4−3


 「風邪よ,長いこと川の水に浸かってたようね。それと疲労からもきているかしら。しばらくの安静が必要ね」
 氷室を診てクレアは診断結果を言った。なお、アレフは武器の一切を取り上げられているのは言うまでもない。
 そしてクレアは僕達に部屋を出て行くように促す。
 「濡れた服を変えなくちゃいけないんだから、さ、出て行った出て行った」 当然と言わんばかりにクレアは僕達を追い出す。
 「おいおい,男は男同士、僕が換えとくよ」 アレフもそれに頷く。
 「あのね,お兄ちゃんもアレフも勘違いしてない?」
 額に手を添えていかにも困ったと言わんばかりにクレアは続けた。
 「女性よ,この人」 
 「…」 
 「…んな馬鹿な,俺の最強の敵は女だったって言うのか?!」 
 「ほら、さっさと出た出た!」 半ば放心状態でぶつぶつと呟くアレフをクレアは追い出す。僕も多少驚きながらも彼に続いて部屋を出た。
 「ったく,あれだからアレフは女の子に逃げられて、お兄ちゃんはいつまでも彼女ができないのよ」 残ったクレアの呟きがやけに大きく木霊していた。



<Camera>
 薄暗い石牢に彼らは閉じ込められていた。
 ガートルート城の地下にある牢獄は、その多くが部屋の主を失ったばかりである。
 その牢獄の一角にうごめく影があった。
 「起きたか,ブレイド将軍」
 目の前に仄かに甘い芳香を感じ、ブレイドはその重たい瞼を開く。薄暗い中にアーパスと見知らぬ女性の顔が視界に写った。
 「ふぅ、捕まったのか?」 彼は身を起こして辺りを見回す。正面の鉄格子の向こうには同じ部屋があり、キースとラダーの寝そべっている姿が見て取れた。
 「あの二人は捕まっていないようだな,で、あんた誰だい?」 ブレイドは同室の女性に尋ねる。
 「私はセンティナ=ガーネッタ,アークスの使者としてグラッセの元を訪れた者だよ」 乾いた笑いを浮かべて彼女は金色の髪を整えながら言う。
 「あんたがか! 生きていたんだな。よぅし、ここから脱出だ!」 張り切って立ち上がり、彼は言った。が、同室の二人と別室の二人の反応はない。
 「どうやって鍵を開けるんだ?」 センティナの言葉にブレイドの動きが止まる。
 「そういや氷室の奴はいないんだよな。剣さえあればこんな鉄格子,叩き切れるんだが」 
 「本当だな?」 呟きを聞きつけ、アーパスは挑発させるかのように尋ね返した。
 「俺の剣技を知らん奴は皆そう言う,いつの時代も天才とは受け容れられがたいものだなぁ」 とブレイド。他の皆は聞き流していた。
 「自分で言うかよ。ほら、剣だ,やって見せろ」 アーパスは長剣をブレイドに投げ渡す。
 「ど、どっから出したんだ? こんなもの!」
 言うまでもなく、彼らの武器防具は牢に入れられる時に剥ぎ取られている。不審物を持っていないかの身体チェックも、気絶していたから分からないが受けたはずだ。
 「乙女に秘密は多いのさ」 ウインクするアーパス。
 「お前は男だろ!」 ブレイドはそれ以上の追求は止めたのだろう、剣を抜き放ち、鉄格子に向き直る。
 「見てろよ,ちょっと下がってな」 剣を下段に構え、ブレイドは目を閉じた。
 数瞬の緊迫した緊張の後、それを突き破るかのようにブレイドの剣が二筋の光を放った。
 「ハァ!」 掛け声と供に鉄格子が上下にきれいに寸断され、金属音をたてて石畳に転がった。
 「本当に切ったな」 センティナが鉄格子であった棒を拾い上げ、その切り口を見る。まるで熱したナイフでバターを切ったかのようななめらかな切り口だった。
 「居合い切りという技さ。剣に全意識を集中させることでどんなものでも切れる」 立て続けにキース達の牢の鉄格子も切り落として、ブレイドはセンティナに告げた。
 「このまま一気に看守室まで乗り込むぜ!」 アーパスに剣を投げ返し、ブレイドは鉄の棒を掲げて仲間達に言った。



