6.イフリーナの苦悩

 「いい天気やなあ」 空を見上げて誠が呟く。
 「外に出て正解でしたやろ。誠はん何かに夢中になるとほんま寝食を忘れますからなあ」
 「そうだぜ。毎日部屋の中に閉じこもっていたら体もなまっちまう。時には運動もしねえとな」
 「どうもすいません。色々と気ぃ遣って貰って」 誠は軽く頭を下げるが
 「なあにいいってことよ」
 「そうどすな。それにミーズ姉さんも藤沢センセ引っ張り出せて嬉しそうやし」 と前を歩く二人連れを見る。
 誠も苦笑しながら前を歩く二人を見つめた。
 ミーズは後ろから見ても嬉しそうにしているのがよく分かる。
 それに対し藤沢は、表情こそ見えないが困ったような顔をしているに違いない。
 「だけど先生なんか足下がしっかりしとらんなあ」
 確かに藤沢はいつも以上にゆらゆらしながら歩いている。
 「ああ昨夜は遅くまで呑んでたからな。だけどあの程度で残るなんて先生も年かねえ」
 と、何気なくシェーラは呟いたのだがそれを聞きつけたミーズが振り向いて ”きっ” とシェーラを睨む。
 思わず首を縮めるシェーラ。
 「おおこわ。だけどどうしたんだろ。ミーズの姉貴、朝からあんな感じだぜ」
 「あんたまたなんかしたんと違いますか」 澄ました顔でアフラが突っ込むが
 「それがわかんねえんだ。昨夜テラスで会ったときにはそんな事なかったのによ」 首を傾げるシェーラ。
 「昨夜姉さんと?」
 「ああ、と言っても昨夜歩いていたらたまたま酒を呑んでいた先生に呼び止められて 『一緒に一杯やらねえか』 って言うんで上がって行ったら」
 「姉さんもおった訳ですな」 溜息付くようにアフラが後を受ける。
 「そ、それはミーズさん機嫌悪うなっても不思議じゃないですね」 誠もトーンを落とした。
 しかしながら当のシェーラは分からないようだ。
 そんなシェーラのためにアフラが解説をする。
 「ええどすか。姉さんは昨夜センセと一緒やった。センセがどういうつもりやったかは分かりませんが姉さんは間違いなく気合い入っていたと思います。そこへ」
 さすがにシェーラも分かったようだ。
 「呼ばれたとはいえあたいは二人の間に入っちまったって事か。だけどあたいを呼んだのは先生だぜ。恨むんなら先生を」
 「アホやあ、今の姉さんにそんな事通用するはずないやないか。『恋する乙女』に理屈は通じまへんえ」 と言い切るアフラに
 「そうですね。それにミーズさんが先生を責めることはないと思いますし」 誠も同調する。
 「って事は暫くこの状態が続くってか。たまんねえなあ…」 やれやれという感じで両手を広げてみせるシェーラ。
 「自業自得とまでは言いまへんが迂闊やったのは間違いおへんからなあ。大人しゅうほとぼりがさめるのを待つか、或いは」 とアフラが続けようとした所で
 「『或いは』って他になんか有るんですか?」 話の途中にも関わらずつい割り込んでしまう誠。頭を低くする以外方法が有るとは思えなかったからだ。
 シェーラも同様らしい、何やら期待に満ちた目をしている。
 それに対しアフラはミーズの様子を窺うように声を落とす。
 「それはどすな、何か事件が、いやそんな大きな事やなくていいと思いますが、例えば姉さんにライバルが現れるとかでも十分や思います。そうすれば姉さんかてシェーラに構っている暇はないですやろ」
 「ライバルっておめえ、そりゃあたいらには大した事じゃねえだろうけど姉貴にとっては大事件だぜ」
 「そうですよ。それにそんな事になったらアフラさん達も巻き込まれるんと違いますか?」
 確かにその通りだ。何かあったらアフラ達の都合を気にするミーズとは思えない。
 「ま、その時はさっさとマルドゥーンへ逃げまひょ」 うっすらと汗を浮かべるアフラに
 「そうだな、それしかねえよな」 一心不乱に頷くシェーラ。
 珍しく後の事を考えなかったアフラのセリフに思わず笑みがこぼれる誠だったが
 「ちょっとあんた達!五月蠅いわよ!今日の藤沢様は体調が今一歩なんだから少しは静かにしてよね!」
 ミーズが振り向くなり怒鳴り声を上げる。
 ”姉貴の声が一番大きいぜ” と突っ込みたいのを必死に堪えるシェーラ。
 どうやらアフラも同じらしい、ちょっと脇を突つくだけで吹き出すのは間違いなさそうだ。
 誠は取り敢えず謝った方が良いと判断し言葉を選ぶがその前に藤沢が口を開いた。
 「まあまあミーズさん、ここは路上ですし彼女たちだけがおしゃべりをしている訳ではありませんので、そのう…」
 「まあ藤沢様なんてお優しいのでしょう。あなた達、藤沢様のひろ〜いお心に感謝するのよ」 本気で言っているだけに始末が悪い。
 藤沢も困ったと言う表情だ。細い目を更に細くしている。
 「いえですから別にうるさいとかそう言うわけでは…」 と後に続く言葉を探そうとするがミーズが何か言おうとしたのを見て慌てて話し出す。
