1−3


<Camera>
 深い闇だった。まるで空気自体が闇であるかのような空間…
 黒衣のローブを羽織った中年が黒く長い髪をその闇の中に広げ、同化していた。
 腰には長剣が、顔の他に唯一肌をさらけた白い色の右手には複雑に歪曲した杖が握られている。
 「ん?」 男はふと閉じていた目を開ける。
 灰色の瞳で闇の向こうで起こっていることを見つめているようだった。
 「光に倒されたか,計算違いだな」 再び目を閉じる闇の男。
 「行くが良い、そして世界を見るのだ。全てを我が物にするのだ」
 凍るような笑みを浮かべ男は再び眠りに就いた。



 光芒が、忘れられた風景亭の一階を照らす。
 午前1時、そこではクレアとその両親、吟遊詩人のシフが眠らずに待っていた。
 「おかえり、ルーンお兄ちゃん! ってお兄ちゃんは?」 クレアは帰ってきた『二人』に尋ねる。
 「ルーンは冒険者になった。このまま旅に出るとよ」 
 「ちょっ、ちょっと,どういうこと? それって!」 
 「面白そうだね、聴かせなさい」 クレアとシフに問い詰められる。
 「分かった、分かった。順を追って聴かせるから…、シリア?」 ソロンは立ったまま、彼の背にもたれるように眠る魔導師を抱き上げる。
 「大きい魔法を使いまくったからな。こいつを宿に置いてきてから聴かせるよ」 
 「明日になさい、今日はゆっくりとおやすみ」 クレアの母、レナが言う。それに二人から文句が出るが彼女の無言の視線で黙らされた。
 「じゃ、明日な」 レナの言葉にソロンは内心感謝しながら、近くにとってある宿へと帰って行った。



 翌朝、ソロンの話に街の警備隊長ケビンとその部下、キース,偶然帰ってきていたルーンの両親も交えて耳を傾けていた。
 「ルーンがなぁ,若い内に色々経験しておくものだぞ」 とルーンの父,ルースがしみじみと言う。
 「追うわよ! 一人でなんて危険すぎるわ!」 と、これはクレア。
 「それもいいねぇ。俺も警備隊長、首になったし」 
 「どう言うことだ?」 さらりというケビンにソロンは訝しげに尋ねた。
 「武器の横流しがばれたんですって」 シフの言葉に項垂れるソロン。
 「人生山あり谷ありさ。いつものことよ」 
 「隊長は谷しかないような気がするんだけど」 キースの言葉にケビンは無言のエルボーを食らわす。
 「よ〜し、お兄ちゃんを追うわよ!」 
 「「おーー!」」 クレアの言葉にケビンとキースが鬨の声を上げた。
 「若いもんはいい、若いもんはっ!」 とクレアの父の呟きにルースも同様に頷く。
 そしてその日のうちに三人に引っ張られたソロンとシリアを加えた計五人が、エルシルドの街から西へと進んで行った。



<Rune>
 日が沈み始める。しかしそれよりも早く辺りが暗くなっていった。
 「やばいな、雨が降りそうだ」 
 「これじゃあ、早めに野宿する場所を確保したほうが良いわね」 隣を歩くアスカが答えた。
 昨日の真羅の森の魔族騒ぎが終わったのが今日の早朝,それから僕達二人は所々休憩を挟みながら街道の進路を西にとって進んでいる。
 無理をすれば後三時間程で宿場街たる小さな村にたどり着けるのだが、今日は野宿になりそうだ。
 「雨宿りができそうな…そうだな、木の下あたりがいいかな」
 林の中を走るこの街道の現在地は、おそらくどこかの山の麓なのだろう,木々に混じって大きな岩も覗いていた。
 「ねぇ、ルーン。洞窟があるわよ」 袖を引っ張られて彼女の指さす方向を見ると、木々に隠れた微妙な位置にそり立った岩壁があり、そこには人がしゃがんで入れる程の小さな洞窟が口を開けていた。
 「あそこで野宿かな? いいかい?」 
 「野宿は慣れてるから」 どうして慣れているのか不思議に思ったが、取り合えず僕達二人はその小さな洞窟へと向かう。
 洞窟は固い岩壁をくり抜いた形でずっと奥まで続いているようだった。
 「先客とか,いないかしら?」 
 「大丈夫そうだね、動物の足跡の痕跡もないし。アスカは火をおこしてて,僕は薪を集めてくるから」 
 「分かったわ」 ソロンから渡された背負い袋を渡し、僕は薪を集めに森の中に足を進めた。



