高速の死角

その七


 ・ヘッドライト
 ・フロントバンパー
 ・助手席側の幌
 ・運転席側のボディ
 ・荷台部分
   等など
 以上が、バモスの破損箇所であるが、二度も、化け猫の乗っ取った実験車両と接触したにもかかわらず、走行に支障をきたすダメージを被らなかったのは、姫萩の超絶な運転技術と、幸運のおかげであると云えた。
 「オ〜オ〜、これで、仕事終わりかな〜」
 ヒビが入った左サイドミラーにテープを貼りながら、梅崎が言った。
 「さぁ、栄子ちゃん次第じゃないの」
 内側に少し曲がった右サイドミラーを右手で直しながら、姫萩が答える。
 ちなみに、どこも破損してないバックミラーに映る田波は、
 「こっ、これで終わりにしてくれ」
 荷台に積まれている道路工事用フェンスにしがみつき、キャビンから白煙をあげる実験車両を、肉眼で捉えながら、力のこもってない声で訴えた。



 「栄子ちゃ〜ん」
 モニターに映る実験車両を見て、菊島が、蘭東を呼んだ
 「じゃぁ、ノートパソコン取ってきますね」
 「いえ、いいわ。アッチの方が人がいないから、アッチでやってちょうだい」
 「はい。では、そうします」
 「じゃぁ、報告は携帯で、お願いね」
 しかし、蘭東は桜木と話し込んでいて、菊島の方を向かない。
 「栄子ちゃん、栄子ちゃん、栄子ちゃん」
 何度も、名前を呼ぶが、それでも振り向かない。
 「栄子ちゃん、ちょっと」
 痺れを切らした菊島は、肩を後ろから掴んで、蘭東を強引に振り向かした。
 「ちょっと、なに、社長。考え事してる最中なのよ」
 「考え事って、仕事もう終わりじゃない」
 「おバカね。封印しなきゃ、お金もらえないのよ」
 「あっ、そか」
 「もう」
 重要な事を、忘れていた菊島に、蘭東は、ため息をついた。
 「そうだっ」
 菊島は、気がついたかのように携帯を取り出した。
 「ふう、さぁてと」
 一段落ついた蘭東は、腕組みをして、じっとあるところを見つめた。
 目線の先には、山崎が研究員達と何か話しあってる姿があった。
 「気づかれたかしらね」
 蘭東は腕組みから解いた片手を、頬に添えた。
 「ねぇ、栄子ちゃん」
 突然、蘭東は、自分を呼ぶ声と共に、頬に添えた手を引っ張られた。
 「なに、社長」
 またも考え事を中断させられた蘭東の声には、苛立ちがこもっていた。
 「田波くんに、かけたんだけど、全然でないのよ」
 「大方、どっかに落っことしでもしたんでしょ。バモスのに、かけ直したら、どう」
 「あっ、そうする」
 そう言って、菊島は、携帯をかけ直した。



 「夕ちゃん、そこから、何か分かる」
 「う〜〜ん、車の、煙が少なくなったこと以外、何も変り無いよ」
 姫萩は、バックミラーを、左手で少し上に傾けて、実験車両が映るようにした。豆粒ほどにしか実験車両は映ってないが、それだけでも動いてないことだけは、わかる。
 「じゃぁ、まだ、そこにいるかどうか確認してきて」
 「え〜、そっから、わかんないの」
 「わかんないから、頼んでんの」
 「はぁ〜い、了解」
 そう言って、梅崎の方に顔を向けるた姫萩は、、ハンドマイクを、口から離し、元に位置にかけようとしたが、
 「あっ、それから」
 菊島の声がして、梅崎と目と目を合わせながら、もう一度、口に近づけた。
 「そこにいなかったら、他のところを探して」
 「はぁ〜い、それも了解」
 交信が終わり、目を合わせていた梅崎が、シートに首を預ける。
 「他のところって、実験場全部ってことだろう」
 「まっ、そういうことかしらね」
 「ゆっくりいこうぜ。まわりを探してるって、適当な理由つけてさぁ」
 「って、ことだけど、田波君は、どう?」
 姫萩が目を移したバックミラーに、下から田波が現われる。
 「ゆっくり向かう方に、一票」
 力の無い声が、幌でくぐもって、姫萩の耳に伝わる。
 「じゃっ、そうするね」
 バモスは、ゆっりとUターンして、煙が収まりかけている実験車両に向かった。



