2−5
<Aska>
死者が蘇る,それも清らかな存在として。
しかし魔族として蘇るといった話を聞いたことがあるので、その反対の存在である天使もまた然り、と言ったところであろうか。
サルーンが風のように舞い戻ってくる。そしてシシリアの横に控えた。懸命な判断だ。
セレスと呼ばれる騎士もまた、蘇ったウルバーンから距離を取った。
魔力を帯びた武器もしくは魔法でしか、魔族や天使といった精神世界の存在にはダメージを与えられない。かつて戦った魔族のバカ女には気力も必要だったけど。
しかし私の隣で腰に提げた大剣を抜き、走り出す大馬鹿者がいた。
「どりゃあぁぁぁ!」 気力抜群,でも何か剣はなまくらっぽい。
「いけない,クラール!」 シシリア姫の悲鳴に近い声。
ウルバーンの背丈ほどもあろうかという大剣を思い切り降り下ろす騎士クラール。無表情なウルバーンはその剣に向かって…。
信じられない光景だった。他の騎士達も唯、茫然とする。
クラールの大剣の斬撃を、ウルバーンは片手で受け止めていた。そしてまるで蠅を追い払うかのようにその手を振り払う。
「のひょおぉぉぉ!」 剣を持ったままクラールの巨体が浮き上がり、ギャラリーと化していた騎士達の中へ投げ飛ばされた。
光の翼を生やしたウルバーンの手にはクラールの大剣が取り残される。
重さを感じないのか、彼はその剣を片手で持ち直すと、こちらに視線を向けた。視線の先には…ルーンがいた。
ウルバーンの唇が笑みの形を取る。まるで何かを見つけた喜びのような…。
次の瞬間、ウルバーンは光の翼を羽ばたかせ、大剣を振り上げ物凄いスピードでルーンに切り掛かった!
それをルーンは間一髪で身を捻ってかわす。
しかし返す刀、ルーンの体を捕らえる。それを彼は手にしたイリナーゼで受けるが、3m後ろの壁まで吹き飛ばされた! 彼の持つ刀が普通のものであれば、あっさりと折れて彼を両断していただろう。
苦痛に彼の顔が歪んだ。頬に小さいが切り傷が付いている。
間髪入れずにウルバーンの剣が迫る,何故ルーンを集中して?
その時、私の魔法が完成し、精霊が召喚に応じた。
「風の精霊,彼の姿を眩ませて!」 ウルバーンは石壁に大剣を突き立てる!
よし、効いてる,が、ウルバーンは頭を軽く振ると今度は確実にルーンに向かって剣を立てる。
ギィン!
空間が軋む音,私の隣でシシリアが厳しい顔をして両手を元・王子に向けている。
「?」 ウルバーンの動きが完全に止まった。そこにルーンの横一線,ウルバーンの胴体を切り裂く!
切り開かれた傷口からはドロリとした血液が床を濡らした。が、ウルバーンに致命傷たるその傷に狼狽える様子はない。
光の翼を一つ、羽ばたく。隣でシシリアが額を押さえた,呪縛の魔法が破られたか。
自由を取り戻し、彼は剣に小さく付いたルーンの血を舐める。
初めて、表情のなかった彼の口許が上がった。
「ヒ・カ・リ…ル・シ・フェ…ワレノ…」 剣を捨て、ルーンに向かうウルバーン。何かを呟いているが内容は分からない。
ルーンはそれに対して剣を逆正眼に構える,ゆっくりと歩み寄ってくるウルバーンに向かい特攻!
刀身が彼の気合いに呼応するかのようにうっすらと青白く輝いていた。
ドッ,剣が胸の中心に突き刺さり、後ろに突き抜ける!
「ハァ!」 気合いとともに刀身を中心に剣に宿る魔力がルーンの意志と同調して、ウルバーンの精神を破壊する。魔族などの精神世界に存在を宿す者にダメージを与えることができる攻撃方法だ。
苦痛の表情で、ウルバーンはルーンの腕を掴む。
「グッ」 剣をウルバーンに残し、振り払うようにその場から立ち退くルーン。そして胸を押さえて膝を付いた。
それより早くウルバーンがその場にまるで糸の切れた人形のようにくずおれる。
その背には翼はなく、先程までの神々しいオーラも、生気すらなかった。そう、それはただの死体。
「ルーン!」 私はルーンに駆け寄る。そして途中で立ち止まった。
ウルバーンを包んでいた雰囲気がルーンを取り巻いている,近づくのは危険と頭の中で警告が鳴っていた。
足が意識に反して動かない。そんな私の隣をシシリアが呪文を呟きながら通り過ぎた。
「!」 そのままうずくまるルーンを背中から抱きしめる。嫌な雰囲気は霧の様に消え去り、ルーンは気を失った。
「ルーン」 私はシシリアに抱き抱えられるようにして気を失う彼の頬に手を触れる。
小さな傷はすでに塞がっている。心なしか冷たさを感じた。
「大丈夫,ショック状態みたい」 シシリアの言葉は耳に入るがそのまま通り抜けてしまう。
ルーンが遠くへ行ってしまう,何か違うものになってしまう,そう、ウルバーンの様に…。
「ルーン…」 彼の手を強く握る。しかしそれが握り返されることはなかった。
<Rune>
ウルバーンに腕を掴まれ、そこから大きな何かが僕に流れこんで行くのを感じた。途端、胸が苦しくなる。それは心の痛みか。
大きな意志力,存在。それは生きているモノだった。しかも死期の近づいた、力尽きようとした存在。
ルシフェル――ただその単語が繰り返される。僕の意識は闇の中へと沈んで行く。
顔に吹きつける冷たい風とともに急に視界が開けた。足の下に雲が、頭上には太陽が、心なしかいつもよりも大きく見える。
僕は四対の翼を持った一人の男に対峙していた。
白い翼を持ち、圧倒的な存在感と魔力を隠す事なく有した青年。その顔には目許を覆う白い仮面があった。
「ルシフェル様!」 僕の口から女性の声で言葉が発せられた。
「何を様付けで言っている,ミカエル。奴はすでに我らの眷属ではない!」 横からの男の声。視線が青年から横にスライドし、その主を捕らえる。
仰々しい白い鎧を身に付けた中年の男。やはりその男の背にも三対の翼が開いている。
「ウリエル…しかし!」
これはウルバーンに憑いていた者の記憶,僕はミカエルと呼ばれた存在の視点に立ちながら、ようやく気付いた。
しかしウリエルにミカエルと言ったら聖霊の中で天使長に継ぐ四守護の事ではないか?
