高速の死角

その八


 「いない、いない、どこにもいないよ、栄子ちゃん」
 菊島が、少し目を潤ませて、蘭東の方を振り返った。
 「わかってるわよ。夕、そっちは、どう」
 「こっちは、さっきから逃げてるんだよ。わかるわけ、ないじゃんか」
 「高見ちゃん、どう」
 「いえ、こちらも、まだ見つけられてません」
 三人の報告は、全て事態の悪化を示すものだった。
 「ふ〜〜〜ぅ」
 蘭東は、肩で大きく息をすると、左手を右肘に、右手は口元に当てて、つぶやき出した。
 「全員の目が、着地したバモスに集まっていたのは、ほんのわずかな間だわ。それじゃ、それほど遠くには、逃げられない。なのに……」
 思案に沈む蘭東の代わりに、
 「田波君、そっから降りて探しなさい」
 「こわくて出来るか、そんなこと」
 菊島が、他のメンバーとの連絡を取ったが、
 「うん、もう。真紀ちゃん!!」
 「あたしも、やだよ」
 「あんた、銃持ってるんでしょう」
 「今持ってる銃じゃ、歯が立たないんだよ」
 適切な指揮を執るには、いたらなかった。
 「……隠れるにしても、そんな場所はないし……。もし、ミサイルで作るにしても、ボンネットと、トランクは閉じられていたんだから、すぐには無理なはずだわ」
 蘭東は、さらに深く思案に沈む。
 「じゃぁ、さっきやってたみたいに、矢に御札をつけたらいいでしょ」
 「馬鹿言うな。車内で、御札が爆発しても、動いてるようなヤツだぞ。確実に当たる距離で狙っても、車ん中に入らなきゃ、二発目食らわす前に、こっちが轢き殺されちまう」
 ふと、蘭東の口元から、右手が離れた。
 「うん、もう。高見ちゃん、何してるの」
 「えっ、今、もう一度、全ての監視カメラの映像を洗い直すところです」
 「そんなのこっちでも出来るわ。高見ちゃん、あんたが行きなさい」
 「えっ、そんなぁ〜」
 「ねぇ、社長!!」
 蘭東は、右腕を菊島の方に伸ばして、手をパッと開いた。
 「ちょっと。今回、一番働いてないから、やってもらうのよ」
 蘭東の手をのけながら、膨れっ面して菊島が言った。
 「違うわよ、その前」
 「その前って、真紀のこと?」
 「そうよ。真紀が、矢に御札をつけて飛ばしたでしょ。あれの一本が、壁に当たってたはずよ」
 「ねぇ、それって、栄子ちゃん」
 膨れっ面で赤くなった菊島の頬が、一転して、青くなる。
 「高見ちゃん、行かなくていいから、壊れた壁の所を調べて」
 そう言いながら、菊島も、手元にあるコンソールを操作した。
 「わかりました、社長」
 今までの会話を聞いていたのか、この言葉のすぐに、桜木の答が、返ってきた。
 「社長、壁に空いてる穴にむかって、タイヤの擦過痕が、延びてます」
 「ホントにぃ!」
 「わかったわ。こっちでも確認するから、高見ちゃんは、念のために、タイヤと擦過痕の照合をお願い」
 「あっ、はい、すぐに」
 蘭東と菊島も、すぐに、それを確かめようと、モニターに目を移すが、現場は小さくしか映っていなかった。
 「社長、ズームして」
 「わかってるわよ」
 穴の空いた壁の付近が、ズームされると、モニターの左端から、真ん中にかけて延びる四本の擦過痕が、はっきりと見てとれた。
 「四本あるってことは……」
 「四駆ね。おそらく」
 二人の言葉の語尾が、下がり気味になる。
 「社長、わかりました。間違いありません。あれは、化け猫の乗っ取った実験車両のタイヤが空転してついた擦過痕です」
 「ええ、こちらでも確認したわ、高見ちゃん。それに、四つのタイヤが空転するのは、動力が四つとも伝わっている実験車両の他は、ここではありえないものね」
 「あっ、蘭東さん。それから、壁の向こうの芝生にへこみがあるんです」
 研究所の二人は、このことを確かめるのに、カメラをズームする必要はなく、ただ目をモニターの右端に移すだけでよかった。
 「これで、実験場の外に逃げたのは、確実ね」
 「どうするの?栄子ちゃん」
 蘭東と菊島は、声を低くして、話し合う。
 「追いかけるほかないでしょ」
 「でも、あいつに追いつくのは、うちの車両じゃ、無理よ」
 「ここ、どこだと思ってるの。協力してもらいましょう」
 口元に、何か含んだ笑みを浮かべた蘭東は、机に突っ伏したままの山崎を、ちらっと見ると、
 「こっちじゃ、話になんないわね」
 と言って、ボ〜として立っている環の方に近づいた。
 「これから、追跡するので、おたくのご自慢のマシンをお貸ししてもらいますよ」
 「ふぅ、ここにある車は、どれも駄目なんじゃ、なかったでしたっけ」
 環は、ため息混じりに答える。そもそも閑職に追いやられていたせいか、この一件でのダメージは、山崎に比べると、小さかったし、目の前で、エリートが膝をつく場面に出会って、ほんの少しだが、元気も出ていた。
 「車とは、一言も言ってませんわ」
 「えっ?」
 「つきましては、準備の手伝を、お願いできるかしら」
 蘭東は、そう言いながら、携帯のメモリーを確かめた。


