Elhazard The Confusly World !! 



 幾霜もの夜を越え 蓄えられし位相の力
 想いは時に引き金となり 壊れた歯車を再び廻す
 過ぎ去りし時と 訪れる時 信じ得る時は今この時
 想い出により開かれし時の扉 今、訪れし約束された出会いが始まる
 神秘と混沌の世界エルハザード ここにその扉が開かれん



混迷の世界 エルハザード

第弐夜 混沌の世界へ



 燃え盛る街並み,そこかしこで聞こえる剣撃の音と叫び声。
 青年はその通りの真ん中でうずくまっていた。
 額から一筋の赤い線を流す少女。
 その彼の腕の中で、彼女は次第に力を失って行く。
 「い・て,・な・は…」 彼にしか聞き取れないほどの歌の泣くような小さな声で少女は弱々しく微笑み掛ける。
 彼の手を持て得る限りの力で握る,ほとんどない、その力を彼はまるで消えて行くものを捕まえるかのように強く、強く握り返す。
 ゴゥ!
 彼の背後の建物が炎によって崩れ落ちた。
 青年は少女をその場に横たえる。
 意を決して立ち上がる,そして腰の剣を抜き放ち…
 少女から受け取った黒い髪飾り,それを掌の中に一瞥し、懐にしまう。
 動かない彼女に振り返ることはない,彼は剣撃の聞こえる方向へ全力で駆けて行った。




 …じさん,おじさん!」 
 「ん?」 目を覚ます男。藁の積まれた荷馬車の上で眠っている自分を再確認。
 昨晩、これに乗り込んでから、ずっと眠っていたようだ。目が冴える。
 ”近いせいか,久しぶりに見たな、この夢は” 小さく苦笑。
 「おじさん,着いたよ!」 呼ぶ少年の声。
 「お、おう,ありがとな」 御者である少年に向かってコインを放り投げる。
 「サンキュ!」 キャッチ,微笑む少年。
 男はそのまま進む馬車から飛び降りた。
 彼の視線の先は、街道から外れたところにある。
 草原の中、黒い影が乱立する地帯。
 かつてはこの街道はそこを通っていたということを知る者はもう少ない。
 男はそこに向かって歩を進めた。



 崩れ落ちた石壁。
 黒く焦げた、腐った木材。
 所々に見える白い石は骨であろうか…
 すでに全ては昔のことである。
 古戦場,かつては豊かで平和な街。
 そして…男の生まれ故郷。
 「妹よ、今、帰ってきたよ」 小さく呟く。その浅黒い男の厳しい表情に、柔らかな微笑みが浮かんだ。
 今、彼の意志は昔,この街が街であった頃に飛んでいた。





 「時空移動や…」 茫然と誠。
 「素直にタイム・スリップと言わんか!」 いいツッコミだ,陣内!
 「それは邪道や。時空間の移動は単に時間の移動とは違うんやで」
 「? ではこやつを亡きものにすれば、今の同盟はないわけだな!」 陣内は邪悪な視線を、イフリーナと良く分からない会話を繰り広げているルーンに向ける。
 しかしそれに、誠は不敵に微笑み、舌をチッチッと鳴らしながら人差し指を横に振った。
 「甘いで、陣内。因果率ちゅうのは人一人では変わらんもんや。例えルーン王女様がいなくとも、それに変わる人が王女様と同じことをする。そもそも時間と事象いうんは…」
 「…目がイっておるぞ,水原」 ジリジリと後ろへ下がる陣内。
 「近頃はストレルバウ博士も僕のウンチクを聞いてくれんのや。陣内、聞いてくれるな?」 そこには近頃ウンチク王の異名を付けられ始めた、誠パワー全開の男がいるだけだった。
 「や、やめろぉぉぉ!!」
 「僕の話を聞けぇぇぇ…・・」