それ以上に、過去の天使長である古き者・ルシフェルというのも有名である。
天使達、聖霊に関する記述というのは魔族のそれに比べ、あまりにも少ない。
その点からも、聖霊よりも魔族の方が人間に接する機会が多いことを物語っている。
ルシフェルに関する有名な話としては、天使長という聖霊を統べる存在でありながら四守護を滅ぼして自らの意志で天から堕ち、追って来た聖霊達の無数の軍団によってその身を滅ぼされたということだ。
何故永遠なる地位を捨て、自ら全てを捨てて殺されたのかは分かる術はない。ただこのことはありとあらゆる形であちこちに伝わり、修飾されて物語とされている。
今、僕の目の前で行われているウルバーンから僕に移った存在の記憶が真実ならば、非常に興味深いことではある。
が、それ以上に何故ミカエルという高貴な存在がウルバーンに宿っていたのか,という点だ。
「私は会わなくてはならない」 その青年の言葉に僕は意識を目の前の回想に戻した。
「愛してしまったとおっしゃるのですか?」 ミカエルはそう、言葉を発する。同時に胸に苦しさを感じた。これは万物を平等に愛するべき聖霊として、ミカエルには『あってはならない』心だ。
「そうだ」 青年は毅然と、そう答える。
「ならば…行って下さい」 ミカエルは言い、武装した中年天使・ウリエルに向き合った。
「なっ、ミカエル!?」 構えるウリエルにミカエルは腰の小剣を抜き放ち、目の前の中年天使に切り掛かった!
「早く,私がウリエルを足止めします!」
「チッ、裏切り者めが!」 ウリエルは舌打ちすると僕、いや彼女の繰り出す小剣の連続攻撃を、手にした四方形盾でうまく受け流しながら腰の長剣を抜き放ち、振う。
「ありがとう、ミカエル」 言葉を残し、雲の中へと飛び去る青年ルシフェル。
”ありがとうなんて…言わないで” ミカエルの心の声。それを振り払うかのように小剣を振った。
「舐めたものだな,ミカエル。歌と演奏を司るお前が力を司るワシに勝てるとでも思うたか!」 ウリエルは剣を一閃,小剣が彼女の手から離れ、足下の地上へと消えて行く。
そしてそのまま天使の剣はミカエルの左胸を突き通した。
「クッ」 衝撃と供に視界が白濁――血を吐く。苦しさまで伝わってくる。
「すぐにルシフェルもお前の後を追わせてやるよ。安心しな」 このウリエル、ルシフェルに恨みでも持ってるな。
「待ちなさい,ミカエルは私の力とします」 頭上からの声。見上げると太陽の逆光に四対の翼を持った人影一つ。ウリエルが槍を収める。僕は――僕の視点であるミカエルは力なく落下を始めた。
が、彼女の髪が強引に掴まれ、落下が止まる。
「お前は私の力となる」 先程の声と一緒に、消え行こうとするミカエルの意識がこの世のものとは思えない痛みに蘇る!
彼女の体はまるで回りから押しつぶされるように小さく、小さくなって行く。声にならない絶叫が、僕の耳に響き渡る。
「ルシフェル、幸あらんことを…私はいつまでも貴方を想い続けます…」 想い、想われることは彼らにとって存在の証。それが彼女の最後の言葉だった。
幾億の夜を小さな白い珠となって過ごしたことだろう。
ある時は名のある騎士に,ある時は高名な魔術師に,そしてある時は気の狂った殺人鬼に力を吸い取られてきた。
そしてどれもこれも、一つの目的の為に為されてきたことだった。
愚者の破滅,滅びの後の再生。
赤い血が彼女を包む。その血は彼女の力を、意志すらも奪って行く。
もう、力は残っていない。これが最後の力。せめてもう一度…忘れたくはない!