 「それにミーズさん、ご覧なさいこの澄み切った空を。まあちょっと日差しは強いですけどこんな日は外で運動するのも、そう山登りなんて最高ですな」
 慌てただけあって脈絡がない。
 だがミーズには十分だったようだ。
 藤沢と並んで空を見上げ
 「そうですわねぇ…本当に良いお天気。そうだわ、きょうは公園でお昼をいただきませんこと。確かにちょっと日差しが強いですけど風でも吹けば」 と空を見上げながら話すミーズの脇を一陣の風が走り抜ける。
 「あらやだ。目にゴミが入ったみたいですわ。ねえ藤沢様見て下さらない?」
 少しオーバーな口調で話すミーズ。しかし藤沢からは答えがない。
 ミーズは横を向きながら更に言葉を続ける。
 「ねえ藤沢様ったら…。あら? 藤沢様?」 なぜか隣にいるはずの藤沢の姿が見えない。
 慌てて誠達の方を見るミーズ。だが彼らは一様に呆然とした表情で一点を見つめている。
 「ちょっとあなた達何を呆けているの? 藤沢様はどこ?」
 問い詰めるミーズに対し辛うじてシェーラが指を指す。
 その方向へ向いたミーズの目に映ったものは…イフリーテスに押し倒されていた藤沢の姿だった…。
 一瞬唖然とするミーズ。だがすぐにつかつかと歩み寄りイフリーテスの襟を掴み、
 「何をしているの!あ・な・た・は!」 一気に藤沢から引き剥がし空へ放り投げる。
 先ほどミーズが風と感じたのは実はすぐ脇を走るイフリーテスだった。
 そう言えばその直後 ”どしゃぁぁぁ” と何かがスライディングしたような音が聞こえたような気もする。
 さて放り投げられたイフリーテスだが飛行能力がないとは言えさすがは鬼神である。
 空中で軽くバランスを取り手頃な屋根にすっと降り立つ。
 「いきなり何するのおミズさん。びっくりするじゃない」
 「だれがおみずよ!ちゃんと名前くらい覚えなさい!」
 「もう相変わらず短気なんだから。ねえ藤沢様ぁん♪」 と最後は甘ったるい声を出しながら地面に降り立ち藤沢の方へ向かう。
 当然その前にはミーズが両手を広げて立っている。
 「藤沢様には指一本触れさせません!」
 「藤沢様には…ふじさわ様、ふじさわさま…」
 なにやらぶつぶつと呟くイフリーテス。
 そんなイフリーテスを気味悪そうに見つめるミーズ。
 突然ぽんと手を打ったイフリーテスは潤んだ目で藤沢を見つめた。
 「と言う事はまだ藤沢様はまだ独身でいらっしゃる…ああん私の事が忘れられなかったんですねえ」
 ミーズを跳ね飛ばし駆け寄るイフリーテス。
 「嬉しい!私もそうだったんです。もう藤沢様の事を思って何度眠れぬ夜を過した事か…」
 今度はミーズが屋根の上に立つ番だが着地するや藤沢目掛けて跳躍する。
 再び藤沢に抱きつくイフリーテスを再度強引に引き剥がす。
 「だから止めなさいって言ってるでしょ!」 「あらミーズさんお空の彼方へ消えたのでは?」 「誰がよ!」 「あんまり怒るとしわが増えますよ」 「なんですってー!」
 当然の事ながら二人は注目の的だ。
 人垣もでき始め、更にどちらが勝つか賭けるものまで出てきた。
 この場に菜々美がいたら喜んで胴元をやっているだろう。
 一方誠達は何とか事態は把握できていたものの何もできずにいた。
 まあ何とかしろ、と言う方が無理なようにも思える。
 それでもこのままではまずいと思う。
 まずシェーラが口を開いた。
 「な、なあ…一応姉貴のライバルが現われた訳だけどよう…」
 「そうですね…だけどこれはどちらかと言うと事件やないかと思いますよ…」 誠が続ける。
 「そうどすな。これはもう…収拾つくんやろうか…」 さすがのアフラも言葉が続かない。
 その間もミーズ達は痴話喧嘩を続けている。
 現在掛け率は2:1でイフリーテスが優勢のようだ。
 「どうすんだよアフラ。おめえが変なこと言うからほんとになっちまったじゃねえか」
 「シェーラさん今はそんな事言うとる場合やないですよ。この場をどうするかが第一です」
 もっともなことを言う誠だが何か妙案が有るわけではない。
 二人してアフラの顔を見つめる。
 アフラはほっと溜息をついてから話し出した。
 「こういうときに取る手は一つしか有りません」
 「ほうどんな手だ?」 後ろから声が掛かる。
 「それは『見なかった事にしてこの場を立ち去る』これ以外方法は…」 とそこまで言ってから慌てて後ろを振り返る。
 「「「イフリータ!!!」」」 一斉に叫ぶ三人。
 「何をそんなに驚いている? イフリーテスが姿を見せたのだから私達がいても不思議がることは有るまい」
 「それはそうどすが…私達? と言うことは」
 アフラの言葉に軽く頷いてから後ろを見るイフリータ。
 「何をしている。そんな所にいないでこっちへ来い」
 イフリータが見た方向を確認する三人。
 「イフリーナ!」 誠が先に路地の影に隠れるようにしてこちらを窺っていたイフリーナを見つけ名前を叫ぶ。
