4−1
第四章
<Camera>
吹雪が息苦しいほどに舞う。視界が白一色のこの地で生物の生存は不可能とされる。
リハーバー共和国が北に連なるシルバーンの大山脈。その深い雪の向こうに広がる果てしなく広がる雪原は白すぎて、上下左右の感覚を失いかけてしまうほどだ。
何もない、虚無の地――ただ白の地平線だけが伸びる吹雪が尽きる事のない死の大地――
が、この大雪原に氷で作られた城があった。
低温の為に劣化を起こしにくいこの大地における城は、いつ建立された物かの判定は不可能だ。
しかしこれだけは言えよう。
『人の作り出した物ではない』
その沈黙の雪原に鎮座する城から、やや離れた所に人影が一つあった。
それは若い女。吹雪にそのポニーテールに結った長い亜麻色の髪を任せ、ジッと虚空を見つめている。
驚くことに彼女はこの極寒地にも関わらず、白いドレス――婚礼服を一枚着こんでいるだけだった。吹雪の中で長いスカートの裾が激しくはためく。
彼女の虚空を見つめる表情に不意に厳しいものが混ざった。
「力天使七体に主天使四体,結構手強そう…かな?」 呟きはやや高めのピアニッシモ。
何が見えるのか、彼女は前髪を掻きあげた。
「でもマスターも酷いわ。可愛い私をこんな男っ気がないとこに置いてくんだからね」 そこまで言う彼女の頭上に、吹雪に混じって幾つものエネルギー弾が降り注いだ。
「全く。貴方達も私をなめんじゃないわよ!」 彼女は右手を振り上げる。同時に薄い紫色の球状の膜が彼女を包み、それはエネルギー弾を軽く弾いた。
「Application Program/冥王超振動!」
叫ぶ彼女のその振り上げた左手が赤く輝いたかと思うと、次の瞬間には白かった雪原が赤く染まる。
赤さは彼女の上空にいた浮遊体を高温で焼いた。そしてその数瞬後には、再び雪原は元の白さを取り戻す。
「この雪音様の力、思い知った?」 吐き捨てる彼女の前にはいつしか、剣を持ち鎧を着た翼ある男達が数人立っている。彼らの誰もが大きく焼け爛れ、ひどい傷を負っていた。
そんな傷にも関わらず、彼らは彼女――雪音に切り掛かった。
「悪いけど、貴方達,力天使は私の好みじゃないの」 軽く身を捻らせて二体の力天使達の剣戟を全てかわし、両手を合わせる。
「味はまあまあだけどね,AP/理力吸収!」
雪音のポニーテールが解け、亜麻色の髪が風に広がった!
そしてその髪はまるで生き物のように伸び、彼女を狙う二体の天使達に絡みつく。
「「キャオオオオォォォォ」」 絡まれた二体の天使は断末魔を挙げながら、瞬時にして干からびて消えていった。
再び雪原は吹雪の音以外の雑音の存在をもたなくなる。
雑音の中の静寂はしかし、数瞬の間だけ。
今の戦闘を一部始終をそれを見物していたのであろう――四体の天使が虚空より生まれ出で、雪音を十字に囲んで具現化した。
「惨いことをなさいますね。生きたまま食べてしまうなんて」
「こやつは確かに、この世界に存在してはならん技術でできている」
「神に代わって我らが罰を下さん!」
「その通り」
「語託は良いのよ,主天使ども」 不機嫌に雪音は囲む四人の翼ある者達に言った。
一人はあどけないない少年,そして筋骨隆々の男に老人,美しい女の四人の天使だ。
「そんなに人間になりたいの,貴方達?」
雪音は辺りがさらに凍りつくような鋭い冷たさを持って言い放つ。その雰囲気に天使達は一歩後ずさる。
「我らは高度な存在。人間などという低俗な存在になりたいなどとと思う訳がなかろう」 老人の姿をした天使が静かに反論した。
「天使は第六位辺りから知能を持つようね,第五位の力天使は口が達者だけど姿形が皆一緒。第四位の貴方達は姿が取り合えずは皆違う」
「何が言いたい?」 女の天使が朗々と語る雪音に、手にした剣の切っ先を向けて尋ねる。
「つまり私が思うに、貴方達天使はやはり人になりたがっているのでしょう?」 彼女の言葉に一瞬の沈黙の後、天使達は笑い出す。
