10．主従の絆、姉妹の絆

　「着替えってこの格好では駄目ですか？」 誠の顔から血の気が引いた。
　「誠よ、姉上の周りには侍女、つまり女性しかおらん。イフリーナは女だから構わぬがお主は一応男であろう」 表情は真剣だが目が笑っている。
　「ちょっと待って下さい。ルーン王女の周り言うたらロンズさんかておるやないですか。何で僕だけ」 慌てて拒否しようとする。
　　誠の脳裏にはファトラの身代わりとして女装させられた日々が浮かんだ…あんな事はもうご免や！
　「ロンズは侍従長として姉上に仕えており、常時姉上の元にいるわけではない。護衛も含め姉上のお側には女性しかおらん。そこに男の姿があると大変目立つ」 ファトラは言い聞かせるように話す。
　なおも不服顔の誠に今度はイフリータが語りかけた。
　「誠、先ほどファトラが言ったようにイフリーナの事は内密にしたい。分って欲しい」 真剣な眼差しで誠を見つめる。
　「そうよねえ…それに誠ちゃんは以前ファトラ姫の身代わりをやってたんでしょ。だったら問題ないじゃない」 軽い調子でイフリーテス。
　「そやけど僕はあんな事はもう…」 とことん拒否しようとする誠。
　それに対して今度はルーンが口を開いた。
　「誠様、誠様に引き受けていただけないとなるとイフリーナを侍女として雇うという件も再考しないといけなくなるのですが」 ファトラ同様深刻そうな表情だが目が笑っている。
　「待ってやルーン王女！　それとこれとは話が」 慌てて抗議しようとするが
　「同じじゃないのまこっちゃん」 あっさりと菜々美に却下された。
　「菜々美ちゃん、それはないやろ」
　「だってさ、まこっちゃんが面倒を見るという条件でイフリーナは雇って貰える訳でしょ。で、イフリーナの事は可能な限り秘密にする必要があるから目立たないようにと、ここまではＯＫよね」
　「そやけど、なんで僕が」
　「ストップ！　そのためにイフリーナは服も着替えて皆と同じ格好をするのに、まこっちゃんだけがそんな格好でいたらバリバリに目立っちゃうじゃない。ここはファトラさんの言う方が正しいと思うわよ」
　「ちょっと待ってや…そうや僕が女装したらファトラさんそっくりになるやないか。その方がもっと目立つと思うで」 我ながらナイスな理由を見つけたと自画自賛する誠。
　だが隣にいるイフリーナが涙目で訴えてきた。
　「駄目なんですか誠さん…もし雇って貰えなかったら私…私…」 言葉にならないようだ。
　さすがに誠も言葉に詰まる。
　「なぁ誠、やってやれよ。困っている人を助けるのは人として当然の事、俺はいつもそう生徒に教えてきたはずだ。お前だって彼女を見捨てるなんてできないだろ」 藤沢からも諭される。
　その言葉にイフリーテスが目を潤ませて藤沢を見た。
　「ああぁん藤沢様ぁ、妹のために有り難うございます。もうなんとお礼を言っていいのやら…」
　当然言葉だけでなく行動で示そうとするが今度はミーズの方が上手だった。
　イフリーテスが抱きついてくる前にさっと藤沢を自分の方に抱き寄せる。
　「仰る通りですわ藤沢様。あんな色呆けたガラクタと違ってイフリーナは真面目な子ですから助けて上げないと可哀想ですわよねえ」 イフリーテスへ舌を出しながら同意する。
　「や、やるわねおばさん…だけど次は負けなくってよ」 拳を固めるイフリーテス。
　だが次の瞬間イフリータにゼンマイでどつかれた。
　「言ったはずだ。大人しくしろと。それとも私の言うことが聞けないのか？」 恐い目をしている。
　今度はイフリーテスが真っ青になった。
　「ご、ご免なさい！　イフリーナちゃんの事が有ったもんだからつい忘れちゃって…お願い、もう絶対にしないから許して姉さん！　…ねえ誠ちゃんも何とか言ってよ。私のご主人様なんだしぃ」 そう言って誠にすがりつくイフリーテス…ちょっと情けない。
　「イフリーテス、わらわとも約束したはずだったな」 ファトラからも突っ込まれた。
　「あう…その…お願い…ほんの出来心なんだし…実害はなかったんだし、ね」 手を合わせて拝む。
　鬼神としてのプライドはどこかに忘れてきたようだ。
　「どうでしょうファトラ、ここは彼女の主である誠様に責任を取って戴くというのは」 笑顔でルーンが提案した。
　「姉上、それは良い考えです。では誠、お主がイフリーテスに代り責任を取って女装をすると言うことで全てを丸く収めたいのだが」 にやりと笑う。
　「そうだな、イフリーテスの主で有る誠がファトラの提案を受け入れ、それでイフリーナが雇って貰えるのならば今回は見逃しても構わない」 イフリータも同意する。
　それに対し、実はイフリーテスにはめられたのではないか、誠はそんな気がしてきた。
　「いいじゃねえか誠、女装の一つや二つ。ここは男気を見せて引き受けてやれよ」
　女装と男気は結びつかないような気もする。
　「誠はん、ここでイフリーナを助けてその願いを成就させる事ができたなら、変態の汚名も雪ぐことができると思いますがどうやろか」
　普通は女装する者を変態と呼ぶ。
　全員が誠を期待の、そして好奇の目で見つめた。
　がっくりと肩を落とし頷く誠。
　「有り難うございます、本当に有り難うございます…」 誠の手を握りしめ頭を下げるイフリーナ。
　「良かったぁ、誠ちゃんがうんって言ってくれなかったら姉さんにお仕置きされる所だったわ。有り難う誠ちゃん」 そう言って誠に抱きつくイフリーテス。
　それを見た菜々美とルーンの目が光る。
　しかしイフリーテスは菜々美達の視線に気付かない…イフリータに睨まれたのがよほど怖かったようだ。他に気が回らなくなっている。
　所で周りから感謝される誠ではあったが表情は思いっきり暗い。
　しかしまあ仕方がない事ではある。
　「ではこれで懸案事項は大体片付いたな」
　そう呟くファトラにアフラが怪訝そうな顔を向ける。
