の作戦では菜々美を餌にファトラを輪の中に引き込んでからタコ殴りにし場外へ放り出すことになっていた。これはファトラが四人の中で一番与しやすい菜々美を狙うのではないかという理由からだ。
 ファトラが菜々美に向かったところを捕まえるはずだった。実際ファトラは菜々美の方へ向かったのだがそのスピードは予想以上に速く応答が遅れたのである。
 そして挑発に乗ったシェーラが敗退した。これも予想外ではあったが修復可能…そう三人は考えていた。
 ファトラまで2m、あと一歩踏み出せば手が届く…。
 だがファトラは眉一つ動かさない。緊張に耐えきれず菜々美が息を吐いた。それに呼応したわけではないがイシエルとアフラは一瞬、ほんの一瞬だけ目を合わる。
 だが正面に視線を戻したときにはファトラがイシエルの方へ向かおうとしていた。身構えるイシエル。アフラと菜々美はそれぞれイシエルの前方と後方へ回ろうとした。
 だがファトラはそのイシエルの更に左方へ跳躍し再び後方へ抜けようとした。そこへ菜々美がタックルをかける。しかし位置が高い。ただ組み付いただけではシェーラのように逃げられると思い脇から首へ手を回そうとしたのだがしっかりとホールドする前に腕を掴まれた。
 「危ない!菜々美はん!」
 アフラが叫んだ時には体を入れ替えたファトラが菜々美の懐に潜り込んでいた。菜々美が重心を落とすより早くファトラは彼女を腰に乗せ跳ね上げる。
 「あれは山嵐!ファトラ姫…一体どこであの技を?」
 驚きの表情でミーズが呟く。その言葉が終わらないうちに菜々美は場外へ投げ出された。慌ててシェーラが飛んできた菜々美を受け止める。
 「すまんな、シェーラ」
 盤上からファトラが見下ろすように話す。
 「て、てやんでぃ…あたいがいれば…」
 ぐっと唇を噛み締めるシェーラ。
 それには構わずファトラはイシエルとアフラの方へ視線を移した。余裕の表情のファトラに対し焦りを禁じ得ない二人。
 仮にも大神官に挑戦しようと言うのである。時々訓練もしているようだし多少はできると思っていた彼女達だったが想像以上のファトラの実力に動揺していた。だがそれを打ち消すようにイシエルが叫ぶ。
 「ファトラ姫!もう小細工はなしよ!」
 前へ出ようとするイシエルをアフラが止めようとした。
 「イシエルはん!落ち着いて、焦ったら敵の思う壺や!」
 腕を掴んだアフラを振り払ってイシエルは飛び出す。同時にファトラも出たがイシエルと交差する直前にスライディングして足下を狙う。
 ジャンプして逃げるイシエル。着地次第攻撃できるよう体をひねるが彼女の目に映ったものは地を這うようにアフラへ向かうファトラの姿だった。スーツの摩擦が殆どないという言葉通り速度が落ちない。
 驚いたのはイシエルだけではない。アフラもイシエルと打ち合うと思っていたファトラが突然自分の方へやってきた事に戸惑ってしまった。
 更に間が悪いことにイシエルから振り払われたためバランスを崩していた。体制を整えたところへファトラの接近である。普段冷静な彼女もさすがに想像の域を大幅に超えたファトラの行動に驚いていた。
 避ける間もなく倒されそのままファトラと一緒に滑っていく。逃げたくてもファトラは巧みにアフラの腕と足を絡め取っていた。
 闘技盤の端が近付いたところでファトラは突然アフラの体を解放し手と足でブレーキをかける。当然アフラはファトラの体から離れるがすぐに勢いを殺すことができずそのまま場外へ落ちてしまった。
 信じられないと言ったような表情のアフラ。運が悪かったとしか言いようがなかった。
 ファトラはゆっくりと立ち上がり、そして振り向く。その視線の先にイシエルの姿があった。一瞬驚いたような顔を見せるイシエルだったがすぐに不敵な表情に変わる。
