5−4
<Rune>
”暗い,ここは何処だ? そして君は…”
「はっ!」 僕は目を覚ました。いつの間にか寝汗をかいているが、全身凍りつくように寒い。
「どうした? ルーン。悪い夢でも見たか?」 焚き火に薪をくべながら、アレフは僕を眺める。
「鎮静剤でも出しましょうか? 良い薬があります」 こちらはラダー。相変わらずの細い目の笑顔は何故か安心を与えてくれる。
「いや、大丈夫。ちょっと変な夢を見ただけだから」 呟き、僕は焚き火に当たった。全身小刻みに震えるのは寒さからだけではない。
「そうですか,でも丁度良かった。見張り交替の時間です。アーパスを起こしますね」
ラダーは微笑みながらそう言うと、僕の隣で寝息を立てる剣士の鼻を摘み、何処から出したのか水の入ったヤカンを出してその口に注いだ。
「ぶべっ,何しやがんだ! てめえ!」 水を吹き出してラダーに顔面パンチを食らわせるアーパス。そんな二人を見やりながら、溜め息をついてラダーと共に見張りをしていたアレフは床に就いた。
”どうしたの、ルーン? 心拍数が上がってるわ” 傍らに置いた剣からの思念に、僕は少し考えてから答えた。
”妙な夢を見たんだ。自分が自分じゃなく他人の目から回りを見ているような”
”無理して言葉にしなくて良いわよ。私達の会話は心の伝達なんだから”
目を閉じるとイリナーゼの微笑む姿が見える。それは僕のことなら何でも知っているような,いや、実際知り得ている可能性もある。
そして彼女の存在故に、弱くなってしまいそうな自分を捨てるように僕は目を開いた。
”もう大丈夫、ありがとう,心配してくれて”
「何ぼんやりしてんだ,ルーン?」 剣の塚で頭をこづかれ、僕はイリナーゼとの会話を打ち切る。焚き火の対する側で眠そうな顔のアーパスがいる。
「なぁ、アーパス。ここは何の建物なんだろう? 勝手に入り込んじゃってるけど、良いのかなぁ?」 僕は思い出したように回りを見回しながら尋ねた。
僕らの野宿している場所は街道からやや外れた古い神殿のような石造りの建物だった。
森の中に一件佇むそれは、まるでその存在を森によって完全に隠されたかのように人や魔物の手に触れられる事なくそこに在った。
「大丈夫だ。人の住んでいる形跡はないし、多分廃墟になってから数百年単位で人は踏み込んでいないはずだ」 彼は分析した。ふとアーパスの言葉が引っ掛かる。
何故『はずだ』を付けるのか? 彼はこの建物の存在を知っていたのか?
神殿を囲む木々や草々は完全に神殿と同化していた。そして神殿の中に納められていたと思われる書物などの類いは、固い表紙を残して完全に消滅している。
「ここは神殿みたいだしね。そのせいで聖域にもなってるから、魔物の類いは近寄れないみたいだよ」 パンテノン式の面影を残すこの建物には、微弱ではあるが聖なる気配が漂っていた。
「何の神殿だ?」 試すような微笑みを浮かべて彼は僕に尋ねる。
「さぁ? 壁のレリーフを見る限り、水と大地を讃えた神――土着の偶像神の神殿なんじゃないかな」 僕は自分の背にした壁を見上げながら答えた。
壁には枯れた大地に痩せた犬を連れた妊婦が、担いだ水瓶からラム酒を撒いているレリーフが一面に浮き彫りされている。
「ほぅ、結構博学だな,ルーンは。学院卒業は伊達じゃないってことか」
「まぁね、損する知識はなかった様だって近頃思うようになってきたよ」
「じゃあ、そのルーン君に神殿の奥にある壁画を見てきて貰おう。それが何か、教えてくれないかな?」 炎を見つめ、薪を一本くべながらアーパスは言う。
「この奥に壁画があるの? どうして始めに言わなかったんだよ」
「この連中にそんなものに興味を示す奴がいると思うか?」 アーパスの率直な意見に僕は唸りながら深く頷いた。
