3−4


 「やっぱり…」 
 剣戟が地下神殿に響き渡る。そして時々、爆音と供に何かが崩れる音。
 「何がやっぱりなんだよ!」 絶えることなく襲い来る土の人形を叩き潰しつつ、ザートは叫ぶ様にして言い放った。
 「ここにはほとんど無尽蔵に近いマナが眠っているのよ。噂でしか知らなかったけど、四大転移点(ラグランジュポイント)の内の一つね」 
 「マナ? 何だ、それは?」 
 「エネルギーの塊,魔力の塊とも言うわ。私達みたいな魔術師や、天使や魔族なんか精神世界に近い存在にとっては喉から手が出るほど欲しいものよ。そしてそのマナが湧き出るとされている場所が転移点」 
 「よ〜するにそれが天使達の目当てだったって事か。さっさと封印するか何かしてやってくれ」 
 「封印? 何を言っているの? 貴方にはこの充実感が分からない? 体中から力が湧いてくるようよ!」 魔術師の声には尋常ならざるものがあった。歓喜のそれのようにも取れる。
 「ユーフェ? どうしたんだ? おい、本気か?」 ザートは右手を切り落とした土の人形の頭を、その大剣で叩き割りながら後ろの祭壇らしきものを調べていた少女に問い掛ける。
 「マナに当てられすぎたようだな,ザート、あの娘を何とかしろ。マナの操り人形になるぞ!」 
 「ここはアタイらに任せて、早く!」 
 「操り人形だって?」 ザートは二人のダークエルフに、守護のトラップである土人形達の相手を任せる。
 「どうしたの、ザート? そんな顔して」 魔導師は心からどうしたの、と問い掛けている。彼女程の術者が飲まれるのだ、気を付けねばなるまい。
 「その祭壇から離れろ,ユーフェ!」 
 「貴方にも分けてあげるわ,マナの力を。精神の根源を司るマナの力をね。だからその剣をしまうの」 差し出されるユーフェの細い腕をザートは払い除けた。
 「力ずくでもその場所からどける」 
 「ならば力ずくで貴方を排除するわ,土の矢よ!」 ユーフェの振う杖から幾本もの土でできた矢がザートに向かって飛ぶ。そのことごとくを若い剣士は器用に避けきった。
 「ザート,守護者の数が増えた。もう時間がないぞ!」 ダークエルフの魔導師はそう叫んで、大きな炎の球を迫り来る土の人形達に投げつける。
 ゴウゥ,音を立てて四、五体の守護者が弾け飛んだ。
 「脱出路も限界だ。ひっぱたいちまいな,アタイが許すよ!」 もう一人のダークエルフの女剣士は怒鳴りながら、剣を振う。
 「手が付けられんな、これは」 連打してくる土の矢を避けながらザートは舌打ちする。
 もしもこれがユーフェでなく普通の魔術師ならば隙もあるだろうが、宮廷魔術師の名は伊達ではなかった。
 「しょうがない,その娘は置いてくぞ」 エルフの魔導師が叫ぶ。
 「待て、すぐ連れて行く!」 ザートは言い返し、ユーフェに向かって突進した。
 「死ね」 ユーフェの杖から待っていましたとばかり、光り輝く矢が飛ぶ。それはザートの大剣を突き抜け、彼の左胸に突き刺さった。
 「え?」 ユーフェの表情が固まる。
 ザートの突進は止まる事なく、矢を刺したままユーフェの杖を奪う。そしてその勢いのまま、彼女を肩に担ぎ上げた。
 「は、放せ!」 
 「徨牙,駿牙、逃げるぞ!」 ザートは肩にユーフェを暴れるまま、二人のダークエルフへ合図を出すと供に、ダークエルフの剣士が確保した脱出路を駆ける。
 彼らの後ろからは地の底からの呻き声がいつまでも鳴り響いていた。



