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 首都アークスのほぼ中心に位置する高級住宅地,そこは貴族や大商人,そして国から与えられる貸し家などが整然と並んでいる。
 ここは下町と違い、夕暮れになると街灯である魔法光が灯り静寂が辺りを支配する。
 鮮やかな夕焼けを受けて、整然と敷かれた石畳の道を二人の騎士が各々の馬に乗って進んでいた。
 「む〜、本当に来るのか?」 夕日に赤い髪をさらに赤くしたリースがシャイロクに声を掛ける。シャイロクは眩しそうに彼女に視線を移した。
 「何か見られちゃいけないものでもあるのか?」 
 「そんなんじゃないってば。二人っていうのは…まぁ、お前とだったら、いいかな」 勝手に納得するリース。
 「そうそう、話は変わるがお前の家系,ラスパーン家には、十五歳の時に決めたある宝物を持ち帰らないと大人として認めてくれないっていう決まりがあるんだって?」 リースの振った話にシャイロクの顔が硬張る。
 「どこからそんな情報を? ラスパーン家以外の者は知らないはずなのだが」 彼の言葉にリースは口許で人差し指を横に振る。
 「どうもお前は私を子供扱いしがちだな。私にもお前の知らない情報網くらいあるぞ、女官達の井戸端会議だとか」 
 「い、井戸端会議なんかでラスパーン家の門外不出である情報が話されるのか?」 不信気に問うシャイロク。
 「お前の弟,確か第二騎士団だったよな。そいつが何でも一人で東の真羅の森で暴れていたサイクロプスを倒した時のことだ。王が褒美に欲しい物を言ってみろとおっしゃったそうだ」 思い出しながらリースは答える。
 「へぇ、それで何を頂いたんだ?」 知っているにも関わらず敢えて尋ねるシャイロク。
 「お前の弟は倉庫の奥に眠ってた龍槍ガウディとかいう槍を貰ったそうだ。シャイロクは何だったんだ? 手に入れた宝物って」 好奇心旺盛な彼女は身を乗り出して彼に問い詰める。
 ラスパーン家はシャイロクの父が一代で成り上がった商人の家系である。現王の恩恵の下、貴族間でも力のある存在でもあり、彼の父は勢力増大のために十二歳だった彼を王族の従兄妹であるリースの付き人とした。
 しかしながら元来ラスパーン家は商人でありまた、これこそ家系の者以外知らないことであるが、盗賊もしくは義賊と呼ばれる歴史のある家系でもあったので、このようなしきたりが未だに残っているのだ。
 「何だった,じゃなくて何だ、だよ。まだ手に入れてないからね」 答えるまでは放さない雰囲気のリースに仕方なしにシャイロクは答えた。
 「え? じゃあ一体?」 意外とでも言いたげにリースは首を傾げる。
 「手に入れるまでは他人に口外してはいけない決まりさ」 面倒臭そうに答えるシャイロクにリースは食い下がらない。
 「気になるじゃない。教えてくれたっていいでしょう?」 
 「いやだ」 
 「上司の命令!」 
 「プライバシーの侵害」 
 そんなことを騎上でとめどなく話すうちに、リースの屋敷の前まで来る。
 人は馬を裏にある馬屋につなぎ、屋敷に入って行った。
 玄関の扉の前でシャイロクは腕を横に延ばし、リースを止める。
 「待て、何か気配がする。誰か家に泊めてるのか?」 
 「え? 誰もいないけど…」 リースが答えるのと同時に玄関の扉が開いた。シャイロクは戸惑うリースを庇いながら腰の剣を抜く。
 シャイロクに剣を突き付けられながらも微笑んでいたのは一人の少女である。
 「お帰りなさい,シャイロク様も御一緒でしたか」 それはエプロン姿の可愛らしい少女だった。歳の頃は十八くらい,黒いポニーテールに同じ黒い大きな瞳が印象的な美人である。
 「誰?」 屋敷の主であるリースが尋ねた。
 「あ、申し遅れました。私はユーフェ=フロイス。魔術師団長ルース様の命により姫様の力になるように言われました」 言って深々と頭を下げる。
 「ルースと言うと宮廷魔術師の? 君は魔術師なのかい?」 
 「泥棒なら扉も窓も開けずに家に入ったり、仕事場で夕飯を作ったりしませんよ」 シャイロクにユーフェと名乗る少女は答えた。言葉の通り、家の奥から何やらおいしそうな匂いがする。
 「で、魔術師さんがどうして人の家で夕飯作って待ってるの?」 不機嫌にリースは尋ねた。それにユーフェは笑顔で答える。
 「魔術師団独自の情報にリース姫様の命を狙っている者がいるというものがありまして、王様からルース様を通して護衛も命じられたんです。これが令状です」 言って差し出す手紙には王からルース宛に今のことが書き記してあった。
 「そうか。それで私の命を狙う奴の名は分かったのか?」 リースは手紙を返して聞くが、ユーフェは首を横に振る。
 「そう、でも今日はもう帰っても良いよ。シャイロクが護衛しててくれるから」 言ってシャイロクに視線を移す。
 「刺客は魔導師も雇っているんです。この屋敷に魔術的罠を四ヶ所ほど発見しました。シャイロク様の実力を疑う訳ではありませんが、魔術に関しては私もいた方が良いかと」 
 「…ふむ、しかしな」 返事に困るリース。その赤き姫君の様子にユーフェは納得したようにポンと手を叩き、
 「そうですね、せっかくの御二人だけの時間を邪魔しちゃ悪いですし」 
 「そんなことないって。良いじゃないか,姫。さっきも二人だけだと嫌だとか何だかとか言ってただろ」 天然だろう、シャイロクのフォロー(?)に項垂れるリース。
 「…ああ、そうだな。シャイロクの言う通りだよ。ったく!」 暮れきった夜空の下、日の残光と街灯の魔法光の光とを受けて、リースは疲れた声で言い放ち玄関をくぐる。
 後には困った顔のシャイロクと、彼を中に誘うユーフェの姿があった。
 屋敷を囲む冬枯れの木々が彼らを見守るように、北風に軽く吹かれて音を立てる。やがて日は沈み、屋敷の中からは暖かい光と笑い声が聞こえてきていた。



