5−5
両開きの石の扉がそこにはあった。表面には二匹の蛇の紋章が彫られている。
「ここだな、多分」 ソロンは背の大剣を抜く。雷の力を秘めた聖剣は一点の曇りすらない。
「それじゃ、行ってみますか」 褐色の肌の女性は言って、扉を勢いよく押した。
バン,その様子からは想像のつかないほどの勢いで両扉は閂をへし折って開けられた。
四人の戦士達は素早く部屋に入り込む。
「へぇ」 ソロンは溜め息を就いた。
部屋は彼らが思っていたよりも広かったのである。正方形のその部屋は向かいの壁までおよそ30m,高さは20m程もある。
奇麗に磨かれたその部屋は壁自体がほんのりと光を発していた。
そして何より、彼らの入って来た扉の向かいの壁には、複雑なレリーフの施された巨大な両扉が閉ざされていたのだ。
「よく来たね、シリア。そしてアラン=エリシアンの息子」 その扉の前に、スケールの違いからか小人のように見える白衣の男が、一つしかない椅子に腰を下ろしていた。
「貴様がカーリか?!」 弓を構えるイーグルが叫ぶ。
「おや、招かざる忌むべく存在もいたとは。この神殿には結界が張ってあるというのにどういうことか?」 スパイラルの首領は立ち上がり、軽く指を鳴らす。
「来る!」 ネレイドの声,軽い風を巻き起こし、カーリの前に七つの『もや』が現れた。
そのもやは瞬時に物質と化す――仮面を着けた七人の天使――彼らはカーリに膝を就く。
「天使か,厄介な」 さほど驚いた様子もなく、ソロンは剣を中段に構えた。その隣ではシリアがすでに呪文の詠唱を始めている。
カーリは無言でネレイドを指さす。天使達は揃って立ち上がり、振り返った。
「焼き尽くせ,炎の嵐!」 シリアの放った炎の嵐が天使を、そしてカーリを包み込む。
が、床に焦げ跡を付けただけで彼らには微風が吹いたほどにしか効いていない。
ソロンを無視し、音もなく天使達はネレイドとイーグルのみを狙って襲い掛かった。
「ネレイド,気合い入れて行くぞ」 三本の矢を一気に放って、天使の一体を消滅させながらイーグルは言う。その口元からは吸血鬼独特の牙が伸びている。
「本気で行くっきゃないね、これは!」 そしてネレイドの両腕が黒い翼に変化した!
ソロンとシリアから多少距離を取った二人の魔族。そこからカーリは若き戦士達に視線を移す。二人は仲間に魔族がいたことに大した驚きは持っていなかったようだ。
「さて、シリア。貴方には使命を果たしてもらいますよ」 数歩近づきながらカーリは目を閉じてシリアに向き直った。
「使命ではなく呪いでしょう? 私は貴方を倒すためにやってきた」 両手で杖を構えるシリア。二人の間は10m近くあるが、その顔色は汗一つかかずに蒼白だった。
「いいえ、貴方はスパイラルの一員。魔力を尊び、探求する者であり、それを脅かす者達を駆逐する者。そしてそこにいるソロンこそ前首領であり、貴女の父と母を殺した者の息子。貴女の苦しみは全てその男から来ている」
「違う! 私は…私の道は私自身で拓く!」 叫び、シリアは呪文の詠唱を始める。
「貴女はあがらうことはできない。スパイラルの儀式を受けた者であり、我が力の一部である限り!」 カーリの目が見開かれる!
「う…」 シリアの呪文の詠唱が途切れ、そして杖に身を凭れ掛ける。
「ダ…メ…逃げて…ソロ…ン」 彼女は胸を押さえてうずくまった。
「やはり駄目か!」 ソロンは懐からナイフを取り出し、遠くカーリに投げ付けざま、シリアに駆け寄る。
カーリは高速で飛び来るナイフを軽く手で払いのける。ナイフは彼の手に触れると粉々に砕け散った。
「シリア、俺が分かるか?」 そのカーリの尋常ならざる様子を横目に捕らえながら、ソロンはうずくまるシリアの肩を抱く。
ゴゥ!
