4−2


 二ヶ月程前、ブレイド=ステイノバが率いる第二騎士団を中心としたアークス皇国軍は、ザイル帝国から攻撃を受けているという龍公国へと派遣された。
 すでにこの時には仲裁役を買って出たザイル帝国王族の血を引きながら出奔したセンティナ=ガーネッタが帝国軍へと向かったのだが、その返事に龍公の元へセンティナに付き従った騎士達の首が送られてきていた。
 そしてブレイド達が龍公国の南の城壁都市ガートルートにたどり着くよりも先に、都市は陥される。その際に南の公国の王である龍公と息子達である長男,三男は殺され、生き延びたのは次男の王子一人だった。
 そもそもガートルートはザイル帝国からの侵略を防ぐために作られた城塞都市である。それがたったの二日で陥落した訳は『水』であった。
 ガートルートの水源は一本の河川である。そのアークスを二分する川・リュアルクの大河上流から無色無臭の毒を流した。
 それにより都市の民間人を含む半数以上が死亡,その混乱の中に帝国軍が攻め入ったという次第である。
 そこで勢い付いた帝国軍は次々と戦線を打ち破ってきたが、龍公軍を再編成した龍公第二王子と第二騎士団達の奮戦によってこの地で進退するに踏み止どまった。
 先程のような戦いがここ二週間ばかり続いているという。しかし増援の見込みのないアークス軍が不利なのは必須のことだ。
 ―――という訳,有名な話だぜ。お前、今までどこにいたんだ?」 ケビンが説明を終え尋ねた。それに僕は何となく返し、呟く。
 「で、帝国軍を率いているのが悪魔グラッセの孫か。手口がそっくり,いやそれ以上かもしれないな」 
 「全く汚ねぇ野郎だ」 ケビンが答える。
 「戦争に汚いもクソもあるか,勝てば良いんだよ,勝てば」 剣を磨きながら、アーパスが憮然と反論した。
 「アーパス,グラッセの名を聞いてから変だぞ」 ケビンを押さえて、僕は剣を磨くアーパスに尋ねる。それに彼は答えず続けた。
 「ミレイア=グラッセは切れる男だ。手口はどうであれ、ほとんどダメージを受けずにあのガートルートを陥した。奴が悪魔グラッセと違うところと言えば、奴一人でも強いということだ。生半可な気持ちで戦うなよ,ルーン」 ランプの明りに刀身を照らし、彼は目を合わせる事なく言う。
 「知っているんだな,アーパス」 僕の問いには答えず、剣を鞘に戻しベットに身を投げ目を閉じるアーパス。個人的な知り合い…のようである。
 詮索は無駄だと悟り、僕はもう一つの疑問を目の前で変わる事なく微笑む男に投げ付けた。
 「しかしラダー,どうして君も?」 
 「細かい自己紹介がまだでしたね。私、ラダー=アクトルと申します。科学と魔法の融合を探求するために旅をしているんですよ」 そして彼は『銃』という物を見せる。
 「この銃も科学と魔法の融合の品。でも間違わないで下さい,私の求めているのはこんな破壊をもたらすものではありませんから」 
 「はぁ、科学…ねぇ」
 聞いたこともない。食べられるものではなさそうだ。取り合えず言えることは、彼は変わり者なのだろう。感ではあるが悪い人間ではなさそうだ。
 「私は貴方に光を感じているのです。ご一緒しなければならない……これは決められた事なんです」 はっきり言って、男から言われるとスゴイ怖いセリフである。 
 「……はぁ、別に構わないけど。僕の名はルーン=アルナート,改めてよろしく。で、あっちで寝てるのがアーパス=ブレッド」 
 「よろしくルーン,アーパス」 ラダーは言い、地顔であるその微笑みを讃えた。
 「で、貴方がケビンさんでしたね」 
 「ああ、よろしくな,ラダーさん。明日から三人にはブレイド団長の直接の指揮下に入ってもらう。まぁ、直接の指揮下と言っても他にはキースと氷室の二人しかいないけどな」 
 「団長なのに騎士団を指揮しないの?」 僕の問いにケビンは笑って頷く。
 「あの人は傭兵あがりでな,騎士達への指揮は専ら二人の副官に任せっきりなんだよ。だからといってやるところはやる団長だぜ。取り合えずはゆっくりと寝ときな。明日にもまた戦いを仕掛けるようなことを言っていたからな」 言い残し、ケビンはテントを後にした。
 「ケビンさんの言う通り、今日はもう休んだほうが良いでしょう。アーパスさんももう寝てしまっていますし」 ラダーの言葉にアーパスに視線を移すと、すでに軽い寝息を立てている。
 「そうだね、もう疲れたし。おやすみ,ラダー」 
 「おやすみなさい」 僕はアーパスに毛布を掛けてから、用意された簡易ベットに身を沈める。
 戦いの疲労が今になって蘇る。僕はすぐに意識を心の底に沈めていった。