 「と言う訳や」
 「…やっと終わったか」 カクン,首をうなだれる陣内。
 「? あれ、王女様とイフリーナは?」
 当然、逃げていた…



 新生バグロム帝国たるカーリアの遺跡の外,広大な砂漠を前にした月下に、彼らはいた。
 バグロム風の料理を前に、三人の女性とムシ達が車座に座っている。
 「ほぅ、お主,ロシュタリアの元首と申すか」 興味深げにディーバはルーンに尋ねる。
 「はい、ふつつかものですが宜しくお願いします」
 「? 多分違うぞ、言葉の意味が」
 「でも、よかった」 タラに差し出された飲み物の入ったグラスを受け取りながら、ルーンは微笑む。
 「何がでふかぁ?」 唐揚げのようなものを口一杯に頬張りながら、イフリーナ。
 「星が、きれいで」 雲一つない空を見上げ、時を越えた王女は呟く。
 「はぁ?」 ワインを一口,ディーバは首を傾げる。
 「私の時代も星がきれいでした,そしてこの時代も。私にとっての未来がきれいで良かった…幾度の戦いがあったかとは思いますけど、世界が変わってなくてよかったなぁって」 幸せそうに、ルーン。
 「…そうじゃな」 軽く微笑み、バグロムの女王は再びワインを口に持っていった。



 「ともあれ、空間は常に等しい質量で構成されておるんや。だから過去の王女様がここにおる言うことは、同じだけの質量が王女様の時代に代わりに移動したはず!」
 力説する誠。対照的に陣内はクタクタだ。
 「代わりって…なんだ?」
 「さぁ、もしかしたら人かもしれんし、無機物の可能性も。よくわからへん」
 「要はどうやってあやつはここに来たのだ?」
 陣内の問いに、誠は思考モードに突入した。今だぞ,陣内君、逃げるのは。



 「この時代では、あなた方と私達は仲良くやっているのでしょうか?」
 「ん? …まぁな」 気のない返事のディーバ。
 「そうですか、よかった!」 満面の笑みを浮かべるルーン。
 「よかった,とな?」
 「はい、一つの争いの中にはそれ以上の数の悲しみがありますから…私は人々に悲しみを与えたくはありません。ディーバ様もそう思いますでしょう?」
 「ふぅむ,まぁ、それも良かろう,イフリーナ、酒を持てぃ」
 「は〜い!」 カラになったディーバのグラスに白いワインが注がれた。



 「…そうや!」
 誠の声に陣内の動きが止まる。距離にして僅か3m程だった。
 “くぅ、もう少しで逃げ切れたものを…”
 「過去と今に何か共通する依り代を王女様はもっているはずや。その依り代をきっかけに王女様はこの時代にやってきた。だからその依り代さえ何か分かれば、それを頼りに元の世界に戻せてあげられるはずや!」 言いながら誠は陣内に歩み寄る。
 「それ以前に、お前にはあの機械が正確に動かせるのか?」 陣内が指差す柱時計状のそれを、誠はキッと睨んだ。
 陣内曰く、バグロムのナミヘイがどこからか盗んできた家具。2mほどの高さを持った重たそうな柱時計だ。
 遺跡に散らかっていたゴミと一緒に、これまでの放浪の旅で手に入れたものの中から要らないものを処分する為に一箇所に集めておいた。
 偶然にも誠がこれを掴んだ時、ルーンが出現。となると、何か関係があるのではなかろうか?
 しかし、時計版たる表示はピクリと動く気配もなかった。



 「私は元の世界に帰れるのでしょうか?」 小さく溜め息一つ。
 「陣内殿がきっと手を打ってくれるであろう」 ほとんど他人事のディーバは適当な事を言う。
 「誠様がお詳しそうでしたが…?」 ルーンはもう一人の青年を思い浮かべた。
 「そうか。あやつは先エルハザード文明の遺物に詳しいと陣内殿が言っておったな。まぁ、どうにかなるじゃろ」
 「お頼もしいですね」
 …そうか?! ルーン?
 やがて夜は更けて行く。砂漠の空に瞬く星達だけが、彼女達の行く末を知っているのかもしれない。