 持てる限りの木の枝を縄で巻き付ける。
 「こんなものでいいだろ、兎も取ったし」
 兎を偶然見つけて捕らえたのは幸いだった。おそらくソロンから渡された袋には食料が入ってなかっただろうし。
 ”ルーン、ちょっといい?” イリナーゼが話しかけてくる。
 「どうしたの?」 
 ”私のこと、しばらくはあの娘には内緒にしてて欲しいんだけど”
 「そうだね、仮にも君は魔族だし」 イリナーゼの言わんとしていることを悟り、答える。
 アスカは昨日、魔族に殺されかけた。関係ないといってもイリナーゼの存在は彼女には気に掛かる存在となるだろう。
 ”そ・れ・と♪ どうして貴方はあの娘を誘ったの?” ひやかすような口調で妖刀は尋ねる。
 「聞かなくても分かるだろう? 君は僕の心を読めるんだから」 薪を背負い僕は返す。
 ”プライベートなところは触れないのよ。それに直接言葉で聞いた方が面白いしね”
 「近所のおばさんみたいだなぁ」 魔族への認識がまた変わった。
 ”好きなの? あの娘が。一目惚れってやつ?”
 「ん〜、分からないな。そうかもしれないし、全然違うものかもしれない。だから心を読んでくれた方がいいんだよ」
 実際そうだった。アスカは異性として確かに魅力的だが、それ以上に何かを感じて旅に誘ったのだ。
 突飛な僕の誘いに乗ってくれた彼女もまた、僕に同じものを感じているのかもしれない,そう思ったがそれはただ自惚れだろう。
 ”フフフ…この件に関しては私は触れないことにするわ。それじゃね” 答えて、イリナーゼの意識が消えていった。
 途端、僕の鼻に冷たいものを感じる。
 「やばい、降りだした!」 僕は急いで洞窟へと走った。



 「遅いよ、ルーン」 山菜を籠に詰めたアスカが火種を落ち葉で絶やさないようにしながら待っていた。
 「ごめんごめん、兎を追いかけてたからさ。アスカは山菜を?」 
 「うん、近くにたくさんあったからね」 さすがは森の民といった所か。
 「私、ルーンの手料理が食べたいな」 
 「それって料理当番をおしつけようってこと?」 
 「そんなことないよ、でもおじいちゃんが私によく『お前は料理を作らないほうが良い』って言うからね」 
 「…僕が作る」 何か怖いものを感じて、僕はナイフを取り出した。



 香ばしい匂いが火を囲んで立ち込める。
 焚き火の上の小さな鍋の中には山菜と肉のスープ,そしてその鍋のまわりには二本の兎のふともも焼きが小麦色に焼き上がっていた。
 「いただきま〜す!」 器にスープを盛ってアスカに渡す。
 僕は焼き上がった肉を口に運んだ。
 「おいしいね、ルーンって料理うまいんだ」 感心したようにアスカは言った。
 「両親とも家にいることが少ないから自分でよく作るんだよ。アパートの食堂も多いけど」 ふと怒ったクレアの顔が目に浮かんだ。
 「家にいることが少ないって?」 不思議そうに尋ねるアスカ。
 「仕事らしいけど、僕にも教えてくれないんだ。探ったこともあるけど尻尾が掴めない」 不思議な父と母ではある。
 「面白いね、それって。私は父さんも母さんもいることはいるけど…」 不意に言葉を区切るアスカ。
 「確か村の長老がアスカのお爺さんなんだよね」 それに彼女はコクリと頷く。
 「父さんも母さんも私が生まれてすぐどこかへ行っちゃったわ。理由はおじいちゃん,絶対教えてくれないんだけどね」 寂しげに呟いた。
 「…きっとどこかで出会えるよ、この旅できっと見つかる,いや、見つけようよ、この旅でさ!」 しかしアスカは首を横に振った。
 「ありがとう、でももう良いの。今は寂しくないから」 
 「でも、いると良いものだよ。名前は?」 
 「父さんは分からないけど、母さんはレイナ。私にそっくりなんだって」 
 「性格以外が,でしょ?」 ふと思いつく。
 「どうして分かったの?」 お約束である。
 外が暗くなると同時に、外の雨は本格的に降り始めてきていた。