残りのない力で弱くなった殻を破ることができた。彼女はそのまま彼女の力を使っていた男の体に取り憑く。
目の前に立っているのは剣を構える僕だった。似ている,彼女は思う。彼女は慣れない剣を振う、試す様に。そして確信した。
視界は暗転する。
僕は彼女と向き合った。白銀の長い髪に不思議な光彩を放つ金色の瞳。まるで絵のような美を備えた三対の翼を持つ存在――天使ミカエル。
”僕はルシフェルじゃないよ” 彼女の言わんとしていること,すなわち僕が滅びたルシフェルの転生と考えている。
”では貴方の意識,体を頂きます。ルシフェル様を救うために…” 言い、僕の額に手を触れる。
僕は知っている。彼女にもぅそんな力は残ってはいないことを。温かくも冷たくもない、感触すら定かではない感覚が額に灯る。
”僕は僕だ。君は僕に干渉できない。でも、君のことは忘れないよ”
”ルシフェル様” 力なく彼女は僕の胸に倒れ込み、そして小さな光になって消えた。
その時、何故か僕の頬に一雫の涙が伝っていた。
視界が揺らぐ。次第に戻って行く意識,僕は両手に強い感触を覚える。
「ルーン!」 アスカの顔が目に入った。僕の両手を掴むその表情は、どこかほっとしたものが伺える。
「ごめん、心配かけたね」 身を起こす。そこは先程まで戦っていた謁見の間。
「何か、分かりましたか?」 その隣でシシリア姫が尋ねる。僕はしかし首を横に振った。彼女――ミカエルをこれ以上曝す必要はあるまい。
「これから、どうするのですか?」 逆に僕は尋ねる。
第二騎士団の処遇,王族たるウルバーンの謀反とその死。
すでに手は打ってあるに違いないであろうが、その影響は国民及び近隣諸国にとって大きなものになることは間違いないはずだ。
「その為の我々だ」 答えたのは大柄の騎士クラール=シキム。第三騎士団の団長だ。
ポン,彼は僕の肩に手を置き、言った。
「お前の太刀筋は真っ直ぐでいて鋭い,が未だ完成されてはいない。その目で世界を見、そして接してこい。完成された時、俺は快くお前を騎士団に迎えるよ」 微笑み、彼は背を向けてこの場から去った。かつて勇者として名を馳せていた彼からの最も大きな賛辞として受け取っておく。
「僕達もそろそろおいとまするよ。あくまで一般人だからね」 僕は立ち上がる。
「これを忘れるな」 シシリア姫の後ろに控えていた黒い影サルーンから剣を受け取る。血は拭われ、刀身は相変わらず怪しく輝いていた。
「ありがとう」
「お礼は私が言うものです。何の関係もない貴方方を付き合わせてしまったのですから。今晩くらいは城でお休みになって下さい」 シシリア姫の言葉を僕は丁重に断わった。
「それに宿も取ってありますから」 何よりドタバタしている現在の城内に留まるのも心が落ち着かない。
「そうですか。それではお礼だけでも」
「いや、結構ですよ。不法侵入で捕まらないだけでも儲けものですから」 言う僕にしかし、シシリア姫は右手の中指に嵌めた指輪を外す。
彼女はそれを軽く縦に押さえると二つに割れ、薄いリングとなる。
それを僕とアスカの二人にそれぞれ渡す。
「これは二つの心を離れていても通わすことができるという謂れのあるものです。お二人の幸せを祈って」 心を通わすって……いくら謂れでも僕は良いがアスカは? しかしあまり嫌がっている様には見えない。
「有難く頂きます。それでは、また御縁があれば」
「さよなら」 僕はアスカと伴に部屋を出る。
そして…しばらく城内を迷うこととなった,お約束は忘れない。
城外にはここへ入る前に襲ってきた騎士達と、それらを引っ捕らえた片目の男,第五騎士団長ハノバ=テイスター一行がすれ違う。
ハノバは僕達を一瞥するが、そのまま城内に入って行った。
「ルーン」
「ん?」 歩きながら、僕の腕を掴むアスカは目をつむり僕に顔を向けた。
「え?」 足を止める。
「…分からない? 私の気持ち」 え、それって。
行動に移すべきか迷った僕に彼女は不意に目を開き、開いた手に握ったリングを見せる。シシリア姫から貰ったものだ。
「なんだ…」 がっかりする,そのことか。
「なんだって、何? 私の気持ち、分からなかった?」 それに僕は首を縦に振る。
「そう、やっぱり謂れは謂れね」 言い、溜め息一つ。
「楽だと思ったんだけどなぁ」
「何が?」 呟きが耳に入り、尋ねる。
「ん? ううん,やっぱりこういうのは道具に頼っちゃ駄目ってことね」
「あ、ああ」
「ルーンは…今の私の気持ち,分かる?」
「お腹が空いた、とか?」
ありきたりの答えを言う。僕が彼女に抱き気持ち,それと同じなら嬉しいのだが、そんなに世の中はうまくできていないだろうと思う。
「うっ…半分当たり,ま、そんなところかな」 乾いた笑いで彼女は答え、僕の手を掴んで引っ張る。
その手は暖かく、そして強く掴んでいないと風の様に消えてしまいそうだった。
<Camera>
ここはリハーバー王国西方に位置し、北にシルバーン大山脈を臨む麓の村・ブラックパス。寒冷祭からようやく一週間が過ぎ、年が変わったその日,さらに冬の寒さが増した時だった。
