1−2
後から聞いた話だが、剣魔がソロンを嫌っていた理由は、その性格だそうである。精神世界におけるソロンは存在感が大きく攻撃的であり、彼女と波長が全く合わないのだそうだ。
その上に彼の背にあるのは一応聖剣の部類に入る業物であり、近寄ることすら嫌なのだと言う。
それに比べ僕は、存在感はいやに大きく、それは享受的である。そういう性格は精霊に好かれやすいが、魔族のエサになりやすい。
剣魔イリナーゼは僕をエサにする訳ではないが、他者に波長を合わせることによって生きる糧を得ることができるのだそうだ。
「タチの悪い魔族とか精霊は私が追い払ってあげる」 彼女はそう言って精神世界へと戻って行った。
そして、そんな魔剣騒動から五日後の学院仮卒業の日のことである。
今日は学院の仮卒業だ。仮卒業というのはもうこの時点で学院での学習は終了して送り出せますよ、というものである。
三日前には卒業試験があった。言うまでもなく僕はスレスレでクリアーしたのだ。
ちなみに試験の内容には政治学や経済学を筆頭に、言葉の魔力を用いたメジャーな呪語魔法,紳士の嗜みとして剣術などがあった。
実を言うと試験中でも帯剣して良かったので、イリナーゼからかなりのアドバイスを頂いたりしたものだ。
取り合えず仮卒業を得た僕は本格的に職捜しを始めることにした。
今のところ、ケビンのいるエルシルド警備隊くらいしか決まっていない。しかしそれは最悪の場合であり、もっと良い職を僕は捜さねばならない。
「寒いな」 僕はマフラーを絞め直した。空は一面白,その同色の物がちらほらと石畳に落ち始めている。
”貴方は何をやりたいの? それを知ってから職を捜しなさい” 心に直接イリナーゼが語り掛けてくる。彼女は決して結論を言うことはない。
彼女は精神世界で、僕の答えは手に取るように分かっているはずである。
”人は短すぎる寿命を持っているの。その間に本当にやりたいことをやらなければ、後悔するわ。やれば良いじゃないの,本当にやりたいことを”
「ありがとう、イリナーゼ。でも僕にはそんな勇気はないんだ」 仮卒業証書を片手に家路に就く途中のこと、足を進めながら僕は小声でそう答えた。
僕のやりたいこと,すなわち夢だが、それは諸国を旅し見聞きしたことを書物にまとめることである。てっとり早く言えば冒険者であり吟遊詩人に近いものだが、収入はあまり期待できない。
何よりも、一応学院を卒業したという立場を捨てられなかった。
”貴方の時間は貴方のものよ。他の誰のものでもないわ。だから私がどうこう言おうと決定するのは貴方。満足する方向に進みなさいな” そう言うとイリナーゼは心の中から消えていく。己が道を進む魔族らしい意見である。
「本当にしたいことか。ソロン達の様にはいかないな」 自らの心のままに冒険者としての道を進んだソロンとシリア。成績優秀で引っ張りだこだった彼らは、どういう気持ちで進むべき道を決めたのであろうか?
僕は一人、物思いに耽りながら大通りを歩く。その先で何やら人の輪ができているのが目に入った。
やがてそこからは剣戟と呪文の詠唱が聞こえてくる。僕は何やら気になって、人の和を急いで掻き分けて行った。
<Aska>
幼い頃、私は光と親しく話した覚えがある。
確かに暖炉の火や水瓶の水,吹き抜けて行く風や木々の声,すなわち精霊達の声は全て聞くことができる。
しかし話すとは言っても、それは単純な受け答えに過ぎない。
そもそも精霊というのはこの物質界においてはエネルギーの塊であり、簡単な意志が宿っているだけの存在にすぎない。
高度な召喚士でない限り、精神界の住人である精霊を物質界にその完全な『意志体』として具現させるのは不可能である。
当然今の私にそんな技術があろうはずもない。
しかし私には確かに光と親しく話した覚えがある。
そもそも、いつから光との接触が絶たれたのであろうか? 何より、何を話し合ったのであろうか?
