11.ルーン殿下の007

 「ふう…やっと収まりましたなあ…」 溜息混じりにアフラが口を開く。
 イフリータとマリエルの件についてその方針が決まったのは良いが誠の扱いが、まあ扱いというかルーンと菜々美の綱引きと言った方が正解か。
 ルーンは少しでも誠を傍に置きたいと願い、菜々美は商売に差し障りが出ない限りそれを阻害したいと思っていたので大変だ。
 二人にだけ任せていては先へ進まないのでファトラが介入した。
 「詳細は後日!」
 今回は誠の衣装等は既存のものを使うことになっておりこの場で細かく決める必要はない。
 元々基本的なところは決まっていたので残りは次回に、と言う方が正解だ。
 両者とも言われて気づいたのだが、誠が絡んでいただけになかなか納得できなかったようである。
 アフラが溜息をつくのも無理がなかった。
 その後イフリータ達はアレーレに案内され客間へ。
 ミーズはシェーラを伴ってロンズの元へ。もちろん藤沢を引きずっている。
 誠は湯浴みを命じられ不承不承退出。その後は部屋で待機するよう言われている。
 そのまま逃亡することも考えはしたのだが、イフリータとイフリーテスに言われたことを思い出し諦めた。
 確かに彼女らだけでなくファトラからも逃げ切れるとは到底思えなかったからだ。
 菜々美は仕事も残っており誠のサイズを確認したあと店へと戻った。
 部屋に残ったのはルーンら三人だけである。
 先程までと違い部屋の中は静穏であった。
 さすがにファトラも少し疲れたような顔をしている。
 それなりにプレッシャーを感じていたのか、それとも実姉ルーンと菜々美のやりとりが原因か。
 「ああ、ちょっとしたごたごたはあったが巧くいったのではないかと思っておる」
 「私もそう思います。ファトラ、良くやってくれました。本当に感謝してます」
 ルーンの言葉に対しファトラはゆっくり首を振った。
 「姉上、まだ始まったばかりです。結果が出なければ何にもなりません」
 少々ぶっきらぼうに答えるファトラを見てそっと微笑んでからアフラが切り出した。
 「所でファトラはん、どうしてバグロムのスパイを逃がしたんどすか?」
 じっとファトラの目を見つめている。誤魔化しはききまへんえ、と言っているようだ。
 ルーンも同じくファトラを見つめている。
 「イフリーナの話によると以前よりスパイが出入りしていたのは間違いない。これからは警戒を強めるとは言え相手は小さな虫じゃからな、絶対にとは言い難い」
 一旦言葉を切り二人の顔を見てから話し出す。
 「あの虫はわらわがイフリータ達を連れてきたときにはいなかったように思う。恐らくストレルバウを叩き出した後くらいではなかろうか」
 「何を言いたいのですかファトラ」 ルーンはすぐに結論を述べないファトラに少しだけ苛立ちを見せた。
 「申し訳ございません姉上。今暫くお付き合い下さい」 軽く会釈する。
 「分りました。確かにあなたが言うようにスパイが部屋の中にいたのはそれほど長い時間ではないと思います。ですがその間の情報でさえ重要事項だと思いますよ」 やや不満顔のルーン。
 「賭ですよ」
 「賭?」
 「ええ、恐らくスパイに聞かれた内容はイフリーナに関する事と思われます。ですが陣内の元へどれだけの量、そして質で伝わるかは見当がつきません」
 その言葉にはっとした表情になる二人。
 「伝わった内容を確認しようと言うことですか」
 「その通りです。もちろんどれだけの情報が漏れたのかは見当はつきません。しかしどれくらい正確に伝わっているのかを見極められればそれに応じた対応を取ることにより情報戦を優位に進めることができると考えております」
 「なるほど。場合によっては情報操作を行うこともできると言うわけどすな」
 「そうじゃ、今後イフリーナがこの城へ定期的に来ることができればどういう情報が伝わっているかを確認できる」
 「やはりイフリーナをダブルエージェントにするつもりでしたか」 にやりと笑う。
 「恐らく陣内はこちらの動向を探らせるつもりでイフリーナを寄越したのではないかと思う。だが彼女にそう言うことを期待した時点で作戦は失敗じゃ」
 「まあ直接スパイしてこいと言うよりはましかもしれまへんけど。ところでどうやってイフリーナから情報を引き出すつもりどすか?」
 「その事については余り考えなくとも良いと思う」
 「そうですね。私達は余りにもバグロムについて知らなすぎます。イフリーナから何か話しを聞くだけでも得られるものは大きいでしょう」
 「わらわ達はイフリーナがいるときは機密に近付かないように気を付けるだけで良い。また彼女の行動については誠に釘を刺すだけで十分であろう」
 気楽に話すファトラに対し、ルーンは誠の名が出た瞬間少しだけ眉を寄せる。
 「ファトラ、誠様に本当のことを話すのですか?」 できることなら誠には政治の裏事情みたいなものを知られたくない、見せたくないと思いながらルーンは口を開く。
 ファトラはそんなルーンの心の内が見えるのか、かすかに微笑んでから答えた。
 「いえ誠に話すつもりはありません。第一わらわの計画を聞いたら誠はまた反発するでしょうし、仮に納得したとしても平常心でイフリーナに接することはできないでしょう。ですので姉上も余り意識することなく振る舞うようお願いいたします」
 「そうどすな。誠はんはそんな器用なお方やおへんからなあ。今の話はミーズ姉さん達にも内緒にしておきまひょ。もっとも姉さんはそんな余裕はあらしまへんやろうけど」 そう言ってアフラは笑顔を見せる。
