Elhazard The Shudderly World !! 



戦慄の世界 エルハザード

第七夜 戦幕の世界へ



 白い大理石の床に、赤い液体が滴った。
 それはじわじわと広がって行く。
 「シオン!」
 滅多に人前に表わす事のない、悲痛な声を上げて彼女は彼に駆け寄った。
 「大丈夫大丈夫♪」
 対する彼は軽い調子で彼女を宥める。
 「大丈夫ではありませんね,腱までいってしまっているのではないですか?」
 冷静に言うのは中年の女性。
 彼女の白い法衣は、彼の血で僅かに赤く染まってしまっていた。
 「そうですかね?」
 痛みに僅かに顔をしかめ、彼は呟く。
 「ミュリン,医療箱を」
 「はい!」
 彼女――ユフィールが言う以前にすでにそれを手にしたミュリンは強引に彼をその場に座らせた。
 ここはフィリニオン興国首都アイオン。
 ファトラにより傷ついたシオンはユフィールの力を借りて、焼け落ちたイフランの街より脱出。
 彼女の法術によって王城へと帰還したのである。
 「やっぱり強い、あの人は」
 ミュリンに傷口を手当てされながら、シオンは困った様にそう呟いていた。
 「あの人?」
 「ファトラ王女さ」
 一瞬、ミュリンの手が止まる。
 そして再び忙しなく治療し、終えると佇まいを正してシオンに問うた。
 「報告なさい、シオン」
 「はい」
 シオンはイフランの街での事,アリスタ公に勝った事,そしてファトラの行動を細かく適確に主であるミュリンに伝える。
 最後のファトラによるイフランの街の壊滅の件には唖然とする。
 「そんな…イフランの街が」
 「当然予期される行動でしたが…申し訳ありません,私は戦場を舐めていたようです」
 唇を噛んでシオンは呟いた。
 対するミュリンは呆然としたままだ。
 「私のせいで……」
 パシィ!
 静かな王の間に、乾いた音が響く。
 「?!」
 「ユフィール殿!」
 音の正体にシオンは詰問,しかしユフィールは無視して、頬を押さえたミュリンに言葉を放った。
 「何を甘えたことを言っているの、ミュリン? 命の取り合いが戦争よ,それを知って、覚悟の上で貴女は彼に引き金を引かせたのでしょう?」
 ミュリンは僅かに息を呑み、そして、
 「そぅ……、そう、ですね」
 疲れたような、悲しいような、それでいてそれを全て否定するような表情で彼女は頷く。
 シオンはそんな彼女を見て苦しく思う。
 昔から、そうだった。
 彼女は全てから自由であるべきだ。彼はそう思っている。
 もしも彼女が王族でなければ、シオンは強引にでも彼女を連れて旅に出ている事だろう。
 シオンが彼女に惚れたのは、初めて出会った時に纏っていた自由の風のせいだ。
 その頃はまだ彼と彼女は血族の何たるかを知らず、王家も何も分からなかった時代のこと。
 幼いミュリンは、シオンに語った。地平線の遥か彼方に広がる世界を。
 そしていつかそこに旅してみるのだと。
 色々な人に出会い、語り、そして笑い合う。それを語った彼女の幼い本当の微笑みをシオンは忘れた事はない。
 彼女に王は似合わない。
 だがこのフィリニオンにおいて彼女以外にその任に就けるだけの適任者は存在しない。
 彼は思う。
 せめて彼のいたバルバトス家にもぅ少し人望があれば、と。
 そしてもぅ少し、己が純粋な血族に近ければ、彼女の代わりに引き受けられたのに、と。
 「さて、お菓子、作りますよ」
 「え?」
 唐突な彼の言葉に、ミュリンはさすがに首を傾げる。
 「遥か西方に伝わる水菓子をちょちょいと作ってきます。夜食、欲しいところでしょう?」
 「え、ええ」
 僅かに顔を赤らめ、ミュリンは答えた。
 実際はミュリンは多忙だった為に夕飯を抜いていたのだ,僅かになったお腹の音を聞かれたとでも思ったらしい。
 「でもそんなお菓子、よく知ってるのね,シオンは」
 「ええ、その為にロシュタリアの王立学院に行ってましたから」
 「…貴方は何をしに王立学院に行っていたんですか?」
 ユフィールから白い視線をい受けながら、シオンは笑って王の間から退出した。
 彼は思っている。
 せめて味だけでも、遠くに旅立ってもらいたい、と。