しかし、幼い頃には戻れない。
私は時々、時を戻せたらと思うことはある。大抵何かに後悔したときであるが、実際戻せたとしても戻すことはないだろう。
今の私は、今からできているからだ。過去を直すことは自分を殺すことになる。
だから聞こえなくなった光からの声を魔法の技術的には残念に思うことはあるが、未練はなかった。
が、今になって無性に光からの声を懐かしく感じるのだ。
あの声は誰だったのだろう? 光の精霊だったのであろうかと。そしてそれは心を許せる存在だったはず。
しかし、それを知る術は思いつかなかった。
私の名はアスカ=ルシアーヌ。全てを包み込む森の住人,ホワイトファレスの血を引く者である。
ホワイトファレスと言うのは、これも人間達の言葉だが亜人に属するものであり、背に白い翼があるのが特徴だ。
そしてここは、人間達の言う所の『真羅の大森林』。
森の中心に位置する私達の村は、人口およそ一千人程度の中規模なものだ。そしてこの森はアークス皇国とか言う人間が勝手に作った国の中央よりちょっと東に位置し、近くにエルシルドという大きな人間達の街がある。
これまで人間達とは相互不可侵が暗黙の内に守られてきた。森の端にあるドワーフ達は人間と接触しているらしいが、私達の村は完全に外界から閉鎖されてきたのだ。
だから私も外の世界を知らない。と言って外の世界に興味がない訳ではない,いや、興味があるのだ。
今まで何度、この森を抜け出そうとしたことだろう。しかしその度に捕まり、村長である私の祖父から何度もお説教を聞かされた。
”外の世界は危険が多すぎる。特に人間は精霊の声を忘れ、自らのことしか顧みない。ヤツラは滅亡の種なのだ” 諳じることができる程、聞かされている私はそれでも外の世界への興味は尽きなかった。
祖父の言葉を鵜呑みできない。私のこの目で確かめたいのだ。
そしてその日は突然にやってきた。
雲一つない夜空に星が瞬いている。無数にある光点はある者は人の運命を顕していると説き、またある者は世の中の流れを示しているとも言う。
私は夜空が好きだ。特に今日のように新月で星がよく見える夜は心の底から落ち着くことができる。何か、知ることのなかった父に抱かれているような気がする。
風が私の横を駆け抜ける。私の風呂上がりの髪を、そして辺りの草を揺らした。
「…寒くなってきたわね」 冬の冷気は私の体から熱を奪って行く。そろそろ家に帰った方が良さそうだ。
私は眼下に広がる山合いの里を目指して背中の翼を広げた。
不意に私の頬に冷たい物が落ちてくる。私は掌を広げて天から落ちてくるそれを受け止めた。
「何、これ!」 思わず叫ぶ。
それは赤い雪だった。夜空には雲一つないはずなのに!
私は村へと急ぐ。しかし近づくにつれ赤い雪の量が多くなり、そして強烈な眠気が私を襲う!
「駄目、これ以上は行けない…」 私はマントで身を包み、引き返さざるを得なかった。
丘の上から遠く村を眺める。一体、何があったのか? この赤い雪は何なのだろう?
「おじいちゃん、みんな…どうしよう…」
降り続く天変地異に、私は村を一瞥してから背を向ける。これは私一人の力ではどうしようもない。
「助けを、助けを呼ばなくちゃ!」
東に向かって私は翼を広げる。そこにまだ見ぬ大きな街があるはずだった。
一晩中飛び続け、その日の昼過ぎに私はエルシルドの街を空から一望していた。
「すごい…これが外の世界ね!」 眼下の街は人で溢れていた。
そしてその数だけ、精霊達が騒いでいる。活気はあるが、頭が痛くなる程、騒がしい街であった。話には聞いていたが、想像を越えるものである。
取り合えず、私は風の精霊に頼んで私の翼を隠して貰った。人々の好奇の目を受けるつもりはないからだ。
街の大通りを歩く。道の両脇には露店が並び、見たことのないような物が売っていた。じっくり見たいという不謹慎な欲求を私は村の皆を思い出すことで押さえ付ける。
「さて、まずはどこに行けば良いかしら?」 誰ともなく呟く私の肩を叩く者がいた。
「ねぇちゃん、お茶しな〜い?」
「俺達と楽しいことしようぜ」
人間の男だ、目に邪悪なものを感じる。同時に私の肩に置かれた手を通してどす黒い陰鬱な精霊が私に這い上がってくる錯覚を覚える。
「触るな、汚らわしい!」 私は問答無用で、肩に手を置いた男に振り向きざまのアッパーを食らわせた!