　「何どすかファトラはん。その”大体”とは？」
　「ああ…アフラ、一般論で構わないのだが長く病気を患った者がすぐに全快することはあるのか？」
　アフラはファトラの目を見つめる。
　一応ファトラは真剣な目をしているが相変わらず真意が読めない。
　「どういう意味やろか？」 すぐには答えず探りを入れる。
　「大したことではない。ただマリエルは今後暫くは投薬などが必要なのではないかと思うてな」
　それを聞いたイフリーナはファトラからアフラの方へ視線を移す。
　上の二人もアフラを見た。
　「どうなのアフラさん、まだ何も分らない状態では無理かもしれないけど、ファトラ姫が言うように一般論で良いわ。教えて頂戴」 三人を代表する形でイフリーテスが質問する。
　「何とも言えまへんが確かに暫くの間は薬の投与が必要かもしれまへん…しかし時間がかかるのは仕方ない、マリエルはまだ小さいですから少しずつ段階を踏みながら良くしていくしかないと思いますえ」
　「なるほど、体力的にもそうなるのは仕方ないかもしれないという事ね。だけど時間をかければ絶対に治るわよね」
　ついアフラに詰め寄ったイフリーテスだが答えは思わぬ方から来た。
　「エルハザード一の頭脳にロシュタリアの財力があれば必ず治る。心配するでない」 そう言い切ったファトラだがすぐに横を向く。
　「そうどすな。そやけどファトラはん、マリエルにだけそんな事をしてええんやろか？」 ちょっと意地悪な質問だ。もちろん意図的に尋ねている。
　それに対しファトラはすぐに答えを返す。
　「構わぬ。マリエルのような症状で苦しんでいる子供は他にもおるはずじゃ。マリエルに施した治療法で成果を上げる事ができればそれを公開することによりそういった子供達を救うことができる」
　そこまで話したとき周りが驚いたような表情で注目していることに気付く。
　慌ててまた横を向き
　「つまりマリエルはモルモットという事じゃ」 と言い放つ。
　「そうか…マリエルだけではないのだな。気付かなかった…ファトラ、お前は思った以上に頭が良いのだな。見直したぞ」 誉めているんだかけなしているんだか…。
　「ふ〜ん三人の中じゃ私の主、誠ちゃんが一番ましかと思ってたけどそうでもなかったみたいねえ」 しみじみ話すイフリーテス。
　「そうですね…ファトラ様ってもっと怖い方かと思ってましたけど本当は温かい方だったんですねえ」 イフリーナも同調する。
　当のファトラは首まで真っ赤だ。
　隣ではルーンが嬉しそうな顔をしている。
　「ファトラ、あなたに任せて良かったと思います。本当に素晴らしい裁定だと思いますよ。いえ、私だけでなく皆そう思っているはずです」 但し誠は除く。
　「姉上、まだ全て終わった訳ではありません」 無理に厳しい表情を作りルーンに向かう。
　「どういうことですか、ファトラ？」
　「アフラも言うようにマリエルにはこの先も投薬が必要かと思われます。その薬代を誰が負担するかが決まっておりません」 そう言ってファトラはイフリーナの顔を眺めた。
　それを見たアフラはファトラの意図を理解する。
　”なるほど、薬代と称して定期的にイフリーナを通わせるつもりどすか…策士どすなあ”
　ファトラの真意が掴めないルーンが質問する前にイフリーナが口を開く。
　「ファトラ様、私がお支払いします。ただ…そのう私はお金を持っておりません…ですから」
　「その時はまた同じ条件で雇って欲しいと言うことか」
　「はい。お願いできませんでしょうか。図々しいお願いだとは思いますが私ここしか頼るところがないんです。お願いします」
　一生懸命懇願するイフリーナにイフリータとイフリーテスが声をかける。
　「イフリーナ、お前がそこまでする必要はない。後は私が働いて薬を買おうと思う」
　「あなた一人が全てを背負い込む事はないわよ。私達は姉妹であなたは妹なんだから」
　二人に諭されるがイフリーナは強く首を振る。
　「イフリータお姉さんはマリエルちゃんの傍にいてあげて下さい。それがあの子には一番のお薬だと思います。イフリーテスお姉さん、まだお姉さん達の体は本調子ではないんです。ここは一番健康な私が働くべきです」
　いつもになく強い口調で言い切るイフリーナを二人はじっと見つめる。
　「どうやら決心は堅いみたいね。分ったわ、ここはあなたに任せましょう。私は何か違う方法でアプローチするわ」
　その言葉に大きく頷くイフリーナ。
　「お前達二人には色々として貰っているのに私は何もできない…なんだろう…この気持ちをうまく言い表す事ができない…。悔しいな、自分の気持ちを言い表せないと言うのは」 イフリータは悔しいと言うよりも辛そうな表情をしている。
　「焦っちゃ駄目よ姉さん。いずれ分るときが来るわ。それに姉さんは何もできないって言ったけどそんな事ないわよ。私達はマリエルが大好きだし、それに姉さんといると何となく安心できるわ」
　「そうですよ。お姉さんがマリエルちゃんと楽しそうにしているのを見ると私もお姉さんのように人と楽しく過ごせるようになるかもしれないって希望が湧いてきますし」
　イフリーナのこのセリフは失言だったかもしれない。
　「馬鹿ねえ、あなただったら誰とでもすぐにでも仲良くできるわよ」
　「そうだな。あの主さえいなくなれば簡単な話だ」
　「取り敢えずここにいる間は手を出さないって約束したけどその後の事は未定よねぇ」 にやりと笑う。
　「ああ、物を壊すとマリエルが悲しそうな顔をするが事情を話せば分ってくれるだろう」 何となく微笑んでいるように見える。
　「となると打つ手は一つよねえ」
　「大した手間もかからないしな」
　二人顔を見合わせて微笑む姿はその話の内容からは想像できないほど美しかった。
　が、