 細い筒の向こうには二つの大軍が正面からぶつかりあっているのが見て取れる。空は暗雲に満ち、叩き付けるような豪雨がアークスの大草原を濡らす。
 「よし、乗り込むぞ!」 団長ブレイドの指令の下、僕達六人は濃い緑色のローブで身を隠しながら高い石の壁で囲まれる城塞都市ガートルートの外側の一角へと足を運んだ。
 「リュアルク川の水門から忍び込むって寸法か」 アーパスにキースが答える。
 「その通り。さらに城に忍び込む隠し通路も教えてもらっているんだ。兵士の少ない今のうちに忍び込んでグラッセを後ろから…」 
 「さくっと暗殺ってことか,そちも悪よのぅ」 
 「いえいえ,殿には足下にも及びませぬ故…」 
 「フフフ…」 
 「ククク…」 
 「…お前等気が合うのか? さっさと行くぞ」 呆れ顔でブレイドが二人を先に促す。
 水門は城壁をトンネルのようにしてリュアルク川を飲み込むように数十本もの鉄格子で仕切られていた。
 「氷室,やってくれ」 ブレイドの言葉に従い、黒髪の青年は沈黙の内に鉄格子を二本外し、人一人が入り込める隙間を作る。
 「さて、この隙間から入る訳だが」 ブレイドはここで言葉を区切る。
 「泳いで行くのですか?」 ラダーの困ったような質問に頷く。
 「全身鎧ではないにしても我々の武器は重たい。だからと言ってここに武器を置いて行ってしまっては困る」 それに全員が期待を込めた瞳で頷く。
 もちろんブレイドは良い案があるのであろう,いや当然あるはずだ。
 「さて、何か良い方法はないか?」 笑顔で尋ねた
 「「……………」」 そして長い沈黙が訪れる。
 「こら! ここまできて今更それはないだろ!」 
 「策があるんじゃなかったの,策が!」 
 「いや、全く考えていなかったんだな,これが。まさか門に水が流れているとはなぁ」 
 「水門なんだからあったりめぇだろ!」 アーパスの蹴りが笑って取り繕おうとしたブレイドの延髄に炸裂した。
 「私、カナズチなんですよ」 この時ラダーの漏らした呟きは、呆れ返った僕と氷室にしか聞こえていなかった。



