5−2


<Aska>
 心がズキっと痛んだ。何故か分からないが、誰かから戦線布告されたような気がする。
 「どしたの? アスカ?」 フレイラースが尋ねる。
 「ううん、何でもない。ね、フレイラース,街を見てまわらない?」 
 「そうね、アル達も呼んで来ていいかな?」 
 「もちろん,じゃ、下で待ってるね」
 そして私達は部屋を出る。なお、ネレイドは寝ている。こいつは一度寝ると蹴っても起きないので無視するに限る。
 これは先程もフレイラースにより実証済みだ。
 また、混乱していた私の記憶は風呂に入って落ち着くことですっきりした。言い換えるとすっかり忘れてしまったということなのだが。
 ”きっといつかはっきりと全てを思い出せる…よね” 私は一階への階段を軽足で下りて行った。



<Camera>
 「失礼」 ブルトン盗賊ギルド長・バインは地下に設けられたアジトの客室に入る。
 その客室には大きな地図を広げた三人の客人がいた。
 「これが今回の戦いに参加する者のリストです。どうぞ」 
 「ありがとよ,アンタは参加するのかい?」 封筒を受け取った女性は、笑いながら尋ねた。それにやはりバインは笑みを絶やさずに答える。
 「いえ、私はこのブルトンのギルドを預かる身。一日でもこの街は目が放せませんので。では全体の指揮お願い致します,ハーティン殿」 
 「はいはい,任せときな。アタイは奴等には個人的な恨みもあるんでね」 部屋を出て行くバインにそう声を掛ける。
 「これがリストか。有名な奴はいるか?」 ハーティンと呼ばれた女性の手から、地図を見ていた男は封筒を取り中の書類を眺めた。
 「毒の牙ライブラとか、破戒神官チェルパンだとか、二殺剣のサルーンなんかがいるの?」 残る女性の言葉にハーティンは首を横に振る。
 「そいつら全員、盗賊ギルドなんかにゃ登録してないわよ」 
 「そうなの? じゃあ、紋様師リャントや水剣アーパスなんかは?」 マイナー過ぎるのだろう,ハーティンは首を傾げる。
 「おい、そんなのよりもすごいのがいるぜ。バインのおっさんも、雇うのは盗賊ギルドの関係者だけとか言っときながら、ゲストを呼んでるじゃねぇか」 男が微笑みながら言った。
 「アルバート=アークス,アイツこんなところで何やってんだ?」 
 「前回のメンバーが揃った訳ね。おもしろくなりそうじゃない」 ハーティンが獣の目で笑って答える。
 「ん? 何だ、こいつは?」 剣士はリストの中の名前の一つに目を止める。
 「どうしたの?」 
 「いや、このアスカっていうのは…人違いだな。さて、明後日が出発なんだから、そろそろ計画を煮詰めようぜ」 リストをしまって男は言った。3人は再び机の上の地図を睨む。
 地図にはここブルトンを北の街道で30kmばかり行った所にあるレガルの村,さらに北にそびえるウライシル山脈と、目的地であろう×印,そしてそれに重なるようにして遺跡のマークが入っていた。



