5−3


 大陸のほぼ中央に小さな国がある。しかしそれは政治上、国ではない。
 アンハルト公国と呼ばれるそれは、東を清王朝,西をザイル帝国,そして北をアークス皇国の東の公国・熊公国の三国と接し、南には多くの亜人達の住む大山脈と森林とに恵まれた、温暖で土地の豊かな地である。
 この公国はアークスとザイルからは属国として、清王朝からは委任地として見なされることによって、かりそめの独立を果たしていた。
 言い換えれば他国がこれほどまでにこの地に固執するのには理由があるのである。
 どの大国からもその一部であるという見地と三国が接するという地形から、この地は商業能力が高く、また文化レベルも大陸で最先端を誇っているのだ。
 代々、大国を大国で制する世渡りのうまい事で有名なアンハルト公は今期で14代目,当主はまだ二十四歳と若いケイン=アンハルト。
 彼が当主に就任して間もないが、税を軽くすることで今まで以上の交易による収益や、正式な大学の設立など、その政策は次々と功を成し、評判は高い。
 そのケインの住む公国首都ロンの簡素な造りの王城に一人の女性が訪れていた。
 「お久しぶり、ケイン」 執事に連れられて、彼女は当主に謁見する。
 「センティナじゃないか! どうしたんだ? 急に」 茶色の髪と瞳,肌色の肌を持った若き当主は突然の来訪者に驚きも、喜んでいた。
 「珍しいな、鎧は着ていないのか?」 
 「まぁね、機動力を活かすことにしたんだ」 腰に差した剣を叩きながら、彼女は軽快に笑って答える。
 「それは置いといて,頼み事をしたいんだがいいか?」 幾つか並んだソファの内の一つにゆったりとその身を任せながら、彼女は尋ねた。
 「君の頼みを断わったことがあるかい? 反対はあるけど」 苦く微笑んでケインは答える。困ったような、また嬉しいような表情だ。
 「うむ,実はな、ザイルに攻め入って欲しいのだ」 
 「…何か言った?」 
 「ザイルに…」 
 「もう良い,俺をからかってるのか?」 しかしセンティナは真剣に首を横に振る。
 「…本気か?」 ケインは額に汗をしながら目の前の女性に言った。
 「もちろん」 
 「駄目だ,その頼みは断わる」 はっきりとケインは言い返した。
 「どうして!」 
 「当たり前だろ,俺は当主だ。この公国の民を守る義務がある。だいたいどうしてそんなことする必要があるんだ?!」 テーブルに手をついてケインは叫ぶようにして尋ねた。
 「一言で言えば仕返し…かな」 
 「おいおい」 
 「私がグラッセの馬鹿野郎に捕まったのは知ってるでしょう?」 ソファでくつろいでセンティナは髪を撫で付けながら言った。
 「ああ、大変だったようだな」 
 「暗くて狭くて臭い牢獄に何日閉じ込められてたか分かる? 気が狂うかと思ったわよ」 言ってテーブルを叩く。
 「それに口では言えないあんな事やそんな事やこんな事さえ、させられたんだ!」 一気にまくし立てるが、ケインはそれを聞いているのかいないのか,メイドの運んできたコーヒーを受け取り口に運ぶ。
 「…何でそんなに呑気なの?」 
 「偽の書類にサインさせられたり、契約書を書かされたり、内職をさせられたんだろ。俺が一体何を想像すると思ったんだ?」 
 「あら、分かってた? とぉにかく! 許せないの,あいつは!」 
 「この国の立場を考えろよ! ウチは三国のバランスの上に成り立ってるんだぞ。軍隊が欲しけりゃ、お前,一応ザイル王族の血があるんだからそっち方面で頼んでみろよ。それが駄目でもお前に付いて行く騎士は多いだろ?」 
 「まぁね。でも私はあんたと騒ぎを起こしたいの。勝手だけど,最後に一番って決めた人と大きな事をやりたいんだ」 ケインの瞳を見据えてセンティナは言う。
 しばらくの沈黙の後、視線を外したのはケインだった。
 「全く勝手だよ,君は…そこまで言われたら、しかしやるしかないな」 
 「ありがとう」 
 「しかし! 君の言うような騒ぎじゃないぜ。このアンハルト公国お得意の戦い方だ」 ニヤリと微笑んで、ケインはソファから身を起こした。



 熱い溶岩の河が彼の側を流れていた。そして天井に見える大きな穴からは太陽の光と風が入りこんでくる。
 その穴の下には赤々と燃える溶解した岩が深い穴の中で脈動していた。しかし彼のいるこの場・火の門周辺にはその熱は伝わってこない。