それは自分でも惚れ惚れするほど見事に決まり、男は2mほど飛んで固い石畳に後ろ頭を打ちつけた。そしてそのまま動かなくなる。死んではいないだろう,多分…。
「ボ、ボス! てめえ、何しやがんだ!」 悪趣味なイヤリングをした大男は腰の剣を抜いて、私に突き付ける。あれがボスってあんたら…。
「ちっ、四人か…」 すれ違った通行人とは明らかに違う風貌をした彼らは、倒れたのを合わせて五人であった。だらしない恰好と破壊を楽しむ目の光、どうやらどこの世界にもいるゴロツキらしい。
いきなり、まずい奴等にからまれてしまった。
その前に問答無用で殴るのが悪いというツッコミは入れないように。
そんな四人がそれぞれ、得物を手に私を囲んでいる。
「気の強えネェちゃん,俺は好きだぜ」
「私は好かれたくないわね」 私は腰の剣に手を掛ける。しかしこんなヤワな剣が通じるだろうか?
私は剣術は苦手ではないが、得意と言うわけでもない。そこそこ使えると自負はしているがその根拠は所詮閉鎖的な村の中で培われたものである。外の世界では自分はどの程度の力量なのか、分からない。
「とにかく、やられたボスの手前、おしおきしてやるぜぇ」 大男の後ろでスキンヘッドの小男が、醜悪な顔に笑みを浮かべて呪文の詠唱に入る。
「呪語魔法か!」 声の旋律から判断し、私は剣を抜いて目の前の大男に切り掛かった。
「おっと、危ないもんを振り回しちゃいけねえな」 軽く受け流され、大剣の一撃が繰り出された。それを何とか交わし、風を呼ぶ。
召喚に応じた風は、大剣を持った男の動きを止めた。大男は私の風の精霊が束縛してくれたお陰で動けず、意味不明な言葉で騒ぎ立てた。
大男の影から、短剣を持った男が現れ切り掛かってくる。大男より弱いことを悟った私は剣でその短剣を弾き落とし、みぞおちに肘鉄をかます。
「あと二人!」 顔を上げる。っと!
突如、足下の石畳が柔らかくなったかと思うと、石でできた手が私の両足を掴む。小男の魔法だ!
「しまっ…」 足下に気を取られた隙を突いて、もう一人の男の棍棒の一撃を首に受け意識が白濁する。
倒れる私に、二度目の男の棍棒が降り下ろされた!
<Rune>
人の和の中心では一人の少女を相手に、五人の男共が喧嘩を売っていた。
男達は確か、この辺を我が物顔で歩いてひたすら人様に迷惑を掛けるという、お近づきしたくない奴らである。
しかしすでに男達の三人が倒され、残りは二人になっていた。少女といってもなかなか腕が立つようだ。
その時である。少女の足下から石の腕が這え彼女を掴んだ。束縛の魔法である。それに気を取られた彼女は残る一人の男の棍棒に叩き伏せられ、倒れた。そして男は倒れた少女に二撃目を浴びせようと棍棒を振りかぶる。
「イリナーゼ!」 僕は腰の剣を男に目がけて投げつける。魔剣は僕の意図を解し、棍棒を真ん中で切り取った。
「天は陽、地は陰,其は天を駆け抜けし者、かの者を射らん!」 駆け抜けざまに僕は電撃の呪文を唱え、小男に解き放つ。
小男は悲鳴を挙げることすらなしに、その場に痺れて倒れた。
「くそっ」 棍棒を切られた男は、石畳に刺さった魔剣を抜いて僕に切り掛かる。
しかし、それも魔剣からの電撃で果たせず、その場に崩折れた。
僕は剣を鞘に戻し、少女を急いで抱え上げる。彼女は驚くほど軽かったが、気にする間もなく僕は駆け足でその場を立ち去った。
カラスの様にしつこいチンピラどもに、足をつけられてはたまったものではない。
「はい,退いて退いて!」 見物人達を掻き分けて僕は早足で、忘れられた風景亭を目指した。
「ただいま」 僕は忘れられた風景亭の扉を蹴り開ける。
「おかえり,あらどうしたの、その娘?」 レナおばさんは驚いたように尋ねた。
「おお、ルーンが女の子を連れ帰ってきたぞ!」 場違いなソロンを無視し、僕は意識のはっきりしない彼女を椅子に下ろす。そこにレナおばさんが水と冷えたタオルを持ってきてくれた。
僕はタオルを彼女の額に置く。
「す、すまない。助かったわ」 彼女は水を一飲みすると、大きく息を吐いた。そして顔を上げる。
「危ないところをありがとう」
<Camera>
「危ないところをありがとう」 顔を上げた娘に、青年は言葉に表せない程の深い懐かしさを感じた。
白く整った面に黒く長い髪、そしてアメジストの瞳,歳の頃は同じくらいであろうか。
変わってないな,そう青年は呟きそうになった。
初対面のはずである,何故懐かしさを感じたり、変わってないと思ったりするのか?