 「バッバッバッバッバッバッバッバッバッバッ」
 爆音が響く機内の中、
 「蘭東さん、Nヒットしました」
 雑に積まれた出張君一号から運び込まれた機材に埋もれる様して、桜木は、各機器を操作していた。
 「高見ちゃん、ホント」
 「ええ、ナンバープレートに、数字が刻まれてないので、間違いありません」
 「で、場所と時間は」
 「実験場から20キロと離れていない国道151号線のNシステムです。時間は、逃げてから、約四十分」
 「栄子ちゃん、読みが、当たったわね」
 菊島は、左手でインカムを押さえながら、足元に置いた地図に、今、桜木が言った場所をマークした。
 「バッバッバッバッバッバッバッバッバッバッ」
 細かい振動が、マークの線を、少しばかり太くする。
 「高見ちゃん、ETCを含めた、東名高速の通信網は、全てこちらが握った?」
 「ETCの方は完了。全通信網の掌握まで、あと10分」
 「社長、今、夕達は?」
 「音羽蒲郡インターチェンジに向かって、順調に移動中」
 歯切れの良い報告を聞き終えて、
 「ふうっ」
 と、蘭東は、大きく息をはいた。
 「これの到着に時間がかかった時は、どうなるかと思ったわ」
 そう言いながら、蘭東は、手でヘリの扉を触った。
 「しかし、傘下の企業で、ヘリを国産してるなんて、全然知らなかった」
 菊島が、はしゃぐように言った。
 「社長、傘下の企業じゃないわ。技術提携してるところよ。まぁ、子会社同然なのは、変わりないけど」
 「まっ、とりあえず、あとは豊川インターチェンジのETCに引っかかるのを待つだけね」
 菊島達を乗せたヘリは、化け猫に見つからないように、ゆっくりと南下し続けた。



 「本当に、こっちに、くるんだろうなぁ」
 音羽蒲郡インターチェンジのETC前で、梅崎は、バモスの荷台に腰掛けながら、夜空の星を仰ぎ見て、半分気の抜けた声で言った。
 「一般道に出て、化け猫が一番恐れるのが、ハウンドの介入。それを避けるために、化け猫は、出来る限り遠回りをする。でも、それだと遠くに逃げるのに時間がかかるので、いつかは高速を利用するはず。そして、高速を利用するならば、人目に触れにくい、無人のETCを通るしかないのだが、これは実験中で、下りにしか設置されていない」
 田波は、梅崎の反対側の荷台に腰掛けながら、料金所の明かりで出来た自分の影を見つめて、一気に、だが、ボソボソと喋った。
 「で、ここの料金所に、追い詰めるってのが、栄子ちゃんの作戦よね」
 そう付け加えて、姫萩は、タバコに火をつける。
 料金所の前の道には、ギッシリと、御札が敷き詰められていた。
 「ふう」
 梅崎は、夜空の星を仰ぎ見たまま、ため息をつくと、
 「豊川インターチェンジから音羽蒲郡インターチェンジって、何キロだ」
 と訊いた。
 「11.2キロ」
 田波が、ボソッと吐き捨てるように答えた。
 「で、ここに着いてから、何分だっけ」
 間髪入れずに、姫萩が訊く。
 「30分」
 これにも、田波は、ボソッと吐き捨てるように答えると、目線を自分の影から、足元に移した。
 梅崎は、首から力を抜いて、頭をダランと後ろに倒した。
 姫萩は、タバコを口にしたまま、ハンドルに顎をのせた。
 灰皿は、タバコが山盛りになっている。
 「はぁ〜〜〜あ」
 三人が、そろって大きなため息をついた。