 所変わってその頃のフリスタリカの東雲食堂。
 「こ、これってお醤油じゃない!?」  
 菜々美はパルナスが差し出した酒瓶の中身に入った液体を舐めて、そう叫んだ。
 朝の定食を食べにきたクァウールとパルナス。
 二人してカウンターに席を取り、パルナスは菜々美へということで預かっていたビンを渡した。
 「昨日の晩にイシエルさんから預かってたんだ。西の方にある砂漠の中の遺跡で見つけたんだって。昨日はアレだったから渡し損なっちゃってさ…」
 固めのパンにラズベリ−のジャムを塗りたくりながらパルナス。
 「北の砂漠の中の遺跡? あったかしら,そんなの」 目玉焼きを皿に盛りつけ、カーリアに渡しながら菜々美は首を傾げる。
 「何にしても後でイシエルさんに聞けば分かることじゃない? 菜々美,B定食2つ!」  
 「は〜い。あと5番テーブルのお客さんにスープ持って行って!」  
 朝食をここ東雲食堂で取る者は多い。旅人から城の兵士,出勤途中の男などを中心にして昼に勝るとも劣らない混雑ぶりだ。
 「イシエルさんなら、もうお城にいないよ。またどっかにいっちゃったみたいだし」  
 「え? そうなの?!」 体はいつものように動かしながらも、顔はパルナスに向ける菜々美。
 「あの人、いつ帰ってくるか分っかんないのよね〜,西の砂漠の何処かにある遺跡かぁ」  
 しばらくの思案顔,メインの料理をその間に4つばかり仕上げてから、顔が輝く。
 「よし,行ってみるか!」  
 「っしょっと。でも菜々美,お店はどうするの?」 空の皿をカウンターに置いて尋ねるカーリア。
 「ごめん、カーリア,2・3日、お願いできる?」  
 「え〜,私も連れて行ってくれないの?」 カーリアは頬を膨らませる。
 「だって、お店休む訳にもいかないでしょ」  
 「行きたい行きたい行きたい!」 両腕,首を横にふるふると振り、鬼神。
 「駄々こねても駄目」  
 「…グス,行きたいよぉ」  
 「泣き落としも通じないわよ」  
 「ねぇ〜ん、菜々美ぃ」 甘い声(?!)で甘える。
 「色仕掛も…って、アンタ何処で覚えたのよ,そんなの!」
 「…連れて行ってくれなきゃ、アンニュイとかモナムーとか唱えて呪ってやる」 邪悪な笑み。
 「下手な呪術は自己嫌悪に陥るよ」 もはや料理の方に専念して、菜々美は受け流した。
 「うじゅ〜」 ネタに尽きたのか、カーリアは目に涙を溜めながら、カウンターに並び始めた菜々美の作る料理を手に取り…
 投げた。
 また手に取り、
 投げる。
 それらは全て正確に注文通りのテーブルの上に崩れる事なく着地!
 そして大きな拍手に包まれる。
 「今日もキレがいいね,カーリアちゃん」  
 「これを見て、一日が始まるよなぁ」 常連客からの歓声。
 「いや〜,どうもどうも!」 愛想笑いで客に答えるカーリア,いつから曲芸の店になったのだ?
 「でも菜々美,本当に一人で行くの? そもそも誠を捜しに行くんじゃなかったの?」 ジュースのオーダーに、果実を絞りながらカーリアは首を傾げる。
 「まこっちゃんは、ま,大丈夫でしょ。それに一人でも平気よ。前にあった料理大会で500mの断崖絶壁まで海ツバメの巣を取りに行ったくらいなんだから!」
 「…そんなことやったの?」
 「あのぅ、菜々美様?」 ジュースの入ったグラスを手の中にもてあそびながら、少女は小さく声を掛ける。
 「何? クァウール?」
 「私とパルナスでお店をお手伝いしておきましょうか? やはり砂漠の探索を一人で行うのは危ないですし」 おずおずと申し出るクァウール。
 「え〜,何で僕まで」 小さな非難は無視された。
 「クァウールが?! う〜ん」 手を止めて、菜々美は目を瞑る。
 ”クレタリアの時の手際は,まぁ、覚えたらそれなりだったし…パルナスが手伝ってくれるんなら、大丈夫,かな?”
 「そうね,2・3日だし。お願いできるかしら?」  
 「はい!」 クァウールは笑顔で答えた。
 「でも良いの? 何か用があってロシュタリアまで来たんでしょ?」 菜々美は気になる事を一つ。
 「ええ、でも誠様がいらっしゃらないと…ですから誠様がお戻りになられるまで、ロシュタリアに滞在しようと思っていたところでしたの」
 「ふ〜ん、そっか。じゃ、ついでにまこっちゃんも捜してくるわね」  
 「はい!」 ついに『ついで』に成り下がった誠であった。