 「でも、どうしてルーンは私なんかを旅に誘ったの?」
 スープも肉も食べ終え、雨と焚き火の燃える音をBGMにしながらのことだった。
 「それは僕も聞きたかったんだ。どうしてアスカは僕なんかと一緒にきてくれるんだい?」
 そしてお互い、焚き火越しに見つめ合う。同時に僕達二人は微笑んだ。
 僕達の旅は始まったばかりである。



<Camera>
 物音一つしない巨大な氷の城,透明なその壁は外の吹雪きをまるで壁の絵柄のように写し、その猛威の一片すら届かせない。
 その氷の彫刻の巨大なドーム状の部屋,氷の床の上一面に描かれた二重の五芒星と真なる言葉が刻まれたその図形に微かながらの穴が開いていた。
 それは針の先よりも小さなもの…。
 そしてそれが覗ける者は分かるはずだ。その穴の先に広がる永遠に続く灰色の空間と微かな生命の息遣いを。
 『やはり奴か…』
 「ああ」 
 魔法陣を宙に浮かんだまま見据える二人の男がいた。
 白いローブを纏い、大きなルビーがその頂点に嵌まった杖を持つ男と、対称的に黒いローブをフードごと頭から深く被った男。
 黒と白は共に、まるで影のように揺らめいている。実体ではない,幻影のようだ。
 「封じた我々が悪かった。奴が外でも生き長らえるとはな。この亀裂の伸張も奴の仕業かも知れぬ」 
 『馬鹿なことを,奴にそれ程の力はない。単に時期なのだ,だからこそ我々は備えてきた』 黒いローブの男は静かに言った。
 「しかし奴が絡んでいることには間違いはあるまい,奴の指令系統が回復し始めている。それに…早すぎる」 
 『多少ではあるが 二重十徒の法で亀裂の伸張は押さえられている,問題あるまい』 黒いローブの言葉に白いロ−ブの男は周りを見回す。
 氷の床の上に描かれた巨大な二つの五芒星の頂点それぞれに、浅黒い肌と白い髪を持った老若男女が目を閉じて直立している。まるで人形のように、それらは見えた,いや、人形であることは否定できない。
 「そうか…分かっていたこととは言え、辛いものだ」 白いローブの男は寂しげに呟いた。
 「聖魔剣を取り出す,それを託すとしよう」 白いローブの男は魔法陣の中央に降り立ち、そして針の穴よりも小さなその穴があると思われる氷の上に掌を当てる。
 軽い閃光を伴って氷の中からやはりそれと同じ冷たさを思わせる両刃剣がそり立った。
 「来なさい、母の心を抱く智天使よ」 力ある言葉に応じ、男の後ろに二対の翼と二羽の純白の鳩を従えた女性が虚空より現れる。
 「これを機を見て、お前の愛する者に渡しなさい,大きな力となって彼を守り、導くはず」 男は言って、剣を天使に手渡す。天使は両手でそれを無表情に抱えながら現れた時と同様に、虚空へと姿を消した。
 ピシッ,小さな割れる音がドームに響く。
 『聖魔剣を失うのは痛いな、やはり彼らの成長を無理にでも促進させるか』 黒いローブの男の言葉に、しかし白いローブの男は首を横に振る。
 「実際、失敗したのだろう。お前の息のかかった力を退けたのだ,安心しろ。二人は確実に成長している」 
 『…それだけでは駄目だ、やはり手を下さねば』 白いローブの男は、呟く黒い幻影に目を背ける。
 そしてそれを納得と見たか、黒いローブの男は自らの作り出すその影の中へ溶けるように消えて行った。



<Aska>
 眩しい,一体何なのだろう?
 その眩しさに目を細めながら先を見る。顔は分からない,しかしそれは紛れもない母と父の気配。そして…
 私の隣にはやはり家族の匂いを持った一人の人。
 体の自由が利かない,一体どうなっているのだろう。
 「かわいい双子の赤ちゃんね」 私達二人を見つめる父と母はその言葉に視線を変え、やがて遠くへ行ってしまう。そして私の隣の誰かも。
 ”フタゴ? マッテ、ワタシヲオイテイカナイデ!”
 強烈な孤独の不安感,いつの間にか闇に閉ざされた空間に私はいた。
 ”ダレカ、ダレモイナイノ?!” 闇の中、私は叫ぶ。
 その叫びに応じてか、先程とは異なるが、暖かい光が近づき、私を包む。
 ”アナタハ、ダレ?”
 「僕は…