 早くも新たな龍公が龍公国首都アンカムで決まったらしい。若干四歳の第四王子である。王子が成人たる十六歳になるまで、執権は叔父に当たるフラッツという男だという。
 取り合えず龍公国が立ち直るまで、このアークスの南の砦とされるガートルートは彼らアークス第二騎士団の守護の下に入った。
 今回派遣分の龍公軍の内、怪我をした者や最低限首都に必要な人員はアンカムへと引き返し、残りはガートルートの守備に加わっている。
 また傭兵団も一旦解散している。守備に就くのは央国の第二騎士団を加えて約500名ほどの規模だ。
 もちろんザイル帝国内にまで戻ることになるが、この南遥か50kmの所では魔将軍ミレイア=グラッセが少なくなった軍団を再編成し、虎視眈々と侵略の機会を狙っていることだろう。
 「めんどくせぇ…クレイが生きてればなぁ」 
 「団長殿,手を休めない!」 後ろからの叱咤にブレイドは溜め息を就いて再び目の前に積まれた書類の山と格闘を開始した。
 かつてガートルートの総指揮官が用いていた執務室は、今は第二騎士団団長の仕事部屋となっている。
 中央に構えられた大きな机にブレイドは座り、しきりに羽ペンを動かしている。
 その後ろでそれを見守るようにウェーブの掛かった銀色の長い髪を持つ美女が、長めの定規を片手に立っていた。
 「ローティス,君は手伝ってくれないのか?」 
 「団長たるもの、デスクワークくらいこなしなさい。これはその練習だと思いなさいな」 言って彼女はブレイドの背中を定規で叩く。
 「セ、セレスの野郎…よりによってこんな奴を」 
 「無駄口叩かない!」 再びローティスの定規がブレイドの背を打った。
 ローティスは先の龍公に仕えていた軍師であったが、龍公亡き今はブレイドの副官セレス=ラスパーンの紹介により、ブレイドの軍師となっている。
 「去年のガートルートにおける税の回収率/穀物の出来高…?」 
 「そういうものはこの城にある資料室で調べるものです」 
 「んじゃ、行ってくる」 立ち上がるブレイドをローティスが定規で止める。
 「一人でできるんですか? 逃げたりしたら…」 
 「ま、まかせとけって,それじゃ!」 ブレイドは逃げるようにして執務室を後にした。
 一人残されたローティスはブレイドの処理した書類をつまみあげる。
 「鍛えがえのある指揮官ね。おもしろいじゃない」 Sの気がありそうだ…



 「え〜と、資料室はここだな」 城の奥――人気のない広い部屋に所狭しと本棚が並び、そこにはファイルが無数にしまわれていた。
 「マジかよ…でもやらなきゃローティスが恐いし。しっかしどうやって調べりゃいいんだ?」 ブレイドは本棚の谷の間、茫然と立ち竦む。
 カサッ,紙を開く音が奥の方で聞こえてくる。彼はまるで取り残された迷子のように音のする方向へと足を運ぶ。
 本棚の一角にファイルを手に何かを調べる女性の姿があった。歳の頃は二十代前半、黒髪のショートカットに眼鏡を掛けている。
 ゆったりとしたその服装から、おそらくこの城に仕えている書士か何かだろう。彼女はブレイドの気配に気付き、ゆっくりを顔を上げた。
 「あら、貴方は」 少し驚いたような表情で女性はブレイドを見た。
 「調べ物があって来たんだが、何処をどうやって調べたらいいか分からなくてね」 
 「調べ物? どういった物でしょうか? 私でよければお手伝い致しますが」 ファイルをしまって、女性はブレイドに歩み寄る。
 「これなんだが、分かるかい?」 ブレイドは手にした書類を手渡す。それを女性は一瞥して頷いた。
 「こういった資料室の構成はどこでも一緒なんですよ。だからやり方を覚えてしまえばアークスの資料室でも簡単に情報が引き出せるようになりますわ。付いてきて下さい」 
 入口まで戻った2人は、あるパネルの前まで来る。
 「このパネルには分野別に保存されている資料の位置を表しています。貴方がお持ちの物は大別すると国際情勢になりますね」 説明する女性の横顔に、ブレイドは初対面ではない印象を受ける。
 安っぽい小説ではないが、何処かで見たことのある顔だ,彼の感はそう告げていた。
 「私の顔に何か?」 
 「い、いや,美人だなって思って…」
 ”しまった,フォローになってない!” 思うが、すでに言ってしまっている。
 「よく言われます」 
 「おいおい」 なかなか強者ではあった。
 「国際情勢のコーナーはB-15ですから、このパネルで見るとこちらですね」 言って2人は再び移動する。
 「そして内容は例えば穀物の出来高ですから、コの行を捜すんです」 言いながら書士はファイルの一つを手に取り、ページをめくっていく。
 「ほら、ありました。こうやって捜して行くんです。慣れれば簡単ですよ」 ファイルのページを開いたまま、彼女はブレイドに渡す。
 「ありがとう、がんばってみるよ」 書類にデータを書き込みながらブレイドは礼を言う。それに書士は微笑んで答えた。
 「どうせならもう少しお付き合いしますわ。慣れていないと大変ですものね」 
 「良いのかい? 君は仕事があるんじゃ?」 ファイルを戻してブレイドは尋ねる。
 「先程終わりましたわ。今は暇ですから」 
 「助かるよ。俺はブレイドって言うんだ。君は?」 
 「私はセ…」 書士はファイルを落とす。
 「どうしたんだい?」 それを拾い上げ、ブレイドは尋ねた。
 「いいえ、何でも。私は…セリネと申します」 
 「セリネか、可愛い名前だね。よろしく,セリネ」 
 「ええ、こちらこそよろしく」 顔を赤らめ、彼女は答えた。