 「どうしてこないのよ!!」
 蘭東は、苛立って、ヘリの扉を、拳で叩いた。
 「豊川のETCは、通ったはずでしょ」
 「ええ、それは確かなんです……」
 自分が、何か見落としたかもしれないことを気にしてか、桜木の声のトーンは下がっていた。
 「反対車線の上りに逃げたってことはないの?中央分離帯を破壊して」
 菊島が、足元に置いた地図から、顔を上げる。
 「もし、そんなことをしたら、下は渋滞のはずよ」
 蘭東は、菊島の言った可能性を言下に否定した。
 「じゃぁ、どっかに止まっているってことは?」
 菊島は、足元に置いてあった地図を手に取ると、問題の11.2キロの間を、右手人差し指でさした。
 「ほら、ここ。赤塚パーキングエリア」
 「そこは、さっきも確かめたわ。高見ちゃん、社長に見せてやって」
 「あっ、はい」
 狭い機内に、一号の機材がうずたかく積まれているため、菊島は、桜木と頬を寄せあうことで、やっと同じモニターを見れた。
 「ほら、これですよ。赤塚パーキングエリアの駐車場は」
 「どれどれ」
 菊島は、しばしモニターを見ると、肩を落した。
 「はぁ、いないわね」
 「わかった、社長」
 蘭東は、そう言うと、さっきまで菊島が持っていた地図を手に、目を皿にしていた。
 「ああっ、こんなことなら、先回りせずに、多少危険でも、ヘリで追い立てれば良かったわ」
 蘭東の人差し指が、東名高速に接続している道路を、なぞる。
 地図をとられて、何もすることがない菊島は、桜木に、他の可能性も、訊いてみることにした。
 「ねぇ、高見ちゃん。他に仲間がいて、偽装したとか、トレーラーの中に入れたとか、考えられない」
 「それ、さっき、考えられないって、結論が出たでしょ。聞いていなかったの。そんなことが出来る場所も、トレーラーも見つからないって、高見ちゃんと一緒に、あたしが確かめたじゃない。ねぇ、高見ちゃん。たかみ……」
 地図から目を上げた蘭東は、モニターをじっと見つめる桜木の顔を目にした。
 「高見ちゃん、怒っちゃったの?ごめん」
 菊島は、桜木に無視されているものと思い込んだ。
 「高見ちゃん、高見ちゃん、どうしたの?そんなに、モニターを見つめて、何かあったの?」
 蘭東は、頭の上から桜木の顔を覗き込んだ。
 「あっ、あの、赤塚パーキングエリアからのトラフィックが、20分前から急激に増えてるんです」
 「まさか、化け猫が、公衆電話から、移動しているとか」
 「それだったら、もうけもんじゃん。電話網もこっちが握ってるんでしょ」
 「いえ、この量だと、化け猫ではないんですが」
 そう言われて、蘭東は、赤塚パーキングエリアの駐車場を映すモニターに、目をやった。モニターに映る光景は、前と、さほど変わりがなかったが、蘭東は、車から降りた人達が、皆、画面に右下端に集まっていくことに、ふと気がついた。
 「ちょっと、カメラを右に回してくれる」
 「あっ、はい」
 桜木は、何のことかと思いながら、キーボードを叩いた。
 「アレ?動かない」
 「キーボード、叩き間違えたんじゃないの」
 「ちょっと待って下さい。もう一度、やりますから」
 桜木は、菊島にそう言われると、今度はキーボードに目をやり、確かめながら叩いたが、それでもモニターは同じ場所だけを映し続けていた。
 「動かないよ〜」
 「えっ、そんなことは」
 「だって、ホラ」
 「えっ、そんな。他の、監視カメラは、操作できるのに……。もう一度やってみます」
 モニターを見た桜木は、何が原因か分からないといった顔をしながら、キーボードのホームポジションに手を置こうとしたが、しかし、その指は、蘭東の手のひらに押さえられた。
 「いいわ、高見ちゃん。それよりも、ここの公衆電話の音声を、こっちにまわせる」
 蘭東の真剣な面持ちを見ていた、桜木は、指にあてられている蘭東の手のひらが、汗でぬれていることに気がついた。
 「音声……、音声ですね」
 「頼むわ。もう、手後れかと思うけど」
 語尾が下がり気味の蘭東の言葉を聞きながら、桜木は、キーボードを叩き、公衆電話とヘリのスピーカーとを繋いだ。
 「なんで、掛かんないんだ。見たこと無い車が、壁をぶっ壊して、大変なことになってるっていうのに……」
 ヘリのスピーカーから流れた声は、赤塚パーキングエリアの状況を端的に表す語句を、並べたものだった。