そこで村に唯一の宿屋を一人切り盛りする老主人ハーデン=ベルクさん・六十五歳は困っている。
昨夜のこと吹雪の中、南のアークス皇国から騎士の一団,およそ四百名がこの何にもない村に突如駐屯を始めたのだ。
駐屯地は村の郊外にある古い遺跡,ほとんど崩れたこのいつ建てられたかも分からない廃墟を中心に、数十もの簡易テントが建てられている。言うまでもなくこの小さな宿屋にそんなに多くの客を招き入れることは不可能だった。
しかし指揮官クラスはこの宿に泊まることになっている。
当然テントなどでこの吹雪の中、過ごせるものではないと思っていたが、南の国は魔法王国と言われるだけある,特別製のテントらしく凍死者などはまだ出ていない。
が、やはり寒いものは寒い。昼間からこの一階の酒場は非番の騎士達で一杯になっている。儲かるのは良いが、そろそろ食料などの在庫が尽きてきている。しかも材料の調達は春になるまで不可能なのだ。ここが宿の主人の頭の痛いところだった。
だがそんな頭痛の種は彼らの目的を知ってからは小さなものに成り下がった。
騎士達の目的は北のシルバーン大山脈から南下してくるであろう、魔族達の侵攻を食い止めるというものだった。
北の大氷原に何が起こっているのか,それは宿屋の主人の知るところではないが、静けさと温泉だけがウリだったこの地が戦乱に巻き込まれるなど考えたこともない。
確かに太古この地は温暖であり、魔族の王の住む城がある北の大氷原の副都心的な役割を果たしたという伝説は残っている。その名残りとも言うべきものがあの古い遺跡である。
しかしそれだけで唯、今のこの村は一年の半分が雪に覆われるだけの土地に過ぎない。
「何か起こるとは思えんがの…この価値のない土地に」 生まれながらこの地に住んでいる彼は、ただただそう呟くのだった。
正月二日目の静かな夜だった。北のこの地にもアークスと同じく新年を祝う習慣はあるらしく、質素ながらもそれぞれの民家で祝っているのが見て取れる。
バササッ,羽ばたく音に彼は青白い空を見上げる。何か大きな鳥のようなものが飛んで行ったようだ。近くの木の枝が揺れていた。
彼はマントの前をきつく閉じると急ぎ足で踏み固められた雪道を急いだ。そして彼はテント群の一つのそれの扉を開けて中に入る。
「寒いなぁ、やっぱり」
「お帰り」 唯一人中にいた老騎士は彼に陽気な声を掛ける。
この地に駐屯してから数日が過ぎ、改めて寒さを思い知る。敵は魔族などではなくこの寒さなのではないかと思うくらいだ。
今のところ魔族などの姿は現れず、特に変わったことはなく時間は過ぎている。後三日もすれば、リハーバーの派遣部隊が増援としてこの地で交流する予定だ。
またリース姫の命を狙うという動きもなく、ミアセイア王子ともいざこざなど起こっていない。取り合えず順調ではあるようだ。
しかし彼は――騎士ザートは思った。
「去年もいい娘が見つからなかったな」 暖炉の前で屈みながら、若い騎士はぼやいた。
「そうしてお前もワシの様に老いて行くのだよ」
「それだけは何としても阻止せねば!」 老域に差し掛かりながらも独身,平騎士の地位に甘んじているタイラスの言葉に、ザートはますます何とかしなければと思う。
「あいつはコネがあったとは言え、いきなり部隊長になっちまったからなぁ。魔族が出てきてバッタバッタと倒して軍功をあげるしかないか」 今や遠い場所となった同期の友人を思いだし、彼は呟く。
「ワシとしてはこのまま出てこなければいいんじゃがな」
彼ら二人は簡易テントの中で雑談していた。簡易テントと言っても、その素材は熱を逃がさない特別な素材でできており、魔法により温度調節も可能なものだ。
このテントには彼ら二人と副官であるシャイロクも滞在していた。シャイロクは本来、村の宿屋に泊まるべきなのだがこちらにきている。おそらく寒さに時々暴れるリースのとばっちりから逃れる為であろう。
「しっかし今は夜だろ,どうして明るいんだ? 不気味だなぁ」 ザートはテントの外から差し込む青白い明かりに呟いた。
「お前、知らんのか? これは白夜という自然現象だ。この二・三日は日が沈まんのだよ」 老騎士が剣をベットの脇に立て掛けてそれに答えた。
「よく知ってるな」
「年の功だよ」 笑うタイラス。おそらくこの北の国に派遣されたのはこれ以外にも何度かあったのだろう。
コンコン,テントの扉がノックされる。
「入るわよ」 不意に外から声がし、吹雪とともにポニーテールの少女が入ってきた。
「ユーフェか。どうしたんだ? こんなとこに」
「ザート,シャイロク様は?」 椅子の一つに座り、魔術師ユーフェは雪を落としながら顔見知りとなった騎士に尋ねる。
「さぁ、今日は朝出て行ったきりだが」
「リース様ね」 タイラスは困った顔をしてそれを無言で肯定。
「リース様が珍しいことに誘いに来たんだよ。どういうことだろう?」 ガルーダ・シップの中で向かえた寒冷祭での騒ぎを思い出し、ザートは真剣に呻いた。
「あれは凄かったからのう…まぁ、シャイロク様も悪いんじゃが」 やはり呻くタイラス。それに魔術師は笑いながら手を横に振った。