「見てきな。お前ならそれが何か分かるはずだ。そしてお前自身を知るんだ」 いつにない神妙な面持ちの兄弟子に、僕は言い掛けた言葉を飲み込む。
そして僕は焚き火からたいまつ代わりの木を束ねて一人、奥の部屋へ向かった。
古き美しい時代、神が一人の人を愛した。全てを愛すべき義務のある者が一人のみを愛してしまったのだ。そして世界の均衡は崩れた。木々は枯れ、異形の魔物が跋扈し、そして人々は戦を求めるようになった。
その神は愛する人の為に世界を戻すことに全てを捧げた。しかしすでに手遅れであり、世界の崩壊が迫っている。
崩壊を免れるには、その神の命を以て傾いてしまった均衡を元に戻すしか道はなかった。
その神は愛する人に約束し、旅立った。必ずまた会うと。
強き意志を持った命は永遠なる混沌の中ですら消えず、果たしてその神は永き道程の末に人となり、想い人に再会することができたのだった。
これは古き、そしてまだ生きとし生けるものが神を尊敬していた頃の物語―――
かつては鮮やかであったのだろう,しかし今はくすんだ色で壁一面に描かれたレリーフは水の神にまつわる神話の一つだった。
神を捨てた者――すなわち水の神アクアリーンの話については知らない者は多い。
僕は学院で教わったから知っているが、水の神の信者は少ないことも起因しているのだろう。漁師の一部が明日の大漁を願うくらいのものだ。
しかし水の神の教えは学院では広域に渡っている。特に生命に関しては、この神話で述べられている『強い魂は波を乗り越えいつかの時代,何等かの生命として転生する』といったものや、生命量一定の法則と呼ばれる生命の水理論が魔法でいう召喚やゴーレム生成などで学ぶべき領域でお目にかかる。
これを僕に見せて、アーパスは何を期待しているのだろうか?
強い意志を持った命はやがて復活する――僕が死ぬかも知れないとでも言いたいのか? いや、それ以前に彼は何者なのだろう?
レナード師の下で剣術を学ぶことを志願していた男、いや女――しかしそれ以前の彼は? それに今回の水の祠に関しても行動がおかしい。
レナード師の下で知り合ったのは偶然ではない、それは会った当初から分かっている。
水の祠に僕を近づけまいとする,にも関わらず僕と供に旅をする。アーパスもレナード師の様な僕の知らない者からの使命を帯びているとするならば……
僕が水の祠へ行くのはイリナーゼに、そぅそそのかした者からの言葉に過ぎない。
”全て貴方の末路、そして誕生すら仕組まれたものだとしたら。第三者の為に貴方を取り巻く全てが仕組まれたものだとしたら?” 腰に下げたイリナーゼが僕の心の陽炎を言葉と化す。
「そんな馬鹿な,僕のどこにそんな価値があるんだ? 僕は唯のどこにでもいる人間じゃないか」 僕の声が小さく聖堂に木霊する。
”本当は他の人と違うと思っているくせに…自分は他と違う,自分だけの何かがあるって、貴方は思っているはずよ”
「そんなこと、考えたこともない!」
”嘘。私は貴方の心の影,貴方の事を良く知っているわ”
「君に僕のことがどれだけ分かっているって言うんだ!」
”一番良く貴方を理解しているのは他ならぬ貴方。だから貴方は人に優しくなれる。自分を知らない者は他人を知ろうともしないから”
「僕は! 僕は…風景に取り込まれたくないとは思っている。いつでも人にルーン=アルナートとして見てもらいたいと思っている! その為に他の人にはない何かを持ちたい,そうは思った。だから捜した,今でも捜している!」
”でも見つからなかった。見つからないばかりか、見つけられようとしている。他の人にはないものが貴方にはある。そしてそれは貴方の為にではなく、第三者の為にあるもの。貴方はどうするの? そのまま見えない誰かの為にその力を解き放つの? 定められた運命を歩むの?”