 凍てついた大気の下、遺跡の転移魔法陣の上で四人の戦士達が各々荒い息で空気を白くしながら座り込んでいた。
 「守護者は追っては来ないようだな」 駿牙は埃が積もった床の上に座ったまま長剣を鞘に納める。
 「ザート,傷は大丈夫か?」 
 「ああ、光の矢はユーフェが気を失うと同時に消えたしな。何よりユーフェの奴,急所は外していたよ。完全に操られていた訳じゃないようだ」 ザートは傷薬を左胸の傷に擦り込みながら答えた。
 そして当のユーフェはザートの膝を枕として、固い床の上で気を失っている。
 「しかし四大転移点の1つがこんな所にあるとは」 
 「徨牙,良く分からないんだが、そのマナとやらがあると何が出来るんだ?」 ザートは包帯をし終わって、尋ねた。
 「俺達のようなレベルから言うと、魔法が疲れる事なく使うことができるな。例えば隕石召喚の魔法をマナが充分にあれば、千回でも平気で実行できる」 徨牙は淡々と語る。
 「そりゃすごいな」 
 「しかしそれだけに反対にマナに操られることもある。少量ならそんなこともないが、あれだけ大量にあると、この娘程の力量があってもマナに振り回されてしまうようだ」 
 「金みたいなものだな」 それに駿牙が笑う。
 「まぁ、魔族や天使なんかの精神世界の存在にとっちゃ、金そのものだろうな。マナは奴らにとっちゃ力の源,下位の魔族であってもあれだけのマナがあれば、かつて世界を滅ぼしかけた魔王程の力が手に入るだろう」 
 「だからこの像みたいなもので封印してあったのか」 四人によって破壊された高さ2m程の龍を象る像が彼らを囲むように四体配置されていた。それらを破壊することによって転移の魔法陣が現れたのだ。
 そしてその転移先には土で作られた人形・ゴーレムと地霊によって守られていた。守られていたもの、それが魔術師の用語で転移点(ラグランジュポイント)と呼ばれるもの。
 「しかしその封印も解け掛けていたんだろう。これ程の力を隠す魔力を俺達が物理的に壊せるはずがない。ともあれ、このことをお前達の代表に知らせたほうが良い。アークスは魔法が発達しているから、宮廷魔術師とやらが何人か集まれば再び封印できるかもしれん」 
 「ああ、そうだな。しかし封印したところで天使達に目を付けられていることには変わらんな」 困ったようにザートは頭を掻いた。
 「ザート,あんたのお姫様が目を覚ましそうだよ」 駿牙の言葉にザートは膝の上を見る。
 「うっ、あれ? ザート! 怪我は,傷は平気なの?!」 目を覚ますとともに彼女は起き上がり、ザートの胸を叩く。
 「あがっ! ば、ばかやろう,叩くなよ!」 目に涙を貯めてザートは魔術師を突き放した。
 「ご、ごめん。傷は?」 
 「大丈夫だ。お前の魔法なんて俺に効くか」 
 「ふ〜ん,後でゆっくりと治癒魔法を掛けてあげる。取り合えずは…」 
 「そう、シャイロク様に報告してくれ。俺には説明できそうもないからなぁ」 言ってザートは腰を上げる。
 「アタイらはここを見張ってる。衛兵達も連れてきてくれ」 駿牙の言葉にザートは頷き、ユーフェとともに団長リースのいるテントへ足を進める。
 さすがに疲労で溜まったのか、床でぐったりとする2人のダークエルフに遺跡を任せ、その場を後にした。