娘は胸を締めつけるほどの懐かしさを感じた。目の前の人間の青年,どう考えても村を出たことのない彼女にとって、初めて見る顔である。
しかし安心できるほどの懐かしさを感じていた。一体どういうことだろうか?
知らずのうちに彼女の瞳から一滴の光が落ちていた。
「この、愚か者!」 青年が突然出てきた魔導師風の女に蹴りを食らった
「女の子を泣かせるたぁ、どういう了見かしら?」
「ぼ、僕は…何もしとらん…」 踏みつけられながら彼は弁解する。
と言うより、実際何もしていないのだから弁解ではない。
「あ、待って,私はこの人に助けられたの」 娘は慌てて止めに入る。魔導師風の女――シリアは足をルーンからどかした。
「怪我は…大丈夫?」
「貴方の怪我の方が重いような気がするけど…」 椅子にしがみつくルーンを娘は気づかって言う。
「僕はルーン=アルナート。君は?」 安心のできる笑顔で青年は娘に尋ねる。娘もまた、微笑んで答えた。
「アスカ=ルシアーヌよ。改めて、ありがとう」
<Rune>
アスカ=ルシアーヌと名乗る彼女は、一言で言うと美人だった。それも人間とは違った美しさである。人間ではない,僕は知っていた。
そして彼女から感じる懐かしさはイリナーゼから微かに感じたそれとよく似ている。
「アナタ、ファレスね」 シリアがはっきりと彼女に言う,というよりここにいる全員に告げるかのように呟いた。
突然の行為にアスカは驚きに鼻白む。
「ど、どうして分かったの?」
「私は魔導師よ。呪力を感知できるし看破もできるもの」 さらりとシリアは言うが、それは簡単なことではない。
魔法の感知もその看破もきちんとした呪語を要する。しかし熟練した魔導師は、自らの知覚でそれを見極めることができるのだという。
「呪語魔法使いですか?」
「まぁね,で、アナタの様なファレスが街に出てくるなんて…何かあったの?」 危険の匂いを嗅ぎつけ、シリアは尋ねる。
アスカは軽く頷くと、何か一言呟く。するとその背中に一対の白い翼が生まれた。
それは風の精霊の呪力を受けていたらしく、彼女の長い黒髪と一緒に風に揺れている。
「ファレスか…」 僕は無意識に呟いた。
ファレスとはエルフと並んで魔力に秀でた森の種族。その能力は翼の色によって異なり、白い彼女はファレスの中でも最も魔力に秀でている。
しかし、五百歳は生きるブルーファレスよりも、その寿命は遥かに短く人間並である。
彼女はここにいるメンバー,僕にシリア,ソロン,レナおばさんの四人を一通り見回すと、シリアの問いに答える。
「私は貴方達のいうところの真羅の大森林に住むファレス」
「あの森にはドワーフしかいないと思っていたわ」 シリアの言葉にアスカは微笑む。
「古い森の盟約によって閉ざされているのよ。エルフの用いる『迷いの森』の魔法とは違った力の使い方だから、今まで誰にも知られることはなかったの。でも…」 アスカは俯く。
「昨日の夜、村に赤い雪が降った。その雪は触るととても眠くなるみたい。私は村からちょっと離れたところにいたから助かったけど、村の皆はもう眠っていたし、多分、そのまま…」
「赤い雪…分かるか? シリア?」
「見てみましょう」 ソロンに答え、シリアは杖を構えて呪語を紡ぎ始める。
「遠き光景よ、その光をありのままこの場に伝えよ」 レンガの壁にどこかの光景が映し出される。それには森に囲まれた小さな村が映っていた。
村にはもう止んでいるが1m程の赤い雪が積もっていた。そして人の気配はあるのだが、動く影はない。
景色は進み、村の中心である広場に変わる。
「何だ? あいつは」 そこには一人の男が佇んでいた。
褐色の肌に白く長い髪。貫頭衣を着こなした二十代後半であろうか、その青年は分かるはずのない僕達の方に視線を移す。そして…。
「待っているぞ」 指差した。
「クッ!」 映像が歪み、弾ける!
