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  第三章

<Rune>
 月が美しい夜だった。一陣の冷たい北風が僕を、焚き火を、そして草原の冬枯れした草を揺らす。
 「寂しいものだな、一人旅っていうのは」
 ”何よ、私じゃ不満だって言うの?”
 「いや、そういう訳じゃ…ごめん」 手元に置いた剣からの抗議に、僕は謝る。
 凍えるような北風が焚き火の炎を揺らす。僕は新たに薪をくべると、マントにくるまって満月を眺めた。
 「今頃、アスカはどうしているかな」
 ちゃんと食べる物を食べているだろうか、怪我などしていないだろうか? ただそれだけが心配だ。
 ”自分の心配も、しなさいよ” それに僕は苦く微笑む。
 レナード――嘘か誠か、東の大国・清の剣聖の地位に就いたことがあるというノール族の男。
 ノールとは犬の頭を持つ亜人であり、肉体的に人間よりも強靱である点が特徴だ。亜人特有にやはり彼らの時間は僕達人間より長く、約2倍であると言う。
 ”遊牧民とはね…見つかるのかしら?”
 そう、ノール族はそのほとんどが遊牧を生業としている。故に決まった住居を持たないため、エルフなどに比べて人前にはよく顔を見せるが、こちらから捜すとなると大変である。
 「見つけてみせるさ,必ずね」 
 ”そう……ルーンにとって、アスカは何なの?” 不意に尋ねるイリナーゼ。鞘から少し刀身を覗かせ、月の光を受けて怪しく輝く。
 「僕の心を覗けば良いだろ?」 言って目を閉じる。
 ”直接貴方の口から聞きたいの。いいこと,何も言わないで通じ合えるのも良いことだわ。でも言葉にすることで、もっと大切な何かを伝えることができるってこと,覚えておいてね” 目を閉じた先にイリナーゼが諭すように僕にそう言う。
 「……そう、一番大切な人、だな」 素直な僕のその言葉に、イリナーゼはまるで大きくなった子供を見る母親の様な微笑みを浮かべる。
 ”一番大切な人…か。きっと、アスカも貴方のことをそう思っているわ”
 「そうだと嬉しいね」
 何故、イリナーゼがそんなことを言ったのか,今の僕には分かるはずもなかった。



 冬枯れした草からの朝露に目を覚ます。焚き木はすでに湿った黒い炭となっていた。
 「さて、行くか,イリナーゼ」 
 ”お迎えが来たみたいよ” イリナーゼの警告が飛んだ。数瞬遅れて、僕もその気配を察知する。
 背後から手投げ剣が数本飛ぶ。僕はイリナーゼを抜いてそれらを全て叩き落とした。軌道からそれは確実に僕の急所を狙っている。
 「しかし」 障害物のないこのただっ広い草原の、一体何処からこれが飛んできたのか? だが近くに今でも殺気を感じる。
 僕の右で風が動いた!
 「そこか!」 その方向に向かって剣を突き出す。刀は空を切る感触ではなく、軽い金属音を立てて弾かれた!
 「察気術が使えるとはな。舐めて掛かってしまったようだ」
 何もないはずの空間が揺らめき、一人の青年が現れた。察気術とは気配を読むことである,ある程度の冒険者ならば身につけることが出来るものだ。
 草色の硬革の鎧に身を包み、腰には長剣を差している。その金色の髪と白い肌からザイル帝国のの大半を占める民族・ディアルと見て取れた。
 「何だ,お前は」 
 「これより先に行くことは、お前の為にならない」 答える事なく、彼は剣先を僕に向けて言い放つ。
 「切り掛かっておいて僕の為も何もあるか! それ以前にお前に僕の身を心配される覚えはない。邪魔をすると言うなら…」 僕もまた剣先を彼に向ける。
 間髪置かず、青年の剣と僕の刀が交差する。
 両者の頬が切れた。この男、僕より技量は上だ。しかし、
 「無尽蔵なる空気よ,かの者をその柩に封じたまえ! 霞人の戒」 
 「植物の精霊よ! 奴にからまり、その動きを封じろ!」 
 「何!」 
 「やはり精霊魔法か!」 
 振り向きざまの僕の呪語魔法が青年の動きを封じると同時に、僕の足下から植物の根が延びて僕に絡み、動きが封じられる。
 最初の短剣での攻撃は、おそらくアスカがよく使う風の精霊に働きかけて姿を眩ませていたのだろう。
 お互い動けないまましばらく睨み合う。こうなると先に気力の尽きた方の負けとなる。
 ふと、男のやってきた方向から馬のひずめの音が近づいてきた。
 黒毛の馬に乗ってやってきたのは、貫頭衣を着こんだ亜人――犬の頭を持った人――ノール族だった。
 シャパード犬の頭に鋭い眼光、その身には遊牧民独特の不可思議な文様が刺繍された巻頭衣を着こなし、その腰には刀を二本を差している。
 彼はその鋭い瞳で僕達二人を見つめた。
 「…ほぅ、面白い者達だ」 低い声でそう呟く。確かに端から見て草に絡まった僕と硬直している男がお互い見合っているのは、ある意味面白いかもしれない。
 「これも使命、か。二人とも、私の下で剣を学ぶと良い」 何の使命だか分からんが呟き、彼は一方的に宣言した。
 「おい、冗談じゃないぞ!」 硬直した男が言う。この意見に対しては僕も賛成。
 「ここで力を付けることは、全ての要因に対しての基礎のはず。それすらなしに終わってしまっては貴方としても不本意ではないかな?」 ちょっと恐い微笑みらしきものを浮かべて、ノールは青年に言った。彼は僅かにたじろいだ様に沈黙,そしてためらいの後、頷いた。
 何を言っているのか分からない,この2人は知り合いだろうか?
 「貴方も私に会いにここまで来たのだろう?」 ノールは僕に笑いかける。
 ? それって?
 彼はパチンと指を鳴らした。すると僕と青年の、互いの束縛の魔法が強制解除された。
 僕は身構えるが目の前の若者からの敵意はあっさりと消えている。僕もまた警戒を解いた。
 「さて、行こうか。私はレナード,レナード=セザム」 そんな僕達にニヤリとノールの男。レナードは言った。
 こうして事態は、なし崩し的に進んで行ったのである。



