4−5


 「アスカ,サイフは? 私の渡したサイフわぁぁ?!?」 血走った目で私の肩を掴むネレイド。
 宿へ帰り着くなりこれである。
 「あげちゃったよ」 そして彼女は白くなった。
 私達は冒険者として生計を立てている。ネレイドは手先の器用さと戦士としての強さ,私は剣と呪語・精霊魔法の使い手として、かなり高給の仕事をしてお金には困っていなかった。
 しかし今、手元にあるのは20G,ネレイドが私に渡すはずだった小遣いだけである。私が行き倒れの男にあげた財布こそ、全財産の入ったものだった。
 幾ら入っていたのかは推して知るべし…
 「また稼ぎ直しだね」 
 「あぅ〜〜、この祭りの夜に金持ちの男を捜して玉の輿に乗る夢がぁぁ!」 取り合えず宿の心配はしなくて良いらしい。だが、ネレイドの野望は潰えそうであった、合掌。



 私達はお祭りという楽しい時間を過ごすはずだった。
 しかし時の神様はそんなモノを与えてくれるほど、余裕はなかったようだ。
 祭りの夜の賑わいを一匹の飛竜の雄叫びが打ち破った。
 街の上空に突如現れた体長10m程の飛竜は、決して強くはない炎を街のあちこちに吐きながら人々を襲い出す。
 「警備隊はいないの!」 宿の窓の外から見えるほの火事と悲鳴に私は叫ぶようにして言う。
 「知らないの? 熊公はついこの間、謀反を起こして鎮圧された際に命を落としたのよ。それ以来代わりにアークスの騎士団がここを治めているみたいだけど戦力は余りないみたいね」 ネレイドの冷静な分析を聞きながら、私はベットの横の剣を取った。
 「何する気? 飛竜なんてアンタの手に負えるもんじゃない…」 
 「倒せば、その騎士団とか言うところから謝礼が貰えるわよ。そうすれば玉の輿資金が手に入るじゃない」 
 「急ぐわよ、アスカ,正義と私の未来のために!」 言ってネレイドは武器であるムチを引っ掴んで部屋を飛び出した。



 「風よ、私達に貴方達の翼を与えて!」 私の呼び出した風の精霊は、私とネレイドに見えない翼を与える。
 「ワイバーンね、あれは。こっちに来るわ!」 宙に浮かぶ私達の姿を見つけた飛竜は、私達を目掛けて飛んできた。
 「凍れる氷の吹雪よ,切り裂け竜を!」 私の呪語魔法,雪刃で飛竜の動きが止まる。そこにネレイドのムチが飛竜の首に強く巻きつき、彼女はそこに馬乗りになった。
 「アスカ! ワイバーンの急所は右にある心臓よ! アンタのアイスブランドならその氷の魔力で簡単に貫けるわ!」 暴れるワイバーンを何とか乗りこなしながら、ネレイドが叫んだ。飛竜の意識が彼女に行っている今がチャンスだ!
 私は剣を抜く。途端にひやりとした冷気が氷のような刀身から私の腕に掛かった。
 「うひゃ〜」 ネレイドが暴れ馬を御し切れなくなったかのように吹き飛ばされる。
 チャンスがなくなったと思いきや、何処からか火炎球が竜に投げ付けられ、爆発!
 どうやら他の冒険者のようだ。
 ワイバーンは魔法が放たれた方向に炎を吐く。今だ!
 私は切っ先をワイバーンの右にあるという心臓に定め、風の精霊を促した! 風の早さで私は弾丸のように飛竜に向かって飛ぶ。
 ギャォォ!
 だが、不意に私の意識は白濁する。まるでバットへ突き進むボールの様に、私は飛竜の振り出した尻尾に弾かれたのだ。風の精霊による結界によって大部分のダメージは免れたものの、私は地面に強く叩き付けられ動けない。
 そこに飛竜は地上の他の冒険者を相手にするのを諦めたもしくは始末したのか、私に向かって突っ込んでくる!
 「まずい」 上身を何とか起こしたのは飛竜の鋭い爪が迫っていた時だ。
 覚悟し、やってくる痛みに目を閉じるが何も起こらない。恐る恐る目を開けると、何故か上空に逃れた飛竜の姿があった。それは苦しみもがいている。
 よく見ると飛竜の両目には何かが突き立っている。大きさからして矢のようだが。
 その飛竜に月明かりを受けながら一筋の光がその右胸にまっすぐに突き刺さった。
 グォォォ!
 同じような矢が胸に生え、飛竜は断末魔をあげてそのまま町外れに落ちて行った。
 「誰?」 私は矢の主を捜す。
 その飛んできた方向を見やると、一つの建物の屋上に弓を構えた人の姿が一つ、見て取れた。
 月明かりの逆光の中、月と同じ色の長い髪を風になびかせ、人の背丈ほどある長弓を手にしたローブ姿の青年。
 表情まではよく見えないが、それは私にであろう,手を振るとその場からかき消す様にいなくなった。
 そして飛竜ワイバーンもまた、まるで風に吹き散らされる砂のようにその姿を消していく――実体ではない?
 後には崩れた家々と火事が数件残るだけだった。
 「生きてる? アスカ」 地面に降り立ったネレイドが私に駆け寄って来る。私はそれに無言で答え、矢の主のいなくなった建物の屋上をいつまでも見つめていた。



