2−1
第二章
<Rune>
弱々しい冬の日が僕達のいる森の中を所々に、光を落とす。
その光を浴びようとしてか木立ちが風に揺れ、葉を擦る音があちらこちらに聞こえていた。
そして…辺りには新しい死臭,すなわちむせ返るような血の匂い。
”ルーン,上!” イリナーゼの思念が飛ぶ。僕はそれを聞くか聞かないかのうちに横に飛んだ。
トストス,そんな音を立てて、今まで僕のいた柔らかい土の地面には矢が突き刺さる!
「上かっ!」 僕の隣で矢をつがえていた猟師が必殺の一撃を、木の上で再び矢をつがえようとするゴブリンに与えた。
矢はゴブリンの喉笛に突き刺さり、妖魔は木から落ちて息絶える。
「これで三匹目か」 猟師が言った。
僕とアスカがファレスの追手から宿場を次々に通り過ぎつつ、逃げて二日後。一息つくと同時に近くの宿場街に腰を下ろした。
ソロンから貰った袋の中には路銀代わりとして宝石が二個入っており、金額的には三日間遊んで暮らせる程のものだった。
そこで、それを使って旅の支度と疲れをほぐしていると、この村の村長さんが直々に依頼を申し込んできたのである。
「近くの洞窟に流れ者のゴブリン達が住み着いて、家畜達を襲うので盗伐隊に加わって欲しい」 彼はそう言って相場よりも多めの依頼料を提示した。
丁度旅の支度などで路銀が不足がちだった僕達は喜んでその依頼を受けたのであった。
ゴブリンとは妖魔の一種で、簡単に言えば魔族と亜人の中間に位置する生物だ。
性格は卑しく悪賢いが、それほど強くはない。だからと言って団体で来られると武芸が達者なものでも命を落とすことは十分ありうる。
盗伐隊の構成は、村の猟師が三人,武芸にちょっとでも心得のある村人六人,そして僕とアスカであった。
それに対してゴブリンはおよそ十五匹。数の上ではこちらが劣っているが、ゴブリンは人間よりも体力,魔力ともに劣っているので勝算は十分にある。
そして夜行性である彼らを昼間に襲ったのであるが―――
「しかし皆、どこに行ったんだ?」
「近くにいるとは思うが…ここは大昔、エルフが掛けた迷いの森の呪力が残っているのだ」 僕達はゴブリンの誘導によって皆、離れ離れになってしまってのだ。猟師は続ける。
「慣れてる俺達猟師は良いが、あんたや村の奴等は妖魔の思うつぼだ。おそらくもう半分はやられてる」 暗く、猟師のおっさんは言う。その半数にアスカが入っていないことを祈るばかりであった。
”囲まれたわ、来るわよ” イリナーゼの思念。この依頼を受けるにあたっては、彼女の要望が強かったのである。
彼女曰く、”私の意識は貴方の意識,同調させて貴方の感覚を高めなさい! これなんか良い訓練よ” であった。
何故イリナーゼが僕を鍛えてくれるのか,それは好意なのか、考えがあってのことなのかは分からないが、腕に自信を付けたい僕は、それに逆らわずに指導を受けている。
僕は剣を握り直す。回りは僕の肩の高さまである茂みだ。どこから来るのか、まだ気配だけでは察知できなかった。
「おっさん,囲まれてるよ」 猟師は頷き、弓から小剣に持ち変える。
視界の隅が光った!
「「シャギャ!」」 錆びたナイフやら剣やらをかざして、茂みから僕達を囲む様にして五匹のゴブリンが現れた。その内、二匹は後ろで矢を放ち、三匹の援護をする。
飛来する一筋の矢を第六感で交わし、僕はナイフをかざす一匹のゴブリンの懐に入る。勢いに乗ったまま剣をその左胸に叩き込んだ!
「「ぐぁ!」」 呻き声がダブる。猟師がゴブリンの矢を受けたのだ。
「おっさん、後ろだ!」 彼の後ろに回り込んだゴブリンの一匹が手にした剣を突き下ろす。錆びついた剣は力任せに、おっさんの背中に潜り込んだ!