<Camera>
 アークス軍は敵の先鋒隊を向かえ打ち、わざとその勢いに負ける形で引き、敵の本隊が出てきたところでそれを取り囲むように周囲から叩くつもりであった。
 だが、敵の勢いは計算外であった。
 「そんな馬鹿な…」 初めてセレス=ラスパーンの口から計算外に立たされた者の言葉が紡ぎ出された。次の瞬間にはやはり初めて見せるであろう表情を浮かべる。
 「惨い,まさかこのようなことをするとは…哀れな」 
 セレスの目の前には恐れの表情を浮かべた部下達と、恍惚の表情を浮かべながら押し寄せる元ガートルート市民だったモノの姿があった。
 ゾンビのようにふらつきながら前進する敵兵は思い思いの武器を持ったガートルートの男や女,子供までいる。また捕虜だったのであろう,アークス兵もいる。
 「セレス様、これは?!」 セレスを守護する騎士の一人が恐怖におののきながら尋ねる。
 「麻薬だ,切られても全く倒れないのを見ても明らかだな」 淡々としてセレスは答えた,いや自分で言い聞かせた風がある。
 確かにセレスの言う通り騎士達が切りつけても、例えそれが致命傷であっても彼らは笑いながら襲い掛かってくる。
 「セレス様! 我々は一体…」 返り血で赤く染まった部下の騎士がその瞳に恐怖を称えて指示を仰ぐ。
 「計画通り退くのだ! 我々の士気が低下しては全軍に動揺が走る!」 
 「ハッ!」 騎士は笛を吹き鳴らしながら指示を伝える。騎士達は演技ではなく、本気で我を争うように撤退する。
 「愚か者、隙だらけだ! 統率を守って退くのだ!」 しかし豪雨と混戦の中、セレスの声は一部にしか聞こえなかった。
 次々と逃げる騎士達に矢が突き刺さる。ガートルートの市民達の間にザイル帝国の弓射手が多数紛れこんでいるのは確かだ。
 「ともかく陣形を立て直し、統率を以て退くんだ!」 セレスの声が戦場に凛と響いた。



 「突撃!」 セレスの発した突撃の合図である発煙筒を確認し、龍公第二王子・ドライクはどこか頼りない剣を持つ右手を降り下ろした。
 それに応じて龍公軍本陣500名は、懐深く侵入したザイル軍の左舷を突く。
 しかしそれを予想していたらしく、ザイル軍は龍公軍の騎馬隊を重装歩兵隊で向かえ打った。



 副官クレイの降り下ろした軍旗の下、アークス騎士団50名と龍公別働隊300名が右舷を,傭兵隊200名は後方を突く。
 そして後退していたセレス率いる騎士団100名と傭兵隊100名はゆるゆるとであるが転進。
 「よし,取り囲んだ!」 クレイの勝利に満ちた確信は、しかし崩される。
 半死半生の部隊を前衛に持ってきたザイル本軍1500名は、勢いに乗ったまま前方のセレスの部隊を壊滅、進路を180度変換させ後方へと進む。
 「い、いかん,セレス殿は一体何をやっておるのだ!」 クレイが自ら行動できるほどの将ならばセレスも苦労はしなかったであろう。
 クレイはその時ザイル帝国精鋭部隊の弓騎士の照準にあったことを知る旨もなかった。



 「クッ,こいつはまずいんじゃないかい?」 ケビンは雨に冷汗を混ぜて呟いた。敵軍の進行方向が自分達の方に変わったことを感じ取っていた。
 「隊長! 引き上げましょう,うちの隊だけで七人もやられてまぁ!」 
 「根性でどうにかせんかい!」 ケビンは叫んで答える。
 彼ら傭兵隊第18部隊の前にはザイル帝国正規兵が一糸乱さぬ攻撃を仕掛けてくる。
 「ったく,聞いてねえぜ。正規兵が不死身部隊に隠れて待機してたなんてよ!」 手にした斧で帝国兵士一人の頭を叩き割る。
 その惨状を見た正規兵達はケビンに向かって殺到した。
 「うぉ! やべえ,他の隊も後退を始めてやがるな」 舌打ちをしてケビンは自分の隊にも撤退命令を出す。それに従い、彼の率いる傭兵達もジリジリと後退して行った。
 そこにケビンを狙って四人の正規兵が襲い掛かる。
 「チッ!」 手にした斧を投げつけるが兵士達の持つ盾に突き刺さったにすぎなかった。
 四人の正規兵は同時に槍をケビンに繰り出す。
 「クッ!」 残りの斧で槍を受けようと半ばケビンは死を覚悟した。
 その時、ケビンは見た。四つの槍が斧にぶつかる直前に風の速さで現れた龍が槍を飲み込んだのを。
 「ここは退くぞ,早くしろ」 白い軍馬にまたがった騎士は手にした槍を血で濡らして呆気に取られたケビンに告げた。馬の足下には出来上がったばかりの四つの死体がある。
 「い、一撃…」 
 「セレス様,あらかた傭兵は退かせました」 騎士が一人、セレスに報告する。
 「私の声が聞こえているのか,退くぞ」 龍を形どった槍・龍槍ガウディを手にする騎士はケビンに言い、騎首を変えて走り出す。
 「は、はい!」 ケビンは慌てて二人の騎上の騎士の後を追い駆けた。