即座に飛び退いた彼の鼻の先で炎の嵐が吹く荒れる。その炎の向こうではシリアが生気のない顔で起き上がっていた。
「ソロン…殺す!」 炎の残りに照らされながらシリアは呟き、笑みを漏らす。そして呪文の詠唱。その様子をカーリは満足気に頷くと、元の椅子に腰かけた。
「高見の見物ってか? やはりここには立ち入るべきじゃなかったか…」 呟きながら、ソロンはシリアの隙を伺う。が、制約の力の下で力を出し切っている彼女に隙などありはしない。
「適当にやりあってシリアの魔力が尽きるのを待つ…しかないか。しかしそれまでカーリの野郎が動かないとも限らんし,イーグルからの支援はありえないしな」 ソロンは防御の構えで視線をすぐ隣に逸らす。
そこでは全身傷を負いながらも、天使相手に善戦する二人の姿があった。
ネレイドが擦れ違い様の天使に翼を振うと、仮面の聖者は全身黒い羽に蝕まれ、倒れる。イーグルはすでに矢を尽き、吸血鬼の力である毒の爪を出して戦っていた。
天使の数は七人から三人へとその数を減らしている。
「他人の心配より自分の心配をしなくちゃな。親父との約束、守らんといかんし」 シリアによって放たれた炎の矢を避けながら、ソロンは遠き日の記憶を思い出した。
いつの頃か分からない,ソロンはいつからかアランという名の剣士と供に旅をしていた。中年に差しかかった彼は腕利きの冒険者であり、ソロンの親代わりでもある。
そんなソロンが四才のある日、アランに連れられとある村にある一件の民家に訪れた。そこはかつての冒険者仲間で供に旅をした親友・ローランド=マークリーとその妻ケイトの住まいだ。
ローランドは貴族の出ながらも奔放した道楽魔導師で、冒険者時代は優秀な魔導師として名を馳せていた。その妻であるケイトもアランとは同時に仲間であり、これもまた土の神アースディの優秀な神官だった。
この日は二人の間に生まれた娘・シリアの二才の誕生を祝って訪れたのである。
これがソロンとシリアの――もっとも記憶として留めているのはソロンだけであるが、初めての出会いだった。
「ローランド,やはりお前なのか!」
「死ね! アラン!」 五年の後、スパイラルの首領として,そして本格的に暗殺活動を始めた指導者はアランの親友・ローランドだった。
事の次第を聞こうと忍びこんだアランは、これ以前に出会ったケイトの最期の言葉を思い出す。それは短く、そして重要な証言だった。
”私達は呪いというカセを履かされ、そして大きな力の一部になっている” そう告げた彼女は彼を追ってきた魔導師によって殺された。
「俺だ,アランだ! 思い出せ,ケイトが殺されたんだぞ!」 叫ぶアランに炎の嵐が炸裂した! 濛々と舞い上がる土ぼこりの中、しかし無傷のアランが立っている。
「我に返ったか! 魔法の解除だな、ローランド」 事の状況を読み取り、茫然と立ち尽くす魔導師に向かってアランは駆け寄る。
「私はもう…私でなくなってしまう…せめてお前の手でケイトの元へ…」 何かに耐えるように苦しげに呟くローランド。
「ローランド」 悲しげに呟き、その胸を無言のままアランの剣が貫通した。
「一体誰に?」 胸の内で息絶えようとする友に、剣士は問い掛ける。
「………」 その時のローランドの呟きはソロンには聞こえなかった。
だが、それを知るのはすぐ後のことである。
アランはソロンを連れて教団を脱出した後、後をアークス皇国軍に任せるとエルシルドという街へと向かった。
「ソロン,お前はこのアイツール王立学院で学ぶのだ。おそらくローランドの娘のシリアがお前の命を狙ってくるだろうが、お前はシリアを逆に守ってやってくれ。あの娘は可哀相な娘だ」
「可哀相?」
「両親が親友に殺されたんだ,それに唯一の叔父にも命を狙われ、他の教団員からも首領の次期候補だからと狙われるだろう」
「ローランドとケイトを殺したのは親父じゃないだろ?」
