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 第六章


<Camera>
 人々の生活のざわめきが聞こえてくる。
 昼の日差しの入る、今の時期にしては暖かな部屋に男は一人、空間に2m×1m程の黒い厚さのない板を浮かべていた。まるで小さな宇宙へと繋がっているような、そんな二次元のスクリーンである。
 帝国文字が次々とその黒いスクリーンを流れて行く。そしてその文字列は不意に終了し、スクリーンには一列の文字が表示される。
 『ACCESS OK! ササーン王国 TO アルマ運輸:塩100t(400G/1kg)』
 「ふぅ、これで何とか…かな」 スクリーンを眺めていた男――金色の髪と白い肌を持ったザイル帝国の主要な民族――ディアルの青年は呟いた。
 やや貧弱な印象を与える体つきに長めの髪を後ろで縛った十代後半の青年である彼は、小さな控室でキーボードをスクリーンの前に置いて溜め息を一つ吐く。
 軽くキーボードの端のボタンを押すと黒いスクリーンは音もなく消え去った。
 彼の行っていたのは『ネット』と呼ばれるもので、魔導によって各国に張り巡らされた通信網により物の売り買いを始め、教育,会話などを行う事ができる。
 魔導を用いているが使用者は魔力を知る必要はなく、簡単な通信契約とスクリーン,そしてキーボードを購入することにより誰でも参加できる。
 つい五、六年前までは一部のマニアにしか用いられていなかった機能であったが、アークス皇国によるネットの拡大という後援と商人達の参加,すなわち物の相場を素早く知るという欲求とが重なり、今では一般的なものになっている。この商人達の運動は主にアンハルト公国から始まった。
 またこのネットには名目上、国境というものが存在しないので人々の自由な交易が保証されていた。
 この名目上というのは、ネットを使っての商売には商人協会からの許可書が必要なのである。もっともこれはネットでなくとも商人として商売をする上では必要なものではあるが。
 「さて、行くか」 青年はキーボードを手に、部屋に一つしかない扉に手を掛ける。
 「にゃ!」 
 「おっと,大丈夫か?」 扉が不意に開き、向かい側から開けようとした者がしたたか扉に額を打ち付けた。
 薄く黒い色の掛かった眼鏡を掛けた同世代らしき女性が額を押さえてうずくまる。そして目に涙を浮かべながら男を見つめる。
 「痛い、オラクル〜、ひどいぃ〜」 おそらく美女でもかなり上の部位に入るのではなかろうか,彼女に見つめられ青年は後ずさる。
 「ごめん,ハルモニア! だから…泣くな」 冷静に言う青年。女性は眼鏡をしたまま目頭を押さえると微笑んで頷いた。
 「…それで、どうだった? 塩の買い付けは」 雑踏に消え去りそうな鈴の鳴るような声でハルモニアは尋ねる。
 それにオラクルは彼女を促して歩きながら答えた。
 「ああ、ササーン方面からうまく取り寄せたよ」 その言葉に女性から溜め息が漏れる。
 「で、そっちの方はどうだったんだ? 搬入に手違いがあったようだが」 二人は人々が忙しなく行き来する往来を歩きながら情報を交わす。
 そこはザイル帝国首都イスファンに建つ王城シンクロトロンの物資搬入門。そして周囲には搬入に来る商人、人足相手の物売りから出店、宿屋までが立ち並んでいる。
 このシンクロトロン城はアークスのそれのおよそ五倍以上の大きさを誇っている。
 そこにはアークスの白亜の城と謳われるような優美さはなく、巨大な城塞都市と言った趣すらも感じられた。事実、城内にはそれに相当する兵士や何より多くの王族が住んでいる。
 現在、国王には一人の正妻と八人の側室がいる。さらに暗殺などですでに二度、正妻は変わっており消えた側室も数多い。が、これは現在の王に始まったことではなく建国以来同じことが続いている。また、現在の国王に生きている兄弟は数人しかいなかった。
 現時点での王位継承者たる資格を持つ者は全部で二十三名。しかし暗殺などが横行していなければ三十名以上いただろう。