「ぐぁぁぁっ!」 断末魔の叫びをあげておっさんは倒れる。2つの目標を一つとし、三匹のゴブリンが一斉に僕に殺到した!
「クソッ、剣が抜けん!」 ゴブリンの胸に突き刺した僕の剣はなかなか抜けない。
突き刺すのに用いる槍などの武器はリーチが長く何よりも破壊力があるので知られているが、一度突き刺したら次の攻撃まで時間が掛かるという。
その瞬間が槍を用いる敵の弱点でもあるのだが、僕はそれと同じことをしてしまったのだ。
矢が二方向から僕を襲う。それと同時にナイフを手にしたゴブリンと、猟師のおっさんを突き刺した奴が迫る。
ちなみにこいつは僕と同じく剣が抜けなかったらしく、腰に差した手斧に持ち替えている。
「このぉ!」 ゴブリンの死体が突き刺さったまま、僕はナイフを手にした奴に渾身の力を込めて剣を薙ぐ。
振った拍子に死体が飛び、そのゴブリンを巻きこんで倒れた。
「クッ!」 しかし矢の1本が僕の背中の,この町で買ったばかり胸鎧のつなぎ目に突き刺さる。
「ルァァ!」 手斧を手にした奴がその武器を投げてきた。予想外の行動に僕は付いて行けず、手斧は僕の額を確実にかち割る,が寸でのところで剣で弾き返した。
返す刀でそのゴブリンの首筋を切り裂く。
再び二方向から矢が飛んだ。一本目を横に交わして避け、二本目を,
「ギュワ」 突如、足を捕まれる! 避けた先には、先程死体を投げて転倒させたゴブリンがいたのだ。
”何とかなさい!” イリナーゼの叱咤が頭に響く。
僕は矢を避けるため身を捻るが、右胸に痛みを感じる。
それに構わず、僕は足を掴むゴブリンの頭に剣を突き立てた。手に鈍い感触を受けると同時に、足を掴む手が緩む。
次の矢を番えるゴブリンに視線を移した時、急激にその視界は揺れ、白くぼやける。ぼやけたその視界に勝利を確信して、ゆっくりと弓を引き絞るゴブリンの姿が見えた。
まずい…体が動かない,やられる。
「真空の刃よ!」 後ろから精霊語の短句が発せられたかと思うと、二匹のゴブリンの体は瞬時に細切れにされた。
「ルーン!」 茂みから飛び出してきたのは翼を持つ少女であった。自らの意志に従わない体が彼女に倒れ込む。
「優しき風よ,安息よ、我が名の下に癒しの力を与えたまえ…」
矢を抜かれ、血が溢れる傷口に暖かな手が当てられ、耳元で精霊語の呪文が囁かれる。すると暖かい何かが体を駆け抜け、そして僕の傷は消えていた。
「ありがとう、アスカ。助かったよ。それと…ごめん」
「気にしないで」 僕の返り血で赤く染まったアスカは、僕をその場に寝かせた。
「喋らないのっ,それに動かない。傷は塞いでも流れた血までは回復してないんだから」 彼女の言葉に無言で従った。回りを見ると三人の男達の姿がある。姿から猟師が一人、村人が二人だ。
「…四,五とこれで全部だな。ディーバックの奴もやられたのかよ。結局、残ったのは五人とはな」 猟師が溜め息を付いて言った。
どうやら少なくとも、彼らとアスカの四人以上で行動していたようである。
「ルシアーヌさん、連れの人,動けそう?」 村人の言葉に彼女は頭を横に振った。
「お〜い、テアフル。この兄ちゃんおぶってってくれ」 もう一人の村人に彼は呼び掛ける。テアフルと呼ばれた巨漢は頷き、僕を背負う。
「さ、行きましょうか。日が暮れる前に」 アスカの指示で一行は森を出て、村への帰路に就いた。
立ち眩みがした。それに伴い吐き気がする。僕はベットに戻った。
「ルーン、後金貰ってきたよ」 同時に部屋にアスカが入ってくる。
ここは村の宿屋の二階。僕は戻り次第、ベットに放りこまれた。そして数時間が経つ。
「死んだ村人達はどうしたんだ?」 僕をここまで運んでくれた大男がしきりに気にしていた言葉を僕は尋ねた。