 「あれはイーグルだぜ」 隣で朝食を取る客達の声が聞こえてくる。
 今朝から昨日の飛竜を倒した名も無き英雄の噂で持ち切りだった。
 「伝説のザイルの弓騎士か。俺も聞いたことがあるぜ。奴の一矢は六人の兵士を倒すんだろ?」 
 「あのサイクロプスも一撃で倒したって噂も聞いたことがあるぜ」 
 「奴は狩猟の女神に愛されてんだよ」 
 「でも死んだから伝説なんだろ」 
 どこでも話題に登るのはイーグルという騎士である。弓=イーグルという方程式がこの地方の人々にはできているようだ。
 もちろん私やネレイドの様に他にもあの時、飛竜に挑んだ者達がいたのだが、そちらは全くと言って良いほど話題にはならないし、当然報酬など出なかった。
 しかし噂の男にはすでに熊公代理の騎士から謝礼が出たとのことである。
 飛竜の死体は消えた。これは飛竜自体、召喚されたものである可能性が高い。実体であるのならば消えることなどありえないのだ。
 「ねぇ、ネレイドは知ってる? イーグルっていう騎士?」 昨夜のシルエットを思い出しながら、私はパンをバスケットから取って眠気眼の相棒に尋ねる。
 「知ってるわよ。五十年くらい前にザイル帝国内で恐怖を撒いていた吸血鬼に一人で立ち向かって結局帰ってこなかったって言う弓騎士ね。でもそれ以来、吸血鬼も姿を消したそうよ。享年二十四歳」 朝から赤ワインのグラスを傾け、ネレイドはつまらなそうに答えた。
 「ふぅん,そうなの。昨日の人は噂の人とは違うみたいね」 果実を絞ったジュースが注がれたコップを取り、私は呟く。
 前に座るネレイドの視線が私の後ろに移る。私はその背後に人の気配を感じ振り返る。
 「ここにいたのですか,昨日はありがとう御座いました。これはお返しします」 言って彼はテーブルに金貨の入った袋を置いた。
 ボロボロの長いローブを羽織った男は紛れもない,昨日私がサイフをあげた行き倒れの男である。目深にフードを被っているのは何故だろうか?
 「あら、私達のサイフじゃない」 ネレイドはそれを取り、中を見た。
 「多いわよ,前よりも」 
 「お礼です」 男の表情は隠れているため分からないが、二十代くらいの若者のようだ。
 「アンタ、昨夜の弓使いだね」 ネレイドの言葉に男の口許が歪む。
 「何故そうだと?」 一歩後ろへ下がる男。
 「サイフの中にアークスの未使用金貨がたくさん入っているからね。昨日の飛竜の一件の謝礼なんだろ」 いい加減に見えるネレイドでも実は鋭い目を持っている。
 「まぁ、そんなところです」 
 「それにアンタ,人間じゃないね」 追い討ちを掛けるようにネレイドは追求する。これには男が一瞬硬張ったのが分かった。
 「アンタからは血の匂いがするよ。生き血を食らう魔物だね」 
 「俺は…魔物ではない」 男は強い意志を乗せて、ネレイドに言う。
 「難しい話は後にして、一緒に朝食はどう? おいしいよ、ここのパン。焼きたてだし」 言って私はパンを一つ、男に差し出す。
 「え? は、はぁ」 
 「アスカ、アンタは口出さないでよ。緊張感がそがれるでしょ!」 しかし緊迫した状況は避けられたようであった。