 「カーリア姉ちゃん,僕、なんか無視されてるみたいなんだけど」 パンを一噛り,俯いてパルナス。
 「はいはい、落ちこまないの。ミルクおごってあげるから」
 「子供扱いしないでよぉ!」
 「よしよし」 パルナスの頭を撫でるカーリア。
 「…」



 ヨットの様なエアカーに荷物を積め、その舳先に菜々美は腰かける。
 「じゃ、お願いね」 東雲食堂の前。お昼前の静けさの内に出発準備は整っていた。
 「任しておいてよ!」 おたまを手にパルナス。ちょっと自棄気味だ。
 「いってらっしゃい」 微笑むクァウールはカーリアのしていたエプロンを付けている。
 どうやら料理担当はパルナス,ウェイトレスはクァウールと役割分担が決まったようだ。
 「それでは,出発! お土産期待しててね!」 エアカーの後部座席,操縦席に陣取ったカーリアはエンジンに繋がるペダルを踏み込む。
 ボヒュ!!
 「飛ばしすぎよぉぉ! カーリアァァ!!!」
 「あらら…?」 エアカーは風のように中央通りを疾走し、あっという間に店番二人組の視界から消えていった。
 「さすが誠様がチューンしたエアカー…凄い性能ですわ」
 「何人か人をはねたんじゃないのかなぁ…はた迷惑な」 思いは全く反対方向な二人の呟きは、これから始まる昼の雑踏に消えつつあった。




 フクロウの鳴き声が響く森の中。
 この場に似合わない、ドレスを着た彼女は泉のほとりで呆気に取られていた。
 「ミ、ミーズ…?」 イシエルは泉に体を隠す、一人の女性に視線を釘付けに呟く。
 その女性はイシエルの知る人間そっくりであったが…しかし目の前の娘は、知るその水の大神官よりも10は若い。
 「いえ、ミミズじゃないです」 小さな声で返す泉の女性。
 「ありがちなボケをかますなぁ!」 
 「す、すいません…私,ミーズですが,何処かでお会いしましたっけ?」 タオルで胸を隠して、イシエルに近づくミーズ。
 イシエルはミーズを見つめる。
 張りある肌,芸術家が求めてやまないような抜群のプロポーション,そして今のイシエルが知ることはない、刺のない昔の性格…
 ”一体何? どう見ても10年は若返っとるっしょや。もしかして、この泉は若返りの泉? いえいえ,いくら神秘の世界でもそんなどこでもドア的な便利なものがある訳がないっしょ。だったら何? ミーズと藤沢センセの娘さん…ってまだ赤ん坊だし”
 「あの、如何なさいました?」 心配そうに首を傾げるミーズ。
 「え? い、いえ,貴方、ミーズ=ミシュタルよ,ね?」 
 「はい」 笑顔で答える。
 「失礼だけど…歳はおいくつ?」 
 「? 18です」 
 凍りつくイシエル。
 ”10もサバ読む? って違う違う,どうして10才若返ったミーズがここに? いえ、それ以前に…ここ、どこ?”
 根本的な問題に戻る。そして彼女の行き着き得る答えが一つだけあった。
 「幻影族か!」 地のランプを構え、周囲に気配を探る!
 イシエルのその言葉に、泉の中のミーズもまた、右の中指に嵌まった指輪を左手で握りしめ身構えた。
 数瞬の沈黙,ガサリ、イシエルの後方の叢が揺れた!
 「!!」 地のランプを横になぐ。
 電撃の力を有したそれは、しかし空を切るのみ。
 迫り来るは足下から!
 丸太で足を殴られるような衝撃がイシエルを襲う。動きづらいドレス姿では対応し切れない!
 そのまま泉の中へ転倒,水飛沫が穏やかな水面を荒らした。
 水の中、イシエルは体を何か強いものが締めつける感覚に襲われる。
 身動きが取れないまま、水中から体が引き出された。
 「…へ?」 見下ろすような感じでタオルを落とした全裸のミーズがイシエルの視界に入る。ミーズは顔を青くして茫然と立ち竦んでいた。
 「一体何?」 イシエルは自分の身に巻きついている生暖かいモノを見る。
 見なければ良かったと、視線を上に向けた。
 シャァァァ…
 それの正体,黄色い瞳の蛇の頭がイシエルと目が合う。
 全長30mはあろうかという大蛇が、イシエルに巻き付いているのだ。
 「ど、どうも」 ニッコリと蛇に微笑むイシエル。爬虫類は当然無表情だ。
 しかしそれに答えるかのように、巻き付きが一気に強くなった。
 手に地のランプはない。転倒した際に落としたらしい。
 「ミーズ…」 詰まる息を吐き出しながら、イシエルは水の大神官に助けを求める。
 が、彼女は圧倒的な蛇の大きさに恐怖の衝撃が大きいのか,呆然として身じろぎ一つしない。
 「やばいっしょ…」 
 バキ…
 「グッ!」 体の中から嫌な音が響いてきた。同時に口の中に鉄の味が広がる。
 「幻影じゃない,どうしてこんな…夢かな」 薄れる意識。
 ”そう、目が覚めたら誠に会いに行かなくちゃ。話したいことが沢山あるっしょ”
 止めとばかり、蛇の締付けが強まろうとした、その時。
 風のような速さで駆け抜けた影が、白刃をきらめかせる!
 月明かりを照り返し光る数閃の後、水面には幾つかの落下音と赤いインクが拡がった…