「さっきゴブリンの死体の確認と一緒に埋葬もしてきたわ。だから礼金もこんなに早く貰えたんだけどね。村長さん、それなりに喜んでたわよ。礼金,約束より多いし」 そう言ってベットに横たわる僕の上に何かを投げ渡した。
「ゴブリンの巣穴で見つけたの。何だと思う?」 手にとって良く見る。
それは20センチ程の金色の金属でできた鍵らしきものであった。首のところには灰色の丸い石が納まっているが、これはただの石にしか見えない。鍵の背の部分には、おそらく神聖文字でも古い形のものが刻まれていた。
神聖文字というのは、字の通り宗教関係者が使うものであるが、今では彼らももっぱら共通語を用いているため、神聖文字は死語となっている。それ故古いものとなると解読できる者はいない。
さらに悪いことに、神聖文字というものも呪語魔法で用いる呪語に似て、こちらは文字自体に魔力があるため、魔法による解読は不可能である,と学院では学んだ。
「貰ったんだけど、価値があるものかしら?」 良く見たら服を新調してあるアスカに、僕は首を傾げた。
「ただのがらくたか、すごく貴重か,どっちかだと思うよ。今度大きな街で鑑定してもらおう」 言って投げ返す。
「そう。で、ルーン,気分はどう?」 鍵をポケットにしまい、彼女は尋ねた。
「吐き気がして頭が痛い。おまけに立つと立ち眩みがする」
「貧血ね、一日もすれば治るわよ。特製の料理を作ってきてあげるわ」
「そうかい? それは楽しみだ、お願いするよ」 ちょっと嫌な予感がしたが張り切っている彼女の手前、お願いすることにした。
その晩、宿屋の一室でこの世のものとは思えない悲鳴があがった。
以来、ルーンは彼女に料理をさせることを禁じることとなる。
無事に朝日を見ることができた。
ゴブリン退治から三日目の朝、僕はようやく体調を回復させた。
この二日間、言っちゃ悪いがアスカの作った殺人料理の為に生死の境をさまよっていたのだ。彼女の祖父が料理を禁じていたのが身に染みて思い知らされたぞ。
それはさておき、懐の暖かくなった僕達は再び西へと延びる街道をひた進む。ゆっくり行って、二週間もすればこの国の首都であるアークスにたどり着くことができるだろう。
何やらアークスでは兵士達が動くだの、南のザイル帝国が不穏な動きを見せているなど、色々な噂が飛びかっているという。その噂の中に何か面白い情報があればいいのだが。
「ルーン,アークスって街はさっきの村の何倍くらい大きいの?」 子供の様に瞳を輝かせて、アスカが尋ねた。
「う〜ん。百倍位って言ったら、どうする?」
「取り合えず、あなたを殴っておこうかしら」 にこやかに答える。
「じゃ、賭けよう。僕の言う通りだったら、どうする?」
「そうねぇ、一つだけ何でも言うことを聞いてあげるわ。あなたの言ったことが嘘だったら、一つ言うことを聞いてもらうわよ」 挑戦的な笑みをこぼして彼女は言った。
まるっきり僕の言ったことを信じていない。確かにあんな森の小さな村にずっと暮らしていたのでは信じられないのも分かるが。
「良いだろう、百聞は一見にしかずだ。いざ、アークスに向かって!」
暖かい朝日の下、冷たい北風が今が冬だということを思い出させる。
丘へと上る街道の先には、見えないはずのアークスの街が広がっているように思えた。
<Camera>
真羅の森を越えて幾つめの町であろう,彼らは立ち寄った。
彼らの進行は遅い。行く先々で何らかのトラブルを巻き起こす(巻き込まれる)のだ。
「ルーン様……ですか。ああ、一昨日泊まって行かれましたよ。お連れの方と二人で」
「連れ?」 ソロンは宿屋の主人の言葉に首を傾げる。
「ええ、美しい女性の方で。名前を…そうそう、アスカさんと言いましたね」
