3−2
白く塗装された革鎧を着こんだ兵士,およそ400人が雪の中を行軍してきた。そのほとんどがアークス兵独特の黒髪・肌色の肌ではなく、北国特有の茶色の髪,白い肌であった。
「リハーバー共和国第三・五遊撃隊、到着いたしました」 二人の士官らしき男達が、赤い髪の女性の前で敬礼する。
「御苦労、我々はアークス皇国第七騎士団だ。諸卿らの代表者はどちらか?」 女性の傍らに立つ男が尋ねた。それに二人の指揮官は困った顔をする。
「いかがした?」
「いえ、代表者というか…今回の我々を直接率いている方がおられるのですが」
「はっきりと申せ!」 指揮官の態度に業を煮やしたリースは叱りつける。
「はっ、我々を束ねているのは拳皇オライアン様です」
「オライアン? シャイロク,知ってるか」 リースの呟きにシャイロクは冷たい目を向ける。
「で、そのオライアン殿は今何処に?」
「ここへ来る途中に、ある盗賊の一団に絡みまして…その…追いかけ始め…」 指揮官の一人はしどろもどろに答え、ついには言葉が紡げなくなる。
「何故止めるか追いかけるかしなかった?」 シャイロクは尋ねた。
「楽しみたいから、決してついてくるなと」 申し訳なさそうに告げる指揮官。それにシャイロクは溜め息を就いた。
「長い行軍ご苦労でした。しばらくゆっくりとお休みなさい」 シャイロクの言葉に二人の指揮官は下がって行く。
二人に戻った宿屋の一室,彼ら二人が出て行くと同時にリースは尋ねる。
「シャイロク,拳皇って何だ?」
「リハーバーの四皇を知らないのか?」 聞き返すシャイロク。それに頷くリース。
「清朝の四聖なら知ってるんだけど」
「リハーバーの軍事力が低いからって舐めてるだろう,まあいい。リハーバーの軍事力は低くて質も悪いが、一部に関してはそれが当てはまらない」
「一部?」
「リハーバーの四皇。オライアンという武芸の達人である拳皇と、魔術一般を操る魔皇,剣術の達人の剣皇に、リハーバーの頭脳と言われる知皇の四人が実質上この共和国を支えているといって良いだろう」
リハーバー共和国は合計9つの自治体によって統合された国である。遊牧民、亜人などが人口の30%を占め、国の上部にはエルフやドワーフの古老も籍を置いている。
アークスやザイル,清王朝などの列強に吸収されんが為に手を取り合ったようなものだ。各国にはそれほど団結力のようなものはなく、いざと言う時は中央政府がこのような遊撃隊を下すという体制が取られる。
その国柄から、この地には異才が多い。アークスには使い手の少ない精霊魔術がこの地では亜人が多いために一般的に魔法と呼ばれているくらいである。
今回は魔族の襲来という世界的な問題の可能性が出たために、魔術王国であるアークスに協力が要請されたのであるが…
「その一人の拳皇が来たってこと?」 リースの言葉にシャイロクは頷く。
「後先を考えない性格だ。姫と良いコンビが組めるだろう」
「どういうことよ、それ」 リースのジト目を軽く流しながら、シャイロクはユーフェの名を呼ぶ。すると間もなく、ポニーテールの髪を揺らして魔術師の少女が部屋へとやってきた。
「お呼びですか? シャイロク様」
「途中で油を食ってるオライアンという名の男を探してきて欲しい。年の頃は二十代後半だろう」 シャイロクの言葉に、ユーフェの顔が曇る。
「手掛かりはそれだけですか?」
「盗賊の一団に一人で殴りこんだらしい、二日前にね。酒好きのあの男のことだ,多分どこかで呑んだくれてるのかもしれん」
「拳皇はシャイロク様のお知り合いなんですか?」
「まぁ、そんなところだ。頼んだよ」
「分かりました」 微笑んでユーフェはその場から煙を消すように消える。
「シャイロク,一体何処でその拳皇とやらと知り合ったんだ?」
「姫を護っていると色々と顔が広くなるんだよ」
「いつお前に護ってもらった!」 顔を赤くして怒るリース。