 「早かったですね」 ローティスは少なからず驚いていた。
 「まぁね、がんばったから」 ブレイドは得意気に答える。そんな彼をローティスはまじまじと見つめ、軽く手を打った。
 「手伝ってもらったようですね,それも女性。だから嬉しそうなのかしら?」 その言葉にブレイドが硬直する。
 「な、何を証拠にそんなことを」 ローティスに背を向けたままで彼は尋ねる。
 「その反応だけで十分だと思うんですけど…。敢えて言うなれば、貴方と書類から微かながら女物の香水の香りがします」 
 「は、鼻の調子が悪いんじゃないか?」 
 「で、お相手はどんな方です? 美人でした?」 ブレイドの言葉を聞かないローティス。すでに検索モードへと突入している。オバタリアンへの一歩手前だ。
 「…書士の女の子だよ」 
 「書士? お名前は?」 不思議そうに尋ねるローティス。
 「言えるか,そんなこと!」 
 「誰にも言いませんよ。それに聞いたからって書士なんて何人もいるんですから」 しつこくローティスはブレイドに尋ねる。それにとうとう断念してブレイドはその名をしぶしぶ白状した。
 「セリネ? セリネ…有名な高山植物の名前ですね。その花は昼は白く、夜は黒くなるって。知ってました?」 意味深げに微笑みながらローティスは尋ねるが、ブレイドは首を横に振った。
 ドアがノックされる。そして三つの人影が入ってきた。
 「キース、手伝ってくれよ。氷室も,助けてくれ」 救いの手を延ばす彼の手に、しかし二人は非情にも手に持った書類の束を乗せる。
 「団長殿、追加です」 最後にセレスが書類の山を積み上げた。
 「デスクワークは慣れが重要です。がんばって下さい。分からないところはローティスが教えてくれますから。それでは」 
 「がんばって!」 三人は部屋を出て行った。再び執務室には二人が残される。
 「お友達もああ言ってますから、がんばって行きましょう」 
 「あんな奴ら、友達じゃねぇ!」 悲痛な叫びが一つ、こだました。



 その日の夜、ローティスは資料室に足を運んだ。月明かりだけが差し込む、そのカビ臭い部屋に一つのランタンの明かりが灯っている。
 「精が出るわね,セリネ」 
 「ローティス…やめてよ、その呼び方は」 セリネと呼ばれた明かりの主は、書物から目を放すと暗闇に浮かぶ女性に振り返る。
 「で、セレス,捜してるものは見つかったの?」 ローティスの言葉にセレスは首を横に振った。
 「いい加減諦めたら? 貴方がセリネっていう偽名を使ってブレイドに会ったのも、もう今が嫌になったから…」 
 「やめて,私はあの人の仇をとるの。そしてあの人の成しえなかった夢をこの私が叶える。ブレイドに付き合ったはちょっとした遊びよ」 
 「死者に義理立てしても仕方無いわよ。似てるじゃない,ブレイドも」 が、ローティスはセレスに睨まれ、口を閉ざす。
 「最後に友達として言っておくわ。貴方はもうできることをやった,割り切ることも大切よ」 ローティスは言いながらセレスに背を向ける。
 「それから…私、あのブレイドって男,気に入ったわ。貴方が目的の為に手段を選ばないというのだったら、私と敵対することになるかもね」 セレスはそれには振り向かず、再び書物を開いた。