 「分りました。この件は他言無用と言うことでお願いします。ロンズには後でスパイ対策の一環と言うことで私の方から伝えておきましょう」
 「お願いします姉上」
 「所でファトラはん、イフリーナが陣内の元へ戻り、ロシュタリア城で何をしてきたかを話したらさすがの陣内も気付くのやないかと思いますが」
 「それも考えておる。イフリーナにはここで見聞きしたことのみ話すよう、つまり自分が話したことは伏せさせるつもりじゃ」 ファトラはここまで話してにやりと笑う。
 「どう言うことですかファトラ?」
 「あのイフリーナがここでどのように過したのかを話さないと言うことは有り得ません。また一切話さないと言うのはまずいでしょう。ですのでイフリーナ自身が見たこと、聞いたことそして経験したことは話しても構わないと思っております。ですがバグロムについて語ったと言うことを陣内に知られるのは困ります」
 「なるほど、情報を操作しようという訳どすな」
 「ですがあのイフリーナにそんな事ができるでしょうか」 やや懐疑的な口調で問い掛ける。
 「因果を含めようと思っております」
 「因果を?」
 「ええ。ご覧になったようにイフリーナはマリエルのために一生懸命になっています。また久し振りに再会した姉達の事も大変気にかけております」
 「そうですね。見ていて微笑ましいくらいです。できることなら彼女をバグロムから引き離したいと思った程ですよ」
 ルーンは同情を込めて話す。ただし誠のことを除けば、と言う条件が付くが。
 「イフリーナには折を見て話すつもりですが、帰ってからも余り楽しそうにしていると遊んでいたのではないかと陣内が思うかもしれぬ、そうなると今後外出できなくなる可能性があると」
 「ファトラはん、イフリーナに嘘をつけと言うつもりどすか?」 アフラが怪訝そうな顔を見せる。
 「そうじゃ。バグロムへ戻り報告を行う際には限られた事のみを、もちろん怪しまれない程度に伝えるようさせるつもりじゃ」
 嬉しそうに話すファトラを見てルーンはふと疑念が湧いた。
 「ファトラ、もしかしてわざとイフリーナに嘘をつかせようとしていませんか?」
 「分りますか姉上」 笑顔で即答するファトラ。
 ルーンは頭を抱えた。 
 「どう言うことどすか?」 今度はアフラが質問した。
 「ファトラ、あなたの気持ちは分ります。ですが…」
 「姉上、本来なら死罪に相当するのです。恩赦を与えるための条件みたいなものですよ」 涼しい顔をしている。
 アフラの疑問は無視された形になったが今の会話で十分だったようだ。ゆっくりと頷いてから口を開いた。
 「なるほど、イフリーナは嘘を言えるとはいえ良心に呵責を覚えるようやし、何よりもそれを命じた陣内へ対する報復どすか」
 「そうじゃ。イフリーナは許せてもあの外道だけは絶対に許せん!あやつはイフリーナをスパイとしてここへ寄越したのじゃ。思惑通り進まない所か逆に情報が漏れていたと知ったときの顔を是非見てみたいものじゃ」
 ファトラの端正な顔にサディスティックな笑みが浮かんだ。
 それを見てアフラは溜息をつきながら口を開く。
 「まあそれであんたはんから許して貰えるんやったらイフリーナはラッキーやね。そやけどもしその事が知られたらどうするつもりどすか?」
 「そうですよファトラ。もしかしたら彼女は処刑されるかもしれないんですよ」
 いつもと変わらぬアフラとややきつい表情をしているルーンを見比べてファトラは答えた。
 「その時はイフリーナの自業自得と言うわけです」
 平然と答えたファトラは叱咤しようとしたルーンを制し更に言葉を続ける。
 「もちろん冗談ですよ姉上。この件はわらわ達しか知りません。また今後この件を話題にすることもない、つまりこの城から漏れることは有り得ないのです。次にイフリーナですが、先ほどわらわは因果を含めると申しましたが何もきつく言う必要はありません。本人が納得すれば良いのです。世間話をするような感じで話すつもりでいます」
 「ですがつい口が滑ってということもあるかもしれません。もしあの子に何かあったら上の二人が黙っていませんよ」
 「分っております。イフリーナと話すときは他の者も交えて、できれば誠も賛同できるようにしたいと思っております」
 説明するのに疲れたようだ。顔には出さないがややうんざりしたような口調のファトラに今度はアフラが問い掛ける。
 「イフリーナや誠はんはともかくイフリーテスは気付くのと違いますやろか?ファトラはんも分っていると思いますけど三人の中では彼女が一番くせ者どすえ」
 「ああ、イフリーテスには予め話しておこうかと考えておる。恐らく納得するだろうし協力もしてくれると思う。だがもしもイフリーナが失敗したら…万一処刑されるなどということになったらただでは済むまい。もちろんイフリータも同様じゃ」
 「そこまで分っていながらイフリーナにスパイをやらせようというのですか」
 思いっきり視線がきつい。
 ファトラは一瞬目を伏せたあと顔を上げてルーンの顔を見据えた。
 「そうならないよう予め手段を講じたいと思います。連中は来たばかりです。帰るまでには時間がありますからそれまでに妙案をご披露しましょう」 そう言って笑うファトラ。
 ルーンは納得しなかったものの答えが返ってこないことが分っているのかそれ以上訊こうとはしなかった。
 だがアフラはファトラの顔をじっと見つめている。
 何か話そうとしたときアレーレが戻ってきた。
 「申し上げます。イフリーナお姉さまのスリーサイズを調べてまいりました。また誠様は湯浴みを終えてお部屋に戻られています」