「それもそうだ,姫にか弱いお姫様ってイメージはないからなぁ」
「それもどういう意味だ!」
「どうせいって言うんだ、アンタは」 シャイロクは困った顔で頭を掻いた。
その日の午後、ユーフェの瞬間移動によって六人の酔っぱらいが転送されてきた。用意されたテントにリースとシャイロクが足を運ぶと、酒の匂いが鼻を突く。
「おおっ、これはこれはリース姫様。お会いできて光栄です」 慌てて立ちあがり、ペコリと頭を下げる美青年。彼はその隣の男に視線を移し、
「シャイロクじゃねえか,何でこんなところにいるんだぁ?」 北の民族とは全く異質の、黒い肌に金色の髪を持ったその青年は酒臭い息を吐きながらシャイロクの背を何度も叩く。
「おう、お前さんがたも飲めや、ガッハハハ!」 ひたすら笑い上古のおやじが杯をリースに渡す。
「ユーフェ、何なの,こいつら?」
「はぁ、オライアン様とダークエルフの一団です,多分シャイロク様のおっしゃっていた盗賊かと」
「それは見れば分かるわよ!」 リースはたかってくるダークエルフのおやじを足蹴にしながら、ユーフェに叫んだ。
オライアン以外の五人は皆、エルフ特有の長い耳を持っていた。このダークエルフのおやじ以外は皆、若く美男美女である。しかしながら男と女の区別がリースにはつかなかったが。
「オライアン。どういうことだ、これは」
「いやぁ、意気投合しちまってなぁ。どうしても俺に付いてきたがってよ」 よく見ると、オライアンにもダークエルフ達にもあちこちに痣や怪我があった。
「そうじゃない…まぁいいか。それに意気投合か,これが? 君のことだから何となく想像がつくが、我々としてはただの酔っぱらいは必要としていない」
「誰がただの酔っぱらいですってぇ?」 ダークエルフの一人が非難の声を挙げる。その足のふらつきから、やはりかなり酔っている。
「見せてあげるわ、私の力をぉぉぉ〜〜」 そして倒れるように寝込んでしまった。
「手を付けられんな,姫,ユーフェ、放っておこう」
「一緒に呑もうって言ってんのに,つれねぇなぁ」 オライアンの言葉を背にして、三人はテントを後にした。
「すいません、シャイロク様」 テントを出て、すまなそうにユーフェは言う。
「どうして君が謝るんだい。私こそすまなかったね,つまらないことをさせてしまって」 言葉通りすまなそうに、シャイロクは言った。
「いえ、そんな。また何かあったらいつでも私をお呼びください」 ユーフェはそう言い残し、そそくさとその場を去って行った。
小走りに去って行く魔術師の後ろ姿を眺めながら、リースはふと疑問を口にする。
「そういや、あの娘,近頃何処に行っているのかしら? いつもはシャイロク,あんたの側にくっついていたのに」
「さぁ、そうでもないと思うが?」
「ふぅん,あれは挑発だったのかな」
「何がだい」
「いや、こっちの話」
ふと出てしまった言葉を流して、リースは雪が踏み固められた道を足を滑らせながらシャイロクの背中を追いかけた。
その夜はリハーバーからの援軍で、多くの仲間を失ったアークスの兵にとっては精神的にも束の間の安息を与えるものであったはずだった。
久し振りに星の見える夜空、星の光点が不意に増えた。
「何だ? ぐぁぁ!」 爆発音を伴って見張りの兵士は四散する。しかし彼の断末魔に兵士達が各々武器を手に招かざる客に向かって構えた。
「皇国魔術師隊はミアセイア殿の指示に従い、奴等を地上に下ろせ! セタの隊は村の西を,カイルの隊は東から回り込み挟むように潰せ!」 青年指揮官の言葉は正確に部隊の隅々にまで届き、実行に移される。
「アークス軍に呼応し、我々は北と南から天使達を倒す! 支給された剣を使え!」
「狼狽えるな! 今となっては魔族も天使もない」
リハーバー側、オライアン指揮下の三人の指揮官もアークス程の連帯感はないがそれなりに命令を実行に移していく。