「違うわよ,まぁ挑発しておいた甲斐があったってことね」 ユーフェはザートの差し出した紅茶の入ったカップを受け取る。
「挑発って、何をやったんだ? お前さん」 お茶のおかわりをしながらタイラス。
「私がシャイロク様を取っちゃうよってね」 熱い紅茶を一口啜り、彼女は言った。
「またお節介なことを」
「半分本気だったから、お節介じゃないわ」 ザートの非難をあっさりかわす。
「しかし副官殿はもてるのぅ。十分の一でも良いから分けて欲しい」
「んなこと言ってるから、今も独身なのよ」 老騎士に言葉の凶器を突き刺すユーフェ。
「ま、まぁ、それはそうとして」
「そうとするのか…」 話を変えようとするザートにタイラスがいじける。
「取り合えず、ユーフェ。魔族の動きなんてのはなかったのか?」
「ないわ。そもそもこの遠征自体、どうもあやしいのよね。本当に魔族がいるのかしら? 全然邪気が感じられないの」 椅子の一つに腰掛けながらユーフェ。
「やはり我々を、いやリース様とミアセイア様を城から放すことが目的なのかのぅ? しかしそれにしては手がこんでるようにも思えるし」 タイラスの言葉に一同は考え込む。
「そうそう、でもこの地から妙な力を感じるの。何処からか良く分からないけど、それが日毎にだんだんと強くなっているような気が…」
「力…か? ユーフェみたいな魔術師しか分からないな、それは」
「ううん,私も感覚で感じてるだけ。ザートは感じない?」
「いや、全然。なぁ?」 タイラスもまた首を縦に振る。
「そう。気のせいなのかなぁ?」 欠伸をしながら椅子の背もたれにもたれるユーフェ。
と、何かに弾かれたように立ち上がった!
ザートとタイラスもまた、本能的に剣に手を延ばす!
「何だ、これは。物凄い殺気だ!」 三人は外に飛び出す,そして…硬直した。
それは位置的には北ではなく南,輝く光が吹雪く白い空に次々と現れ、それが人型を取っていく。その数およそ100あまり。さらに次々と増えていく。
「何だ、あれは……魔族なのか?」
「いや、あれは…聖霊、だ」 ザートの言葉にタイラスもまた、茫然と答える。
「きれい…」 ユーフェの呟き。
「敵だ!」 誰かがそう叫んだ。それに三人は我に返る。
「そうだな。姿がどうであれ、殺気がビンビン伝わってくるぜ」 ザートは雪上歩行用のかんじきを履きながら呟く。
彼はすでにその気配から空に浮かぶ者達が紛れもない敵であることを確信していた。
「戦闘準備! アレは敵だ!」 シャイロクの声がどこからともなく響き、神々しいまでのそれを唯、眺めていた騎士達の意識を戻す。
騎士達の装備は皆、雪原用に革鎧に統一されている。金属鎧では体の熱が奪われる上に身動きが取れなくなるためだ。また手にする剣も対魔族用にと魔法が掛けられている。
「魔族じゃなく天使か,ユーフェ、生きて帰ったらデートでもしてくれよ」
「どさくさに何を言ってるんだか……ま、生きてたら考えてあげるわ!」 共に青い顔で苦笑を浮かべながら、騎士と魔術師はそれぞれ散って行く。
烈火将軍リースの指示の下、アークス軍は正常に機能した。ザート及びタイラスもまた、所定の戦列に加わる。
「空にいる敵をどうするんだ?」 ザートは隣のタイラスに呟くが、彼は無言のままだった。天使達は彼ら騎士団のいる古い神殿を囲むように上空で控えている。
次々と集まりつつある天使の数,およそ150。その全てが薄い衣を纏ったマネキンのような同じ顔,無表情な青年の姿をしていた。
その中から一人、鎧を着けたゴツイ天使が現れ人差し指で地上の騎士団を指さした。
それを合図として150の天使が一斉に手に光弾を生み、投げ付ける!
ゴウゥゥゥ
それらはテントを,騎士を貫く! 殺傷能力は高くはないが、頭部に食らえば戦闘不能になることうけあいな神聖魔法でも『気弾』に近い魔法だ。それが雨の様に降ってくる。
「おいおい、シャレになんないぞ!」
「どうにか引きずり下ろせんか?」 1回目の光弾の脅威から運良く避けることができたザートとタイラス。彼らの同僚はその五分の一程が今の攻撃に倒れている。
混乱の中、しかし天使達は統率をもって一斉に手の内が再び光り出す!
「やばい! どうにかしろ!」
不意に白夜に薄明るい空が天頂から赤く染まった!
と、同時に上空の天使達がまるで糸が切れたかのように次々と落下、あるいはゆっくりと降りてくる。
ザートは同じく空中で赤い衣を纏った魔導師を中心とした、ユーフェを始めとする魔術師達が円陣を組んで何か魔力を引き出しているのを見た。空の赤さと天使達の浮力を奪ったのは彼らのようだ。
「今だ,攻めよ!」
シャイロクの声が戦場に木霊する。それに騎士達は我に返り、落ちてきた天使達に切りかかって行く。
ザートの対魔族用の剣は手近に落ちた天使を両断した。殺された天使はこの世のものとは思えない絶叫を挙げて、塵と化す。
天使はどれも武器は帯びておらず、薄い衣を一枚纏っているだけの姿だった。彼らは地に堕ちた今、逃げる力すらなく騎士に倒されている。肉弾戦になると滅法弱いらしい。
「agsfdguyfihgjoijg!!」 唯一人、上空で待機し得る鎧を着けた天使が耳をつんざくような音を発てる!