 「ご苦労。ではイフリーナと誠の衣装を用意せよ。準備でき次第わらわの元へくるように…そうじゃな、アレーレ、今回だけ誠を手伝ってやれ。わらわの影武者ではなく侍女となる訳じゃ、要領が掴めぬかもしれぬ。それに化粧も少し変えねばなるまい」
 そしてファトラはルーンをちらと見るような仕草を見せる。
 案の定ルーンは口をはさんできた。
 「ファトラ、私も誠様のお手伝いをしてきます。アレーレ、先に私の執務室へ寄ってサリナを呼んで下さい。彼女にも誠様のフォローをお願いしたいと思います」
 「それはよい考えです。彼女ならうってつけでしょう。ではアレーレ、姉上の指示に従い誠の世話を。それからイフリータとイフリーテスには夕食時まで自由に過ごせと伝えよ。但し城外に出ることは禁止じゃ」
 「分りました。ですがファトラ様よろしいのですか?お世話するものがいなくても…」
 不安そうなアレーレに笑顔で答えるファトラ。
 「後はイフリーナに侍女としてしっかり仕えるよう伝えればやることはない。部屋で休んでおるから気にするでない。それにわらわの侍女はアレーレだけじゃからな」
 「はい!了解いたしました!しっかりとご奉公してまいります!」 気合十分だ。
 「頼むぞ。では姉上、後はよろしくお願いします」 ゆっくりと頭を下げる。
 「ええ。ではアレーレ、衣装と化粧品をお願いしますね。私は先に誠様のお部屋へ行ってますから」
 「はい!ただちに!」
 部屋を出ていく二人を見送るファトラとアフラ。
 二人きりになったところで改めてアフラがファトラに問い掛けた。
 「ファトラはん、さっきの件やけど」
 「先ほどの?」 首を捻ってみせるファトラ。
 それには構わずアフラは言葉を続けた。
 「あんたはん、次までに答えを用意する言わはりましたけど実はもう考えておるんやないですか?」
 「次というと…おお、誠をどうするかじゃな」
 とぼけようとするファトラの顔を正面から見据えてアフラは再度問い掛ける。
 「あんた何を考えてます?」
 ファトラはアフラの視線をしっかりと受け止めたもののすぐには答えようとしなかった。
 ややあって観念したかの如く口を開く。
 「わらわの部屋へ行こう。別に姉上の部屋だからどうと言うことはないがやはり自分の部屋が落ち着くのでな」
 「よろしゅうおす。しっかりと聴かせていただきまひょ」
 ファトラはイフリーナのゼンマイを手に廊下へ出る。
 アフラもすぐに隣に並んだ。


 風の大神官と首長国ロシュタリア第二王女の組み合わせ。
 一見ごく普通のように思えるがこの二人をよく知る者が見たら妙に感じたであろう。
 エルハザードでも有数の識者とエルハザードで並ぶものがない美少女愛好家…。
 二人きり並んで歩いている事は普通なら余り考えられない。
 やはりそう感じたものが近くにいたらしい。
 二人を見るや気づかれぬようそっと近づき廊下の角や置物に身を隠しながら後をつける。
 周りから見るとその姿は大変間抜けなものではあったがファトラ達はそれに気づかないのか後ろを見ることもなく廊下を進んでいった。
 だが部屋についたファトラとアフラは扉を閉めるなり壁に張り付く。
 「さあアフラ、ここなら誰も来ぬ。ゆっくり話ができるぞ」
 少し声を落としてファトラが話せばアフラも同様に声を潜める。
 「そんなファトラはん…うちはそんなつもりじゃ…」
 「ならばなぜついてきた」
 「そ、それは…」
 「言わなくともよい。お主の気持ちは分っておる…あとは…」
 と話しながらファトラが目で合図する。
 次の瞬間アフラが扉を開けた。
 外で聞き耳を立てていた人物が支えを失い転がり込んでくる。
 そこへファトラが手にしたゼンマイを突きつけたのだが、
 「なんじゃお主か」
 「あ、あらファトラ姫じゃない♪ お元気?」 転がったまま手を挙げて挨拶したのはイフリーテスである。
 「誰かと思いましたえ」 アフラも呆れているようだ。
 さすがにばつが悪そうな顔で体を起こすイフリーテスだったが起き上がってから不思議そうに質問する。
 「だけどどうして私が後をつけてたのが分ったの?気配は消していたのに」
 「当たり前じゃこのうつけが。あれだけ露骨な視線を送っておきながらその直後にその気配が消えれば誰だって変に思うであろうが」
 「あ、なるほど…じゃあこっそり後をつけたりしないで堂々とついていった方が良かったのかしら」
 「その方がなんぼかマシやったろうね」 苦笑しながらアフラが答える。
 「まあよい。お主にも関わることでもあるし聴いていくがよい」
 「え、私にも関係あるって…もしかして私と藤沢様との結婚し」 そこまで話したところでファトラのジト目に圧されたのか口をつぐむ。
 「もう少し状況を考えたらどうじゃ?その性格、悪いとは言わぬが場合によっては火傷をするぞ」
 ファトラに諭されるというのも避けたいところではあるがイフリーテスは大して気にならないのか明るい調子で答える。
 「だって一度しかない人生ですもの。楽しまなくっちゃ損でしょ?」
 「まあその通りでおますが…あんた何年生きてますの?」
 「ちっちっアフラさん、美女は年を取らないものなのよ」
 指を振りながら答えるイフリーテスにやれやれという表情のアフラ。
 二人を見比べてからファトラが口を開いた。
 「二人ともこんな端で立ち話もあるまい。アレーレがおらぬので何のもてなしもできぬがくつろいでくれ」 そう言って部屋の中央へ進む。
 「あらアレーレちゃんはどうしたの?」
 「部屋で会わなかったのか?」
 「うん、部屋に案内されたあとすぐに外に出たから」