 ある所に名を捨てた男がいた。
 通り名はイーグル――狙った獲物は逃さないその腕から付けられた名だ。そしてそれは騎士として士官した後も彼に付いてまわっていた。
 ザイルの弓騎士としてその名を馳せ、慢心していた彼は当時ザイル北東部から熊公国にかけて猛威を奮っていた吸血鬼の王を単身、討伐に向かった。
 しかし結果は彼の射る銀の矢で滅ぼしたものの、彼自身吸血鬼に噛まれて吸血鬼となってしまうというという失態を犯してしまった。
 彼を噛んだのはザイル帝国第三王女――彼が士官する原因となった女性である。
 完全な吸血鬼となる前に吸血鬼の王を倒したので、自分の意志を失うことはなかったが、体は完全な吸血鬼となってしまった。
 それ以来、イーグルと呼ばれる男はその身を隠して人間に戻る方法を捜す旅に出ているという―――



 「それで五十年近く経った今でも吸血鬼のままなの?」 私の問いに彼は無言で頷く。
 吸血鬼は言うまでもなく歳を取らない。しかし太陽に弱く、十字架とニンニクも苦手というのは本当のようだ。フードを目深に被って長いローブを羽織っているのは日光対策のようだ。
 「ネレイド殿の感じた血の匂いというのは、昨日私が魔法品の店で買った生き血を飲んだことからきているのでしょう」 彼は性質上、一月に一回は新鮮な血を飲まなくては発狂してしまう。だからと言って人を襲うことはできず、魔術用として売られている血を買って飲むのだそうだ。
 「苦労してんだね、アンタ」 ある意味、ネレイドのこの言葉は彼の五十年を『苦労』の一言でまとめてしまう残酷なものはあった。
 「じゃあ、昨日行き倒れてたのは?」 
 「血を買うにもお金がなくて…危うく人を襲ってしまうところでした」 疲れたように彼は答えた。
 「ねぇ、ずぅっと一人なの? 誰か友達とかいないの?」 暗い人生の彼に尋ねた。
 「吸血鬼に友達は必要ありませんよ」 寂しそうに彼は答える。
 「そんなことないよ。私達と一緒に行動してみない? 一人じゃ見えなかったものが見えるかも知れないよ」 
 「? 貴方は俺が怖くないんですか?」 困ったように尋ねるイーグルに私は困ったように首を捻った。
 「どうして怖いの?」 
 「貴方の血を吸って吸血鬼にしてしまうかもしれませんよ」 
 「吸うつもりなの?」 
 「いえ,そんなこと…絶対にしません」 はっきり言うイーグル。
 「だったら良いじゃない。ね、ネレイド?」 話を急に振られて戸惑うネレイド。
 「…私にも聞いてよ、怖いかどうかとか」 
 「ネレイドの血なんか吸ったら、イーグルさんの性格が歪むわ,絶対」 
 「ここで血ぃ,抜かれたい? アンタ」 いつやらムチを手にするネレイド。
 「じゃ、決まり。よろしくね、イーグルさん。私はアスカ,こっちはネレイドよ」 怖いネレイドから視線を移して私は右手をイーグルに出す。
 彼は困ったように私の手を見ていたが、やがてその血の通っていない冷たい手で握り返した。
 「俺はイーグル,呼び捨てで構いませんよ。今後ともよろしく」 フードの奥の表情は微笑んでいるように、私には感ぜられた。