 「アスカ,おい!」 目が覚めるとルーンのあせった顔が映った。
 「? どしたの?」 眠気眼をこすりながら私は身を起こす。
 「…すごいうなされてたぞ,何か変な夢でも見たのか?」 ほっとした表情でルーンは言った。
 「変な夢? そう言えばそんな気がしないでもないような…」 まるで掌から溢れ落ちる泡のように、私は何かを忘れ去っている。一体何の夢を見たんだろう。
 「アスカ,心配なら村まで送るよ。やっぱり…」 
 「何言ってるの,たまたま変な夢を見たのよ。気にしないで」 心配気に見つめるルーンに、私は何か妙に安心したものを感じてそう答えた。
 洞窟の外はすでに雨も上がり、すっきりとした青空が冬の寒さをさらに厳しいものとしていた。
 いよいよ狭い村を出て外の世界を見て行ける,決して良いことばかりではないだろうが、それよりも楽しいことが多いはず。
 「さ、行きましょう,ルーン!」 
 「どこへ行くんだ、アスカ」 その声に私は、そしてルーンは剣に手を当てる。しかしすでにルーンの首筋に彼らの剣が当てられていた。
 「…ヤマト,それにヤヨイ」 そこには私を追ってきた同族の二人が厳しい目で私を見つめる。仕方無く、私は剣から手を放した。



 「一体、どういうつもりですか? 森を抜け出すだけならまだしも、宝石を盗んだ上に我々を襲った罪人まで逃がし、あまつさえその一人と一緒に行動しているとは!」 ヤヨイは普段の冷静さを失って私に詰め寄る。
 なお、ルーンはおとなしく縄でがんじがらめにされて木に縛られていた。
 「帰るぞ。お前もいい加減、大人なんだから責任を持った行動をしろよ」 こちらはヤマト。
 同年代のこの二人の青年は普段からお互い仲が悪い。性格がまるで対称的だからだ。そんな二人して私を捜しに来るとは、相当おじいちゃんも焦っているのかな?
 「ルーン達は村を救ってくれたのよ。あんた達がグースカ寝てる間に! ってもう何度も言ったわよね」 私は溜め息を就く。
 「私はあんな村にいるのはもう嫌! 命の恩人を罪人扱いするなんて」 
 「それだけじゃないだろ?」 ヤマトが言う。
 「そこの人間と伴に旅をする理由は他にあるはずだ。何故人間などと…」 
 「大体、その人間などと、っていう考えがおかしいのよ。あの人はルーン,私達と同じ…」
 ドン!
 ヤマトが私の背にした木に拳を叩き付けた。
 「同じじゃない,ただの人間だ!」 彼は叫ぶ。
 「何故俺達には心を許さず、こんな人間にお前は笑顔を見せるんだ? 俺の何処がこの男より劣っている?!」 
 「? 何言ってるの? ヤマト」 何か違うことで怒っているような気がする。
 「私、ルーンを信用してるわ。自分のことしか考えていない貴方達と違うから」 
 「はっきり言われたな,アスカは村には戻りたくないんだってさ」 
 「な、貴様!」 振り返るヤマトの首筋に剣の塚を叩き付けるルーン。そのままヤマトは気を失い、倒れた。
 「どうやって縄を解いた?」 剣を抜き、ルーンに向けるヤヨイ。それにルーンは微笑むだけで答えない。
 私もまた、武器を拾いルーンの隣へと走る。
 「アスカ…どうあっても帰る気はないのか?」 ヤヨイの言葉に私は頷く。
 「では、力ずくでも帰すまでですね! 眠りの精霊よ!」 
 「闇よ、霧よ、全てを覆い尽くし我らの姿を眩ませよ!」
 眠りの精霊が私達を襲う。同時にルーンの呪語魔法がヤヨイを覆い尽くした。
 猛烈な眠りが私を飲み込む。
 「これは…駄目…」 手を差し伸べるルーンの姿が目に映る。
 薄れる意識の中、私は彼の腕を捕まえた。