 「せっかちな奴じゃな。アレーレには今日だけ誠の世話をするよう言いつけておる」
 「誠ちゃんの? そう…じゃあ私がお茶を入れるわ」
 その言葉に顔を見合わせるファトラとアフラ。
 怪訝そうな表情を見せる二人に対しイフリーテスはにこりと笑って言葉を続ける。
 「大丈夫よ。これでもあちこちで仕事しながら暮らしてきたんだから。レストランに勤めたこともあるしお茶の入れ方なら知っているわ」
 そこまで言われるとさすがに止めろとも言えない。
 少ししてどう答えたものかと思案する二人の前にお茶が差し出された。
 イフリーテスは戸惑ったような表情の二人を上目遣いに見てにやりと笑ってみせる。
 「大丈夫よぉ毒なんて入っていないからぁ」
 「ふふ…ははは…その通りだな…済まない。では一服いただこう」
 そう言ってファトラはカップを持ち口に近づける。ほのかな香りが心地よい。
 アフラもゆっくりと口をつける。
 「ほう…これはなかなか…素人ではこの味と香りは出せまへんなあ…」
 「全くじゃ…アレーレでもここまでのものは難しい…大したものじゃ」
 「ありがと。そう言って貰えると嬉しいわ♪ 修行した甲斐があったってものね」 笑顔で応えるイフリーテス。
 「もっとも味さえ覚えればあとはそれほど難しくはないんだけどね」 そう言って今度は舌を出す。
 「ふむ…同じものを作り出すのは簡単や言うことどすか?」
 「ん〜お茶や食べ物の場合は相手次第で微妙に変わるからそこまではね。木彫りの彫刻とかならいくつでも寸分違わぬものを作れるわよ」
 「なるほど感覚的なものはいつも同じというわけにはいかないからな。それにしてもよく学習したものだな」
 「そうね…私達、いえ私って一応味覚はあるんだけどどういうものが美味しいのかは分からなかったのよ。だから人の意見を聞きながら勉強したって訳」
 嬉しそうに話すイフリーテスにファトラがにやりと笑ってつっこんだ。
 「と言うことは初めの頃は人体実験をしながらデーターを集めたと言うことか。さすが伝説の鬼神じゃのう」
 「え、いやそんなことは…確かに最初は沸騰したお茶出したり唐辛子てんこ盛りのスープ作ったりしてたけど今はお茶ならちゃんと入れられるわ。お料理の方は種類多くてまだ覚えきれないけど、いつかきっと私のハニーが『君の手料理はとっても美味しいよ』って言ってくれるに違いないんだから」 と手を合わせ頬を染めながら話す。
 「茶が料理と比べてそれほど簡単だとは思えぬが。茶も色々な種類があるではないか」 ファトラが今度はまじめな顔で問い掛ける。
 「えーとね料理もそうかもしれないけどお茶って人とコミュニケーションを取るのにもいいものでしょ。だけど料理を一緒に食べる機会ってお茶ほど多くはないしそれに人の好みはお茶以上に難しいし。だからお茶なの」
 ちょっと困ったような表情のイフリーテスをファトラは優しく見つめた。
 「全くその通りじゃ…お主は本当に苦労してきたのじゃな。だがそれは必ず報われるはず。今しばらく辛抱するがよい」
 次の瞬間慌ててカップに口をつけるファトラ。イフリーテスは嬉しそうに笑っている。
 一方アフラはファトラと同じ感想を持ちながらもやはり学者としての好奇心が先に出たようだ。わくわくするような表情をしている。
 そんなアフラの顔を怪訝そうに見るイフリーテス。
 「ちょっとアフラさん、時々私を変な目で見てるけど…言っておくけど私そんな趣味ないからね」
 「え?…ふふ…すんまへんなあ。確かにあんたらに興味はありますけど変な意味やおへんえ。さっきファトラはんも言うとったけどあんたとイフリータは以前とはまるで別人のようやね。しかもせいぜい数ヶ月しか経ってない…この先あんたらはどれくらい伸びるんやろうと思うてね」 そう言ってクスリと笑う。
 「ふ〜ん私達の成長ねえ…それだったらイフリーナちゃんの方が一番伸びるんじゃないの?」
 「そうかもしれまへんが今のままでは駄目どすな。やはりそれなりの環境におらんと」 今度はややきつい表情になる。
 「だけど今後定期的にロシュタリアへ来るんだし大分改善されるのじゃないかしら」
 一生懸命弁護するイフリーテスに対しファトラとアフラは顔を見合わせてからゆっくりと頷く。
 「なによ!私間違ったことを言った!?」
 二人の態度にかちんときたらしい。むっとしている。
 「そうではない。確かにお主の言うとおり定期的に来訪することによりイフリーナも経験を積むことができるであろう」
 「じゃあなぜ」
 納得がいかないと言った感じのイフリーテスを制しファトラが言葉を続ける。
 「先ほど、陣内は茶や菓子を得るためにイフリーナを出すであろうと述べたが、必ずしもそうでない可能性もあるのでな」
 「どういう事?」 今度は一転して不安そうな顔になるイフリーテス。
 「イフリーナはバグロム城に戻ったら報告がてら多くのことを話すであろう。そのこと自体は問題ないと思うがその際余りにも楽しそうにしているとあの陣内のことじゃ、実は遊んでいたのではないかと猜疑心を抱く可能性もある」
 「あるいはイフリーナに嫉妬するかもしれまへんなあ。多くの人と交流を深めてますから」
 じっと考え込むイフリーテス。その表情からはいつもの陽気さや先ほど見せた不快感とか言った感情は一切感じられない。
 それだけ集中しているのだがそれでも答えは出なかったようだ。再び不安そうな顔に戻り問い掛けてくる。
 「ねえどうしたらいいの?どうしたらあの子をここへ来させることができるの?」
 「分からん」 素っ気なく答えるファトラ。
 「わらわは陣内ではないのでな。だがある程度想像は付く」