 「運が良いな,ここに俺達の荷物が全部あるじゃねぇか」 看守達四人をロープで縛りながらキースは喜ぶ。
 「センティナさん,剣を使いますか,それとも槍? 斧なんてのもありますよ」 ラダーが倉庫を掻き回しながら尋ね、それに彼女は剣と答えた。
 「雰囲気からして俺が団長だって事はバレていないらしいな,城に侵入もできて一石二鳥かもしれん」 
 「しかしグラッセ将軍は強いぞ,その取り巻きも手練れが多い。倒せたとしてもその後はどうするんだ,逃げ出せるのか?」 ブレイドの言葉にセンティナは心配そうに尋ねた。
 「なぁに。成せばなる」 
 「なるようになるの間違いじゃないのか?」 
 「若いっていうのはいいことだなぁ」 
 「おいおい」 アーパスのツッコミを受けて、額に汗しながら彼方を眺めるブレイド。
 「ここまで来たら引き返せないんだよ、文句を言わずに行くぞ!」
 そしてブレイドはゆっくりと一階への扉を開けた。



<Rune>
 固めのベットの中で、僕は神官達の朝の礼拝の声に目を覚ました。
 ここには神官達の他に先のザイル軍ガートルート攻略の際、親を失った子供が数多く保護されている。
 僕は良く眠っている彼らを起こさないように部屋を出た。
 きれいに掃除されている大理石造りの廊下を歩きながら、僕は礼拝の聖句が聞こえる方へと向かう。歌うようなその声の主の一人は僕の良く知るものだった。
 昨夜僕達が現れた礼拝堂はステンドグラス越しに朝日が入り、教壇に立つ一人の神官とそれを聞く二十数人の神官達を幻想的な光で包んでいた。
 「良く眠れたか?」 突然の背中からの声に、僕は驚く事なく振り返る。
 金色の髪を朝日で光らせ、ブラウンの瞳が僕の向こうで歌うクレオソートに注がれている。昨日の忍者・アレフだ。
 「おはよう,おかげ様でね」 答え、僕は視線を元に戻す。神官達の朝の礼拝は終わり、クレオソートが僕達の方へ足早に駆け寄ってくる。
 「おはよう,二人とも! ルーン兄ちゃん,しっかり眠れた?」 
 「ああ、おはよう,クレア。氷室の様子を知りたいんだが」 
 「良いわよ、ついてきて。もう起きてるんじゃないかしら。熱はもう下がっていたし」 彼女の後に従いながら、僕とアレフは歩を進める。
 クレアは昨夜氷室を運び込んだ部屋の扉をノックして開く。
 「起きたかい,氷室」 乾いた服に着替えた彼女に声を掛ける。それに彼女は僕の後ろの男に気が付き、何処から出したのか,小塚を構えた。
 「よせよ,俺は女には手を上げない主義なんだ」 そう言うアレフに氷室は警戒を解かない。
 「何があったかは分からないけど、もし彼が君を殺すつもりなら昨日できたはずだろ? 安心しなよ」 僕の言葉の途中に神殿の鐘が鳴り響く。
 「はいはい、朝食の時間よ。今、育ち盛りが多いから急がないと取り逃がしちゃうわよ」 クレアが思い出したように言ってアレフの襟を後ろから掴んで引きずって行った。
 部屋には僕と氷室が残る。
 「調子はどうだい? クレアの話だと疲労からきた風邪だそうだが」 
 「…」
 寡黙なのは性格かららしい,彼女は短刀をしまって僕を見つめる。その瞳は黒く、深い闇を思わせた。
 寂しい瞳だ――そう思う。そしてそれは不意に揺らめき、視線は僕から外れた。
 「…私の一族,暗木の忍族は一人の男によって滅ぼされた」 彼女は突然、低く小さな声で語り出す。僕は黙って彼女の横たわるベットの横にあった椅子に腰掛けた。
 「その男は私達の里に突然現れ、術を乞うたそうだ。村長はそれに答え、彼を忍者として仲間に向かえ入れた。そして僅か四年,男は天性の才能と努力とで我々の流派で一番の技術を持つ忍者へと成長した」 遠くで子供達の聖歌が聞こえてくる。僕は静かに氷室の言葉に耳を傾けた。
 「その忍者は私の村長の娘,私の姉を嫁に娶った。私にとってそれは誇りであり、優しい義兄は憧れでもあった」 そこまで言って彼女は無表情のままシーツを強く握る。
 「しかし奴はある日、村に代々伝わる秘宝の珠を盗み出し、今まで身に付けた技術を私達村人に試しながら、村に火を放ち去って行った。私は真っ先に切り殺された姉の下で生き長らえていた…もう三年も前の話だ」 そして彼女は顔を上げると再び僕を見る。
 「そいつを追い掛けているのか,何故そんな話を僕に?」 
 「さぁ、何故だろうな。お前の顔を見ていたら何となく話したくなっただけだ」
 大きく溜息を吐く彼女。僕から視線を逸らす。
 「少ししゃべり過ぎたみたいだな」 氷室はそういうと再びベットに横になった。
 「今の内に、ゆっくり休んだ方が良い。何か消化の良いものを持ってきてあげるよ」 僕はそう言い残し、静かに部屋を出た。