 「驚いたべさ…寝技だけが得意な姫君と思っていたらこうもはしっこいとはね。だけどそれまでだべさ!もう邪魔者はいないし思う存分やらせて貰うわ!」
 「ふっ愚かな…まだわらわの実力が分からぬようじゃな。しっかりとその身に刻んでくれよう」
 闘技場の中央で二人が対峙する。
 「けっ!誰が邪魔者だってんだ!あそこでファトラの口車に乗ってなけりゃあ…」
 毒づくシェーラだったがアフラに諭される。
 「それはあんたの自業自得や。それよりも万一イシエルはんが負けてみい。うちらどういう目に遭うか…」
 その言葉にぎょっとする両名。
 「そ、それは考えたくないわね…」
 「そ、そうだな…イシエル〜負けんじゃねえぞ〜!」
 当のイシエルは場外からの声援を無視するようにファトラを睨めつけていた。
 「そう恐い顔をするでない。もっともその端整な顔立ちを歪めるのも楽しみじゃがな」
 挑発するようなファトラの言葉も聞こえてないかのごとくイシエルはすっと動く。足音も立てずファトラへ向かうイシエル。ファトラはゆっくりと腕を上げ構えた。
 イシエルの正拳が飛んでくる。それをファトラは内からぐっと押して逸らせる。スーツの威力で少し逸らしてやるだけで拳は面白いように滑っていった。
 「鬱陶しいスーツね!だけど…これならどう!」
 気合いと共に回し蹴りがファトラの胴を襲う。軽く後ろへ下がったファトラを追うように連続して蹴りを放つイシエル。だがその全てをブロックされるか流されてしまう。
 ”馬鹿な……ただのお姫様っしょ…” だがどんなに激しく攻撃してもイシエルの蹴りは空を切り拳もことごとく止められ決定打となることはなかった。
 イシエルは一旦引いて間合いを取り直そうとしたがそのままファトラもついてくる。そしてそれまで防戦一方だったファトラが初めて蹴りを放った。
 余裕の表情でそれを受け止めようとするイシエル。だがそれもすぐに驚愕に変わった。
 ”重い!” ファトラの体格からは考えられない威力だった。シェーラと比べても引けは取らないだろう。
 イシエルは続けて飛んでくる蹴りを辛うじてブロックする。次にファトラは回し蹴りで側頭部を狙うがイシエルは逃げずに肘で土踏まずを打った。一瞬痛そうな顔を見せるファトラ。その隙にイシエルは間合いを取り呼吸を整える。
 「驚いたわ…普通のお姫さんかと思ってたけどシェーラやアフラがやられたのは偶然じゃなかったのね…」
 その言葉に思いっきり不満そうな表情のシェーラ達。しかしここで声を出してイシエルの気を逸らすのはまずいと思い我慢する。
 ”イシエルの奴…この勝負が終わったらぎったぎたにしてやるぜ…”
 ”うちは実力を出し切っていません!あとでしっかりと教えまひょ”
 不機嫌な両名に対し菜々美は、さすがにファトラとの実力差が分ったらしい。負けたことよりも勝負の結果が、どちらが勝っても誠の貞操が危ないのでは? とそちらが気になっていた。
 シェーラ達の熱い視線を受けイシエルは更に言葉を続ける。
 「私ら大神官相手に良くやったと誉めて上げるわ。残念ね、その悪癖さえなければもっと多くのことを学べたでしょうに」
 その言葉が終わるやファトラへ向かっていく。彼女の長い足がファトラの顎を狙い拳がボディへ放たれる。
 だが決定打が奪えない。打撃だけではなく投げ技も得意なイシエルであったがファトラの体を掴むことができずそれもままならなかった。逆に腕を取られ投げられてしまう。そのまま寝技に持ち込もうとしたファトラから素早く逃げ出したものの再び焦りが見え始めた。
 ”なぜ…どうして…私達は神官となるため修行をしてきた…彼女は何のために…” ファトラの重い蹴りや突きを防ぎながら思う。
