2−3
<Aska>
ルーンと伴に真羅の森を旅立って三週間が過ぎた。三週間もすると人間というのも見慣れ、始めは苦手だった接し方も大体慣れてきた。
そしてルーンというこの男も、どんな人間なのかが分かってきたような気がする。一言で言うと、真面目に見えて結構、いい加減なところのある物知りなお人好し,と言ったところか。
人間によくある矛盾さという点をうまく使いこなせている興味深い性格ではある。それ以前に彼には何か私と繋がりがあるような気がしてならない。
それだからであろうか,彼の側にいると何か安心できる。
ともあれ、そのルーンによると今日の夕方にはようやく、この人間達の王国の首都であるアークスという街に着くそうだ。
アークスという街は私が今まで見てきた人間達の村より遥かに大きく、その村の広さよりも大きい城が建っているという。
これにはルーンの過大評価が加わっているだろうが、信じられない話である。もっとも私はルーンのこの話を信じていないのだけれど。
とにかくも、アークスに着くのは楽しみである。人間の色々な生活が見れるし、野宿しないで済む。そして何より、食べ物がおいしいことだ。
旅の間、ルーンが作ってくれる料理も美味しいが、人間の料理人が作る料理というのは非常に美味しい。
そしてもう一つある。この話が嘘だったら何でも願いを聞いてくれるとルーンは約束してくれた。もう願いは決めている。
え? ルーンの言うことが本当だったら? そんな訳はない。人間達の言う宿場街の百倍の広さがある街などあるはずがない。
あるはずがない…と思っていたのだけど…。
「はいやぁ〜」 私はまさに開いた口が塞がらない。
「何だよ,その、はいやぁ〜って言うのは」 ルーンが呆れて言った。
小高い山の向こう、およそ10km程前方に見えるのは紛れもなく街,それも城壁で二つに分けられた街である。
二つというのは、おそらくは円形の城壁の中に街を作っていたのだろうが、城壁の中に入りきらなくなった為、外にも街が溢れ出したのだろう,そんな感じだ。
そしてその奥には大きな白い城,巨大な城の背後にはルーンに教えられた、天然の岩壁として知られるフラッドストーンなるものが見える。
「た、確かに百倍の広さはあるわね」
「感心してないで、行くよ」 ルーンはそう言って先を行く。
どうやら彼は私との約束などすっかり忘れているようだ。しかし、はたと考える。彼が私に望むとしたら一体、何を望むのだろうか?
「ま、思い出させないことが先決ね」 私は翼を広げ、彼の後を追った。
やはり行きかう人々の視線の多くが私達の方を捕らえる。私は何か心細く感じ、ルーンの背に隠れるように歩いてしまう。
亜人は人間の間では珍しく、異様に目立つ。そう思って今まで街など入る前に背の翼は精霊に言って人には見えないようにした。
しかし最後に泊まった宿場街でルーンが「大きな街では珍しくないから隠す必要はないよ」と言った為、魔法をかけずにここへやってきたのだが。
「ねぇ、ルーン」 私は隣を行く脳天気な青年に耳打ちする。
「何で皆こっち見るの?」
「さぁ? 直接聞いてみれば?」
「あのね」 私は歩きながら聞き耳を立ててみる。私達ファレスは人間などよりも遥かに高い聴覚を有しているのだ。
まずちらりとこちらを見たまま、通りかかった馬車にぶつかった男の声。
『…美人だ』 それは分かってるわよ,でも人間の感覚でもそうなのね。
『翼? 天使か?』 とこれはゴロツキ風の男達の声。
やはり私の容姿に,しかしそれは翼だけではないようだが問題があるらしい。
だが私自身、振り返られるほどの容姿ではないとは思っているのだけれど。
手近な人間に聞いてみることにした。
「ねぇ、ルーン?」
「何だい?」
「私って美人……かな?」 私はおずおずと尋ねる。それに彼はしばし考え、答えた。
「自分で美人だと思えばブスだし、そう思わなければ美人だろうね。それより飯は何が良い?」
「ルーンは色気より食い気ね」
「君に言われたくないな,ったく」 ルーンは答える。要するに私は人間の間でも美人なのか?