<Camera>
 かつては不落の都としての装厳を讃えていた城塞都市は、今は所々が瓦礫と化した、死にかけた街となっている。
 街の所々には今もなお、埋葬されずに放置された死体が目立つ。
 「酷いものだな」 
 「そうですね」
 ブレイドはガートルート復興のため、直接兵士達に指揮を与えている。南に退いたとは言え、今またザイル軍がやってくるか分からない。
 人口三万を数えたこの都市は今やその5分の3,約二万弱にまでその数を減じている。
 その犠牲者の大部分が攻め込まれた際の毒による死を向かえ、運良く生き残ったとしてもザイル軍の占領下で、略奪,暴行を受けてきたようだ。
 さらに運が悪かった者は先日の戦いのように、麻薬を飲まされ生きる人形とされることもあった。
 光の神の神官を始めとしたレジスタンスによる一斉蜂起によってどうにか解放はされたが、それによる犠牲者も只ならぬ数であったことを付け加えておく。
 「氷室の気持ちがよく分かる。破壊された街っていうのは見ているだけでやるせなくなってくるよ」 
 「どういうことです?」 上官の呟きに、瓦礫を持ち上げたキースは尋ねる。
 「彼女は個人的にグラッセ将軍に恨みを持っているようですね。団長は知っているんですか?」 タオルで汗を拭うキースにブレイドは首を横に振った。
 「氷室が無口なのを知っているだろう? でも、あいつの寝言が時々聞こえるんだよ。一族の敵,とかな。実際、氷室の故郷は一人の里の忍者によって滅ぼされたって話は裏では有名な話だ。その忍者がグラッセだったんじゃないかと俺は思う」 淡々と、ブレイドは自ら考え込むように言った。それにキースは悲しそうに答えた。
 「グラッセ将軍を倒す時まで、氷室が新しい何かを見つけてくれていることを期待しますよ」 瓦礫を荷車に積み、キースは傾いた太陽に目を細めて願った。
 彼自身、復讐のために人生を賭けたことがある。そしてその為に長い時間を失ったのだ。
 「団長殿、ガートルート城の改装、終了致しました」 背後からの声に二人は振り返る。そこには銀色の長いウェーブのかかった髪を風に揺らした若い女性が立っている。
 「ああ、分かった。龍公軍の処置は引き続き君が行ってくれ」 
 「了解致しました」 軽く微笑んで彼女は去って行く。
 「誰です? 今の?」 一息付いたケビンが名残惜しそうにいつまでもその後ろ姿を眺め続けていた。
 「ローティスっていう龍公軍の軍師だ。ドライクのぼっちゃんが死んじまってから龍公全軍を取りしきっているらしい。ま、もっともドライクが生きていても同じことだろうが」 ケビンに答えるブレイド。
 「うちの騎士団も副官のクレイが死んじまったんだよな。口うるさい奴だったが、俺の苦手なデスクワークが得意な良い奴だった」 しみじみと呟くブレイド。
 「となると団長はデスクワークをしなきゃなんないんじゃねぇのか? こんな所で肉体労働してる暇あるのかよ?」 キースの隣で瓦礫を持ち上げていたケビンが尋ねる。
 「代わりにセレスが全部やってくれるって。はっはっは」 そしてブレイドの後ろ頭にどこからともなく木材が飛んできた。セレスイヤーは地獄耳だ。
 「団長なら少しは頭を使えってことでしょうね」 
 「そうだよな」 キースとガロンはひっくり返った若い団長を見下ろしてそう呟いた。