 「あの子は確か…」 イフリーナの傍にいる少女を見てシェーラが呟くが誠はそれに構わず彼女の傍へ駆け寄っていく。
 「久し振りやなあイフリーナ。元気にしとったか? そのう…時々話は聴いとったけど姿を見た訳やなかったからなあ」
 一気に話す誠に対しイフリーナは俯き加減に頭を下げる。
 「どうしたんやイフリーナ? どっか調子悪いんか?」 心配そうに問い掛ける誠。
 「いえ、調子が悪いのはお姉さん達で私は大丈夫です」 蚊が鳴くような小さな声だ。
 その時誠は誰かから裾を引っ張られる。
 その方向(下)を見ると小さな女の子がこちらを見上げている。
 「君は…?」
 「お兄ちゃんはイフリータのお友達なの?」 逆に少女が問い掛けてくる。
 「僕か? ああそうや。イフリータさんもイフリーナも僕の友達や」
 「イフリーテスお姉ちゃんは?」
 そう言われ苦笑しながら答える誠。
 「勿論彼女も友達や。君は三人を知っとるんか。君は一体…」
 誠が話し終えるより先にイフリータが声をかける。
 「三人とも早くこっちへ来い。イフリーナ、顔を上げろ。言ったはずだ、お前に責任はない」
 その言葉にはっとする誠。
 「そうか…君はあの事を気にしとったんやね…。そうや、イフリータさんの言う通りや。君の責任やない。さ、みんなの所へいこ」 イフリーナを促す誠。
 マリエルもイフリーナの手を引っ張り歩き出す。
 やっとイフリーナも歩き出した。ただ顔は相変わらず下を向いたままだ。
 「久し振りどすな」 「ああ、そうだな」 ちょっと声が冷たい。
 さすがにアフラとシェーラは素直に迎え入れるのに若干抵抗があるようだ。
 「お久し振りです。あ、あの、その節は大変ご迷惑をおかけしました」 深々と頭を下げるイフリーナ。
 「お前の責任ではないと何度も言っただろう。そんな顔をするんじゃない」
 もはや見せ物と化しているミーズ達と違い暗い雰囲気が漂うがマリエルには何の事だか理解できない。
 そんなマリエルに下を向いていたイフリーナが先に気付いた。
 しゃがみ込んで話し掛けようとするがうまく言葉が見つからない。
 今にも泣き出しそうなイフリーナの顔を見てやれやれという感じでシェーラが口を開いた。
 「よお、久し振りだな。元気にしてたかい? えーとマリエル?」
 「こんにちはお姉ちゃん。んーと…ご免なさいお姉ちゃんのお顔は覚えているんだけどお名前を忘れちゃった。もう一回教えて下さい」 丁寧に頭を下げるマリエル。
 「ああいいとも。あたいの名前はシェーラ・シェーラ。泣く子も黙るマルドゥーンは炎の大神官様だ。で、こっちの澄ました奴が風の大神官でアフラ・マーンってんだ」
 「誰が澄ました奴ですの!全く。すんまへんなあお嬢ちゃん、このおなごは物の言い方しらんよってに堪忍したってや」 としゃがみ込んで話すアフラ。
 「てめえこそなに言いやがるんでえ」 当然の如くアフラに突っかかっていくシェーラ。
 とアフラはまくし立てようとするシェーラを掴んで座らせる。
 「ええどすか、小さい子と話すときは屈んで目の高さをその子に合わせるもんどす。そんな事も知らんとよく大神官やってますな」
 シェーラが反論する前に慌てて誠が間に入る。
 と言っても仲裁なぞできるはずがないのでアフラ同様腰を落としマリエルに話し掛ける。
 「えーと僕は水原誠と言うんや。君はマリエルと言うんか」
 「ミズハラマコト、お兄ちゃん?」 やはり馴染まない名前だからかマリエルは首を傾げている。
 「誠でええよ」 ちょっと苦笑しながら誠が答える。
 「誠お兄ちゃん?」
 「ああそれでええよ」 今度はにっこり笑って答える。
 「お前達みんなしてしゃがみ込むこともあるまい」 そう言ってイフリータがマリエルを抱え上げる。
 「おっとそうだな。最初からこの子を抱っこしてりゃ良かったんだ」 とシェーラは陽気に答えるがアフラはちょっと考えるような表情を見せる。
 ”以前のイフリータとはどこか違いますなあ…” 疑問が浮かぶものの巧く表現できない。
 またミーズvsイフリーテスは掛け率が4:1にまで上がっていた。
 このままではミーズからアフラ達に声が掛かるのは必至でそうなる前に何とかしなくてはならず些細な疑問なぞ後回しだ。
 「所でアフラ・マーン、お前は先ほど『見なかった事にして』と言ったがそれでは根本的な解決にならないのではないか?」 全員が立ち上がったところでまずイフリータが口を開く。
 「そうしたかったんですけどなあ…あんたらまで現れたとなったらそうもいかんやろ」 諦めたような口調で答える。
 「そうですね。このまま放って置いたらどんな騒ぎになるか…ミーズさんはともかくイフリーテスさんは騒ぐのは好きみたいやからそれこそ収拾つきませんよ」
 誠のイフリーテスに対する評価に笑みを見せるイフリータ。