 「そろそろ、高見ちゃんが着いた頃ね」
 蘭東は、腕時計を見ながら、そうつぶやく。
 「ねぇ、栄子ちゃん」
 菊島は、またも無視されない様に、蘭東の真ん前から話し掛けた。
 「高見ちゃん、どこ行ったの」
 「実験施設のコントロールルーム」
 蘭東は、めんどくさそうに、そう答えた。
 「ねぇ、どうして?こっからでも、モニター出来るじゃない」
 「頼んでおいたこと、やってもらったのよ」
 「ねぇ、何を頼んで……」
 声はそうでもないが、菊島の顔には、のけ者扱いされた苛立ちが、少しにじみ出ていた。
 「トゥルルルルルル」
 「あっ、高見ちゃん」
 携帯の呼び出し音が、菊島と蘭東とのコミュニケーションを分断する。
 「ねぇ、なになに?」
 「社長は、実験場内の監視をしといて」
 蘭東は、左手の人差し指で、モニターを、ピッと指して、菊島を遠ざけようとした。
 「いいじゃない、聞かせてくれたって」
 人差し指のベクトルとは、逆方向に、菊島は、一歩半進む。
 「あとで、ちゃんと話すわよ。ホラ、行って、行って」
 邪険に扱われた菊島は、仕方なしに、蘭東の人差し指のベクトルにしたがって移動した。
 そんな菊島であるから、チンタラと走るバモスを見て、何も言わないはずが無い。
 「コラ、はやくしろ!!」



 「だってさ、真紀ちゃん」
 梅崎の方を見ずに、姫萩が言った。
 「今、周りを捜索中なんだ。ガタガタ言うなよ」
 梅崎は、マイクを握りながら、首だけを振り、あたりを見回すポーズをとる。
 「じゃぁ、田波君は、何をしてるの」
 「後方を警戒してもらってるんだよなぁ、田波」
 しかし、モニターに映る田波は、ボ〜とした面持ちで、荷台に姫萩達と背中合わせに座っているだけで、化け猫を警戒しているようには、まったく見えない。
 「まっ、そういうことだ」
 梅崎は、しらじらしくそう言うと、
 「いいから、急行しなさい」
 刺々しい菊島の声が流れるスピーカーに、そっぽを向きながら、ハンドマイクを置いた。
 「無視、無視」
 「どうせ、あたしたちが追いかけるんだから、むこうが見つけるまで、このままでいくわね」
 「ああ、そうしてくれ」
 バモスの速度は、依然として変らない。



 「たく、もう」
 言うことのきかない社員達に、菊島は舌打ちをした。
 「ねぇ、栄子ちゃん」
 菊島は、愚痴の一つでも聞いてもらおうと、蘭東の方を見たが、
 「えっ、やっぱり、高見ちゃん」
 携帯で話し込んでいて、どうもまた邪険に扱われそうだったので、話しかけるのを止めた。
 「ちぇっ」
 菊島は、携帯を机に置くと、化け猫の所在を掴むため、監視カメラの操作を始めた。
 周りの研究員達の何人かも、コンソールに向かってはいるが、化け猫を探しているような感じはなく、そのことが、さらに菊島をイライラさせた。
 「たく〜、ちょっとは協力しろ」
 愚痴を言う相手は、モニターが務めた。
 と、そこへ、
 「社長、社長!!」
 蘭東が、携帯を耳に当てたまま、血相を変えて、菊島の所に走り込んできた。
 「なぁに〜」
 散々、邪険に扱われたせいか、菊島の声に、怒りがこもる。
 「まだ携帯繋いでいるでしょ」
 「もうとっくに、切っちゃったわよ」
 「ちょっと、何で切るのよ」
 「こっちの、勝手でしょ」
 いきなり来た蘭東に、いきなり怒られて、菊島は心の中ではキレていたが、
 「勝手に切らないでよ。いいわ、早く繋いで」
 蘭東のテンションに押されて、それを表に出せず、とりあえず携帯に、手をのばしてしまった。
 「たく、わかったわよ。で、何があったの」
 ただ、菊島にも、社長としての意地がある。そうすぐには、ダイヤルせず、ゆっくりと携帯を持ち上げてみた。
 「大変なことよ」
 案の定、蘭東は、苛ついているのか、携帯を持つ右腕の肘に当てている左手の人差し指が、右肘を叩き続けていた。
 「大変なことって?」
 「だから大変なことよ。ああっ、もう、高見ちゃんが、……」
 しばし、蘭東の説明を聞いた菊島は、
 「3ハァ、2ハァ、4と」
 携帯のボタンを押す指の動きを速めた。