「何度言わせる! 我々が下等な人になりたがっているだと? 笑わせるな,こうして姿形を変えているのは個性を出す為」 男の天使が叫ぶように言った。
「その考え方が人に似ているわ…貴方達を指揮しているのは一体誰?」
「そんなことを君に教える必要はないよ。おしゃべりはここまで!」 少年の天使は言い、剣を構える。それに呼応して他の三人の天使もまた、剣を握り直す。
「どちらにしろ貴方達は滅ぼさなければいけないわね」 雪音は一人、そう呟くとその姿が揺らぎ、消えた。
「「クォォォ!」」 次の瞬間には老人と女性の姿を取った天使二体の体が両断されていた。二体は絶叫を挙げて吹雪と供に散る。
「何という破壊力だ,異世界の技術はここまで進んで…」 呆気に取られる少年の天使もまた、その首が雪音の手刀によって飛び、滅ぶ。
「貴様、こんな事をしてただで済むと思っているのか?」 一人残った男の天使が後退りながら殺戮者に問う。
「今更何を言っているの? 私に天罰を下すんじゃなかったのかしら?」 あまりに呆気ない主天使に微笑みながら、彼女はゆっくりと残る一人に近づく。
「なめるな,木偶人形めっ!」 切り掛かってくる最後の天使を、やはり雪音はその手刀で瞬時に滅ぼした。
最後の一人もまた、その存在が吹雪の中に解け崩れる。
「私が人形なら、貴方達は心を持たない生き人形ってところね」 忌々しげに雪音は呟いた。
再び北の大草原は吹雪という沈黙に閉ざされる。しかしその永遠とも思われる沈黙はそう長くはないことを、彼女は知っていた。
アルバート第一王子はベットの上で目を覚ました。彼の胸の上には疲労の色を見せて眠っている一人のエルフの姿がある。
彼は自分の体が深い傷を負っていることを思い出す。今はその傷はほとんど塞がっていた。
彼は眠るエルフに心の中で礼を言うと同時に、その存在を確認するかのように彼女の手を強く握った。
アルバートは靄の掛かった記憶の糸を手繰り寄せる。そう、あれは乱戦状態の東の公国,熊公領首都ブルトンの王城でのことだった―――
「動くな!」
熊公ヌーガンシュ=ブルスランはターバンを巻いた少女の細い首筋に短剣を突き付ける。
熊公は反逆に際し、兵を一千余り招集し糧抹を蓄えていた。ザイル帝国及びミアセイア王子の呼応により反旗を翻したところを、クラールの率いる騎士団と央国の指示により動いた北の公国・虎公軍の兵に囲まれ、各地で敗退・撤退を余儀なくされたのだ。
そして熊公城に立て籠もること一ヶ月と二十日、決死隊により城門は開かれアークス軍が雪崩込む。
その時、アルバートは決死隊に加わっていたエルフを捜していた。
彼がそのエルフの存在を確認するのに一ヶ月かかってしまったのが、そもそもの失敗だった。シシリアの行っている仕事との両立は彼にはやはり無理があったのだ。
ともあれ、ようやく所在が分かったと思いきや、エルフは決死隊において捕虜にされてしまっているという。
アークス城に負けるとも劣らない広大な敷地内の至る所で剣を交わらせ、将軍クラールを先頭にしたアルバート一行五人はついに元凶である熊公を王の間に追い詰めた。
斧を使わせれば右に出るもののいない熊公ブルスランでもアルバート王子、クラール、ナセル、シュール将軍の副官ブラドの四人の使い手を前にしては負けは必至。そこに魔導師の援護があるのだ。
そこでブルスランは決死隊の最後の生き残りで捕らえた魔術師を人質に取った。よくアルバートの側についていたという朧気な記憶で生かしておいたのは正解だったらしく、王子の顔には動揺が走っていた。
「卑怯な! ザイルに寝返るだけでなく人質まで取るとは!」 クラールの叫びにヌーガンシュは笑い声を上げながら後退する。
「要は勝てばいいのだ。違うか,シキム伯? お主と私は似た者同士だと思っていたのだが」 玉座を強く押すと後ろの壁に隠し通路が現れる。
「ではまたどこかで会い見まえよう!」
と、笑う熊公の顔が苦痛に歪む。腕の中に捕らえられていた少女がその腕を噛んだのだ。
「小娘が!」 ヌーガンシュがターバンの少女に短剣を振りかざす!