「運命なんて言葉は嫌いだ! 僕の進む道は僕自身で決める。水の祠へ向かうのは僕の意志だ,アスカに会うために。仕方無いじゃないか!」
”それも嘘,それは建て前。貴方は他の人にはない力を第三者によって引き出してもらいたいだけ。一番楽な道ですもの。その結果、アスカに会える。それは確かに約束されたことだから。だから貴方は逃げている。自分の行動で失敗するのが怖くて逃げているのよ”
「逃げてなんかいない! 逃げてなんか。僕は真実を知りたいんだ! いったい僕達に何が起きようとしているのか,何を望んでいるのかを。だから水の祠へ行く」
”真実は人の数だけ存在するわ”
「だからこそ知りたい。真実は一つだけではないんだから」
”そう、ならルーン,貴方は自分の真実を捜しなさい。その経緯がどうであろうと、貴方が後悔のしない道を進みなさい。無数にある結果にやがてはその一つを選ばざるを得ない,だから貴方は貴方の正しいと思う方へと向かいなさい”
「そのつもりだよ、イリナーゼ。……ありがとう、ふっきりがついた」 脳裏のイリナーゼはそれに微笑み、やがて消えて行く。
そして僕は仲間達のいる広間へと足を戻した。
僕は物思いに耽りながら元の広間に戻る。
「アーパス?」 皆が寝そべる真ん中に焚いた火をじっと見つめているアーパスの横顔に遠く違うものが見えた。
妙に女性びいて見える――いや実際に女なんだけど。
「あれ?」 目を擦った。
「どうした? ルーン」 こちらに振り返るアーパス。すでに先程の雰囲気はすっかり消し飛び、いつもの鋭さがその目に宿っている。
「え? いや、何でもないよ。それよりレリーフの内容は僕が学院にいたときに習ってたよ」 彼の向かいに座りながら僕は額を軽く叩いて言った。
「そうか、ならお前はそれを信じるか?」
「宗教の勧誘みたいだね,それ」
「俺は水の精霊が主体の精霊魔法を使ってるが生憎、神なんてものは信じていないんでね。それはそうと、どうなんだ?」 いつになく真剣な面持ちのアーパスに戸惑いながらも、僕は答える。
「まぁ、実際ありえる話だと思うよ。これで復活した悪の魔導師の話なんて山ほどあるから」 言って思い出す。
ドラマなどで「必ず蘇って見せるぞ」と言いながら死んでいく魔導師を見つめて「終わった」などと言いながら朝日を見つめて抱き合う主人公とヒロインの話は良く耳にするところである。
ところが彼らは本当に蘇っているのだ。だからこそ、ああいった悪の魔導師は世に尽きないのであるという学説すらある。
有名なものには南のササーン王国で『妖神』とまで恐れられた邪悪なる魔導師・イルハイム=プラットなどが挙げられるだろう。
「強い魂は終点である死すらも乗り越える…ルーン,お前はそんな強い魂になれ」
「何だよ、突然。何かあったのか?」 どうも彼の言いたいことが分からない。僕は薪を火にくべながら尋ねる。
「俺はお前を殺したくはない」 先程のいつものアーパスでない雰囲気で彼は言った。
「殺すって?」
「アスカに会えばお前は死ぬことになる。それでもお前はアスカを追うのか?」 有無を言わさぬ口調で問うアーパス。しかしそれに関しては僕の答えは前と変わらない。
「ああ。その決心がついたのはついさっきだけどね。もっとも死ぬ気はないけど」
「…分かった、それについてはもう何も言わない。ただ一つ、覚えておいてくれ。お前が死の恐怖から逃げ出したって誰も文句は言わない,いや、言わせないってことを」
「アーパス?」 その時の寂しげなアーパスの表情はこれ以前・以後に見ることはなかった。
「さて、もうそろそろ交替の時間だな。起きな,クレオソート!」 彼はそう言いながらクレアを起こすと、そのまま毛布を頭から被ってしまう。
「…おはよ、お兄ちゃん。どうしたの,ボケっとして」
「どちらかと言うとクレアの方がぼうっとしてると思うぞ、僕は」 眠気眼をこする妹を眺めながら、僕はアーパスの言葉を心の中で反芻していた。