ふと、露天の商品が私の目に止まった。私は彼の袖を引っ張る。
「今度は何だ? アスカ」
「どうして花なんて売ってるの?」 花屋と書かれた看板の下がる店の商品に近づきながら、私は隣のルーンに尋ねる。
「どうしてって…都会の人間は忙しいからね。自分で取りに行く暇はないんだよ。それに近くには咲いてないし」
「そぅ、少しは休めば良いのにね。あら、この花かわいい」 私は様々な種類の並ぶ花の内の白い一燐を手に取った。
「珍しいな、セリネっていう高山植物だよ。昼はこんなに白いけど、夜になると黒に変わるんだ。ここいらじゃ滅多に生えてないんだけど」 説明し、彼は辺りを見渡す。
「さて、宿屋を捜そうか。見物はそれからだ」
私達は壁の外側の宿屋の内の一件に身をおいた。
壁の外側と内側とでは値段が二倍ほど違うというのだから不思議なものである。言うまでもなく外側の方が安い。
『紅葉の旅籠屋』と書かれたこの宿の一階で遅めの昼食を取っていたときのことである。
ザワザワ
外、すなわち大通りの方で人々の集まる声が聞こえてくる。そして窓から見える外には人だかりの中にゆっくりと白い服を身に付けた人々、数十名が行進しているのが見えた。
「ねぇ、ルーン。何だろう?」 スープを啜っていた目の前の青年に尋ねる。この男は大抵のことは知っている。
「ああ、今日は十二月の二十三日だろ。寒冷祭の神官行列だよ」 あっさりと答えてくれるがさっぱり分からない。
「寒冷祭っていうのは冬の寒さをほぐす為のお祭りなんだ。寒さの精霊をおだてて、冬にするべき精霊の仕事を忘れさせようというのが始まりだそうだ。水の神アクアリーンの信徒のお祭りだけど、他の神の神官もお祭り騒ぎしてるよ」 しっかりとフォローしてくれた。
「お祭りっていうとタコヤキ屋があったり、綿アメ売ってたり、射的があったりするのかな?」
「ああ、儀式が終わり次第、大騒ぎになるよ。さらに!」 彼はここで一呼吸置く。
「今夜、空に向かって、『ぎぶみーぷれぜんと』と叫べばサンタクロースというトナカイに乗ったジジイが欲しいものをくれるのだぁ!」
「な、何と! おそるべし,人間社会!」
しかし彼の説明に若干の嘘が盛りこまれていたことに気付くのは、そう遠いことではなかった。
水の神の神官行列は中央に氷で作られた大きな柩をかついで、街の東部に立つ大きな大理石造りの神殿へと入って行く。
私達はそこまで見送ることはできるが、神殿の中へは入ることはできない。神殿の中からは何やら呪文の声が歌うように聞こえている。
私達は昼飯を急いで腹に詰めて、珍しいもの見たさにこの行列を追ったのだ。私達のような見物人は街の中に入る程増え、今では神殿の周りを数え切れない程の人々が取り巻いていた。
「しっかし人間って、たくさんいるわね」
「人間だけじゃないよ」 私の呟きにルーンは答える。私はよく見回してみると、ちらほらとエルフ族とドワーフ族の姿が見て取れた。どうやらこの二種族は人間社会においてはそれ程珍しいものではないらしい。
相変わらず私に向けられる視線も感じる。
「ん? 儀式が終わったようだ」 ルーンの言葉に私は人々の間に見える神殿を見上げた。神殿の入口には先程の氷の柩が置かれ、ハンマーを担いだ二人の神官がその両隣りに立っている。
彼らは互いにそのハンマーを振りかぶり、柩に叩き付けた。
キィンと澄んだ音とともに柩は砕け散り、その氷の破片があられのように周りに飛び散る。
「違う…雪?」 私の頬に冷たいものを感じ、空を見上げる。白濁した空からは白い結晶が撒かれている。紛れもない、雪だ。
氷の柩を砕く槌の音が響き、破片と舞い降りる雪が神官達の持つキャンドルの明りに青く光る。その幻想的な雰囲気に私を含め、観客達からは溜め息が聞こえてくる。
「珍しいな、何年振りだろう? 寒冷祭で雪が降るのは」 ルーンの呟きが現実的な響きを持って私を我に返らせた。