「同じことだ。俺がスパイラルを調査などしなければ死ぬこともなかった」 幼いソロンの言葉を遮り、アランは呟く。
「どっちにしても、あの人達は危ないから親父じゃなくてもああなってたってば」
「9才にしては建設的な意見だな,しっかりと学べよ」 笑ってソロンの頭を撫でるアラン。
「親父はどうするんだ?」
「俺は…決着をつけに行くさ。ローランドの弟のカーリって奴を倒しに」 そう微笑んだアランの顔がソロンが最後に見た父の顔だった。
カーリ=マクガイア――シリアの叔父であり、ローランドを前スパイラル首領の傀儡としていた男。当時、彼が傀儡を必要としていた理由はソロンには分からない。
だがカーリという男はアランを,シリアの家族を奪ったに飽き足らず、彼女自身も奪おうとしている。
大きな力――推測であるがスパイラルという団体,もしくは魔術をある意味で信仰する信仰心という力,その一部として。この論理は偶像神信仰に基づくもので間違ってはいない。
カーリと天使の関係、シリアの母ケイトの言葉、どれも分からないことばかりだ。だが、今それを知る必要はない。目の前の守るべき娘を救うことが先決だった。
氷の槍が次々とソロンの足下を貫く。しかしいくら魔法を使わせてもシリアの魔力の底は見えなかった。そのことは相棒であるソロンの最も知るところではあるが。
そうなれば呪いの根元を断ち切るより他はない。
ソロンはカーリに目を向ける。中年男はネレイド達の戦いに視線を移している。
”今か!” ソロンは、今度はシリアの振う魔力の集積で作られた剣をかわしながら、懐をまさぐりつつ気を練る。
シュッ!
それは高速でカーリの頭部へ炸裂するはずであった。が、予想に反してそれは金属特有の澄んだ音を立てて、カーリの目の前に落ちた。
「そんな強い魔力障壁が!」 先程のとは違い、今度のソロンの投げた短剣には普通の魔法による壁など突き通すことのできる印が施されている。
そこにソロン自らが魔力を込めて投げたのだ。それを跳ね返すには相当強い魔力障壁が必要なはずだ。
「そんなことをしている暇があるのかね? ソロン君。これは君に返そう」 床に落ちた手投げ剣を拾い上げ、カーリは無造作にそれを放り投げる。
短剣は自ら意志を持ったかのような軌跡で、ソロンの脇腹を鎧を突き通して刺さった。
「ば、馬鹿な!」 それでもシリアの魔力剣と炸裂弾をかわすソロン。しかしその足運びは格段に落ちている。
「俺では奴には手が出せんか,やはり強い魔力が必要…」
”シリアを守れ,ソロン” アランの言葉が頭に浮かぶ。
「…方法はあるか,シリアは殺せんからな。危険な賭といこう」 剣士は呟くと向かってくる魔導師に剣を引く。
そして魔導師の構えたレーザー状の魔力剣が剣士の左胸に吸い込まれて行った。
乾いた音を立てて、心の中のそれは弾けた。
――シリアは顔に暖かい何かを受けて気が付いた。
彼女は相棒の剣士に抱かれていた。そして自らの手に生まれた魔力剣を伝って彼の血が魔導師の手を濡らしている。
「…嘘,ソロン? これ…嘘?!」 剣を消すと同時にソロンの胸から彼の命が流れ出す。
「いやぁぁぁ!」
「落ち着け、シリア!」 泣き叫ぶ魔導師の血に塗れた腕を剣士は掴む。それにシリアは茫然と相棒の顔を見つめた。
「ようやく正気を取り戻したな,使命を果たしたか? ともかく今の内にカーリを倒せ,俺の力では奴の魔力を破れそうもないんでな」 言いながらも膝を就くソロン。
「そんな…ソロンが死んだら何のために私は…」
「新しい自分になりたいんだろ! 俺のことは気にするな,今は奴を」
「ソロンがいない新しい自分なんていらないよ!」 叫ぶシリア,同時に開いたままの後ろの両開きの扉に人影が現れる。
風の刃がイーグルとネレイドを空中から狙い続ける三人の天使をやすやすと切り刻み、炎の嵐がカーリを包み込んだ。そして赤い影がカーリに向かって突き進む。
キィン!