<Rune>
 「しょうがねぇ,俺が水の精霊に頼んでやるよ」 
 「あ、そうか,そういう手があったな」 アーパスの言葉に僕はポンと手を打つ。
 「どういうことだ?」 いぶかしむブレイドとキースを片目にアーパスは川の水に向かって精霊語を紡ぎ出す。
 ふと、川の水の一部がそそり立ち、一人女性の姿を取る。しかしその表情はなく、雨に打たれてもその雨を吸収していた。
 「さ、集まってくれ。ウンディーネに運んでもらう」 
 「は?」 ブレイドが間の抜けた声を挙げる。それにアーパスが彼を招く。
 「どういうことだ?」 しかしそれに答える事なく、アーパスはブレイドを川の中へ蹴り込んだ。
 「こういうことだよ。さ、行くぜ」 アーパスが続いて川に飛び込んだ。
 「? まぁ、とにかく…」 
 「入ればいいんですか」 そしてキースとラダーが続く。
 氷室が僕を一瞥した後、飛び込む。
 「ウンディーネ,よろしくね」 僕は水の乙女に手を振り、最後に飛び込んだ。



 川底では五人が待っていた。
 「じゃ、道案内してくれ」 アーパスの言葉にブレイドが戸惑いながらも先に進む。僕達六人を巨大な空気の泡が包んでいるのだ。シャボン球の中にいる様に割れそうで怖い。
 「このまま真っ直ぐ行けば右手に城の中に通じる給水口があるんだ。そこから潜り込めるはずだ」 ブレイドの言葉が終わるか終わらないかの内に右斜め手前に人三人が立って横に並べる位の大きさの給水口が暗い口を開けていた。
 「ルーン,中に入ったら魔法の明かりを頼む」 キースの言葉に僕は呪文を紡ぎ出す。
 給水口に足を踏み込んだ。
 「ん?」 
 「お?」 
 「あれ?」 僕とブレイド,アーパスが不審の声を挙げる。
 「どうかしました?」 ラダーの問いを黙らせる。何か渦巻くような音が聞こえる。
 「なぁ,ルーン。これ、何だと思う?」 キースが僕を呼び、それを見る。
 給水口の石壁に何やらプレートが埋め込まれていた。新しいものだ。
 「ふぅん,これは…そうそう大渦巻きを起こす魔法を封じたトラッププレートだよ。こいつの近くを通ると渦が起こるってことだね」 僕は自分の言葉の重要性に気付き、息を飲む。
 前と後ろから土砂と豪雨で流されてきた流木などを伴って巨大な渦が迫ってきた!
 「あ、あんなのに飲まれたらこんなシャボン球,散り散りになっちまうぞ」 アーパスが青い顔で言う。
 「ああ、浮き上がるにしてももうここは給水口で上がれないしぃ! 私,カナズチなんですよぉ」 
 「落ち着いて、ラダー」 僕はしがみついてくる旅人を引き離す。そうこうしている間に僕達は渦からは逃げられない距離にいた。
 「団長! ここは一体どうすれば!」 救いを求めて僕はブレイドを見る。彼は全く取り乱した風もなく、口を開いた。
 「前と後ろからなんて…嫌だわ」 
 「ああ! 団長が壊れてるぅぅぅ!」 キースが絶叫した。
 「き、来たぁ!」 アーパスの叫びを最後に、僕達は大量の水に飲み込まれていった。