 その言葉にすがりつくようにイフリーテスが口を開く。
 「お願い…私にできることならなんでもするわ…もしもあなたが私を…」
 「馬鹿なことを言うでない!」 大声でファトラが叱咤した。
 「そのようなたわけたことを申すと今までの決定事項を全て破棄するぞ!」 かなり興奮している。
 「まあまあファトラはんそれくらいにして。イフリーテスも心底イフリーナの事が心配やから思わず口に出たんやろ」
 「それは分るがあのようなたわけたことを…」
 「ふふふ…ファトラはん、イフリーテスはあんたの趣味から外れとりますか?」
 からかうようなアフラの言葉に多少落ち着いたらしい、ファトラはいつもの表情で答えた。
 「そうではない。だがどんな手段、たとえそれが正攻法であったにせよそれでこやつをものにしてみい、周りから『姉を落とせなかった代わりにその妹に手をつけた』と言われるではないか」
 「それではあきまへんか」 意外そうな顔のアフラ。
 「当たり前じゃ。わらわの沽券に関わる」 まじめな顔で答えにやりと笑う。
 それにつられたかのようにアフラも笑顔を見せたがイフリーテスは表情が暗い。
 「あ、あのファトラ姫…ごめんなさい。その…変なことを言って。だけど」
 再びイフリーテスの言葉を制してファトラが口を開く。
 「もうよい…お主達姉妹の欠点じゃな。互いの事になると見境がなくなると言うか人の話をちゃんと聞かなくなると言うか…ともかく人が真面目に話しているときは最後まで大人しく聴くように」
 珍しく真面目な顔で話すファトラの隣ではアフラが何を思ったのか笑いを堪えている。
 「さて話を戻そう」
 イフリーテスは座り直してファトラの顔を凝視する。そのイフリーテスを面白そうにアフラが見つめているが今度は気にならない、と言うより余裕がないのであろう。
 「イフリーテス、そんなに見つめるでない…照れるではないか」 おどけたようにファトラが言う。
 一瞬イフリーテスは気が抜けたような表情を見せたがすぐに元のきつい顔に戻る。
 彼女が何か言う前にファトラが話を続けた。
 「もう少し肩の力を抜いたらどうじゃ。余り緊張すると逆に話の要点を漏らすこともあるぞ」
 その言葉に困ったような顔を見せるイフリーテス。
 「だけどリラックスしろと言われても無理だわ」
 「だがもう少し余裕を作らねばよい考えも浮かばぬ…そうか、こういう局面に慣れておらぬのじゃな。そうだな…可能な限りゆっくりと考えるのじゃ。よいな」
 その言葉に大きく頷くイフリーテス。
 一方アフラは二人の会話を楽しんでいた。
 ファトラが話す内容も普段の彼女の行動からは想像しづらくそれなりに面白いものであったがやはりイフリーテスに興味の大半が向いているようである。
 会話に口を挟むこともせず観察を続けていた。
 「イフリーナが報告する際に感情を出さずにと言うのは不可能だと思う。だがその話の内容が陣内にとって興味深いものであるなら我慢するのではないか」
 言葉を切ったファトラの顔を見つめたまま考え込むイフリーテス。
 「確かにそうかもしれないけど…どういう内容なら興味を引くことができるのかしら…」
 「例えば誠ならどうじゃ。あの外道は誠の事を異常なくらい敵視しておる。憎い誠の情報ならどんな事でも欲しがるのではないか」
 「なるほど…誠ちゃんねえ…」
 「あとはわらわや姉上の事じゃな。ロシュタリアの、そして同盟の指導者であらせられる姉上の情報はそれこそ喉から手が出るほど欲しいに違いない。わざわざ虫どもを訓練して寄越すくらいじゃからな」
 にやりと笑ったファトラに疑問を抱くイフリーテス。
 「誠ちゃんは分るわ。誠ちゃんはここの研究員と言ってもイフリーナちゃんといるときは研究活動から離れるわけだし彼の個人的な事柄なんて伝わったところで問題ないと思うけどあなた達の情報はまずくないの?」
 「直接イフリーナに個人的なことを話すわけではない。たとえば姉上は甘いものがお好きだがプロポーションを維持するために我慢されているとか、イフリーナが知るとしてもせいぜいその程度の事だろう。あやつは侍女として仕える訳だが新米の侍女を大事な会議の席へ連れて行くことはない。ごく日常的な仕事しか行わないであろう。それにいきなり重要な事をやれと言ってもできるとは思えぬ」
 イフリーテスはじっとファトラを見つめる。
 確かにファトラの話は筋が通っているように思える。だが違和感があった。
 「ねえファトラ姫。あなたの言うことはもっともだと思うわ。だけどそれだけかしら?何か裏があるんじゃないの?」
 「もちろんある」 即答するファトラ。
 さすがにこの答えは意外だったらしい。イフリーテスだけでなくアフラもファトラの顔を見る。
 「だがそれを知るとお主は隠し通すことができまい。そしてそれはイフリーナを惑わす事になる。お主が嘘を言えるようになったら本当のことを話してしんぜよう」 そう言って笑うファトラ。
 アフラは感心したような表情を見せているがイフリーテスはやや寂しそうな顔で呟く。
 「嘘ねえ…今の私には無理な事だけどいつか言えるようになるのかしら…」
 「上手に嘘をつくこともいい女の条件じゃ。努力するしかあるまい。藤沢をミーズに取られたくないのであろう?」
 笑いながら話すファトラにふと疑問が浮かんだイフリーテス。
 「ファトラ姫、誠ちゃんのことだけどさあ」
 「誠?あやつがどうかしたのか?」