 「トゥルルルルルル」
 呼び出し音が、鳴る。
 「たく、チッ」
 梅崎が舌打ちをする。
 「トゥルルルルルル」
 呼び出し音が、鳴り続ける。
 「ねぇ、やっぱり、出るぅ?」
 そう言う姫萩の声にも、真剣味はない。
 「トゥルルルルルル」
 まだ、鳴り続ける。
 「やめとけ。どうせ、また、はやくしろってことだろ」
 歩くよりも遅い速度の徐行運転を続けるバモスと、実験車両との距離は、現在、約50メーターくらいになっていた。
 「あっ、でも、やっぱり出た方がいいんじゃないですか。化け猫が、見つかったて連絡かもしれないし」
 荷台にいる田波が、運転席を覗き込むようにして、言った。声には少し、元気が戻ってきている。
 「それならそれで、いいんだよ。こっちが出なきゃ、いずれむこうがやることになるんだ」
 「ねぇ、田波君がやってくれるの」
 「お断りです」
 田波が、キッパリとそう言った。
 「うん?」
 突然、梅崎が、身を乗り出した。
 「梅崎さん、どうしたんですか?」
 「どうしたの、真紀ちゃん」
 「いや、ちょっと動いたような」
 その言葉で、田波と姫萩は、あわてて前を見た。
 既に夜を迎えていたが、街路灯があるため、さっきまで、キャビンから白煙を上げていた実験車両の姿を、ハッキリ確かめることが出来る。
 「バッ、ウゥゥイ〜〜ン」
 街路灯に照らされて、白く輝く実験車両は、梅崎が、言うように、確かに動いていた。
 ただし、動いていたのは、タイやではなく、ボンネットである。
 「トゥルルルルルル」
 鳴り続ける呼び出し音が、今ではバモスにいる三人の耳に、さっきよりも大きく聞こえた。
 「アレのことじゃないですか」
 「そう、だな」
 三人の目線は、ボンネット下の一点で交わっていた。



 「チャッ」
 「あっ、繋がった。ねぇ、もしもし、夕ちゃん、夕ちゃん」
 菊島は必死に呼びかけたが、バモスからの応答はない。
 「もしもし、もしもし、ねぇ、夕ちゃん、聞いてる」
 「聞いてる」
 やっと返ってきた返事は、どこかこわばっていた。
 「良かった。あっ、あのね、ところで、その実験車両のことで、大変なことが分かったのよ。それについて、栄子ちゃんから説明があるから、聞いて」
 「夕、聞いて。ここに来て、これが化け猫の仕業かどうか調べた時あったでしょ。その時、何か怪しいと思って、高見ちゃんに、ここサーバーを調べるプログラムを走らせてもらったのよ。そうしたら、案の定、凄いものが出てきちゃったの。ああっ、こんなことなら、守秘契約結ぶんじゃなかったわ。最初に気がついてれば、上手く脅せて、もっとふんだくれたのに」
 「栄子ちゃん、それはいいから」
 菊島は、話が脱線しかかった蘭東を諌めた。
 「あっ、ごめんなさい。話を元に戻すわ。それで、出てきたのがね……」
 「わかってる。アレでしょ」
 「えっ!?」
 「栄子ちゃん、アレ!!」
 蘭東は、慌ててモニターを見た。
 「ああっ!!」
 そこには、ボンネットを開いて、内蔵していたミサイルの発射準備を整えつつある実験車両の姿があった。
 「あっ、あれは!!」
 「えっ、もうか!?」
 「うわっ!!」
 研究所内に、研究員全員の驚愕の声がこだまする。
 蘭東は、その光景に一瞥すると、
 「ちょっと、高見ちゃんに代わるから。いい、夕、なんとかして」
 と、言って、携帯を、互いの通話口と送話口が重なるようにくっつけた。