 誠は絶句していた。
 シャーレーヌに指示された建物は、王室技術顧問であるハーゲンティの研究室。
 街外れに建つ石造りのその建物で彼が目にしたのは、白衣を纏った白髪の少女の姿だった。
 その隣には同じく白衣を着た、褐色の肌を持った中年男が立っている。灰色の長い髪を後ろで結んだ、どこか茶目っ気のある中年だ。
 この男がハーゲンティであることは誠には予想がついていた。
 しかし少女の存在は誠の予測を遥かに上回っている。
 彼女の名はカーリア,鬼神であり、現在は菜々美が追っているはずの少女……
 彼の見慣れている彼女は、優しいつぶらな瞳だったが、今は目許に邪悪な闇を宿した不敵な笑みを映していた。
 「カーリア、いや……アルージャ?」
 誠の呟きに彼女はニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
 誠ははっと我に返る、そして、
 「ハーゲンティさん、逃げて! コイツは邪悪な鬼神なんです!!」
 彼の叫びに、しかし中年男は困ったように頭を掻くだけだった。
 「ハーゲンティさん!」
 「あー、誠くん,だよね。ストレルバウ博士の秘蔵っ子の?」
 しかし誠は応えない,全身の注意はカーリアに向いていた。
 それには気にかけずに、ハーゲンティは続ける。
 「彼女は私の協力者ですよ、誠くん」
 その言葉に誠の眉が曇る。
 「……一体どういうことですか?」
 誠の言葉を遮り、カーリアは中年男を見上げて逆に問うた。
 「ハーゲンティ,本当にこんな奴が役に立つのか?」
 「神の目の構造解析と次元断裂の計算に関しては、私よりもずっと彼の方が知識がありますよ。彼を招かずにこの研究は完成されません」
 「そうか?」
 訝しげにカーリアは誠を値踏みするように見つめ直した。
 彼女にハーゲンティは一瞥すると、彼は誠に再び視線を戻す。
 「彼女は私の、そして君の研究にとって必要不可欠な存在です。そして彼らもね」
 中年男はパチン、指を鳴らした。
 すると今までは三人のやりとりにまるで介していなかった他の研究員達が向き直り、各々苦笑いを浮かべながら正体を現す。
 すなわちこの国の人々と同じ肌の色であった褐色から、青い肌へと。
 「げ、幻影族……」
 「つい先日、招き寄せた幻影族のスペシャリスト達だ。先の大戦での神の目の起動は、彼らの力に寄るところが大きかったそうだね」
 「っ!?」
 世間話をする様なハーゲンティの言葉に誠は絶句。その件はロシュタリア上層部にのみの門外不出の情報のはずだ。
 ハーゲンティは続ける。
 「本当は彼らとはある物資を借りるだけの契約だったんだけどね。でも私のことを高く評価してくれたらしくて、こうして全面的に協力してくれるようになったのさ」
 「もっともこれは我々と彼との間だけの契約だがな」
 幻影族の一人が付け足す。
 「彼らの目的は自分達の世界に帰る事、すなわち利害の一致だ。そして」
 カーリアを見るハーゲンティ。
 「ワシの目的は次元の狭間からの生還、それだけじゃ」
 カーリア、いやアルージャは言う。
 「そして私の研究の目的は、極めて単純」
 ハーゲンティは言いながら机の上に置かれた手のひらサイズの珠を手にして誠に告げた。
 「次元の解明,それを知りたいです」
 一瞬の沈黙が下りる。それを破らざるをえないのは、自然と誠になる。
 「だからと言って……何も彼らと組む事は!」
 「何がいけないんです?」
 心底不思議そうにハーゲンティ。
 「科学に正義も悪もあるのかね? そんなものはない事は、君も承知の上でしょう? そこから何が生み出されるのかは我々科学者が感知できる事ではない」
 「で、でも!」
 「では研究に対して公私混同するなとでも? それは君に言えることですか、水原 誠くん?」
 誠は言い返せない、彼の目的はたった一つ、イフリータとの再会なのだから。
 「貴方の目的はすなわち、異世界である君の世界との扉を開くこと。次元に屈折を起こし、断裂させ、通路を作ることに相違ない」
 幻影族の一人が淡々と呟く。
 それに続けるのは、少年の声だった。
 「個人的には賛同しかねるが、このエルハザードという世界の闇に押し込められた僕らが抜け出すには君の力が必要だ、水原 誠」
 「お前!」
 誠はカーリアの後ろから現れた青い肌の少年を知っていた。
 彼はナハトと言ったはずだ。幻影族の長、ガレスの懐刀。
 「僕達は君の知らない事を知っている、ここにいるハーゲンティは僕らにない経験を持ち、鬼神には独特のノウハウがある。そしてお前には僕らにない発想力がある。だから……ガレス様を傷つけたことは許しがたい罪だが許してやる」
 吐くようにして言ったナハトの頭を軽く撫で、ハーゲンティは優しく誠に問いかける。
 「目的の為に手段を選んでいては、解明できるものも出来ないよ」
 「そしてワシらは特段、お前の良識の範疇から言うところの悪い事をしている訳ではない」
 こちらはカーリアだ。それに次いで若い幻影族が軽い調子で続ける。
 「言うなれば、次元に関して解明されることでそれを応用して兵器を率先して作る奴だな、悪い奴ってのは」
 誠は無言,自分の中の何かを押さえ込む様にして一同を見つめるだけだ。
 「ふん、どうする?」とナハト。
 「来ないか、こちらへ」こちらはカーリア、そして。
 「決めるのは、君です」ハーゲンティが言いながら右手を差し出した。
 そして誠は……
 彼の手を取る。
 「僕は彼女を救う為ならば……何だって利用してやる!」
 あからさまに敵意を込めた若き研究者の言葉にしかし、一同は満足げに頷くだけだった。



 天頂に輝くは、大地を焼き続ける生命の起源。
 その起源はこの地においては死神にもなり得る。
 境はなく、ただ踏み慣らされただけの一本の街道が赤茶けた荒野に伸びる。
 マルドゥーン山を遥か南に望むその街道を突き進むのは、一台の中型エアボート。
 軽い駆動音を立ててひたすら西へと進んでいた。
 やがて差し掛かるT地路。
 ただ一本、行き先を示す標識が立っている。
 ここより南に行けばカシュク,そのまま西へ向えば街道は緩やかに南西へ向い、グランディエの首都グラスノーツへと向う事になる。
 エアボートは稼動を停止。
 そしてハマに跨った一人の青年がエアボートより降りた。
 「ここでお別れだよ」
 「「え??」」
 肩に長槍を担いだ彼は、船上の男女にそう声をかけた。
 二人は予想しなかった事態に首をかしげている。
 「そろそろ戻らないとマズイみたいだし、ね」
 今や馬上の人となった青年は遥か南に見える高山を眺めて言った。
 そんな彼に黒髪の女性もまた船を下りる。
 手にした杖――ゼンマイに腰を下ろし、空中を浮遊する。
 だが彼は彼女に船に戻る様に目配せした。
 「どうしたのよ、ラマール。それに戻るってどこに?」
 「僕はカシュクの軍人だよ、ナナミちゃん。さすがにイフランの状況を見ておいて、戻らない訳にはいかないよ。上司が恐いしね」
 馬上のラマールは菜々美のよく知る人物と同じような笑みを浮かべて答えた。
 「代わりにイフリーテスは連れて行って良いからさ」
 「そんなアバウトな。鬼神は一応、主の言うことしか聞かないはずよ」
 菜々美と陣内は訝しげに黒髪の女性――イフリーテスに視線を向ける。
 イフリーテスは隣で無表情に立っているイフリータと同じ鬼神である。
 だがイフリータに比べ、表情は豊かであり立ち居振舞いが非常に人間らしい。
 どこか鬼神という機械とは異なる存在にしか彼らには映らなかった。
 しかし、やはり鬼神である。主以外の者の言うことを聞くとは思えない。
 ラマールはふと思案し、そして彼女に告げた。
 「イフリーテスに命じる,カツヒコの言うことを聞くように」
 「おーけー」
 親指をグッと立ててイフリーテス。
 「「なんてファジーな…」」
 唖然とする陣内兄妹に手を振り、ラマールは南へとハマを駆った。
 「縁があったらまた会おう、じゃあね!」
 担いだ槍をぶんぶん振り、彼は荒野の彼方に消えて行く。
 「出発するぞ、良いか?」
 無感情なイフリータの声に我に返った二人と一台(?)は、再び浮上し始めたエアボートから我知らずに南に視線を向けていたのだった。