 そこは火口の中だった。
 ザイル帝国の南に位置するササーン王国。その北部――ザイルとの国境であるが、山脈群にファレイラ火山と呼ばれる活火山帯がある。
 そして知る者はその火口の一つの中にいつ造られたのか分からないが、何等かの建造物の存在を確認していた。
 しかし何時噴火するか分からない、この危険な場所に立ち寄る者はいるはずもない。つい先日までは。
 「急激に力が弱まったからと聞いたが、長い年月を経ても結界の力はこれ程までにあるのか、さすがはフィースだ」 火口の中程で横穴が掘り抜かれており、そこには溶岩が固まったできた小規模な神殿があった。
 神殿は明らかに何等かの意志に基づいて造られたものである。そして奥には固く閉ざされた巨大な門があった。
 その門を見上げながら、彼は刀を鞘に納める。彼の足下には武装した天使の屍が消え掛かろうとしている。
 彼はシェパード犬の鋭い顔に黒い毛,遊牧民を思わせる貫頭衣を着こんだノールの剣士であった。
 人間の歳に直せば三十代半ばであろう。
 不意に彼に戦慄が走る。軽く刀を動かし、振り返る事なく背後から飛来した金属片を打ち落とした。
 「お久しぶりね、レナード」 来客は女性の声でそう、彼に声を掛けた。
 「ライブラ,随分なあいさつだな」 レナードと呼ばれたノールは刀を再び鞘に戻して懐かしい来客に振り返る。
 そこには彼と同じノール族の女性が数本の短剣を空中で投げながら微笑んでいた。茶色の毛並みはこの結界に入るまでの熱による汗からであろう,しっとりと濡れている。
 二人はしばらく見つめ合う。一瞬ライブラの瞳に寂しいものが映るがすぐに消えた。短剣をしまってライブラが言う。
 「腕が落ちていないか確認してあげたのよ。でも何よ、ここ。暑くてやってられないわね,結界の中は涼しいけど。これが火の転移点なのね」 門を見上げて確認するように呟くライブラ。
 「しかしお前が来るとは思わなかったな,村の方は良いのか? 守備頭のお前がいないとあのジジイ達が困らんのか?」 レナードはライブラに尋ねる。
 「良いのよ、困らしておけば。それに私の代理くらい育ててるわ。ったく、アンタが出て行かなければ私がこんなに苦労することなかったのに!」 
 「だからあの時、私はお前を誘っただろ」 それにライブラは口を閉じる。
 レナードは気まずい顔になり、門に視線を移した。
 「ルースの奴、面倒な役を押しつけおって」 レナードの呟きを聞く事なく、ライブラは門に近づこうとする。そんなライブラをレナードは片手で制した。
 「近づくと危ないぞ。マナの虜になる」 
 「そうなの? だからこういう奴等が狙うのね」 ライブラは腰に指した短刀を抜く。同時にレナードもまた剣を抜いていた。
 彼らの背後には五体の神々しい姿を持った人型,天使達が手に剣を構えながら虚空から姿を現す。そのどれにも人形のような雰囲気が漂っている。
 「確かにあんた一人じゃきついわね、何せこの結界を越えてくるんだから」 
 「私はお前の知ってる昔の強さじゃないぞ,お前こそお荷物になるなよ」 
 「言ってくれるわね、見せてもらおうじゃない,アンタの力を」 
 「「光波斬!」」 振り向きざまの二人のノールの技が一体となって天使達に襲い掛かった。
 再び、今度は二人での戦いの始まりである。



 熊公国首都ブルトンから北へ行ったところにあるレガルの村。
 この村からさらに北に広がる大森林に踏み込み、ウライシル山脈を目指すこと十数kmの所に岩山の一角をくり抜いた比較的大きな神殿があった。
 山脈の一角に存在するその神殿は恐ろしく古いものであるにも関わらず、風化が余り激しくないところに、ある者は強い魔力を感じることだろう。
 その神殿の前には小さな村が拓けていた。ちらほらと人の姿が見て取れる。その誰もが魔導師のようなローブを羽織っていた。
 暗殺を生業とする魔法を探求する者達――スパイラル。ここは彼らの本拠地であった。
 そして神殿の奥、最も深い所に彼はいた。
 巨大な扉を背に、白髪の混じった中年男が待っていた。白いローブに高い神官がかぶるような帽子を目深にかぶっている。
 深い皺が幾重も彼の顔を刻み、黒い瞳はじっと虚空を睨んでいる。何より言い知れないものを彼は周囲に発していた。