その天使の叫びに、圧倒的に不利だった天使達はふらつく足取りで手近の仲間と決まって三体ずつ融合し始める。
まるで出来の悪い人形の粘土細工を捏ね合わせるような,不快感を彼は覚える。
「ザート! 叩けるだけ叩くんだ! 融合させるな」 タイラスの言葉にザートは天使達への攻撃の手をさらに強める。
しかし融合を終えた天使は、槍と盾を構えた一回り大きい天使となり再び騎士達に襲い掛かった。
「何だ、急に強くなったぞ!」 シャイロクと背を合わせ、二体の天使と切り結ぶリース。先程の武器も鎧も持っていなかった天使に比べ、数段に格が上がっている。
槍を扱う腕も普通の騎士とは比べ物にならない程、熟達したものだった。その強さに再び戦況は天使側に傾く。
「一体に対し三人で当たれ,数の上では我々の方が今や勝っている!」 リースの指示がまだ失われていない命令系統を通して騎士達に伝わって行く。
数では150程いた天使だが、落下した時にその四分の一は倒され、さらに三体づつ融合したので数では初撃の光弾を受けたとはいえ、アークス軍に分があった。
しかしその強さに他の騎士や皇国魔術師隊も次第にその数を減らしてゆく。どのみち、大きな被害は被ることになるはずだ。
ミアセイアはその赤い法衣を風になびかせ、天使達の指揮官たる鎧を着けた天使に向き合っていた。
「asssssfgsdrsavrvvr…」
「何を言っているのか分からんが、お前は第六位の能天使だろう? 誰の指示で我々を襲う,いや、聞いても無駄なことか」 彼は手にした錫杖を軽く回す。
それに答えるように能天使もまた腰の剣を抜いた。剣とは言っても、精神生命体の彼ら,それも能天使の体の一部なのであろう、刃が生き物のように脈うっている。
能天使が切り掛かる! しかしすでにミアセイアの魔法は完成していた。
彼が無造作に右の掌を天使に向けると赤い光の奔流が天使を飲み込んだ! そして能天使はその特徴のない顔を苦悶の表情で歪ませる。
光が消えると肩で息をする天使の姿があった。
「ほぅ、今ので滅びんか。なかなか厄介ではある。失せろ、世界の法に反する存在よ」 ミアセイアが彼に突き付けた杖を軽く動かすと、能天使は内部から破裂する。そして塵に帰って行った。
「ふむ。殺すべきではなかったか。言葉はなくとも直接脳から情報を引き出せたかも知れぬな」 彼は一人、呟き地上の激戦を上空から眺めていた。
天使の突き出す槍にタイラスは脇腹を貫かれる。が、槍をそのまま両手で抱え込んだ。
「今だ、ザート!」
「ハァ!」 ザートの剣は武器を取り返そうともがく天使の首をはねる。
天使が絶命すると同時にタイラスを貫いていた槍もまた塵に帰った。
「生きてるか,タイラス!」
「大丈夫だ。行け!」 初等の回復呪文を口ずさみながら、タイラスはザートを促す。それを背に聞きながら、ザートは残り少なくなった天使に切り掛かって行った。
シャイロクの剣が天使の槍を折る。その隙にリースが右に回り込み天使を切り裂いた。
「戦陣を紅の輪舞へと変更,天使を一人残らず殲滅せよ!」 リースの指示が飛び、騎士達は天使を中心にその包囲網を徐々に狭めていく。
「四精霊の名の下、全てのものを分解せよ! 滅びの風よ!」 中心に集まった5体程の天使の中心に向かって、ユーフェの魔法が炸裂する。
虚空に生まれたピンボールほどの黒い球が、天使達を吸いこんでいく。
「消えろ!」 残る数体の天使に騎士達は一斉に襲い掛かり、魔術師達の魔法が飛んだ。
多大な被害の下、勝負にようやく決着が着いたようだった。
「すさまじい被害だな」 シャイロクは破壊された駐屯地を眺めて呟く。
この戦いで、およそ三百名の騎士の内、三分の一の百名近くが死亡,百五十名が負傷した。
皇国魔術師隊も十五名が負傷している。またテントの損傷も激しい。
「怪我はないか,シャイロク」 宿屋の一室で被害状況を続った書類を作成していたシャイロクに、リースは声を掛ける。
「ああ、大丈夫だが…参ったな。相手が魔族ではなく天使とは一体どういうことだろう?」
「さぁね。貴方に分からないことは私に分かる訳ないでしょう?」 諦めたように言い放つリース。疲労の色が濃い。
「ミアセイア王子が何か知っているかも知れないな。確か天使と二・三ではあるが言葉を交わしていた」 言って、シャイロクは席を立つ。
「シャイロク,私も…」
「姫はここで休んでいてくれ。またいつ襲い掛かられるか分からないからな」 リースを押し止め、シャイロクは部屋を出た。
「シャイロク…そう、今はこんな事を考えてる場合じゃない」 呟き、リースはソファにもたれかかった。
若き魔術師は光の神の神官と供に、一通り傷ついた騎士達を治療した後、荒れ果てた戦場跡を歩いていた。
白夜の薄暗さは吹雪の前の雲によって遮られ、暗黒が辺りを支配し始めている。彼女は歩く内にテントの残骸の上に腰を下ろす騎士を見つけた。