 時は多少遡る。あれは二回目の天使襲撃から四日後の、昨夜のことである。
 騎士達の目的は当初、北の極寒地との境界でもある山脈から魔族の侵攻を食い止めるといったものであった。
 しかし実際には魔族は未だ現れず、その対極にある存在――天使達が現れ、あろうことか攻撃を仕掛けてきたのである。
 そもそも人間にとって魔族は悪であり、滅ぼすべきものというのが定説。そして魔族はその性質から人前に現れることが比較的多いのであるが、善の象徴である天使――神の使いであるとされるそれは、ほとんどその姿を現すことがない。
 それ故に天使は人間の想像力によって美化されてきていたようだ。天使は幸福を運ぶ存在,そして善の象徴。
 そんな先入観を持った人間達が面と向かって神聖なる天使と戦うなどうまく行くはずもない。それはリハーバーの兵士側に特に顕著に顕れていた。
 自らが悪そのものであるかのような罪悪感が膨らんでゆくそんな中、吹雪く雪をすり抜けて一人の珍しい客がやってきた。
 青く長い髪に雪のように白い肌。そして片手には竪琴を手にしている。
 「私は旅の吟遊詩人。この土地に伝わる唄を歌いましょう」 風のようにいつしか現れた彼女は、竪琴を響かせた。そして居並ぶ兵士達にその唄を唄う。
 不思議な感覚を伴った唄と音色は、聞く者達の心を捕らえるには容易なことだった。



 月が一千満ち欠けるよりも昔のこと,この地に魔王が舞い降りる。
其は美しき面を持ち、月の輝きを放つ髪を風に泳がす乙女の姿を取りし者なり。
そしてその力、魔王の中の魔王,何者も屈伏させし強き魔力を持つ。
その者、尽きることなき魔力を用い、全てを我が物とせん。
その者の力、神の使いたる天使達の長をも引き裂きこれに勝るものはなし。
魔王,その力を以てして最期の力を求めたる。それぞ滅びと生成。
ある所の勇者、その者の光をかざしその影とともに魔王に立ち向かわん。
勇者,地の神アースディの作りし、四の精霊王達と
力ある天使達の祝福せし聖剣を手に魔王を滅ぼしたる。
光,魔王と供に消え行く。残りし影、物語を伝えん。
光の名はアッティファート,心優しき乙女。
影の名,クロースター,翼を持ちし自由を持つ者。
そして聖剣の名,高名なるエクスカリバー。
世に混沌を呼び起こせし魔王の名,ヤシャの者・イリナーゼといふ。




 「魔王? この地に?」 我に帰ったシャイロクは誰ともなく呟く。
 「尽きることなき魔力…天使の長をも引き裂く…」 ユーフェは詩のフレーズを反芻した。
 その二人の様子を一瞥して、吟遊詩人は席を立った。他の観客達からのリクエストを背に受けて。



 「尽きることなき魔力,確かにこの村にありました。地の精霊力という名のマナが溢れる四大転移点の1つです」
 転移点とは精霊界からこの世界に供給される力(マナの一種)が、世界に実在する力に変換転移される噴出点のことだ。例えば風の転移点ならば風の精霊力が『風』として,炎の転移点ならば『炎』として。
 このことから転移点は世界各地に存在する。そしてこの世界には四つの大転移点が存在するとされているのである。
 すなわち地水火風の四大精霊王が直に司る転移点が。
 今回ユーフェ達が発見したのはこの四大転移点の一つ――地の転移点だ。
 「それを天使達が狙っているというのか?」 燃えるような赤い髪の女性の言葉に魔導師は頷き答える。
 「マナは天使や魔族といった精神世界に重心を置く存在にとって、力の源なんです」 
 「分かった。ともあれそのマナとやらを天使に渡す訳にはいかんな。ひょっとすると魔族よりもタチが悪いかも知れない。ご苦労だったな、ユーフェ。早急に何とかしよう,取り敢えず休め」 赤毛の女性の横に立つ青年は、顔色の青いユーフェに告げるが彼女は首を横に振る。
 「自負する訳ではありませんが、魔導を特に知っている者は私とミアセイア王子くらいです。ですから私も何かをやっていた方が…」 
 「今どうこうできるものではないだろう? それよりも休める時に休んでおいた方が良い。この遺跡を中心に我々は駐屯しているのだから、特に今これといってできることはなかろう。いいかい?」 シャイロクに諭され、魔術師は小さく頷き部屋を出て行った。
 再び部屋に二人きりになったリースは相棒に言う。
 「ではここからが私達の仕事だな,シャイロク。至急通信球を用意して宮廷魔導師の団長殿につなげてくれ。急げよ」 専門的な魔術という分野にリースは少し閉口しながらも、頼りになる副官に指示を下した。
 「転移点――尽きることなき魔力という名の力――本当に尽きないのだろうか? 分かるか,シャイロク?」 
 「さぁ、専門ではないので。しかし限界のないものなどこの世の中にあるんでしょうか?」 通信球を用意しながらの副官の答えに、リースは軽く頷くに留めた。