「「摂理に逆らいし力よ、退き混沌へと戻るが良い!」」 ミアセイア以下の魔術師達の呪文が暗天の下に響き渡り、上空から攻撃魔法を解き放つ翼を持つ者達を、次々と引きずり落とす。
鎧のようなものを着けたそれらは総数三百余り。数では人間側が多いが戦闘力は高い。
「シャァ!」 白い革鎧に身を包んだ兵士――リハーバーの兵士はほのかに淡く輝く魔法剣で天使の一人に切り掛かる。
が、それは天使の持つ剣に安々と砕かれる。
「グ、腕が…」 強烈な剣勢に腕を思わず押さえる兵士に、天使の無慈悲な一撃が襲った。
一度とは言え戦闘の経験のあるアークス軍は馴れない戦いにもそれなりの戦果を挙げている。しかしリハーバー軍は人外の力と,また聖なる者として崇められている天使に対しての狼狽えがはっきりと表れていた。
「失せろ!」 赤髪の鬼神が振り降ろした剣の前に天使が一体崩れ落ちる。だが、それを乗り越えてもう一体の天使が彼女の前に立ち塞がった。
「こいつら、前の時と違って強いぞ!」 同じく背を合わせるようにして戦っている七人の騎士達に彼女は吐き捨てるように叫んだ。
「この前より一階級上の七位、権天使でしょう。気を付けて下さい」 彼らに囲まれた真ん中でリースの言葉にユーフェが呪文の合間を縫って警告する。
「権天使か,滅多にお目にかかれるもんじゃないんだがな」 剣を構え直してアークスの騎士の一人が呟き、神々しい彼らを見つめ直す。
天使達は各々に白い仮面を被り、その瞳には色はない。ほのかにそれ自体が発光する全身鎧に身を包み、手には曇一つない長剣と聖なる十字架が彫られた方型の盾を身に付けていた。
「天使一体に対して四人以上で当たるように伝えろ!」 リースの指令にその隣で同じように剣を奮っていたシャイロクが頷き、その場を離れた。離れ際に二体の天使達が消滅する。
「シャイロクの奴、私より強くなったんじゃないのか?」 その後ろ姿を眺めて呟くリース。そう言う彼女も呟きながら強いはずの天使を軽くあしらい、消滅させている。
「姫様も十分にお強いですよ」 一体の天使を無に帰して、ユーフェは微笑みを浮かべてそれに答えた。
村の北側で爆発が起こった。
赤と青の閃光を放つそれは一部の天使達を,それと戦う少なからずの兵士達と供に地面ごと吹き飛ばした。
そして直径10m程の大きく口の開いたクレーターの真ん中で二人の男が何やらポーズを決めている。
その二人に向かって爆発には巻きこまれなかった天使達が仲間の仇討ちとばかり殺到する。
近づく天使達に黒い肌の青年は向き直り、不敵な笑みを浮かべて彼らに指さした。
「俺様の,オライアン様の鉄拳を食らいたいようだな,貴様等」
それに張り合ってか、隣の中年男,やや腹の目立つダークエルフもやはり笑みを浮かべて同じように指さした。
「このワシ,刀牙様の精霊魔術をたっぷりと食らうが良い!」
二人がゆらりと動く。一斉に剣を振り上げた天使達は次の瞬間、再び二人の起こした爆発によって塵もなく消え去っていった。
ザートは傷を負っていた。
左肩から背中を深く切られている。鋭利なその傷は天使によるものだ。
団長からの指令で四人以上で一人の天使に当たるように言われたが、すでに組んでいた二人はものの10分でその命を落とし、今さっき残る一人も首を刎ねられていた。
「でゃぁ!」 ザートの繰り出した剣は彼の目の前の天使の右肩を切り落とす。しかし傷痕からは血すら出ない。
ザートの切り掛かった瞬間を突いて、彼の背後に構えていた天使の剣がザートの革鎧を切り裂いた。
「クッ,まずいな」 前と後ろを挟まれ、ザートは動きを止める。その間にもジリジリと二体の天使の間が縮まっていく。
ジッ!
追い詰められるザートに、赤い光の帯が彼の前に立つ二体の天使の胸を一気に貫いた。間髪いれず一体の天使の頭が一人の剣士によって切り落とされる。
同時にザートはもう一体の天使を縦に両断する!