 人外の力――息詰まる程の聖気――それは魔族の発する樟気に相反するもの。
 そこは巨大な部屋,ドラゴンが立って歩いても頭をぶつけることはないであろう,そう思えるほど高く、かつ広い部屋だった。
 何より部屋に相応しい大きな扉が男の後ろに堅くその口を閉ざしている。
 また普通の出入り口がその反対側にある。扉が不意に開いた。
 紫のローブを羽織った同じく中年の男が、背を向けたままの男の前にかしづく。
 「偉大なる我らが指導者、ラ・カーリ様に申し上げます」 ローブの男は跪づき頭を垂れたまま告げた。
 なお、ラとは呪語魔法教団で最高指導者に付けられる冠詞で、次に位置するのが導士を意味するレイである。
 ラは当然一人であり、レイの名を持つ者は教団内において少なくはない。そして次にエア,そして最下位であるアースが続く。
 「鍵の消息を捕らえ、逆探査を開始致しました」 中年の報告にラ・カーリはゆっくりと彼に振り返った。
 高位の神官がかぶるようなベレット帽をかぶった四十代後半であろう,その男は雪のような白い肌を黒いローブで覆っている。
 細い瞳を持った整った顔立ちに、生気のないような白さと冷たさが伺えた。
 「さようか。レイ・セイル」 その無表情だった最高司祭に僅かな感情が生まれる。
 「はっ、鍵は我々がこの地の風守であるリャントよりここを占拠する際に、混乱に乗じて『黒の突風』と呼ばれるダークエルフの盗賊団に宝物共々持ち去られたのです」 
 「黒の突風…ほぅ」 細い目をレイ・セイルに向けて、彼は呟く。
 「その盗賊団は途中、精霊を扱うコブリンが率いる大野盗団の罠に掛かりまして、宝物共々鍵もその野盗団に奪われたようです。そしてこのコブリンの野盗団も次第にその数を減らして行き、結局アークス−エルシルド間の、かつてエルフが迷いの魔法を掛け未だに作用している小さな森に居を構えたようですが、近くの村による盗伐で全滅したとのこと」 以然、頭を垂れたままレイを名乗る魔術師は言った。
 「そうか、それから?」 話を促すカーリ。穏やかな彼の前にも関わらず、セイルは冷汗を流していた。
 「鍵は村の雇った傭兵の手に渡った模様で御座います。そしてその傭兵は…」 セイルの言葉にラ・カーリは微笑む。それは彼を大いに満足させるものであった。
 「盛大に歓迎するのだ。任せたぞ,レイ・セイル」 
 「ハハッ!」 魔導師は答え、走るようにして部屋を後にした。
 「よもや向こうからやってくるとはな,時もまた私に味方をしているようだ」 そう呟きながら司祭は振り返り、背後にある巨大な扉を見上げた。
 「この風のラグランジュポイントを制圧できれば、リブラスルス様の御力も御戻りあそばされるであろう。そしてこのガブリエルの集めた力によって!」 男の顔から笑みが漏れる。そして再び聖堂は彼の好む沈黙に包まれた。



<Aska>
 盗賊ギルドでの戦い方は小人数制を重視し、機動力の高いとされる三身一体制である。
 あっと言う間に二日が過ぎその翌日の早朝、私達は盗賊ギルド仲間およそ二百人とともに街の北、30km程行った所に並ぶウライシル山脈の一角へと足を進めた。あとの三百は別働隊の様である。
 「明日の夜に麓街レガルで落ち合うことになっています」 イーグルが言う。私はネレイド、イーグルとともに三人で行動していた。
 盗賊とあろう者が軍隊ではあるまいし、二百人で並んで行くことはない。こうして三人一組になって目的地で落ち合うことになっているのだ。
 ちなみにアルバート達は、あの三人で私達より一足早く街を出ている。
 アルバートとフレイラースはギルドから渡された妙な薬で、体力が昨夜にはすでに完全に回復していた。良薬口に苦しという諺は事実であったと思わざるを得ないが、基本的に体力が尋常ではないのだろう。
 ともあれ朗らかな小春日和、私達が森の中の街道に差し掛かった時である。
 「ふむ」 フードを頭から被って日の光を避けるイーグルが急に立ち止まる。
 「どうしたの? 貧血?」 
 「囲まれたわね」 隣ではネレイドが呟き、腰の新調した鞭に手を掛けた。
 不意に野球ボール大の火の球が一つ、飛んでくる。
 「飛べ!」 イーグルの叫びに私達三人はその場から身を投げ出す!