<Camera>
 ドライクは脅えていた。彼だけではない,龍公の兵士の皆が脅えていた。
 麻薬を飲まされたガートルートの市民達は戦闘力は非常に低く、その数こそ100にも満たないものであったが、与える恐怖と耐久性からセレスの率いる正面アークス軍を蹴散らした後、左舷を攻めていた龍公達の前に姿を現した。
 もっともこの時、彼は気付いていない。この不死身部隊にザイルの正規兵が混じっていることを。
 ともあれ、今ドライクは正面を重装歩兵、その右舷に突然このゾンビのような軍団が現れたのである。切っても倒れないという恐ろしさはアークス兵も味わったが、龍公軍はさらに切り難いものを持っていた。
 「あれは俺の兄だ! 切るな!」 
 「俺の息子がいる,やめてくれ!」 
 ほんの少数に過ぎないが、それは大きな声となり心当たりのある者の手を鈍らせていたのである。
 そんな龍公軍に重装歩兵の頑丈さと弓騎士の正確性が襲い掛かる。
 統率なく崩れかけの龍公軍はしかし、余程手慣れた軍師でもいるのか取り合えずの秩序は保っていた。
 「ドライク様,今こそ撤退の時です。今を逃せば軍の秩序は失われ、我々の負け戦となりましょう」 軽装の女性が厳しい声で戦いに脅える君主に進言する。
 「しかし…ローティス」 
 「戦術的撤退です」 ローティスと呼ばれた女性は騎上から確固たる面持ちで言う。
 「いや,もう少しすれば戦局が打開するような気がする」 呟くようにして言ったドライクの言葉に、ローティスはウェーブの掛かった長い銀色の髪を掻きあげ溜め息をついた。
 「殿下,指揮官たるもの戦いを感で行ってはいけません」 
 「しつこい,黙って見てろ、ローティス!」 ドライクが一喝する。それが彼の最期の言葉だった。
 「全軍,撤退!」 ローティスの言葉はドライクの言葉として伝えられ、速やかな撤退が行われた。
 ドライクは額を弓騎士の必殺の矢で打ち抜かれたまま、無言で幕陣へ戻ることとなる。



 胸まで延ばした髭を血で赤く染め、巨漢の中年はアークス騎士団の指揮代行を行っていた。彼の指示は速やかなる撤退である。
 「美髭殿,F班の撤退は完了します。お早く」 
 「おうよ!」 長い柄の付いた斧でザイル騎士を一人葬り、彼は答える。
 彼の名はガロン=クンスト,仲間内では美しい黒い髭を持つことから東の清王朝に伝わる英雄にあやかって『美髭』と呼ばれている。
 ブレイドの副官・クレイがザイルの手に掛かり殺されたのは戦いが始まってから間もないことだった。
 それ以来ガロンを中心とした、クレイら上官からの回し者である縁故派と対極にある実力派が、右舷を攻めるこのアークス軍を指揮していたのである。
 最もこのガロンの行動はセレスの息のかかった『保険』ではあるのだが。
 「よしっ、引き上げだ!」 ガロンは部下と供に馬を正反対の方向へと走らせた。