 親愛なる我が友,ブレイドへ

 昇進おめでとう。俺は今、雪国リハーバーで楽しくやっている。お前の方はどうだ? 氷室の奴は元気か?
 昇進して嬉しく思っているお前だろうが、訃報を伝えねばならない。
 俺達が騎士団の門を叩いた時に、歓迎してくれた騎士,タイラスが天使との戦いでここリハーバーに倒れた。
 彼は同じ騎士団の俺にとって、良き忠告者だった…




 ザートはここまで書いてペンを置く。彼は先程ユーフェから受けた傷の為に医者から安静を告げられていた。
 「うっ…」 彼は唐突に頭を押さえる。
 近頃、彼は不意に襲う頭痛に悩まされている。熱はないのだが、いかんせん本調子ではない。時期的にはシーケンスから剣を貰った頃からだろうか。
 テントの外には果てる事なく雪が降り続いている。魔法で暖房処理されているこのテントの中でさえ、その寒さを完全に防ぐことはできない。
 ザートは一人、ベットで寝転んで南で同じく戦っている友に手紙を書いていた。先方は手紙などは書くのを嫌うが、受け取るのは好きという無精者ではある。
 一回目の天使の襲撃の後、ザートの住むテントは焼かれてしまったので他の仲間のいる四人用のテントに移り住んだ。
 しかし二回目の天使との戦いで、このテントはザート一人の物になってしまっていた。
 「ふぅ、寂しくなったものだ。こんな気持ちで手紙など書いても、貰う方も暗くなっちまうな」 彼は手紙を丸めてゴミ箱に放り投げた。
 「誰かさんへのラブレターかしら?」 そのゴミを途中で受け止め、女魔術師は広げる。
 「ユーフェ、入るときはノックくらいしろ,魔法で入ってくるなよ。それに人の捨てた手紙を読むんじゃねぇ!」 
 「…そうね、ゴメン」 手紙の内容を一瞥した彼女は素直に謝った。
 「で、何の用だい?」 ザートは改めてユーフェに尋ねる。
 「本国からの転移点に対する答えが来たの」 やや表情を曇らせてユーフェは言う。それをザートは無言で続けさせる。
 「転移点を天使,魔族に対して死守せよ、だって。相変わらず増援はなし。リハーバーの軍隊を頼んだみたいだけど無理があるみたいね。うちの団長も封印する方法を考えておく,としか言わなかったんだって」 
 「そうか、そんなことだろうと思った」 外の景色を見ながら、ザートは答える。
 「そうか、だけ? 文句とか言わないの?」 少し怒って、少女は言った。
 「本国の方もごたついているんだろう? 第三王子が下克上起こしただとか、東の公国が反旗を翻しただとか、ザイル帝国が侵攻してきただとか,さらには西の港を海賊達が荒らし回り始めたとかさ」 指を折ってザートは数えていく。
 「よ、良く知ってるわね」 
 「新聞読んでるからな、君もマンガばっかり読んでるなよ」 
 「うるさいわね、いいじゃない」 ユーフェは言いザートの寝そべるベットに腰かける。
 「それに…ここを俺は守らなくちゃいけない」 ザートは剣を目の高さで構えて呟く。智天使から預かった剣である。
 「敵の言葉を信じてるの?」 一部始終はザートから聞いてあったユーフェは尋ねた。
 「俺の会った奴は敵じゃない」 答えるザートにユーフェは怒ったように突っ掛かる。
 「どうしてそう言えるのよ!」 
 「何怒ってるんだ?」 不思議そうに彼は首を傾げた。
 「怒ってないわよ」 ザートに不思議そうに問われて我に帰るユーフェ。
 「理由はあるんだよ。あの天使は…多分俺の」 
 「貴方の?」 