先程と同じ澄んだ音を立てて、その剣士は炎の魔法で立ち込めるそこから飛び退いた。
「壁があるぜ,イルハイム」
「挨拶なしに酷いではありませんか」 ローブの一片も焦がすことなしに椅子に鷹揚に座ったままのカーリ。天使を全滅させられた今、彼は孤立している。
にも関わらず、彼はやや微笑すら浮かべていた。
「俺は礼儀知らずなものでね。許してくれや」 新たな剣士は輝く剣を下段に構える。
「アル,あそこにいるの,ネレイドとイーグルだよ」 エルフの叫びに剣士は視線だけをそちらに向ける。そこには疲労からだろう、戦場にも関わらず背中を合わせて座り込む二人の姿があった。
「ソロン殿とシリア殿もおりますな」 イルハイムもまた、反対の方向で血を吐いている剣士を見つける。
「アンタがカーリかい? 大切な友人どもが世話になったみたいだなぁ」 それらを見て星剣を正眼に構えアルバートは低い声で凄む。
「正義って言葉は好かないが,死んでもらうぜ」
「カーリィ!」 前へ出ようとしたアルバートよりも先に、女魔導師が叫びながら手に生んだ魔力剣を構えながらカーリへ駆け出した!
「いかん,シリア!」 アルバートが叫ぶ。
「愚かな,もうお前には用はない。我が手に掛かって死ぬことを誇りに思うが良い」 冷たく言い放ち、右手を走り来るシリアに突き出すカーリ。
その右手から静電気が生まれ、それは雷となってシリアを打った――はずだった。
それは魔導師の目前で、やはり何かにぶつかったように弾けて消えた。
「私よりも強い魔力障壁だと?!」
「ハッ!」 シリアはカーリの手前で手にした魔力剣を振う。それは彼女にとって何かを砕く感触を受けたはずだ。そしてそれはアルバートにも見て取れた。
「アルバート,カーリの魔力障壁は破ったわ!」 叫び、シリアは反対の手に持った炎の杖を、初めて見せる感情で狼狽えるカーリに向けて念を放つ。
彼女の心を象徴するかのように、杖によって炎の嵐がカーリを包み込んだ!
「グアァァッ!」 今度は効いたのかカーリは叫び、顔の半分を押さえながらその場を飛び退いた。ローブの半分が黒く焦げ、炭化している。
そこにアルバートの剣の一撃がカーリの肩から胸にかけて振り下ろされる。決定打を受けたカーリは血を吐きながらその場にうつ伏せに倒れて行った。
「倒した…の?」 フレイラースの声。それに答える者はいない。
「ソロン!」 シリアはソロンに向かって駆け寄る。ソロンはやや疲れた笑顔で、走り来る魔導師を抱きしめた。
「日頃から鎧を磨いておいて良かったよ」 剣士は言う。
「おかげで魔力剣の刃が思った通り屈折してくれた。危険なカケだったな」
「バカ! そんなカケしないでよ!」
「お前の呪いを解くには、お前自身を騙さないと解けないだろ。――痛いって,叩くなよ」 ソロンは言って、胸の中の魔導師の瞳に浮かぶものを指で拭き取った。
二人は疲れ果てていた。イーグルにしても忌み嫌う吸血鬼の力をここまで使ったのは初めてのことだった。
「…ネレイド,ソロンとかにも魔族だって事バレたぞ。いいのか?」
「…生き残ってこうして話ができるだけでも良かったと思ってるわよ。アンタこそ吸血鬼だって事がバレちゃったじゃない」
「バレようがバレまいが俺には関係ないことだ」
「じゃ、私もそう思うことにするわ」 翼の消えたネレイドは、背中のイーグルとともにゆっくりと立ち上がった。
バタン!