同じような声が回りからは聞こえ、さらには来年は良い年になるぞ、やら株が上がるだとか景気の良い声も聞こえてきた。
確か寒冷祭と言うのは寒さを和らげるための物ではなかったのか? 雪が降っては逆効果なのではないか、と思ったがどうせ何か謂れがあるのだろう。
「何か言いたそうだね、アスカくん」
「はい先生。やっぱり雪が降ると精霊が喜んでる合図だとでも言うんでしょうか?」 ルーンはやはり頷く。
「さ、お祭り見物と行こうか,今日はゆっくり羽を延ばそう,いや翼かな」 そう言うルーンからはぐれないよう、私は彼の袖を掴んで同じように散会する人々の流れに乗って神殿の前から身を移した。
大通りには着飾った人々が往来している。その中で特に目を引くのが長く白い付け髭を付けた赤い衣装を着こんで老人に化けた人達だった。
彼らは広告などを配っている。
「何だろ、ケーキ大安売りだって。こっちは七面鳥10G,あれこれは,きっと貴方を満足させます、クリスマスギャル20人?」 と,ルーンに取り上げられる。
「あれはさっき言ったサンタクロースに扮して自分の店を宣伝しているのさ」
「ふぅん,良く分かんないけど大変ね。で、本物のサンタクロースって何処にいるんだろ?」 私の言葉にルーンの顔が引き吊る。
「…良い子にしか見えないんだよ。大人には見えない」
「ルーンってはっきり言って、嘘付くの…下手だね」 その嘘にさっき騙された私ではあるが…。
「む〜、分かったよ。嘘付いたお詫びにサンタクロースの代わりに僕が一つ何か買ってあげる。でもあんまりお金ないから、高いものは勘弁な」 そして彼は微笑んだ。
”結局、一つ願いを叶えてもらったわね。何にしようかな” 私は増す人込みの中、はぐれないようルーンの腕に自分のそれを絡める。ふと、道端の露店に目の付くものが映った。
私はそこへと足を向ける。それは宝飾具店だった。並ぶ商品の中、私は一つの髪飾りに目が止まる。
鳥の羽を形どった黒い髪止め。ドワーフが作るものに比べると劣るが、新鮮な感じを受ける。私はそれを手に取った。
「お嬢さん、お目が高い! それはかの名匠カトゥーの逸品でして…」 胡散臭い店の主人が言う。名匠というのは大嘘であろう。
「普段なら20Gが今日は特別価格10G! どうです? お兄さん、彼女へのプレゼントに!」 饒舌なおじさんだ。ルーンは私に視線を向ける。
「ルーン、これが良いな」 私は彼に言って微笑んだ。
「いいのか? これで」 思ったより早く決めた私を見て、尋ねるルーン。
「うん,似合うでしょう?」 後ろ髪に付けてみる。それに彼は優しく微笑んだ。
「うん、似合ってるよ。おじさん、10Gね」 懐からポケットマネーを出すルーン。
「へい、毎度!」 景気の良い声を背に、私達は再び人込みに混じる。
人込みに流されてそのまま進んで行くと、大きな一本の木を中心とした広場に出た。
その木は魔法による明りで様々な色に輝いていた。そして星やサンタクロースなどを形どった飾りがその木に括りつけられている。
「へぇ、きれいね〜。七色に光ってる…」 木の下で私達は立ち止まってそれを見上げた。夢の中に出てきそうな景色だ。視線を回りに移すと、妙にカップルが多い。
”う〜、何か居心地が悪い” あちらこちらでどんな結界より強い、半径一mの世界を作り出している。それを見てふと思う、他人から見れば私達もそうなのか?
そういや、ルーンは私のことをどう思っているのだろう?
いや、私は彼のことをどう思っているのか? 私はルーンのことを……嫌いなら一緒に旅などしない。
彼と旅を始めたのは、彼だったからだ。彼がソロンやヤマトなら一緒に行くなどしない。何故、ルーンなのか? 今まで考えたことがなかった。
ルーンにしてみたらどうなのか? 私でなくシリアなら…例えが悪いか,他の人でも良いのだろうか?