 「いや、何でもない。いつか話すよ」 不満気にユーフェはザートを見るが、ザートは話してくれそうもなかった。
 しばらく二人の間に沈黙が拡がる。
 「ところで、さっきの傷は大丈夫?」 恐る恐るユーフェは尋ねた。
 「? ああ、これか。君に回復の魔法を『かけてもらわなかったおかげで』順調に回復してるよ」 笑って傷のある左胸を叩く。ヤブだがそれなりの腕はある軍医だった。
 「今から回復の魔法をかけてあげる」 ザートの言葉にユーフェはゆらりと立ち上がり、呪文を呟き始めた。
 「ま,待て、それが怪我人に対する仕打ちか?」 ベットの端に追い詰められるザート。
 「怪我人だから魔法をかけてあげるのよ」 薄笑いを浮かべてユーフェがベットの上を伝ってジリジリとザートとの距離を縮める。
 その両手には青白い光が灯ろうとしている。
 「やめろ,また俺に三途の川を泳いでこさせる気か?」 
 「今度の回復魔法はしっかりとネズミで実験したから大丈夫よ。覚悟しなさい」 
 「大丈夫なものを覚悟しろなんて言うことが信じられんわ! 秘技シーツ返し!」 ザートはベットのシーツを両手で掴んで思いきり引っ張る。
 「あっ」 それにユーフェはバランスを崩し、ザートに倒れ掛かった。
 ドガシャ,音を立てて二人はベットから落ちる。
 「…ザート」 呟く少女の顔がザートの目の前にあった。ザートはユーフェを抱きしめる形でベットから落ちている。
 落ちたときのショックでか、ユーフェのポニーテールが解けていた。髪が彼女の頬に掛かり、ザートの頬にもかかる。
 「ユーフェ?」 かわいいな――ザートは彼女を素直にそう思った。
 彼女の顔を間近で見るのは初めてだ。そしてそれは宮廷魔術師という大職に身を置きながらも、それ以前に歳相応の女の子であることを彼に思い出させた。
 ザートはユーフェの顔にかかる解けた髪をそっと払う。それに少女は抗わず、ただ騎士の瞳を見つめていた。
 「ザート,転移点の件、ご苦労だった…」 
 「「あっ!」」 
 「お見舞持ってきてあげた…あら」 
 「結構良いテントじゃないか」 
 「アタイらも泊めろよな…って」 
 突然の来客に双方の動きが止まり、沈黙が辺りを満たす。
 数瞬の後、訪問者シャイロクはきびすを返し、言い残した。
 「邪魔したな,続けてくれ」 
 「「ちょ、ちょっと待った!」」 
 「お見舞はここに置いていくからね」 その後を追うリース。
 「「事故ですよ」」 しかし二人の言葉は指揮官達には聞こえていない。
 「やれやれ、若いもんはいいねぇ」 
 「そうですなぁ」 
 「「お前等も見た目は若いだろうか!」」 老人のような事を言いながら、エルフ達もテントから出て行った。
 「行っちゃった」 茫然とユーフェは見送る。
 「ぐわ、シャイロク様は良しとして姫様には絶対に変な噂を流される! 駿牙も口が軽いはずだ! 何としてでもそれだけは止めなくては」 頭を抱え言うザートの袖を、ユーフェは引っ張る。
 「変な噂って、何?」 
 「そりゃ、あの状況で」 
 「そんな噂が流れたら、迷惑?」 寂しそうに尋ねる彼女にザートは言葉を失う。
 「冗談よ,私、姫様に本当のこと言ってくるから」 微笑みながらユーフェは小走りにテントを後にした。
 「あ,ユーフェ!」 ザートの右手は空を切り、雪の中を去って行く少女の姿はすぐに見えなくなる。
 「後で謝った方が良いのかな,やっぱり…」 残されたザートは一人、頭を捻っていた。