 青き城とそれは呼ばれていた。
 セルメタの街にあるアリスタ公爵の城だ。
 その城に堂々と入って行く一行の姿がある。
 セルメタの街の住民も、城を占拠していたフィリニオンの騎士達も、彼らの胸に描かれた紋章を前には止める事は出来ない。
 それはファトラを先頭にしたロシュタリア軍。精鋭500人である。
 ファトラは入城と同時、アリスタ公が腰を下ろしていた王座に腰掛けた。
 そこに慌てて現れるのはフィリニオンの一軍を率いてきた2人の将軍だった。
 「何故ここにファトラ姫が?」
 平伏する事もなく驚きに声を上げるのは、将軍にしてはまだ若い騎士。
 隣に立つ髭面の老騎士がたしなめるのも聞かずに、彼はファトラに問うていた。
 「何故も何もなかろう?」
 時に気にするでもなく、ファトラは肘掛けに肘を立てて顎を乗せた格好で彼に答える。
 「もともとこのアリスタも、貴公らのフィリニオンも、我がロシュタリアが貸し与えた地。主なき今、元の持ち主が管理するのは自明の理であろう?」
 「貸し与えた、だと?」
 「やめよ、ハルファス」
 老騎士ブリフォーが彼を背後に追いやった。渋々とハルファスは後へ下がる。
 「そなたら、立場が分かっておらぬようだな?」
 そんな2人のやり取りを眺め、ファトラは溜息をつきながら言った。
 「そなたらフィリニオンは我がロシュタリアの属国,それは残るガナンも同様の事。エランディアやグランディエのような独立国であるとでも思っていたのか?」
 実際はそういう訳ではないのだが、あからさまに属国呼ばわりされてブリフォーにも癇に障ったようである,ファトラを静かに睨みつけている。
 構わずに彼女は続ける。
 「カシュクもまた我等ロシュタリアに庇護される、神官の象徴国みたいなものじゃ」
 「それは何千年前の話でございましょう?」
 声を震わせながら問うブリフォー。
 「さぁな?」
 彼女の答え方はそのような論議自体が無駄だといわんばかりのものだった。
 「しかしそれは事実であろう? どの道、滅びた公国を管理するのは主国であるわらわの役目じゃ」
 ファトラと、2人の騎士の間に緊張が走る。
 しかし折れたのは当然、2人の騎士の方だった。
 「…分かりました,しかし治安維持の為に我等フィリニオン騎士団はこの地に留まり申す」
 ブリフォーの言葉にファトラはしばし考え、
 「ふむ……そうじゃな。ロシュタリア本国からの指示があるまで、アリスタ領の治安維持に全力で望むが良い」
 「はっ」
 そしてハルファスを引きずる様にして去って行くブリフォーの後ろ姿を一瞥した後、ファトラは大きく一つ、欠伸をしたのだった。



 ストレルバウは最後の一語を訳し、大きな溜息をついた。
 彼が寝る時間も惜しみ、多大な労苦を強いて行っていた作業。
 それはファトラにより指示された、先日フィリニオン興国女王の持参した、神の目に関する技術書の翻訳である。
 「昔から直観力だけは神懸りな御方じゃ」
 ストレルバウは知らずに身震いした。
 ファトラが出立に際し、この技術書を早急に訳せと言ったのには理由がある。
 ロシュタリアにとっては属国に近いフィリニオンとカシュクの勢力を押さえるカードにする為だ。
 すなわち神の目の完全停止を条件に避けられぬであろう戦後の展開を有利に運ぶ。
 しかしストレルバウの見るところ、この技術書に書かれている内容はそれ以上の展開を生み出しそうだった。
 場合によっては、フィリニオンは完全な独立国になり得るだろう。
 「いや、ファトラ様には申し訳ないが、その方が良いやも知れぬ」
 老賢者は一人、呟いた。
 現在のフィリニオンはロシュタリアからの完全な独立を目指す気運が強い。
 長年の敵同士であったフィリニオンとバルバトスの2つの公国が合併してより、若い力が育ってきている。
 下手にそれを阻止し様ものなら、思いの外の大きな犠牲が必要になるだろう。
 そして阻止し得ても、それを維持することに多大な代償を強いられるに違いない。
 ”ならば”
 彼は思う。
 この技術書に書かれている通りの事を行えば、フィリニオンの結束は自然と消滅するかもしれない。
 そうなれば元の通りに、ロシュタリアの後ろ盾がなければ一人立ちできない公国に戻る事だろう。
 だが、世界を操るのは老賢者の仕事ではない。
 だから彼は、自らの得た情報を知るべき彼女の元へと届ける。
 全てを決定するのは、彼女なのだから。