 「俺はアーパス=ブレッドだ」 
 「僕はルーン=アルナート,宜しくお願いします」 僕の名前を聞いた時、レナードが少し驚いたような気がした。しかしどうも表情がよく分からないので何とも言えない。
 「アーパスにルーン、覚えたよ」 
 「ところで…どうして僕達に剣を(強引に)教えてくれるんですか?」 尋ねる。誰かに頼まれたとしか思えない行動だ。
 「ん〜、聞きたいかね?」 僕は頷く。
 「すまんが、教えてはいけないことになっているんだ」 恐い笑いで応えるレナード。
 それは僕の予測が正しいと、彼は遠まわしに教えてくれていた。
 「もっとも見所がなくては私も腰をあげんよ。君達にはそれなりのスジがある」
 「俺もか?」 尋ねるアーパス。
 「ああ。本来ならばルーンだけだったのだが、君も面白そうだからね」
 「へぇ、結構知ってるんだな、アンタ」 二人は牽制し合って微笑み合う。
 ここまでで分かることがある。レナードは何者かに僕を鍛える様に依頼された。
 アーパスは何かの目的で、レナードから僕を遠ざけようとした,それは果たされなかったが、レナードと会わないことが彼の最終的な目的ではなかった様だ。
 見えない者の手の上で、何も知らずに踊っている自分が嫌になるが今は乗ってやろう,剣聖とやらの技術を盗んでやろうじゃないか。
 「君等は私が持っている以上に技を高める可能性がある,そう判断してのことだ。私はさらなる技の向上を見る可能性ができる,君達は私の剣術を学ぶことができる,一挙両得という奴だな」 このレナードという人も何気に僕と同じように利用されるだけは許せないらしい。
 「取り合えずこれを使って二人で打ち込むといい」 言ってレナードは僕とアーパスにそれぞれ木刀を手渡した。
 「なっ!」 
 「お、重い!」 軽く片手で受け取れると思いきや、あまりの重さに二人ともその場に木刀を落としてしまう。
 「一千年の巨木の幹を圧縮して作った木刀だからな。筋力で持っちゃいけないよ。こう、そうだね,気合いを入れて持つんだ」 
 「気合??」 
 「…って言っても」 呟き、僕とアーパスはお互い難しい顔で見つめ合った。
 ともかく訓練開始である。