 「ほうイフリーテスの主だけの事だけあってよく分かっているな。それでどうするつもりだ?」
 再度疑問が浮かぶアフラ。だがやはりそれどころではない。
 「そうだぜ誠。何かいい考えはないのか? このままじゃ…」
 「このままでは?」
 「あたいらも確実に巻き込まれてしまうぜ」 青い顔して答えるシェーラ・シェーラ。
 しかし誠は首を捻りながら問い返す。
 「巻き込まれるって、もう十分巻き込まれているように思うんですが」
 「ばっきゃろー!姉貴の隣に立ってイフリーテスと対峙する羽目になると言ってんだ!」 今度は赤くなっている。
 「そ、それはちょっと…考えたくないですね…」 冷や汗を流しながら答える誠に対し
 「その場合巻き込まれるのはシェーラ・シェーラとアフラ・マーンの両名であって誠、お前は関係ないのではないのか?」 例の如く余り抑揚のない口調で話すイフリータ。
 「それはそうかもしれませんが藤沢先生もいますから無理やないかと思います」 ゆっくりと首を振る誠。
 もっとも藤沢がいなくとも巻き込まれるのは間違いない事は彼も重々承知していた。
 「そうか。ではどうするんだ?」 口調からは分からないが興味を持っているようだ。
 アフラはイフリータの顔をじっと見つめていた。
 ”やはりこのおなごは以前とは全然違う。なんやろ一体? 何がイフリータを” と考えている所へ
 「いいか、頼んだぞアフラ・マーン」 いきなりイフリータに頼み事をされる。
 「えっ?! 何をです?」 慌てて聞き返すアフラ。
 「なんでえアフラ聞いていなかったのか? ったくてめえこの状況をどう思っているんだ?」
 「まあまあシェーラさんそう熱うならんと。ええですかアフラさん」 と誠が再度説明を始めた。
 誠の考えは取り敢えずミーズ達を野次馬達から隠そうというものだった。
 ただ方法が思い浮かばない。
 するとイフリータが野次馬の目をちょっとでも逸らしてくれればイフリーテス達を一時的に隠そうと言ってきた。
 若干の不安は有ったものの彼女に任せることになりイフリータがミーズ達の傍まで行ったら野次馬の目を逸らす、それをアフラにやって貰おうと言うことになった。
 それを聞いたアフラは柳眉を寄せる。
 「あんたにできますの?」
 「ああ隠すだけなら簡単だ。だが誰も傷つけずに周りの目を逸らすのは無理だな。だがお前の方術ならば可能だろう」 冷静に答えるイフリータ。
 彼女の顔を見つめアフラは考える。
 しかし余り考えるわけにも行かない。
 「よろしい、お手並みを拝見させて貰いまひょ。あんたが姉さんの傍に行ったら一瞬でもあんた達の姿を隠すなりなんなりすればいいんどすな。まかしてもらいまひょ」
 その言葉にゆっくり頷くイフリータ。
 抱いていたマリエルをイフリーナへ預け
 「じゃあ頼んだぞ」 そう言って人垣へ向かって歩いていく。
 「所であいつどうやってあの中へ入るつもりだ?」 後ろ姿を見ながらシェーラが呟く。
 「飛んでいけば簡単だよ」 とマリエルが答える。
 「「「飛んで?」」」 驚いたように聞き返す三人。
 それに対しマリエルは不思議そうに答える。
 「そうだよ。知らないの? イフリータはお空を飛べるんだよ」
 話の続きはイフリータが輪の端に辿り着いたところで中断した。
 注目する誠達。
 イフリータはゼンマイを強く地面に打ち付ける。
 バグロム城でイフリーテスが取った方法だ。
 だが今の彼女では少し大きな音が出た程度だ。
 それでも近くの面々の注意を引くには十分だった。
 何事かと振り向いた彼らの前には、美人だが冷たい感じの女が立っていた。
 そして彼らが口を開くよりも先にイフリータはまた歩き出した。
 思わず道を譲る野次馬達。
 その先にいる連中も後ろから引かれ、一瞬怪訝そうにするがイフリータを見て同じく道を譲る。
 イフリータが歩く部分のみ輪が崩れていく。
 他の者達は気付かなかったがイフリータが輪の中に出てきたためその姿を確認できるようになった。
 ゆっくりとミーズ達の方へ向かって歩いていくイフリータ。
 野次馬達も騒ぐのを止めイフリータを注視した。
 それに気付いたミーズとイフリーテスも口撃を止めた。
 「さすがお姉さん。もう静かになっちゃいましたねえ」 感心するイフリーナ。
 「だが逆にあいつが注目を集めちまったぞ。どうするんだ一体?」
 「ふむ、とにかく言う通りにしてみまひょ。姉さん達を中心に小さな竜巻を起こします。あんまりつようはないが目え閉じんと埃が入りますえ」
 「竜巻ってアフラさんあぶのうないですか?」
 「そやから力を押さえる言うとるんです。よろしいですか?」
 慌てて目を閉じる誠達。だがイフリーナだけは遅れてしまった。
 風がゆっくりと動き出した。と見る間にミーズ達を中心に孤を描きながら速度を上げていく。
 「すごい…」 イフリーナは目を閉じるのも忘れ見入っている。