「やるじゃない,人間にしてはねぇ」
「しかし一人では危険だ」
助太刀したのは二人のダークエルフだった。
「助かったぜ,ありがとよ」 ザートは剣士風のエルフに礼を言う。その間に魔導師風のエルフがザートに回復の魔法を掛けていた。
「しっかし天使ってのは切り応えがないな,まるで魔族を切ってるみたいに空を切るみてぇだ」 うっすらと上気した右頬に古傷であろう,薄く刀傷を浮かばせて剣士は呟く。しかしこのエルフの剣士は女性のようである。
「まぁ天使も魔族と同じ精神世界側の生物だからな。呼び方が違うだけで本質は同じさ」 魔法を掛け終え、魔導師は仲間に答えた。そしてザートにフードの奥から視線を向けて告げる。
「私は徨牙。そしてこれは駿牙」
「よろしくな,そうこうしてる内に来たぜ」 駿牙と呼ばれたエルフの女剣士は再び剣を構える。
「俺はアークスの騎士・ザート,後でお礼に酒でもおごらせてくれ」 同じくザートも向かい来る二人の天使に剣を構えた。
「酒か,酒は怖いから飯にしてくれ」 駿牙の呟きはザートに聞こえることはなかった。
ザートの剣が天使の剣を交い潜り、肩を一閃する。
同じく駿牙のそれが他方の天使の剣をへし折った。
「風と炎の精霊よ,躍動せしその力を解放せよ!」 徨牙が天使の内部で爆発を起こす。
体をほとんど崩壊させながらも天使達は目の前の敵に切り掛かるがあっさりと消滅させられる。
「あんた、アークスの騎士の中でも強い方だろ。それに魔法に馴れてるな」
「アークスは魔法王国だ。誰も馴れてるよ」 徨牙の言葉にザートは苦笑して答えた。
「そうなの? !?! 何、この感覚は!?」 駿牙は突然襲いかかってきた重圧感に言葉を失う。
その見えない重圧に、近くにいた天使達が次々と潰される様に消滅していった。三人の目の前で陽炎のように空間が歪み、一人の女性が現れる。
「「!」」 三人はその強い力に殺気をたぎらせた。
目の前に舞い降りた女性は天使。それも今までの権天使,当然その下の階級のものではない。ミアセイアの魔法が効いているこの空間の中で飛んでいたこと自体、それは証明されていると言えよう。
天使は二羽の白い鳩を両肩に止まらせた若い女性だった。薄い衣を身に纏い、小さな短剣を腰帯に指している。そしてその背には二対の,計四枚の白い翼が拡がっていた。
「強き戦士よ」
今までの天使達になかった強い意志と個性とをその両目に宿らせ、彼女は三人に語り掛けた。
「こいつ…隙がねぇ」 駿牙が額に汗を浮かべて呟く。
「安心なさい、私は貴方と争う気はありませんから」 神々しいその顔に戦場に似つかわしくない微笑みを浮かべ、彼女は一人の剣士・ザートを見つめた。
「?! そんな」 ザートは動けなかった。他の二人もまたそうだろう。
強い力――唯それだけで身が竦むというのに、天使の彼女の瞳には澄みきるほどの、恐ろしいまでの親愛の念が込められていた。
だからザートは、天使の無防備な接近を阻む事は出来なかった。
「ザート…大きくなって」 天使は硬直する剣士を優しく抱きしめる。
「くっ、やめろ!」 ようやく彼女を払うザート。それにやや悲しい表情で天使は言った。
「私は今はまだ天使の法に乗っ取って動きうる者・智天使シーケンス。この地は強い力の集う場、その力を動かし得るものがあります。貴方方は力を天使達――いえ,我らが長から守るのです。その為にザート、これを貴方に託しましょう」 シーケンスは右手で虚空を掴む。
すると淡い光を伴って一振りの剣が出現した。
「シーケンス…だと?」 かすかにザートの体が震えている。そのザートの持つ剣がいつの間にか、智天使の出現させたそれに変わっていた。
「私はこの意志が保てるかぎり、ザート,貴方を見守っています。貴方は貴方の信じる道を行きなさい,そして信じたものを信じ抜いて下さい」 寂しげにシーケンスはそう微笑むと、体が消えて行く。
「ま、待ってくれ!」 ザートの叫びも叶わず智天使は消え、元の喧噪が三人を包んだ。
「何だったんだ、夢だったのか,今のは」
「夢じゃない,ザート,お前の剣…」 駿牙の呟きに、自ら確認するように徨牙がザートの剣を見つめる。
両手でも片手でも持ち代えが可能なそれは、柄に細かい装飾が施されているものだった。刀身は鏡のように磨き抜かれている。
「シーケンス…そんな馬鹿な…いや、でもあの感じは!」
「敵が来るよ,ザート!」 茫然とするザートを駿牙が叱咤する。
我に帰った彼は襲いかかる敵に切り掛かって行った。