 カシュクはマルドゥーン山を中心とした宗教国である。
 古来よりロシュタリアの庇護下にあり、地水火風の神官の修行のメッカとして機能している。
 その性質上、ロシュタリアのみならず、その周辺公国やグランディエ,エランディアなどの大国に対しても非常に強い影響力を持っていた。
 バグロム襲来以前は治安維持程度の軍備しか有してはいなかったが、以後は神官を中心とした先エルハザード文明の利器を用いた神官戦士を中心とした武力が、侮れない勢力に発展している。
 カシュクは首都,マルドゥーン山の麓にあるカシュクの街にその本部がある。
 石造りの街並みはどこか質素で華やかさがないが、どこか荘厳な雰囲気に包まれた街である。
 大神官の選出や、有力神官達の会議に用いられるカシュクの意志決定機関である神官庁が、その本部だ。
 「只今戻りました」
 その一室。
 黒髪の美青年は窓の向こうに広がる街並みを眺めている女性にそう、声をかけた。
 彼女は振りかえる。燃え盛るような赤い髪を有した、中年の女性だ。
 髪の色と同じように気性の激しそうな彼女の名はクレンナ=クレンナ。
 先代の炎の大神官であり、カシュクの軍備である神官戦士達を束ねる最高責任者だ。
 現在はさらにこのカシュクの街に夫と子供二人で暮らす共働きの主婦だったりするが。
 歳を経ても美しいその面を僅かに曇らせ、彼女は彼を見つめた。
 「よく戻った、ラマール。それで鬼神は?」
 「いないっす」
 即答。
 「ボケー!」
 どぐしゃ!
 問答無用の右フックがラマールに炸裂した。
 「ってか、アレは美少年ではありませんでしたよー」
 目に涙を貯めて、それこそ鬼神と化した元大神官(子持ち)に怯えながらも非難。
 「あたぼうよ!」
 ズズィ,詰めよって彼女はラマールに言い放つ。
 「そうでも言わなけりゃ、テメェは行かなかったろーが!」
 「はぃ」
 びくびく震えながら、しかし彼は気を取り直したように姿勢を正した。
 「アイツ……イフリーテスの機能は先エルハザード兵器の無効化です」
 「いらないわね、そんな鬼神」
 怒りはどこへやら、あっさりとクレンナは即答した。
 「逆に僕等、不利になりますからねぇ」
 神官戦士達は他国の騎士や戦士と異なり、先エルハザードの技術を応用した武器を使用しているのは言うまでもない。
 それが無効化されては、敵にまわるのならば脅威であるが味方にいても力にもなりはしない。
 「で、その鬼神は?」
 「違う舞台に立ってもらってます。こちらに出演する事はないでしょう」
 「なら良し」
 満足げにクレンナ。そんな彼女に今度はラマールが問うた。
 「フィリニオンと組んでアリスタと一戦やらかしたそうですね」
 「ああ。どこまで知ってる?」
 「イフランの街で僕がきっかけ作ったことくらいしか」
 ニヤリ、クレンナは微笑んで窓枠に腰掛けた。
 風が吹き、陰ったいた日の光が再び彼女の背中から差し込む。
 とても2児の母とは思えないプロポーションと日の光に目を細めながら、ラマールは彼女の言葉を待った。
 「フィリニオンは北からセルメタをあっさりと陥落,アリスタ公一行は事前に一族を連れてグランディエに亡命していたみたいだけど……確認は取れていないわ。もしかしたら現在異常繁殖している地走りにか野党にやられたかもしれないわね」
 「僕等の状況は?」
 「地の聖地とストールの街を確保。それ以上は侵略になってしまうから手を出していないわよ」
 「ロシュタリアもそろそろ動いているんじゃ?」
 「とっくね。そうそう、イフランの街は消滅したの」
 「?!」
 息を呑むラマール。そして眉を歪めて呟いた。
 「ロシュタリアの仕業ですね。僕の叫んだ、アリスタはバグロムと組んでいたと言う根も葉もない言葉の消滅の為に」
 「気に病む必要はないわよ」あっさりとクレンナ。
 「私だってロシュタリアの立場なら、同じ事をしますもの」
 「ですが……」
 ラマールは僅かな時間であったが通りすぎたイフランの街を思い出す。
 どこにでもある普通の街だったし、そこには幾つもの家族が住んでいたはずだ。
 それらを壊してしまった発端は、自分にある。
 「気に病むなというのは無理な事かもね、けれど知っておきなさい」
 クレンナは立ちあがり、彼の肩に手を置く。
 「何かを為すにはどこかで犠牲が必ず生じることを。それが嫌なら、何もせずに死んでいきなさい」
 「……極端な事を言うし」
 苦笑いのラマール。そんな彼を見てクレンナもまた苦笑。
 「貴方には手勢を率いてストールの街に行ってもらうわ。今、ロシュタリア軍の一部がアリスタの治安維持と称して首都セルメタに入ったそうよ。おそらくフィリニオン側と一悶着あると思うけど、それには巻きこまれないようにうまく立ち回りなさい」
 「了解っす」
 コンコン
 まるで図った様に扉がノックされる。
 同時にトレイにポットとカップを載せた一人の少年が一礼して入室する。
 長い髪を頭に上げた、円らな瞳の少年だ。
 「クレンナ様、お茶をお持ちしました」
 「ありがとう,パルナス」
 少年の頭を軽く撫で、クレンナは応える。
 「ありがとう」
 ツツツ…
 「ふぎゃ!」
 ラマールの指先がパルナスの首筋を艶かしく撫でると同時、彼は恐れおののきその場から飛びずさった。
 ラマールを避けるようにしてパルナスはクレンナの足にしがみつく。
 「クレンナ様、この子下さい」
 ラマールの瞳は爛々と輝き、パルナスに注がれている。
 一方のパルナスはヘビに睨まれたカエルの様に小さく震えていた。
 「ダメよ、パルナスはワタシのモノですもの」
 クレンナはパルナスをまるで抱き枕の如く抱きしめて言い放つ。
 「夜這いかけちゃる」
 「ヒィ!」
 ボソリと呟いたラマールの声を聞き逃すことなく、パルナスはガタガタと震え続ける。
 その彼の上では、ラマールとクレンナのパルナス争奪をかけた火花が散っていた。
 ”嫌だ、変態だらけだよー、帰りたいよー、姉さん〜〜”
 心の中でパルナスはただただ泣くしかない。
 この日ほど、パルナスは夜が来るのを恐れた事はなかったと言う………