 野次馬達も自分の周りで起こっている事が分かったようだ。
 が、その時には風の速度はかなり速くなっていた。
 慌てて風に背を向け目を閉じる。
 そしてその一瞬後、風は唐突に収まった。
 一体何だったのか? 野次馬達は呟きながら再度中心を見るが…そこには藤沢がいるだけだった。
 「なんでえ!さっきのねえちゃん達はどこへ行ったんだ?」
 「むさいおっさんを見るためにここにいるんじゃないぞ!」
 「そうだそうだ金返せ!」(別に誰も見物料払っていないが)
 思い思い勝手なことを言い出す野次馬達。
 「いやあ…私も一体何が起こったのかよく分からない状況でして…」 周りを見渡しながら呆けたように藤沢が答える。
 まあ無理もない。
 いきなりタックルされたかと思うとミーズとイフリーテスが口喧嘩を始めた
 なだめる間もなく野次馬が集まり、そして突然イフリータがやってきて風が吹いたかと思うと三人が消えていた。
 彼自身まず説明を必要としていた。
 一方野次馬達は、何がなんだか分からないがついさっきまで面白い見せ物をやっていた二人組と絶世の美女がいなくなった事は確かだ。
 一人また一人と散っていき数分後には地面に座り込んだ藤沢が残っているだけだった。



 「目が痛いですう」 目を押さえイフリーナが半分泣いているような声を出す。
 「だから目を閉じるよう言うたやろ」 呆れたようにアフラが言う。
 「すいません、アフラさんの技が見事だったんでつい見とれてしまったんです」 涙を流しながらイフリーナが答える。
 「大丈夫イフリーナお姉ちゃん?」 心配そうにマリエルが尋ねる。
 マリエルはロシュタリアに着いて以来元気のないイフリーナの傍にいた。
 昨日はイフリータに、そして今日はイフリーナに 「大丈夫?」 と言い続けている。
 そしてイフリーナが何十回目かの 「大丈夫よマリエルちゃん」 と答える前に
 「大丈夫かイフリーナ? 目にゴミが入ったんと違うか。ちょっと見せてみい」 と誠が顔を近づけてきた。
 「い、いえ大丈夫です。大丈夫ですからあの…」 一気に赤くなるイフリーナ。
 「あかんて。下手に擦ったりしてバイ菌でも入ったら大変や。マリエルちょっとすまんけど下に降りてや」 構わずマリエルを立たせる誠。
 「ほらちゃんと顔を上げるんや」 と誠はイフリーナの頬に手を添えて上を向かせようとする。勿論他意はないのだが…
 「きゃ!だ、大丈夫です!大丈夫ですからそんなに…」 誠から逃げようとするイフリーナ。
 その直後、誠はいきなり誰かに羽交い締めにされ一気にイフリーナから離された。
 そして次の瞬間、目の前にはゼンマイを構えるイフリータが立っていた。
 「何をしている」 眼光鋭く問い掛けるイフリータ。迫力十分だ。
 「何って、僕はただイフリーナの目にゴミが入ったんで見て上げようと…」 気圧されながらも何とか答える誠。
 「イフリーナちゃん悲鳴を上げてたじゃない。ちゃんと答えた方が身のためよ」
 誠を押さえているのはイフリーテスだ。イフリータ同様殺気が漂っている。
 「違うんですお姉さん!私はただ…ちょっとびっくりしただけなんです。誠さんは何も悪いことはしてませんので」 慌てて駆け寄って説明するイフリーナ。
 「で、ですからあの誠さんを放して貰えませんか」
 「だがその目の涙は何だ?」 それだけでは納得しかねるという感じのイフリータ。
 イフリーテスも同様らしい。多少力は抜いたもののまだ放すつもりはなさそうだ。
 「これは目にゴミが入ったんです。それで誠さんが見てくれようとしたんですけど私…そのう…」
 顔を赤くしながら弁解するイフリーナを見て苦笑しながら誠を解放するイフリーテス。
 「分かったわ。それでもう目の方は良いの?」
 「は、はい。その…まだちょっと…あ、いえ大丈夫だと思いますから、そのう…」
 「放っておくのは良くないぞ」 相変わらずぶっきらぼうだが一応心配して言っているイフリータ。
 「そうね。じゃあ誠ちゃん、後はよろしく」 と言ってイフリーテスはイフリータを促してマリエル達の方へ向かう。
 「ふう、助かったでイフリーナ」 ほっと胸をなで下ろしながら誠は礼を言う。
 「い、いえ元はと言えば私のせいですから…。あ、あのお姉さん達を許して上げて下さい。悪気が」
 話を続けようとするイフリーナを遮る。
 「ああ分かっとる。二人とも君のことを心配しているんやね」 とそこまで話した誠は有ることに気付く。
 「だけどイフリーテスさんはともかくイフリータさんが…、そう言えばさっき話したときもなんか前と違う感じやったけど一体どうしたんやろ…」 アフラ同様イフリータの言動に疑問を持つ誠。
 「あのうお姉さんがどうかしましたか?」再び心配そうに話すイフリーナ。
 「いや、なんて言うかな…イフリータさんて前はあんなに感情を出すことがなかったと思うたから…。まあええわ、それよりも君の目をみしてや」 と再びイフリーナに顔を寄せる誠。そして…