 戦いはザイル側の勝利に終わった。だがどちらかが壊滅しないかぎり戦いは終わらないのであるから、今は勝ち負けは言えることではない。
 勝ち負け以前にアークス側は当初の目的を果たしたのだから十分であるかもしれない。
 アークス側はこの戦いで甚大な影響を受けていた。戦力の5分の1近くが失われ、怪我人はその倍に上る。そして何よりその士気の低下が問題であった。
 それはザイル帝国が引き上げた後に未だ進軍を続ける元ガートルートの市民の姿にあった。彼らは結局その足でアークス軍の駐屯地まで押しかけてきたのである。
 駐屯地前に仕掛けた油で火攻めにすることにより倒すことができたが、目の前で生きたまま火葬にされるのを見せられて気分の良いものはいない。
 それも何の罪もない,元は仲間であった市民である。その中には子供もいたのであるから軍の士気の低下は見るも明らかであった。
 「やはり火攻めはまずかったのでは…」 ガロンの言葉にセレスは首を振った。
 騎士団長なき幕陣にて、3人の男女が戦況後の報告を交換し合っていた。
 「あの麻薬を飲まされた者は決して元には戻らん。首を切り落としても生きているのだからな。こちらとしてもこれ以上損害を受けないためにもあれしか方法はなかった」 無表情に語る。
 「殿下も亡くなった。龍公軍も統率が取れそうにないわ」 銀色の髪を軽く撫で付け、ローティスは疲れたようにして言った。
 「反対にうまく行くんじゃないか? 内心そう思っているんだろ」 セレスの言葉にローティスは舌を出す。
 「あら、分っちゃった? ま、弔い合戦ということで連中は丸め込めるわ。でも久しぶりね,貴方とこうして会うのは学院時代以来…」 
 「ローティス,そんな話は後だ。ガロン、君は騎士の中から五体満足でそこそこ腕の立つ者を集めてきてくれ。明日の朝までにだ。それと団長の情報が入り次第、私に報告してくれ」 
 「了解」 ガロンは答え、幕陣から出て行った。
 「で、ようやく二人きりになれたわね」 ローティスは椅子に座り直して目の前の騎士に言った。騎士はその視線に交わる事なくお茶を煎れている。
 「学院を出たのは私達が16の時,もうあれから五年が経ったのね」 揺れるローソクの炎を眺めながらローティスは呟くように続ける。
 「私は龍公の下で策士として動いていたけど、貴方は一体どうしていたの? 男装なんかしちゃって。今では騎士を気取っているなんてね」 ローティスの前に紅茶の入ったカップが置かれる。
 「色々とあったのよ,そう、色々とね」 柔らかい表情でセレスはローティスの前の椅子に座った。口調が女性のものになっている。
 「私がもう少し、諦めやすい性格だったら良かったのにね」 寂しそうに笑って、セレスは紅茶を唇に寄せる。
 外の豪雨はすっかりと鳴りを潜め、満天の星々がアークスの草原を見下ろしていた。