 月夜の晩に、アレーレは立った今届いたばかりの書面を目にしていた。
 かつてはアリスタ公の住まいし空色の居城,その一室にあるテラスで風に髪をなびかせるアレーレの表情は複雑だ。
 城下を一望できるテラスの柵には一羽の猛禽。
 特にアレーレに臆するでもなく、自らの羽を繕っている。
 「ふ〜ん、カシュクはあくまでストール以南にこだわる訳ね」
 書面の主は彼女の弟、パルナス=レレライルからのもの。
 たった今、この鳥を用いて彼女の元に届けられたのだ。
 「それにしても…」
 ”何かな、このファトラ様の顔をした変態に襲われそうだから帰りたいってのは??”
 無理矢理敵地に送り込まれた時の弟の表情を思い出しながら、アレーレは首を傾げる。
 美人のクレンナの下に送り込まれると聞いて、結構喜んでいたはずだが……
 「年増だからかな?」
 クレンナ本人が聞いたら業火で焼き尽くされそうな発言をしつつ、アレーレの脳裏には変態と聞いて、一人の人物が思い当たっていた。
 ”誠様のことかな?”
 そんなことはあるはずない…というか幾らなんでも男好きになってるはずはないな、と半ば祈るような気持ちで、アレーレは余分なその一枚の報告書は破り捨てたのだった。



 ロシュタリア城はその日、緊張した気配に包まれていた。
 先日行われたカシュク−フィリニオン−アリスタ間の戦争。
 その当事者達が宗主国ロシュタリアの命で緊急に集められたのだ。
 カシュクからは先々代の風の大神官フロウラ。
 フィリニオンからは若き女王ミュリンである。
 日も高く、突き抜けるような青空の下の中庭。
 ルーンはカシュクとフィリニオンの代表者を前に、歓談していた。
 とても緊迫した世界情勢を思わせない、ほのぼのとした雰囲気だ。
 一陣のそよ風が一同の髪を揺らす。
 それを契機にしてだろうか、ルーンは唐突にこう切り出した。
 「そうそう、神の目の停止方法が分かりましたのよ」
 ミュリンと、フロウラに僅かな緊張が走る。
 が、それは一瞬。緊張は跡形もなく取り払われた。
 ルーンは変わる事のない笑みを浮かべながら、傍らに置いた図面を白いテーブルの上に広げた。
 「それは?」
 フロウラは首を傾げる。
 神の目の図面の様だが、専門知識のない者には一体何であるかが見当もつかない。
 「ストレルバウ」
 パンパン,ルーンが手を叩き、大きくも小さくもない声を上げると同時、
 「ハッ」
 老人が城の廊下の奥からゆっくりと中庭に姿を現し、深く頭を垂れる。
 「先日ミュリン様から頂いた技術書,その解読が出来たそうね」
 「はい。正真正銘の神の目に関する技術書でございました」
 「それで、神の目の停止方法はお分かりになったのかしら?」
 「もちろんでございます」
 フロウラとミュリンは互いに顔を合わせる。
 2人がここに呼ばれたのはアリスタに関することでではなかったのか?
 しかしストレルバウの次の言葉に、ミュリンはルーンの思惑を全て知る事となる。
 「神の目の永続なる封印は、神の目を司りし血族の命――その生命の輝きを神の瞳に灯す事により、神の目は完全に活動を停止致します。正確には高度を増し、夜空の彼方へ消え去るという事ですが」
 フロウラの眉は曇り、ミュリンは僅かに息を呑む。
 そしてルーンは対称的に、笑みを浮かべたまま言い放つ。
 「残念ながら、いくら封印を約束しようとも私は命を失う訳にはいきませんわ,そして私の妹のファトラもまた、ロシュタリアにとってはなくてはならぬ将」
 フロウラの息を呑む音が、ミュリンには聞こえていた。
 「困ったものですね,もっとも……」
 ルーンの視線がミュリンに向く。
 「ロシュタリアの血族は、私の知るところもう一人いるのですけれどね」
 ルーンは笑ってはいなかった。
 表情はいつもと同じ微笑み。しかしその瞳には冷たい光が宿っている。
 王族として生まれながらに備えている、自らの敵を全力を以って排除しようという殺意の光だ。
 ミュリンはルーンの視線をそのまま受け止める。僅かに額に汗が浮かぶが、それはミュリンにしか気付かない程度のものだ。
 「さて、どうしたものでしょうね?」
 ルーンは次にフロウラに向き直る。
 途端、フロウラは襲い来る恐怖に思わず声を上げそうになった。
 同時に決してカシュクはロシュタリアに逆らえない事を本能的に知る。
 理由はない。だが神の目を用いずとも、この王女の裁量にかかればカシュク程度の小国はどうとでもなる,それをフロウラは感覚的に思い知らされた。
 「フロウラ様,ストールの街には幻影族が潜んでいると噂を聞いた事がありますが、今回の騒動で、それはご確認頂けたかしら?」
 「現在調査中でございます」
 老域に差し掛かった元風の大神官の声は、緊張に枯れがちだった。
 応える際もルーンからは目を逸らしている。
 「元来、地の神官には幻影族が深く関与しているという事実があるようですが、今回の一件ではっきり出来ますわね」
 地の神官に関してはカシュクとしても把握しかねる部分が多い。
 世界を放浪する地の神官は、大神官からしてマルドゥーンに居を構えない。
 年に一度、聖地である聖石ヶ丘に集合するだけなのだ。
 だがカシュクは立場上、地の神官に関しても管理せざるを得ない。
 不明な部分の多い地の神官だが、彼らは古来より幻影族と深いつながりがあるのではないかと言われている。
 フロウラもまた、カシュクの神官庁の三人の長の内の一人であるためその事情はよく知っており、またそれを黙認している部分があった。
 だがルーンの要求するところは、ストールの街以南を領有するつもりならば、黙認を許さないということだ。
 聖地を奪還したは良いものの、それ以上の問題を抱えてしまったかもしれない,フロウラは内心毒づいていた。
 だから、言葉を選んで応える。
 「心得ております。ですが地の神官に関しては他の炎、風、水と異なり、我々の預かり知れぬ部分が多いのが事実。ストールを調査する事で地の神官をより知ってゆきたい所存です」
 ルーンはその答えに深く頷き、2人に満足げに頷いた。
 「お二人とも、長旅でお疲れになったでしょう? 今日はごゆっくりしていってくださいね。アリスタの処置についてはまた明日、ということで」
 この一言でアリスタ公は公式にこの世を去った事になったのを2人は知る。
 同時。
 アリスタ領を所有する事による代償が如何なるものかを、2人はゆっくり考える時間を与えられたことになる。
 ミュリンはその命と、それに伴う母国に生まれ始めている結束を。
 フロウラは同じ神官である地の神官の、幻影族に関わる身内の洗い出しを。
 これらを天秤にかけた時、どちらに傾くか?
 容易な決定ではなかった。