 「いいのか?」 再びイフリーナの悲鳴を聞いたイフリータが尋ねる。
 「いいのよ」 と軽く答えイフリーテスはシェーラ達の方を向き
 「久し振りね。みんな元気にしてた?」 とまた軽く挨拶する。
 「おめえが現れるまではな」
 「そうどすな。今の騒動で一気に疲れましたわ」
 口々に皮肉を言うが応えるイフリーテスではない。まあその辺はシェーラ達も分かって口にしていたが。
 「所で一体なんだったんですか? さっきの事は」 やっと皆の元へ戻れた藤沢がそれまで溜まっていた疑問を口にする。
 傍にはミーズが寄り添いイフリーテスを睨み付けている。
 「この色呆け機械人形がまた性懲りもなく藤沢様にちょっかいをかけに戻ってきたのですわ」
 「ちょっとミーズさん、そんな言い方はないんじゃなくって。とても大神官様のセリフとは思えませんわよ」
 「何言ってんの。あなたにはこれくらいが丁度良くてよ。分かったらさっさと私達の前から消えなさい!ねえ藤沢さまあ」 と藤沢にしだれ掛かるミーズ。
 再び困った顔になる藤沢と青くなるシェーラにアフラ。
 「ね、姉さんセンセはそないな事やのうてどうやってあの大勢の前から姿を消す事ができたんかを」
 「そうだぜ姉貴。あたいらも見てなかったから分からねえんだ。な、説明してくれよ」
 何とか話を逸らせようとする二人。このままでは先ほどの騒動を蒸し返してしまう。
 焦るのも当然だ。ここで再発したら絶対に逃げられない。
 目を閉じていたシェーラ達はともかくアフラは一部始終を見ていたがそれでも違う方向へ持っていかないとこの先どうなるか…。
 その時、丁度運良く誠とイフリーナが戻ってきた。
 イフリーナはまだ顔が赤い。
 それを見てイフリーテスはにこっとイフリーナに微笑みかける。
 イフリーナはますます赤みを増し俯き加減になったが誠はそれどころではない。
 「さっきの件ですか? 僕も聞きたいなあ。一体イフリータさんはミーズさん達とどこにおったんですか?」 声がうわずっている。
 その前のいきさつは分からないがシェーラとアフラが焦っているのを見て一緒になって話を合わせるたのである。
 「簡単だ。アフラ・マーンが周りの目を逸らした直後にイフリーテスとミーズ・ミシュタルの二人を掴んで飛んだだけだ。その後適当な民家の屋根から路上に降り、騒ぎが収まった頃合いを見て戻ってきただけだ」
 「「「飛んだ?!」」」 驚く誠にシェーラと藤沢。
 「そうだ」 淡々と応えるイフリータ。
 それを見てイフリーテスが苦笑しながら口を開いた。
 「立ち話もなんだし、それにお昼時よ。ご飯でも食べながら話を続けましょう。あなた達に頼みもあるし」
 「それは良いんですが、なんでさっき私も一緒に連れて飛んでくれなかったんですか?」 ちょっと恨めしそうに尋ねる藤沢。
 「誠はイフリーテスとミーズ・ミシュタルをあの場から離して欲しいと言ったからな」 あっさりと答えるイフリータ。
 「あ、左様で」 藤沢はがっくりと肩を落とした。


 「はい、東雲定食二つ上がったわよ」
 菜々美は厨房から顔を出してできたばかりの料理をバイトの子に渡した後、ランチタイムで込み合う店内を見渡し満足そうに頷いた。
 エルハザードに来て以来、まあ順風満帆とまでは行かないが念願の店も持つこともできたし更に先月その拡張が終わったばかりだ。
 仮に東雲町にいたら当分は実現できなかったことがここエルハザードで早くも現実の物となっていた。
 食堂の拡張に伴い若干の借金はできたものの返済にはそれほど時間は掛からないだろうし、終わり次第事業の拡大、多角経営を考えていた。
 夢は大きく膨らんでいく…そう、まこっちゃんが手伝ってくれればなんだって巧くいくに違いないわ…そう、まこっちゃんさえ…。
 そんな菜々美の前にいつもの面子、誠に藤沢を初めとして三神官の面々、そして…イフリータ達が現れたのであった。
 その瞬間先程までの未来像は吹き飛んでしまった。
 「な、なんであんたがここに…」 勿論 『あんた』 というのはイフリーナの事だ。
 我を忘れた菜々美だったが次の瞬間誠達に話す機会も与えず二階へ連れて行く。
 二階には商談用にと新たに造った個室がある。
 日本の料亭をヒントに造ったのだがここエルハザードでも好評で割高にも関わらずよく使われていた。
 予約のみで一見さんはお断り、と徹底した差別化を図ったのも幸いしたようだが今回はそれどころではなかった。
 彼らの間で行われる会話の内容を周りに聞かれてはまずい、そう判断した菜々美はすぐさま昼間は余り使われることのない二階へ彼らを連れてきたのである。


 「で、どう言うことなの? なんであなた達がここにいる訳?」 幾分落ち着いた菜々美が再度、今度は全員に問い掛ける。