 外は一寸先も見えないほどの吹雪だった。
 彼らがこの村に足止めされて二週間、例年以上の吹雪の為に身動きが取れなかった。
 ここはリハーバー共和国の西方,ブラックパスの村。シルバーン大山脈を北に臨む、人間が住む最も北の土地である。すぐ近くにはほとんど崩れかけた古代遺跡『ベフィモス=ガーデン』がある。
 シルバーン大山脈をとって見ても、少数の亜人が住んでいるだけで、はっきり言って住み心地の悪い所であった。
 「はぁ、何故私がこんな…」 板金の鎧を常に身に纏った中年騎士は手にしたカードを一枚、テーブルに投げ捨てる。
 「あ、ナセル。それダウト!」 隣に座った、頭にターバンを巻く小柄な色白の少女が言い、彼の出したカードをめくる。
 それにはFと書かれていた。
 「これでナセルは終わったな」 ナセルと呼ばれた中年騎士の正面に座った青年が言って、テーブルに積まれたカードの山を中年騎士に押し付けた。
 黒い髪に前髪だけが赤く染まっている、隠さずともどこか気品が感じられる若者である。
 その腰には鷲を形どった紋章が刻み込まれた鞘に長剣が納まっていた。鷲を形どった紋章は隣国,アークスの王家の紋章である。
 「お、王子、いつまでこうしておるおつもりですか?」 テーブルに突っ伏して、中年騎士は呻く。歳は30代後半であろうか,黒い短髪にその面には幾筋もの皺が刻み困れていた。
 「ギブアップなら10G」 呟くように、テーブルを囲む最後の一人,緑色のローブを頭から被った中年男が言った。それに騎士は震える手を押さえて金貨を一枚差し出す。
 「よ〜し、ここからが本番だ! 行くぜ!」 若者は言って、手持ちのカードを一枚、テーブルに叩き付けた。