<Camera>
 強い香料の効いた茶の入った二つの湯飲みを前に、ノールの剣士は傍らの大地に突き刺さる刀と話し合っていた。
 すでにこの光景は五日間続いている。
 ―――の息子だけある。やはり血筋というものは剣の才能も伝えるのだろうかね?」 レナードは日の光に目を細めて、お茶を啜る。
 「そうね、でも私はあの子に剣を教えたくはなかったわ。剣は所詮、死を司るもの,あの子は確実に死に近づいている」 鏡のような刀身に写る魔性の女性はそう呟いた。
 「伝説のイリナーゼ殿からは想像もつかない言葉だな」 
 「あの子は特別,できればこんな形で出会いたくはなかったわね」 
 「私には筋の良い生徒くらいにしか見えないが、貴女にはどう見えるのだろう?」 不思議そうにレナードは魔剣に尋ねた。
 「私が魔族であるとするならば,純粋な人…かしらね。あまりにも普通なの。だから魔族である私すら、問題なく受け入れてくれる。魔族にも通じる優しさがあるわ」 
 「そんなものかね?」 呟き、お茶を一杯。
 「ええ。おかしいと思うでしょうけど、私はルーンが好き。だから例え運命と言えど、死へと向かう剣は教えたくなかった」 寂しそうにイリナーゼが呟いた。しかしその表情にまた別のものがあるということにレナードは気付く術もない。
 「そうですか。ですが何も剣は死へと向かうだけではないと思う。生へと向かう剣があると、私は信じているよ。そしてルーンやアーパスといった新しい者達がそれを見い出してくれると」 
 「アーパス…貴方は知っているみたいね。あの娘は…」 
 「もちろん。しかしやはり世界は運命の通り動いているのだろうかね?」 レナードは溜め息を就く。
 「運命はルーンの嫌いな言葉なの。もちろん私達魔族にとってもね。かつてルーンが思っていたわ,運命は後から分かるものだって」 
 「確かに。それは強い考え方だ、それが決して曲がることがなければ、ね」 微笑み、レナードは湯飲みを置き、立ち上がる。
 「さて、そろそろ本題に移りますか」 剣を抜いて、レナードは打ち込みをやっている二人の弟子の元へと向かった。



 レナードは二人を前に2m程の大きさを持つ岩の前に立ち、剣を抜く。
 「よく見ておきなさい。これが『気』というものです」
 剣を持たない方の右の掌に淡い光が灯る。そして剣を両手で握るとその光は刀身を包んだ。
 「ハァッ!」 レナードの息吹きに合わせ光が強くなる。
 そして光が閃光に変わった。レナードが剣を振り下ろすと半月状の光が発し、岩を粉々に砕く!
 「「!」」 ルーンとアーパスは驚きのあまりに声が出なかった。
 「東方より伝わる気を用いた技の一つ・光波斬。貴方達程の剣の使い手ならすぐに覚えられるでしょう」 彼は軽く牙を見せて笑う。
 レナード曰く、気とは魔力の根源たる精神エネルギーの相対の立場にある生命エネルギーをその源にしているものだ。
 遥か東方では主に、山に籠もり修行を重ね、悟りというものを拓いた修行僧が自らの生命エネルギーを蓄積、増幅して怪我を治したり、素手で鉄板を打ち砕いたりする事ができる。
 それを応用して東方の剣の達人達――侍と呼ばれるそうだが、このように剣から衝撃波を出したり、破壊力を大きくしたりできる。
 しかしそれを操るには生まれて持った素質が大きく関係し、いくらやっても上達しない者もいればあっという間に習得してしまう者もいる。
 気の存在は、武芸の上級者ならばある程度はその存在をおぼろげながらに感じることができるので、何も当方伝来のみという訳ではない。察気術もまた、この部類に入るものなのだ。
 「では、がんばってもらおう」 未だに立ち竦む二人の肩を叩き、レナードは言った。



 金髪の男はローブの男に別れを告げた。
 「これからどうする気だ?」 
 「ふむ、故郷が潰された今、自由になった俺の腕を買う奴はごまんといるさ。取り合えずここの盗賊ギルドにでも入ろうかと思う」 金髪の男の問いにローブの男は淡々と答える。
 「そういうお前はどうするんだ?」 
 「俺か,まぁ世界を見て回るさ」 
 「いい加減、腰を据えた方が身の為だぜ。まぁ、こんな事言うようじゃあ、俺も歳を食ったもんだ」 
 「年長者の忠告として、ありがたく受け取っておくよ」 
 首都アークスより南の街道に三日ほど行ったところにある小さな街テイルヘッド。彼らはそれぞれ反対の方向へと去って行った。