 シャイロクは一人の青年とともに酒場のカウンターで対策を考えていた。
 対策とは転移点に対するものである。
 「秀牙,君ならどうする?」 シャイロクの問いに秀牙と呼ばれたダークエルフの青年はしばし思案する。
 オライアンの連れてきた五人のダークエルフの内の一人,この秀牙はシャイロクにはない軍事作戦を立てることができた。
 もちろん考え出す戦術・発想ともにその場その場の状況において適切であるが、それ以上にこの前の天使達との戦いで浮き足だって使い物にならなかったリハーバー軍の半数をうまくまとめ上げ、エルフ族に伝わる特殊な陣形で天使の魔力を下げていたのだ。
 集団魔法という陣形――すなわち個々の潜在的に秘めている魔力を幾何学的に配置することによって引き出すという、人にはすでに失われた知識だ。
 「どうするも何もありませんね。命令通り死守するしかないと思います。しかしあまりその神殿とやらに兵を置くと集中攻撃されますから、それを囲むようにテントを配置したら良いのでは?」 
 「こればかりは気合いで乗り切るしかないな。もっともいつまでになるか分からないが」 溜め息を就くシャイロク。
 「何、溜め息なんて就いてるんだ? 私のおごりだよ、飲みな」 二人の前にジョッキに入ったエール酒が後ろから置かれる。
 振り返るとそこには赤い髪が妙に目に付くリースの姿があった。
 「あんまり仕事に根をつめると体をおかしくするぞ。そういう所は少しはオライアンを見習った方が良いな,シャイロクは」 彼の隣に座り、リースは自らもエール酒を煽って言う。
 「こういう人なんだよ」 
 「大変ですねぇ」 
 「何、二人で言ってるのよ」 リースは二人の参謀を睨む。
 「じゃ、私はこれで。お酒はシャイロクさんに譲ります」 
 「あ、おい,ちょっと!」 一早く逃げ出した秀牙をシャイロクは止めようとするがそこはエルフ,持ち前の素早さでそれは空を切る。
 「全く。逃げ出すとは何て奴だ」 秀牙の分のエール酒を奪って、リースはシャイロクに同意を求める。
 「姫は絡み酒ですからね」 
 「何か言った?」 眠たげな目で聞き返す。
 「いいえ、何も」 リースは明らかに酔っていた。彼女の場合、何か嫌なことがあったりやりきれなくなったりすると酒を飲むのだが、その際の酒癖は非常に悪い。
 酒癖と言っても彼女が暴力を振うのではない。ただ延々と愚痴をこぼすのだ。秀牙はこの前、シャイロクとその愚痴に徹夜で付き合わされたという苦い経験を持つ。
 「で、今日は何の愚痴ですか?」 逃げることは諦めシャイロクはリースに付き合うことにした。ここで逃げたら何をするか分からない姫君である。
 「天使共は何を考えている? 転移点とやらを狙っているようだが、それを使って何をしようとしているんだ?」 
 「さぁ?」 シャイロクはエールを一口飲む。
 「さぁだと? お前に分からないことがあるはずがない!」 言い切ってリースはシャイロクの頭をこづいた。
 ”疲れているな、姫は” シャイロクの心が痛む。
 そもそも本国で王族の命,すなわちリースの命も含まれるが、それを狙う妙な動きがあったため、この北方の地への赴任の任務を彼自身快く引き受けたのだ。
 だが、この赴任地での任務は捕らえどころのないものだった。
 善の象徴として知られている天使が現れたかと思うと、彼らは攻撃をしてくる。まるでリースは自分自身が悪であるかのように思ってしまうのであろう。
 「純粋だからな,この人は」 呟く。
 この対人間でない戦いに、その判断の大部分を副官であるシャイロクに任せきりなのもリースのやり切れなさの一つなのであるが、これにはシャイロクはここまでは気が付いていなかった。
 「いつまで寒いの、ここは!」 無言のシャイロクにリースは理不尽な文句を言う。
 「私達が任務を終了する六月の終わりには暖かくなりますよ」 
 「今、暖かくしなさい」 
 「バーテンさん,お湯持ってきて。熱湯ね」 次の瞬間、シャイロクのエール酒はさらに赤く染まった。
 「バーテンのおじさん,エールのおかわり! 四杯ちょうだい!」 
 「…そんなに辛いのなら、帰るか,アークスへ?」 バーテンを目で止め、シャイロクはリースに囁いた。
 「何言ってるのよ,できるわけないじゃない、そんなこと!」 
 「俺にできないことはない」 部下ではなく友としてのシャイロクの言葉と気付き、リースはバツが悪そうに軽く目を伏せる。
 「ごめん、エールはこの辺にしておく。それに知ってるでしょう? 私が何事も途中でやめるのが嫌いだって事」 エールの入ったジョッキから手を放し、リースは言った。
 「私の為に無茶なことはしないで。もう我儘は言わないからさ。でも一つだけ頼みを聞いてくれる?」 
 「頼み?」 シャイロクは首を傾げて幼馴染みの姫君に尋ねた。
 「今だけは…今だけでいいから私をリースと見ていて」 呟くように言って、彼女はシャイロクにもたれかかった。
 寂しさを紛らわすような賑やかなこの酒場の外は、降り続く雪に静寂の世界が広がっていた。