 イシエルはウェイトレスの姿のまま、物陰から街外れにあるその建物を見つめていた。
 そこはこのグランディエにおける研究機関。
 先エルハザード文明を解き明かし、その副産物として様々な武器防具が生み出される場でもある。
 イシエルはこの数週間、この建物を監視している。
 つい先日までは同じように幻影族の者も建物を監視していたのだが、現在はその役の者はいない。
 何故ならば建物の中にすでに幾人もの幻影族がいるからだ。
 それも一般の幻影族ではない。ガレス指揮下の先エルハザード文明の研究員である。
 「グランディエと幻影族が手を組んでいるってのは間違いなさそうね」
 呟く。
 そして噂ではロシュタリアからの研究員もこの機関の責任者に招聘されているという。
 それが誰なのか、イシエルはまだ気付いていない。
 だから彼女には思いきった手段を取る事が出来る。
 もし、幻影族と組んで神の目の時のような惨事を引き起こすつもりならばこの建物ごと消滅させる自信が彼女にはある。
 「まだしばらく様子見、っしょ」
 もしかしたらロシュタリアに住む友人の研究に役立つことをやっているかもしれないな,そんなことも思いながら、彼女は居候先へと引き上げて行った。



 日も暮れかけている。
 窓辺から中庭を眺めるミュリンの隣に黒髪の少女が並んで腰を下ろした。
 「どうしたんですかぁ、ミュリンさん?」
 「イフリーナさん……」
 彼女には珍しく、疲れた顔で鬼神に振り向く。
 「ごめんなさいね、こんなところまでご一緒してもらっちゃって」
 「え? 良いんですよ、よく来るし」
 「はぃ?」
 「あ、いえいえ、何でもないんです!」
 あたふたと慌てるイフリーナを見て、ミュリンの表情に笑顔が灯る。
 「ねぇ、イフリーナさん」
 「はい?」
 「もしもね。晩御飯がすごい豪華かもしれないって聞いていて、そんな時に目の前にお菓子を置かれたら……イフリーナさんは食べる?」
 「え、そうですねー」
 うーん、唸ってイフリーナは……延々と悩む。
 「うん、私は食べちゃうかも。そのせいでお腹一杯になっちゃって、晩御飯が美味しくなくなっちゃっても、もしかしたら豪華じゃないってことになったら「あの時食べておけばよかったー」ってなるから!」
 「イフリーナさんらしい答え」
 ふふふっと笑ってミュリン。
 「ミュリンさんはどうなの? 食べちゃう方??」
 「私は……そう、私は。どうなのかな?」
 「じゃあ、お菓子と美味しい御飯、どっちが好き?」
 イフリーナの唐突な問いに、ミュリンは即答。
 「御飯かなぁ」
 「じゃ、答えは出てるじゃないですかぁ」
 あっけらかんと笑うイフリーナに、ミュリンもまた微笑む。
 どこかそれは寂しい笑みだった。



 砂漠の夕方は涼しい。
 誠はさっぱりした格好で石造りの王城を歩いていた。
 手には数冊の本。
 持ち主に返しに来たのである。
 と彼の進む廊下の先から話し声が聞こえ、三つの影が見えてくる。
 一つは胸まである白い髭の、体格の良い老人。
 挟む様にして、こちらもがっしりとした感のある青年と、眼鏡をかけた女性だ。
 「こんにちは」
 ペコリ、頭を下げる誠。
 「おお、誠殿。研究はどうかね?」
 どしっと肩を思いきり叩き、老人は豪快に笑いながら問うた。
 「ええ。お蔭様で順調ですわ。もともとハーゲンティさんの方でかなり進んでましたからね。僕が空いたところを埋めて行くって感じですわ、早ければ一週間くらいで終わるかも知れへん。あ、本ありがと、シャーレーヌさん」
 「へぇ、ところでどんな研究だっけ?」
 こちらは本を受け取りながらシャーレーヌだ。
 「次元を越える研究や。これができれば僕は元の世界に帰れるんです」
 フレイアに告げる誠。フレイアはふと口にする。
 「ってことは第2第3の神の目が生まれる可能性もあるんじゃないか?」
 「……さぁ、そこまでは僕には」
 苦笑いの誠、そこで話を区切る様に頭を下げると元来た道を戻って行った。
 その後ろ姿を見送りながら三人のグランディエ上層部の瞳に危険な光が灯る。
 「幻影族に危険な匂いがしますが、今しばらく泳がせておくのが得策かと」
 国王に恭しく述べるシャーレーヌ。
 「お主はどう思う、フレイア?」
 「俺もシャーレーヌの意見に同じだ。研究とやらを完成させたら、丁重に出ていってもらえば良い」
 「そうだな、丁重に、な」
 三人の影が夕日に長く、長く伸びていった。