 ゴゥ,背中に熱と爆風を感じながら私は地面に伏せた。収まったのを感じると、私は立ち上がり腰の剣を抜き放った。
 「スパイラルの刺客?」 おそらく盗賊ギルドの行動は彼らに漏れていたのであろう。そして多勢に無勢となる前に各個撃破を狙ったものか?
 辺りは舞い上がった土埃に視界は奪われているが、殺気は感じ取れる。ネレイドとイーグルはすでに剣を交えているようだ。
 「後ろ!」 私は剣を突き出す。固い衝撃とともにそれは弾かれた。
 私はすぐに構え直す。
 「我らが主に仇成さんとする者に死を!」 大斧を持ったスキンヘッドの巨漢が、まるでスイカ割りでもする如くそれを振り下ろしてきたのだ!
 「おっと」 軽く身を捻って交わす。大斧は地面にめり込むと土を付けたまま、再び私に横から襲い掛かってきた。無理な体勢からの攻撃だ。
 大きく空を切って大斧が私の鼻を掠める。その時にすでに私の呪文は完成していた。
 「雷撃よ!」 叫び、伏せる。上空から光が飛来し、大男の斧や他の何かに炸裂した。
 「ぐおぉぉぉ!」 絶叫を上げて体中から煙を上げる男の胸に、私の剣が突き刺さった。
 「次。風よ,真空の刃となってかの者を打て!」 剣を残したまま私は風の精霊の力を借りて、後ろで剣を持ったまま痺れて動けなくなっている二人の戦士に刃を投げる。
 二人は絶叫を挙げる間もなく、その場に倒れ伏せた。
 土埃も晴れ、同じようにネレイドやイーグルの回りにも教団の刺客なのであろう,戦士達が倒れているのが見えた。
 「ちょっと、アスカ! もしも私達が金属を持ってたらどうすんのよ!」 ネレイドがわめく。さっきの雷撃のことか…惜しい。
 「今、惜しいとか思わなかった?」 
 「う,ううん、別に」 突き刺さった剣を引き抜いて、私は曖昧に答えた。
 「まだだ,火炎球を投げた魔導師の姿がない」 イーグルの注意に私達二人は周囲に集中する。
 するとどこからか呪が流れてくるのが聞こえた。どこかに隠れている,そしてこの呪文は…。
 「風よ、私達を貴方の腕の中に!」 精霊の力を借りるのが早いか,突然地面が巨大な顎と化し、地面の上にあるあらゆる物を飲み込まんと蠢き始めた。
 「な、何よ,これ」 ネレイドがおぞまし気に言う。
 風の精霊によって地上から2m程の高さに浮いた私達は、街道の固い地面が倒された戦士達を飲み込んで行くのを見た。倒した敵の中にはまだ生きている者が大半だ。
 「仲間を仲間と思ってもいないの?!」 
 「そこだ!」 イーグルが空中で安定を取れないながらも、矢を森の中へと放つ。それが吸いこまれるや否や叫び声が挙がった。
 それとともに地面の胎動は終息へと向かう。
 「終わった…わね?」 地面に足を付けて私は呟いた。今まで戦っていたのが嘘のようにその跡は地面に吸いこまれてしまっていた。
 「レガルまでは本当に力のある者だけがたどり着けそうだ。気を付けよう」 イーグルが日の光によろめきながら言う。心配が増した。
 「奇襲がばれてるのに勝ち目はあるのかな?」 まだ見ぬ敵の本拠地に、私は言い切れぬ不安を隠し切れなかった。



<Camera>
 シリアは懐にしまったペンダントを服の上から強く握りしめた。その中には彼女の両親の肖像画が入っていることをソロンは知っている。
 「良いのか、シリア?」 隣に心配そうに座る剣士が言った。
 「これは私自身で決着をつけなきゃならない,そうしないと一生後悔するわ。そして本当の意味で新しい自分になれない――だからソロン,約束して。私が呪力に捕まったら、貴方の手で私の命を断つことを」 迷いのないシリアの瞳をソロンは寂しげに見つめる。そして静かに頷いた。
 「O.K.シリア。そういうことだ,行くぞ、イリッサ」 立ち上がる剣士の後に、一人の女性が続いた。
 「だから七年前、最後までいて決着をつけるべきだったんだよ。そうすればシリアだってここまで苦しむことは…」 赤毛の女性の言葉を、しかし魔導師は止める。
 「イリッサ、やめて。あの時はあれで良かったの」 同じく立ち上がったシリアは呟く。
 熊公国首都ブルトン――ここに盗賊ギルドの別働隊が動き始める。
 先発軍はいわばオトリ、盗賊ギルドの動きが読まれているのは周知のことであった。だから出発直前にイリッサはバインを呼んで隊を半分にし、先発隊と後発隊とに別けたのである。
 「さ、私達も行くわよ」 イリッサの後にソロンとシリアは続く。
 春の芳香を含んだ風が舞い、三人の影が街道に長く延びていた。



 アルバートの星剣が魔導師の一人をなぎ払う。