 アークス皇国には王家の血をひくものは現在、五人いた。
 まず国王アークス十六世は二回結婚をしている。第一王子のアルバートは今は亡き先妻,ニリュートの子である。ニリュートはアルバートが六歳の時にこの世を去った。
 再婚した妻,イリアはミアセイアとウルバーンを生み、なお健在である。
 また敵対国ザイルの暗殺者の手に掛かって殺された王弟エンリヒとその妻フローラには二人の娘がいた。上の娘はシシリア,下はリースという。
 しかし王位継承となると、この五人にその素質は疑わしいものがあった。
 まず、このアルバート第一王子である。
 「殿下,いつまでこの放浪を続けるのでございますか! 王家の血筋をひく者たる者、常に国の…」 
 「それダウト!」 
 「ああ、無常…」 中年騎士の小言に全く耳を傾けることのない三人。
 まず王子アルバートと娘フレイラースがカードゲームで騒ぐ。そこに騎士ナセルが説教し、魔導師イルハイムがちゃっかりと勝者となるのが、ここ二週間の日課であった。
 王子アルバートには放浪癖がある。今回もシルバーン大山脈付近で魔族が騒いでいるとの噂を聞き、ここまでフラリとやってきたのだ。
 監視役を受けている騎士ナセルにしてみれば迷惑この上ないことである。そもそも彼は実直が故、王子たる確信がないアルバートを憎んでもいた。
 それに対しフレイラースとイルハイムの思惑はまるで異なっている。もっとも二人は王家から彼を護る様に依頼されている訳ではなく、気の合う冒険者仲間までしかないのだから当然だ。
 フレイラースにすればアルバートは退屈しない遊び相手であり、イルハイムにとっては危険を運んできてくれる便利な男と言った具合に、だ。
 「アル,飽きたよ」 フレイラースがカードを投げ捨てて欠伸をする。
 「よし、そろそろ行くか!」 アルバートが勢い良く席を立った。
 「老いてなお、その腕一つで宿をきりもりする白髪の老人ハーデン=ベルクさん,六十五歳! 二週間分の清算するぜ」 
 「誰にそんな細かくわしの紹介をしておるのだ?」 カウンターからの老人の声。
 「こんな吹雪の中、飛び出してどうする。自殺するようなものじゃぞ!」
 「ご忠告,ありがとう」 言いながらもアルバートはコートを羽織る。
 「出発したいと騒ぐ奴がいるのでね」 
 「確かにいつまでもここにいるべきでないと言いましたが…何もこんな吹雪の中を!」 宿の主人に睨まれながら、ナセルは慌ててアルバートを止めに入る。
 「ええい、泣き言申すな! 行くぞ!」
 「泣き言ではありませんよ。ほ、本気ですか?」 返事をせずにアルバートはフレイラースとイルハイムを伴って戸を開く。雪と凍るような風が店内に吹き込む。
 「では、またいつかどこかで会おう! ははははは〜〜〜」 
 「ま、待ってくださ〜い!」 あっと言う間に雪の中へと消える三人を、ナセルは慌てて追い掛けて行った。
 そして店内は二週間振りの静寂を取り戻す。
 「寒さでは死なんな,あいつらは…」 老いてなお、その腕一つで宿をきりもりする白髪の老人ハーデン=ベルクさん,六十五歳の呟きがやけに大きく店内に響いていた。