 僕とクレア,アレフそして氷室の四人はテーブルの上に拡げられた城の見取図を見て模索していた。
 氷室が持っていたこの地図は通気口まで記されている細かいものである。
 「侵入者が捕まったって言う情報は確かなのか?」 
 「ああ、四人らしい。酒場にたむろしてた昨晩担当の警備兵達が言ってたぜ」 アレフはあっさりと言う。
 「捕まっているとしたら、この地下の牢屋だろうな。でもあの面子からして抜け出してる恐れがあるなぁ」 
 「どの道放っておけないんでしょ? 行くしかないじゃない。私が付いて行くんだから安心なさい」 クレアの言葉に僕は飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。
 「何でクレアが来るんだ? 関係ないだろ?」 
 「関係あるよ。孤児達をよこせって兵隊達が来るんだもの。止めさせるには親玉を叩くのが一番手っ取り早いでしょ?」 
 「絶対駄目! 怪我でもしたらどうするんだ?」 しかしクレアは引き下がらない。
 「お兄ちゃん、言うようになったわね。怪我をしていつも治してあげたのは私の方じゃない!」 
 「う…でも駄目ったら駄目!」 昔のことを持ち出されて言うに言えなくなってくるが、ここで引き下がったら負けである。
 「それって、私を心配してくれてるの?」 声のトーンを落としてクレアは尋ねる。
 「当たり前だろ!」 
 「だったら…だったら何で一人で旅に出ちゃったのよ! 心配してるんだったら一緒にいてよ! もう,もうお兄ちゃんと離れるのは嫌なんだから!」 涙を貯めてクレアは言い放つ。
 「うっ…わ、分かった,連れて行くから…泣かないで」 どうしたら分からず僕はついそう答える。それにクレアはぴったりと泣き止み、表情が笑みに変わった。
 「しっかりと聞いたからね」 
 「汚いぞ,嘘泣きか!」 
 「違うよ,本当だったんだもの。でもそれよりも嬉しさが多かっただけ」 意味が良く分からず、僕は溜め息を就く。
 「クレアが行くのなら俺も行こう。どうも君の兄ちゃんは頼りなさそうだからね」 
 「悪かったな!」 そう言うアレフに怒鳴り返す。
 「でね、城への入り込み方なんだけど良い方法があるの」 そう言ったクレアの意見は僕にとってはロクなものではなかった。