 少女は森の中にいた。広い空間の中、知識の実った書物という名の実が本棚という木に収まっている。
 そう、これは遠い日の出来事。
 少女はこの森を熟知していた。その日に彼は現れた。まるで森に迷い込んできた旅人のように。
 「これじゃないしなぁ、分からんな,これは。こんなんでレポートが終わるのかなぁ」 溜め息を就いたのは一人の青年だった。
 歳の頃は少女よりも三,四歳上の二十代前半の男である。
 「どうしたの?」 少女は困った顔をした青年に声を掛けた。
 「学院の卒業レポートを書くのに調べ物があるんだが、どう調べたら良いのかさっぱり分からなくてね。こんなことなら普段から図書館を使っていれば良かったよ」 微笑む青年に、少女は微笑み返して言った。
 「手伝ってあげようか?」 


 人通りの多い街角、魔法光の灯る街灯を背にして一人の少女が立っていた。
 雪の降る夕方のことである。雪とそれに伴う冷気を含んだ弱い風が彼女の長い黒髪を揺らし続ける。
 不意にその風が止んだ。少女は顔を上げた。
 「すまんセレス,遅れちまった」 黒いコートを着た青年が息を切らせて現れた。
 「遅いよ、凍っちゃうかと思ったじゃ…」 怒る少女を青年はコートに包む。
 「で、どうだったの?」 コートの中から少女は青年に尋ねた。
 「来年の春から宮廷騎士団に仲間入りだよ。それも憧れの勇者ステイノバが団長の第二騎士団だ」
 「おめでとう! やったじゃない!」 少女は心からの賛辞。
 「ああ、これで夢にまた一歩近づいたよ」 歩きながら言った青年の言葉に、少女は首を捻る。
 「夢? 夢って騎士団に入ることじゃなかったの?」 少女の不思議そうにな言葉に青年は微笑んだ。
 「そうだよ。それが叶った上での新しい夢のこと」 
 「どんな夢なの? 世界一周旅行するとか?」 
 「ハハハ…まぁそんな大それた事じゃないけど金の掛かることだよ」 
 「何なの? 教えてよ」 
 「叶ったら教えてあげる」 意地悪く、青年は笑った。
 その笑顔が白く曇る。景色が変わり、それはある建物の中に変わった。


 少し歳を経て女性らしくなったセレスの前に、鷲の紋章の入ったマントを羽織る青年がいる。
 「おめでとう、副官に出世だってね」 
 「君も一級書士に昇級したそうじゃないか,もっとも君の実力なら一級書士どころじゃないと思うんだけど」 
 「上の目があるのよ。まぁ社会に出ればこんなものでしょ」 
 「そうかなぁ,それはそうと、仕事中に呼び出しなんてどういうことだい?」 それにセレスは耳を貸すように合図する。
 「貴方と同じ副官のウルバーン王子に気を付けて。何かをやろうとしてるそうよ。確実な噂なの」 彼の耳にそう囁いた。
 「ありがとう、忠告として受け取っておくよ。確かに奴は王子ってことを鼻に掛けて団長からも煙たがられてるしね」 
 「うん、気を付けてね。それじゃ、私も仕事に戻るわ」 背を向けようとするセレスの腕を青年は掴む。
 「どうしたの?」 
 「君への昇級祝いを忘れてたね」 青年は言って、首から下げていたネックレスをセレスに掛ける。それにセレスは驚いた顔で答えた。
 「これ、貴方の家族の唯一の形見なんでしょ! こんな大事なもの、受け取れないわ」 
 「だから受け取って欲しいんだ」 青年は微笑みながら、セレスの頬に触れる。セレスはそっと目を閉じた。