”やはりイリナーゼと同じなのか。だから起こってしまった時の助言のつもりなのか? そうなのか? アーパス” 心の中で問う。しかしアーパスの微かな寝息が聞こえてきた。
”強い意志を持った命は必ず蘇る,だが死ぬものか! アスカに会うその時まで、掌の上で踊ってやる,だが希望通りには踊ってはやらないぞ” 目に見えない人形使いに心の中で叫ぶ。
「何かあったの? お兄ちゃん」 おぼつかない手付きでお茶を煎れるクレアに僕は軽く首を横に振った。
「しばらく付き合うよ,クレア。だから僕にもお茶を一杯くれないか?」
<Aska>
強い想いを秘めた魂は生と死の狭間を越え、時の狭間へと落ち込み……
いつの間に気を失っていたのか、私は落下している時のあの嫌な感触が消えていることに気が付いた。辺りは穴の中での暗闇はではなく、光に満ちた空間となっている。
方向感覚が,何より上下の感覚がなくなっていた。
「何処なの? ここ。あら?」 優しい風が私の側を駆け抜ける。その風は私に微笑むとある一点を指さした。
「そこへ行けば良いの?」 精霊はコクリと頷く。もっとも精霊は感覚として捕らえるものなので、頷いているかどうかは分からないが。
私はその方向へ向かって足を一歩踏み出した。進んでいるのかどうか分からない。どうもその場で足踏みをしているような感覚さえ覚える。
”チガウ、チガウ” 風の精霊は見兼ねたように私に語り掛けた。
「違う?」
”ココハ私達ノ世界。無限デアリ一次元的デモアリ、四次元的デモアル風ノ精霊界”
「風の…精霊界ですって?! 物質界の住人の私がどうして」 入りこめたのか、そんなことができるはずが。
しかしその私の驚きを精霊は軽く微笑むにとどまった。
”貴方ガ私達ノ友デアル限リ、私達ハ貴方ト伴ニアル”
”サァ、風の声ニ耳ヲ傾ケテ” 新たな風の精霊がもう一人,そして次々と彼らは現れては消えて行く。
「風の声?」 私は目を閉じ、耳を澄ます。
”貴方ヲ待ッテル人ガイル”
”ソレハ私達を守ッテクレテイル人”
”今度ハ私達ガ守ル番”
自分の意識を無限に広げ、この風の精霊界に溶け込ませた。風の精霊達が私の第六感となって全てを教えてくれる。
そして見つけた。この世界の中心に私と同じ人としての感覚を。
”貴方ハココデアリ、ソコデアル。コノ世界ニ場所ハナイノ” 最初の精霊の思念を耳に、私はその場所を強くイメージする。
「来たね、アスカ殿」 はっきりとした声に私は目を開ける。
光の中、彼はいた。
<Camera>
ソロンの大剣が振われる度に魔術師が一人は倒れていく。奇襲は失敗していた。スパイラルに行動が完全にばれていたのだ。
盗賊ギルドは確かに外部へ情報は漏らしてはいないが、スパイラルには独自の高度な魔法技術があった。それによってギルドの行動は適確にトレースされていたのである。
が、これはsるていど予想されていた事であり、現在のギルドにはそれを遮断できる手はない。
予測通りとは言え、奇襲であるという前提で計画を立てていたので、やはりギルド側がかなり押されていた。もっともそれなりの戦果は挙げてはいるが。
スパイラル陣営は、レイの称号を持つ魔導師の合図に従って下級魔術師達が攻撃魔法を紡ぎ出してくる。この集落にする全ての住人――女子供も――全てが指示通りに動く魔術師なのだ。
非常がウリの盗賊ギルドですら、さすがにこれには閉口せざるを得ない。
「秘めたる力を解放せよ,炎!」 その横でシリアが荒い息を吐きながら炎の魔法を解放する。それに四人の魔導師が荒れ狂う炎に飲み込まれた。
「とにかく白兵戦に持ち込む,一気に行くよ!」 イリッサの弾んだ声が赤く照らされた夜空に響く。
が、スパイラルはギルドの接近を許さない。盗賊ギルドの腕利き達は次々と魔術師達の遠隔魔法に倒れてゆく。
「弓兵隊! 何ぼさぼさしてるんだい!」 イリッサの叱咤にも弓兵隊からの援護は芳しくない。