 攻撃の隙をつき蹴りでファトラのこめかみを狙う。ファトラは体を沈めると同時に右足を伸ばし体を回転させた。イシエルは軸足を払われる寸前に後方へ飛ぶがファトラは軸にしていた左足で床を蹴り宙へ舞った。
 着地したイシエルの側頭部へファトラの蹴りが飛ぶ。イシエルは床に転がり難を逃れたもののいずれも紙一重の攻防だった。
 普段のイシエルなら戦いを楽しむことができたかもしれない。しかし大神官である彼女は負けるわけにはいかず、更に誠がかかっていたのである。
 この二つの想いが枷となり彼女に重くのしかかっていた。頬を汗が流れる…イシエルは先程までの疑問がつい口に出てしまった。
 「…なぜ強い…あんたはお姫様っしょ、その体でここまで強くなるには相当苦労をしたはず…なぜ…」
 「ふ、この小さい体でか…」
 そう呟いたファトラは床を蹴りイシエルへ迫る。気合いと共に放たれた正拳をイシエルはしっかりと受け止める。重い…。
 「体躯の差は力で。そして」
 ファトラは突き出した拳がぐっと押し返されるのを感じながら言葉を続ける。
 「力の差はスピードと技量で埋めることができる」
 防がれた拳を今度は相手の腕に沿って脇を狙う。体をさばくことでこれを避けるイシエルだったがファトラが素早く回り込んでくる。突き出された掌底を避けることができないと判断したイシエルは後方へ飛び間合いを取った。
 打たれた脇腹は大したダメージではなかったがそれ以上に心理的なものが大きかった。
 「わらわが何のために修行してきたかだったな。教えてくれよう。全て姉上のためじゃ」
 「ルーン殿下の?」
 ゆっくりと呼吸しながら問い返す。この距離なら互いの間合いではない…そう思いながらイシエルは反撃のチャンスを窺おうとした。
 「そうじゃ。この身は全て姉上のためにある。ゆくぞイシエル!」
 イシエルは総毛立った。凄まじい殺気と共にファトラが目の前に迫ってきた。
 ”速い!” 信じられない思いでファトラの突きを上から両の拳で叩く。渾身の力を込めたはずだったがよろけたのはイシエルの方だった。
 「踏み込みが甘いわ!」
 再びファトラが拳を突き出す。イシエルは慌てて後方へ下がった。
 ”馬鹿な!この私が押されている!?” パニックになりそうなのを必死に押さえる。
 決してファトラの力が勝っていたわけではない。ルーンの御前と言うこともありファトラのテンションは最高潮だったのに対しイシエルは勝負の結果にこだわりすぎた。それがイシエルを縛り本来の力を発揮できずにいたのである。
 「あかん…イシエルはん萎縮しとるわ。あのままじゃ」
 「やられてしまうってのか?あのファトラに?」
 「そんなぁイシエルさんが負けたらまこっちゃんはどうなるのよ!下手するとファトラさんに手込めにされちゃうかもしれないわよ!」
 「手込めっておめえ…誠は男だぞ。あのファトラが…」
 「だってまこっちゃんあんなに綺麗なんだもん…ついって事があるかもしれないじゃない…」
 そう言って三人顔を見合わせ誠の方を見る。
 誠は二人のバトルに見入っていた。
 「ファトラさん…綺麗や…」
 文字通り舞うように戦うファトラを見ての素直な感想だったのだがタイミングが悪かった。
 「ちょっとまこっちゃん!今なんて言ったの!」
 「誠!あのファトラが綺麗って一体どういう事だ!」
 「誠はん…あんたナルシストやったんどすか。いけまへんとまでは言いませんが程々にしいや」
 「え、いや僕はただファトラさんの動きが…」
 弁明しようとする誠にシェーラと菜々美が掴みかかろうとしたとき、『ズダン!』と一際大きい音がした。振り向くとファトラが拳を突き出した格好で止まっていた。