 彼女が目を開くとそこは一件の宿屋だった。
 アークス皇国の街の一つ,商業都市サークロンで豪商達がむやみに私兵を募っているとの情報から、皇国騎士団が派遣された。
 任務上、大きな軍を動かすことは国民の不安を駆ることになるので少数精鋭が徹底された。そしてその役は第二騎士団へと回ってきたのである。
 派遣されたのは第二騎士団の団長と皇国魔術師隊を含む精鋭三十名。そしてサークロンでの事務処理としての書士が5名である。
 無論、この中には第二王位継承権を持つウルバーン第二王子も含まれている。
 その彼らが任地へ赴く途中の借り切った宿屋でのことである。
 「おや、この娘がいつも君の言っている将来のお嫁さんかね」 一階に設けられた食堂でセレスに歳経た騎士が言葉を掛ける。
 「だ、団長!」 白髪の目立ち始めた精悍な中年騎士の言葉にセレスは顔を赤らめた。彼女の愛する騎士は団長ステイノバに必死に何かを訴えている。
 「まぁ、任務とは言え、ここは城内じゃないからな,そう堅くなるな。わしは向こうで食ってるから」 ステイノバはそう言うと、二人の前から姿を消す。
 「私が貴方の婚約者?」 
 「団長の言うことは聞き流してくれ、な?」 
 「いいわよ,婚約者で」 セレスは微笑みながら、カウンターの席に就いた。その隣に青年は座る。
 「しっかし、どうして君がここに就いてきたんだ?」 
 「上からの命令、偶然よ」 ネックレスに付いている銀製の鳥を触りながら、セレスは答える。この間、青年から受け取ったものだ。
 「そうなのか…ん?」 青年の言葉が止まる。
 不意に周りが風景が歪み、マーブルチョコレートのような景色になる。それに一階で食事をしていた派遣軍は騒然となった。
 「セレス,離れるなよ」 異変に、青年は腰の剣を抜きセレスを守るように構える。同じように他の騎士や魔術師達も構えた。精鋭として選ばれただけあり、混乱などは見られない。
 そして食堂の中央の空間が歪み、一人の青年が現れた。その背には輝く四対の翼を持ち、長い黒色の髪を後ろに流している。
 「さて、死んでもらいましょうか」 その男の横にウルバーンが歩み寄って言った。
 「ウルバーン,お前…」 ステイノバの言葉にウルバーンは鼻で笑う。
 「邪魔なんですよ、ステイノバ『元』団長殿」 
 「与えてやったミカエルとしての力の程、見せてもらうぞ」 現れた翼を持つ青年はウルバーンにそう言うと、現れた時と同じように不意にその姿を消した。
 「はっ、リブラスルス様」 ウルバーンは虚空に向かって深々と頭を下げ、ゆっくりと上げる。その面には狂喜の表情が宿っていた。
 「死ねぃ,いでよ、天使ども!」 ウルバーンの声に応じ、彼を中心として四人の武装した天使が現れる。
 「行け!」 ウルバーンの手が振り下ろされると同時に、天使達が襲い掛かる。
 「くっ、体が…」 セレスを守る青年の体が傾く。同じような事が他の騎士達にも顕れた。
 「団長殿、この空間では我々人間の力が著しく低下します、グワッ!」 叫んだ魔術師が弓を持った天使の矢によって額を貫かれて倒れる。
 「怯むな!」 それでも一体目の天使を切り倒したステイノバが叱咤激励する。
 「無駄ですよ」 倒された数だけ、ウルバーンの周りに天使が新たに現れた。
 「くそっ、逃げるんだ,セレス!」 青年はそう言い残し、ふらつく体で天使の一体に切り掛かった。そして二、三合も打ち合うとその天使を無に返す。
 しかし騎士達の数は確実に減って行った。対する天使の数は常に四人。それも一人で四〜五人分ほどの力を持っている。
 「くそっ」 立っているアークスの騎士は片手で数えられる程に減じている。その中にはすでに団長ステイノバの姿はなかった。
 そして青年の前に二体の天使が立ち塞がる。打ち合いも虚しく天使一体の攻撃は防ぐものの、もう一体の振った剣が青年の左肩に深く食い込み、深紅の液体が天使達を濡らした。
 「!」 セレスは叫びにもならない声を挙げる。
 その彼女に弓を持った天使からの矢が放たれ、矢がセレスの左胸に吸い込まれて行った――