そこに弓を携えた男が体のあちこちを焦がして、緋色の髪の女性に駆け寄り叫ぶように言った。
「弓隊…壊滅!」 そして男は彼女の足下に倒れる。
「敵さんも魔法馬鹿って訳じゃないようね――もう少しの辛抱よ! へばんじゃない!」 叫び、イリッサは来るはずのそれを待った。
と、急に戦局が変わった。イリッサ達一点だけを狙っていたスパイラルの注意が四方へと広がったのである。
「まだ早い! これはまずいわ!」
スパイラルを囲むようにして別動体が茂みから次々と飛び出してくる。そこへ待っていたと言わんばかりに魔法の応酬。ギルド別動体は出鼻を挫かれる。
しかし神殿に侵入する部隊に関してはうまく行ったようだ。念の為に持たせておいた探査魔法遮断のマントが功を奏したようである。
「でも結果的には私達はスパイラルの奴等を囲んでる訳ね,派手に騒ぐよ!」 そう言って彼女は部下を数人引き連れて飛び出した。
戦局は混乱の方向へと向かおうとしている。
「ったく、イリッサ奴は」ソロンは愚痴る。すでに戦闘は組織だった動きから混戦へと突入している。
指揮官であるイリッサからして独自に行動し始めたのだからギルド側の指揮系統がなくなるのは当然であった。
そしてバラバラに動くギルド軍に対して、スパイラル側も対処しきれなくなったようだ。
ここでスパイラルにしっかりとした指揮官がいればギルドを各個殲滅と言う形を取り、勝利へと導けたであろう。
「シリア?」 確認するように相棒の名を剣士は呼ぶ。
「大丈夫よ、ソロン。ちょっと苦しいけどね」 そう答えるシリアの視線が、不意に夜空の一点を睨つけた。
「やれやれ、まさか反逆ですか? 一度警告しましたよね,そして二度目はないと」 夜空に緑のローブを羽織った一人の中年男が現れていたのだ。
「レイ・セイル…ね」 シリアは杖を構えてそれを見上げた。
「貴方のお父上は偉大な指導者でした。その敵の血族を抹殺することが貴女の使命です,そうでしょう? レイ・シリア」
「うるさい! 私は,私はお前達とは違う!」
「いえ、貴女は私達の同志です。さぁ、その剣士を殺しなさい。そうすれば貴女は使命を達することができる。何よりそいつは貴女の父上の敵の息子――迷うことがありますか?」 不敵に微笑む魔導師。しかしソロンは静かにシリアを見つめている。
「使命を果たしなさい。そうすれば貴女はその苦しみから解放される,そしてラ・カーリ様に再び受け入れられるでしょう」
「風よ,切り裂け!」 突然のシリアのカマイタチの魔法がセイルを切り裂いた。ローブを血で赤く染めながら魔導師は地面に叩きつけられる。
「人を失う苦しさに比べたら、こんな苦しみは何でもないわ。そして何より使命を果たしてもカーリは私を殺すのでしょう?」
「確かにその通り、やはり貴女を何年も放っておいたのはカーリ様の誤りですね」 血を吐きながらセイルは言った。
「聞きたいことがあるわ、何故カーリは私を何年も放っておいたの? 私は邪魔な存在じゃなかったの?」 シリアの質問にセイルは苦笑する。
「もちろんですとも。あの方は貴女がのたれ死ぬものと頭から決めつけていたようですが、私達レイの位を持つ者の古参者はいつだって貴女の命を狙っておりましたよ」
「いつ,どういうこと?」 眉を寄せるシリア。
「気付いていなかったんですか、やはり」 笑うセイル。
「貴女はそこの剣士に守られていたんです,いつだってね」 震える右手でソロンを指さす魔導師の顔色は白かった。
「ソロン……そうなの?!」 しかしソロンはそれには答えず、セイルを見るように促す。
「親の敵の息子に守られ仲間から狙われるとは滑稽だ。その不幸な境遇に免じて忠告します。このままその剣士と二人でお逃げなさい,この前と同じように。カーリ様の前に行けば貴女は制約の下で行動し、全てを終わらせることになる…」 出血に顔を青くするセイル。そこには死相が見えている。