　「あ、あのイフリータさんにイフリーテスさん。すんまへんが考え直してもらえんやろか。あいつはイフリーナの主人である前に僕の友人や。それに菜々美ちゃんの兄さんなんや、あいつがおらんようになったら僕らも悲しい」 イフリーナより先に誠が頼み込んだ。
　「そうですよ。私のご主人様はイフリーテスお姉さんのご主人様である誠さんの親友なんです。私からもご主人様に余り変なことはしないようお願いしますのでどうか考え直して下さい」 誠に加勢して貰って幾分気が楽なのか一気に話した割には筋が通っている。
　「どうする姉さん」
　「そうだな…イフリーナの事を考えるとあんな奴はいない方が良いのだがな」
　考え込む二人にファトラが声をかけた。
　「イフリータ、バグロムの件は我が同盟の懸案じゃ。お主達は手を出さずとも良い」
　このセリフに再び周りはどよめく。ハイロウズではバグロムを全滅させようと神の目まで使ったファトラがそんな事を言うとは誰も思わなかったからだ。
　「なぜだファトラ？　バグロムがいない方がお前に取っても都合が良いのではないのか」
　「もちろんこのエルハザードからいずれは抹殺するつもりじゃ。だが今ではない。むしろ今は都合が悪い」
　「どういう事かしらファトラ姫。あなただけの思惑に左右される気は無いんだけど」
　「わらわのではない。政治的な判断からそう申しておる」
　「そうですね。できれば今暫くはこのままの方が望ましいかもしれません」 ルーンも同意する。
　「どういうことだルーン王女。バグロムなんかいねえ方がいいに決まってるじゃないか」 シェーラも納得できないようだ。
　また誠達も分らないようである。
　だがさすがにアフラと三神官の中でも年長者であるミーズは理解しており溜息をついている。
　「シェーラ・シェーラ、今バグロムがいなくなったらどうなると思う」
　誠や藤沢が理解できないのは彼らは異世界から来たため同盟の成り立ちや政治について疎いからであるし、それ以前に彼らはそう言うことに興味がなかった。
　しかしシェーラ・シェーラは大神官の一人である。
　いくら政治的には中立の立場にあるとは言え同盟の事が分っていないと言うのはちとまずい。
　シェーラが答える前にアフラがそれを制し、ミーズが口を開いた。
　「おホホホ…シェーラに代わって私が説明させていただきますわ。大戦前までは同盟はこのロシュタリアを首長国として堅い結束を保っておりました。所がその後ロシュタリアに対し反目する国が少数ですが出てきておりますの。これは大戦のダメージで軍事バランスが変ったためなんですけどもね。ですので今の同盟は対バグロムと言うことで辛うじて保たれていると言ってもいい状態ですの。お分かりになりまして藤沢様」
　「つまり今バグロムがいなくなったら、たがが外れた桶のようにバラバラになってしまうって事ですか」　藤沢は目を細めながら確認する。
　「そうなんですの。さすが藤沢様ですわ。ですから同盟の絆がもっと強くなって、そうどこかの国が強力なリーダーシップの元に同盟をまとめ上げてからなら問題はないんですけども」 藤沢を見つめながら解説する。
　だが少々例えがまずかったようだ。
　「ミーズ、ここが首長国ロシュタリアであると言うことを、更には同盟の宗主であるルーン・ヴェーナス殿下の御前と言うことも忘れているようだな」 顔を引きつらせながらファトラが突っ込んだ。
　ミーズも気付いて顔色が変わる。
　「い、いえファトラ姫、あくまでも一般論ですわ。勿論私はルーン殿下が同盟を勝利に導いてくれると信じておりますわ」 額に大粒の汗を浮かべながら弁解する。
　「そうですね。私もそうなるよう努力しております。またそのためにも大神官の方々にも色々とご教授願いたいと存じております」 ルーンが笑顔を引きつらせながら応えた。
　「勿論ですわ。おほほほ…」 ミーズも顔を引きつらせている。
　やれやれと言った表情でファトラが話を再開した。
　「そう言うわけでイフリータにイフリーテス、バグロムの事は暫く放って置いて欲しい。まあの大たわけがお主らの怒りを招くような事をした時は仕方ないと思うがそうでない限り静観してくれぬか」
　「どうするイフリーテス」
　「そうねえ…イフリーナちゃんを自由にした代償が人同士の戦争と言うのもたまらないわねえ。所でファトラ姫、私達がバグロムを見逃す事によってあなた達は利益を得るわけでしょ。私達は何か見返りを期待しても良いのかしら？」
　「ほう…お主、かなりずるっこくなったな。結構苦労してきたようじゃの」 一応感心しているようだ。
　「まあそれなりにね。一応は誉められたと思って良いのかしら」
　「もちろんじゃ。まだ嘘はつけぬようじゃがそれでも先ほどからの会話といい以前からすると別人のようじゃ。イフリータも変わったがやはりお主が一番じゃな」
　「そうだな。イフリーテスは私達の中では最も人に近いだろう」 イフリータも同意する。
　誉められたイフリーテスだが溜息をつき
　「ほんとならイフリーナちゃんが一番のはずなんだけどねえ…」 と答える。
　「すいません。私って出来が悪いみたいでなかなか覚えきれないんです」 ばつが悪そうにイフリーナは頭を下げた。
　「そう言うわけではないと思いますえ。やはり環境が悪いのと違いますやろか」 アフラが弁護する。
　「アフラさんもそう思う？昨日も姉さんとそんな話をしてたのよ。それにこの子ちょっと引っ込み思案な所があるからそれも影響してるかなって」
　その言葉を聞いてアフラはイフリーテスを見つめる。
　”この二人は以前とは全くの別人やね。この先どこまで伸びるんやろ。イフリーナにも普通の生活をさせてみとうおますなあ”
　「何よぅアフラさん、私の顔に何かついてるの」 アフラの視線に少々危ないものを感じたようだ。ちょっと警戒の色が出ている。