 「姫萩さん、今、どうしてますか」
 「Uターンして、全速で逃げてるとこ」
 姫萩は、マイクを梅崎に持ってもらい、両手でハンドルを握っていた。
 バモスと、実験車両との距離は、500メーター以上に広がっている。
 「それじゃ、駄目なんです。もう一度、Uターンして、全速で、突っ込んで下さい」
 サンドウィッチされた携帯の間からもれる、悲鳴ともつかない桜木の声に、最初に反応したのは、蘭東でも、姫萩でもなく、菊島だった。
 「ちょっと、田波君、殺す気?」
 蘭東の両手で押さえていた携帯のサンドウィッチを、菊島は両手で引き剥がし、蘭東の右手にあった桜木に繋がっている携帯に向かって、その常識を疑うような作戦に怒りをあらわにした。
 「違います、社長。それしか方法がないんですよ」
 「それしか方法がないって、どういうことか説明してよ」
 「そんな時間、今ありません」
 「なくてもいいから」
 菊島が、大声を出す度に、蘭東の右手にある携帯は、菊島の飛ばす唾で汚れる。
 「社長」
 蘭東が、落ち着いた、だが、どこか沈んだ声で、菊島の肩を叩いた。
 「なに、栄子ちゃん」
 「もう遅いわ」
 「えっ!?あっ!!」
 菊島の見上げたモニターには、既にUターンを終えて、全速力で実験車両に向かい始めるバモスが映っていた。
 「夕、真紀、田波君、あんた達、死ぬ気!?」
 菊島は、体を反転させると、今し方、肩を叩いた蘭東の左手を引き寄せ、握られているバモスと繋がる携帯にむかって叫んだ。



 「姫萩さん、社長の言う通りですよ」
 「そうだぞ、夕。今からでも遅くはない。横道に入ろうなっ」
 田波と梅崎が耳元で叫ぶも、姫萩は、前を向いたままで、返事がなかった。
 「姫萩さん!!」
 「夕!!」
 「あたしに、その気はないよ」
 やっと戻ってきた返事は、田波と梅崎の声を落ち着かせるどころか、反対に荒げさせた。
 「その気はないって、ちょっと、俺の命は、どうなるんだ」
 「夕、そのハンドル貸せ」
 「あぁ〜、もう〜」
 姫萩は、ハンドルに伸ばそうとした梅崎の両手を、左手で払うと、今度は、ハンドルを持ち替えて、右手で、田波の顔を押しのけようとした。
 「うっつわっ」
 田波は、その姫萩の右手を、なんとかいなす。すると姫萩は、田波の顔を押しやるのをあきらめたのか、それとも運転に集中したいのか、また両手でハンドルを握り締め、
 「高見ちゃん、信じられないの」
 と、こう言った。
 「いや、でも」
 「突飛すぎるぞ、夕」
 「なら、社長の指示に従うぅ?」
 そう訊ねられた、田波と梅崎は、目を合わせると、二人一緒に、こう言った。
 「それはなぁ〜」
 しかし、すぐに、こう付け加える。
 「でも、それとこれは」
 「いいから、横道に入れ」
 梅崎は、またハンドルに手をのばす。
 だが、姫萩は、今度は、払いのけようとはせず、代わりに、ボソッと次のように言った。
 「もう、遅いよぉ」
 「へっ!?」
 「うわっ!!」
 悲鳴と共に、梅崎は、背中をシートに押し付けてると頭を両腕でかかえ、田波は、荷台に、慌ててうつぶせになってから、梅崎と同じように頭を両腕でかかえた。
 一方、さっきまで冷静だった姫萩は、
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 いきなり吶喊をあげだした。
 その姫萩がハンドルを握るバモスは、先刻Uターンして逃げた場所の近くにまで、達していた。