剣は天使の剣ごとまるで紙をナイフで断ち切るかのように両断した。
「なっ!」 切ったザート本人がその威力に驚き戸惑う。その隙を突いて別の天使が彼の右肩を切り裂く,かに見えたが徨牙の破裂の魔法によって剣を持つ腕が吹き飛んだ。
そこに駿牙の一撃が天使の首を切り落とした。
「凄い切れ味だな、そいつ」
「あ、ああ」 駿牙に気のない返事をするザートを眺めながら、徨牙は戦いが終わりに近づいていることを知った。
「何故奴等は俺達に戦いを挑む? この地に何かあるというのか? それに…」 ザートは沸き上がる疑問と智天使に、言葉を漏らしていた。
「大気を泳ぐ水よ,封じよ,かの者達を!」 ミアセイアの放った呪語魔法によって、天使達のリーダーであった三人の力天使達は氷の結晶に封じ込められ、そのまま地上に落下して澄んだ音を立てた。
今回、天使を率いていたのはこの間の能天使より格が一つ上の力天使だった。それも三体である。
しかし彼らもまた、ミアセイアの魔力の前に屈せざるを得なかった。それだけミアセイアの魔力は強力であったのだ。が、もしも天使が四体であったならば危ないところだったであろう。
この天使は能天使と違い、人語を理解している。だからこそミアセイアは氷漬けにしたのであった。
ミアセイアは地上に落ちた氷に近づく。氷漬けにされた天使達の三人の内、一人だけが割れていない者がいた。
そして赤い魔導師は、変わることのないポーカーフェイスで氷の中に天使に向かって呪文を紡ぎ出した。
「引いたな」 シャイロクは次第に静かになって行くのを感じた。
「ええ」 リースはユーフェの隣に腰を降ろす。あれほどいた天使達はその半数が逃げるか消えるかしてしまった。
「誰かが天使達を率いていた者を倒したんでしょうね。多分この間と同じくミアセイア殿だと思いますが」 ユーフェの分析にシャイロクは答える事なく星の瞬く暗い夜空を見上げていた。
「今回は後半からリハーバー軍が急に健闘したな。ユーフェ,誰が指示していたのか調べておいてくれないか」
「はい」 頷き、ユーフェは呪を一言唱えると、その場から姿を消した。
「私は,いや私達は何のために戦っているのだろう?」 そう口を開いたのは騎士達が去り、彼女の親友だけが隣に残った時だった。
「姫らしくないな,それは」
「それじゃ私がまるで馬鹿みたいじゃないか」 彼女は怒って相棒に抗議する。が、その顔を見て微笑みに変わる。
「今調べているところだ。この地に一体何があるのかを」
「そぅ,今度の戦いでまた仲間が減ったな。胃が痛くなりそう」
「私は頭が痛いよ」 二人は所々炎上する駐屯地を見つめる。夜空を照らすその炎は送り火のように見えていた。
アークスの顔,白亜の城はいつにない緊張感に包まれていた。
放浪王子帰還――それは三年に一回あるかないかのことである。そしてそれは同時に、いつも決まって波乱の幕開けなのであった。
アークス十六世と第一王位後継者アルバートは密室で、何やら二人で話し合っている。
「俺は王位は要らない。シシリアにくれてやるのが一番だろう」 ぶっきら棒にアルバートは言う。
「何故継がないのだ,お前ほどの力の持ち主は他にいないではないか!」
「力? 力ってのは魔族の力のことか?」 自虐的に笑うアルバートに、王は首を横に振る。しかしそれは意味がないことを王は知っている。
「お前は人間だ、魔族ではない」 呟くように王は言う。
「それは俺の幼い時に言ってもらいたかったな」 彼は椅子の一つに座る。
「…すまん」
「何故、あやまるんだ?」 頭を下げる老人にアルバートは冷たく言った。
「お主はどうするのだ,これから」 疲れた表情で王は尋ねる。
「しばらくはシシリアの手伝いをする。俺の代わりに王…いや、何か考えがあるらしいからな」 言って、アルバートは立ち上がる。
「ウルバーンは支配欲が強い奴だったが、それをうまく利用していた奴等の動きがどうもあやしい。天使…だったか,絡んでいるのは? とてつもないことが始まろうとしている予感があるんだ」
「そうか、それもよかろう」 扉の前まで歩くアルバートに王が呟く。ふとアルバートは振り返り、老いた父に尋ねた。
「王は、いや,父上は母上を…ニリュートを愛していたのか?」
「ああ、愛していた。こう言ってはしかし、お前は信じてはくれんと思うが」
「まぁな,だがそれを聞いて少しは安心した」 言い残してアルバートは部屋を出る。
残されたアークス十六世は今は一人の男として、亡き唯一心から愛した先妻に思いを馳せる。