 その横では彼を狙って飛来した魔法による光の矢を、水の精霊を呼び出して跳ね返すエルフの姿がある。
 そしてその後ろでまるで影の様に、襲い来る三人の戦士を火炎球の魔法で吹き飛ばすイルハイムが動いた。
 「ざっとこんなものか」 
 「私も体調は万全!」 病み上がりの二人は嬉しそうに空を仰ぐ。
 「こいつら、俺達だから狙ったようじゃないな,どうやら盗賊ギルドの動きがすでに教団の方に漏れてるようだ」 地面に倒れる刺客達を蹴飛ばしながらアルバートは言った。
 「レガルにたどり着く者の数が減りそうだな。もっともこれしきの奴等にやられるような者は邪魔なだけだが」 杖を握り直してイルハイム。
 「でも大丈夫かな? アスカ達」 
 「こんな奴等にやられる程、おしとやかじゃないだろ。それにあの鷹の瞳・イーグルが就いてんだからな」 剣を鞘に戻しながらアルバートがフレイラースの背中を押した。
 「さっさとレガルに着こうぜ,俺を狙ってる馬鹿者の面をとくと拝んでやる」 拳を握りしめ、若き王子はその足を早めた。



 翌日早朝――レガルの村外れ,およそ三百数十名の腕に技のある者達が重たい沈黙の中、集まっていた。彼らの表情は多少疲れの色が濃いものが多い。
 結局この地に辿りついたのは出発前のおよそ半数強だ。
 「………」 人間の発することのできる最も高い音を用いてのギルド専用の言葉で彼らは組織的に動いて行く。
 それは聞く者には都会のざわめきの様にうるさいものだが、一般人には聞こえない音域である。
 彼らは二つに分かれその二つもやがてさらに二つ三つと分かれて、目的地である山脈の奥地を目指して行く。
 小一時間も経ったであろうか、十数人の比較的大きいグループにアルバート達はいた。
 「元気そうだな,アルバート。あんまり遅いから途中で死んじまってるかと思ったぜ」 
 「嫌になるほど刺客が多くてな。結局途中で二・三時間しか寝てねぇよ」 眠た気な目をこすって、アルバートは男――ソロンに答えた。
 「シリアの顔色が悪いが大丈夫か?」 少し離れた所でフレイラースとともに歩く女性を見て、彼は尋ねる。それにソロンは軽く頭を縦に振っただけだった。
 ふと彼らの進軍が止まる。先頭を行く赤毛の女性の小さな声が伝わってきた。
 「私達は今日夜半、正面から乗り込む。今から最後の休憩を入れる。皆、心して掛かってくれ」 イリッサの休憩の指示に一同から多少、緊張が緩む。
 「確かに俺程の囮はいないだろうな。ソロン,お前もだぜ」 
 「俺は顔が割れてないから効果はないよ」 不敵な笑みを二人は漏らして呟き合う。
 「生きてまた会えたら、酒でも飲もう」 
 「ああ」 ソロンはそう言い残しアルバートの元を後にした。彼の視界の片隅に、入れ替わるようにしてアルバートの元に駆け寄るフレイラースの姿が入る。
 「気分はどうだ? シリア」 青い顔をした相棒に、彼は肩を貸した。そのまま、二人はその場に座り込む。
 「…ソロン,しばらくそのままいてね」 魔導師は剣士の背中に寄りかかったまま、目を閉じた。背中に受ける感覚を頼りに、自分自身を再確認していく。
 シリアはまるで自分の中にもう一人の自分が生まれ、今の自分を突き破ってしまう感覚に襲われていた。それは今日に始まったことではない。
 今までは年に一度だけ、自らの魔力の最も低下する時期にだけこの感覚に捕らわれていた。しかし今はその呪いの制約に直に対面している為、終時自らを魔力で制していなくてはならない。
 呪い――すなわち血の制約と呼ばれるそれは、スパイラルに一生の忠誠を誓い、使命を果たすこと。
 そして彼女に課せられた使命とはアラン=エリシアンの忘れ形見・ソロン=エリシアンなる人物を殺すこと。
 彼女は十数年前に課せられたこの制約は破ることも、また果たすこともできないまま現在に至っている。
 そして今、彼女は自分自身の意志の下にこの制約を破ることを決意していた。破った上で、ソロンを倒すかどうか――本当の自らの意志を知りたいのだ。
 「…ソロン?」 
 「ん?」 寄り掛かっている先からの声に、彼女は安堵する。
 ”何故安心するの? やっぱり私は…”
 目を逸らすと隣では携帯食を摘むアルバートとイルハイムの姿が入った。
 いつもならここに渋い表情の中年騎士がいるはずだが、彼は仲間の命を狙い、その仲間によって命を奪われたことをシリアは聞き及んでいた。
 シリアはこの数日、ナセル=ウルトと自分を重ね合わせていた。自分はナセルと同じように仲間に――ソロンに剣を振り上げることができるだろうか?