「何だと?!」 アルバートは振り返る。彼らが入ってきたこの部屋への入口がひとりでに閉じたのだ。
そこにイルハイムが重たい両開きのその扉を押そうとするが、ビクともしない。もっとも彼の細腕で開くとは思えないが。
「フレイラース,ソロンとネレイド達の傷を急いで治してやってくれ! 奴が来るぞ」
アルバートは今までにない戦慄を覚えていた。倒したはずのカーリの遺体から白い煙が立ち上っている。
「何だ,あれは?」 癒しの精霊によって傷を癒されたイーグルがアルバートの下に駆け寄り尋ねる。
「分からん,ただ凄まじい力を感じる」
「信仰の力だよ、あれは」 シリアに肩を借りたソロンがアルバートに言った。
「スパイラルが崇める魔法の力という神に対しての信仰の力だ」
「それだけじゃないわね」 ソロンの言葉にネレイドは異論を唱えた。
「力は力に過ぎない。その信仰の力を取り込んだ生命よ」
「生命…か」 イルハイムの呟き。
「そう、あれは天使ガブリエル。かつて堕ちた天使との戦いに破れた四人の熾天使の内の一人」
ネレイドの言葉に答えるかのように、白いもやは人の形を取り物質化する。
「我が宿主を死へと追いやった者達…人とは強いものだ」 熾天使ガブリエルは七人の戦士を睨みながら言った。
三対の純白の翼を持った、仰々しい白い鎧を身に付けた青年。その額には十字を形どった額飾りをつけている。
そして何より、彼自身が仄かな光に包まれていた。
「アークスの王子よ,我が刺客にそのまま殺されていれば、これから苦しみを味わうこともなかろうに」 そのガブリエルに銀の短剣が飛ぶ。
それを天使は翼の一つで絡め取った。投げたのはアルバートである。
「カーリは良い宿主であった。しかしそれが死した今、お前を新たな宿主にさせて頂こう」
「で、残った俺達はどうするんだ?」 尋ねるソロン。ガブリエルはそれに答える事なく、雷を放った。
雷はソロンが床に突き立てた大剣に取り込まれ、大地へと発散される。
「私自身が表に出ることは禁じられておるが、仕方があるまい。私によって天に召されることを喜ぶが良い」 熾天使の翼が大きく開いた! 同時に七人は各々に動く。
ゴォ,振動を伴って今まで彼らのいた所の床が大きく抉り取られた!
「猛き炎の精霊サラマンダーよ,かの者に汝の尾の一撃を!」 フレイラースが試すように炎の精霊魔法で熾天使に炎の一撃を与える。
が、その炎の嵐は彼を包むことすらなしに消し飛んだ。
「人一人の魔力などたかが知れている。信仰の力をこの手に納めた私にかなうとでも思ったか」 雷をソロンに駆け来るソロンに向かって放つガブリエル。
「信仰半分、服従半分と言ったとこだろ。スパイラルのメンバーに予め服従の魔法を施して、使命という呪いの下地を作った,入信の儀と称して!」 大剣で雷の軌道を逸らし、壁面へと屈折させながらソロン。
「その通り、しかしよもやシリアに対して掛けた呪が全て解呪されるとは思わなかったぞ。あれ程の呪を自ら解除できるとは、殺すには惜しい存在だ」
「空虚がウリの天使にしてはおしゃべりが多い奴だぜ!」 アルバートの剣がガブリエルを襲う。しかし天使は最小の動きでそれをかわし、カウンターを仕掛けようとするがアルバートの連続した切返しに身をかわすことしかできない。
「我が下僕たる霧よ!」 弓で体を支えたイーグルの叫びに応じて、横から熾天使に切り掛かるソロンを淡い霧が包む。
「吸血鬼の霧か,笑止」 五つに分身して見えるソロンとアルバートに対して覚悟したのか、熾天使は静かに佇んだ。六つの剣が一斉にガブリエルに突き刺さる。
ガキッ,と堅い音を伴い熾天使の周囲に張られた不可視の盾がその侵攻を難なく食い止める。痺れた腕を押さえながら二人は間合を取った。
「ちっ,このレイトールでも弾くか!」 呟くアルバートとガブリエルの視線が合った。瞬間、狂気の天使の目が赤く光る!
「グアッ!」 アルバートは押されるようにしてフレイラース達とは反対側の,大きな扉まで何かに押されるように突き飛ばされ、その扉に叩き付けられる!