 「スッバァ〜〜」
 実験車両のボンネット下の右端から、長さは60センチ強、直径は10センチに満たない、超小型のミサイルが、すぼめた口から頬いっぱいに溜めた空気を吐き出した時にするような音をさせて、発射された。
 「シャサァァァ〜〜〜」
 二本の細いケーブルを実験車両から引っ張るミサイルは、何にも迷うこと無く、バモスに向かって、直進する。
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 そのミサイルに対して、姫萩は、さらに大きな吶喊をあげて、勝負を挑んだ。
 その勝負とは、
 「シャサァァァ〜〜〜」
 自爆して相手を壊すことにしか、存在意義が無い、ミサイルと、
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 人や荷物を、速く、かつ安全に運ぶために生まれた、自動車との、アンフェアなチキンレースであった。
 もちろん、不利なのは、バモスの方である。
 そのことは、姫萩も十分に承知してはいたが、桜木のあの言葉を信じているのか、アクセルを踏む足も、ハンドルを握る手も、微動だにしなかった。
 「シャサァァァ〜〜〜」
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 この、どちらも一歩も引くことの無いチキンレースは、しかし、思いがけない幕切れを迎える。
 「ドゥシャ〜」
 なんと、ミサイルが、バモスの手前で、いきなりホップして、
 「ドォッ」
 バモスを通り過ぎたギリギリのところで、爆発したのだ。
 「ヒッハァ!!」
 爆音を聞いて、田波は、頭を抱えていた両腕を、さらに頭に密着させ、
 「うわっ!!」
 梅崎は、両腕で頭を抱えたまま顎を引いた。
 爆発の被害は、道路のアスファルトが丸く捲れあがっただけで、何故か一番近くにいたバモスには、これといった破損箇所がなかった。
 「ドゥゥゥゥゥ」
 姫萩の吶喊が止んだバモスの車内に響くエンジン音が、頭を抱える二人に、まだ生きていることを教えた。
 「ふぅ〜はぁ〜」
 「たっ助かったのか、夕」
 梅崎は、頭を抱える腕の肘と膝の間から、薄目を開けて姫萩を見ると、そう言った。
 「次があるよぉ」
 「えっ!?」
 目線を両膝の間に移すと、前方約30メーターにまで、実験車両が近づいていた。ミサイルを外された化け猫は、こんどは実験車両の耐久力にものをいわせて、バモスを破壊するつもりなのが、容易に推測できる。ただ、実験車両は、衝突時の車体の被害を最小限にするためか、ボンネットを閉めつつ低速でバックしながら、こちらの動きに合わせていた。
 「夕、ブレーキ、ブレーキ」
 「田波君、フェンス!!」
 姫萩は、梅崎の声を無視して、後の荷台を向いた。
 「フェッ、フェンス。フェンスですか?」
 安堵感に浸る間もなく、フェンスとだけ言われた田波は、その意図が掴めずに、情けない声を出す。
 「フェンス!!」
 「はっ、はい!!」
 姫萩の焦った声に、少し我に返った田波は、寝そべったまま右に転がると、荷台の右端にピッタリとくっつき、
 「ガッチャンガチャ」
 下にある、フェンスを持ち上げた。
 「姫萩さん」
 「よっし」
 ハンドルから両手を離して、フェンスを受け取ると、姫萩は、それの右端を右手で掴んで、バモスのフロントに持ってきた。
 「真紀ちゃん、左端を持って」
 「どうするんだよ」
 フェンス一枚では、実験車両と衝突した時のクッションにはならない。
 「いいから。離してって言ったら、離してよぉ」
 「離すって、うわっ〜」
 気がつくと、ボンネットを閉めて、完全に対衝突体勢を取った実験車両が、すぐ目の前にあった。
 「真紀、離して」
 「うわっっっ」
 二人の手から離されたフェンスの上端が、実験車両のボンネットにかかると、
 「ジャワン」
 バモスの前輪が、その上に乗り上げた。
 フェンスは、大きくたわんだが、バモスが軽いこともあり、後輪が乗り上げるまで、なんとか役目を果たした。
 そう、それはつまり、
 「ドッッ」
 ジャンプ台としての役目を果たしたのである。
 「ガッドゥドンドン」
 着地したバモスのサスから、大きな軋む音がした。
 「よぉっし」
 姫萩は、左手をハンドルから離すと、小さくガッツポーズをした。