 瞼の外は明るい。小鳥の囀りも聞こえてくる。
 ”やっぱり夢だったっしょ。さ、誠を捜しに起きるか!”
 「よっと…ぐっぅぅぅぅ!!!」 毛布を撥ね除け上体を起こした瞬間、胸に激痛が走った! そのまま寝台に戻るイシエル。
 痛みに、体をくの字にすることすらままならない。
 しばらくじっとして、痛みが去って行くのを待つ。
 改めて辺りを見渡してみる。
 白色系統で統一された部屋の中は、丁度品なども高価そうなもののようだ。
 しかし、何より、イシエルはこの場所を知っていた。
 ロシュタリア城の客室の一つ。イシエルは何度も泊めてもらったことがある。
 自分の姿を見る。
 いつの間にか寝巻きに着替え、その下は白い包帯でがっちりとテーピングされている。胸が苦しいと思ったのはこのせいのようだ。
 ”アバラが2、3本イカれてる,ってことは昨日のは夢じゃない…か”
 大きく溜め息を一つ。
 コンコン,ドアがノックされる。
 「起きたかい?」 ハスキーな女性の声と数人分の足音が入ってくる。
 イシエルはゆっくりと上体を起こして、それを迎えた。
 入ってきたのは三人の女性。その内一人が、慌ててイシエルに駆け寄った。
 「無理をなさらないで下さい。重傷なのですから」 ミーズである。
 「災難だったね,ま、ゆっくり休んで行きなよ」 そう言ったのは赤毛の女性。その人物と、そしてその隣で怪訝な視線をイシエルに向けている女性を、イシエルは知っていた。
 ”先代の炎と風の大神官…ということは”イシエルは冷汗を背に感じた。
 「あの大蛇は一体? 貴女方が助けて頂けたので?」 一つの可能性を取り合えず棚に上げておいて、イシエルは意識をなくした後のことを尋ねる。
 「いいえ、あの時は私も恐怖で何もできませんで…ロシュタリア城の近衛兵の方が助けて頂けたのです」 ミーズがそれに答えた。
 「近衛兵…ねぇ」 何故、森の中に近衛兵がいたのか非常に謎だが。
 ”ということはあの森はロシュタリア近郊の森の中ということ…あんな大蛇,どうしているっしょや?”
 「アンタ、地の神官だろ。それも高位の」 赤毛の女性は言いながら、地のランプをイシエルの横たわるベットに立て掛ける。
 「しっかし、何でドレス姿で森の中にいたんだ? っと、深くは聞かないけどね」 微笑み、炎の大神官はミーズに目で合図する。
 「ゆっくりと傷を治して下さい。では、私達はこれで」 立ち去ろうとするミーズ。
 と、扉のところで足を止める。
 「大蛇を倒して下さった近衛兵の方が後でお話を伺いたいということでしたので」 小さく会釈,三人は部屋を出ていった。
 「ふぅ,それにしても」 
 ”そう、ここは,10年前のロシュタリア。一体どうしてこんな事になったのか”どっと疲れが溢れてくる。そのままベットに横たわると、急激な眠気が襲ってきた。
 「もう少しだけ、休もうかな…」 
 ベットから見えるロシュタリアの青空は、いつも見るそれと違うところは何もなかった。