「くっ、効いたぜ」 そのまま壁に身を預けるアルバート。
「光は闇より生じ、闇は光より生ずる! 全ての力はそして負の流れとならん」 イルハイムが呪を紡ぐ。呪語に応じて黒い闇の幕が熾天使の頭上に現れた。
「虚無の空間を呼び出せるのか。しかしその制御はできるのかな?」 イルハイムに注目しながらウリエルは楽しげに彼を見つめる。
そして彼の期待通り、黒い闇から灰色の空間が生まれそれは天使を包み込んだ。
「なかなかの魔導技術だ,シリアに次いで殺すには惜しい者だな」 灰色の空間の中から熾天使の呟きが聞こえる。次の瞬間には灰色の中にヒビが入り、まるでガラスが割れるかのように空間は砕け散った。
その中からは無傷のガブリエルが現れた。
「四天滅殺! 地水火風の精霊達よ,力を均等に配分し全てを無に返せ」 彼が現れるのを待っていたフレイラースは精霊魔術で不意打ちを食らわせる。雷を伴った小さな暗黒が熾天使を打った。
「グオッ!」 初めて見せる熾天使の苦痛の表情に、やはり同じ虚無の魔法がガブリエルを精霊共々包み込む!
追い討ちと言わんばかりに、イーグルの紡ぎ出す矢とシリアの魔力結界が天使の動きを封じた。
「やったわ!」
「いつも相手にしている程度の奴ならな」 彼にしては珍しい、深刻な顔でイルハイムは緊張を解いたエルフに答える。
灰色の空間は低い音を立てて霞のように消え掛かっていく。
「大丈夫よ、いくらなんでも」 倒れているアルバートの元へと走ったフレイラースの言葉を無視し、イルハイムは新たに呪を紡ぐ。
「魔よ魔よ,人の根源に存在する混沌の力を食らい、破滅への道へと導くがいい!」
「ちょっと,そんな大きな魔法を」 呪語を理解する彼女はイルハイムの魔法の大きさを知って非難の言葉を挙げた,しかし。
「うおおおぉぉぉ!」 消え掛かっていた灰色の空間がはっきりとした実体を取り戻し、それは先程よりも激しく砕け散った!
「今のは効いたぞ、この私に傷を負わせおって!」 打って変わった怒りの表情で灰色の空間から現れたガブリエルに三度、今度は白い雲のようなものが彼を包む。
彼の六つの翼の内、三つがまるでもぎ取られたかのように引き千切られていた。
「魔道の長きに渡っての研究を有した信仰心を持つこの私に、こんな魔法が効くか!」 強い光に包まれたガブリエルは右腕を振り上げる。
すると彼を包む全ての呪力が掻き消え、その衝撃はイルハイムを激しく打った。
「ぐぁっ」 血を吐きながら倒れ伏すイルハイム。
「そんな,キャ!」 ガブリエルと視線の合ったフレイラースはその瞬間、何かに殴られたかのように背をのけ反らせそのまま床に倒れた。
「この化け物め!」 切り掛かるソロン。それに合わせるかのように魔族化したネレイドもまたイーグルの援護の下、接近戦を試みる。
「我と契約を結びし炎の杖に宿る…」 シリアの呪文が完成段階に入る。
「がぁぁぁ!」
「くっ」
「きゃっ」
「うっ」
両腕を広げて叫ぶ熾天使から球状の衝撃波が全員を襲う!