「フレイラース!」 アルバートが走った!
ヒュ,音を立てて一本の矢がブルスランの短剣を持った二の腕ごと背面の壁に縫い付けられている。
「な?!」 予想外の方向からの攻撃に動きを封じられた熊公。
「終わりだ」 アルバートの黒身の剣が大男の右肩から胸までを切り裂く! 赤い噴水をほとばしらせながらブルスランは後ろに倒れていった。
束縛を解かれた娘はそのままアルバートの胸に飛び込む。アルバートは彼女をその存在を確かめるかのように強く抱きしめた。その二人に熊公の血走った目が向けられる。
「アルバート王子,せいぜい気を付けるがいいさ、お前の身内に刺客がいるのだからなぁ。わしも所詮は一つの駒に…ぐぁぁぁ!」 そして熊公ヌーガンシュ=ブルスランは炎に包まれ、絶命した。呪語魔法の炎の呪文である。
「イルハイム!」 ナセルの言葉に緑色のローブの魔導師は表情を見せずに彼の前から立ち去った。
事の結末を見届けクラールは、彼のいるところからは2階にあたるテラスに向って振り向き、深く頭を下げる。
矢を放ち、友人を救ってくれた恩人は照れ臭いのか、無愛想に手を振ってその場を去って行く。その姿を彼女の忠実な部下,ブラドはクラールと共に微笑みながら見送った。
「ナセル,イルハイム,ブラド! 残軍処理に向かうぞ」 クラールはブルスランの焼けた死体から首を切り取り、二人を連れて王の間を出て行く。
外からの微かな喧噪を伝える最後の砦には、少女の泣き声だけが小さく響いていた。
「アル,ごめん、ごめんね…」 アルバートは泣きじゃくる少女の頭を軽く撫でる。彼もまた、今はただ彼に必要な人の側に居たかった。
しかし、
「アルバートだな?」 板金の鎧を身を纏った五人の男達が二人を囲む。兜の奥で光る眼光には明らかに殺意の光が宿っていた。
鎧の胸元に付いた紋章は二本の斧――紛れもないクラールの率いる騎士団のもの。
「熊公の言っていた刺客か?」 返事をする事なく男達は思い思い剣を抜き放ち、二人に襲い掛かる。アルバートは剣を抜くと相棒に目配せする。それにターバンの少女はいつもの笑顔で応じた。
「速き雷の精霊よ,我が前方を汝の洗礼で清めたまえ!」
アルバートを背にしたフレイラースは両手を前にかざす。その両手の内から輝く球体が現れたかと思うと彼女に襲い掛かろうとした三人の刺客を電撃が襲う。
「ハァッ!」 アルバートの剣は安々と一人の刺客を鎧ごと紙を破るように切り捨てた。返す刀、もう一人を下から切り伏せる。
アルバートが二人目を倒したのと同時に、フレイラースの精霊魔術で三人の刺客が声を上げる事なく電撃で焦がされ絶命した。
「身内に刺客がいたとはな,一体何処のどいつが…」 刺客達を改めて見下ろした時、廊下から金属鎧の音を立てて一人の騎士が現れ、開口一番言う。
「アルバート様、先程怪しげな集団が…お怪我はありませんか?」 騎士ナセルは彼ら二人の周りに散らばる賊の姿を見ながら歩み寄る。
「ああ、大丈夫だ。こいつ等の素姓を調べてくれ。親玉を叩き殺してやる」 剣を鞘に納めながらアルバートはナセルに背を向ける。
「その必要はありませんよ」
「ん? どういう事だ?」 ナセルの確信に満ちた言葉に彼は不満気に振り返り、驚愕と苦痛の表情を露にする。
ナセルの大剣がアルバートの右肩から胸まで食い込む!