 そしてその命を奪うことができるだろうか?
 教団から派遣された当初ならば何の疑いもなく実行できるだろう,いや実際にやった。
 呪い以前に彼に恨みがあるからだ。だが今となっては自分の命を失っても、それだけはできないと思えるようになった。
 いつから考えが変わったのか、それすらも分からないのだが。
 ソロンに戦いを挑んだことは何度もある。そのどれもが当然、敗退に終わっていた。しかし今なら勝てる事は知っている。
 ソロンは決して自分を倒すことはないし、彼は殺すくらいなら殺された方が良いなどと本気で思っているからだ。
 だからこそ戦えないのではないか? 例え両親の仇の息子であったとしても、自分を誰よりもよく知り、大切に想ってくれている人に手を上げることはできないのかもしれない。
 ”私はソロンが好きなのか? しかし…”
 故に決着をつけるのだ。制約を解き、自分の心に素直になるために。
 「覚悟は良い,シリア?」 緋色の髪を後ろで束ね、革鎧を身に付けたアークスのギルド長・イリッサ=ハーティンが屈み込むようにしてシリアに尋ねる。
 「ええ。さぁ、行くわよ,ソロン!」 彼女は全てを振り払うかのように、愛用の杖を握る左手に力を込めながら立ち上がった。



<Aska>
 フクロウの寂しい鳴き声が木霊する。眼下に広がる風景はどう見ても、目的地レガルの村ではなかった。
 簡素なレンガ造りの建物群は整然と列を成していることが明るい月明かり下、見て取れる。そしてこの小さな村は私達の丁度下にある荘厳な神殿の前に広がっていた。
 私達のいるほぼ垂直の絶壁を背に,どちらかと言うと半分埋め込まれた状態の神殿は都市の建造物とは異なり、大変古いものらしい。が、現在使われているようだ。
 その証拠に神殿の正面入口にはローブ姿の衛兵らしき者達がここからでも小さくながらも二,三人見て取れた。
 さらに私達の今いる山脈の延長上のこの巨大な岩山には、所々人の入れるような穴から小さいものまで口を開いており、強烈なまでの風が噴き出していた。
 いわゆる風穴と呼ばれるものであろうが、その存在を忘れると吹き飛ばされて絶壁をダイブしかねない、物騒な風だ。
 「どうすんのよ! 何処よここは!」 
 「今更レガルに戻ったところで一日遅れですよ。どうします?」 
 「二人いっぺんに話しかけないでよ! 足下が崩れそうだからそれどころじゃないでしょうが!」 私は二人の同行者に怒鳴り返す。
 今の声で狭い道幅がさらに崩れて狭まった。崩れた岩が岩壁を落ちて行く。
 「とにかく下に降りよう。人がいるし、レガルの村について知っている人がいるかも知れない」 私はそう言いながらなるべく緩やかな斜面を狙って進んで行った。
 途中でイーグルから地図を奪い取って私が先頭を行ったのがいけなかった。自分でもこんなに方向音痴だとは…。
 眼下に見える村を目指して、頼りない足場から丁度休憩できるような岩台にたどり着く。私はほっと一息、胸を撫で下ろした。
 「アスカ,本気で下の村に行くワケ? どう見ても怪しい連中よ。もしかしてあいつ等が目的のスパイラルの連中かもしれないわ」 その場に座り込みながら、ネレイドは髪を掻き揚げて不満気にぼやく。
 「ネレイドは深読みしすぎよ。確かに皆が皆、魔導師みたいな服装してるけど、それじゃ出来すぎたお話じゃない。世の中はそんなに狭くないわ」 
 「しかしアスカ殿。神殿の前に掲げられてる旗みたいなものがあります。俺は夜目が効くから見えるのですけど、二匹の蛇の紋章が描かれていますよ」 イーグルの控えめな意見に私とネレイドの息が凍り付く。
 双蛇は云わずと知れたスパイラルの証だ。
 「ま、まぁ,そういうことで。ほら、ここで待ってれば盗賊ギルドの皆と合流できるじゃない! ね、イーグル」 
 「そうはいかないよ、お姉さん」
 返事は上空から返ってきた。月光が遮られ、私達は何かの影の下に入る。
 イーグルが矢を番える。数瞬遅れて私とネレイドが武器を構え、空を見上げる。
 影は巨大な鳥,その鳥は威風堂々と夜風に双翼を泳がせ…傾く!