 「いや、それを今から聞こうとここに来たんやけど…」 ”なにを菜々美ちゃん興奮しとるんやろ?” と思いつつ誠はこれまでの経緯を簡単に説明する。
 それを聞いた菜々美はちょっと考えるような仕草をするがすぐに口を開いた。
 「OK私も同席するわ。すぐに戻ってくるからそれまでその話はしないでよ。いいわね?」 そう言って下へ降りていく。
 「菜々美の奴同席するって言ったが店の方はどうするつもりなんだ?」 とシェーラ。
 「そうどすな。商売第一の菜々美はんの言葉とは思えまへんなあ」 アフラも同調する。
 「なんか熱くなってましたね。私達が来たことがそんなにまずかったんでしょうか?」 再び不安そうな表情を見せるイフリーナ。
 普通じゃない菜々美の態度に思い思いの感想を述べる三人に対し幼馴染みである誠は弁護したいところではあったが材料がない。
 ミーズは相変わらず藤沢の腕を取りイフリーテスを睨み付け、藤沢はますます自分の置かれている立場が悪くなっていっていると感じていた。
 また当然の事ながらマリエルは何が起こっているのか分かるはずはなく、相変わらずイフリータは無表情だ。
 そんな中イフリーテスだけは菜々美の行動がイフリーナをライバル視しているためである事を見抜いていた。
 それはそれで面白いのだが、まずは自分の事が最優先である。
 「ねえ、そんな事を言ってても始まらないし取り敢えず席に着きましょ。何かあれば菜々美ちゃんの方から話してくれるわよ」
 皆、もっともらしいイフリーテスの言葉に頷きながら座敷上がるが、
 「私は藤沢様の隣に。良いですわよね藤沢様ぁん」 睨み付けるミーズをものともせず藤沢の隣に回り込むイフリーテス。
 当然の事ながらミーズが反撃に出ようとするが
 「イフリーテス、お前は私の隣に座れ。要領よく説明できるのはお前だけだからな」 とイフリーテスの想いの全てを打ち砕く言葉がイフリータから発せられた。
 確かにこれまでの経緯を説明しようと思ったら、イフリータでは簡潔過ぎて問題点しか分からないだろうしイフリーナでは内容が支離滅裂となって聞いている方は訳が分からないだろう。
 その言葉にイフリーナはそうですね、と相づちを打つがイフリーテスは恨めしそうな表情になる。
 しかし筋が通っているし何よりもイフリータの言葉だ。従わない訳にはいかない。
 また彼女はイフリータが騒動を避ける意味でも言った事が分かっていた。
 筋が通っているだけに尚更恨めしかった。
 逆に藤沢を初め誠達は皆一様にほっとした表情を見せる。
 「じゃ、じゃあテーブルを挟んでイフリータさん達と僕達とで分かれましょう」 うっすらと汗を浮かべながら誠が提案する。
 丁度その時菜々美が上がってきた。
 「何よ、まだ席に着いてなかったの? 今まで何してたの?」
 「いや色々あってな。これから席に着くところなんや」 苦笑しながら答える誠。
 「ふうん…まあいいけどね。じゃあ先生…一番奥ね。次がミーズさんで…」 といきなり仕切り始める菜々美。
 「で、イフリーナ、あなたはイフリーテスの隣ね」 と、全員の場所を決めてしまう。
 「菜々美ちゃんはどこに座るんや?」 アフラやイフリーテスにしてみれば答えは分かり切っているのだがやはり誠だ。
 「私? 私はここよ」 と誠の正面を指差す。
 「菜々美ちゃんだけイフリーナと同じ列にと言うのもなんか変な感じやなあ」 何も考えていない誠。
 「一応私はこの店の主人なんだから一番入り口に席を取るのが礼儀ってもんよ」 ちょっとだけむっとしながら答える菜々美。
 もっともらしい菜々美の言葉に頷く誠だがアフラとイフリーテスの両名は笑いを堪えている。
 特にイフリーナが何も考えずにシェーラの正面に座っているのが面白さを倍増した。
 取り敢えず落ち着いたところで菜々美が改めて口を開く。
 「料理なんだけどこういう状況なので私の方で適当に選ばせて貰ったわ。皆同じメニューだけどマリエルはまだ小さいから別メニューね。それとイフリータ、あなたは要らないのね?」
 ゆっくりと頷くイフリータ。
 他のものも別に不満はなさそうだ。
 それを確認した菜々美は開会(?)を宣言した。
 「いいわ。じゃあ始めて頂戴。あなた達はなぜ、何をするためにこのロシュタリアに来たの?」



 イフリーテスはこれまでの経緯を多少脚色しながら説明した。
 まずイフリータ、イフリーテスの両名の機能が一部ではあるが戻ってきたこと。
 そしてなぜ力が戻ってきたのか、また今後どうなるかに不安を抱いたためストレルバウ達を尋ねようと話し合ったこと。
 最後にマリエルの病気のことを話す。
 「つまりあんた達は力が中途半端に回復したことが不安でうちらの所へ来たと」
 「そうだ。だが私の事はどうでも良い。まずはこの子の病気について何か情報だけでも良いから欲しい」 静かに訴えるイフリータ。