 僕はクレアの後ろに隠れるようにして許可が下りるのを待つ。
 「いつもと違うな」 全身鎧に身を固めた兵士が金色の髪の娘に尋ねた。
 「ええ、担当の者達は今日は書庫の整理に忙しいので我々が参りました」 
 「そうか,いいぞ、通れ!」 
 「貴方に光の神の加護がありますよう」 クレアと僕はしずしずと城門をくぐり抜けた。
 「氷室達は無事に侵入できたかな?」 
 「大丈夫よ,自称忍者なんだから。問題は途中で喧嘩になっていないかどうかだと思うわ」
 アレフに聞くところによると、氷室とは異なる流派で敵対関係にあったのだと言う。しかし今では彼ら二つの流派はそれぞれある事情により消滅している。
 「ま、それは言える」 まわりの兵士達に気付かれないように小声で言葉を交わす僕達。
 僕達二人は城内にある光の神を祭った部屋の掃除にと、光の神の神官として訪れたのだ。大抵の城には何等かの神の神殿があり、担当の神官がいる。アークスではもっぱら光の神であり、ここガートルートも例外ではなかった。
 敵将軍グラッセも後々のことを考えて、教会には妥協しているらしい。特に光の神はアークスでは草の根的にその信仰は当然のものであり、それを弾圧することでこれ以後、市民だけでなく自らの兵士をも敵にまわしかねないからであろう。しかし…
 「待て、見ない顔だな」 城内の廊下で衛兵の一人に呼び止められた。
 「いつもの担当の者は急用ができまして,私達は代理なんです」 
 「そうか,しかし…」 衛兵はクレアの後ろに隠れる僕の顔をまじまじと見つめる。
 「この娘が何か?」 極力平静を装いながらクレアが衛兵に尋ねた。
 「いや、神官っていうといつもの恰幅の良いおばさんが頭に浮かんでな。こんな可愛い娘もいたとは」 おいおい…僕は額に汗する。
 「ひっど〜い,私はかわいくないって言うの?」 怒るクレア。論点が違う。
 「いやいや,あんたも可愛いよ。でも俺はこの娘みたいなおしとやかな方が好きでね。さ、早く行った行った」 兵士に言われて反論しようとするクレアを押しながら僕は光の神の神殿の部屋を目指した。



 「ったく,どうして女装したお兄ちゃんの方にみんなの目が行く訳?」 
 「僕は自分が情けない」 あれから三人の衛兵に呼び止められ、同じような会話が続いたのである。
 城内の神殿を清めるのは女性の神官に限られている。男では腕力があるので暴動の手助けをしかねない為、と言うのがグラッセから出された命令の一つであった。その為に僕は氷室とクレアによって女装させられたのである。
 神官着の為、服装によっての男女の区別は難しいので化粧を駆使したのであるが、かなりの美人に仕上がったようだ。しかしながら鏡で見た自分の顔はやはり自分の顔にしか見えなかったのだが…。
 「ともかく行くぞ,ここが通気口だな」 壁の下の方にある小さな窓状の鉄格子を外し、四つん這いでその中に入り込む。魔法で小さな光を作り、目の前に飛ばした。当然、すでに化粧は落としてある。
 「鉄格子は閉めた?」 
 「うん,狭いけど何とか」 後ろからの声に僕は少しづつ前に進む。
 今頃他の場所では城壁を登り切った氷室とアレフが別の通気口を使って地下牢を目指しているはずだ。



<Camera>
 一,二,三人,氷室は柱の陰から見える三人の兵士に対して懐の手投げ剣を確認する。広い城の廊下,声を出されたらそれで終わりだ。
 「そろそろ交替の時間だよな。昼飯何にしよう」 
 「アークスの料理はあまり舌に合わないからなぁ。ダークス,お前は何にする?」 振り向いた瞬間、その兵士の首筋から赤い噴水がほとばしった。
 「ん? どうした?」 最後の兵士は語尾の口のまま、首が廊下に落ちる。
 氷室は三つの死体を確認すると、廊下を音もなく駆けて行った。