 そよ風が神殿の中に吹き抜ける。
 大神殿の大広間,普段彼女達の憩いの場であるそこで、アフラはようやく眠りに付いた赤い髪の赤ん坊を抱いていた。
 「…ようやく静かになりましたな。手の掛かるおなごどす」 規則正しい寝息を立てる、小さくなった元同僚に微笑むアフラ。その表情はしかし、いつものシェーラに向けるそれとは全く違うものだ。
 そこからテーブルの上の黒い箱を見つめ、厳しい表情に。
 「ミーズ姉さんもこんな危険なものをとっておくなんて…誠はんの力を借りるより他、ありませんなぁ」 
 これは一年ほど前、ミーズ宛に匿名で送られてきたものである。丁度その時はアフラが怪しく思い、ミーズを止めることができたのだが。
 その時、アフラが即効で調べて分かったのは、中身が『爆発性の若返り薬』であるということ。
 若返りといっても、思考能力のない赤ん坊になってしまうというタチの悪い代物である。
 そんな訳でミーズに処分するように言っておいたはずなのだが…やはり未練があったのだろうか?
 「しゃあない、行きますか,ロシュタリアへ」 アフラは呟き、シェーラを抱いたまま立ち上がった。




 「パルナス…アンタねぇ」 同じ姿の少年をジト目で睨む少女。
 「だってさぁ、僕にはどうしようもなかったんだよ」 皿を布巾で拭きながら、パルナスは肩を落とす。
 「ともかく、貸し1だからね」 
 「わかってるよ!」 
 厨房にパルナスとアレーレ2人。
 エプロンを付けてこまめに、的確に走りまわっていた。
 時間はお昼の12時、いつもの主のいない東雲食堂にて。
 戦場である。
 普段は神速の調理を以って一人きりもりしていた菜々美の腕に、代々従者としての家系で教育を受けたレレライル家の2人をしても追いつけない。
 カランカラン
 ひっきりなしにく入り口のカウ・ベル。
 「いらっしゃいませ!」 誰もが相貌を崩すクァウールの微笑みが客を迎える。
 「焼肉定食!」
 「俺も」
 「Bランチ」
 「牛丼とラーメン」
 「サバの味噌煮」
 いっぺんにクァウールに向い注文が飛ぶ。
 「…はい! パルナスゥ、お昼のランチ5つ!」 彼女はそう、声を張り上げる。
 「「おいおい」」
 「はい?」 極上の微笑みのクァウール。
 「いや、なんでもない」
 「昼のランチで結構です」
 男達は各々、そのクァウールに引き下がる。
 良く見ると、店内には女性の客は少なく、男性ばかりである。
 「なんか妙にランチが出るのね」 皿に盛りつけながらアレーレは厨房で呟いた。
 「菜々美お姉様も喜ぶよ。一番利益率が高いからね」 
 「クァウールお姉様って…意外と商売上手なのかなぁ」 客席が覗けるカウンターの向こうで接客するクァウールを眺めながらアレーレ。
 ボケがかなり激しいだけである。
 「でも、お客が男の人ばっかりね」 厨房から部屋を見渡してアレーレ。
 「ほんとだ、カーリア姉ちゃん目当てで来てる人が最近は多いって、菜々美お姉様から聞いてたけど…」 
 「パルナス、お昼のランチ7つとビール4つお願い」 カウンターの側で、厨房を覗き込みながらクァウールが言う。
 「「はーい」」 
 どうにかお昼は乗りれるかのように見えた。
 しかしこの東雲食堂の戸を開ける、新たな客が現れてから全てが変わる。
 カラン
 「いらっしゃいませ!」 
 「ふむ、繁盛している様じゃな」 店内を見回して入ってきたのは一人の女性。
 「あら、ファトラ様。お昼御飯ですか?」 
 「そんな所じゃ,クァウールよ。席は何処が良いのじゃ?」 
 「はい,カウンターの方にお願いします」 言って、彼女はカウンターに空いている席を勧める。
 「メニューに載っていないものでも良いか?」 メニューの冊子を手に取り眺めながら、ファトラはクァウールに尋ねた。
 「…? 用意できるものでしたら」 首を傾げるクァウール。
 「ふむ、目の前にあるものじゃ。すぐに用意は出来る」 怪しい微笑みを浮かべながらファトラはクァウールに迫った。
 「ではどういったものでしょう?」 
 「クァウール,おぬしが欲しい」 