 暖かい、それは子供の頃に感じたもの…
 揺られながら、私はうっすらと目を開けた。私はルーンに背おられている。
 辺りの景色は森から平原へと変わり、茶色に枯れた草と所々に雪が積もっていた。
 ヤマトは、ヤヨイは…捲けたのかな? 状況からして無事逃げ仰せたようだ。
 「アスカ,起きたかい?」 ルーンが囁く。
 しかし私はもうしばらく眠ったフリを続けさせてもらうつもりだった。
 「…まぁいいか」 騙せたのか、彼はそう呟くと再び歩き出した。



<Camera>
 ここはありとあらゆる情報と文化が集まる文明の街。
 アークス皇国首都,アークスは山間の盆地に広がる大都市である。難攻不落の城と呼ばれる王城は都市の北側に位置し、背後に切り立った標高2000mの天然の盾である岩山,通称フラッドストーンを有していた。
 堂々とそびえ立つ王城は白亜の城として知られ、美しさと威厳を千年以上も放ち続けている。初めてこの街を訪れた者は、その迫ってくるような迫力にしばし見惚れることであろう。
 その王城の南側を、およそ20kmにも渡って城下町が広がる。言うまでもなく内容は充実しており、首都の名にたがわない,アークスの文化と経済,魔道の中心であった。
 アークスが他国と異なるのは主に発展した魔法技術である。魔法には大別して『言葉』による振動によって精神世界から魔力を引き出す呪語魔法,人々の信仰と言う力・すなわち神の力を借りる神聖魔法,自然界に留まらず全てに存在しているという不可視のエネルギー『精霊』の力を借りる精霊魔法などが挙げられる。
 この中でアークスは、学問という分野に近い呪語魔法を古くより開発し、文化・軍事、全ての分野において活用していた。
 呪語魔法は言葉の通り、『言葉』の振動数によって精神世界のエネルギーを具現化する法である。『言葉』には簡易的な下位呪語と、かつては会話にも用いられた上位呪語があり、下位呪語による魔法は知識がなくとも暗記していれば、万人に使用できる。
 しかし言葉の組み立ての知識を有し、より力の強い上位呪語,さらに魔力を補助する魔法陣や魔法の杖、詠唱時の振りつけなどをマスターしている本物の魔術師はそうはいない。
 だがこのアークスにはそういった魔術師が数多く生まれており、何より文化レベルの高さは育てる環境をも整えているのである。古に存在した魔法王国スエードもまた、かつてはこのアークスの地にあったことにも由来する様だ。
 そんな魔法の発達した白亜の宮殿に一人の男が早足で廊下を駆けていた。廊下の右側はそのまま中庭に通じており、そこに出れば、すぐ真上に城の東を担う塔が見て取れる。
 王城の東の一角にある第七騎士団待機室,その隣にある団長控室の扉の前で、男は足を止めた。
 端正な顔に黒くやや長い髪,長身であるが体格はしっかりとしている。歳は二十代前半であろうか,腰には片手持ちの剣を一振り下げ、儀礼用の服の上に桐の葉を形どった紋章が銀色の糸で刺繍されたマントを羽織っている。
 桐の葉は第七騎士団に所属していることを示し、銀色の糸はその中でも団長の次に位が高い副団長であることを示している。
 男はその扉を軽く叩いた。
 「入れ」 中からやや高めの声が聞こえると青年は静かにその扉を開ける。
 「エナフレム様,緊急招集が掛かりました。急いで御用意を」 大きな机を前にして、背を向け椅子にもたれかかる団長に彼は言う。
 「どうした? またザイルの奴等がちょっかいを出してきたのか? それとも海賊の件か?」 耳に心地好い、鈴とした女性の声が発せられる。
 「いえ、北の方でかなり厄介なことが生じた模様で」 
 「そうか,それはそうと、どうでもいいがな,シャイロク。二人きりの時はその丁寧語はやめろって言ってるだろう」 彼女は椅子を男に向ける。
 灼熱の炎を思わせる燃えるような赤い髪を、無造作に後ろに束ねた中に白い顔が覗く。その赤い髪と茶色の瞳は西方の民族,レイズの血を濃くひいていることを示していた。
 「あくまでも職務中ですから。それに今回はどうでもいいって訳でもないようです。…何より姫,いくら寒いからって、そのダルマみたいな格好は何です? そんな格好を見られたら、誰でも百年の恋が冷めますぞ」 
 「あ〜、わかったから、もう小言はやめて…本当に口うるさい奴だな。で、何枚脱げばいい?」 椅子から下りて、いかにも寒そうに両肩を抱いて言う。
 「少なくとも十枚は脱いで下さい」 シャイロクと呼ばれた男は額を押さえて言った。
 「そんなことしたら、たった十二枚になってしまうではないか!」 
 「前言撤回,十五枚は脱いで下さい…」 
 女性の名はリース=エナフレム。現アークス王の弟系の血筋に属する、いわゆる王子から見て従兄妹であり、当年とって二十一歳。
 美しい容姿からは想像もできないほどの男勝りの荒々しい剣技を持ち、騎士の間では烈火将軍の異名を持つ。それが彼女が血筋からではなく、実力で第七騎士団の団長にのし上がったことを示していた。