 月夜の晩に二人の美女が杯を重ねていた。
 まるで絵画的な、それ故にどこか生気のこもらない風景である。
 「代価は充分、でしょう?」
 杯をテーブルに置き、ロシュタリア元首・ルーンは彼女に言う。
 対するはフィリニオン興国初代女王・ミュリンだ。
 「そうですね。私の命一つでアイオンの大部分が手に入り、フィリニオンがロシュタリアにとって国として認められるのならば、安い買い物です」
 ニッコリ微笑み、応えるミュリン。
 神の目の起動完全停止引き換えに得られるのは、フィリニオンの接するアイオン領の大部分の割譲とフィリニオンの完全独立,それがこの取り引きの内容だ。
 中身だけを見ると全てがロシュタリアにとってマイナスになってくるが、るルーンの思惑は異なる。
 「それで、次代の王というのは誰なのかしら?」
 「バルバトス家の生き残りがいますわ。彼に継いでもらおうと思っています」
 「あら、そうなの?」
 意外、とでも言いたげにルーンは首を僅かに傾げた。
 「確か、シオン…とか言ったかしら?」
 「良くご存知ですね」
 言葉とは裏腹に、大して驚いた風もなくミュリンはルーンの発言に自らの手を口に当てた。
 「良い王になれそうね♪」
 「ええ。ルーン様がおっしゃられるのならば、きっとその通りでしょうね。私も安心ですわ」
 互いに全く相反する想いを心に抱きながら微笑み合う。
 すなわちルーンはミュリンが死に、新王が登場する事でフィリニオンが混乱の中で分裂する事を。
 ミュリンは更なる結束を持ってフィリニオンが完全な国として樹立される事を。
 その行く末を知るのは、未だいない。



 その日の晩、ファトラは何の前触れもなく手勢のみを率いてセルメタを出立した。
 ファトラの身辺警護を任とする、彼女の私兵集団20名とともに。
 早馬を飛ばし、向うは現在はカシュクが占拠する聖石ヶ丘のあるストールの街だ。
 「むぅ、何もないところじゃの」
 先に広がるストールの街を見下ろせるような小高い丘の上、彼女は呟く。
 このアリスタ領を実際その目で把握しておく為にここまで来たのだが、できればストールの街に入りたいところである。
 「いかが致しましょう、ファトラ様?」
 問うは後ろに控える女性。
 ファトラ自らが選抜したスペシャリスト集団,それが後ろに控えるファトラメイド隊だ。
 某花右京メイド隊には数の上では劣るが質では劣らないとファトラ自らが豪語する。
 「そうじゃな、ストールに入るか」
 と言ったその時だった。
 唐突に彼女達の前に同じくハマを駆る一隊が立ち塞がる!
 「これから先は進ませません」
 叫ぶのは端整な顔立ちの青年である。
 「こちらにおわすロシュタリア王国ファトラ様を知ってのことか?」
 メイド隊の一人が声を張り上げて返した。
 対する答えは僅かな躊躇もないもの、すなわちファトラと知った上での答えだった。
 「お引き取りください。何者であろうと住民が不安がります、特にこれ以上聖地に軍が入ることを!」
 月に隠れた群雲が風に動く。
 月明かりの下、相対する2つの部隊は互いの姿を見た。
 美女揃いのファトラメイド隊。
 そして美男子揃いのおよそ20名の部隊が彼女達に立ち塞がっている。
 その中から一人、前に歩み出てきた。肩に槍を担いだ青年だ。
 「たとえ王族であろうとこの先は通す訳には参りませんよ。僕と、そして僕のラマールホスト隊が全身全霊を持って貴女の歩みを止めましょう」
 槍を構え、彼は静かに告げる。
 それに応え、ファトラもまた一人前に出た。
 「通さないと言われると通りたくなるものだ」
 腰の曲刀を抜いて彼女は応えた。青白色の刀身が月光を返す。
 互いに近寄って、そして彼女と彼は同時に息を呑む。
 「誠…か?」
 「美しい…」
 下りる沈黙。
 しかし気を取り直したようにファトラは呟く。
 「んな訳はないの。貴様、何者じゃ!」
 ビシッ、刀で相手を指差し、ファトラは問うた。
 答えはすぐに返る。
 「僕はラマール=サード,ファトラ様ならば僕の名を知ってるはずだね」
 「ほぅ」
 確かのその通りだった。カシュクにあるバグロムとの戦いにおいて常勝の将軍として彼女の記憶にはある。そして『美男子好き』ということも。
 しかし、よもや自分と、いや誠と同じ顔をしているとは思いもよらなかった。
 だからこそ腹が立つ。
 「その顔で美男子マニアというのは許せん、我が夜月刀の露となれ!」
 いきなりファトラは打ちかかった。
 それが戦闘の合図となる!
 ファトラメイド隊とラマールホスト隊が激しくぶつかり合ったのだった。
 戦力は互角,その中心にはハマを操って打ち合うファトラとラマールがいる。
 ファトラの振るうロシュタリアの至宝・夜月刀がラマールの振り下ろす炎を纏った槍・炎帝をやすやすと受け止め、懐に向って振り下ろす。
 それをらマールが後ろに下がり、再び長いリーチを利用して打ち据える,その繰り返しだった。
 どちらも疲れることなく、どちらの武器も折れることなく戦いは続く。
 やがて空が白み始める頃、メイド隊もホスト隊もいい加減にへばってきた頃だった。
 「キリがないわ!」
 馬首を返すはファトラ。
 「まぁよい、ここは退いてやる」
 ”カシュクの強さの一部は分かったからな”
 思い、そして捨てセリフを残してファトラは、メイド隊を率いて現れた時と同様、唐突に帰路についた。
 その後ろ姿を眺めるラマールはあからさまに溜息。
 「僕達も帰ろうか、ご苦労様」
 メイド隊と同様にふらふらになったホスト隊を率いてストールの街へと戻って行ったのだった。