「何、あいつは!」 シリアは額を押さえて呟いた。
「魔族だな,待っていると言っていたが一体どういうことだ?」 ソロンはシリアに気遣いながら尋ねる。
「分からないわ,でも喧嘩を売られて買わない訳にはいかないでしょう?」 シリアの台詞にソロンは不敵に微笑んだ。
「空間よ,次元とその狭間に生きる瞬間よ、我らを我が望む空間へと移さん!」
シリアの瞬間移動の魔法が僕とソロン,アスカの四人を包み込む。
奇妙な浮遊感と白濁した視感を数瞬体験した後、場所はレンガ造りの食堂から赤い雪の積もる森の中へと移っていた。
耳が痛くなる程の静寂が辺りを支配している。
あれから…ソロンとシリアはアスカと契約を交わし、魔族を倒すことを引き受けた。
莫大な金額を要求したのであろう二人は、二人より三人行った方が良いなどと言い、僕を巻き込んだのである。
しかし僕にしても、アスカが何故か初対面に思えないので微力を尽くせればとは思ってはいたので望むところではある。
とは言え、僕にとっては初めての戦いだ。見ているだけになるだろうが気を引き締めなくてはならない。
しかし村に着くなりソロンは大剣に手を掛け、鋭い声で僕とアスカに言う。
「ルーン,お前はアスカとここで待機。下手に動いて怪我すんじゃないぞ! こいつは…半端な奴じゃない」
「いざとなったら逃げるのよ」 シリアもまたそう言い残し、村の中心向けて駆け出した。彼ら二人が何を感じたのか分からないが、この現場に来て例の魔族の力の程を知ったらしい。
「ルーン、おじいちゃんの所へ行ってきていいかな?」 アスカの言葉に僕は首を捻る。
”ルーン,右へ!” イリナーゼの思念!
「キャ!」 僕はアスカを押し倒し、右へ飛ぶ! 背後で今まで僕達のいた所に黒い火柱が上がっていた。
「へぇ、初撃で死なない奴に会うのは数百年振りだよ」 声の主に振り返り、身を起こす。木々の間に広がる闇の中に褐色の肌をした女がいる。彼女は白い髪の間に光る赤い瞳で僕達を見つめていた。これもまた、おそらく魔族…。
「私の名はネレイド。お仲間の臭いがしたもんだからきてみりゃ、ガキが二人。アンタ、何でまたこんなガキの下にいるの?」 魔族は僕の腰の剣,イリナーゼに向かって言い放つ。
イリナーゼが僕の感覚となって教えてくれなければ、先程の訳の分からない魔法で僕とアスカはおそらくあの世へと行っていただろう。
しかしそれに対して、イリナーゼはだんまりを決め込む。
「あのおばさん、何言ってるの? ぼけてるのかしら」 小声でアスカは僕に囁く。アスカはイリナーゼの存在を知らないのだ。
「誰がおばさんで、ぼけじゃい! この胸なし娘が!」 しかししっかりと魔族の耳に入っていたらしい。
「ひ、人の一番気にしてることを,あんたみたいに胸が垂れてるよりはいいわよ!」
「なぁにおおぉぉ! ちんちくりんが!」
「こ、殺す!」
すでに二人の間に火花が散っている。
「お仲間が憑いてるようだし見逃してやろうと思ったけど…殺してあげるわ」 魔族が右腕を頭上に掲げると、掌に闇の球が生まれた。
すでに僕はこの時、剣を抜いて魔族の数歩手前まで走り込んでいた。
「間に合うか!」 僕は剣を振り下ろす。魔族が腕を僕に降り下ろし、闇の球を僕に叩きつけんとする!