「だからこそ行くの,全てを終わらせに。叔父を倒し制約を解呪するためにね!」 シリアは毅然とそれに答えた。それに魔導師は最後に血を一つ吐きながら呟く。
「無理です,マークリーの名を持とうが…カーリ様は…強い」
「でも私には仲間がいる,決して負けない!」
「ああ、お前は負けない,俺の知ってるシリアは」 ソロンはシリアに肩を回して言う。
「ソロン…行きましょう。そして手伝って,本当の私を表すために」 シリアの瞳の中に強い決意を感じ取ったソロンは満足気に頷いた。
「てことは、何とかしてあの神殿に忍び込まなきゃなんないってことだな。ここは力ずくで行くぜ!」 ソロンは大剣を天に掲げる。
途端、三日月の見えていた夜空は暗雲立ち込めた。
「道を開く。ちゃんとついてこいよ,シリア。雷の舞い!」 大剣に天から落ちた稲妻が収束する。そしてそれを剣士は大きく振りかぶった。
ゴウゥ
轟音の下に、神殿の入口まで剣から発せられた雷が障害物を吹き飛ばす。入口の石段をも小規模ながら崩すその威力にスパイラルは勿論、ギルドもまたその動きを止める。
ソロンは同じく硬直するシリアの手を取って、自ら作り出したその道を駆け出した。
「さすがに呪語魔法を研究しているだけあるな。暗殺なんて生業にしていなければ良い団体になるだろうに」 多少戦列を離れて、アルバートはスパイラルの陣営を眺めながら呟く。
「アルぅ,ソロンとシリアが見当たらないよ」
「イリッサ殿はおられるがな」 フレイラースとイルハイムの言葉にアルバートは適当に合槌を打つ。イリッサは盗賊ギルドの手錬れを率いて陣頭指揮を執っているのが見えた。
それはともかく、三人にとってここをどう乗り込むかが今後の鍵だ。
首謀であるカーリさえ倒してしまえば、ここの信者達を皇国の魔術師隊に加えるのは苦ではない。ランクによっては宮廷魔術師レベルの者もゴロゴロいるのではなかろうか?
そしてそれはシシリアへのいい土産になるだろう。
「裏口とか捜してみるかなぁ」 呟き、アルバートは剣を片手に腰を上げた。
と、白き稲妻がスパイラルのど真ん中を突き抜けた!
呆気に取られるスパイラル陣営。ギルド両方を尻目に二人の男女が駆け抜けて神殿へと侵入する。
「あ、あれソロンとシリアだ!」
「そうですな」
「チャンスだぜ,行くぞ!」 他と同じく茫然とする二人の仲間を引っ張って、アルバートもまた、閉じつつあるその道を駆け抜けた。
<Aska>
白髪の混じった腰まである茶色の長い髪は後ろで一つに束ねられている。歳の頃は五十代前半,優しい瞳をした細身の中年男性だった。
高山民族の纏うような貫頭衣に身を包み、体の露出している部分には不可思議な紋様の入れ墨が見て取れた。それはまた顔面にまで及んでいる。
「私は風の守り部・紋様師リャント。お待ちしておりました、アスカ殿」 しかしその微笑みにも関わらず、私はどれ程意味があるのか――一歩後ずさった。
彼の後ろにいるモノの存在にである。それは強い風の力を持った存在――この風の精霊界そのものの力と言って良いだろう。
「王よ、私はこの娘を待っていたのだ」 リャントは私の視線が彼の後ろに行っているのに気が付き、その存在に告げた。
王――すなわちこの風の精霊界の王ジンである。半透明な彼はその強い視線を私の中――私の心を見ているようであった。
その巨大な力に私は後ずさる。
「風の王ジン,何故私の心を覗こうとする!」 私の拒絶にジンの強力な視線が消える。
「友が失礼なことをした。私が待っていた者ということで興味を持ったのであろう、許してやってくれ」 リャントの言葉に私はしぶしぶ頷いた。そして疑問が頭をもたげる。
「貴方が私をここへ呼んだのね。そして私の名を知る貴方は何者?」
「我々、守り部は紡ぐ者(エスペランサー)を支えることが使命です」 男はゆっくりと言った。
「紡ぐ者?」
「世界の綻びを縫い直す希望…とでも申しましょうか。その希望が貴女なのです,アスカ殿」