 彼女は見ていた,自分自身を。死んでなお、その子のことを想っていたのだ。
 だが、純粋なその愛である彼女は今まさに消え掛かろうとしていた。そして別の自分となる。これは止められないこと。
 「ザート,次に会う時は私を切らなくてはならない。私を切って、貴方は初めて楔を断ち切ることができる,だから…」 残された自分という意志をかき集め、彼女は古き友の元へと訪れた。
 古き友,堕ちた存在の一人、アルキミアの下へ…



<Rune>
 アーパスは歴戦の冒険者だと言う。何でも『水剣』という通り名まで付いてるそうだが、僕は聞いたことがない。
 しかしこいつ,悪い奴ではないのだがどうも良く分からない。何故僕がレナード師に会うことを邪魔しようとしたのか,この点については今以て判明しない。
 「ぼけっとしてるな,ルーン!」 アーパスの木刀が迫る。今では糞重たかったこの木刀も、自在に振れるようになった。何でも筋力ではなく、力点の位置で持てるようになるのだそうである。
 アーパスのその斬撃を、僕はやはり木刀で受け止め、刀身に気合いを込める。
 「光波斬!」 気合いは光と衝撃を持ってアーパスを五m程吹き飛ばし、草原に叩き付けた。彼は頭を擦りながらすぐに起き上がる。
 「光波斬のカウンターとはな。ったく、やってくれるぜ」 
 ここへ来て一ヶ月、すでに僕は気の操り方をマスターし、今は実践段階だ。始めは剣技ともに僕より秀でていたアーパスと今では互角にやりあえるようになった。
 「俺は未だに気を操れないってのにな」 溜め息を伴い、彼は呟くように言う。
 「う〜ん、コツさえ掴めば…ねぇ。それまでの辛抱だよ」 
 「難しいもんだな,もっともこんな短期間でここまでできること自体、自分でも不思議だがな」 言って、彼は草の上に座る。
 僕もそれに習って草原に寝転がった。日は沈み掛け、地平線を赤く染め初めている。
 「精が出るね,お二人さん」 その声に振り向けば、荷馬車の上から行商人のおじさんが微笑んでいた。週に二回訪れる馴染みの人だ。
 「よぉ、何か変わったこと,なかったか?」 アーパスが尋ねる。外界のことはこのおじさんからしか聞けない。
 「特にないなぁ。まぁあると言えば…南の方でザイルとアークスの緊張が高くなってる事かな,あと熊公ヌーガンシュがアークス正規軍に敗退を続けていると…。ああ、そうそう,地域的な話で悪いんだが、東の熊公国の外れの町ですごい二人組の冒険者に会ったよ」 パイプに火をつけながら、おじさんは言う。
 「すごい冒険者…ねぇ」 僕は呟く。
 「ああ、女二人組でな。一人は冷気を纏った凄腕の剣士,もう一人は人間離れした体術を駆使する武闘家さ。あの二人はこれから有名になるね,きっと」 
 「ほぉ」 アーパスは嬉しそうにそう答えた。
 「ま、二人とも修行に励んでくれよ」 そう言い残し、おじさんは馬に鞭を入れるとその場から去って行った。
 「さ、俺達も帰ろうぜ」 立ち上がるアーパスに、僕もまた腰を上げた。