「ニリュート…アルバートは大きくなった。そして全てを知るだろう,やはり運命からは逃れられぬのか」 音もなく揺れる燭台の光に、国王の幾百もの皺に陰が落ちた。
「しかし、ニリュートよ。あやつは友に恵まれておる」
アークス王は父として、アルバートの未来を祈り続けていた。
ウルバーン亡き後の第二騎士団団長室には、新たな団長が腰を下ろしていた。
かの一件により、第二,四騎士団の首脳部にはそれぞれ謹慎や降格などの処置がとられた。これは第四騎士団の団長・ハーグス=イスナに対して平騎士への降格という処置から、寛大なものと言える。
第二騎士団団長・ブレイド=ステイノバは慣れない書類処理を副官に任せて、父親譲りの大剣を磨いていた。
黒髪に黒い瞳,肌色の肌と典型的なニールラントの幼さを残す彼は去年、騎士になったばかりの新参者である。歳はやっと十九となったばかりで、おそらくアークス始まって以来の若き団長だ。
だからと言って、彼にそれだけの高い能力があるという訳ではない。彼以外に適任者がいなかったのだ。
ブレイド=ステイノバはウルバーンの前の団長・エッジ=ステイノバの一人息子である。エッジはその人柄,礼節,武芸において軍事顧問グレイム=イラに匹敵するほどの高い評価を受けていた騎士であった。
また3代前の南の公国・龍公国の公主を僅か二年だが務めたことがある。ちなみに辞めた理由は明快・『肩凝るよ』とのこと。根っからの戦い好きの武人だったらしい。
しかし、ある反乱を鎮める道中で彼は死ぬこととなる。原因は当時部下であったウルバーン王子がどさくさに紛れて暗殺したと、専らの噂である。
そのウルバーンの跡目を、ウルバーンを団長にしてしまった負い目であろうか、その息子であるブレイドにと、騎士上層部の意見が可決してしまったのだ。
なお第四騎士団に関しては、第三騎士団で高名を挙げているレイ=キセノンが団長に就任した。
「セレス=ラスパーンだよな、君の名は」 二人の副官の内、一人の名を呼ぶブレイド。
「はっ、何か?」 男にしては細い面をあげて、副官セレスは答える。
「君がウルバーンに止めを刺したんだよな。間違っても俺は刺さないでくれよ」 笑って言うブレイド。
「団長殿が道を誤ったときには、覚悟して下さい」 氷のような微笑に、若き騎士は人知れず背筋を震わせた。
「え…と、それで君がクレイ=ガーランド,だったかな」
「はい、団長」 三十代後半の、やや渋い感じの騎士は答える。
「はっきり言って、俺は自分のやることがよく分からない。頼むぞ,二人とも」 ブレイドは頭を下げて言った。それに二人の副官は立ち上がって敬礼する。
「じゃ、がんばってやってみようか」 一人呟くブレイド。デスクワークが分からない彼は今は唯、剣を磨いているしかなかった。
エッジを知る軍事顧問グレイムがこの場を見たならば、今や亡き親友の面影をそのままに見たことだろう。
第三騎士団長・クラール=シキムは愛用している板金の鎧を着こみ、宮廷内を歩いていた。彼は今から進軍の準備をしなくてはならない。
攻撃するのは反旗を翻した東の公国・熊公ブルスランだ。それには北の虎公と連動して、なるべく被害を少なく勝利しなくてはならない。
そう考えていた彼は後ろから突如蹴りが加えられたのに気付かなかった。
「クラール! 何、ボーっとしてんの?」 鈴を鳴らすような軽快な声に彼は我に帰る。
「俺に蹴りを入れるとはいい度胸だ! 相手にしてくれ…って何だ、フレイラースか。相変わらずそのターバンが暑苦しいな」 親しい友を前にして彼は破顔する。
「何だとは何よ! ぼーっとして、どうしたの?」
「いや、戦が始まるんだが…その作戦を練っていたのだ」 その答えにフレイラースは笑い出した。
「あなたに作戦? どうせ力業で正面からぶつかるんでしょう? 作戦も何もないじゃない」 クラールの性格をよく知る彼女はそう言う。
「まるで俺のことを猪突猛進みたいに言わないでくれ」
「みたいじゃないわよ、そのものよ」 はっきりと言われ、項垂れる。
「それに作戦なんてのは一人で考えるものじゃないでしょう? あなたの部下には、あなたよりの頭の良いのがたくさんいるんだから相談すれば良いじゃない」 お気楽に彼女は言った。
「一応、作戦の概略を立てんと団長としての誇りがなくなっちまうだろうがよぅ!」
「誇りなんてあったの?」 何気ない彼女の言葉はクラールの心に深い傷を残す。
「まぁまぁ、私も同行してあげるから、そう気を落とさないで」 その言葉にクラールは走って逃げた。が、重い鎧を着込んでいる彼は、すぐにフレイラースに回り込まれる。