 宿屋は燃えていた。それを村人達がバケツリレーで消そうと試みるが一向に収まる気配がない。
 その絶えることのないように思われる轟火を、誰にも見つからないような建物の影でセレスは茫然と見つめていた。
 強い衝撃で歪んだ鳥の飾りが付いているネックレスを手に。


 セレスは主を無くしたアパートの一室に訪れていた。
 「惜しい人を亡くされました」 大家の言葉にセレスは一つある机の引き出しを開ける。中には何処かへの受領書が一枚、あった。
 「これは?」 それは送金を示す物だ。送り先は隣街にある孤児院になっている。そしてそこは何度か聞いたことのある、彼の育った場所でもあった。
 「酔った勢いで一度聞いたことがあります。夢はかわいいお嫁さんと孤児院をひらくんだって。あの方は先の魔将軍グラッセ侵攻で身なし児になりましたから、色々苦労なさったんでしょう」 大家の言葉を聞きながら、セレスは引き出しの中にあった短剣を手にした。
 「必ず仇は取る…ウルバーン,そしてリブラスルス!」 セレスはその長い髪を短剣で切り落とした。黒い霧のようにそれは乾いた部屋に舞う。
 大家に振り返ることなしに、セレスは壁に掛けられた鷲の紋章の入ったマントを取ると、それを羽織った。
 「あんた…」 大家は振り返ったセレスの瞳に強い意志を感じ取ると、言葉を飲み込み部屋を後にする。
 セレス一人残された部屋からは、しばらく遅れて嗚咽が聞こえてきた。


 「セレス=ラスパーンと申します,ウルバーン団長殿」 鷲を形どった刺繍の入った黒いマントを羽織った青年が膝をつく。
 「ステイノバ前団長とその一行を失ったことにお悔み申し、唯一貴方様が御無事であったことへの御幸運をお祈り致します」 それにウルバーンは歩み寄り、青年の顎をつまみ顔を上げさせる。
 「御幸運,か?」 少数の騎士が見守る執務室に緊張が走る。
 「はい、証拠が残らなかったことへの」 無表情に答える騎士に、ウルバーンは薄く微笑んだ。
 「セレス=ラスパーン,お前を第二騎士団副官に任命する」 