　「いやそういうわけではないんどすが…。あんたよく見てはりますなあ。普段一緒にいないとは言えさすが姉妹やねえ。確かにイフリーナの性格も左右しているかもしれまへんなあ。もう少し積極的に外に出ればかなり変わる可能性もあると思いますえ」
　アフラにも同意されイフリーテスは嬉しいようだ。にこにこしながらイフリーナの背中を叩いた。
　「ほら、アフラさんもそうだってよ。あんな虫かごにばかりにいないでたまには遊びに来なさいよ」
　「は、はあ。ですがご主人様の許可がないと外出できませんし、それに遊んでばかりというわけにも」 優等生的な回答を返すイフリーナ。
　顔を見合わすイフリータとイフリーテス。
　彼女らにとって主の命令は絶対だけにイフリーナの言うことも理解できる。
　かといって納得できるものではない。
　やはりここは彼女のためにバグロム城をと考えているところへファトラが声をかけた。
　「どうじゃ先ほどの見返りの件じゃが、わらわがイフリーナのために一肌脱ごうではないか」
　「お前にできるのか？　相手は聖大河の向こうにいるのだぞ」
　「もしできるんだったらそれ以上のものはないと思うけど可能なの？」
　二人揃って疑問符付きだ。
　それには構わずファトラはイフリーナに話し掛ける。
　「イフリーナ、先ほどの話だとバグロム城でのお主の主な仕事というのは掃除に茶と菓子の買い出しのようだな」
　「はい、その通りです。ご主人様はお茶が好物ですので切れると機嫌が悪くなるんです。ですからいつもは切れる前に買うようにしてたんですが、今回はちょっと忘れちゃいまして…てへへ」
　必要以上の事を話すイフリーナに対し余計なことを訊いてしまったとファトラは思ったが、気を取り直して話を続ける。
　「分った。で、今回お主に報酬として渡す茶と菓子だが、一ヶ月分にしようと思う。その代り高級品を出そう」 にやりと笑う。
　それに対しアフラと誠は感心したような表情になったがイフリータら三人は首を傾げている。
　「あのう…どういうことでしょうか…」 イフリーナが恐る恐る質問する。
　「茶は普段わらわ達がつこうておるような高級品。菓子は…そうじゃな、菜々美。お主なら陣内の好みを良く知っておろう。お主が用意したものをロシュタリア王家で買い取ろうではないか」
　「えー！　ほんと、ね、ほんとファトラさん。ほんとに私を通してくれるの？」 期待一杯の目で尋ねてくる。
　「ああ、イフリーナがそれで納得すればお主に任せよう。なんなら茶も任せても良いのだが」 きらりと瞳が光る。
　「大丈夫、私に任せて！　だてにお兄ちゃんの妹やってないんだから好みは全て分っているわ！　もうお兄ちゃんが絶対他のものは要らないって言うくらいのものを用意してみせるわよ！　だからお代の方は宜しくね。それとイフリーナ。お兄ちゃんは何かと好みがうるさいんだからここは大人しくファトラさんの言うことを聞いといたほうが身のためよ」 きっとイフリーナを睨む。
　一瞬首をすくめるイフリーナだがファトラの方を見て再度確認する。
　「あのう、ご主人様の好みに合ったお茶とお菓子を戴くのと私の外出許可とどういう関係があるのでしょうか？」
　ファトラは怒ることもなくゆっくりと説明を始める。
　「良いか、茶や菓子はただではない。しかも菜々美に頼んで特別に集めて貰うものだからそれなりに高価なものになるはずじゃ」 菜々美の方をちらりと見て微笑む。
　「薬の話しとも重なるが今回はお主への報酬としてこれらを与えると約束した。そして今後マリエルに必要な薬もお主がここで働いてと言う話であったがそれだけのためにあの間抜けがお主をここへ寄こすとは思えぬ」
　「それもそうね。それどころかマリエルのためなんて言ったら逆に絶対反対されるに決まっているわ」
　「全くだ。そんな奴だから虫とも仲良くできるのだろう。あいつを人類に分別して良いのかと思うくらいだ」
　「しかしマリエルの薬ではなく自分のための茶や菓子ならば喜んで出すはずじゃ」
　「なる…さすがファトラ姫ね。謀をさせたらエルハザードに並ぶ者がないと言われているのも頷けるわ」 感心したようにイフリーテスが感想を述べる。
　「ちょっとまて。誰がそんな事を言っておるのじゃ。人を悪徳政治家のように言いおって」 ちょっとむっとしている。
　「宿屋とかでたまにファトラ姫の事が話題に上がることがあるんだけど誰もファトラ姫と会ったことがないでしょう。で、その度に私が色々と説明してあげるんだけど大抵の場合そう言う方向に落ち着くわよ」 全然悪びれていない。
　「うつけものが！言われているのでなく、お主がそう言いふらしているでないか！」 こめかみの辺りがぴくついている。
　「ん〜私はただ聞かれたことに答えただけなんだけど…。だけどファトラ姫、この次はエルハザードで一番優しいお姫様だって説明するわ」 にっこりと笑う。
　「馬鹿を言え！　そんな風に言われるくらいなら鬼姫と言われる方がまだましじゃ！」
　「あら、それだったらとっくに言われているわよ。ロシュタリアの鬼姫だとか百合姫とか。その筋じゃ超有名よ」
　「誰が広めておるのじゃ、だれが！」 顔が真っ赤になっている。
　「イフリーテス、いい加減にしておけ。本筋からずれている。ファトラも許してやってくれないか。こいつもお前の情報を正しくインプットしていた訳ではないし悪気が有ったのでもない。今後そう言う噂を聞いたら私が責任を持って訂正するから勘弁してやってくれ」
　そう言って頭を下げるイフリータを見てファトラは苦笑する。
　「お主がそこまで言うので有れば今回は許そう。しかしイフリーテスは再教育が必要やもしれぬな。イフリータ、それもお主が責任を持ってやってくれるな」 口元が笑っている。
　「分った。同じ過ちを繰り返さないよう私が責任を持つ。いいなイフリーテス」
　イフリータのセリフは特に感情がこもっていた訳ではないのだがそれを聞いたイフリーテスは青くなっている。