 その副官である、シャイロク=ラスパーンはリース姫に従士として付いて十一年。現在二十三歳であり、商人出の貴族,ラスパーン家の長男である。
 醜く腹黒いと評判の父親とは似ても似つかない、その性格と容姿は城内の女官達を始めとして人気がある。リース姫の片腕、第七騎士団の副団長という地位に甘んじてはいるが、その実力は姫を遥かに凌ぐものであると噂されている。
 もっともこの噂は彼をひいきする女官達の間でのことであるが…。
 「寒いぞ、シャイロク」 
 「夏は暑いと言っていたではありませぬか」 
 「…だから何だというのだ?」 
 取り留めもないことを言い合いながら、二人は会議室へと向かう。
 会議室は暖房が効いていた。リースは席に就き、一息就く。しばらくすると国王が宰相と軍事顧問を従えて席に就いた。
 会議室には国王直属の軍事代表が一同に会していた。
 七つの騎士団の団長とそれぞれの副官,呪語魔法のエキスパートを集めて作られた少数精鋭の宮廷魔術師団の団長と副長,それら全ての上に立つ、軍事顧問兼国王の相談役,そして行政を取り仕切る宰相。
 「皆集まっておるな,それでは緊急会議を始める」 軍事顧問グレイム=イラは会議を進行する。初老の域を向かえた彼は、派閥がある騎士達の間でもそれを越えて最も尊敬されている男である。
 「北の同盟国,リハーバーから先月、次の様な報告があった。遥か北の酷寒の地,シルバーン大山脈の向こうで魔族達が集結を始めたと」 彼の言葉に一同はざわめく。
 魔族は彼ら騎士がどんなに剣に優れていようとも、倒せるものではない。下級魔族程度なら気合いさえあればどうとでもなるが、それくらいのことでは緊急会議など開かれない。
 「静かに。言葉の真偽を確かめるため、宮廷魔術師団長ルース殿に探索を頼んだ。後はルース殿に引き継いでもらう」 全視線は老騎士から中年魔術師に移る。
 「なかなか渋い魅力のある人ね」 ルースを見て、リースが呟く。
 「少しは緊張感を持って下さい」 リースの囁きにシャイロクは注意を与える。
 魔術師は杖を取ると軽く何かを呟く。すると会議室の天井一面に映像が写し出された。
 それは絶えることのない猛烈な吹雪の中に氷でできているのであろう,巨大な城の姿が見て取れる。
 「ご覧下さい。地元の伝承にすぎませぬがシルバーン山脈の北には、かつて魔王と呼ばれる程の高位な魔族がいたと伝えられております。しかし魔王はある英雄により地に封じ込められたと伝えられておりました。何分古い伝承ですので、この程度の口伝にしか残ってはおりません。また、魔王のいた当時、この地はこのような酷寒の地ではなく、温暖であったということも補足までに」 
 「それで魔術師殿,この城にはその魔王とやらが住んでいると考えてよいのか?」 第五騎士団団長のハノバ=テイスターが問う。
 「おそらく。この城からは強く多くの魔力が感じられました」 
 「彼ら魔族は何を企んでおるのだ? 唯いるだけとは考えられんのか?」 ハノバの副官が尋ねる。
 「分かりませぬ。魔族が集結しつつあることは確かですが、どのような行動を起こそうとしているのかまでは不明です。魔法にも限界があります故」
 「グレイム殿,それでは我らに何をしろとおっしゃるのでしょうか? この地は酷寒の地,我ら騎士の足では進むこともままならぬでしょう。夏を狙うとしても、この地の夏はおよそ一週間,それも蚊が大量に発生し、冬以上に足を踏み入れるのは危険とされています」 学者肌の第一騎士団団長,エノリア=アムアが眼鏡を上げ、困惑顔で言った。
 「うむ,我々の足の届かぬところで魔族が行動しておっては対策を練ろうにも練れぬ。魔族にしても攻め込んでくるという訳でもないしのう」 グレイムも困り顔で呟いた。
 「グレイム殿、魔族がその内に人を襲うのは目に見えております。ここは無理を承知で攻め込み、滅ぼすべきでは!」 神官出の聖騎士の称号を持つ第四騎士団団長,ハーグス=イスナが俄然と言い放つ。
 「エノリア殿の言葉を聴かなかったのか? どうやって行くのだ?」 第三騎士団団長,クラール=シキムが抗議した。
 「魔術師殿に瞬間移動の術を使ってもらえばよかろう」 
 「定員オーバー,無理です」 魔術師団長は即座に返した。
 「できれば戦は控えて貰いたいものですな。今年度は海賊の被害で資金が不足しております故」 宰相パルテミス=アリが、その禿げ頭を撫でながら憮然と言う。
 「しかしリハーバーへの体面と言うものがあるしのう」 国王の呟きに会議室に沈黙が訪れる。
 「それではシルバーン大山脈の麓に必要最小限の兵を駐留させるしかありませぬな? 魔族相手ですから宮廷魔術師団からも一部割いてもらって監視に当たるというのは」 シャイロクの発言に国王が頷いた。
 「それが一番だろう。では細かい点を煮詰めて行くとしよう…」 