 白亜の城と呼ばれていた王城は燃えていた。今まで来たことのないここにまで煙が到達していた。そう、こことはアークス王のいる謁見の間。
 そしてセレスとウルバーン,野心を持った第二騎士団の騎士達は、前を国王と魔術師団長,後ろを第五騎士団団長及び紅の姫シシリアに挟まれていた。
 その状況を楽しむかのように、ウルバーン第三王子は人外の力を発揮する。
 「我が指導者リブラスルスの盟約に基づき出でよ,第七位権天使らよ!」 彼の言葉に反応して、四つの光が彼の頭上に現れる。それはすぐさま形を取り、四人の人形のような顔を持つ天使となった。
 その光景はかつてセレスの見た、あの光景と同じだ。
 「「御命令を。マスター」」 機械的な声が四人の天使から響く。それをセレス達を挟んだ戦力達は、天使という存在に驚く。いや、確かに驚いたにすぎない。
 ウルバーンはその様子にいやらしく笑みを浮かべる。しかしその時、彼はセレスが腰の剣に手を振れたことに気付いていなかった。
 彼はあの時と同じように天使達に命令を下す。
 「あの愚かども達を先程の騎士達のように石に変えてやれ!」
 「「きぃぃ!!」」 吠える天使達。そして彼が『敵』とに意識した生命体は足から石化が始まって行く。
 だがシシリア姫や王達は自らの身に石化が始まりながらも、事の成り行きを静かに見守っているだけだった。
 当然だ、何故なら――彼女がそこにいるからだ。
 「最後に笑うのはこの私だ,フフフフ,ハハハ…」 ウルバーンは動けなくなった騎士達のざわめきの中、これ以上もない笑い声を上げる。
 「あの愚かども達を先程の騎士達のように石に変え…グッ」 その言葉が終わる前に、彼の左胸の後ろから長剣が生える!
 「これ以上はさせませんよ。ウルバーン殿」 セレスは無表情に言い放った。直接の仇は打った。しかし本当の仇はこの男ではない。
 「セレス…貴様,何故裏切る…」 背のセレスにウルバーンは血を吐きながら呟いた。
 「裏切るも何もない。私は貴方に仕えているのではなく、現王に仕えているのだから」 結局、この男は何も知らなかった。愛する人を死に追いやった力をこの狂った野心家に与えた、リブラスルスという男をのことを。
 騎士セレスは突き刺さった剣を捻る。それと供に大量の血がウルバーンから溢れ出し、足もとを赤く染めた。
 我に返った騎士達がセレスに切り掛かるが、それはシシリア姫の付き人によって簡単に阻止される。
 「お前が情報を流していたのか。どうりで分からないはずだよ」 唇の端から血を流しながら、半ば呆れたようにウルバーンは言った。
 情報を流したのは物のついでのことだ。流した先のシシリア姫はセレスが王にのみ仕える真面目な騎士と捉えているようだが、それは大間違いだ。
 ”私はあの人の代わりをしているだけ。だから最低限、騎士らしく” セレスは心の中で呟き、剣を引き抜く。ウルバーンからさらに多くの血が流れ出した。
 その血は血の色の赤ではなく、絵の具のような赤であることに気が付いたのは彼女だけだった。
 「いや、違うか。俺は釣られたんだな,野心があるかどうかを。そうだろう?」 青ざめた顔のウルバーンは振り返り、セレスに尋ねた。
 「シシリアはね。でも私は違う,私は仇を打っただけ。貴方がステイノバ団長を襲撃した当時の副官のね」 囁くようにセレスは言った。
 「私が襲撃したという証拠は?」 血を吐くウルバーン。
 「その時私は書士として同行しあの虐殺の中、唯一生き残った。貴方に私が女であることがバレたしたのは計算の内、貴方の警戒を解く為のね。もっともそれによって殺されたとされた書士であることに気付いていなくて良かったわ」 それにウルバーンの表情が歪んだ。
 ウルバーンはこのセレスを信じていた。おそらく生まれてから最初で最後、人を信じるということを学んだ。
 だからこそセレスに関してはウルバーンは未来への計算の対象外――王になった暁には娶ることを考えていたが――考慮していなかったのである。
 当然、そういったウルバーンの心情もセレスには掌で転がすように分かっていた。
 「…そうか,まぁ、いいさ。お前に殺されるのなら、悔いは、ない」 よろめき、ついにウルバーンはセレスにもたれかかるようにして倒れる。
 「私の人生は暗いものだった。しかし例え演技であっても、お前と出会えて良かったよ。一つ、忠告しておこう。リブラスルスは人間ではない,お前の近く、いや我々人間のすぐそばにいるものだ」 何かガラス状の物が砕けるような音がセレスの耳に微かに届く。同時にウルバーンは息を引き取った。
 リブラスルスは人間ではない,我々人間のすぐそばにいるもの。セレスの胸にウルバーンの言葉が引っ掛かっていた。
 ”やはり奴は人ではないのか,となれば名の表す意味通りの…”