 「どうだね、修行は」 レナードは尋ねる。ゲルと呼ばれるテントの中で、ランタンの明かりがレナードと、僕と,そしてテントの中を照らす。
 「ええ、上々だと思います」 
 「アーパスとはうまくいっているかい?」 カップにお茶を注ぎながら、レナードは微笑みながら言った。
 「先輩…というか,兄の様に接しています。アーパスにしても僕のことをそう思っているんじゃないでしょうか?」 
 「兄…か?」 それにレナード師は、やはり僕には怖いとしか思えない笑みを浮かべて答えた。師は視線を変える。それに僕もそちらに目を移した。
 そこにはタオルが一つ,アーパスの物だ。
 「確か今、アーパスは??」 
 「裏で風呂です…ああ!」 僕はレナードの言わんとしたことに気が付いて、タオルを手に取った。
 「ぶわっくしょん!」 テントの外でそんな声が聞こえる。今の時期、まだ風呂上がりは寒い。僕はタオルを手にテントを出て裏に回る。
 風が僕に吹く。まだ冷たい北風だ。ふと空を見上げると満天の星々が瞬いていた。
 「おい,アーパス。タオル忘れただ…」 ドラム缶の湯船にもう一度戻ろうとしているアーパスを視界に入れ、動きが止まる。
 「げ、ルーン?!」 
 「アーパス、何で胸があるん…」 
 次の瞬間、アーパスの振りかざした腕から気がほとばしり、見事な光波斬となって僕を彼方へ吹き飛ばしていた。



<Camera>
 「アーパスもようやく気を操れるようになったようですね」 言いながらお茶を一杯。
 ”中々の悪人ね,貴方。アーパスのタオルを抜いておくなんて”
 「考えすぎですよ,偶然ですって」 
 ”どうだか…でも、ルーンも鈍いわね。アーパスに気が付かなかったなんて” 刀からそう溜め息が聞こえた。



 その夜――
 ”ルーンを強く,全ての力を統べるほどに強く…”
 イリナーゼはまだ見ぬ思念の主の声を聞く。
 ”本当にあの人に合わせてくれるの? あの暖かい人に!”
 ”約束は守る…かつての魔王よ…そのためにも強く…”
 思念の主、すなわちイリナーゼ自身である剣の思念はそう言い残し次第に消えて行く。
 ”ルーン…か。私達は運命に曳かれているのね” イリナーゼは高く登った草原の月を見上げて、寂しく呟いた。



〜 Promenade 〜



 ―――バーテンさん,紅茶に少しブランデーを入れてくれないかしら?」 吟遊詩人の言葉に酒場の主人は微笑み、注文に応じる。
 「ねぇ、お姉さん。このお話、お姉さんが直接見ていたの?」 赤い髪を揺らしながら尋ねる少女に、青い髪の吟遊詩人はただ微笑むだけだった。
 「さぁ、続けるわよ。心を開いて聞いてね―――



   離れし者,その心は離れず。
   娘は彼を想い、彼は翼ある者を想う。全ては連関の輪の如く。
   想いは続く,命の続く限り。
   そしてその跡に歴史という名の物語が残る。
   綴られしものは彼には綴りしもの、彼は道を切り開く。
   唯一つを追い求めて………




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