 そしてその拳の先にはイシエルがいる。防御が難しいと思ったイシエルが後ろに下がったのだ。音はファトラが踏み込んだ際に生じたものだった。場面は見ていないがその威力は想像がつく。
 また解説役のミーズも二人の攻防のすさまじさに圧倒され口を閉ざしていた。だがミーズには結果が見えていた。横を見るとルーンが満足そうな表情でファトラの動きを追っている。
 彼女はゆっくりと首を振った。
 

 イシエルは焦燥感から逃れることができなかった。攻撃を防いではいるが反撃するだけの余裕がなく押される一方で、気付かないまま端の方まで追いやれていた。
 ファトラが打撃、或いは寝技で仕留めるのが難しいと判断し攻撃を加えながら巧みに追い込んでいたのである。
 ファトラのスーツは、確かに敵の攻撃から逃れたりするのに有効であったが同時に自らの攻撃も難しくしていた。
 ”唯一の欠点じゃな” 余計なことを考えながらイシエルを追いつめていく。
 イシエルは最後まで重圧をはね除けることができなかった。いや幻影と戦っていたのかもしれない。必死に防戦する彼女はすぐ後ろが場外であることを知らなかった。
 懐に入ってきたファトラの肘を避けるべく後方へ下がった彼女はそのまま場外へ落ちた。ふわっと体が浮いたかと思うと背中から落ちる。受け身を取ることもできない。それくらい意外だった。
 体を起こすとこちらを見下ろしているファトラがいる。そして初めて自分が敗北したことを悟った。
 呆然としているイシエルを後目にファトラは闘技場の中央に立ちルーンへ向かってお辞儀する。
 ルーンも立ち上がり優しく微笑んだ。
 それに対しシェーラ達は顔色が悪い。無理なことを除き勝者の言うことを聞く…まさかファトラに敗北するとは思っていなかった。逃げ道を探そうとするが何と言ってもルーンの御前である。今さら誤魔化すことは難しい。
 そしてルーンは闘技場に上がりファトラと向かい合った。
 「がんばりましたねファトラ」
 微笑みながら語りかける。
 「シェーラ達が弱すぎるのです。油断大敵という奴ですな姉上。下手な小細工なぞせずに正面から挑めばこうはならなかったかもしれません」
 珍しく謙遜を含みながら答えるファトラ。回りのきつい視線は無視だ。
 「確かにその通りですね。他の方々は油断したばかりに本来の力を発揮できなかった、幸運な勝利でした」
 にっこり笑うルーン。
 「ええ、お陰でわらわも何か物足りない感じで…」
 ファトラはルーンに合わせ笑顔を見せる。
 「あなたの力の全てを見ることができなくて残念に思っていたのですが、あなたもそう感じていたのですね」
 一瞬嫌な予感がしたファトラは思わず一歩下がってからゆっくり頷く。ただし目はルーンから逸らさない。
 「では改めてあなたの実力を見せて貰いましょう」
 そう言ってルーンはドレスに手をかけた。すっと床に落ちるドレスを侍女達が素早く拾い上げる。そのあとには真っ白いレオタードを着たルーンがいた。黒いファトラと対極的だ。
 「な、なんですか…それは…」
 ファトラはごくりとつばを飲み込む。ルーンの豊かなバスト、細いウェストがはっきりと分る。
 一瞬の沈黙。それを破ったのはガタンという音であった。その方を見ると檻の中で誠が倒れている。
 慌てて菜々美とシェーラ、イシエルが声をかけようと近づいたが、良く見ると服が赤く染まっていた。
 「こ、これって…」
 「誠の鼻血だな…」
 「ちょっと誠、それは情けないっしょ…」
 リングサイドへ戻る三名。誠には少し刺激が強かったようだ。
 「ではファトラ、行きますよ」
 「行きますって姉上。わらわに姉上と闘えと申されるのですか?!」
 「私を倒さない限りあなたを勝者として認めることはできません」
 「そ、そんな無体な…」
 ファトラはは泣きそうな顔になるがルーンは容赦しないようだ。