 氷室は城の四階のベランダから遥か西の方向を見つめていた。そして思い直したようにその視線を南の方へと移す。
 「!」 後ろに気配を感じ、彼女は振り返る。
 「さすがに暗木の忍族,私の気配を察知するとはね」 微笑み、セレスは氷室に敵意がないことを告げる。
 「セレス=ラスパーンか、何の用だ?」 ポーカーフェイスで氷室は目の前の騎士に尋ねた。それに騎士は含み笑いで答える。
 「用はない。ただ、今の君を見るかぎり私の心配は無用だったようだ」 
 「心配? 一体何が言いたい?」 
 「復讐からは何も生まれない。ただ自己満足に終わるだけ,そう言いたかったのだ」 言い残し、セレスは部屋を後にする。
 部屋を出るとまるで彼女を待っていたかのようにローティスが現れた。
 「そうよ、復讐からは何も生まれないのよ」 
 「私は自己満足でいい」 寂しそうに言ったローティスにセレスは厳しい目で答え、廊下を去って行った。



 彼は本の森の中にいた。果てしなく広がると思われる本棚と、とてつもなく高い天井を持った建物の中。
 バベルの図書館――ある賢者はそう呼ぶ――世界のありとあらゆる情報の存在する空間。
 白い翼を持った青年は一冊の本を静かに読んでいた。その題名は『セレス=ラスパーン』と書かれている。彼はふと手にした本から目を上げる。
 ピシッ、乾いた音を発てて彼の中指に嵌まった指輪に付く赤い宝石が砕け、砂となって床に落ちた。同様にして小指には宝石がすでにない指輪,人差し指と薬指にはそれぞれ青と緑色の宝石が嵌まった指輪をしている。
 「ウリエルもまた…か,ミカエルとは異なり我欲の強い奴であったからな」 黒い前髪を掻き揚げ、彼はアメジストの瞳で先の見えない天井を見つめる。
 「すでに光と闇は入り込んできている。この私の力によって混沌とした世の中を秩序建てなくては」 呟き、彼は再び書物に目を移していった。



<Aska>
 「君達に仕事を頼みたい」
 そう男が声を掛けてきたのはイーグルが仲間に加わった直後だった。
 頭から深いローブを羽織り、顔の表情はイーグルと同様見えない。しかしその声のトーンからして中年以降に差しかかった男――それも『頭は禿げている』と私は直観した。どうでもいいことだが。
 おまけに怪しくも強力な魔力を感じる。私の六感は告げていた,関わってはならない。
 男はテーブルの上に重そうな袋を置いた。
 「前金だ」 それにネレイドは袋を開けて驚いた顔をする。横から除いたイーグルからも同様のものを受ける。
 「ま、前金ってことは後金の方は?」 
 「それと同額だ」 
 「やりましょう」 
 「おいおい」 ネレイドの輝いた目に私は横槍を入れるがまるで聞こえていないようだ。
 「依頼内容次第ですな」 イーグルの言葉に男は頷くと空いた席の一つに腰を下ろし、仕事の内容を語り出した。
 「さる御方の護衛をやってもらいたい」 
 「さる御方?」 私は誰なのかと誘導するが、彼は答えない。引き受けたと決まった訳ではないから当然ではあるが。
 「さる高貴な血族の方,と言っておこう。そしてそれを狙う者達を倒して欲しい。詳しいことは引き受けてくれたらお教えする」 そして男は口を噤む。
 「俺はアスカに従いましょう」 
 「きっとさる高貴な方は金持ちね、玉の輿のチャンスよ」 寡黙なイーグルと詰め寄るネレイドに私は悩む。
 「ま、いいわ,ネレイドの好きにして」 



 男の名はイルハイム=プラットと言った。その名にイーグルは少し反応したが何も言わない。後で聞いてみる価値はありそうだ。
 そして私達は、さる高貴な方とやらに会いにイルハイムに従い、とあるアパートの一室に連れて来られた。そんな人が住むような所とは思えない、町外れのボロアパートだった。
 「連れてきた」 イルハイムはそう言って二階の部屋の玄関の一つを開ける。六畳一間のその部屋には一組の男女が力なく座っていた。
 二人とも顔が青く、調子が悪いようだ。
 一人は人間の男,二十代後半だろうか前髪だけ赤い黒髪の精悍な若者である。そしてもう一人はターバンを巻いた少女,気の強そうな感じを受ける。
 私達を眺めるようにして一通り見た男は私達に座るよう、座布団を渡した。そして微笑んで語り始める。
 「ようこそ、俺はアルバート,アークスの第一王位継承者だ」 
 そして私達の時間が冷たく凍った―――