 風がフィリニオン興国首都・アイオンに建つ王城に吹き抜けた。
 不意に現れた彼女に彼は驚かない。いや、普段は冷静なユフィールに焦りの色を見て、嫌な予感を察知する。
 ユフィールはシオンに唐突に語り出した。
 「神の目の停止にはロシュタリア王族の命が必要だという事が分かったわ」
 その一言でシオンは何が起きたのか察知する。
 「ロシュタリアからの交換条件かっ! まさかミュリンは…」
 ユフィールはコクリ、頷く。
 シオンは怪我で固定されていない方の拳で石の壁を思いきり叩きつけた。白い壁に赤いものが残る。
 「命……どうして、何故ミュリンはそこまで!」
 「ホントね。私達にとってはあの子の命一つと知らない人間の命1千を天秤にかけても、間違いなくあの子の命に傾くというのに」
 憎々しげにユフィール。
 「あの子は数の多い方を取るのよ、一つ一つに同じだけの幸せがあるのを知っているから,同じ価値だって事を知っているから」
 「だから、一瞬にして命を奪ってしまうあの神の目を存在しておくことは許せない、そういうのか? 俺はてっきり、今の今までミュリンが神の目を封印を望んでいたのは両親の仇の為と思っていたよ」
 疲れた声でシオンは呟く。
 しばらく落ちる沈黙。
 ユフィールが気を取り直したようにそれを破った。
 「…代わりを用意すれば良いのよ」
 「代わり、だって?」
 訝しげにシオン。
 「いるでしょう? 今、彼女は私達のテリトリーに」
 シオンは息を呑む。確かに彼女は代わりにはなる、しかし…
 「ファトラ姫…か」
 それは虎を素手で捕らえるよりも難しい,さらに捕らえたとしてもどうやってミュリンの代わりにするのか?
 だが、
 「ミュリンを止めることはできないのか? もぅ神の目なんてどうだって良い!」
 「無理よ、ミュリンが考えを決して覆さない頑固者だって事は知っているでしょう?」
 「頑固とか、そう言う問題じゃないだろ。それにミュリンがいなくなってこの国が保てるとでも思っているのか?」
 「次期国王には貴方が推薦されているわ,悪くはない人選ね」
 「あのバカっ!」
 「神の目へのアクセスは準備も含めるとおよそ一週間後,ミュリンは帰らないそうよ。代わりに私にコレを持たせたわ」
 言ってユフィールは親書とシオンに手渡した。
 彼は忌々しげにそれを見つめると乱暴に懐に収めてユフィールに告げる。
 「分かった,ファトラ姫を……捕らえる! 力を貸してくれ、ユフィール」
 「当然でしょう?」
 シオンは厳しい目を窓の外に向ける。
 登り始めた朝日を不気味に反射する神の目が、まるで監視するが如く上空に相変わらず浮いていた。

To Be Continued... 



キャラクター考察・第七回 『フレイア&シャーレーヌ』

 さてこれはオリジナルキャラなコンビ、です。
 フレイアはグランディエの皇太子,次期王として父であるサンタバレヌスに雑用を押し付けられております。能力は高いのですが世渡りは下手と、シャーレーヌに良くからかわれている様です。
 砂漠の国・グランディエには様々な部族がおりますが、彼は現王と同じく浅黒い肌と灰色の髪を有した、もっとも数の多い民族とのこと。
 自称・平和主義者であり、父のように武勇はなく武器の扱いは苦手中の苦手。ですが先エルハザード文明の産物である『銃』という懐に入る大きさの飛び道具の扱いが巧く、幾度かの暗殺を護衛の力を借りながらもなんとか乗り切っています。
 砂漠の民の間では、武勇を重んじる民族性故に彼に対する評価はきわめて低いものとされています。対して豪傑である現王サンタバレヌスは絶大な支持を受けています。
 今後の課題としては、彼が如何に王としてグランディエに必要な人間かをアピールすること,それがサンタバレヌスが密かに頭を抱える事項の一つだとか。
 もっとも現時点で彼を失えばグランディエの国家機能が一時麻痺するのは確実、との第三国の政治批評家の声もありますが、それは所詮第三国からの論評にすぎません。

 シャーレーヌはフリスタリカの王立学院で誠、シオンとともに学んだ学識(偏った)豊かな女性です。
 卒業後、砂漠の国グランディエの王サンタバレヌスに評価され、異国人ながらも王子の秘書として採用されました。
 彼女の役割は王子の護衛と、庶務の遂行の2点。政治に関しては異国人は排他的な他国と異なり、グランディエにおいて彼女は巧く立ち回りが出来たのか、支持は篤いようです。
 また彼女は現在数少ない、符術に通じた女性です。
 特徴である銀色の髪と、符術に用いる特異な文字は、ロシュタリア文明圏を遥かに東へと行った地域で見られるようです。
 符術とは現在では失われた学問体系であり、神官達が用いる方術を書式化したものとロシュタリア学術顧問であるストレルバウが位置付けております。
 もっとも書式と言う限られた性質から大神官の用いるような大掛かりな方術を符にすることは出来ません。ですが一度符にしてしまえば特定のキーワードを口にすることにより『誰でも』術を行使することが出来ます。
 ロシュタリア文明圏において符術が失われたのは、神官達の圧力があったものと思われます。先エルハザード文明において『技術』であった『炎』や『風』、『水』が信仰へと昇華する為には、限られた者のみが用いることの出来る『奇跡』としての位置付けが重要だったのでしょう。
 ともあれ、符術は現在では魔除けや野獣除け程度の効果として庶民の間に広がるに止まっています。
 さて、彼女が学生時代にかけていたメガネは赤外・紫外域を捉えることができ、さらにはX線による物体透過可視を可能にした先エルハザード文明の遺物。現在ではその価値は計り知れないものとなっております。
 現在、シャーレーヌの性格・雰囲気ともに学生時に比べて急変していますが、フレイアによる影響と捉えるのが妥当でしょう。

 フレイアとシャーレーヌ。
 2人の間に何があり、これからどうなって行くのか…
 あくまで脇役な2人ですが、時には注目してやってくださいね(笑)。


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