 「?? うわぁぁぁぁ!」 巨大な鳥ガルーダとその主人は、そのまま私達と離れた所の岩壁に衝突した。二つの影は崩れた岩に埋まる。
 「何だあれは?」 イーグルが呟いた。彼は知らないはずだ。
 崩れた岩を撥ね除け、少年は現れた。ガルーダのお蔭か、ダメージは負っていないようだ。
 「鳥目っていうのを忘れてたよ。また会ったね、お姉さんとおばさん!」 そう、彼はアルバートとフレイラースを爆殺しようと目論んだ少年だった。
 「誰がおばさんか!」 ネレイドが鞭を鳴らす,が、少年には無視された。
 「ともかくあんまり気は進まないけど死んでもらうよ。侵入者は始末するように言われてるんだ。我が文様の元に出でよ! 石化の妖鳥コカトリス!」 
 「コケ〜ッ!」 少年を守るようにそれは虚空より生じる。蛇のような鱗をその身に纏った大人の人間ほどもある、赤と茶色の混じった鶏。しかしその両目は白く冷たく光を放っている。
 「速き風よ,その身に炎の猛々しさを持ってかの者達を粉砕せん!」 先手必勝! 私は両手の間に生まれた高温の火の球をその幻獣に投げつけた。
 コテ
 魔力によって生じた爆弾はコカトリスに当たる間もなく私達と少年の間に力なく落ちた。そして来るはずの爆発も起きない。
 「あ、あれ?」 
 「石化されたようですね。石化できるのは物質のみではないということです」 イーグルの冷静な分析。
 確かにコカトリスには石化の能力があるとは云われているが、悪魔メデューサでさえ魔法の効力を石化などできないはず。
 「いつまでぼーっとしてんのよ! 奴に睨まれたらあんたもアッという間に石ころよ」 ネレイドの叱咤に我に返る。
 「コカトリス,やれ!」 少年を狙って駆けるネレイドにコカトリスの両目から二条の白色レーザー光が走る!
 「おっと!」 紙一重で交わすネレイド。しかし白色の髪の一房が硬質のそれに変化し、崩れ落ちる。二度目の石化光線も何とかかわし、ネレイドの鞭がコカトリスの首に巻きつた。
 窒息状態となる幻獣は目標を定めずに石化光線を辺りに撒き散らした。
 そのコカトリスに次々と矢が突き刺さり、命を削り取る。イーグルの物だ。
 「くっ,我が右手の紋様の下、召喚に応じろ! 地獄の番人マンティコア!」 コカトリスを見限ってか、少年は新たに幻獣を召喚した。
 耳のつんざくような音波を伴って、第二弾はやはり虚空より現れた。
 老人の頭にライオンの体,そしてコウモリの翼にサソリの尻尾を持つ怪物に少年は命令を下す。それに応じて老人の顔にゾッとするような笑みがひろがった。
 幻獣マンティコア――魔獣の中でもかなりの力を持っている。
 「フン!」 ネレイドが鞭を強く引くとゴキッという鈍い音がする。窒息と矢に貫かれ、弱った幻獣コカトリスはネレイドによりその首の骨を折られて絶命。現れたときと同様、虚空へとその姿を消した。
 入れ替わるように何かを呟くマンティコアが手近のネレイド目掛けて襲いかかる!