 「姫萩さん、姫萩さん、次は、右に曲がって、並木道を蛇行して下さい」
 実験施設のコントロールルームにいる桜木は、ノートパソコンのキーを叩きながら、こう言った。
 「それで、いいのぉ」
 「あっ、それから、並木道を抜けたら、住宅区域に入って下さい」
 「あの、ややこしいところね」
 「はい、そうです」
 「O.K」
 桜木は、バモスが、並木道に入っていくのノートパソコンのモニターで、確認すると、研究所内を映してるウィンドウに切り替えた。
 「高見ちゃん、どうして突っ込めなんて言ったの」
 早速、菊島が、まだ落ち着きを取り戻していない声で、疑問をぶつけた。
 「あっ、それは、多分、あのミサイルは、TOW2か、Raytheonを、小型化したものだと考えたからなんです」
 「TOW2って、あの対戦車ミサイル?だからなんなの」
 「ですから、それらのミサイルって、戦車を攻撃する時に装甲の薄い上を狙うんです」
 「つまり、バモスにトップ・アタックを仕掛けると思ったのね」
 蘭東が、山崎の首を右脇で絞めながら、さっきまでバモスに繋いでいた携帯を左手に持って現われた。
 「ええ、それだったら戦車より車体の小さいバモスは、かわせると考えたんです」
 「でも、でも、今さっきは、逃げるように指示したじゃない」
 菊島は、渋々納得しながらも、悔しくて反撃した。
 「それは、ですね」
 桜木は、そう言って、一呼吸おくと、
 「あのミサイルは、多分、有線誘導なんですよね」
 と、蘭東に首を絞められている山崎に、確かめるかの様に訊いた。蘭東が、右に首を傾げる様にして携帯を持っているため、桜木の声は、小さくだが、確実に、山崎の耳にも入っていた。
 「どうなの」
 「いっ、いや、知らない」
 山崎のその答えを聞いて、
 「つっ、痛」
 蘭東は、腕に力をこめ、桜木は、
 「それも、光ケーブルを使ったものですよね」
 と自信ありげに、付け加えた。
 「なっ、何故そこまで」
 苦しさでつむっていた山崎の目が、大きく開かれた。
 「ちょっと、待って、だからどうだっての」
 菊島が、話を自分の方に戻す。
 「つまり、有線なら、コードが引っかかるような飛び方が出来ないんです」
 「並木を縫う様には飛べないってことね」
 「じゃぁ、住宅区域に入るように言ったのは」
 「それは、発見されにくくするためです」
 それを聞いて、全てを納得した菊島であったが、悔しさだけは、顔に残っていた。
 「で、アレは、何発なの」
 蘭東は、右脇に抱えた山崎の頭を、顔に近づけた。だが、山崎は口をつぐんだままである。
 「何発なの!!」
 蘭東は、両手をクラッチして、左腕を思いっきり引いた。
 「うぐっぅぅ」
 右脇にある首が、さらに絞まる。
 「大丈夫よ。こちらとしては残念ですけど、契約書通り、秘密は守りますから」
 「ろっ、6発だ。ボンネットに4発、トランクに2発」
 山崎は、首を絞められて小さくしか出ない声を、なんとか大きくしようとして、苦しいながらも、口を大きく開けて、答えた。
 その声を聞いて、周りの研究員達は、全員口をつぐんだ。
 環も、それを止めるでもなく、ただボ〜として見ていたが、目には、生気がほんの少しだが戻っていた。
 「6発ね。1発は、サンプルとして残すつもりだとすると、残りの4発は、隙あらば躊躇せずに撃ってくるわね」
 そう言いながら、蘭東は、山崎の首から腕を外した。
 「ううっ、とっと」
 首を絞められて苦しんでいた山崎は、よろけて机に両手をつくと、そのまま机に、突っ伏した。研究員達の誰も、山崎のそばには、駆けつけなかった。
 「高見ちゃん、もうちょっとそこで、情報収集して頂戴。多分、これ以上、情報を聞き出せそうにないから」
 蘭東は、横目で、山崎の方をチラッと見てから、研究所内にある監視カメラに向かってそう言った。
 「あっ、ああっ、あっ、はい」
 「どうしたの高見ちゃん」
 携帯から聞こえる桜木の返事が、どこかへんなことに、蘭東は気がついた。
 「あっ、あの、実験車両が、見当たらないんです」
 「えっ、どこかにいるんじゃないの」
 「あっ、はい。でも、現場に近い監視カメラを何個か見てるんですけど、それには……」
 「社長!!」
 蘭東は、あわてて菊島を呼んだ。
 「わかってるわよ。すぐ調べるから」
 菊島も、ことの重大さを理解してか、表情は、さっきとはうってかわって、真剣なものになっていた。
 「まさか、逃げたとなると……」
 蘭東は、顎に手を当てて、唇をかみしめる。
 ほどなく、後ろから、
 「いない、いない、いない、いない、……」
 あせりまくっている菊島の声が響き渡った。

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