 「いねぇ,自力で脱出したようだな」 アレフは床に縛られて転がる看守達を見下ろしながら一人呟いた。彼の右の頬にはまだ新しい引っかき傷がある。
 「衛兵に化けて逃げたのか。いや,話では逃げるような連中じゃないな。そのままグラッセとかいう野郎を狙いに行ったに違いないか」 そう呟くと彼は椅子に座り、残る二人の到着を待った。



 「本国からの伝令だ,将軍の元まで頼む」 
 「ハッ,ご案内します」 ザイル兵は五人の内の一人の持った王家の印のある筒を見て命令に従う。
 長い廊下を進みながら筒を持った兵士,ブレイドは心の中でほくそ笑んでいた。



 黒い刀身から日の光を浴びてうっすらと何かが揮発している。男は剣を再び腰の鞘に戻し、ワイングラスを手に取った。
 死の刀――そう呼ばれる彼の持つ剣は主に暗殺者が用いる物である。刀身は片刃で、十回の新月の下で毒の洗礼を与えることによって、例え掠り傷でもそれは即死につながる。
 豪華な客室風のこの部屋の主の名はミレイア=グラッセ――今回のアークス遠征軍の最高司令官である。
 まだ32いう若さでザイル帝国軍部に大きな影響力を持つに至るまで、彼の回りにはいつも危険なものが囁かれていた。
 「フフ…そろそろだ,もう少しでこのアークスは私のものになる」 金色の前髪を払い、彼はそう呟いてソファに身を沈める。
 その拍子に彼の胸元から赤ん坊の拳ほどの大きさをした白い珠のついたネックレスが零れる。それは中から彼の鼓動に合わせるかのように白く淡い光を弱々しく放つ。
 「アークスを我が秩序の下に」 不気味に微笑む彼の横顔は人間を越えたものを感じさせた。
 ふと、ドアがノックされる。
 「お食事をお持ちしました」 女性の声が部屋の外から聞こえる。
 「入れ」 中からの答えに応じ、一人のメイドが台車に料理を乗せて入ってくる。
 「メニューは何だ?」 ぶっきらぼうに尋ねるグラッセにメイドは微笑みながら料理の盛ってある皿に被せられた蓋を開ける。
 そこには彼女と同じ顔の首が恨めしそうにグラッセを見つめていた。
 「なかなか凝った趣向だ」
 それを見ても平然とワイングラスを傾けるグラッセに、メイドの隠し持った手投げ剣が確実に額を狙って風の早さで飛ぶ。
 キィン,澄んだ音とともに手投げ剣は彼の持ったワイングラスを粉々に打ち砕き、そのまま軌道をずらしてテーブルに突き刺さった。
 「アークスの者,ではないな」 剣を抜き放ち、グラッセは言う。
 「忘れたか? 我は暗木の忍族,氷室 玲!」 叫び、メイドは変装を解く。黒装束に口許だけ隠した氷室は短刀を構えた。
 「氷室…あの女の妹か,生きていたとはな。おもしろい、この三年でどの程度腕を上げたか見てやろう」 ゾッとするような微笑みを浮かべグラッセは剣を半眼に構えた。
 「思い出すよ、あの頃を。ただ強くなることを目指していた自分をな。栖はバカな女だった。最後まで私を信じていたよ,ママゴトだとも知らずに」 
 「殺す!」 恐らく故郷を滅ぼされた時振りに見せるのであろう,怒りという表情で彼女は手投げ剣を立て続けに放った。



 衛兵は足を止めた。その顔は蒼白になっている。
 「一撃ですね,全て」 後ろに続く五人のザイル兵の一人が呟いた。
 「し、侵入者だ!」 叫ぶ先頭の衛兵は次の瞬間には紐の切れた操り人形のように床に倒れる。
 「誰の仕業だ? これは」 剣の柄で衛兵を気絶させたザイル兵を捨て置き、アーパスは前に転がる三つの衛兵の死体を見て呟いた。
 「おそらくは氷室,声を出されないように喉を切られているからな,この位の手練れと言えばあいつだろう」 ブレイドは分析する。
 「あいつがねぇ,何か只ならぬものを感じるんだが」 とキース。
 「先にグラッセの元へ向かったのだろうか?」 センティナが不要となった偽物の親書を放り投げてキースに尋ねるが、彼は首を傾げるだけだった。
 「城内の地図なら、私がうる覚えながらも記憶しています。記憶が確かならば、グラッセ将軍の部屋はさらに階段を三つ登って廊下を左に行った突き当たりのはず,付いてきて下さい」 変装用に着込んでいた鎧を脱ぎながら進むラダーに、一行は従った。