 「ルーン王女と菜々美ちゃんが取り合いをしてるじゃない。そしてイフリーナちゃんも誠ちゃんを慕っているわ。なのにどうして誠ちゃんを監視役に指名したの?確かにルーン王女の傍にいることになるけど恋敵になるかもしれないイフリーナちゃんも一緒なのよ。それに菜々美ちゃんもかなり意識しているみたいだし…まあ端から見れば面白い見せ物だけどそう言う理由で選んだわけではないでしょ?」
 「姉上のためじゃ」
 「ルーンはんの?」
 それまで静観していたアフラだったが意外な答えについ反応した。
 「そうじゃ。見ての通り姉上はあの水原誠に心を奪われている。だがそれを阻害しているのがロシュタリアの法とご自身のお立場じゃ」
 アフラは大きく頷くがイフリーテスはなんのことか分らないようだ。
 ファトラはわざわざイフリーテスのために解説する。
 「我がロシュタリア王家には『第一王女は国を治め、第二王女は世継ぎを生む』という定めがある。更には第一王女は独身で通すともな」
 「つまりルーン王女はどんなに誠ちゃんの事が好きでも一緒に成れないってこと?それって可哀想じゃない」 いきなりテンションが上がるイフリーテス。
 「その法も神の目がないいま大して意味を持たぬように思うのだがそう思わぬ連中もおる。また姉上は真面目なお方じゃ、法を曲げてまでもと言うのは難しい。加えて同盟の宗主でもあらせられる。その様なお方が一個人の都合でとはいくまい」
 「なるほど…ルーン王女も大変なのねえ。だけどそれと誠ちゃんの監視役とどう結びつくの?」
 アフラも同様らしい。ファトラを注視する。
 「イフリーナは誠に好意を持っていると言ってもはっきりと恋心を抱いているわけではない。せいぜい妹が兄を慕うようなものであろう。なんでも彼女が目覚めたとき最初に見たのが誠だそうだな。それもあるのではないか?」
 「そうどすな。イフリーナは争いごとを嫌っておりますからな。優しそうな誠はんの顔を見て安心したんやないやろうか」
 「だけど実際にはアレがご主人様だったわけねえ…イフリーナちゃんショックだったろうなあ」 しみじみ呟くイフリーテス。
 「今の所イフリーナは誠の傍にいて安心するとか落ち着くとかその程度ではないのか?姉上や菜々美と同じ土俵に上がるにはまだ当分時間がかかる」
 「そやけどイフリーナにとって誠はんは『特別な人』やおへんか。ルーンはんや菜々美はんはそう思わないんと違いますか?」
 イフリーテスもアフラの言葉に大きく頷く。
 「その通りじゃ。わらわから見ればイフリーナの存在なぞ大したことではないが姉上達はそう思うまい」
 実に楽しそうなファトラ。それに対し両名はファトラの思惑が掴めず困惑気味だ。
 「ファトラはん、何を考えてますの」 そう問い掛けるアフラはややうんざりしたような感じだ。
 またロクでもないことを考えているに違いないと、まあその予想が外れていることはないだろう。
 アフラの予想を裏切ることなくファトラは笑みを浮かべながら答える。
 「今まで姉上と菜々美は誠に対し直接行動に出ることはなかった。お互い牽制し合う程度で、あれでは誠もたまるまい、だがイフリーナは誠に恋をしているという意識がないだけに割と自然に接しておる。また誠もイフリーナの境遇に同情し色々と構っている」
 「あのファトラ姫、それってすごくまずくない?火薬庫で火遊びをするようなものじゃない」
 半分呆れたようなイフリーテスだったがアフラは今度はあきらめ顔になっている。
 「ファトラはん、もしかしてそれを狙うておるんどすか?」
 「そうじゃ。今までは姉上と菜々美の間で拮抗していたバランスがイフリーナが加わったことで大きく崩れる。菜々美もはっきりした態度を取っていなかったがこれからはそうも行くまい」
 「となるとルーン王女も同様に何か対処しないと誠ちゃんを取られてしまうって訳ね…イフリーナちゃんをカンフル剤にしてルーン王女に決断させようと言うの?」
 「その通り。手をこまねいているだけでは誠を取られてしまう、そうお考えになれば少しは進展させようとお思いになるのではないか」
 楽しそうに話すファトラだがアフラは柳眉を寄せる。
 「ファトラはん、あんたが心底ルーンはんの事を想うていわはるんやったら賛成もできますが…」
 「何を言う。もちろんわらわは姉上の事を想い決定したのじゃ。決して興味本位ではない」
 そう言いきるファトラではあったがアフラはジト目で見つめている。
 だがイフリーテスは何を思いついたのか楽しそうな顔でファトラに問い掛けた。
 「ねえねえファトラ姫、もしもよ、もしそれでもルーン王女が今と変わらなかったらどうするの?誠ちゃんを菜々美ちゃんやイフリーナちゃんに取られるのを黙ってみているわけ?」
 「もし今後も姉上が煮え切らない態度をとり続けるのであれば…」
 「あれば?」 ファトラに注目するイフリーテス。
 「その時はわらわが誠を美味しく戴こう。姉上がロシュタリアの法に従い純潔を守ると仰るのならわらわも法に従って世継ぎを生まねばならぬ。その場合わらわの夫は誠以外考えられぬからな」
 真面目に答えるファトラを驚きの表情で見つめる二人。
 アフラはファトラが時々誠にちょっかいをかけていたと言うことを伝え聞いていたが冗談か何かと思っていた。
 それが真面目な顔ではっきりと言われると、実は本気だったのか? と思えてしまう。
 イフリーテスに至っては『ロシュタリアの百合姫』が男に手を出すなんて想像もできなかった。
 そして ”冗談じゃないわファトラ姫が相手だなんて…イフリーナちゃんに勝ち目なんて1%もないじゃない” そう考え頭を抱える。