「アル!」 フレイラースの叫びが講堂に響いた。
「死になさい,王子! あなたは邪魔なんですよ」 剣に力を入れる。大量の血が剣を伝ってナセルの手を濡らす。
「貴様が…ブルスラン公の言っていた刺客かよ」 血を吐いてレイトールの剣に手を掛けるが、それ以上体の自由は利かなくなっていた。
「あなたとともに過ごした長い時間、騎士としての屈辱の時間は決して忘れませんよ、さようなら!」 大剣に最後の力を込め、アルバートを鎧ごと両断した場面を思ったナセルだが、力は込めることができなかった。
不審気に自分の腕を見つめたナセルは絶叫した。彼の両腕は大剣を握ったまま二の腕で断ち切れていたのだ。
「一体?!」 疑問と恐怖の表情を残し、ナセルはフレイラースの小剣によってその首を断ち切られた。
「アル,アル! いやぁ!」
意識のないアルバートにすがり付く少女を押し退け、何処から現れたのか,緑色のローブを着た男――イルハイムはその骨のような細い腕で彼に突き刺さった大剣を抜き放つ。
さらに血がほとばしり、アルバートの顔色は青くなっていく。
盛大な返り血を受け、イルハイムは己のフードを後ろへ下げる。彫りの深い老域に差し掛かった、やや禿げ頭気味の男の顔が現れる。血色は悪く、この状況にさらに悪くなっている様にも思える。
「フレイラース,治癒魔法だ、まだ助かる」 静かに言うイルハイムの言葉には死神を近くに見ている響きがあった。アルバートの傷は誰が見ても簡単に助かるようなそれではない。
しかし強力な精霊魔術師のフレイラースの力を以てすれば助かるかもしれない,そうイルハイムは自ら最も恥じる行為――祈りを抱いていた。
軽いノック音と伴に一人のローブの男が入ってきた。
「イルハイム、ここはどこだ?」 未だに顔が青いアルバートは上体を起こして尋ねる。
「首都ブルトンのとある一軒屋だ。クラールの計らいで借りている」 答え、彼は一冊のファイルをアルバートに手渡す。
「現在の国内外の情勢を記録しておいた,いろいろ起こったのでな。それとフレイラースには礼を言っておけ。一週間も眠らず、お前に治癒魔術を掛け続けていた。とてつもない精神力だ」
「ああ」 彼は膝の上で眠る彼女にそっとシーツを掛けてやる。
「しかしそれだけではないだろう? あの傷では助かるはずもなかった。何かあったんだろう?」 アルバートの問いにイルハイムは静かに頷く。
「お前は運が良かった。自称錬金術師に会ってな,その男が幻と言われる薬エリキサを譲ってくれたのだ」
「ほぅ、で、その錬金術師は今?」
「さぁな」
「そうか」 ともに興味が失せたように話題を切り、アルバートはファイルを開く。
そこには相変わらず物騒な事件が書かれている。その内の一つに彼は目を見張る。
『アークス−ザイル南部戦線,終結!』
アークス皇国が央国の南部と南の獣公国である龍公国の北部に広がる広大な草原―――フラッツの大草原に、シェパード犬の頭を持った遊牧民がいる。
彼は一人、沈み行く夕日を地平線に眺めながら、その光景に見惚れていた。
地平線の向こうから何か高速で近づいてくるものがある。それはみるみる接近してくるとノールの前で止まる。
「何年ぶりだろうな、レナード」
「お久しぶり」
「いきなりな珍客だね」 レナードは二人の旧友の前に苦笑した。かつては敵にもなり、良きライバルにもなり、無二の友でもあった二人を前に。
「息子がお世話になったわね。ありがとう」 白髪の魔女は微笑んで頭を下げた。
「君達二人の息子だとは未だに信じられないよ。喧嘩をするほど仲が良いとは良く言ったものだ」