「何よ! そんなに嫌がらなくても良いじゃない!」
「アルバートと喧嘩するのは勝手だがな、俺を巻きこむのは止めてくれ! 俺の方はお遊びじゃないんだぞ!」 クラールは懇願するようにエルフ娘に言った。
「お遊びですって! だいたいアルの奴…」
「皆まで言うな、俺が当ててやろう。大方、そうだな,アルバートがシシリア姫に妙に親切なのが気に食わないんだろう? それを言ったらアルバートは俺には俺の考えがあるんだ,とか言って喧嘩になったか」
「見てたの?」 キョトンとするエルフに騎士は首を横に振る。
「確かにアルバートには何か思うところがあるようだ。シシリアに親切ってのは初耳だがな。そんなことで喧嘩はやめろよ」
「そんなことですって!」 フレイラースは激昂する。
「すまんすまん,お前はアルバートが好きなんだろ。だったら奴の側にくっついてろよ。シシリアに取られちまうぞ」 笑ってクラールは言った。
「シシリアはアルバートの妹でしょ?」 ジト目で彼女はクラールを睨つける。しかしそれを無視して騎士は続けた。
「そうかな、法律では従兄妹の結婚は禁じてはいない。それにシシリア姫は想っている男がいないようだしな、どうだか分からんぜ。じゃあな!」
クラールは茫然と佇むエルフの横を通り抜ける。しばらくして彼は背中に走って遠ざかって行く足音を聞いた。
一人の騎士の先導の下、ローブを羽織った中年男が白亜の宮殿の廊下を歩んでいた。騎士は大柄という訳ではないが、ローブの男と体格が変わらなく見える。ローブの男が大きいのだ。
騎士は廊下に面する扉のうち、一つの前に立ち止まった。
「ありがとう、ナセル殿。下がって下さい」 男の言葉に騎士は敬礼し、その場を去って行った。
そして男は扉をノックする。数瞬の後、若い女性の声が返ってきた。
男は扉を開ける。
「失礼致します。アークスまでわざわざ足をお運びになられて誠に光栄に存じます,センティナ=ガーネッタ殿」 男は言って、敬礼した。
「私こそ押しかけてしまって、申し訳ございません」 ソファから立ち上がって、鎧から簡易な服装に着替えた女性もまた恭しく答える。
「本来ならば王自らが出向かれるところなのですが、生憎近頃は取りこんでおらっしゃいますので、この私,ルース=アルナートが御挨拶をさせて頂きます」 顔を上げて、彼は微笑んだ。
「貴殿が黒き光として名高い魔術師団長のルース殿ですか。お会いできて光栄ですわ」 彼女はそこまで言って、しげしげと彼の顔を見つめる。
「何か?」
「いえ、失礼しました。どこかで会ったことがあるような気がして…そんなことはありませんね」 顔を赤くして俯くセンティナ。
この光景を彼女のことを良く知る,すなわち例えばアルバート一行が見たら、その似合わない態度と言葉遣いに一週間は笑い転げることだろう。
初対面の人間から見れば上品な王族にしか見えない。ルースはもちろん普段のセンティナの姿など知らない。
ともあれ、そんなセンティナの態度にルースは軽く微笑んで、言葉を続けた。
「ところでセンティナ殿は何か訳あってこの城へ?」
「いえ、宛のない旅の途中にアルバート殿下とお会いしたのです。ですからこれといった理由はありませんの」 ルースに席を勧めて、センティナはソファに再び腰かける。
「左様でございますか。話は変わりますが、センティナ殿は現在の貴国の状況をご存じで?」 ルースは尋ねた。
ストレートな男だ―――センティナは思う。
センティナの祖国・ザイル帝国がこのアークス皇国との不可侵条約を破り、南の公国に攻め入っていることは彼女の耳にもすでに届いていることだ。
一応帝国王族の遠い親戚に当たる彼女に、帝国の戦力を探ってくることは分かっていた。悪ければ、人質にされるという可能性も考えている。
しかし彼女は正式にザイル帝国王族から『勘当』されている身,言わば自由の身であった。
だから、いざとなったら彼女は強行にこの場を去る事が出来る。
”そんなことにはなりそうもないがな” センティナは内心、ルースを見つめながら呟いた。
大抵の文官などなら長々と世間話を興じた上で、本題に触れるか触れないかに留まるものだが、このルースはいう男は違うようだ。だから彼女は言葉を選んで応える。
「存じております。何でも条約を破棄し、戦いを挑んでいるとか」 彼女は足を組み直して答える。その口調はいかにも自分は無関係であるといった風だ。