「希望と言われても」 しかしリャントは鋭い目で私を見る。
「貴方は知っているはずだ。そして現実を受け止めることができなかった,いや、受け止めたくなかったのだ。だからこそ、自ら記憶を封じた」
「? どういうこと?」 この男は私の過去を知っている、少なくとも私以上には。
「説明しているだけの時間はありません。だからこそ貴女をこちらに無理矢理引き込んだのですから」 一変してしかし苦しげに男は言う。
「だ、大丈夫?」 しかしそれをリャントは手で制した。
「私の心配は無用です。それより貴女はこれからの旅で少しずつ自らの記憶の封印を解いていくことでしょう。そして何を成すべきか知るはずです。貴女の持つ鍵――ありますね」 リャントの足下が消える。
「! ええっと、鍵…?? これのことかしら?」 私は記憶を失う以前の持ち物だった古い鍵を取り出す。それをリャントは満足気に頷いた。
「それは私が封印した風の転移点を解放するもの。スパイラルのカーリが居を構える部屋,その部屋の大扉を開くことができます。それで貴女は封印を解いてください」 そして紋様師の下半身が風と供に消えた。
「解くと貴女の記憶の一部が…もしかすると全てが解かれるでしょう。風は自由の象徴――自ら課した戒めなれどその力からは逃れられないはず」
「私の過去は…辛いものなの?」 しかしその問いにはリャントは答えない。
「過去は過去であり変えることができないもの。そして通過点に過ぎない。それは知識も同じことです。過去の結果が未来を形作るということはなく、現在が未来を形作る。だから辛いと感じるとすれば貴女の記憶が現在での辛さと一致した時」 胸まで消えるリャントはやはり苦しげにそぅ優、しかし優しく言った。
「分からないよ、リャント。私は一体どうすれば…」
「…私はそろそろ風に殉じるとします。貴女は貴女の為に風の封印をお解きなさい。解きたくなければそれも結構――全ては貴方が決定するのです,後悔のないように」 ついに頭だけとなる。
「守り部としての役割は息子のエリアスに継がせるつもりです。カーリに騙され、貴女の敵として一度回っていますが、良い子です。仲良くしてやってくださいね。貴女の行く先に自由の風があらん事を…」
「リャント!」
私の叫びは空しく響く。リャントは風となり、その存在を消した。
「紡ぐ者―――そして風の守部? 風の守り部って一体何なの? 記憶は自分で封じたというの?」
疑問が疑問を呼び、今は私は古ぼけた鍵を強く握りしめるしかなかった。
<Camera>
「虚空閃!」
ソロンの無造作に振う大剣が、ずっと離れた所で呪文の詠唱をしている魔導師の二人を切り裂いた。
「な、何だ」 狼狽える残りの魔導師達。そこにシリアの氷の矢の魔法が一団を貫いた。
「ここからどう行くんだ?」
「ちょっと待って,真理へと導くローファス師の名を以て正しき道を我に与えよ」 探査の呪を紡ぐシリア。表口から堂々と神殿に入り込んだ二人は、半生半死の魔導師達を踏みつけながら通路を駆けて行く。
二人の足音が通路に木霊する。が、それは通路いっぱいに広がる炎によって破られた。
「だ、大丈夫? ソロン」 思いきり、それに飲み込まれた剣士に魔導師は駆け寄る。
「ああ、お前の炎の杖のお蔭でな」 多少驚きながら、剣士は黒く焦げた通路を見回した。丁度二人を中心として半径5mの円状だけ焦げていない。
「ここは通さないよ,幻獣グリフォンの炎に耐えられるかな?」 通路の先,大人四人分程の大きさの怪物に跨った少年は鷹揚にそう告げた。
鷲の頭に蛇の尾,ライオンの体に鷹の翼を持った幻獣。有名な幻獣でもある。
「厄介な相手ね,こんな時に」
「手加減できそうも、ねぇな」 ソロンは鋭い目で少年を睨つけながら大剣を構えた。それに合わせるかのようにシリアもまた炎の杖を両手で前に突き出す。
そして試すかのように、再び幻獣が炎を吐いた!