「ありがとう」 ソロンは言い、銅貨を一枚カウンターに置く。
そして彼は宿屋を後にした。
「アスカと一緒だったらしい」 ソロンの言葉にシリアは飲んでいた紅茶に咳き込んだ。
「何でまた。ふ〜ん,意外ねぇ」 緑色のローブをまとったショートカットの魔導師は考え込んだ。
「ようするにルーンお兄ちゃんが女の子を誘ったってこと?」 金色の長い髪を後ろで束ねながら、黄色の生地でできた独特の神官着を着た少女がふざけたように聞き返した。ソロンは神妙に頷く。
「え? 本当なの?」 束ねた髪が驚きに解ける。
「あのルーンが女を誘っただとぉ!」
「んなばかな!」 革鎧を着た二人のむさくるしい男達の叫びに、クレオソートの声はかき消される。
「一時はモーホー説さえ噂されたあの…」
「嘘おっしゃい!」 クレオソートの蹴りがその内の一人、キースのこめかみに炸裂した。
「ま、それはともかく。本当の所、追うのか,ルーンを? 俺はどちらにしろアークスの街にでも行こうと思ってたから、つき合ってやるぜ」 足下でのたうちまわる元・部下を尻目に、ケビンはクレオソートに尋ねた。
「当然。私に黙って旅なんぞに出るとは不届き千万,それにアスカって人にも会ってみたいし。ソロンとシリアはどうする?」 神官の言葉にシリアがソロンより先に答えた。
「私達もエルシルドの街じゃ、たいした仕事がなかったからね。良いわよ、アークスまでならつき合ったげる。ルーンもアークスの街に向かってることでしょうから、途中で追いつくかも知れないわね」
「それじゃ、早速ルーンを追ってアークスへ出発!」 歩き出すクレオソートを先頭に五人は再び進路を西に取る。
「しかしシリア。そろそろあの日だが…良いのか」 いつにない神妙な顔でシリアにそっとソロンは囁く。
しかし返ってきた小声の答えにどうも安心できないながらも、ソロンは木々の間に見える青空を眺めた。
「ま、いいか」
「どうかした?」
「な〜んでもない」 ソロンの呟きにクレオソートは首を傾げながら前を見つめ直した。
草原に三つの大きな影が過ぎて行く。
三隻の帆船がその帆に風を受けて大空を飛んでいる。その帆には鷲を形どった紋章が大きく描かれていた。
ガルーダ・シップ―――アークスの魔法研究の粋を集めた産物である。
魔術鍛練によって精製される飛行石と呼ばれる火と風の呪力の結晶体を動力として飛行する、アークス軍が三年前に取り入れた輸送機である。
乗員は百二十名まで可能,馬以上の速度を出し、かつ揺れがない。また上空100mまで高度は調節できるため、弩砲に落とされることはまずない究極の移動手段である。その操縦も魔術を知らぬ者でも可能であった。
しかしその生産には多大なコストが掛かり、大量生産は不可能である。このガルーダ・シップはアークス皇国が六隻所有している。
当然のことながら軍に取り入れているのは、アークスのみである。
その甲板で赤い髪を風に流しながら一人の女性が、次々と過ぎ去って行く景色をあてもなく眺めていた。
「姫様、どうか致しました?」 不意の言葉に彼女は声の掛かった後ろを振り向く。
そこにはいつものポニーテールを解いて、リースと同様に髪を風に流した少女が微笑んでいる。
「ユーフェか、どうもこうもないよ」 言って溜め息を就くリース。
「一年。一年も私の大っ嫌いな寒い所にいなきゃならないのよ。当然、魔法映像も入らないし、一体何をやればいいの?」
魔法映像とはテレビのようなものである。これもアークスの魔法技術が生んだもので、当然のことながらアークスの外ではその魔法は圏外だ。
「何をやればって…魔族に対しての警戒でしょう?」