 「遅い!」 アレフは猿ぐつわを噛まされた看守を蹴飛ばしながら叫ぶ。
 もう予定の落ち合う時間からすでに三十分が経過しているが、クレオソートとルーンは一向に現れる気配がない。
 「もしかして通気口で迷ってんじゃないのか?」 アレフの呟きは決して的から外れてはいなかったのである。



<Rune>
 「ねぇ,お兄ちゃん。さっきから同じところをグルグル回っているような気がするんだけど…」 後ろからの声に僕は四つ足歩行を止める。
 「もしも迷ったって言ったら?」 
 「逆さ吊りで三日間懺悔してもらう」 
 「道案内は任せてくれ!」 僕は歩行を二倍の早さで進めた。



 「疲れたよ,お兄ちゃん」 
 「そうだな、少し休むか」 何時間――いや実際には一時間程であろう――狭い通気口の中、僕達は小休止を取ることにした。
 「まだなの?」 
 「あ、ああ。もう少し(だと思う)」 心の中で付け加えて、僕は通気口の壁に背中を預けた。
 ”ルーン,危険よ!” イリナーゼの思念と同時に背中の壁が砕け散った!
 「どわわゎゎ!」 僕とクレアは足場を失い、吹き飛んだ通気口の壁から落ちた。
 「だぁ!」 何かの上に落ちたらしい,それも人のようだ。
 「ルーンじゃないですか,どうしたんです? こんなとこで」 下で潰れるラダーが僕に言った。
 「とにかくどけよ!」 
 「あ、キースだ」 キースを尻の下に敷いて、クレアが言う。
 見回すとここはある客室のような広めの部屋だった。しかし調度品などは砕け、廊下につながる扉は吹き飛んでいる。
 そして僕達の落ちてきた所はこの部屋の上辺りに走っていたようだ。何かの衝撃でか、石の壁がえぐられて通気口が除いている。
 「また新手か? 警備担当を打ち首にせんとな」
 部屋の中心,黒身の剣を構えて不敵に微笑む男にブレイドとアーパス、そしてどこかで見たような女性が一斉に切り掛かっていた。
 が、男は息の切れる事なく軽くあしらってこちらを見ている。
 「ラダー,大丈夫か?」 
 「はい、私は。しかしこの方が」 ラダーの上から立ち退いて彼の指さす方向には見たことのある女性が血まみれで倒れていた。
 「氷室!」 抱き起こすが意識はない。右肩から胸にかけて鮮血が溢れて流れる。何故彼女がすでにここに来ていたのか?
 その氷室にすぐさまクレアが駆け寄るが、その表情が青くなった。
 「お、お兄ちゃん,氷室さん、傷がない,傷がないのに血が出てるよ?!」 
 「そんな馬鹿な」
 クレアは血の溢れる肩口を袖で拭き取る。確かに傷はない。しかしまるで切られたように再びそこから血が溢れた。
 「それがグラッセの技の一つだ、ルーン。俺達が来た時には氷室はすでにやられていた」 キースが槍を構え直して廊下の方へ向かう。
 「ルーン,ラダー,衛兵が集まりつつある。手伝ってくれ!」 キースが廊下へ消えると同時にそこから剣戟が響いてきた。
 「ああ。クレア、氷室を頼む」 
 「さぁ、ルーン!」 僕とラダーは急いで廊下へと向かった。
 廊下へ出ると同時に槍が目の前を掠める。
 この部屋は廊下の突き当たりにあるらしく、今はキース一人で次々とやってくる衛兵を向かえ討っていた。
 「キース,頭を下げて下さ〜い」 場に合わないラダーの抑揚のない声にキースは何かを察し、横に飛ぶ。
 関を切ったように部屋へと雪崩込む衛兵達に、ラダーは例の銀色の長い筒を向け、その引き金を引いた。