「ザート,生きてるじゃない」 彼女の明るい声に、ザートは振り返る。
「どうしたの。あら、頭を怪我してるわよ!」 回復呪文を唱えようとするユーフェをザートは手で制した。
「こんなものは掠り傷だ。放っておけば治る」
「何かあったの? 様子が変よ」 ザートの隣に腰かけ、魔術師は尋ねる。
「タイラスが死んだ」
「え?」 戸惑うユーフェに彼は続ける。
「天使の槍で貫かれてな。大丈夫だとか言っておきながら」 呟き、手にしたテントの柱を折る。
「タイラスには俺が騎士団に入団したときから世話になってきた。俺に父がいれば、きっとあんな男だっただろう」 折った柱を雪の塊に投げ付けるザート。
「戦いで死ぬのが騎士の本望だと言ってたが…タイラスはこれで満足だったのか」 俯くザートは額に暖かいものを感じ、顔を上げた。
「きっとタイラスは満足だったと思うわ。戦いで死ぬのが騎士の本望だって言っていたのでしょう? それに貴方がいくら不満に思ったって…死者は蘇らない。それが戦いなのだから」 治癒魔法を終え、彼女は言いながら法衣の裾を引き裂いて簡易の包帯を作る。
「俺は…天使相手などで死なん。タイラスの分も生きてやる」 呟くザートの額に、ユーフェは包帯を巻く。冬の容赦ない凍てつく風が二人に吹き付け始める。
「ザート、さっき私と約束したでしょ。生きてたらデートしようって。約束は守ってあげるわ」 ユーフェは微笑み言って、ザートの二の腕を掴み立ち上がる。
「でも費用は貴方持ちよ」
小男は苛立っていた。今まで彼の思惑通りに事が運んでいたはずなのに、どうも詰めで誤ってしまう。
「ウルバーン,使えない奴よ。わざわざあの方を紹介して力も与えてやったというのに」 禿げ上がった頭を叩きながら、彼は一人思索する。
「失礼致します」 彼の薄暗い部屋の扉が開き、一人の騎士が何やら書類を届けて立ち去った。
男――宰相パルテミス=アリはその書類に記された死亡者名,リハーバーに派遣された隊に忍ばせておいたリースとミアセイアの命を奪うよう指示した刺客達の名が全て、今回の突然の天使の襲撃による戦いの中に記されていることを知った。
「おかしい、ウルバーンの件にしても、この暗殺の計画にしても、何故こうも読まれる。一体誰が…いや考え過ぎか。ザイルと熊公国の呼応はうまくいったのだ。うまくいかなかったのものは、新たな手を下すのみ」 彼は一人、修正はあるが思惑通りに進む未来に対し含み笑いを部屋に漏らした。
その日は晴れ渡った青空の下、積もった雪が溶けて街道の石畳の縁をぬかるみに変えていた。
寒冷祭から降り続けた雪は一週間目の今日、ようやく止んだのだ。しかしそれにしても束の間の青空であることは周知の事実である。
だがそれでも久しぶりの日の光を浴びて、人々は心から何とも言えぬ安堵感を感じている。
「あ!」
「げ!」
「あれ? ソロンじゃないか?」
王都アークス――その天下の大通りで三組の集団が偶然にも顔を合わせ、互いにしばらく硬直した。
「それじゃ」 足早に立ち去ろうとするその中の一人の剣士。
「逃がすか! レイバルト!」 一人の女性を引っ張って逃げ出す彼の背に向かって、露出の高い服を着た女性が連れに命じた。
連れのスキンヘッドの大男が懐から取り出して投げたそれは、見事に逃げ出すカップルの両足に巻きつき、転倒させる――ボーラという捕縛武器である。
「人の顔を見て逃げ出すってのはどういうことだよ、ソロン」 不機嫌に問う前髪の赤い青年。
「アンタじゃないって、アルバート,だぁぁぁ!」
「捜したよ、ソロン!」 天下の往来に倒れる戦士に、露出度の高い服を着た美女はいきなり抱きついた。それを眺めて、前髪の赤い青年はポンと手を打つ。
「熱いね、お二人さん」
「アルバート、助けてくれ!」
「イリッサ,あなた、いい加減になさいよ」 シリアは呆れ顔でソロンに抱きついている美女に非難を浴びせる。が、全く聞いていないらしい。彼女はますます強くソロンに抱きついた。
「何やってんだよ」
「殿下、成敗してよろしいでしょうか?」 中年剣士が白い目で倒れる剣士と抱きつく女性に白い目を向ける。
「やだ〜、ソロンって二股かけてたの?」 とこれはクレオソート。
「…頼む、逃げないから離れてくれ,イリッサ。それとアルバート、こういう時だけ、ナセルのおっさんの言うことを聞くな」 剣士ソロンは疲れた顔でそう呟いていた。
アークスの街に数多くある宿屋兼酒場の一件に12人の男女が詰めかけた。
ソロンら一行の、シリア,ケビン,キース,クレオソートの五人と、アルバート率いる、フレイラース,ナセル,イルハイムと帝国ザイルの騎士センティナの五人。
そしてイリッサとレイバルトの二人である。
「ここはアタイ,盗賊ギルドの直営だから、気兼ねしないでよ。さ、酒持ってきな!」 イリッサは笑って言った。
「盗賊ギルドって…」 顔色を青くしてクレオソート。