 「やばっ!」 声を挙げて、ネレイドはその場に硬直する。マンティコアは確か魔法を使えるのと聞いたことがある。
 「失せろ、この聖なる銀の矢の下に!」 彼の放った矢は月明かりを反射して、幻獣の額に突き刺さった! マンティコアの動きがネレイドの直前で止まる。
 「何?」 その硬直したネレイドを黒い霧がさらう! それは私の隣で形作った。
 「あ、あぶね〜,食われるかと思ったわ」 魔法が解けた彼女は胸を撫で下ろす。
 「勝手に一人で出るからだ」 その霧はイーグルだった。元の姿に戻った彼の背にはコウモリの翼が付いている。忘れていたが吸血鬼としての能力を使ったようだ。
 「人間じゃないのか?」 少年の声,そしてマンティコアはしかし、ゆっくりと額に銀の矢を残したままこちらを向く。
 「…全てをその業火の下に焼き尽くし…」 
 「二人とも私に寄って,来るわ!」 朗々としたしわがれた呪文に私は危険な魔力を感じて風の精霊を呼び寄せる。
 「風よ、私達に結界を!」 幻獣の放った炎の呪語魔法は私が張った結界もろとも、その炎と爆風で包み込む!
 「うっ、この化け物,魔力が半端じゃない」 歯を食いしばって私は結界を支える。重圧が私を襲い、それは私の――いや私達の足下を突き破った。
 「え? 穴があいた?」 ネレイドの声とともに浮遊感が私を襲う。
 ゴオオオォォォ!
 私達の頭上を炎が過ぎ去って行く。その明かりは次第に小さな物となって行った―――



<Camera>
 三人は突然口を開いた穴へと落ちる。結界が途切れ、彼らの頭上をマンティコアの炎の魔法が通り抜けた。
 「な、何でこんな所に穴が?」 少年の驚きは長くはなかった。
 重力に逆らってネレイドが,そして翼をはためかせたイーグルが穴から出てくる。
 「あちゃ〜、アスカはおっこっちゃったみたいね」 宙に浮いたネレイドは足下に開く漆黒を底にした穴を見下ろす。
 「何故お前は落ちない? 魔法が使えたのか?」 驚きの視線でイーグルはネレイドを睨む。
 「まさか,私とあんたは同族ってことよ。薄々感じていたでしょう?」
 「何を二人でぶつぶつ言ってる! マンティコア!」 見かけよりも素早く、ライオンの爪で襲いかかる幻獣にネレイドの姿が忽然と消える。
 「ゴハッ!」 幻獣の真横に移動した彼女はその腹部に拳を叩き付ける! 拳はマンティコアの胴体を引き裂くほどの強力なものだった。
 幻獣は口から青い血を吐き、虚空へと消える。
 「次はあんたよ,ガキんちょ!」 血に濡れた拳で少年を指さすネレイド。イーグルの矢も少年の額に照準が合っていた。
 しかし彼は余裕の微笑みを浮かべる。
 「僕の名はエリアスだよ、おばさん。勝負はひとまず預からせてもらう,おばさんがそんなに強いとは思ってなかったからね」 少年エリアスの額に紋様が現れると、彼の姿が薄れていく。
 イーグルの矢がエリアスの額に向かって射られる。が、それは彼の幻影を突き抜け後ろの岩盤に突き刺さったに過ぎない。
 「じゃあね」 言い残し、エリアスの姿が完全に消えた。
 「妙な技を…逃げられたわね」 
 「アスカを追うぞ,ネレイド」 エリアスなど気にも止めていないのか、イーグルは穴の中へと降下していく。
 「ちょっと待ってよ! 本当に行くの?」 慌ててそれを、ネレイドは追った。
 漆黒の闇は下からの風を伴い、二人をやがてその腕の中に包み込んで行った。



 月が雄牛の角を示す星域にまで差し掛かる。
 「突撃! 派手にやって奴等の目を引き付けるわよ!」 イリッサは生き生きとした表情で、彼女に従う十数人の同胞達の先頭を駆け出した。
 彼らの前には、茂みの間から薄い明かりが見える。それはスパイラルの集落からの物だ。スパイラル側にこの奇襲はすでに察知されていると考えていい。
 それに対してあれだけあったレガルの村までの移動の際の襲撃が、村からここまででは罠すらなかったということは、彼らの集落に勢力が手ぐすねをひいて待ち受けていると考えて良いだろう。
 ”私達がどれだけ引き付けてられるか,ね” イリッサは心の中で呟いた。

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