 「いらっしゃい、あら? 久しぶりね」 一軒の酒場に取り合えず入った金髪の男は、ウェイトレスに声を掛けられる。
 「この街に来て真っ先にやることは君の顔を見ることさ」 
 「ありがとう、お礼にお昼おごっちゃう!」 気障な男の恥ずかしくなるような定番のセリフに気を良くした娘は、微笑んで仕事を再開する。
 大理石造りの大きなこの宿屋兼酒場は繁盛していた。その大部分が旅の傭兵や街のゴロツキといった無骨な男ばかりであったが、端のカウンターに全く不似合いな、薄い黄色の法衣を纏った少女がいることに男は気が付いた。
 彼は彼女の隣に腰を下ろす。少女は端正な顔を彼にふと向けるがすぐに前に向き直る。
 光の神のシンボルを形どった聖印を首から下げ、法衣にも黒い糸で左胸に刺繍されている。金色の肩まで掛かる髪に整った鼻,黒い瞳と、彼の出会ってきた美人の域でもかなり上に位置するはずだ。
 「お待たせ、本日のランチ…」 ウェイトレスの声が後ろから響く。それと同時に扉が激しく開く音が飛んだ。
 「おらぁ! シャバ代出さんかい!」 扉を蹴破って四人組の荒れくれ者が現れた。賑やかだった酒場は一瞬にして静まり返る。
 「何だい、ありゃ?」 
 「ここいら一帯を締めてるヤクザ…よ」 カウンター越しにランチを男に渡しながらウェイトレスは囁き声で言った。
 「この店の親方はあいつらに反発してる一人なの。この街の御偉方ともつながりがあるみたいで警備隊も手が出せないの」 
 「そこの女ぁ、主人連れてこんかい!」 静まり返った店内を見回した荒れくれ者達は、唯一人のウェイトレスの姿を見つけ歩み寄る。
 「今日、親方休みであたしと奥さんしかいないのよ,どぉしよう」 脅えた声色で呟くウェイトレス。彼女の前に座る金髪の男をどかして、男達の一人はカウンターにその拳を叩き付けた。
 「こうなりたくなかったら、今までたまったシャバ代二十万六千百十一G払いな」 拳の形に凹んだカウンターを見せつけて男は言う。端数は消費税か?
 「兄貴は女だからといって容赦はしないぜぇ。この間もタコヤキ屋のねぇちゃんを病院送りにしたけぇ」 横に控える小男。
 「でも安心しな、病院は病院でも産婦人科じゃねぇからよ」 後ろの大男の、地に落ちるたギャグに四人の男達は大笑いする。ウェイトレスは案外気丈らしく、目を潤ませながらも睨み返していた。
 「今日は主人がいません。後日になさって…」 
 「いないから来たんだよ! いつも痛い目に合わされてるからなぁ」 
 「ふ〜ん、てぇことは、お前らここの主人には今まで勝てなかったって事か。だらしねぇ」 言って金髪の男は立ち上がる。
 「何だ、てめぇ。部外者は引っ込んでな!」 小男が言うが早いか、その右目にフォークが生えていた。
 「な、なんだこれ…うわぁぁぁ!」 騒ぐ小男の顎をきれいに蹴り上げると男は倒れて気絶した小男に唾を吐き掛け言う。
 「生憎、お前等が俺を突き飛ばした時点で関係者さ。怪我したくなかったらさっさと出て行きな」 残るナイフを右手で回しながら彼は三人の男達に対峙した。
 「もっともこの姉ちゃんを泣かしておいて、無事に帰す気はないがな」 緑色の瞳に殺意の色を込めて不敵に笑う。
 その挑戦に飛びかかろうとした二人の男を押さえて、リーダー格である大男が前に出る。その腕の筋肉は隆々とし、なまくらな剣なら弾きそうだ。
 「おもしれぇ、サシで勝負してやるよ。俺に勝てたら二度とこの店には踏み込まねぇでやる」 言って腰の剣を抜き放つ。
 「死んで自分の無力を思い知るんだな!」 切り掛かる大男。剣は金髪の男の背後のカウンターを断ち切ったに過ぎなかった。
 「ぬ、抜けんっっ!」 カウンターに剣をめり込ませたまま、後ろを向く男。その首には男が食事に使っていたナイフが突き刺さっている。
 「て、てめえ…」 大男は平然とした金髪の男を見据えた。不思議なことにナイフが深く突き刺さっているというのに血が出ていない。
 「気を付けな、不用意にそれを抜こうとすると…死ぬぜ」 静かに言い放つ青年の言葉に大男の動きは止まる。
 「貴様ぁ、よくも兄貴を!」 
 「殺せぇ!」 残る二人が青年に襲い掛かる。その二者の間に黄色い影が入った。
 「hjfdsahusgawjipbd」 不可思議な言葉を伴って、黄色い影が両腕を二人の男に突き出す。
 バキッ! 派手な音を立てて男達は入ってきた両開きの扉を突き破り、外へ投げ出された。まるで見えない猪にでも体当たりされたかのように飛ばされたのだ。外で二人とも完全にのびている。
 「…」 声を出すことを恐れて、大男は倒れている小男を掴むと、ほうほうの体で店から飛び出して行った。
 そして酒場はいつもの喧噪を取り戻し始めた。
 「ありがとう、心からお礼を言います」 奥から出てきた女将さんとウェイトレスは二人に頭を下げる。
 「気にしなさんなって」 
 「これも神の与えた修練ですから」 二人は言って執拗な程の礼の言葉を止めさせた。
 「あなた、見かけより強いんですね」 神官であろう、少女は金髪の青年に声を掛ける。
 「あんたもね。光の神かい? 信仰してるのは」 
 「はい、まだ駆け出しの神官に過ぎませんが。ところである人を捜して旅をしているのですが,この人、知りませんか?」 言って懐から一枚の念画を取り出す。それは彼にとっては見たことのない顔である。
 「さぁな、どうも特徴がない顔だ。これ、あんたの恋人か何かかい?」 
 「い、いえ,兄…です」 
 「そうかな,ま、いいか。俺の名はアレフ=レイファ、お近づきの印に酒でもおごらせてくれ」 
 「いえ、私はお酒は」 断わろうとする前に、クレオソートの前にジョッキになみなみと注がれたエール酒が置かれた。
 「お嬢さん、お名前は?」 
 「…クレオソート=マイアと言います」 
 「クレオソートか。それじゃ、君と俺との出会いを祝して,乾杯!」 ジョッキを合わせるアレフ。そして彼はエール酒を一気に飲み干した。
 「やっぱり、飲まなくちゃいけないかなぁ」 
 「どうした、酒は飲めないか?」 
 「そんなことはありません!」 アレフの軽い挑発に、クレオソートはジョッキを飲み干す。飲み干すと同時に、ジョッキをテーブルに叩き付けた。
 「…いい飲みっぷりだな」 多少たじろぐアレフ。
 「いい飲みっぷり? 誰がだ! こらぁ」 いきなりアレフにアッパーを食らわせるクレオソート。
 「な…」 
 「誰が寂しいだってぇ! 別に寂しくなんかない,ルーンお兄ちゃんの馬鹿野郎ぉ!」 そして泣き出した。
 「どうなってんだ? 一体」 殴られた顎を押さえ、アレフは困り果てる。
 「こんな酒癖の悪い娘、久しぶりに見たわ」 呆れるウェイトレス。
 ついには静かになったかと思うと、クレオソートはテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。
 「こんな娘が一人旅か。放っておけないな」 アレフは一人、珍しくそう呟いていた。