「ルーン!」 アスカの叫びが上空から聞こえた。
「駄目か!」 僕は振り下ろした剣を反転させ、魔族の至近距離から放つ闇の球を弾いた。すかさず僕は魔族から間合いを保つ。
「ほぅ,私の魔力を弾くなんて,その剣魔,なまくらじゃないのね」 魔族のやや感心したような言葉に、やはりイリナーゼは沈黙を守っている。
「でも、肝心の腕前は,フン!」 魔族は上空から放たれた数条の風の刃を気合いで消し飛ばす。
「魔法は効かないわよ、胸が洗濯板のお嬢さん」 魔族はアスカのいる上空に視線を移す。
その隙を突いて、僕は再び切り掛かる,が刃は魔族の指に難なく捕らわれていた。
「心配しなくても二人揃って冥府へ送ってあげるわよ。じわじわとね」 魔族が僕の剣を持つ右手を降り上げると、剣を持ったこの僕ごと投げ飛ばす! 信じられない怪力だ。
「風よ!」 上空からアスカが風の保護を飛ばすのが見えた。そして次に見えたのは木の幹! これはまずい。
「うっ」 風に守られながらも木に叩き付けられ、息ができずに呻く。
「もらった!」 勝利を確信した声が迫る,間髪入れず、魔族の強烈なボディーブローが僕を暗闇の世界へと叩き落とした。
暗転した先の世界には、イリナーゼが腰に手を据えて待っていた。
「あほう!」
「な、何だよいきなり」 彼女は開口一番、言い放った。
「何だよじゃないでしょ! 無鉄砲に突っ込んで行ったって、勝てる訳ないじゃない! 貴方の今の状態は内蔵破裂,脊髄損傷,あばらが六本折れてるわ」 激怒するイリナーゼ。
「…それって死んでるんじゃないの?」
「今、私の力で再生してあげてるわよ。代償として貴方の寿命を一年さっぴいておくからね」 あっさりと言うイリナーゼ。
「はぁ…ところであの魔族、どうやって倒せばいいんだ?」 僕は愚痴を言い続けるイリナーゼに尋ねる。
「魔族は精神的存在に大きく傾いているって…知ってるわね?」 僕は頷く。
「だから僕達のような物質的な力は効かないんだろ」
「そう、だから反対のことも言える訳よ」
「反対のこと?」 首を傾げる。
「少しは自分で考えなさい。私達魔族が貴方達――物質的な存在に攻撃する場合,今の貴方みたいな場合、どうやったのかしら?」
「…その時、魔族は実体化してるのか? なら、その時に攻撃すれば良いんだな」
「当たればね。それにさっき、貴方は私ごと投げ飛ばされたでしょ。確かに魔族の攻撃する瞬間、物質的存在に傾くわ。でも貴方にその隙を突く攻撃ができて?」
「…じゃあどうするんだよ」
「貴方自身が精神的存在に傾くこと……あとは自分で考えなさいよ。さ、体の治癒はできたわ。早くしないとあの娘が殺されちゃうわよ!」
やはり魔族なのだろう,小悪魔的な笑みを浮かべながら、イリナーゼは僕を背後の闇に向って蹴飛ばした。
「はっ」
気がつくと僕にボディーブローをかました魔族が、背を向けて上空からの風の刃を気合いで吹き飛ばしたところだった。
時間ほほとんど経っていない,僕は剣を掴むと上空のアスカを追おうと飛び立つ魔族の両足を切りつけた!