　「お、お手柔らかにね…姉さん」 反抗できないことが分っているらしい。口答えせずひたすら頷いている。
　それを見て満足したのかファトラは話の続きを始めた。
　「では話の続きじゃが…あの半端者は自分のためならイフリーナを差し出すという話であったな」 一旦言葉を切りイフリーナを見つめる。
　「茶と菓子は一ヶ月分しかない。しかもあの人非人の好物じゃ。それを入手できるのはここロシュタリア城だけとなれば幾らアホでもどうすれば良いかは分るはずじゃ。よいかイフリーナ、お主がここで働いた報酬としてのみそれらをつかわそう。期間は、そうじゃな取り敢えず一週間から十日としておこう。その間、マリエルの薬を届けたり色々と使いを頼むと思うがな」
　「ほんとですか！　ファトラ様…有り難うございます。私…本当に有り難うございます」 言葉が見つからないようだ。
　「ファトラ」
　「なんだイフリータ」
　「有り難う」
　イフリーナの謝意には大して反応しなかったファトラだがこの一言は効いたらしい。
　一気に赤くなった。
　「た、大したことではない。イフリーナがここで働いておる間はバグロムも大人しくしておるはずじゃ。ギブアンドテイクに過ぎぬ。礼を言われる筋合いではない」
　「そう？　確かにそう言う面はあるのかもしれないけど私達にとっては最高の提案だわ。ありがとファトラ姫」 イフリーテスも誠意を込めて頭を下げる。
　口がきけなくなったファトラに代ってルーンがまとめた。
　「ではイフリーナがこの先ここで働く報酬としてマリエルのお薬とお土産にお茶とお菓子を用意します。お薬はアフラ様にお願いし、お茶とお菓子は菜々美様に調達していただく、それで宜しいでしょうか」
　「うちは構いまへんえ」 ゆっくり頷くアフラ。
　「私も！　見ててね、すっごいもの用意するから」 妙にテンションが上がっている。
　「あのう、ルーン王女」 誠がおずおずと声をかける。
　「なんでしょうか、誠様」 ルーンは嬉しそうに答えるが当然菜々美はあからさまに機嫌が悪くなった。
　「イフリーナの事なんやけどさっきファトラさん、イフリーナがここにおるのはロシュタリアにとってもメリットがある言うたでしょ。それやったら無理に働かせんでもええんやないかと思うんですが」
　「それもそうですね…」 やはり誠の言葉は大きいようだ。考え始めた。
　だが横からファトラが小声で諭す。
　「姉上、先ほどわらわはイフリーナを今後も同じ条件で雇うと申したのです。つまりその際には誠に監視」
　ファトラが全てを言いきらないうちにルーンは誠に答える。
　「誠様。仰ることはもっともだと思いますがやはり働いて得たものだからこそ価値が有るのではないでしょうか。ですのでイフリーナには先ほどファトラが出した条件で働いて貰いましょう」 第一王女という肩書きはだてではないようだ。
　「私もそれでお願いします。誠さんがそう言って下さるのは嬉しいんですが、やはり正当な理由無しに高価なものを戴くわけにはいきません」
　そう答えたイフリーナを周りが賞賛する。
　照れているイフリーナへファトラが念を押した。
　「では先ほど告げたようにゼンマイと監視の件はそのままでよいのじゃな」
　笑顔で問うファトラに対し、誠が抗議すべく立ち上がろうとした。
　が、イフリーテスに後ろから抱きつかれて立てない。
　更にイフリータがすっとゼンマイの先を誠の首筋に当てた。
　「イ、イフリータさん？」 声が裏返っている。
　「なんだ誠」 低い声で返す。
　「冗談は辞めて欲しいんやけど…」 うっすらと汗が滲む。
　「誠ちゃん、今の姉さんに冗談は通じないと思うわよ」 耳元でそっと告げる。
　「そ、そんなイフリーテスさん、僕はさっきは君を助けたやないか。今度は僕を…」 青い顔をイフリーテスの方へ向けた誠だったが彼女の目を見て口を閉ざす。
　「誠ちゃん、悪いけどその事とイフリーナちゃんの事は全然別なの。おとなしく姉さんのお願いを聞いて貰えないかしら」 ゆっくりと話すイフリーテス。やはり鬼神だけあって迫力がある。
　追いつめられた誠だったが今回は菜々美が援護しようとした。
　「ねえルーン王女、次回からは監視はなくても良いんじゃない？　それなりに信用して上げないと」
　その言葉に誠の表情が明るくなる。
　しかしファトラではなくルーンに話した所までは正解であったが、状況が悪かった。
　「菜々美様、誠様の衣装なんですが、女物をそのまま着ていただいた場合不都合が出てくるかもしれません。やはり誠様に合わせて仕立てる必要があると思うのですがいかがでしょうか」 逆に問い掛けてきた。
　菜々美はルーンが何を言いたいのかは分らないがルーンの言うことはもっともではないかと思うので取り敢えず頷く。
　「そこで菜々美様、菜々美様は針仕事もお得意でしたよね。もし宜しければ仕立てをお願いしたいのですが。生地はこちらで用意しますがもちろんかかった手間賃等お支払いいたしますよ」
　「え、ほんと？！」
　「今回だけでなく定期的にとなりますとその方が都合がよろしいかと思います。また着たきりと言うわけにはいきませんから数着必要でしょうし、痛んだりしたら新しいものが必要となると思うのですが」 ルーンの話はその意図が見え見えである。
　菜々美にとってはイフリーナが来る度に誠が監視の名目で彼女と共にルーンの傍にいるというのはしゃではある。
　だが儲け話には違いない…ほんのちょっとだけ考えてから答えた。
　「そうよね、まこっちゃんも男の子なんだし女物をそのままって訳にはいかないわよねえ。それに着替えもそれなりにないと困るだろうし。ここは一つ私が面倒見ますか」 やはりお金には勝てないようだ。
　「有り難うございます。それからデザインですが、基本から大きく逸脱しない限り変えていただいても結構ですよ」