「分かんないなぁ」
「何が?」
つい口に出てしまった呟きにルーンが尋ねる。その言葉が私のすぐ近くから聞こえてきたことに驚く。
彼の顔が私のすぐ近くにあった。私がルーンの腕を抱くように掴んでいたのだから当たり前である。
しかし急に私は何か恥ずかしくなり、彼の腕を放し、顔を背けた。
途端、冬の夜風が私に吹きつける。その冷たさに顔を上げる。
「ねぇ、ルーン,この街に入る前、約束したでしょう?」 つい口に出てしまった。私の中で話題を変えたかっただけなのに。でも何故この話題を出してしまったのか?
「何を?」 やはりこやつはすっかり忘れている。
「アークスの街の広さのこと! あの賭は私の負け、何でも一つだけ言うことを聞いてあげるわ」 言って、彼を見つめる。
「ああ、そんなこともあったな。確かに言うことを聞いてあげるとは言った。『聞いてあげるだけ』で、いざというときは誤魔化すつもりだったけど」 舌を出すルーン。
「あのね…。で、何かないの?」 呆れ、私は尋ねる。
「そうだなぁ。特にないな」 無欲な奴か、もしくは期待してないか。
「欲しいものとかもないの?」 やはり彼はしばし考え、首を横に振った。
「ったく、こうして私がせっかく聞いてあげるっていうのに」
「む〜、ああ、一つだけ願いがある,かな」 思い出したようにルーン。
「何?」
「やっぱり言わない」 視線を逸らせる。一体何だ?
「もったいぶらずに言いなさいよ,気になるじゃない」
「聞かなきゃ良かったと思うよ,だからさ」
「言いなさい」 詰め寄る。
「いや、大したことじゃないから」
「言え!」 そして彼は溜め息をつく。
「こうして君と旅をしたい、これからも。…って、こんな願いはダメかな?」
「…バカじゃないの」 私は恥ずかしくなって顔を背け、そして再び彼の腕を抱く。
不思議と私は微笑んでいた。
夜は更け、それに比例するかのように街の活気は溢れていくように思えた。
<Camera>
騎士は相変わらず泣いていた。己の人生に、待遇に,そして無謀な行動とその立場に。
「生きて帰った人間のいない雪原を何の準備もなしに踏破して、こんな城にたどり着くとは…ああ! 我が土の神アースディよ、向こう見ずな我が行動を許したまえ!」
「何祈ってんだよ、ナセル」
「王子! どうもこうもないです。どうするんですか,城の主は怒りますよ! 城門は焼き尽くすは、やたら滅多らに破壊行為に勤しむは」
「いいじゃねえか。こんなとこに建ってる城なんざ、どうせロクなもんじゃない」 前髪だけ赤い青年は中年剣士の説教を中断させる。
彼らアルバート王子一行は無茶な探索の旅の末、リハーバーの北に位置する山脈を僅か三日で踏破,その先に広がる無限と思われた雪原をその吹雪の中、歩き続け四日目。とうとう一つの氷でできた大きな城を発見したのである。
こいつら人間じゃない,誰もが口を揃えて言うことだろう。
実はこの城こそ現在アークス皇国で対策がなされている城である。そんなことを知る由もない,彼らは固く閉ざされた城門を魔術師イルハイムの魔法で爆破し、中に乗り込んだのである。
「アルぅ! 早く来なよぉ」 ターバンを巻いた少女の声にアルバートは手を振って答えた。
「じゃ、行くぜ,ナセル!」
「お、王子。一体何を…ぎゃああああぁぁぁぁぁ〜〜〜」 アルバートに思いきりタックルを受けた騎士は、その板金の鎧を軋ませながらアルバートを乗せて氷の回廊を滑って行った。
フレイラースが何とはなしに開けた氷の扉の奥には、やはり氷で作られた巨大なパイプオルガンが設置されていた。そしてその透明なオルガンを通して、外の吹雪の様子が見て取れる。
「何だろうね、これ?」
「さぁ?」 彼女は隣を行くフードを頭から被った魔導師に尋ねるが、気のない返事だけが帰ってきた。
思考は止めたのか、彼女は扉を閉めアルバートがナセルと滑ってくるのを待った。
「…ぅゎぁぁあああああぁぁぁぁ…」
「先、行ってるぞぉぉぉぉ…」 そのまま彼ら二人は止まることができずに回廊の先にある大扉を破壊して、その部屋へと突っ込んで行く。