「む? お前,何故再生している!」 飛びずさり、魔族は構える。確かに僕の剣は魔族の両足を切断したはずだ。しかしダメージはほとんどないようだ。
「私が甘かったようね。今度は灰も残さず一気にあの世に送ってあげるわぁ」 魔族は不敵に笑い、呪文の詠唱を始めた。
「させるか!」 僕は剣を小脇に抱え、魔族に突き刺す。しかし、魔族は軽くその身を宙に浮かせ、僕の反対側に降り立った。
「村の皆のかたき,死ね!」 細剣を抜き放ったアスカが急降下して魔族にその刃を突き立てる! 村の人々って…死んだのか,アスカ?
「ぐっ!」 彼女の渾身の一撃は、僕に気をそらせていた魔族の肩を貫通する! 魔族の顔が苦痛に歪んだ。彼女の剣は普通の剣であるが…。
「き、貴様…」 魔族の顔が醜悪に歪み、特攻をかけた事で体勢を直せないアスカの細い首を捕らえ、片手で絞めあげる。
「うっ…」 アスカは呻き、細剣から手が離れた。
「このっ、食らえ!」
僕は駆け出し様、背中から魔族の腹を突き刺す!!
しかしまるで幻に切り掛かったようで何の手ごたえもない。
「この娘をあの世に送ったらすぐに追わせてやるよ」 魔族は言い放つ。その間にもアスカの顔色は赤から紫に変わっている。
「くそっ、その手を放せ!」 僕は剣を魔族に突き刺したまま、柄に力を込めて叫ぶ!
「うっ? ギャアァァァァ…」 魔族は断末魔の悲鳴を挙げたかと思うと、一瞬で白い灰となった。そしてそれすら、風に吹かれて消えて行く。
”そう、魔族や精霊みたいなのは気合いで倒すのよ。精神世界の生き物だから想いが力になるの。分かった?” イリナーゼの声が脳裏に響く。
「大丈夫か? アスカ」 喉を押さえてうずくまる少女に駆け寄る。
「うっ…はぁ、ルーン,倒し・た・の?」 額に汗を浮かべ、尋ねるアスカに、僕は静かに頷く。
と、村の中心で大きな爆発が起こった。
<Camera>
その男は変わる事なく広場の真ん中で待っていた。
「遅かったな、娘はどうした?」 掠れた声の質問にソロンは剣を抜く。
「生憎だったな。置いてきたよ,あんたが何の目的でこんな事をしているのか知りたいが、教えてくれそうもないか」
「分かっているではないか。我を倒せばこの雪は消え、ファレス達は眠りから目覚めよう」 魔族は左手を振う。すると次の瞬間には銀色に輝く長剣が握られていた。
「俺の名はソロン,勝負!」 間合を取るソロン。
「貴公の名に答えよう、我はパスウェイド」 音もなくソロンに飛び掛かる。
ギィン! 剣と剣がぶつかり合い、火花が散った。片手で剣を扱うパスウェイドにソロンが力負けしている。
「私を忘れないでね!」 シリアが叫び、炎の矢を魔族に向けて飛ばす。
「氷の矢よ!」 パスウェイドの氷の矢がその全てを打ち消し、残りがシリアを襲う。
””こいつ…強い”” ソロンとシリアは同時にそう心で呟いていた。
「一気にカタを付けるぞ,シリア!」 ソロンは間合を取り、叫ぶ!
「この剣の露となって消えな,虚空閃!」 振り下ろすソロンの大剣は空間を渡り、魔族を肩口から切り裂いた!
「何だと!?」 パスウェイドが苦痛の顔でよろめく。
「空間を渡る剣術だとぉ?!」
「滅びよ、無に帰らん。完全に滅することを!」 シリアが歌うように消滅の呪文を唱え、虚無の宿った杖を、戸惑う魔族に向けた。
「消滅の魔法! しまっ…」 灰色の雲が魔族を取り巻き、そして…
ゴアァァァ!!