 「えっ、何、なんか策が無いかって?」
 待ちくたびれた上に、無責任にも、見失った実験車両を発見するための案を聞かれて、梅崎は怒鳴った。
 「あるわけないだろう。ヘリでも探せないものを、車のあたし達が、どうやって探すってんだよ」
 「運転手は、運転がお仕事」
 姫萩は、口にくわえていたタバコを、右手の人差し指と中指で挟むと、右腕をダラッと降ろし、口から白い煙を吐いた。
 「えっ、じゃぁ、田波に聞けって?今は、御札の回収作業やってて無理だ」
 そう言うと、梅崎は、道路の反対側にいる田波に、目をやった。
 時たま、行き交う車に遮られて見えなくなる田波の姿は、御札を道路から剥そうとしている最中に、急にやってきた車を避けたのか、
 「ぅわっ!」
 尻餅をついたものだった。
 「こらっ、何やって……」
 ドライバーの怒鳴り声も、最後まで聞こえないくらい、車のスピードは、速い。
 シールを剥して、道路にバラ撒くだけの、御札の敷設作業の時には、こんなことは無かったが、一枚づつ、アスファルトの道路から剥して回収する時間のかかる作業となると、途端に行き交う車は、怒号とクラクションを、田波に向かって浴びせ掛けた。
 「ちょっとは、手伝えよ」
 夜間で交通量は減ってはいるが、危険な作業であることに変りない。
 それに、交通量が減ってるとは言っても、先程の田波の怒鳴り声が、八車線向こうの梅崎達に聞こえないほどに、かき消すぐらいの量はある。
 それでも、顔から、何を言っているか、分かるのであるが、梅崎は、それを無視しするように、目線を外すと、
 「だから、無理だって言ってるだろ。聞きたきゃ、田波の携帯に直接掛けろ」
 と、携帯に向かって怒鳴った。



 「それが出来れば、そうやってるわよ」
 蘭東は、そう言うと、インカムを落さない様に、片手で押さえ、ヘリから身を乗り出して、下を見た。
 「えっ、何故、出来ないんですか?」
 桜木が、不思議そうな顔をして、蘭東の方を振りかえった。
 「そうか、高見ちゃんは、知らなかったわね」
 蘭東は、インカムの送話口を手で押さえ、顔だけを桜木の方に向けた。
 「あのね、田波君、助けた時に、社長が掛けたんだけど、全然でなかったのよ」
 「そうそう、実験場のどっかに、おっことしてるのよ」
 しかし、説明を受ける桜木は、納得するどころか、よりいっそう不思議そうな顔をした。
 「えっ、そんなことは無いはずです。だって、同じ中継局が、バモスと田波さんの携帯をカバーしてるんですよ」
 「実験場じゃないの!!」
 蘭東は、ヘリから身を乗り出すのを止め、あわてて桜木の背中にピタリとついた。
 「そこまで、この中継局は、カバーしてません」
 「じゃぁ、誰が……」
 蘭東は、ここでハッとした。
 「化け猫!!」
 「化け猫なの!?」
 こめかみの皮膚が上に引きつられた蘭東の顔を見ながら、菊島も、声を上げた。
 「高見ちゃん、詳細な位置はわかる?」
 「いえ、PHSとは違って、広範囲をカバーしてるんで、半径4、5キロ以内としか……、あっ、待って下さい。別の中継局に、切り替わりました」
 「動いてるの?」
 「ねぇ、その中継局の位置、教えて頂戴」
 蘭東は、無造作に床に置いてあった地図を、手に取る。
 「音羽蒲郡インターチェンジから西、3キロです」
 「西、3キロね」
 蘭東の目と指が、地図をなぞる。
 「しかし、頭のいい化け猫ですね。通信網の封鎖を、逆に時間稼ぎに使うなんて」
 「時たま停止してたのも、コッチを馬鹿にしてるんじゃなく、ミサイルのデータを手に入れるためだったんでしょう」
 「そう、みたいですね」
 相手の実力を再認識した、桜木と菊島の間に、重い空気が流れる。
 「探せる……かしら」
 「指向性の強いアンテナを使って地道にやれば、なんとか」
 「いえ、その必要は、ないわ」
 蘭東が、地図のある部分を指でさしながら、二人に向けた。
 「あっ」
 「馬鹿にしてるわね」
 菊島は、蘭東の指先の文字をにらみつけた。



 山間部の、ある場所で、乗用車が、壁に激突する事故が起こった。事故現場は、周りの木々で見通しが悪い急カーブで、いかにも事故の起こりやすそうな場所であるが、現場が、車のまったく通らない寂しい通りのため、この事故は、未だどこにも通報されていない。
 もう少し、事故現場を説明すると、乗用車は、ほぼ真正面から壁に激突しており、壊れた壁のむこうある、舗装された細い道を越えた林にまで、壁の破片が散乱していた。
 この事故は、パッと見、スピードの出しすぎが原因のように見えるが、それだと合点のいかないことが、幾つかあった。
 まず、何故、夜間に、こんな辺鄙な所まで、この車の主が来る必要があったか?
 次に、何故、事故を起こしたこの車に、誰も乗っていないか?
 そして、敷地内の細い舗装路に乗り上げた、この車の前輪の横にある、「豊川カントリー倶楽部」(実際に、この名前のゴルフコースはあります)と書かれたプレートに、何故、タイヤの跡があるのか?
 その答えは、今、ヘリに乗っている三人が、一番良く分かっていた。

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