「よけいなお世話さ、そういうお前はまだ結婚してないのか?」
「私を想ってくれる女性が現れないのでな」 受け流すレナードのその言葉にフィースは溜め息を就く。
「ライブラの気持ちが分かるわ。鈍感な人ね」
「ライブラ? 彼女がどうかしたのか??」
「何でもないわよ」 疲れたようにフィースはレナードに言った。
「しかし君達がここへくるというのは、ルーンの修行の結果を聞きにきた訳ではないようだな」 レナードは知らずの内に、腰の剣に手が行く。
「ええ、門は確実に抉じ開けられつつあるの。『人』が施した仮初めの封印ではやはり何処かに漏れが生じてくるみたいね」
フィースの夕日に照らされた沈痛な表情に重大さを読み取ったレナードは彼らに背を向ける。
「分かった。すぐに支度をしてこよう」 言って彼はユルトに歩き出した。
ユルトを取り巻くように、十数頭の馬とその倍の数の羊,三頭の犬がいる。彼らは主人の旅をまるで知っているかのように二人の珍客を恨めしそうに見つめていた。
<Rune>
多少時間は溯る。
レナード師の元で2ヶ月ほど修行をし、超特急の免許皆伝を受けた僕とアーパスは、師の元を離れて本来の目的に向かって歩き出した。
今、僕達はフラッツの大草原をそのまま南南西に向かって歩を進めている。南南西には南の公国・龍公国の南の副都心ガートルートがあるのだ。
「なぁ、ルーン。本当に水の祠へ行くのか?」
「当然」
アーパスの止めた方が良い――もとい止めろ、というニュアンスを含んだ声に僕はきっぱりと答える。
レナード師の下で一通り修行を終えた僕に、イリナーゼはこう語った。
”西の,アークスの西の海にある水の祠に行きなさい。そしてそこにあるという遠見の鏡で、貴方の捜す人を見つけると良いでしょう”
遠見の鏡というのは幻とされる魔法の品で、どんなものでもその在り処を写してくれるというものだ。水の祠というのは初耳だが、取り合えず西の海に出てみれば足は付くだろう。
その旨をレナード師に告げた途端、アーパスのヤメロ攻撃が始まった。
「お前はその剣にたぶらかされているだけだ。止めておけ。危険すぎる」
どんな危険かは全く教えてくれないが、とにかくアーパスは止めさせようとする。そしてついに自分も付いて行くと言い出したのだ。
一体彼(彼女ではあるが、女扱いすると殺される)は水の祠と何があったのか,余計僕には興味が出たのは言うまでもない。何より彼の目的は何なのか、未だに分からない。
僕達は三日後には街道に出、その真っ直ぐ西へと延びる街道をひたすら歩いていた。
レナード師の下を出て五日目の昼下がりのことであった。
「一雨来そうだな」 アーパスがどんよりと黒い空を見上げて呟いた。黒い空は落ちてきそうで、纏う風は水の匂いを帯びている。
もう四月の始めであるこの地では、雪の姿はなく小春日和が続いていたのだが。
「アーパス,何か右手の方向で土埃りが舞っているんだが?」
「ルーン,左手から何か近づいてくるぞ」
互いの言葉に僕達は両側を見比べる。確かに広範囲に渡って何かが近づいてくるではないか!
そして次第にその姿がはっきりとしたシルエットとなって視界に入る。
「ぐ、ぐぐぐぐ」 その正体に僕は言葉が詰まる。
「喉が詰まったか?」
「ちっが〜う! 軍隊だ! 右手のはアークス,左手のはザイル!」
「ほぅ、何だ,つまらん」
「つまらなくない! 巻き込まれるぞ―――
僕の言葉の最後は馬の蹄の音にかき消される。丁度街道を挟んで両軍の騎馬隊が衝突した!