 ザワリ ,その言葉に辺りがざわめく。皆、何気に王女と大神官との会話に耳を立てていたのだ。
 「はい,分かりました」 それにクァウールは笑顔で答え、
 「パルナス,クァウール定食1つねぇ!」 
 「は〜い」 奥から少年の声が戻ってくる。
 「?? クァウール定食…じゃと?」 訝し気な表情のファトラ。
 「ええ、このメニューの隅の方に書いてありますでしょ?」 
 ファトラの持つメニューの端,あたかも付け足したそれはDランチの下にこう書かれていた。
 『サバの味噌煮を冷水で冷やしたスイカに漬したさっぱり味の逸品,さらに冷涼感を盛り上げるオプションのバルサミコソースは通のみが知る味に仕上げる事でしょう』
 「…クァウール」 額に汗の王女。
 「はい?」
 「なんじゃ,これは?」
 「私の好物なんですよ」
 「嫌がらせとは、違うのか?」
 「おいしいですよ」
 「おまちどうさまぁ,あ、ファトラ様」 カウンターの向こうから、パルナスが姿を現す。
 「あら、ファトラ様、来ていらしてたんですか?」 その言葉に、アレーレもまた現われる。
 しかし、いかんせん,彼らの身長ではカウンターが高すぎて首から上までしか見えないが。
 「さぁ。どうぞ」 クァウールは皿に盛りつけられた異様な物体をずずいと出す。
 その妙な匂いと色,形にファトラの背筋にぞくっとしたものが走った。
 「おいしいですよ」 至高の笑みな水の大神官。
 “んなわけあるかぁぁ!!” ファトラ以下,店内の客全ての心の叫び。
 「ファトラ様も味覚が御主人様と一緒なんですね」 
 「さすがはファトラ様,新境地に突入されるんですね。私、遠くから応援してますわ!」 
 結構突き放した2人の言葉に、ファトラは殺意すら覚えた。
 ファトラ様,ピンチ!!
 カラン ,そんな時、カウ・ベルが鳴った。
 「誠はん,いる?」 その声にクァウールは振り返る。
 「あら、アフラ様。どうなさったんですか?」 
 と、クァウールの視線は彼女の胸元へ。
 「わぁ、可愛い」 アフラの抱える赤ん坊に駆け寄る。
 「アフラ様のお子さんですかぁ」 グッスリと眠る子供にクァウールは頭を撫でた。
 「あいも変わらず、吹き飛んだボケですな,クァウール…」 溜め息1つ。
 「誠はん,お昼を食べに来てまへんか?」 言いながら店内を一望,それらしい人間はいない。
 「あら、誠様なら…」 
 「邪魔した様どすな」 反転,彼女は店を後にする。
 「アフラ様,あんなに急いでどうしたんでしょう?」 言葉を最後まで言えなかったクァウールは閉まった東雲食堂の扉を見て呟く。
 「あの子供、誠様とアフラ様の間の隠し子だったりして」 小さな声で、アレーレはふざけ半分にパルナスに言った。
 「今日こそは認知してもらいに来たのかな?」 
 「ドロ沼の夫婦のやり取りが展開されるのね,ドラマみたい」 
 「誠の奴,やる時はやるんじゃのう。クァウールよ、諦めるのだな」 笑いながら、ファトラはクァウールの肩を叩いた。
 「そ、そんな,そんなぁ!!!」 
 ダダダダ,バタン! カランカラン…
 「え〜と」 右手を前に出した形でファトラは呆気に取られる。
 「出て行っちゃいましたよ」 
 「ファトラ様,言い過ぎですよ」 
 「あれを信じるのか、あれを?!」 二人の非難に食って掛かるファトラ。
 「御主人様は純粋なんですから」 
 「純粋じゃないじゃろ、あれは,あれではバカを通り越しておるぞ」 
 「Bランチ,追加!」 と、待っていたかのように3人に客から声が掛かる。
 「こっちはビール3つ!」
 「つまみ4つな!」
 「ファトラ様、ここはともかくクァウール様の代わりを務めて下さい」 アレーレがエプロンを差し出した。
 「な、何故わらわが?!」
 「下々の仕事もこなしてこそ、王女ですよ」 パルナスは諭すように言う。
 「そうです,それにクァウール様に止め差したの、ファトラ様ですし」
 「早くしてくれよ!」 客からの声。
 「しかしなぁ」 渋い顔でファトラは言う。
 「じゃぁ、クァウール定食をお召し上がりになってから、お帰り下さい」
 「チィ!! 仕方ない!!」 ファトラはエプロンを取った。