<Camera>
 何もない荒野を一人のドワーフが北西へ向かって黙々と進んでいた。
 まるで彫像のような深い皺の刻まれた顔には何の表情もない。その唯一人の彼に冬の冷たい風が吹きつけた。
 ガイダルの野と呼ばれるこの荒野は、リハーバー共和国の首都より南へと向かった所に広がる地――伝説によると火の巨人と水の巨人が果たし合いを行なったとされる血にまみれた土地。
 その彼の前に天から七色の光の柱が大地に突き刺さり、行く手を阻む。
 しかしドワーフはそれに臆した風もなく立ち止まった。
 光が止むとそこには一人の中年魔導師が立っている。
 「地の守り部ヴァルダ=マーナ…ですね」 魔導師は尋ねるがドワーフは何も言わずに彼を見つめている。
 「地は責任以て守ります。貴方は確実なる力を求めて下さい」 その言葉に彫像かに思われたドワーフの眉が僅かに動いた。
 「風の守護者の世代交替が行われようとしています。そして精霊達は騒ぐでしょう」 
 「リャントが…そうか、その地には闇が来るのだな」 
 「おそらく」 寂しげに魔導師は言った。
 「分かった。では私は光を見極める準備をさせてもらう。縦糸を紡ぐに相応しいのかをな。地の転移点の守護は任せたぞ」 ヴァルダと呼ばれたドワーフはそう言い残すと来た道を戻る。
 それを確認し、魔導師は荒野を走る風に吹き消される灯のようにその姿を消していった。



〜 Promenade 〜


 ―――ふぅ、さすがに疲れたわね」 青い髪の吟遊詩人は息を就く。
 ふと視線を前に向けると期待した面持ちの三人の少年少女の六つの瞳があった。そしてその向こう,窓の外は赤い夕日が顔を覗かせている。
 「続きはまた明日。早く帰らないと親御さんに怒られちゃうぞ」 
 吟遊詩人の言葉に三人はどうしようか、などと小声で話し合う。
 「私は明日になってもここにいるから」 彼女は微笑み掛けると三人は無言で頷き、酒場の扉の方へと駆けて行く。
 「お姉さん,また明日ね」 
 「絶対だよ!」 
 「今夜眠れるかなぁ」 三人はそう言い残し、酒場を去って行った。
 そして入れ代わるように仕事に疲れた男達が一時の快楽を求めていつもの酒場へと姿を現す。静かだった小さな村の酒場は一日で一番賑やかな時間に入ったのである。
 吟遊詩人は疲れた彼ら,そして自らへ、安らかな音色の竪琴を奏で始めた。
 こうして小さな村の一日は、いつもと変わらずにまた過ぎ去って行く。



 吟遊詩人はカップに注がれたストレートの紅茶を軽く口に含み、試すように胸の竪琴の弦を軽く弾く。
 レン♪
 澄んだ音が朝の彼女と店の主人しかいない酒場に響いた。
 その音につられてか、また三人の子供達がやってくる。
 「「おはよう、お姉さん」」 彼らは思い思いの場所に座る。
 「おはよう,昨日はちゃんと眠れた?」 
 「うん、夢の中にルーンとアスカが出てきたの。二人で楽しそうに笑ってたわ」 
 「僕はなかなか寝つけませんでしたね、はい。歴史の一部を垣間見たような気がしますです」 眼鏡を掛けた少年は言う。
 「俺は…って早く続きを聞かせてよ!」 少年の言葉に吟遊詩人は静かに微笑み、竪琴を奏で出した。



   少女は全てを思い出す、それが良くも悪くもそれは彼女次第。 
   命とは,時間とは,生命とは?
   少年は役割という名の運命は認めず,ただかの娘の為に命を掛ける。
   正と悪,光と闇,そして男と女は表裏一体、心につながりしもの。
   全ての束縛から放たれること、抗わず………




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