「ほんとに仲が良いわね、あの二人」
「本気で言っているのか?」 と勝手なことを言いながら、二人は回廊の奥の部屋へ小走りに向かう。
城の中心部に位置する部屋,つまり回廊の突き当たりの部屋であり、アルバートとナセルの入った部屋は天井の高いドーム型の礼拝堂のようだ。
「誰? あなた達」 フレイラースは部屋に踏み込めずにいた。
広いその部屋の床には二重に描かれた五芒星が赤く描かれ、その十の頂点には浅黒い肌に白い髪を持つ男女が白い神官着を羽織って、何か見えないものに縛られているように立っている。
彼らは皆一様に、目を閉じ、何かに殉じているように動かない。
そして五芒星の中央には黒く描かれた何等かの文様がある。
「イルハイム、これは何だ?」 その文様の上でナセルに乗ったままのアルバートはフレイラースの隣にいる魔導師に尋ねた。
回りに立っている十人の先客が目に入っていないようだ。もっとも先客の方も彼らを無視しているのだが。
「…」 アルバートの言葉に魔導師は床の文様を一心不乱に観察する。その態度に声を掛けても無駄と知った青年は、立てない騎士を引っ張って扉の前に立ち竦む二人の前まで戻ってきた。
「アル、何だか暑くない?」 少女は先客達から目を離さずに、汗を浮かべてターバンを取った。すると金色の長い髪とその中に突き出る長い耳が現れる。少女はエルフ族の様だ。
「確かに不自然です。妙に暑さを感じますね」 アルバートの足下で、滑って立ち上がれないナセルが呟いた。
「「ヤシャの血を受け継ぎし我が同胞とその仲間達よ」」 ドーム状の部屋いっぱいに多人数の声が響く。老若男女,そう。まるで人形の様に立つ10の人から発せられたかのように。
アルバートは剣を抜いて相変わらず身動き一つしない先客を見据える。しかし彼らが声を発した様子はなかった。
「「今はまだ、お主が訪れるのは早すぎる。その真なる力に目覚めた後、再び訪れるが良い」」 その声とアルバート達を包むように黒い光が四人を包む。
「ちょっと待て、ここは一体何なんだ? お前らは誰だ!」 アルバートの叫びは虚しく、光が彼らを包んだ。
奇妙な浮遊感に襲われたかと思うと、彼らは何処かの川のほとりに立っていた。
「あ…れ? ここは?」 見慣れていたはずの雪の形が全く無く、また今までの寒さという感覚が大きく無くなって、フレイラースは戸惑いの声を挙げる。
「ここはアークス皇国中東部,首都から50kmばかり行った所…」 イルハイムがぼそりと呟く。
「ちっ、転移されたようだな。それにしてもあの城は…んがっ」 考えるアルバートの髪を引っ張り、フレイラースが前方を指さす。
「誰か倒れてるよ」
「あれは…ザイル帝国の皇女様ではありませぬか?」 ナセルは近づいて確認した。
二十代後半の金色のショートカットの女性,そして身に付けた板金の鎧の胸の所にはザイル王家の分家の一つ,ガーネッタ家の家紋である三本の剣の紋章が刻まれている。
「あ、センティナだ」 フレイラースが駆け寄り、その名を呼ぶ。
「おい、センティナ。生きてるか?」 アルバートは言って、その頬をつつく。それに女騎士は呻きながら目を覚ました。
「ん? アルバート,どうしてここに?」 右手で頭をさすりながら騎士は身を起こす。
「旅の途中だ。お前こそ何でこんなところで倒れてるんだ?」
「武者修行。負けたんだよ」 ふてくされたように彼女は吐き捨てた。
「お前がか? 相手はどんな奴だ?」 しかしアルバートの問いに彼女は答えなかった。ただ一度、地面を叩き付けると頭上に広がる曇り空を見る。
「アルバート、お前はこれからどこ行くんだ?」 不意に女騎士,センティナが尋ねる。
「一度アークスにでも戻ろうかと思ってる。一緒にくるか?」
「ああ」 そして彼女は何かを振り払うように立ち上がった。
センティナは遠く、街道の果てを見つめる。そこに何かを見い出すように…。
しかし彼女を倒したあの男はもう、その影すら残してはいなかった。
「寂しい…」
「おやじ! ビールおかわり!」