  本日の東雲食堂のお昼の売り上げ


    256005ロシュタル(通常の4.5倍)
    名声度74%ダウン


  反省点
   ファトラ様がサービス料と称して値段を5倍につり上げたのはどうかと(アレーレ談)
   御主人様のメニュー聞き違いもまずいような気がします(パルナス談)
   クァウール定食は即刻廃止じゃ!(ファトラ談)
   あら、メニュー聞き間違えたかしら?(クァウール談)




 客足が一段落した東雲食堂。
 「…これは」 額に汗のパルナス。
 「菜々美お姉様に怒られるわ…」
 「むぅ,いきなりな経営難だな」
 「このお店の評判を上げれば良いんですよね」 思い付いたようにクァウール。
 彼女は懐から一枚の紙を取り出して、テーブルの上に置いた。
 「「??」」 まじまじとそれを見つめる一同。張り紙か何かを持ってきたらしいそれには… 
 「味皇決定戦?」 アレーレが読み上げる。
 「おお! そう言えば今日であったな,それが開かれるのは」
 味皇決定戦とは、料理コンテストである。
 しかし侮るなかれ,伝統のある行事で、地球で言うオリンピックと同様、エルハザード各国で四年に一回の持ち回りで開催されるのだ。
 当然、出場者は各国から名のある料理人ばかりがやってくる。
 基本的にはエントリーは自由だが、腕がないと予選の段階で簡単に落とされるというのは言わずもがなあろう。
 そして第五十回である今回は、ロシュタリアで,それもフリスタリカ郊外で開かれるのだ。
 この日の為に、ルーンやストレルバウなど迎える側の主催者は、今日の為に結構労力を費やしているのを、城に住むファトラは目の当たりにしている。
 「…お主,これに出場するつもりか?」 半ば呆れたようにファトラは尋ねる。
 「はい、ここで優勝すれば、東雲食堂はエルハザード全土に名前が知れ渡りますわ」 自信ありげにクァウールは胸を張る。
 ”予選も通過できんぞ,お主の腕では” クァウール定食を思い出し、ファトラは一人苦笑。 
 「クァウール様ぁ、でも…」
 「大丈夫よ,パルナス。我が家系に伝わる料理を出せば一発よ」 己の腕を叩きながら、水の大神官。
 「一発で審査員が病院送りなんじゃ」 アレーレの呟きはしかし彼女には入らなかったようだ。
 「それじゃ,行きましょう! エントリーまであと2時間しかありませんわ」 言いながら、クァウールは店ののれんを外す。
 そしてファトラの手を取り…
 「って、わらわも出場するのかぁ?!」 引き摺られながらファトラ。
 「パルナスも、アレーレも出場いたしますわ」 当然と言った風にクァウールは彼女に答える。
 「「勝手に決めないでぇぇ!!」」 
 そしてここに殺人料理カルテットが誕生した。


To Be Contiuned !! 




なかがきT
 誠−ルーンのライン,クァウール一行,イシエル−ロンズのライン。
 この三つの視点で話は進んで行きます。それぞれのギャップがありますが…
 あと、謎の男のパートは段落の切れ目でもあります。今回の元凶は全てこいつです。
 ところで話変わって、イシエルのドレス姿,見たいなぁ。
 またアニメ化されて今度はイシエル出てこないかなぁ…(夢だね)
 当然、声は根谷嬢ですぜ,ダンナ!




次回予告

ここは未来のエルハザードなのですね。
こんにちわ、ルーンです。
こちらへ来て、友達が何人か出来ました。
その中でも水原 誠様はとても親切な方です。
私を元の世界へ戻そうと、一生懸命になってくれています。
でもね,誠様…
私、今のこの状況を結構楽しんでいるんですよ!
だって、素敵じゃありませんか,未来とは言え、私の知らない世界ですもの!!
次回、混迷の世界エルハザード 第参夜 『混戦の世界へ』
誠様,いざ、共に駆け抜けましょう!


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