 「そうね。私達の能力は普通に生活するには不要のものだし、最悪何も分からなくても毎日注意していればなんとかなると思うけどマリエルはそうも行かないわね」 同じく真剣に誠達の顔を見渡すイフリーテス。
 「そうなんです。こんなに小さいのに病気だなんて可哀想過ぎます。私何でもしますから、お願いですから治して下さい」 涙目のイフリーナ。
 「大丈夫だよ。最近は余り咳も出なくなったしパパがお薬を買ってきてくれるし。それよりもイフリータとイフリーテスお姉ちゃんはちゃんとお医者様に見て貰わないと。パパもそう言っていたし」 笑顔を見せながら健気に答えるマリエル。
 思わず顔を見合わせる誠達。
 彼らが想像していた以上に事態は深刻だった。
 「分かりました。取り敢えずお城へ行き、ルーン王女と相談してからどう対処していくかを考えましょう」 誠が皆の気持ちを代弁する。
 「所で、イフリータ、イフリーテスにマリエルが来た理由は分かったけどイフリーナ、なんであんたここに来たのよ」 それまで菜々美が一番の問題としていた事に対する答えがなかったため、改めて問い質す。
 イフリーナは涙目のまま菜々美の方を向き話し出した。
 「お城が壊れてお茶が買えないんです。ですのでロシュタリアでお薬を買うためにバイトしてそれからお茶菓子を買うんです」
 なんの事だか分からない。
 聞くんじゃなかったと菜々美が後悔しているとイフリーテスが説明してくれた。
 「つまりね、ちょっとした不幸があって今バグロム城は金欠状態でお茶も買えないほどなのよ。でイフリーナちゃんにバイトしてお茶を買ってこいという命令が出たって訳」
 なるほど頷く菜々美だが ”あの馬鹿兄貴余計な事を” と思っていた。
 「お茶はどうでも良いんです。私いっぱいお仕事していっぱいお給料貰ってそれでお薬を買わなくちゃいけないんです」 顔を上げ拳を握りしめながら話すイフリーナ。
 「それは良いけどあなたお茶を買わなくてはならないんでしょ? いいの,命令を無視して」 とミーズ。
 「いいんです。お茶はそれほど高いものではありませんからすぐに買えます。ですがお薬はそうも行きません。まずはお薬を買ってからその残りでお茶を買えば良いんです。この際ですから一番安いお茶でも構いません」
 イフリーナの迫力に押され誠達は何も言えなくなった。
 必要以上に熱くなっているイフリーナに苦笑しながらイフリーテスが口を開いた。
 「それでね、お願いなんだけど…」
 「願いって、おめえらを城へ連れて行ってストレルバウ博士に後を頼んで終わりじゃねえのか?」 怪訝そうにシェーラが尋ねる。
 再度苦笑するイフリーテス。
 「まあ私達のことはそれで良いんだけどね。イフリーナちゃんはそう簡単にはいかないでしょ? 力ずくって方法もあるけどそれは避けたいしね」
 「そうだな、あのファトラがすんなりとイフリーナを通すとは考えにくいな」 同調するイフリータ。
 姉達の言葉に一気にテンションが下がるイフリーナ。
 一瞬下を向くが再度顔を上げ今度は誠を見つめる。
 それを見た菜々美が口を開きかけるがイフリーテスの方が先に話し出す。
 「でね、ファトラ姫をなんとかなだめて貰えないかしら…誠ちゃん」
 イフリータ達を除き一斉に皆イフリーテスを注目した。
 呆気に取られた菜々美が改めて口を開こうとしたが今度はイフリータに先を越された。
 「そうだな。他の者が行うより誠の方が効果的だろう。それでもうまくいくとは限らないがまだましだな」
 再度顔を見合わせるシェーラ達。
 確かにアフラやシェーラが言ったのでは見返りに何を要求されるのか分かったものではない。
 一方菜々美は基本的には同意見だが先日の夜這い騒動もありすんなりOKとは言えない。
 ”どうするのがベストか?” 菜々美が考え出したとき誠が決心したように顔を上げた。
 「分かりました。僕からファトラさんに話してみます。安心してやイフリーナ、僕が必ずファトラさんを説得するから」 菜々美が一番恐れていた答えを出した誠。
 その言葉を聞き嬉しそうな表情に変わるイフリーナ。
 それに対し菜々美は ”まこっちゃんどうして!” そう言いたい所ではあったが口に出たのは別の言葉であった。
 「分かったわ、私も一緒に行ってあげるわよ。まこっちゃんだけだったらあのお姫様何言い出すか分からないわ。交渉は私に任せて頂戴」 誠は一度口にしたことを覆えさないことを良く知っていた。
 思いがけない効果ににっこり笑うイフリーテス。
 イフリーナの事を考えて誠を指名したのだが心許ないのは確かだった。
 商売上手の菜々美が援護してくれれば割と簡単にファトラも折れるかもしれない。
 ”後は自分でがんばりなさい” イフリーテスはイフリーナに誠、そして菜々美を見つめやさしく微笑んだ。


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