「では、話が早い,貴殿に仲裁役を買って出てもらいたい」 ルースのその言葉にセンティナは微笑む。
「私は帝国王族からすでに出奔している事は御存じでしょう? 今は帝国の人間であっても政治には何の関わり合いもない者,そんな者の言葉を聞く者などいないでしょう?」
「それは一般論ですな。事実、貴殿を未だに慕っている帝国の兵士は多い。王妃から直接、帰還するようにとの触れも出ていると聞き及んでおります」
「…嫌だと言ったら?」 センティナはルースを見据えて尋ねる。射抜くようなその視線は、しかしルースには通り抜けるような歯ごたえのなさを感じた。
「それならそれまでです。客人である貴殿をどうこうするつもりは、我々にはありませぬ故」 さらりと言い除けるルース。
そう来るか,彼女は心の中で呟き、こう答えた。
「では、嫌です」
「そうですか、それは残念です」 呟いて、さも残念そうに席を立つルース。それを予測していなかったセンティナが彼を止めた。
「待って下さい。説得するとかしないんですか?」
「説得して、やって頂けるのですか?」 逆に問われて、言葉に詰まるセンティナ。仲裁役など、やってやるつもりは毛頭ないのは事実である。
しかし、こうもあっさりと引き下がられるとセンティナとしてもおかしいようだが、どうも釈然としない。それに理由はないが彼女はルースとしばらく話を続けたかったのだ。
彼女は困って辺りを見回し、ある物に目を止めた。
「そうですね、私と剣で勝負して勝てたら考えましょう」 壁に飾られている二振りのサーベルに目を向けて、彼女は言った。
それにルースは沈黙する。
「私は非力な魔導師ですよ。それに歳ももう四十五。若く剣士として名高い貴殿に勝てる訳もないでしょう?」 残念そうに彼は答えた。
「それもそうですね。では私は目隠しをする,というのは?」
「それなら勝てます」 ルースは喜々として答えた。それにセンティナは内心、嘲笑う。
ある程度の技量を持った者は、例え視覚がなくとも、相手の気配を察知して普段通りの剣技を振うことができる。センティナはとうにそのレベルを越えていることは言うまでもない。
だが彼女は、その逆もまた可能であることを知るレベルには達していなかった。
「では、中庭で」 サーベルをルースに手渡し、センティナはテラスから中庭に出る。日は傾き、植えられた樹木が長い影を落としていた。
「魔法はなしですよ」 目隠しの手拭いをしながら、センティナはルースに念を押した。それに中年は頷いて答える。
「では、いつでもどうぞ」 サーベルを肩に、目隠ししたセンティナは微笑んで言った。しかしその微笑みはすぐに凍りつく。
”見えない! どういうこと?”
彼女の心の目には彼女を取り巻く気配が手に取るように感じられる。だが相手であるルースの気配がなかった。
”一体、何が…まさか逃げた?” センティナは意識を周囲に集中させる。そしてついにルースの気配を捕らえた! しかしそれは一つではない?!
ルースの気配が個体としてではなく、空間となって彼女を包み込む。そしてセンティナを包囲したルースの気配は殺気へと変貌した!
「クッ!」 センティナはその殺気を消し去ろうと剣を振う。が、その剣先は足下の土を抉ったに過ぎない。
”一流,いえそれ以上の剣士じゃないの!” 内心ぼやく、そして。
「私の勝ちですね」 センティナの首筋に、いつやらルースのサーベルが突き付けられている。
「…とんだ魔導師さんだこと。近頃の魔導師は剣も一流なのね」 サーベルを捨て、目隠しを取るセンティナ。
「紳士の嗜みですよ」 微笑んで、ルースは剣を引いた。
「よく言うわね。嗜み程度じゃないわ。私との力量の差は天と地ほどもあるはず」 鋭いセンティナの視線を天を仰ぐことでルースはかわす。
「取り合えず、約束は守るわ。私が行ったところで無駄だと思うけど」 溜め息一つ。
「宜しくお願いします」 ルースはそれに深く頭を下げた。
「それにしてもアークスにはそれなりの剣士がいるものね。貴方を含めてもう二度も負けたわ」 同じく空を見上げてセンティナは呟く。
「ほぅ、もう一人とは?」 サーベルを拾いながら、魔導師は尋ねる。
「ルーンという名の若い冒険者ですわ」
「ルーン,ですか。それなりの剣技を身に付けてきたようですね」
「? 魔導師殿,知っておられるの? あの少年を」 詰め寄るセンティナをしかし無視し、ルースは厳しい目で曇る空を見上げていた。
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