 菜々美やルーンと比べイフリーナは積極性という点で大きく劣っているものの器量では五分、性格なら十分勝っている…彼女らが相手でも何とかなるのではないか、そうイフリーテスは考えていたのだが相手がファトラとなるとそうもいかない。
 性格等イフリーナはおろかルーンや菜々美からも遙かに差を付けられているファトラではあるが、駆け引き、積極性そして謀略…マイナスを補って有り余るだけの才能が彼女にはあった。
 惜しむらくはそれを民草のために使おうという気が全くないことである。
 それはともかく、もし仮に今すぐ誠がイフリーナとファトラ、どちらかを選べと言われたら間違いなくイフリーナであろう。
 しかし一ヶ月後、一年後は…本人の意思に関わりなくファトラを選ばざるを得ない状況に追い込まれている可能性もある。
 アフラにとってはどうでもいいことであったができればイフリーナを誠の傍にと思っていたイフリーテスはそうもいかない。
 だがファトラに思いとどまって貰うと言うのは不可能である。となるとルーンに期待するしかないのだがそうなると今度はイフリーナの勝ち目が薄くなる…とは言えゼロよりはましか…。
 そう考えるイフリーテスにファトラが釘を差す。
 「あらかじめ申しておくが余計な介入はせぬようにな。あのイフリーナに何か入れ知恵しても空回りするだけで逆に事態をややこしくするだけじゃ」
 続いてアフラも笑いながら同様の意見を述べる。
 「そうどすなあ。それにイフリーナは今は自分のことではなくマリエルやあんたらの事に一生懸命や。あんたがイフリーナを想う気持ちも分かりますがあの子が自分の気持ちを出せるようになるまで見守るのが一番やないやろうか。それにあんたもうかうかしとると藤沢はんをミーズ姉さんに取られますえ。もっともうちは早くあの二人に祝言あげて貰わんとうるそうてゆっくり読書もできないんやけどねえ」
 二人の、特にアフラの言葉に大きく頷くイフリーテス。
 「確かにあの子は二つのことを同時にはできないものね…だけどファトラ姫、あなたが誠ちゃんを狙っていたなんて意外だったわ」
 「姉上がご自分のものにされるのならば喜んでお譲りするがな。あくまでもご自分の役目を果たすのであれば仕方ない、わらわも自分のなすべき事を行うだけじゃ」
 はっきりと言い切るファトラにアフラが問い掛けた。
 「そやけどファトラはん、ルーンはんが反対したら絶対に無理やないの?」
 何か考え事をしていたイフリーテスだったがその言葉にぱっと表情が明るくなる。
 ”そうよ!ルーン王女が駄目だと一言言えばいくらファトラ姫だって!”
 そう考えるイフリーテスはファトラの事がよく分っていないと言うか人がいいと言うか…。
 「逆に姉上が許可されれば全てOKじゃ」 ぞっとするような笑みを浮かべるファトラ。
 その言葉にアフラは憂鬱な表情を見せる。
 「ふう…そうならんよう祈ってます。そやけどファトラはん、もし行動するときはうちらがマルドゥーンにおるときにしてや。騒動は御免どすえ」
  「あ、あのファトラ姫…それって…」
 「姉上のご意志に関係なく誠がわらわに従えばよい。そうなれば姉上とて反対はできぬ。そして誠を追い込むのは至極簡単な事じゃ」
 思わず額に手をやるイフリーテス。
 「じゃあイフリーナちゃんに勝ち目はないって事かしら…」
 「さあな。姉上が菜々美やイフリーナと争奪戦を行うのであればわらわはそれを見物させていただこう。滅多にない見物になるのは間違いない。またわらわはその勝者の権利まで奪おうなどとは思っておらぬ」
 「と言うことは三つ巴で誠ちゃんを取り合えばいいのね。期限はあるのかしら?」 可能性があるとわかり幾分気が楽になったイフリーテス。
 「そうじゃな…余り長引かせてもつまらぬがイフリーナは出遅れておるし…取り敢えずマリエルの病気が回復するまでとしよう。薬が不必要となればイフリーナも誠のことを考える余裕が出るであろう。それまでにイフリーナが恋という感情を理解できるまでに成長していることを祈るのじゃな」
 完全に物見遊山気分のファトラだがイフリーテスには十分な答えだったようだ。
 「ありがとファトラ姫。これで私も余計なことを考えないで済むわ。あとはイフリーナちゃんにバグロムに戻ってからの心得を伝えればOKね」
 「あんたから伝えるというんどすか?」
 「そのつもりだけど、まずいかしら?」
 「そうどすなあ…その時は深く考えないよう頼みますえ。案外あっさりといくかもしれまへんし」
 「そうじゃな。特にイフリータは短絡的に考えるかもしれぬ。いきなりバグロム城を攻撃されても困るしな」
 「そうねえ…誠ちゃんに協力して貰うってのはどうかしら?」
 「誠か…」
 「誠はんねえ…」
 「だめ…なの?」 思った以上に誠の評価が低いことに意外そうなイフリーテス。
 「あやつは融通が利かぬところがあるからな」
 「冷静そうに見えて結構熱うおますし」
 イフリーテスは二人の評価に頷く。
 「そうね、正義感が強そうだもんね。じゃあ一度姉さんに客観的なことだけ伝えてから私の考えを話すわ。私達の意見がまとまってから誠ちゃんもいるときにルーン王女に相談すると言うのはどうかしら?」
 「姉上に?だが姉上はこの件はご存じだぞ」
 「分っているわ。だけどルーン王女からでなく私達から切り出した方がルーン王女も話しやすいと思うし誠ちゃんも少しは冷静になって考えてくれるんじゃないかしら?」
 二人はイフリーテスの顔を凝視する。想像以上の答えだった。
 もっとも当のイフリーテスにはそんな事は分らない。
 「や、やーねえ…私何か変なことを言ったかしら?」
 「いやそうではない…驚いた…いや済まない。だけど本当に驚いたぞ」