<Rune>
 僕は気付くと暗闇の中にいた。下腹部に水の流れを感じる。どうやらあの渦の一件でどこかに流されたようだ。
 僕は明かりの魔法を発動させる。ほのかな燐光と供に小さな魔法の明かりが僕の回りを照らす。
 足下には川が流れている。地面は土であり、天井だけ石の壁であった。人工的に作られたどこかの建物の隠し地下室と言った感じかも知れない。
 およそ10m四方の部屋,といっても地面をくり抜いて地下水路につなげた、いざというときの逃げ道であろう。腐りかけているが小さなボートが置いてあり、食料の残骸や生活必需品のようなものが置いてあった。しかしかなりの年代物であるらしい,全て崩れかけている。
 ふとボートの陰に動くものを見つけた。
 「あ、君は,氷室じゃないか!」 僕は駆け寄り、彼を起こそうと頭からかぶったフードを取る。
 「う…」 何やら苦しそうに呻くだけで起きない。男にしては端正な顔を口の部分だけ服の構造上であろうか,覆面のように覆っている。
 そういえば彼は鉄格子を外した技術からも盗賊ギルドの者かも知れない。
 「起きてってば…え? すごい熱!」 額に触れるとひどく熱い。
 僕はここからの出口を捜す。地下水路を上るか下るかをするか,もしくはこの建物の中に出るか。
 天井に動く岩を一つ見つけた。ここから外に出られそうである。しかし出た先に問題があるのだが。
 僕はゆっくりと岩を持ち上げ、外の景色を見る。
 外も夜らしい,大きな礼拝堂にローソクの明かりだけが灯っていた。そして礼拝堂のステンドグラスには光の神が描かれている。
 「ここは光の神の神殿か」 僕はそっと外に出る。光の神の神官ならアークスの者である僕達を悪くは扱わないであろう。
 「さてと、神官達はどこに…」 
 「動くなよ」
 男の声。同時に後ろから首筋に刃物が突き付けられていた。
 「いつの間に…」 全く気が付かなかった。レナード師の元での修行で人の気配にはかなり敏感になったはずなのだが。
 「消えてもらうぜ」 ぞっとする声を耳元で囁き、突然の敵は首筋の刃に力を込める。
 「ガッ!」
 呻き声を挙げて離れたのは敵の方である。イリナーゼを通して鞘越しに電撃を食らわせたのだ。
 「ちっ」 敵は信じられないスピードで僕に切り付けてくる。僕は彼の繰り出す短剣をイリナーゼの背で叩き折る。
 相手は再び間合を広げ、背に背負っていた剣を抜く。それは剣ではなく刀だった。
 「!? 忍者か,コイツはっ」
 僕に気配を感じさせない技といい、素早い動き,それに刀という武器は彼が忍者という暗殺者のエキスパートであることを確信させた。
 そもそも忍者とは、遥か東方の国で幼少の頃より特別の訓練を受けたスパイの一族であるというが、そのノウハウは盗賊ギルドでも管理しているという。
 その忍者が刀を抜いて切り掛かってくる。僕はそれをレナードの教授の通り、最小限の動きでかわし反撃する。
 そしてこの剣撃を聞きつけて燭台を手にした神官達がやってきた。
 「ザイルの者か」 
 「神域を荒らすとは」 
 神官達の言葉に答えたいが暇がなかった。
 しかし
 「おごぅ!」 忍者がいきなり真横に吹き飛ぶ。
 「やっぱりお兄ちゃん! どうしてここにいるの?」 懐かしい声に振り返るとそこには妹分の神官――クレオソートの姿があった。
 「クレア,どうしてここに…エルシルドじゃないぞ,ここは」 
 「いいの! 私だって旅に出たい時があるんだから! あ、皆,この人私の兄だから平気です」 クレアの言葉に神官達は胸を撫で下ろして戻って行った。
 「ク,クレア、何も俺を吹き飛ばすことはないんじゃないか?」 頭を抱えながら先程の忍者がクレアに抗議する。
 「ああでもしなきゃ、止まんないでしょ。怪我もないんだから良いじゃないの。あ、ルーン兄ちゃん。あの人はアレフ。アレフ,この人がルーンよ」 
 「はぁ、あんたがか。聞いてたのとイメージが違うな,ま、よろしくな」 床で延びながら、アレフという名の忍者は言った。
 「さっぱり分からんが、よろしく」 疲れた顔の金色の髪の青年に答える。
 「クレア,話は後にして僕の仲間を診てくれないか? すごい熱なんだ」 
 「ええ,で、どこに?」 
 「今、連れてくる」 僕は再び地下に戻り、氷室を背負う。
 「?」
 何か背中に妙な感触があったが急いで僕は礼拝堂に戻った。
 「こんなところに地下室がねぇ。誰も知らないんじゃない?」 
 「ああ、多分…って、お、お前は玲!」 アレフは僕の,いや背中の氷室を見るなり刀を突き付けた。しかし氷室は意識がなくぐったりとしている。
 「はいはい,あんたは引っ込んでなさい!」 魔法で再び吹き飛ばされ、クレアは氷室を奥の部屋へ運ぶように僕を促した。

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