 ゴン! 轟音を立てて、天井にまで届きそうな大きな炎の玉が筒から飛び出し、衛兵達全てを巻きこんで長い廊下を飛んで行く。
 凄まじい破壊音が収まった後には、黒焦げになって倒れる衛兵達と崩れ掛けた通路。
 今の衝撃で運が良いことに階段が崩れたようだ。これで新たな衛兵がやってくるのは、ずっと後のことになるだろう。
 「お、おい,思いっきり俺も巻き込んでんじゃねぇかよ」 焦げた廊下から、全身黒くなったキースがよろめきながらラダーに詰め寄った。
 「ま、まぁよく言うじゃないですか。失敗は成功の元だとか、人生楽ありゃ苦もあるさ、だとか」 意味が通じていない…
 「グッ!」 
 「ッ!」
 声に僕達は振り返る。
 三対一の戦いは、あろうことかグラッセは切り掛かっている三人の力を圧倒していた。そしてブレイドと女騎士に浅い傷を負わせたようだ。
 「あれはいけませんよ。あの男の剣は死の剣、二人ともすぐに毒が回って死んでしまいます」 やはり地顔なのか、微笑みを絶やさないラダーの言葉通り、二人は間合を取ったまま膝を付いた。
 「チッ!」 キースが槍をグラッセに向かって投げつけるがそれは軽く弾かれる。しかしその僅かに産まれた隙を伺って、アーパスの剣がグラッセの頬を切り裂いた!
 返す刀、アーパスは確実にグラッセの右腕を裂くはずだが、相手の方が腕は上だ,軽く剣であしらって間合を取った。
 「アーパスか,腕を上げたな」 余裕の表情はそのままに、グラッセはアーパスと対峙する。すでにその目からはブレイドと女騎士は入っていない。
 「しかしながら給水口で捕らえたのがアークス軍の団長だったとは思わなかったぞ。それだけではない、栖の妹,アーパス,そしてお前もいるとはな……ルーン!」 グラッセの剣が僕を指す。
 「…へ?」 
 「こら、緊張を剥いだな!」 
 「へ、じゃないでしょ! へ、じゃ!」 キースとクレアからダブルこめかみキックを食らう。
 「フフフ…お前のその力は後で私がゆっくりと頂くことにしよう」 
 「それはできねぇ相談だ。お前はその前に俺に倒されるんだからな」 僕との間にアーパスが立ち塞がる。
 「貴様の頑丈さは認めよう。しかしこの私は倒せん」 言い切るミレイア=グラッセ。
 「お前の裏切りによって殺された者達の痛み、受けるが良い,光波斬!」
 半月状の気の収束がグラッセを切り裂き、後ろの壁ごと吹き飛ばした。
 「技の出来は六分,といったところか。まだまだだな」 吹き飛んだ壁の向こう,展望台から見たようなガートルートの城下町を背景に埃一つその身に纏わせる事なく、男は佇んでいた。
 やはりアーパスはこのグラッセとは面識があったのだ。そしてそれはマイナスの。
 「クッ、何て奴だ」 掠れ声で言うアーパス。
 「光波斬とはこうやるのだ,よく見るが良い!」 グラッセの剣に輝きが宿る。
 「いけない! 皆、あつま…」 僕の叫びは間に合わない。
 「光波斬!」 
 強い光と衝撃波がアーパスを、僕を、そして皆や廊下で倒れる焦げた衛兵達をも飲み込んだ!
 ゴァァァァァァァァァァ…
 視界が白くなる。僕の作り出した防御の気の膜とクレアの神の守護である見えざる盾を安々と打ち破り、凄まじい衝撃が僕達を襲う!
 衝撃が去った後にはこの階の半分が見渡せる程になっていた。しかしここはどうにか生き延びることができたようだ。
 後ろではクレアやキースが呻いて倒れている。またブレイドと氷室、女騎士は瓦礫の下で埋まっていた。取り合えずそのまま外に吹き飛ばされずには済んだようだが。