　「え〜と、その場合は私のオリジナルって事でデザイン料もご請求させていただくことになりますけど」 揉み手しながら笑顔で尋ねる。
　「もちろん結構ですわ。それが他の侍女達にも好評だったら採用させていただく事もあるかもしれません」 にこやかに答えるルーン。
　「やるわ。任せて頂戴！まこっちゃん見ててね、すっごく可愛いのを作ってあげるから」
　菜々美がルーンに懐柔されようとしていたにも関わらず誠から苦情は出なかったのだが、菜々美が誠の方を振り向いてみるとイフリーテスが誠の口を塞いでいた。
　「うう…」 必至に何かを訴えようとする誠。
　しかし菜々美はそれには構わずにこっと笑って誠の手を取った。
　「だからしっかりお勤めしてね。それと私が作った服が引き立つよう可愛らしく振る舞わないと駄目だからね。私が事業を拡大できるかどうかはまこっちゃん次第なんだからがんばってよ」 誠の意志は関係ないらしい。
　「むぐぅ…」 涙を流している。
　「さて、これで懸案事項は全て片付いたな」 ファトラも誠には構わず周りを見渡す。
　誠を除きみんな頷いて賛同する。
　「ではイフリータにイフリーテス、アレーレに部屋まで案内させよう。暫し休んでいてくれ。イフリーナはゼンマイを置いてゆけ。後で服を届けさせるからアレーレにサイズを伝えよ。誠も一旦部屋へ戻れ。今回は間に合わないので申し訳ないが女物を着て貰おう。着替えたらイフリーナを連れてわらわの元へ来るように」 てきぱきと指示を出す。
　「じゃあ私はまこっちゃんのサイズを確認してからお店に戻るわね。さぁ忙しくなるぞぉ」 元気いっぱいだ。
　一方、誠は既に解放されていたが元気なく俯いていた。
　「ミーズ姉さん、うちらはどないします？」
　「あたいはなんか疲れちまったから部屋で少し休みてえぜ」
　「なに言っているの！　私達はこれからロンズ侍従長の所へ行って警備の打ち合わせよ。ねえ藤沢様」 少しでもイフリーテスから藤沢を引き離そうというのが見え隠れしている。
　声をかけられた藤沢だが、こちらはミーズに腕を取られ逃げたくとも逃げられない状況であった。
　誠同様元気がない。
　「待て、済まぬがアフラ・マーンは残ってくれ。診察に必要と思われるものを詰めておきたい」
　「そうどすな。マリエルは疲れてますから診察は明日以降になりますが準備せんとそれもできませんなあ」
　「申し訳ないわねアフラさん。私と姉さんがお手伝いするからなんでも言って頂戴ね。ルーン王女そしてファトラ姫、本当に有り難う。ここに来て良かったわ」
　「私もそう思う…お前達には借りができたな。必ず返すから待っていてくれ」
　イフリーナ並におおボケなイフリータの言葉に周りは苦笑するが取り敢えず彼女が言いたいことは伝わったようだ。
　「姉さん、それじゃまるで喧嘩に負けたときの捨て台詞よ」 笑いながらイフリーテスが突っ込む。
　「そうなのか？難しいな…こういうケースは『借りを作る』という表現をしたと思ったのだが」
　「大方合っているけど状況でまた変るからね。今の場合は感謝の言葉だけでも十分よ。ただ姉さんはまだ少し感情表現が苦手だから自分がどれだけ感謝しているのかを伝えるのも大変だと思うけど、それは少しずつ覚えていくしかないわね」
　「本当に私は学ぶ事が多い…そう言えば失敗するのも勉強だったな」
　「そうよ。失敗を恐れては何もできないし、それに失敗しても助けてくれる人は大勢いるわ。そうやって経験しながら覚えていくものなのよ」
　「焦らず、失敗を恐れずにか。お前はそうやって一人で学習してきたのか…苦労したのだろうな。だが努力しないと得られないものもあるのだな」
　「努力か…そうね、私達が備えていた能力は人に授けられたものだものね。だけど私が旅先で身につけたもの、姉さんがマリエルと学んだもの、これらは私達が自分で、また自らの意志で手に入れたものよ。これだけは誇っても良いと思うわ」 そう言ってイフリーテスは胸を張る。
　「確かにその通りだ。私が学んできたことは少ないが、それでも私の記憶、経験、これらは何ものにも代え難い大切なものだ。…所でイフリーナ、変な顔をして具合でも悪いのか？」
　見るとイフリーナは目をうるうるさせながら二人の話に聞き入っていた。
　「どうしたのイフリーナちゃん、私達別に変な話はしてないと思うけど」
　「違うんです…とても感動してるんです…お姉さん達はいっぱい努力されてたんですね。なのに私はのんびりと過ごしていて…私もお姉さんを見習ってがんばりますから色々と教えて下さい！」
　「イフリーナ、お前はもう少し力を抜いた方がうまく行くと思うぞ。元々の能力が高いのだから普通にしていても問題ない」
　「そうよイフリーナちゃん。ここにいる間、ルーン王女やファトラ姫とお話しするだけでも勉強になるわよ。さっきも言ったでしょ。焦っちゃ駄目だって」
　「は、はい！がんばります！」 結局二人が言ったことは分っていないようだ。
　「ふふふ、あんたらほんまに見てて飽きまへんなあ。失礼な事言うてすいませんが、あんたらは人とは違う。姉妹言うても血が繋がっている訳でもない。そやけどあんたらは誰が見てもちゃんとした姉妹やね。血やのうて心で、深い絆で結ばれた姉妹やと思いますえ」
　「全くその通りですね。私もそう思います。あなた方と出会うことができて本当に良かったと思います」
　アフラの言葉にルーンも同意する。
　「ほんまにそうやなあ…僕には兄弟がおらんからよくわからんけど陣内と菜々美ちゃん、ルーン王女にファトラさん、ほんまに仲がいい兄弟やけど君らも」
　誠が言葉を続ける前に抗議が入る。
　「ちょっと待ってよまこっちゃん！　なんで私がアレな兄貴と仲がいいのよ！　頭湧いてんじゃないの！」
　「誠様！　私達をあ〜んなおかしな人と一緒に並べないで下さい！　不愉快です！」