「警戒って言ったって、魔族を見たって人はいないのよ。それに魔族は切ってもなかなか切れないしさぁ」 リースの言葉にユーフェは苦笑を漏らす。
「それじゃ、いっそのこと旅行と思えば良いじゃないですか。嫌と言う程、雪を見る旅とか」 その提案にリースはさらにげんなりとした。
「それに旅行先で彼氏とさらに深い仲になるのが一般論ですよ」 ニッコリ笑って魔術師の娘は言う。
「誰よ、彼氏って。私にはいないわよ」 ユーフェから視線を逸らし、再び景色を眺めながら呟いた。
「え? シャイロク様と良い仲なんじゃ?」
「ば、馬鹿言うな,何で!」 慌ててリースはユーフェに反論する。
「そうなんですか。じゃ、私がシャイロク様と付き合っても文句はなかったんですね」
「ち、ちょっと待て,どうしてそうなる?」 立ち去ろうとするユーフェの肩を捕まえて、リースは言った。
「だって私、前からシャイロク様のこと好きでしたし。でも姫様との仲が噂であったものですから。でも噂は噂にすぎなかったんですねぇ」 さらりとユーフェは言う。
「シャイロクは……お前の思っているような男ではないぞ」 苦しげにリースが呻くように言った。
「どういう意味ですか?」 ユーフェが突っ込む。
「とにかく! シャイロクと付き合うなど許さん、そんなこと考えてる暇があるのなら仕事をせんか!」 わめくだけわめいて、リースは甲板を降りて行く。
その後ろ姿を眺めながら、ユーフェは必死に笑いを堪えていた。
「目的地まで半月、しばらくはこのネタで暇は潰せそう」 頭上に広がる冬の青空を見渡し、若き魔導師の呟きは風に流されて行った。
シャイロクは送られてくる書類に目を通していた。そして判の要るところにはリースの名で判を押す。
本来ならばリースの行うべき仕事であるが、彼女はお世辞にもデスクワークに向いているとは言えない。何名かの他の騎士団の団長にも言えることだが武勇のみを重視して団長を選ぶとその副官に労働のツケが回ってくる。
乗員内容>第七騎士団二百七十三名。非戦闘員三十名
宮廷魔術師二名。皇国魔導師隊七十五名,以上
積載内容>皮製防具三百五十,防寒具四百,保存食六ヶ月分,以上
* なお到着の際、三隻のガルーダシップ,非戦闘員十名は帰還
「宮廷魔術師か」 シャイロクは報告書を見てふと呟いた。二名の宮廷魔術師,一人はユーフェ=フロイスという少女だが、もう一人はシャイロクにとって厄介な存在であった。
「どうかいたしました?」 シャイロクを手伝う騎士の一人が声を掛ける。黒い頭にやや白いものが混ざっている男であった。
「いや、何でもないよ,タイラス」
「ミアセイア王子のことですね,シャイロク様」 そうツッコミを入れたのは、タイラスと呼ばれた男の隣で同じように書類に目を通していた若い騎士だった。歳の頃はシャイロクよりも5つは若そうだ,黒い髪に黒い瞳と典型的なニールラント人である。
「ああ、あの方だけはどうも分からない。宮廷魔術師団団長ルース殿が育て上げたとしかね。何故この遠征に参加など…」
ミアセイア王子というのは現王の二人目の息子である。兄のアルバートとは違い、外に出ることが少なく専らルースの下で魔術の研究をしているという噂がある。
宮廷魔術師団に所属していることから力の大きい魔術師には違いない、とはシャイロクは思っている。
「ミアセイア様の事が知りたかったのならば、シシリア様に聞いてみればよかったのでは?」
「あの方も知っているかどうか…何よりあからさまではないか」 若い騎士の言葉にシャイロクは溜め息をつく。
シシリアというのはリースより歳の二つ上の姉で第四王位継承者である。
五人の王位継承者の中で最も騎士達の人望が篤いが、女の身であるのと病気により盲目であるがため、こちらもまた城の外に出ることは余りない。