 アークス皇国。この国は他の周辺諸国には余り見られない軍事力がある。
 魔道,すなわち呪語魔法と呼ばれる魔術であった。
 呪語魔法とは言葉に含まれる魔力を抽出し具現化するという技術であり、主に知識量と個人の体質により、その強さは変わってくる。
 アークス皇国は他の国家からは魔道の国とも呼ばれ、恐れ、敬遠されてきた。このことがアークス皇国が千年にも渡って栄え続けてきた理由であろう。
 魔道にはそれなりの知識を学ぶ施設や、術を行使する為の道具が必要である。魔術師達の連合体である魔導師ギルドが深くアークスとつながっていることから、呪語魔法はアークスでしか学ぶことのできない,ほとんど専売特許になっていたのである。
 それに伴い、アークスの軍事では呪語魔法の使い手達を集めた。それは皇国魔術師隊と呼ばれ、戦役に大きな役割を果たしている。
 そして特に魔道に秀でた者を集めて作られた魔道のエリート集団が、宮廷魔術師団であった。
 宮廷魔術師団の現在数は四十名,おのおのが使いようによっては一騎当千に値する術師達である。だが人名や構成などは王とその近辺の者しか知らぬ、国家機密の固まりのような集団であった。
 団長であるルース=アルナートと副団長でありその妻フィースは、息子が去った後の自宅へと足を踏み入れた。
 エルシルドの街,失われた風景亭の五階の部屋だ。
 「サイはすでに振られてしまっている」 顔立ちの良い中年の男,ルースは窓から外を見つめる妻の横に立つ。
 ルーンの母,フィースは長く淡い光を放つ白髪を持つ、二十代前半にしか見えない女性であった。宮廷魔術師団の副団長でもある彼女は、昔から『白の魔女』という敬称を魔術師の間に広めている実力者である。
 「結局、親らしい事は何一つできなかったわ。そしてこれからも…」 フィースは呟き、窓の外で新たな冒険の旅路へと急ぐ六人の若者達の姿を見送る。
 ソロンとシリア,フレイラースにケビン,キース,そしてシフだ。
 「私は今でも思うの。あの子が本当にこの生き方を望むのかを」 
 「違うぞ,フィース」 ルースは即、否定。
 「ルーンは自分で自分の道を進んで行くんだ。私達はそのレールの上に扉とその鍵を置いたにすぎない。扉を開けるか,開けずに他の道を行くかはルーンが決めることだよ」 
 「その通りだけれど…私はあの子の母である以上、幸せになってもらいたいから」 窓の外から入ってくる,昼の街の雑踏が部屋を満たす。
 「大丈夫だろう。ルーンには前代のアッティファートやクロースターにはなかったものがあるからな」 ルースは窓を開けながら言った。冷たいが心地好い微風が二人を包む。
 「幼い頃からの闇との接触? でもそれだけじゃ…」 
 「いいや」 彼は妻の言葉を否定する。
 「運命を信じない心だ。私達には決してできない考え方さ。まぁ、しばらく様子を見よう。お茶でも煎れるよ」 ルースは言い、窓から離れる。
 「そうね。貴方と私の子だもの。きっと」 フィースの呟きは街の雑踏にかき消される。彼女はいつまでも窓の外を眺め続けていた。



〜 Promenade 〜


 ――――どうだった?」 一区切りついたのか,吟色の髪の詩人は竪琴の手を止め、紅茶を口に運ぶ。
 「でもルーンって人、誰かに似てない?」 女の子は眼鏡を掛けた男の子に尋ねた。
 「それよりも…」 
 「続き、お願い! 早く聞かせてよ」 眼鏡の子の言葉を遮って、リーダー格の男の子が話を急かす。
 吟遊詩人は竪琴を確かめるように一回掻き鳴らす。
 「はいはい、しっかり聞いていてね―――――



   少年は少女と出会った。それは運命か,混沌からの産物か
   二人は進む。永遠の夢に向かって
   取り巻く世界も巡る。時間と供に,住んでいる命の数だけ………




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