　「そうじゃ誠！　今度そのようなことを申してみよ。簀巻きにして聖大河に流すぞ！」
　「誠、言葉の途中だったが私達も同列にしていたな。どういうことだ」
　「誠ちゃん、あなたそれでも私の主なの。お願いだから恥ずかしいことを言わないで頂戴。主従の縁を切るわよ！」
　「あ、あのう誠さん、お気持ちは嬉しいんですがもう少し状況を見てから話された方がよろしいと思いますよ」
　「そうどすなあ。イフリーナにも分ることを口にするとは。誠はん、今日は色々あって疲れてはるとは思いますが迂闊どしたなあ」
　「まあまあ皆さん。誠は人と人との絆を強調したかっただけで、まあちょっとその例えが悪かっただけですし、ここは一つ私に免じて許してやって下さい」
　「そうですわ。誠さんも悪気があった訳ではないしここは一つ心を広く持って」
　誠を避難するファトラ達を元担任である藤沢がなだめ、ミーズもここぞと援護したのだが、シェーラがミーズに突っ込む。
　「だけどよう姉貴、もしかしたらあたいらも一緒にされてたかもしれねえんだぜ」
　その言葉にミーズとアフラは顔を見合わせ、続いて誠の顔を見た。
　「す、すんません。不注意やったと思います。以後気ぃ付けますますから堪忍して下さい」 ミーズ達に怒鳴られる前にと頭を下げる。
　「誠はん、うちらはまだ何も言うてまへんえ」 ため息をつきながらアフラが答える。
　「誠さん、そう卑屈にならないで。誰も責めてはいないわよ」 さすがのミーズも怒るに怒れない。
　菜々美達も言い過ぎたと思ったかそれ以上は何も言わず再度今後について打ち合わせを始めた。
　「誠、大変だったな」 藤沢がそっと声をかける。
　誠は顔を上げ呟くように話し出した
　「先生…僕なんか悪いことしたんやろうか。菜々美ちゃんには睨まれる。ルーン王女は変態扱いするしファトラさんからは女装を強要される。イフリータさんがゼンマイ向けてきてイフリーテスさんに恫喝され…もう散々や…」
　誠の愚痴に藤沢もうんうんと頷きながら答える。
　「俺はなあ…ただ静かに酒が飲みたいだけなんだ。なのに街中を引きずり回されるしこれから警備でまた街を回らなくっちゃならん。それもミーズさんとイフリーテスさんの抗争の煽りを受けてだぞ。ああ俺の自由はどこへ行っちまったんだ」 天井を仰ぐ。
　それから少しの間何も話さない。
　見るとルーン達はまだ何か打ち合わせているようだ。
　二人は顔を見合わせた。
　「先生！」
　「誠！」
　ゆっくりと頷く二人。
　「逃げましょう！」
　「そうだ！　自由を取り戻すんだ！」
　「このままここにおったらあかん」
　「ああ、ただ流される人生なんてそんなものは人生とは呼ばん」
　「手持ちのお金は少ないけどこの国を出るくらいなら何とかなるはずです」
　「なあに、いざとなったら山の中にキャンプを張って釣りでもすりゃあいい」
　「何よりも！」
　「一刻も早く！」
　「「ここから逃げる！！」」
　ガッツポーズで誓い合う二人。
　だが、
　「まこっちゃん、どこに行くって」
　「藤沢様、今なんと仰いました」
　慌てて周りを見ると二人は囲まれていた。
　「い、いつの間に！」
　「何を馬鹿なことを言っておる。あれだけ大声で話していれば部屋の隅にいても聞こえるわ」 ファトラから突っ込みが入る。
　「誠様、この国を出ると仰るのですか」 悲しそうな顔でルーンが詰め寄る。
　「藤沢様、そんなに私といるのがお嫌なのですか」 ミーズが悲痛の表情で訴える。
　「あら、そんなこと決まっているじゃない。やはり藤沢様は…」 言葉を続けようとしたイフリーテスだったがイフリータと目があい慌てて口をつぐむ。
　「誠さん…誠さんがいなくなったら私ここでお仕事できなくなります。お願いですから出ていくなんて言わないで下さい」 相変わらずイフリーナが涙目で哀願してきた。
　「誠、さっきお前はファトラの条件を呑んだはずだ。嘘をつくというのか」 表情が読めないだけに何とも言えないが少なくとも笑って許すなんて事はなさそうだ。
　「ぼ、僕はただ…」 言いたいことは山ほど有ったが周りに気圧されてうまく言葉が出ない。
　「誠はん、男やったら一度引き受けた仕事はちゃんとやらないけまへんえ」
　「そうだぜ。言うじゃないか人生楽あれば苦ありってよ。その内なんか良いことがあるかもしんないしここは大人しくファトラ達の言うことを聞いたらどうだ」
　「ほうシェーラ、珍しく良いことを言うのう。大神官はだてではないようじゃの」 アフラより先にファトラが突っ込む。
　「なんだとてめえ、あたいに喧嘩売ってんのか！上等だ、表へ出ろ！」 今までの恨みを思い出したらしい。本気で怒っている。
　「シェーラさん落ち着いて下さい。元はと言えば僕が変なことを言うたんが悪いんです。だから」
　「と言うことは誠、お主が責任を取ってくれるわけだな」
　「え！？」
　「今仰ったではありませんか。『僕が悪かった』って。つまり誠様はご自分で非をお認めになったのですわ」
　「確かにそう言ったわよねえ、まこっちゃん。『出ていくぅ』なんて言ったことは間違って気付いた訳ねえ。ちょっと遅かったけど」
　「だがすぐに謝ったのだから許してあげても良いのではないか？何でも叱ってばかりだとまっすぐ育たないそうだぞ」
　「姉さん、それは小さな子供の場合よ。確かに誠ちゃんはまだお子様だけどいい加減失敗する前に気付いて欲しいわねえ」
　「と言うことは何らかの制裁が必要と言うことか？」
　「そこまでせんでもええやろ。せいぜい反省文を書かせるとか、トイレ掃除をさせるとかそれくらいが妥当やないかと思いますえ」
　「すいません。話がずれていると思うのですが…」 藤沢が控えめに口を挟んだ。
　「ふむ、そうじゃな。どういたしますか姉上」 珍しくファトラがその意見を採用しルーンに投げる。