それぞれが避け切れず、それが納まる頃全員が床の上に倒れ伏せていた。
「これが…スパイラルメンバー全員の祈りの力と言うの? 人の力とは集まればこんなに強いの? 一体…一体どうすれば」 青い血を一筋口許に流して、ネレイドは一人起き上がった。
<Rune>
クレアの煎れてくれたお茶を啜りながら、僕はアーパスの言葉を思い出していた。
”そう、生きなさい,貴方の思うままに” イリナーゼの思念がふと現れ、そして消えた。まるで寝ぼけて寝言を言ったかのようだな。
「どうしたの? お兄ちゃん。何かあったの?」
「あ、いや,何でもないよ」 微笑んで答えるが、クレアはじっと僕の目を見つめる。
「嘘,何かあったでしょ。私に隠し事できると思ってるの? お兄ちゃんは」 幼馴染みのクレアにはやはり分かってしまう。だからと言って僕自身、それが何だか分からない状況なのだが。
「いいよ、無理して話してくれなくたって。お兄ちゃんはお兄ちゃんの思った通りのことをしなよ。それならお兄ちゃんは後悔はするにしたとしてもそんなには深くはないでしょ?」 優しく微笑むクレオソート。
時として人は思考の中に留まり、そのまま成り行きに任せてしまうことが多々ある。その時、成すべきことは簡単なことなのに分からないことがあるのだ。
自分の思う通りに行動する,そのクレアの言葉は僕の捜していた出口の一つに違いなかった。
「ああ,ああ、そうだね。ありがとう,クレア。でもクレアは大きくなったね」 エルシルドの街で毎日会っていた時に比べて彼女は大きくなっているような気がした。
いや、僕の彼女に対する見方が変わったのかも知れない。
街では妹として見ていたが、今では仲間として見ている。だからだろう。
「大きくなったって…まぁこの半年くらいで胸は少し大きくなったけどさ」 自分の胸に触れながら呟くクレア。
「お兄ちゃんは全然変わんないよ。昔っから危なっかしくて、これと思ったら何をするか分かんないし。だから私はお兄ちゃんから目が離せないよ,エルシルドに無事に帰るまで」 僕の瞳にクレアの瞳が映る。何故か慌てて僕はそれを目の前の炎に映し変えた。
沈黙が僕達を包み、目の前の炎が一際大きくなっている錯覚を覚える。
「そうそう、お兄ちゃん。祈りの力って,信じる?」 沈黙を破って、クレアは僕に尋ねた。僕はそれに首を横に振る。
「祈って何でもできれば苦労しないよ」
「あのね…昔から神学会と魔導師協会合同で研究されてるテーマだけどね,人の祈り――信じるってことには力があるの。どういう原理で働いているかは複雑で分からないけど。それは魔力ともちょっと違っていて、人の中に無限にあるものなんだって」
「よく知ってるな」 学院に通っていた僕でも知らない話題だ。
「だって私、その研究チームの一員だもの」 さらりと言ってのけるクレア。
なおクレアは僕よりも歳は三つ下だが、強い法力を生まれながらに持っていて光の神官の中でもかなり上の位にいるらしい。
「私の使える神聖魔法もこの祈りの力からきているみたいなの。神の力じゃなくて、神を信じる私達の祈りが集積して力となっている…そう私は考えてるわ」 言い換えれば光の神の力などをないもののように言っているようなものだが、敢えて口には出さない。
「じゃあ、ある一定の人物を神に仕立て上げて信者を作れば、そいつは神になれるってことになるんじゃないか?」
「そうよ。それに人に限らないわ,物でもいいし、何か抽象的なものでもいいの」
「おいおい」 反論するかと思いきや、はっきりと認めるクレアに僕は何も言えなくなった。
「でもそれも万能な力ではないわ。人の信仰心を失ってしまえばその力もまた消え失せる」 すなわちこうだ、信用を失ってしまえばそれには価値はなくなると。
「だからね、唯一絶対のものなんてないの。裏を返せば全て自分で決める事ができる,これが私の持論よ」 言って、彼女は微笑む。
彼女からのその応援に僕は礼を言い、軽くクレオソートの頭を撫でた。
<Aska>
私は降り立つ。ここはエリアスと一戦を交えた場所――眼下にスパイラルのアジトが見渡せる崖の途中。
そして私の目の前には一人の少年が佇んでいた。