二人は迷っていた。すでに体力は限界に近づいている。
今まで何人の魔導師を倒したことだろう,もっとも二人にとっては赤子の手を捻るようなものだが、とにかく数が多い。
アスカを追って穴を降りたはいいが、その先はスパイラルに雇われた傭兵の控室だった。それも、そこへ着くと同時に降りて来た頭上の穴は跡形もなく消えてしまったのだ。
「いったいどうなってるのよ,この建物は! ちょっと、イーグル,何とかしてよ!」
「どうしようもないな,ともかく先に進むしかないだろう」
「さっきから同じ所を回ってるのよ,分かってるの?」
「俺達二人は魔法が使えんだろう,どうしろと言うんだ?」
「だからって闇雲に進んでちゃ」
「そんな馬鹿なことはしていない,ほら、次のT字路を左だ。この行き方はまだ試していない」 言いながら黙々と進むイーグル。すでに背中の翼はない。
「へぇ、一応考えてたんだ」 背中を追うようにネレイドは足早に続く。
「しかし残念だったわね、隣にいるのがアスカじゃなくて」
「ああ、残念だ」 返答に思わず鞭に手を掛けるネレイド。
しばらく二人は無言で走る。その静寂に耐えられなくなったのか、はたまた気になっていたのか、ネレイドは似合わずおずおずと口を開いた。
「私が魔族だって事に何も言わないね、イーグルは」
「魔族だからと言って、お前が今まで通りネレイドである事実は変わらんだろう」 面倒臭そうに答えるイーグル。
「まぁ、そうなんだけど。アスカには内緒よ,ちょいと訳ありでね」
「分かった…ん?」 不意にイーグルは足を止める。そのイーグルの背中に止まらないネレイドは顔から激突した。
「コラ! 急に止まんないでよ!」 鼻を押さえる彼女にイーグルは無視して鋭い視線を前方に向ける。
「争いの声が聞こえる。誰かがやりあっているな」 彼はそう言うと駆け出した。遅れじと魔族の女がその後を追う。
ゴゥ!
熱気が立ち込める。そして剣戟が聞こえ、魔法の炸裂音が神殿の広いとは言えない石造りの通路を振動させた。
そこにいるのは幻獣グリフォンと剣士一人,魔導師一人。
イーグルは迷う事なく、幾等かの傷を負ったグリフォン目掛けて矢を射った。
それはグリフォンの首筋に突き刺さる!
ギュアァァァ!
「くそっ、引き上げだ! 霧よ!」 少年の――おそらくエリアスの声が響き、そして通路は白い霧に包まれる。
霧の晴れた後には少年と幻獣の姿は消えていた。
それを見届けた剣士は剣を収め、イーグルに歩み寄ってくる。
「助かったよ、礼を言う」
「俺達もここを通りたかっただけだ。礼には及ばん」 板金の鎧を着こなした銀の短髪の剣士を一瞥すると、イーグルは先に進もうとする。が、その襟元をネレイドが掴んだ。
「もし良かったら一緒に行かない? そっちも二人じゃ心許無いでしょう?」
「でも私達はカーリを狙っているの」 魔導師の言葉にネレイドは微笑む。
「私らも似たようなもんだって。ね、イーグル」
「俺達はアス…」
「あの娘もカーリを捜すでしょう、十中八九ね」 イーグルの言葉を途中で突っ撥ねる彼女。確かにネレイドの言い分にも一理ある。
「分かった、好きにしろ」
「という訳で、私はネレイド,こっちがイーグル。よろしくね」
「俺はソロン,こいつはシリアだ。仲良くやろうぜ。イーグルといったらやっぱりあの鷹の瞳のイーグルなんだろ、あんた」 ソロンの言葉にイーグルは小さく溜め息を就いて頷く。
「そりゃ、心強いぜ。よろしくな」
そしてここにソロン−シリア&ネレイド−イーグルの即席パーティが結成された。
「迷路だな、こりゃ」 アルバートは額の汗を拭う。
「しかし感じぬか? フレイラース」
「ええ、分かってる。強い風の力を」 魔導師の問いにターバンの少女は頷いた。
「ここには強い風の力を感じる…何なのかしら? この感じは」
「分からん。分からんが、この力の中心にカーリがいると考えられぬだろうか?」
「何言ってんだか良く分からんがフレイラース、頼むぞ」 言って先頭を譲る王子。
フレイラースは立ち止まり、目を閉じる。
「こっち、ついてきて」 そしてエルフの娘は軽やかに駆け出した。
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