 「問答無用ですよファトラ。いざ!」
 ファトラは擦り寄ってきたルーンから逃げようとするが遅かった。体を抱え込まれてしまう。
 ”いい香りじゃ…” 抱きしめられた瞬間そう思うが慌ててルーンを振り払おうとする。だが逃げ出すことができない。確かにルーンの腕はファトラのスーツを押さえることはできないもののルーンのボディはファトラから密着したまま離れなかった。
 「これは一体!」
 驚きの表情に変わる。
 「ふふふ、これはあなたのスーツに合わせて造られたもの。この生地はそのスーツに対しのみ大きな摩擦を生じるのです」
 「ス、ストレルバウの…」
 「そうですよ。さあどうしますか」
 ファトラは強引に体を入れ替え投げを打とうとした。しかしルーンは逆らうことなく体の向きを変えさせたあと投げの体勢に入ったファトラの足を払う。そして床に倒れたファトラを押さえ込んだ。
 ブリッジで返そうとしたファトラだったが身長差がありすぎた。諦めて今度は体を素早く折り曲げ逃げようとする。だがそれまでファトラに有利に働いたスーツが今度は仇となった。支点が手足だけでは巧く動けなかったのだ。
 すぐにルーンが首と膝の後ろに手を回し横四方固めを極めようとする。ファトラは首を捻り同時に足を巧みに動かして逃れようとした。
 一瞬戒めが緩くなる。だが次の瞬間ファトラの目の前に形の良いバストが見えた。そのまま押しつぶされる。そしてルーンの腕はファトラの右手と首をしっかり捕らえていた。
 「あかん…きっちり極められてますわ。これまでやね…」
 アフラが囁く。
 「そうだけど…ルーン王女が勝ったら優勝は誰になるのかしら?」
 菜々美が問い掛けた。
 「そりゃあよう…参加者全員負けになるんじゃねえのか」
 自信が無さそうにシェーラ。
 「まさか…ルーン殿下、飛び入り参加扱いって事にするつもりじゃあ…」
 怪訝そうな表情でイシエルが呟いた。
 その言葉に顔を見合わせるシェーラ達。丁度その時姉妹の戦いが決着したようだ。ルーンがゆっくりと立ち上がる。
 そしてファトラは恍惚の表情のまま気絶していた。アレーレが慌てて駆け寄って抱き起こす。
 目を開けたファトラにルーンが語りかけた。
 「まだまだですねファトラ。やはり大神官の方々に勝利したのはフロックだったようですね」
 「はい、今後も修行に励み必ずや姉上に認めていただきたいと存じます」
 半分夢心地のファトラ。頬が緩みきっている。
 「がんばって下さい。所で勝者は何か要求を出すことができるという取り決めがありましたね」
 その言葉を聞くやファトラの表情が一気に変わる。
 「あ、姉上…今回の武闘会の勝者はわらわでは…」
 別に勝ち負けにこだわっているわけではない。ルーンが勝者であることが問題だった。
 「要項には参加は自由とありますしこの大会の主催者は私と言うことになっています。ですから私の裁量次第だと思うのですが」
 そう言ってファトラをしっかりとホールドする。続けて回りを見て話し出した。
 「今回はファトラを倒した私が優勝でよろしいですわね。では皆様へのお願いですが、余裕があるときで構いませんのでファトラを鍛えてやって下さい。今回の勝利は偶然みたいなものですしやはり大神官の方々に一日の長があると思います。またファトラも結果に不満があるようですので今回の件は他言無用と言うことでよろしくお願いしますね」
 にこっと笑うルーンにほっとしたような表情で頷く面々。結果は不本意であるもののファトラが勝者であるのとでは雲泥の差がある。
 「では本日はこれで終了としたいと存じます。皆様ご苦労様でした」
 そう言ってルーンはファトラを引きずり誠の檻へ向かう。
 「ちょっとルーン王女。まこっちゃんは…」