「エリアス…ね」 彼はもう知っているのだろう,彼の父リャントの死を、そしてカーリが彼にとって敵側であることを。
「待ってたよ、紡ぐ者――アスカお姉ちゃん」 膝を付き、エリアスは俯く。
「僕は風の守り部・エリアス=シーク,お姉ちゃんの力となろう……」 言う彼に私はしゃがんで視線を同じ高さにする。
「エリアス…泣いたって、誰も笑ったりしないよ,だから」
「お姉ちゃん」 エリアスは私の胸に飛び込み、声を殺して泣いた。
私達二人はカーリの下へと急ぐ。
エリアスはリャントを盾に取られ、カーリに従っていたのだ。
そんな中、彼は気付いた。カーリの力はスパイラルのメンバー達の魔法に対する信仰心から来ていることを。
この力は馬鹿にすることができず、さらに個人の力でない分かなり強力である。その力を無効にするには信者の信仰心を喪失させること。
しかしこれは無理がある。しかしもう一つ方法があり、こちらは風の解放の力を利用すること。これによりカーリに集積されている信仰の力は解放されるだろうとエリアスは読む。
「僕がカーリの注意を少しでも引き付けるから、お姉ちゃんは扉を開けて」 エリアスがそう言い終わる頃、私達は大きな両開きの扉の前に辿り着いた。それは固く閉ざされている。
「戒めよ、解放せよ!」 私の開錠の呪語魔法により扉はゆっくりと開く。
私達は素早く中に忍び込み、そして…。
「ネレイド!」 私は叫ぶ! 中は広い部屋。リャントの言う通り、向かいには巨大な扉があった。
しかし辺りにはアルバートやイーグル達が横たわり、中心では傷を負った翼を持つ男がネレイドの首を片手で締め上げている!
「アスカ…逃げなさい」 弱々しく言うネレイド。私は剣を抜いて男に切り掛かろうと駆ける。
「駄目だよ、お姉ちゃん! クラーケン!」 叫び、エリアスの左手が光るとそこに表れた紋様を通して大きな水でできたイカが現れる。そしてその左手を男に向ける。
クオオオオオォォォ!
「な!」 男はネレイドを投げ捨てると、声を挙げる暇すらなしに、全長10mはあろうかという大イカに飲み込まれる。
男を飲み込んだ大イカは、まるで何事もなかったかのようにその場で身をくねらせていた。
「お姉ちゃん、早く鍵を!」
「な…何,この魔力は?!」 クラーケンから感じる、次第に大きくなるその魔力に私は後ずさった。苦しいほどの圧力に。
そしてクラーケンが一瞬大きく膨らんだかと思うと大きく内部から破裂する。形作っていた水が私達の足下を濡らした。
崩れた大イカの残骸の中に男は立っていた。その全身から有り余る魔力を放出しこちらを見据えている。私は圧倒的なその魔力に足が竦んでいた。
男は私に視線を移す。
次の瞬間、その赤く輝く瞳に私は何かの重圧によって風の扉まで叩き付けられた! 衝撃に気を失いそうになる。
「お姉ちゃん!? 行け,バシリスク!」 エリアスの叫びに応じ、召喚された青い大蜥蜴は素早い動きで男に飛び掛かった。
「幼稚な,消えろ」 男は軽く、掌を襲い掛かろうとするその怪物に向ける。
そこから生まれた怪物の巨体をも飲み込むほどの大きさの光球が、蜥蜴を粉々に吹き飛ばした。
そしてその砕けた残弾がエリアスと、倒れ伏すアルバート達に降り注ぎ爆発を起こす!
「まず…い,鍵を!」 私は未だ重圧の続く体を引き摺って鍵穴を捜す。両開きの風の扉にはその中心に小さな鍵穴があった。距離にして僅か2m程。
少しずつ、少しずつ腕を延ばす。
「貴様,何を?」 気付いたのか、男,おそらくカーリは私に振り返った。もう少し!
「何故鍵を持っている,お前が闇の子か?! させぬわ!」 カーリの左手が光る!
間に合え、私は懐の鍵を扉の鍵穴目掛けて降り下ろした!
カーリの攻撃魔法である光の矢が私に向かって襲い掛かる!
ゴゥ!
「しまっ…」 カーリの声の最後は聞こえなかった。一瞬早く、風の扉は勢い良く開き私達を風の奔流に飲み込んだ!
風の声が私の耳に聞こえて来る。
「風は自由の象徴,存在すること以外の束縛から全て解放しましょう。そして…」
その精霊語に、私の中の何かが音を立てて外された。
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