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踏切

 
 「うっ」
 思わずうめき声らしいものを挙げてしまったユウである。
 彼の目の前には8組もの線路と、黄色と黒のストライプの入った棒が腰の辺りで行く手を阻んでいた。
 「一度捕まると長いんだよな、ここは確か」
 彼は踏切の通過方向指示を見ると、案の定双方向だ。
 「まったく」
 小さくため息一つ。
 そして彼はぼんやりと線路と、その先を眺めた。
 夕暮れ時、仕事がえりのサラリーマンや買い物がえりの主婦、学校がえりの学生の姿が次第に増えていくのが分かった。
 と。
 視界の隅に慌しい動きのようなものが入る。
 しかし彼の脳にはそれは数あるノイズの一つと処理され、意識は向かない。
 彼の視線は踏切向こうの西の空。
 藍色の空には少しばかりの黒い雲がかかっている。
 と。
 再び視界の隅に慌しい動き。
 ようやく彼の意識はそれを『動き』と捉えて注意を向けた。
 踏切の向こうに、周りの目を気にすることなく両手を思いきり振る少女の姿が1つ。
 「………明日も晴れかな」
 彼の意識は無視した。
 ぶぶぶぶぶ……
 その判断と同時、懐の携帯電話が震える。
 仕方なしに取り出すと、着信は「秋月 未紅」とある。
 線路向こう、視線の先の少女は携帯を耳に当てていた。
 ピッ
 「…はい、もしもし」
 「やっほー、気付いた?」
 明るい声が電話の向こうから響いてくる。
 「気付きたくなかった」
 「はぃ?」
 「いや、何でもない。切るぞ」
 「あ、ちょっと待ってよ!」
 慌てる声に、仕方なしに彼はボタンから指を離す。
 「すぐに電話なしでも話せるんだから時間の無駄だろ」
 「どうしてそうなるかなぁ」
 呆れた少女の声だ。
 「なんか不思議な感じがしない?」
 「??」
 「だってさ、今ユウの顔が見えるんだよ。でもでも、声は直接届かない。すぐ近くにいるけど、でも会えない距離にいるんだよ」
 「そうだな」
 「これって、なんだかすごいロマンチックじゃない?」
 「今時、ロマンチックなんて単語を使用する女子高生こそが驚きに値する気もするが」
 「ダメだなぁ、ユウは。こういうのが分からないからアタシ私以外にモテないのよ」
 「精一杯の努力をして分かるようにするかな」
 「むー!」
 そして電話は切れる。
 むくれる未紅の姿が向こうに見えた。
 それを通過する電車が隠す。
 1編成、そして途切れることなく2編成目。
 そしてこれも途切れることなく3編成目が通過して。
 踏切が開いた。
 「え?!」
 踏切の向こうには、その少女はいなかった。
 つい今まで、近くて遠い壁を挟んで話した彼女の姿。
 呆然とするオレをよそ目に、踏切の待ち人達は横を通りぬけて行く。
 そして背後からの人の流れの中の一つから、軽く肩を叩かれた。
 「なに。ぼーっといてるのよ」
 「未紅?」
 なぜ彼女が後ろから??
 「えへへ」
 ニヤリと微笑む彼女が指差すのは、踏み切り横に設けられた陸橋だ。不精をして使う人のいないそれを、彼女は電車が通過すると同時に使用したのだ。
 なぜそんな事をしたかといえば、
 「びっくりしたでしょ、ねぇ?」
 「知るかっ」
 ただ、それだけのことなのである。


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