 「いやぁ、すごい技でしたね。びっくりしましたよ」 ふらつく足取りの僕に、にこやかに言ったのは傷一つ受けていないラダーだった。
 「な、何で?」
 「私って生まれつき頑丈なんですよ,アーパスさんと同じように」
 視線を移すとおそらく気で防護したのだろう,無傷のアーパスがグラッセと変わる事なく向き合っていた。だがアーパスの肩は疲れからか、激しく上下している。
 「くっ、化け物め」 後ずさるアーパス。
 「自らの未熟さを棚に上げて人を化物扱いか。フン、今度こそ死ね」 グラッセは軽く手にした剣を素振りをするように降り下ろした。
 「何だ、一体?」 アーパスは怪訝に剣を構え直した。しかし…
 「うっ」 アーパスは氷室と同じくその肩から胸にかけて血を吹き流す。
 「何故? 剣も触れていないのに」 おそらくアーパスには傷口はないだろう。悪質な魔法…か。
 「何故だと? ルーン、お前は学んでいないのか? 操気術の対極を」 グラッセは静かに僕に向かって言う。すでにアーパスは無視していた。
 「まだ負けた訳じゃないぜ!」 赤く染まるアーパスが切り掛かる。
 「アーパス!」 常人ならば彼の一太刀を交わすことができないだろうが、このグラッセという男には通用しないことが察せられた。
 「邪魔だ」 アーパスの剣は空を切り、代わりにグラッセの剣がアーパスの左胸を貫いた!
 そして剣を反転,引き抜く。
 「クッ…」 アーパスの胸を貫通した黒の剣先からは赤い液体が流れ落ち、彼は瓦礫の上に膝を付く。
 「貴様ぁ!」 僕はグラッセに切り掛かる。
 ”いけない,ルーン!” イリナーゼの思念を無視し、僕は渾身の一撃をグラッセに降り下ろした。
 「まだまだ未熟だ。感情的になるとは、君は光の法に基づかなくてはいかんのだぞ」 訳の分からないことを言い、グラッセは大きく後ろへ飛び退いて交わす。
 「逃がさん!」 再び剣を振うが、それは空しく空を切るだけである。
 しかし少しずつ僕はグラッセを壁の向こうに追い詰める。すなわち地上から数十m上にあるここから落ちたら命はない。
 「落とすつもりか? 無駄だよ,ルーン」 まるで心を見透かしたようにグラッセは言い、自ら部屋から飛び降りる。
 彼は、空中を歩いていた。
 「光の子・ルーン。秩序の象徴たるお前をみすみす奴に渡すことはない。この私が全てを頂くとしよう」 グラッセの瞳が光る。その怪しい輝きに僕の体の自由が奪われた。
 「これは…金縛り?!」 グラッセの背にはいつやら三対の白い翼が羽ばたいている。そしてその口には鋭い牙が覗く。
 そして何より、彼の首から下がっている白く強い輝きを持った珠から僕の力が吸い取られるような錯覚に陥った。
 「何者だ、貴様は!!」 
 「我が名はウリエル――四人の熾天使の内の一人」 言い、僕の額を右手で掴む。
 そこからまるで力が吸い取られるように、全身の力が抜けていった。そう、命そのものが吸い取られるように。
 僕は見た。グラッセの後ろでせせら笑う存在の姿を。
 それはアークスの城の中で見たあの時の夢――ミカエルがルシフェルを逃がす際に、彼女を串刺した好戦的な中年天使の姿と同一だった。薄れ行く意識の中、僕は夢の中のミカエルと同じ気持ちで、憎々しげにウリエルを睨み付ける。
 ”ルーン、しっかりなさい,ルーン!”
 叱咤するイリナーゼの思念もやがて白濁の海の底へと消えていった。

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