大きな爆発を起こした。土が舞い、土砂がソロンとシリアに向けて飛ぶ。
そしてそれが収まる頃、直径10m程のクレーターを残して、魔族パスウェイドは赤い雪と供に姿を消していた。
<Rune>
そして僕達は村を救った英雄として…牢屋にぶち込まれていた。
「どうも牢屋ってのは性に合わないよな」 ソロンの呟き。性に合っていたら怖い。
「ファレスの牢屋って鳥籠なのね,貴重な体験だわ」 と、こちらはシリア。そう、僕達は村外れに生えている大木の梢にぶら下げられた鳥籠の中にいた。
地上20mのここは高所恐怖性の囚人には耐えられないだろう。
何故こんな所にいるのかと言うと、理由は簡単。
ファレス達は魔族が来襲したことなど知らなかったのである。ちょっと寝過ぎて起きてみると、村の中心にクレーターができている,そこにソロンとシリアがいたのだから『こいつらが村を荒らした犯人だ!』と言うことになる。
証拠である赤い雪が消えてしまっているので、頼みはアスカにかかっていた。
もっとも、こんな牢から出ることなど僕達三人にとっては何の苦もないことなのだが。
何より僕は悩んでいた。今しかないのではないか?
そしてそのまま夜になり、辺りは更けてゆく……。
「起きて………ねぇってば!」 揺すられて僕は目を覚ます。星の明かりだけの下、それがアスカであることを判別するのは難しかった。
「やっぱり駄目だったわ、ごめんなさい。今の内に逃げて」 言って、彼女は小さな袋をソロンに手渡す。
「報酬は多分それでお釣りがくると思うわ。貴方達の武器も回収してある,早くここから出て」 彼女の指示に従い、僕達三人は毛布を捨てて木を下りる。
木の下には倒れた衛兵と僕達の武器が置いてあった。
”久しぶり、ルーン” イリナーゼの思念。全然久しぶりではない。
「村を救ってくれてありがとう。ファレスを代表してお礼申します」 アスカは態度を改め、神妙な顔で深々と頭を下げた。しかしそれをシリアは止めさせる。
「お礼なんていいのよ。あの魔族が映像越しとはいえ私に喧嘩を売ってきたんだし、お礼もちゃんと貰ったし,ね。また何かあったら私達のところへきて。遊びにでも良いからさ」
「ええ、いつか」 微笑むアスカ。
「じゃ、帰るわよ,ルーン、法円の中に入りなさい。何ぼ〜っとしてるの?」 シリアの叱咤が飛ぶ。
それに僕は、首を横に振った。そう、今しかない。
街へと戻ってしまっては、気が緩んでしまう。
「僕はいいよ。二人で帰って」
「「は?」」 僕は意を決してそう言った。三人は何の事だか分からずに聞き返す。
「僕、冒険者になろうかと思うんだ。一度帰ると決心が揺らぎそうになるから、このまま行くよ」 そう、今の僕にはイリナーゼがいる。
今回のような魔族相手にもそこそこ渡り合うことができた。過信ではないが、やってみればできそうな気がする。
「おいおい、新米が一人でなんて危険だぜ」 気づかってソロンが言うが、僕は首を横に振る。
「大丈夫、大丈夫。何とかなるさ」
「路銀に食料はどうするの? 火打ち石は?」 シリアの突っ込みに僕は詰まるが、いきなりサックが投げられた。
「そん中に一通り入ってる。がんばれよ」
「ちょっと、ソロン!」
「いいんじゃないか? 何とかなるだろう,俺達みたいに」 シリアはソロンを見上げる。しばらく対峙した後、先に視線を逸らしたのはシリアの方だった。
「…そうね、私達の時も無茶をしたしね。ルーン,がんばりなよ!」 言ってシリアは瞬間移動の呪文を唱え始める。
「ルーン,まずはどこにいくつもりだ?」 輝き始める法円の中で、ソロンは尋ねる。
「うん、まずはここから西の首都アークスへ」
そして二人の冒険者は光に包まれたかと思うと、法円ごと消え失せた。
「さて、僕も行くか」 僕はサックを肩に掛ける。ふと背中に視線を感じ、振り返る。
「ルーン」
アスカが呟く。何故か親近感を感じる彼女との別れは、自分でも驚くほど辛かった。広い世の中、もう二度と合えないかも知れない。
彼女に感じる懐かしさは一体何なのか,ただの一時的な感情なのだろうか?
僕は少しためらった後、照れたようにこう言った。
「一緒に来ないか?」
アスカは優しく微笑む。その問いに驚いた様子もなく、そっと右手を差し出した。
「ええ、よろしくね!」
その日の明け方、珍しく雪空が割けて日が顔を覗かせる下、森の中を通る街道に二人の男女の姿があった。
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