「イリッサはアークス盗賊ギルドのボスなんだ」 クレオソートの呟きに、アルバートはエールを飲みながら小さく答えた。
盗賊ギルドとは街の裏の世界を仕切る組織のことだ。町中で殺し合いややたらと窃盗などが起こらないのは、彼ら盗賊ギルドが犯罪の調節をしているからである。なお、同類語にヤクザ,マフィアというものがある。
当然ながら、一般の人々には単に悪の大ボスくらいにしか写らない。
クレオソートのそういった表情に慣れているのか、イリッサは微笑んで彼女の前に料理の入った皿を置いた。
「ま、誰かがこういう仕事しなきゃなんないんだからさ。そう怖がらないで、アタイのもてなしを受けてくれよ」
もっとも、イリッサを知らないケビンとキース,センティナは全く気兼ねせず、自分のペースを保っているというのは言うまでもない。
「ソロン,それにシリア、あの件だけど噂は聞いているんだろ?」 女首領は一変して表情を固くし二人の男女に尋ねる。それに二人はしばらくの沈黙の後、深く頷いた。
「ああ、それもあって俺達はここへ戻ってきた。なぁ、シリア」 イリッサの真面目な問いにソロンとシリアもまた、鋭い視線を持って答えた。
「そっか…分かったよ」 盗賊ギルドのボスらしく、冷たい視線を机の上に落としながらイリッサもまた頷いた。
「その御婦人と何かあったのか、ソロン」 途中にケビンは尋ねる。
「まぁ、色々とな」 ケビンに言葉を濁すソロン。
「取り合えず自己紹介ね。こっちの二人はケビンとキース,元エルシルドの衛士。それでこっちがクレオソート,同じくエルシルドで光の神官として修行してたの」 シリアが話題を変えて、一気に畳みかけた。
「で、俺はアルバート。俺達はソロンとシリアによく旅先で会うんだ。ついでにこのイリッサにも、とある件で知り合った仲だ。イリッサは知らないと思うが、こちらは騎士センティナ,ソロン達とも昔、面識がある」 どこの騎士かを曖昧にするアルバート。
「あたいはイリッサ=ハーティン。こいつは手下その一のレイバルト」 呼ばれて、スキンヘッドの大男が軽く頭を下げる。
「手下って、アレフはどうしたの?」 シリアが不思議そうに尋ねた。それにイリッサの顔が曇る。
「…まぁ、こちらも色々あってね。アイツはアタイの手に負える奴じゃなかったのさ」 言い捨ててエールを一口。
「あ、あの、イリッサさん?」 クレオソートが恐る恐る声を掛ける。
「何だい、嬢ちゃん?」 優しい顔で、イリッサは神官に尋ねた。
「あの、ルーンっていう男性の足取りって掴めませんか?」 魔法によって描かれた似顔絵である念画を示し、神官は盗賊に尋ねる。その言葉にイリッサはクレオソートの目を見つめた。
「ルーン? あんたの好きな男かい?」
「ち、違います!」
「じゃ、何? それが分からなきゃ、捜せないわねぇ」
そんな訳がないが、イリッサの言葉にクレオソートは口ごもる。イリッサは真剣な顔をしてはいるが目は笑っていた。
「ルーンは…兄のようなものです。その兄が何も言わずに旅に出てしまって…」 顔を赤らめて呟くようにして言うクレオソート。
「兄…ねぇ。しかしあの坊ちゃんがこんなにモテるとはねぇ」 イリッサの呟きにクレオソートだけでなく、ソロンも詰め寄る。
「な、何でお前がルーンを知ってるんだ? まさかお前の毒牙に?!」
「誰が毒牙よ,誰が! ちょいとした件で知り合っただけよ」 絶句するソロンに苦笑いでイリッサは反論。
「狭いもんだな、世界ってのは」 ケビンは鳥の足にかぶりつきながら言った。
「教えて、ルーンお兄ちゃんはどこ?」 クレオソートが彼女に詰め寄った。
「おい,その前にイリッサ,俺達は城に戻るぞ。ちょいと父上に聞きたいことがあるんでな」 アルバート一行が立ち上がる。
「ゆっくりして行けば良いのに…ってアンタには無理か。用が終わったらここにきな。ああ、そうそう、二日前に城内で第二と第五騎士団が反乱起こしてね、ウルバーン第三王子がその戦いで死んだわ。まだ種火は残っているようだから気を付けて」
「ウルバーンが…。いつかやるとは思ってたわ」 フレイラースがアルバートに呟く。アルバートは多少苦い顔をして、イリッサに礼を言う。
「じゃあ、またな」 アルバートに四人が続き、酒場を出て行った。
「城に戻るって?」 キースはシリアに尋ねる。
「アルバートは第一王位継承者よ。知らなかったの?」
「へぇ…あれで王が勤まるのかな?」
「よく言われてるな、それは」 キースにケビンが相槌を打った。
「ホント、よく言われるわね。だからこそ、こわいのよ」
「はぁ?」 言って、ワインの入った盃を傾けるシリアに、二人の戦士は首を傾げた。
「で、ルーンは?」 クレオソートがイリッサに迫る。その迫力に、イリッサの頬に一筋の汗が流れる。
「ま、まあまあ落ち着いて、あれは2日前のことよ―――
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