その合間を僕達二人は何とかくぐり抜ける。
「に、逃げるぞ,アーパス! うわわっ」
「らじゃ〜,おっと」 飛び交う飛槍の応酬を避けながら、僕達は互いを見失わないように戦場から離れよう努力する。
「「おおおおおおぉぉぉぉ!」」 戦いの第二波,歩兵隊がくる。さらにアークスでは皇国魔術師隊,ザイルでは弓射手隊が入り乱れての混戦となった。
「おっと!」 僕はザイル側の傭兵が繰り出した槍の一撃を紙一重で交わし、アークスの騎士の剣戟を身を捻って避けた。
「ふざけんな! 光波斬!」 僕の背後からアーパスの声が聞こえ、レナード師から学び受けた技がザイル陣営に炸裂した。
半月上の光の衝撃波,それは10m四方を軽く吹き飛ばす攻撃系の操気術である。
「馬鹿! 関わるなよ,今ので本格的に標的にされるだろ!」
今のアーパスの攻撃で、ザイル側の傭兵や騎士達が僕達の方へと向かってきてしまったではないか!
それに呼応するようにアークス側も集まっているように思える。
「だってこいつら、俺の顔に傷を付けたんだぜ!」 チラリと見たがそんなものは痕すらないじゃん!
さくっ
「!」 唐突にアーパスの額に一本の矢が突き刺さった!
「アーパス!」
「いたたた,ざけんな!」 彼はそう叫ぶと額の矢を抜き、矢の飛んできた方向へ光波斬を投げ付ける。
「い、生きてるの?! ど〜して?」 額に唾を付けるアーパスを僕は茫然と見つめた。どうやら彼とは鍛え方が違うらしい。あ、傷も治ってる…??
「ザイルの弓騎士か、殺気すら感じさせないな。さすがといったところだ」
アーパスの言う通り、アークスが魔法の王国であるのと対比して、ザイルは元狩猟民の国である。そしてザイル騎士団と同等の位置にある部隊,それが弓を扱う弓射手隊だ。
弓騎士の矢一本は人の命三つを奪うと言われているほど、その命中率と破壊力は大きい。それに当たって何ともないアーパスも化け物だが…っつうかどうして生きてるのだ??
「さっさと逃げよう,早く」
「そうですね、こんな物騒なところは早く抜けましょう」
「誰だ? お前」 アーパスと僕の間に深い緑のローブに身を包んだ青年がいた。
「私,ラダーと申します。街道を歩いていたら突然戦争でしょう,びっくりしましたよ」 のほほんと答える。『しました』と過去形にしているところに只者ではないものを感じさせるが。
金色の長めの髪に不思議な金色の瞳を持った色白の青年だ。額に銀の魔法文字の刺繍の入ったバンダナを巻き、何か長い金属の筒のようなものをローブの間から覗かせている。笑顔に目が細いのは、どうやらそれが地のようだ。
「ルーン,残念だが簡単には通しちゃくれないようだぜ」 アーパスが剣を構え直した。
「全部アーパスのせいじゃないか。僕は何にもしてないぞ」 呟き、僕も魔剣イリナーゼを構える。
僕達はザイルの騎馬兵・十数人に囲まれていた。おそらく局所粉砕を名目に動いている、ザイル特有の遊撃部隊と言ったところだろうか。
「おやおや、私も手伝います」
「すみませんねぇ」
ラダーはローブの中に隠していた、金属の筒を突撃兵の持つランスの様に構えた。一体何の武器かさっぱり分からない。
”レナードの技を私で試してみる良い練習台ね” イリナーゼの思念に僕は眉を曇らせる。襲ってくるとはいえ、あまり戦いは良くない。
「潰せ」 隊長ら馬上の男の指揮の下、ザイルの騎馬兵達が次々と槍を繰り出してきた。
「この俺に剣を上げたこと,後悔させてやるぜ! 地の精霊よ、震撼せよ,その顎とを開け!」
アーパスの地の精霊魔術は彼の回りに段差を引き起こす。それに躓いて馬から転倒する騎士が次々と現れた。
「消えろ,光波斬!」 そして段差にまごつく騎士達に向かって楽しそうに気を放つ。
片やラダーと名乗る旅人は、構えた筒の先を騎士に向けると爆発音とともに筒の先から飛び出した何かが騎士を射抜く。どうやら彼の武器は飛び道具の一種らしい。
”ほら、ぼぅっとしてないの!” イリナーゼの言葉に僕は剣に気を集中させる。
前方から騎馬兵三騎,いや五騎に増えた。
僕はイリナーゼに集約した気を形あるものとして創造,発散させる!