 クレオソートは頭に多少の痛みを伴って目を覚ました。いつの間にやら神官着のまま、ベットで眠ったらしい。
 不意にドアがノックされる。
 「どうぞ」 眠気眼を擦りながら、彼女は言った。
 「よう、調子はどうだい?」 お盆に湯飲みを一つ乗せて、アレフが入ってくる。
 「あら、貴方は?」 
 「二日酔いでもしてるんじゃないかと思って、飲み薬を作ってもらったんだが、大丈夫そうだな」 言いながら、彼は湯飲みを彼女に渡す。湯飲みからは、湯気とともに苦そうな匂いが漂ってくる。
 クレオソートはそれを一気に飲み干した。その味に顔をしかめる。
 「ありがとう。え〜と、昨日は…あ!」 断片的に失われていた記憶が戻ってくる。それとともにクレオソートの顔が次第に赤くなっていった。
 「昨日はすまなかった。俺が無理矢理飲ませたばっかりに」 
 「いえ、私こそ貴方を殴ったみたいで…ごめんなさい!」 殴った以上にとんでもないことを叫んだことには触れないらしい。
 「あれから考えていたんだが…あんた一人旅だろ,俺も同行しようか?」 
 「え?」 突然のアレフの言葉に、驚くクレオソート。
 「一人旅,それも女となると色々大変だろ? それに俺にしても、ちょうど大きな件を片付けたところで暇なんだ。次の仕事が見つかるまでってことで」 アレフのその言葉にいぶかしむクレオソート。その視線に気付いたのか、アレフは慌てて言う。
 「言っておくが、下心などはない。俺はフェミニストなんだ。あんたの神に誓ってもいい」 
 「フェミニストってところは信じてあげる」 クレオソートは微笑んで言った。そしてアレフの両手を握りしめる。
 「ありがとう。実は一人で心細かったの。改めて自己紹介します。クレオソート=マイア,クレアって呼んでね」 満面に笑みを讃える彼女を見、アレフは微笑み返した。
 「俺はアレフ,よろしくな」 

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