 結局、半年交替で騎士団が一部隊、シルバーン大山脈の麓に駐留するということに決まった。そして宮廷魔術師団からも二名づつ監視として送り出すことに決定したのである。
 駐留地の名はベフィモス=ガーデン,古き時代の力を失った遺跡のある地であった。
 「で、我ら第七騎士団がまず始めに向かうことになった」
 リースは第七騎士団待機室で待機していた一部の騎士,およそ十分の一である三十名に告げていた。言い出しっぺが向かうということになったのである。
 「出立は二日後、他の者にも伝えるように。では、解散!」 騎士達は肩の力を落として部屋を出て行く。
 ただでさえ今年の寒さは例年より強いというのに、さらに北へ向かわねばならないのである。これが遥か南方への出張ならば、皆,喜び勇んで出立の用意をすることだろう。
 「シャイロクが余計なことを言わなければ…全く」 愚痴をこぼしながら、リースは団長控室に戻る。そこでは出立に際しての書類の整理をしている、シャイロクの姿があった。
 「シャイロク! お前が余計なことを言わなければっ…」 言い掛けたリースの言葉が途切れる。シャイロクの手が光り、次の瞬間にはリースの頬に一筋の赤い線が走った。
 「なっ!」 硬直するリース。
 シャイロクはリースの後ろの壁に、短剣で縫い止められた赤い蝙蝠を手に取る。
 「姫の命を狙う者がいる」 
 「それは?」 
 「牙に毒を持っている。暗殺によく使われる特別製の蝙蝠だ」 シャイロクは短剣を引き抜き、蝙蝠を窓の外に捨てる。
 「何者かが王権を狙っているという情報が入った。王家の血をひく者を皆殺しにする,と言うね」 険しい目でシャイロクは血の付いた短剣を拭う。
 「シャイロク…だからわざわざ私を遠征に?」 
 「いや、あれは偶然」 リースはジト目でシャイロクを睨む。
 「とにかく、出立までの二日,俺は姫の警護に当たらせてもらう」 突然のシャイロクの言葉にリースは思わず後ずさる。
 「え? だ、大丈夫だって。自分の身くらい自分で…」 
 「今の蝙蝠に気が付かなくてよく言えるな。今夜は姫の家に泊まりこむよ」 短剣を腰に戻し、シャイロクは戸惑うリースに問答無用に言い放った。
 「私、一人暮しなんだけど…」 
 「なら、余計に心配だ」 言いながら、書類の片付けに戻るシャイロク。
 「そうじゃなくて! ほら、一つ屋根の下に若い男女が一緒にいるってのはさ」 顔を赤らめて、リースは必死に言い聞かせようとする。それにシャイロクは何かに気付いたようにポンと手を打った。
 「ああ,泊めてもらうんだから飯くらいは作ってやるよ。そんなこと、いちいち気にするなって」 
 「違う! もういい…」 諦め、リースは先程脱いだ十五枚の上着を再び着込み始めた。

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