「颯風流!」
振り下ろした剣からすさまじい風の流れが生じ、騎士達をその馬ごと数十m吹き飛ばした。
もっとも吹き飛ばしたのはアークスの兵も含まれていたりする。
”そんな技じゃ誰も死なないわよ”
「死なないからやってるんだよ」 イリナーゼの”甘いわ”という言葉を聞きながら僕は再び剣を振った。
何度剣を振っただろう,いつしか戦いはザイル側が引き上げることでひとまずの終焉を向かえていた。
「怪我はないか,ルーン?」 アーパスが疲れ顔で尋ねる。それに僕は無言で首を縦に振った。
「無事で良かったですね,私は疲れましたよ」 ラダーは口ではそう言うが表情は全くそんなことはなしに言う。
僕はその場に座り込む。気の源は生命力なのだ。使えば使うだけ疲れるというのは説明するまでもない。
「おおっ? やっぱりそこにいるのはルーンじゃないのか?」
聞き覚えのある声が僕の背後の方から聞こえてくる。振り返ると中年のおっさんが遠くから走ってくるのが見えた。
むさい顎と頬髭、そして両手にそれぞれ持った斧,貫禄のある体。どっからどう見てもおっさん――僕の故郷エルシルドの街の警備隊長ケビン=コスナーである。
「ケビン,どうしてここに?」 やってきたケビンに開口一番、僕は尋ねた。しかしそれを彼は聞いていない。
「大騒ぎしてたのがお前だとは思わなかったぜ,しばらく合わないうちに随分と逞しくなったもんだな」
「ルーン,誰だ、こいつ?」
「同郷の知り合いだよ。ケビン,この人はアーパス」
「よろしくな,ケビン=コスナーだ」
「おっさんと知り合っても嬉しくない」 素っ気なくケビンの差し出した右手を無視するアーパス。ケビンは困った顔でその手を引っ込めた。
「で、そっちの人は誰だい?」 ラダーを尋ねるケビン。それは僕も聞きたい。
「ラダーと申す一介の旅行者です」
「その武器は?」
「銃と呼ばれるものですよ。初めて見るでしょう?」 僕の問いにラダーは微笑みながら嬉しそうに答えた。
「で、ケビン。僕達に何か用があるんじゃないの?」 用がなければ、この男の性格からさっきアーパスと喧嘩になってきたことだろう。
「ああ、鋭いな。団長がお前らに会いたいんだとさ。とにかく付いてきてくれないか」
「やだね」 アーパスは取り付く島もない。
「アークスの兵もお前達のよく分からん術を受けて少なからぬ被害を受けてるからな。おとなしく来てくれないと追いかけ回すことになるかもしれないぜ」 溜め息を付きながらケビン。まぁそう来るとは思ってはいたが。
「私はお尋ね者にはなりたくありませんねぇ」 ラダーが微笑みを崩さずに腰をあげる。
「会うだけだよ。行こう,アーパス」
「しかたねぇな」 僕達二人も重い腰をあげた。実際に脱力感で重いのだ。
「そんじゃ、ついてきてくれ」 ケビンは僕達三人を先導し始めた。
鷲の紋章は第二騎士団のものであった。アスカとともに第五騎士団の団長・ハノバ=テイスターの下でウルバーン第三王子と戦ったのがつい二,三ヶ月前なのに大昔のような錯覚に陥る。
そう言えば今の第二騎士団の団長は誰なのであろうか? もっともそれを知ったからといって得することは全くないのだが。
そしてここには草原で今まで暮らしてきたレナードの家のように、テントが無数と思えるほど並んでいた。
ここでは第二騎士団と傭兵,皇国魔術師隊,何よりその圧倒的な数の南の公国・龍公国の兵士達がいた。
ケビンに連れられた僕達はアークス軍の仮幕舎の内の一つへと入る。
「第四傭兵隊隊長ケビン=コスナー,ターゲット三を捕捉しました」
「ご苦労だった。この三人か,あの奮戦をしたのは」 テントの中には三人の男が待っていた。彼らは皆若者の域である。
ケビンの言う団長であろう,机に腰かける若いニールラントの青年――大剣を足下に立て掛け騎士団団長を示す簡素な額冠をした剣士が僕達三人をしげしげと見つめて言った。