リースとはまるで反対の性格のシシリアにはシャイロクは面識があった。いや、城に直接仕える者のほとんどは案外気さくな彼女に面識がある。
「シシリア様もルース様に魔術を習っていらっしゃると聞きます。その際、ミアセイア様ともよくお話になるとか」 騎士ザートは書類を整えながら答えた。
「シシリア様は誰とでも別け隔てなく接しますからのぅ。ミアセイア王子は無口な方ですが、シシリア様とお話しているのをわしも見たことがありますぞ」 タイラスが出来上がった書類の束をシャイロクに渡して言う。
シャイロクはその書類を封筒に入れ、席を立つ。そして窓の外を見つめた呟いた。
「やはりウルバーンか」
「どうしました?」
「いや、何でもない」 シャイロクは窓の外から視線を外し、ザートに向き直る。
「用を思い出した。書類の整理は頼むよ」 言い残し、シャイロクは部屋を出ていった。
残された二人の騎士は静かな船室でペンの音を立てていた。
「タイラス」 ザートが不意にタイラスに声を掛ける。
「何だ?」
「姫様のお命が狙われているから、シャイロク様はこの北方守護の任務をお引受けになったんだよね」 ザートの問いに老騎士は無言で頷く。
「その遠征にミアセイア王子も参加している,いや、させられているとしよう」 一旦ザートは言葉を区切る。
「王位後継者一位のアルバート様は放浪していて行方知れず。そして残るシシリア様は左程力を持っていない…」
「何が言いたいのだ、ザート」 至って穏やかにタイラスは問う。
「王位を継承できるもので、城に残っている者が一人,おまけにそいつは騎士団長の位を権力と暗殺で奪ったような奴だ」 心配気に呟くザートをタイラスが一笑に付する。
「後継者争いが起こるというのか,馬鹿な。親衛隊と宮廷魔術師がおるのだぞ。例え暗殺者が王を狙ったところで、王の間にもたどりつけぬわ」
「ウルバーン第三王子,奴はあの勇者として名高い元・龍公ステイノバ団長を暗殺したんだ。そして何より王の息子だし…」
「ザート,滅多なことを言うものではない! そんなものは噂に過ぎん。それにウルバーン王子以外にステイノバ団長の変わり役を務める者がいたと思うのか?」 声を荒げ、タイラスはザートに言い聞かせるが、自分で言った言葉にまるで説得力がないことにタイラスは気付いていた。
「…確かに滅多なことを言うものではないね。壁に耳あり障子に目ありと言うし」
「壁に耳があったところで、誰もわしらなどを追い落とそうとはせぬよ」 永年普通の騎士止りのタイラスに、ザートは返す言葉が見つからなかった。
風が吹き抜けて行く度に、彼の長い髪は大きく広がる。
シャイロク達の乗るガルーダ・シップとは別の艦のマストに、血の様に赤い法衣に身を包んだ男が立っていた。
「良いのか、シシリアよ」 彼の呟きは風に消える。
”彼一人なら、私で大丈夫。だから貴方は唯一私と血のつながったあの娘を守ってあげて。例えアークスから離れても、あの娘を狙う力は強くなる。だから…” 風に乗って、何らかの思念が伝わってくる。
「分かっている。リースは守る。お前の方こそ気を付けろ」
”それを言うなら貴方もね。こちらには皆いるから私のことは心配しないで。それと向こうは寒いのだから、ちゃんと着るものを着なさいね”
「…ああ」 憮然と風に呟くミアセイア。
”それでは,貴方の無事を祈っています” そして思念は消える。
「アルバート,お前がしっかりしていればシシリアは―――」 風に身を任せ、ミアセイアは聞く者のいなくなった風に呟いていた。
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