 「あら、誠様は今大会の賞品ですのよ」
 振り向いて答える。表情はにこやかだ。
 「ルーン殿下、誠をどうされるおつもりですか?」
 イシエルの言葉は穏やかだが表情は硬い。
 「ファトラと一緒に付き合っていただくだけですよ」
 笑って答えると逃げようともがくファトラを気にすることなく誠の檻に入れてしまった。
 「よろしいですわねファトラ」
 しっかりと念を押す。逃げ場のないファトラは誠を揺り起こそうとした。
 「そんな…こら誠!そなたいつまで寝ている!そなたも何か言わぬか!」
 必死になった甲斐があり目を覚ました誠だったが今度は間近で裸同然のファトラを見て再び気絶してしまった。
 ルーンは不服そうな顔のファトラを気にせず檻に布をかけさせた。
 「明日はこの体育館のオープニングセレモニーが行われます。皆様も是非ご参加下さいね」
 微笑みながらお辞儀しルーンは退出した。そのあとを心配そうにアレーレが追う。
 「この件は他言無用…うちらもその方が有り難いですが…」
 アフラが柳眉を寄せた。
 「私達のため…と言うんじゃなさそうねえ」
 イシエルも訝しげにルーンの後ろ姿を見ている。
 「きっとルーン王女、まこっちゃんとファトラさん相手に着せ替えを楽しむつもりなんだわ…」
 見学させて貰えないかと考える菜々美。
 「誠には悪いが今回は助けに行けないな、あたいらまで餌食になっちまう…」
 シェーラがゆっくりと首を振った。
 「ふう…結果はともかく巻き込まれなかった事に感謝するっしょ」
 そう呟いたイシエルは背後に殺気を感じた。シェーラ達もギョッとしたような表情に変わっている。振り向いたイシエルの前に憤怒の表情のミーズが立っていた。
 「あなた達!」
 その剣幕に思わず後ずさるイシエル。一緒に菜々美達も後ろへ下がる。
 「なんですかこのざまは!!」
 「い、いや、その姉貴…しょ、勝負は時の運と言うじゃねえか。今回はたまたまあたいらに運がなかっただけで…」
 「馬鹿なことを言うんじゃありません!大神官が一般人相手に、それも三人も揃っていてやられてしまうとはどういう事です!」
 「だけど姉さん、ファトラはんの実力は並やおへんへ…」
 「分かってます。だから尚更情けないんじゃないの」
 「尚更ってどういう事よミーズ」
 「ファトラ姫の実力も見抜けない上に多勢に無勢で油断していたあなた達がよ!」
 「あのうミーズさん、私お邪魔のようだから先に帰るわね」
 「いーえ菜々美ちゃん、心構えというのは商売に置いても必要なもの。あなたもしっかり聴いて行きなさい!」
 この後延々と夜中までミーズの説教が続いたのだった。
 

 翌日、ルーンは晴れやかな表情で体育館の落成を祝った。それに反しシェーラ達はやつれた顔をしている。
 またファトラも、いやファトラの代わりに誠が代理で出席していた。ファトラの衣装をまとった誠は実に情けない顔をしている。
 そしてファトラは…
 「ファトラ様ぁしっかりして下さいよう。ルーン王女がご不在のいまが脱出のチャンスなんですよ」
 必死に促すアレーレに対し抑揚のない言葉で返事をするファトラ。
 「いえ…姉上からここで待っているように言われております。動くわけにはいきません」
 そう答えるファトラの目は虚ろだった。
 ルーンはオープニングセレモニーの隙をついてファトラが逃げ出さないよう誠を代理に仕立て、ファトラには例の薬を投与したのである。
 そのオープニングセレモニーの壇上で祝辞を述べ、全ての予定が終了したルーンはこの後ファトラと誠にどのような衣装を着せようか笑みを浮かべながら思案するのであった。


格闘の世界エルハザード 完


【BACK】 【TOP】 【あとがき】