「あ、ルーンじゃないか!」
男の一人、金髪の青年がふと声を挙げた。見るとそれはケビンと同じく、エルシルドの街の警備兵だったキースだ。
「キースも街を出たのか?」
「どちらかと言うと追い出された,かな。それはそうとクレアが捜してたぜ。俺達は彼女とはアークスで別れたが」
「クレアが街を出た? どうして?」 思いも寄らないキースの発言に僕は声を荒げる。
「だから、お前を捜してだよ。怒ってたぜ,私を置いて行ったって」
「置いて行ったって…そんなつもりじゃ」
「こらこら、俺を無視するんじゃない」 団長が多少怒ったようににキースとの会話の間に入った。
「キースの友達ということは君はアークスの人間だな。力を貸して欲しい」 まだ若い団長はその鋭い目で僕に言う。
「俺はアークスの人間じゃないぜ」
「私も国を持たない旅人です」 しかし同行者である二人の文句は黙殺。
「今は少しでも力が欲しい時なのだ。すでにザイル帝国によって龍公国の南の壁・ガートルートが先日陥とされ、その戦いで龍公は命を落とされた」 苦しげに若き団長は言う。
「うそ…」 僕の予想し得なかった事態に呟く。
「嘘なら嬉しい」 若い団長は続ける。
「圧倒的なのだ,ザイルの戦力は。その戦力に対し、我々アークスは西は海賊,東は熊公の反乱と戦力が分散されてしまっている。このままでは龍公国首都どころか、央国にいつザイルの軍が入るか分かったものではない」
「旅の途中で帝国王族のセンティナ卿が仲裁に入ったと聞きましたが」 ラダーの言葉に彼は首を横に振る。
「問答無用で捕まったようだ。後日、センティナ殿と供に向かったアークスの騎士達の首が送られてきたからな」 と溜め息一つ。
「で、俺達に何をしろってんだい? 個人の力なんてのは団体の力にはかなわないもんだ」 アーパスに若き団長が静かに答える。
「その通りだ。しかし団体の力というものは個人の力から生まれているのを忘れてはいけない。先程の戦いで君達の活躍を見せてもらった。アークス側にも多少なりとも被害は及んだが、十分すぎるほど強い力だ。そしてそれは君の言う団体の力に大きく影響を与えるだろう」
「でもどんなに押されているとは言え、央国にまで攻め入られるということは…」
「グラッセという名を知っているかな?」 不意に団長は有名な名を出してきた。
「グラッセ――二十年程前のザイル帝国の将ですね。非道な戦略でアークスの白亜の城を赤く染めた事で有名な」 僕は答える。
二十年程前、やはり大きな戦がありそれを指揮したのが『悪魔』の異名を持つグラッセ将軍である。
その戦略は毒を流す,とことん略奪する,非戦闘員ですら皆殺しにすると言ったもので、彼の部隊の通った後は何も残らなかったという。アークスの国民で知らぬ者はいない。
そしてその所業はザイル帝国ですらも忌み嫌われているという。
「今、帝国側の指揮をしているのがその孫,ミレイア=グラッセだ」
「!」 視界の隅でアーパスの体が硬直するのが見えた。知り合いなのだろうか?
「君達のような優秀な戦力が欲しいのだ。力を貸してくれないか」 僕達に頭を下げる団長。騎士にしては珍しいほど腰が低い。
ここまで頼まれると引けないのだが、アーパスが嫌がるのは目に見えて…
「俺はやるぜ,ルーン」 アーパスが静かに呟いた。その瞳に何か危険なものを感じる。
「僕もやるよ,ザイルに僕の街を荒らされたくないからね」
「ならば旅は道連れとも言います。私も、ルーン,貴方の持つ光に掛けてみましょう」 ラダーもまた、良く分からないことを言いながら団長の申し出に承知する。
「ありがとう、君達は私直属の部隊に入ってもらう。今日は用意したテントでゆっくりと身を休めてくれ」 団長は微笑んで、そう告げた。
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