「こっちはBセット三つ追加!」
「今夜は聖夜だってのに、どうしてこんな野郎共と一緒にいなきゃならないの,私はAセット四つ追加ね!」
「そのエビフライ貰い!」
「誰がやるか,フォーククラッシュ!」
「ああ、俺の焼肉がぁ!」
「お客さん、騒がないで下さいね」 追加注文を持ってきた店のおやじが呟く。が、そんな言葉などテーブルで料理を貪る三人には届いてはいなかった。
「ちょっと、ケビンのおじさん! 私の鳥の足、取らないでよ!」
「クレアさん、俺のBセット,持って行きながら言わないで」
「いいじゃねえか、少し位よぉ。なぁ、キース」
「隊長も俺のBセット盗みながら言うなよ」
アークスへ向かう街道にある宿場街の一つ。アークスを目前に控えたその小さな村の宿屋に、ソロン,クレオソート達一行はやってきていた。
「ところでソロンとシリアは何処へ行ったの?」 食後のフルーツをかじりながら、クレオソートは二人の元警備隊に尋ねる。
「さぁ、どこかでちちくりあってんじゃないのか? いいのぅ、若い奴等は」 ソースで汚れた似合わない口髭を拭きながら、ケビンが言う。
「そうそう、全く羨ましいもんですなぁ」
「こうなったら現場の写真でも撮って、街にばらまくってのはどうだ?」
「さすが、隊長。言うことが違う。いよっ、大将!」
「はっはっはっ、それ程のものではあるよ」
「ええい、二人して馬鹿なことばかり! だから誰にもモテないのよ、あんたらは!」
「ストレートに言うねぇ,クレアさんは」 クレオソートにジョッキの底で殴られた頭を擦りながら、キースが涙声で言う。
「全く、今年の聖夜は最低だわ。ルーンお兄ちゃんはいないし、あまつの果てはケビンだとかキースなんていう下衆に囲まれるわ」
「下衆って、そこまで言う…それにしてもクレアさんはブラコンだったの?」 次の瞬間、キースの金色の髪が赤く染まった。
「むごいことをするな。一応、神官だろ、お前」
「今夜はやけ食いよ! じゃんじゃん料理、持ってこい! でもキースのツケね」
「悪魔だな、お前…」 言いながらケビンもどさくさに紛れ、注文をしていた。
宿場街の南には地平線が見えるほどの草原が広がっている。その草原に、大剣を手にし、鎧を着けた青年が立っていた。
太陽は沈み掛け、青年の顔に暗い影を落として行く。しかしそれとは対称的に青年の表情には次第に戦意がみなぎってくる。
彼の右で風が動く。それに呼応して、青年は手にした大剣を自らの目線に持って行く。
ギィン! 細い刃と化した閃光が、その大剣に弾かれ四散した。
「やはり来たな,魔導師レイ・シリア=マークリー!」 青年は大剣を中段に構え直す。彼の10m前方でおよそ3mの高さに一人の女性が立っていた。
「無論。両親の敵,晴らさせてもらう! 行くぞ、アラン=エリシアンの憎むべき息子よ!」 言い放ち、彼女は右手に生まれた光の球を青年,ソロンに投げ付ける。
それはソロンの手前で落ち、爆発を起こした。
「クッ!」 ソロンは爆煙に飲まれ、土煙に消える。
「死ね、ソロン! 速き光よ、その力と供に全てを解放せよ!」 魔法の杖を振りかぶり、シリアは呪文を解き放つ。その言葉の呪力は無数の光の球となり、土煙の中に飛び込んで行った。
ゴゥ…
轟音を伴って、草原の一部が完全に焦土と化す。だが、その爆発の中心には大剣を天に掲げ立つソロンの姿があった。彼の足下は青々とした草が以前と変わらず茂っている。
「甘いぞ、シリア! 重力よ、その力を倍増せよ!」 今度はソロンの呪力がシリアを包み、彼女を地面に落とす。
「ちっ」 シリアは落ちると同時に、矢継ぎ早に短剣をソロンに投げ付けるがそのことごとくを大剣に弾かれた。
「この剣に掛ける俺の命の下に,颯切風!」
「大いなる大地よ,風よ、その力を修練し、かの者を破壊せよ!」
ソロンが大剣を降り下ろし、シリアは杖を振りかぶる。
目が潰れるような閃光と供に、ソロンの剣から発せられた青いエネルギー波とシリアの魔法が生み出した緑色の巨大な槍が空中で激突し、大爆発を起こした!