 「ほんまにあんたは昔とは比べようがないくらい成長してますなあ…シェーラと代わって欲しいくらいどすなあ」
 「な、なによう。そんなこと真顔で言わないでよ…照れちゃうじゃない…」
 やや俯き加減になるイフリーテスを相変わらず見つめる二人。顔を見合わせどちらからという訳でもなく頷き合った。
 「イフリーテス、この件はお主に任せる。しっかりと妹の面倒を見るように」
 「マリエルの診断には数日かかることも考えられます。その間はあんたとイフリータはやることはありませんからゆっくり考えなはれ」
 「やることないってアフラさん、言ったじゃない私達なんでもお手伝いするって」
 「マリエルはまだ小さいですから長い時間診察することはできません。そやから一日の大部分は空き時間やね」
 「そうじゃな。今は以前と違って比較的平和じゃからな。のんびりと過せばよい。立ち入りを禁止されている場所を除けば城内を好きに探索しても構わぬ。ただし城外へ出るときはわらわか姉上に一言告げるように」
 「了解♪ じゃあ遠慮なくそうさせて貰うわ。この件は私達の考えがまとまるまで秘密にしといてね。お願いよ♪」
 「分かった。では頼むぞ」
 「短気はあきまへんえ。そやけど姉さんと悩むのも良い経験になりそうどすな」
 「そうね。頑張るわ。ところでファトラ姫、さっきあなた『自分の役目を果たす』って言ったでしょ。アフラさんも大神官としての役目がある訳よね」
 「そうどすがそれが?」
 イフリーテスはちょっとだけ考えるような仕草をしてから口を開いた。
 「うん…私達の役目って何かなと思って…私達鬼神はゼンマイの主に従うよう作られたけど今は私と姉さんは自由に近いじゃない。時々思うのよ…戦いがない世界で私達は何をすれば良いんだろうって。ううん…姉さんはマリエルがいるわね。だけど私は…」 悲しいような、寂しいような表情のイフリーテス。
 「人は誰でも役目を負っていると思う。だがそれが分かっている者は少ない。わらわとて第二王女という実に分かりやすい肩書きを持っているから分かるのでありそうでなければどうなっていたか見当もつかぬな」
 「ファトラはんの言うとおりどす。同じ大神官でもシェーラのようなものもおりますしな。イフリータにしてもマリエルと一緒におるだけでまだ明確な目的はないと思いますえ。そう言う意味ではあんた達はこれから、取り敢えずはここロシュタリアでの目的を達することができてから考えればよろしい。自分でも言ってたやおへんか、焦ってはいけまへんえ」
 イフリーテスは二人の言葉に笑顔で応えた。
 「そうね、今はマリエルとイフリーナちゃんを何とかしなくちゃ…私達のことはそれからでもいいわ。時間はあるし焦ってもしょうもないもんね。じゃあ私これから姉さんのところへ行くわ。どうも有り難うファトラ姫、アフラさん」
 深くお辞儀をして部屋を出ていくイフリーテス。
 二人はそれを見送りながら予想外の結果に驚嘆していた。
 「生きる目的か…」
 「目覚めてからまだ日が浅そうおますし以前の記憶がない。不安なのかもしれまへんな」
 「そうだな…それにしてもあそこまで成長しておるとはな」
 「想像以上どすな…あの時…イフリーテス達を探しにうちも行くんやったなあ」
 「ほう、なぜじゃ?」
 「誠はんやのうてうちがイフリーテスの主やったら彼女をマルドゥーンへ連れて行くのになんの支障もあらへんやろ」
 「かなりイフリーテスの事が気に入ったようじゃな。惚れたか?」
 「あほなことを言いなはんな。それよりもファトラはん、最初の用件やけど」
 アフラが話を続けようとした時アレーレが入ってきた。
 「失礼致します。ルーン殿下が参られました。イフリーナお姉さまと誠様もご一緒です」
 「分かった、すぐにお通しせよ。アフラ、すまんがその話は後じゃ」
 「仕方おへんな」
 そう言って二人はルーンのために場所を空けた。


 ファトラの部屋を辞したイフリーテスはイフリータを探していた。
 幾ら広いとは言え部屋の中だけではマリエルも飽きたのであろう。
 イフリーテスは侍女や警備兵に教えられ中庭へと向かう。
 そこには花を摘み冠を作っているマリエルと少し離れたところでそれを見ているイフリータがいた。
 「マリエルは元気そうね」 そう言ってイフリータの隣に座るイフリーテス。
 「ああ。さっきから一生懸命花を摘んでいる」 例のごとく素っ気ない。
 「この中庭ってルーン王女のものでしょ。勝手に花なんて摘んで大丈夫かしら?」
 「近くで手入れをしていた者に確認を取っている。少しなら構わないと言っていた」
 「へえ姉さんが尋ねたの?」
 ちょっと意外そうなイフリーテスにイフリータは首を振って答えた。
 「いやマリエルが訊いていた」
 「あ、そう…」 少しだけ脱力する。
 「何か用があるようだな」 マリエルに注意しつつイフリーテスの顔を見る。
 「うん」 今度は嬉しそうな表情を見せる。
 「イフリーナちゃんの事よ」
 「何かあったのか?」 やや険しい顔になる。
 「いえそうじゃないの…」
 思った通り真剣な表情になったイフリータを前に慎重に言葉を選びながらイフリーテスは説明を始めた。
 それをイフリータは黙って聴いていたが内心穏やかでないことは明らかではあるが、さすがにイフリーテスもそれ以上読みとることはできなかった。
 ただファトラが言うところの『短絡的な考え』だけはしないで欲しいと思いつつイフリーテスは話を続けた。


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