　「そうですね…取り敢えず誠様はご自分の誤りに気付かれたので反省して戴くだけで良いと思います」
　その言葉に周りも頷く。
　誠もほっとした表情を見せるがルーンは誠の方を見て更に言葉を続けた。
　「誠様には反省の意味も込めてきちんとお仕事を成し遂げて戴きたいと思います。特に今回は服装や装飾品等の評価も行いますからしっかりお願いしますね」
　誠は何のことか理解できなかったが周りからは質問が出ない。
　恐る恐る、尋ねたくはなかったが勇気を出して誠は訊いてみた。
　「あのう…『評価』って一体なんですか？」
　「聞いてなかったのまこっちゃん。さっきルーン王女が言ってたでしょ、私が作ったデザインが好評だったら採用してくれるって」
　「それがどうかしたんか？」 そこまでは知っている。問題はその後だ。
　「菜々美様は服だけではなく全体を見て欲しいと仰るんです」
　「全体？」 意味が分らない。
　「そうじゃ。この際だからお主の装備は全て菜々美が用意することとなった」
　「装備？」 相変わらずよく分らないが嫌な予感がする。
　「服とか化粧品、それにアクセサリーね。王宮のものってみんな納入業者が決まっているでしょ。だからあんまり変化がないのよね」
　「そこで菜々美様のご提案で誠様に菜々美様ご推薦の品を付けていただき周りに見て貰おうと言う訳なんです」
　「少々目立つかもしれぬが代わりにイフリーナが目立たなくなる。一石二鳥じゃな」
　「大丈夫よ、王女様より目立つような格好にはしないから」
　「どんなお姿になるのでしょうね。楽しみですわ」
　「何なら姉上もご用意されてはいかがですが。ご自身で誠に化粧するのも楽しいかもしれませんよ」
　段々顔色が悪くなっていた誠だったがこのファトラの言葉で一気に白くなった。
　「ちょっとファトラさん、まこっちゃんの事は私に任せてくれるって話でしょ」 慌てて菜々美が釘を刺す。
　「良いではないか。そうじゃな、お主の手伝いでと言うことならば構わぬだろう。お主の用意したものを使うのだから問題有るまい」
　考え込む菜々美。スポンサーだけに余り無視するわけにはいかない。
　「菜々美様、お化粧の方法とかコツみたいなものをお教えいただければと思うのですが。もちろん手数料は考慮させていただきますが」
　「全然構わないわ！　ルーン王女、なんなら毎日でも良いわよ」
　「有り難うございます。色々と教えて下さいね」
　「任せて頂戴」
　楽しく談笑（商談）している二人を見て微笑んだファトラは目を横へ向けてみる。
　思った通り誠がゆっくりと後ろ向きのまま移動していた。
　やれやれとファトラは首を振る。
　案の定、先回りしていたイフリーテスにぶつかりそのまま捕獲された。
　「誠ちゃんどこへ行くの」 そっと尋ねる。
　「イ、イフリーテスさん、お願いや、見逃して下さい。一生のお願いや」 必死の形相で頼み込む。
　「誠ちゃん、同じ事を姉さんにも言ってみる？」 思いっきり声が冷たい。
　誠はゆっくりと横を見た。
　「誠、やはりさっき言ったことは嘘なのか」 静かに問い掛けてくる。
　「ねえご主人様、もう二度と逃げないと誓うのなら私が姉さんに取りなしてあげても良いんだけど」 どちらが主人なのか分らない。
　イフリータのゼンマイがゆっくりとこちらを向く。
　「誠ちゃん、今ならまだ間に合うわよ」
　大きく頷く誠。
　それを見てイフリーテスは手を放した。
　「誠、この次は制裁を与えるからな」
　その言葉に誠は何度も頷く。
　「恐いわよ、姉さんの制裁って」 耳元で呟く。
　顔は思いっきり笑っているのだがもちろん誠からは見えない。
　誠は白くなった顔をイフリーテスへ向けた。
　「大丈夫だって、大人しく言うことを聞いてくれれば何もしやしないわよ」
　誠は何も答えずただ頷くのみであったが今度はイフリータが後ろから話しかけてきた。
　「その通りだ。第一お前がいないとイフリーナを雇って貰えなくなる。手荒なことをするはずがないだろう」
　振り向いた誠は心なしかイフリータが笑っているように見えた。
　「あ、あのイフリータさん…」 怖々と声をかける。
　だがイフリータが答えるより先にイフリーテスがまた耳元で囁いた。
　「ふふふ誠ちゃん、姉さんの制裁というのはね…」 周りに聞き取れないくらい小さな声で話す。
　もっともルーン達はまだ商談中でファトラを除き誠に注意を払っていなかったが。
　イフリーテスの話を聞き終えた誠は驚愕の表情でイフリータを見る。
　「イフリータさん…僕にゼンマイを向けたんわ…あれは…」
　「ああ、脅かしただけだ。さっきも言ったようにお前を傷つける訳にはいかないからな」
　「大体誠ちゃんが逃げ出したとしても私達、いやファトラ姫から逃げおおせると思う？」
　「だがそれはそれで面倒だからな。一番楽な方法を採らせて貰った」
　「ま、姉さんが言う所の制裁を除いて本気じゃなかったって事よ」
　「そ、それじゃあ今の話は」
　「そうだな…冗談と言うわけでもないがそれに近いな」 ちょっと考えるようにしてイフリータが答える。
　「言ったでしょ、姉さんの冗談って洒落になってないって」 面白そうに話しかける。
　「じょ、冗談…」 呟いきながら誠は座り込む。どうやら腰が抜けたらしい。
　「どうした誠、立てないのか？」 イフリータがのぞき込んでくる。
　「は、はい…なんか気ぃ抜けてしもうて…」
　「しょうがない奴だな」 そう言って誠に肩を貸す。
　「ほんと困ったご主人様ねえ」 イフリーテスが笑いながら反対側を支えた。
　「全くだ」 イフリータも賛同する。
　ちょっとむっとしながら顔を上げた誠は優しく笑みを浮かべているイフリータを見ることができた。
　「イフリーナを頼むぞ誠」
　その言葉に誠はゆっくりと頷いた。


[BACK]　[TOP]　[なかがき]