「うっ」 緑色の槍は青いエネルギーによって粉砕され、その余波がシリアを包み、固い大地に叩き付ける。
軽く昏倒したシリアに、ソロンは大剣をその細い首に突き付けた。切っ先に軽く赤いものが生まれ、それが冗談ではないことを語る。
「…また、負けちゃったわね。好きにして良いわ」 完全に戦意を消失させ、シリアは視線を逸らす。
「発作は治まったみたいだな、しかし好きにして良いなんて魅力的なコト、簡単に言うもんじゃないぞ」 ソロンは大剣を背に戻し、手を差し伸べた。それを彼女は掴み、頼りない足取りで立ち上がる。
「発作……でも本心でもあるのよ。私は貴方を殺すために貴方の前に現れた」
「本心でもない訳だ。お前を縛りつけるものは俺が切り放ってやる。そのために俺達は旅をしているんだろう?」 シリアは無言のまま首を横に振る。表情には安堵と悲しさ、様々な感情が入り混じっている。
「血の呪いは解けないのか,俺の力ではどうすることもできないのか?」 それにシリアは何も言わない。しばらくして蚊の鳴くような声で言う。
「後悔しても知らないよ。今、私を殺しておくことに」 そしてソロンの胸にもたれかかる。
「俺は君よりは早く死にたいからな」
「そんなこと、言わないで。私は貴方が憎くて,そして愛している…聖夜だけの間だけど、分からない自分の気持ちが押さえ切れない。貴方を憎んでいるのは呪いの力だけじゃないから」 吐き出すように彼女はソロンの二の腕を強く掴みながら言った。
「だが俺は、君に一緒にいてもらいたい」 ソロンは胸の中の、自分の命を狙う魔導師を強く抱きしめる。
シリアは戦士のその強い力に何故か安堵し、疲れきったその身を預けた。
「もうこれで終わりにしたい…だから…」 シリアは言うと、その目を閉じた。
彼は闇に身を任せていた。無限に広がるかと思われる闇、その中に彼はいた。漆黒をマントにして雪のように白い顔を浮かび上がらせている。
やがて永遠に閉じられているかのように思われる両の瞳が静かに開かれた。
「カルス様」 同時に闇の一部が意志を持ち、何らかの形を持つ。
「申し訳ありません」 反対の方向にも同じように二つ目の闇が黒い紳士に語り掛けた。
二つの闇はやがてそれぞれ男女の姿を取る。褐色の肌を持った二十代後半の女性と青年,その二人の髪は同じく白かった。
「ネレイド,お前の役目はパスウェイドのサポ−トだったはず,勝手な行動を許した覚えはないぞ」 紳士の言葉に女性は恐縮する。小刻みに体が震えているのが分かる。
「まぁいい、お前にはやってもらうことがある。それまでおとなしくその傷を癒すと良い」
「はっ」 そしてネレイドと呼ばれた女性は一瞬、その姿を黒い鳥に変えたかと思うと琥珀色の宝石,小さなオパールとなり、闇へと消える。
「パスウェイドよ。動けるか?」 今度は青年の方に尋ねる紳士。それに青年は無言で頷いた。それに紳士カルスは満足気に頷き、指を鳴らした。
すると闇の中に映像が生まれる。そこには一人の翼を持った娘の姿が写されていた。回りの風景から街の中であるらしい。
「今、アークスの街にこの者はいる。連れてくるのだ。繰り返すが傷つける事なく連れてくるのだ,良いな?」
「承知」 呟き、パスウェイドという名の魔族は闇に溶けた。
「待っているぞ、アスカ」 カルスの呟きは闇の中へと消えて行く。その闇の先に広がる世界には二人の男女が映っていた。
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