 古代――大図書館がこの地に存在していた。それはアークスという国家がまだ存在していない,スパイラルという魔術による暗殺団によるものであるとされる。
 その場所が龍公副都心,南の砦として名高いガートルートであるという情報が入ったのはウルバーン死後、五日後のことだった。
 セレスは早速、ザイル帝国に苦しめられる龍公援助の形で第二騎士団が向かうように取り計った。
 ラスパーン家は王家御用足しの商家として大きな力,強いて言えばその財力だが、王家を左右させる程の力を持つ。セレスが騎士団に騎士としているのも、ラスパーン家の権力による。
 もっともそれを知る者は王と一部の貴族だけであって、大部分の者はラスパーン家は唯の商人の一族として見ているのだが。
 「お呼びになりましたか? セレス様」 セレスは声に我に返る。執務室の椅子で思いに耽ってしまっていたようだ。
 「ガロン,我々は龍公の援助に向かうだろう。準備をしておけ。だがクレイ殿には内緒でな」 セレスはかしこまる長く黒い髭を持つ巨漢に言う。傍から見ると妙に不釣り合いである。
 「御意」 と、セレスの目に写るガロンの姿が歪む。
 そして早くもその一週間後には第二騎士団と傭兵隊の派遣が決定した。


 このガートルートの資料室には確かに古代文献が多いが、リブラスルスに関しての記述は全くと言ってない。セレスは膨大な書物と格闘を余儀なくされていた。
 そんな中で分かった事――リブラスルスとは『秩序』の意。魔族は世界が混沌へと向かうように作用し、対極する位置にある天使は世界が秩序の方向へと向かうよう、作用する。
 あの忘れもしない姿から、すなわちリブラスルスは天使の眷属であり、何等かの意味を以てウルバーンなどに力を与えた、とセレスは考えている。
 愛する人を亡くして三年、ウルバーンを倒すことはできたが、最も倒すべき相手であるリブラスルスの所在ははもちろん、その正体さえ掴めない。
 ”どこかに、きっと何処かに鍵があるはず!” セレスはまた一つ、新しい書物を手にした。
 と、誰もいないはずのこの図書室から人の声が聞こえてくる。
 「マジかよ…でもやらなきゃローティスが恐いし,大体どうやって調べりゃいいんだ?」 途方に暮れた声に彼女はそちらに視線を移した。どうやらこの知識の森に迷った者らしい。
 その足音がこちらに近づいてくる。
 「あら、貴方は?」 上官であるブレイドの出現にセレスは少し驚く。これほど資料室に向かない男はいないだろう。
 「ここに調べ物があって来たんだが、何処をどうやって調べたらいいか分からなくてね」 困ったようにブレイドは言った。どうやらセレスがセレスであることには気が付いていないようだ。
 ”あの人に似ているわね” 不意に浮かんだ暖かい考えを消し、セレスは尋ねた。
 「調べ物? どういった物でしょうか? 私でよければお手伝い致しますが」
 ”でも少しはつき合ってあげようか、大変そうだしね” セレスは心の中で微笑んで、立ち上がった。
 その瞬間、周りの景色が回り出す。渦となった景色は一点に吸い込まれて行った。そしてそこには一人の忘れもしない男が立っている。
 「我が名はリブラスルス。我を探らんとする娘よ、それは無駄なことだ」 男はそう言い残して消えた。残された暗闇に、男の笑い声だけがいつまでも響いていた。


 「…っは,夢?!」 資料室でセレスは目を覚ました。調べ物をしていて眠りこんでしまったのだろう。
 「おかしな夢ね…ローティスの仕業か」 掛けられている毛布と、本棚に置かれた小さな香炉からセレスは夢の原因を割り出す。
 ローティスは香師としても高い能力を持っている。おそらく自分自身を振り返らせるつもりで、それにまつわる香を焚いたのだろう。
 「貴方に言われるまでもないわ。今でもあの人を愛しているのだから」 セレスは服の上から壊れたネックレスを握りしめる。
 そしてその視線を不意にネックレスから固い石畳の広がる床の上に落とした。
 「これは?」 彼女は掌を床の上に当てる。掌にかすかな空気の流れを感じる。
 「まさか!」 毛布を跳ね上げ、セレスは厳しい瞳をその床へと向けた。

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