 「…そうか、現王は余命幾ばくか」 何処からか、リンゴを手にした青年はそれを齧ってハルモニアに応じた。
 「ええ、だから私達も気を付けないと」 彼女は風で舞った肩までで整えた栗色の髪を軽く撫で付け、オラクルからもう一つのリンゴを貰いながら深刻な顔で頷く。
 青年の名はオラクル=フラント。王位継承権第十八位である、現王の従兄弟の二番目の息子だ。今年で十九歳の彼はシンクロトロン城への食料・日用品の搬入の職務に就いている。
 そして女性の方はハルモニア=シーレ,やはり王位継承権第十二位を持つ現王の側室の娘の一人である。彼女もまたオラクルと同様搬入の職務に就いていた。
 唯、彼女がオラクルと違う所は第二王位継承権を持つロアーの婚約者である点であろう。
 王家の一族は彼ら二人のように供に行動することはほとんどない。何故なら何時何処からやってくるか分からない暗殺は、同じ兄弟からのものであるからだ。
 今、力の強い者としては第一王子ブラッドや第二王子ロアー,第五王子ガルダに、まだ七歳と幼い第八王位継承権を持つエルーン王女がいる。
 もっとも彼らのように王位継承権からかなり遠く離れ、名声もなく国民にあまり知られていない者は今まで暗殺の対象からは外されている。
 しかし彼らも自らの命の危機を感じる時が訪れた。世代交替――すなわち後継者争いである。
 ザイル帝国におけるこの血の粛正は昔から行われていた。最も強い者が生き残る,それがザイル帝国での掟でもあるからだ。
 奴隷制度がこの国に関しては残っていることは、この風土のためであろう。
 「血の粛正か…アンハルト公国から経済圧力が掛かってるって言うのに,ま、死んじまえばそんな心配しなくてもいいんだがね」 門の袂まで来た彼ら二人は、次々と門をくぐり抜けて行く物資を眺めながら呟いた。
 「まるで人ごとね。私は嫌」 食べていないリンゴを握りしめ、彼女は言う。
 「君は大丈夫だろう? ロアーがこの後継者争いで死ぬような奴とは思えないし」 それにハルモニアはムッとした表情を浮かべる。
 「私が言っているのはそう言うことじゃない,オラクルが死ぬところなんて見たくないもの」 俯くハルモニアを見ない振りをして、オラクルは陽気に答えた。
 「俺だって死ぬつもりはないさ、こうして城の食料と日用品の搬出を牛耳っているのは俺の利用価値を認めさせる手なんだが」 オラクルは苦笑いしながら頭を軽く掻いた。
 ザイル帝国は強さ――言いかえれば武力を重視する。故にオラクルのような頭脳系――商人や学者はこの国では余り認められていないのだ。だからこそこのような考え方が残り、文化的には全体的に秀でていない。
 「前々から一つ聞きたかったんだが、どうして君はこの仕事をしているんだい? 君の立場なら奥で楽に暮らせるだろうに」
 リンゴの芯を投げ捨て、尋ねるオラクルにハルモニアは顔を上げ、微笑んでこう答えた。
 「分からない,私が?」 彼女は不意に駆け出し、搬入の馬車の荷に飛び乗る。
 答えはない。彼女は小さく微笑むだけだ。
 「さ、仕事に戻ろう!」 叫ぶ彼女にオラクルもまた荷馬車を追い掛けて駆け出した。



 静寂が支配する大理石造りの廊下。天井まで7、8mはあろうかというその大きな通路はザイル帝国首都イスファンに建つ王城シンクロトロンの一角に過ぎない。
 その凍り付いた空間を、黒く塗られた全身鎧の重さをまるで苦にする事なく歩く一人の騎士は、前方の空間の歪みに気付きその足を止めた。
 その歪みから白い足が、そして白い翼,目許のみを隠した仮面の顔が順次現れる。
 「何か私に御用か? 黒き魔女殿」 音なく現れたそれに、黒き騎士は尋ねる。その声は周りの静寂と調和した,言うなれば静かな声だった。
 「不用心ですね、ガルダ。護衛を一人も付けていないとは」 黒き魔女レイナの言葉に騎士の兜の隙間から覗く口許が軽く微笑みに歪む。
 「貴方に心配されるとは、私も株が上がったものだ。嬉しいよ」 
 「フフ…私は貴方に期待していますから」 
 「ほぅ、それは個人的に…かな?」
 兜を取りながら、ガルダは魔女に問うた。下から現れたのは黒い髪と黒い瞳,白い肌のディアルとニールラントの混血である。
 「個人的にと解釈していただくと嬉しいですわ,王子」 レイナは言い、何かをガルダに向かって放り投げる。それを騎士は鉄甲をした右手で受け取る。
 それは小さな襟章であった。三本の錫杖を加えた鷲を形どったもの,将軍を表したものである。そしてそれは赤く薄汚れていた。
 ザイル帝国においての将軍という位は、最高位である四人いる軍師に各々二人づつ直属し、合計八人いる。
 「グラッセ将軍の襟章…か,牙の失った狼を狩るとはな。だが、そのような人間が今は必要な時だ」
 パキッ,騎士は手に力を入れると襟章は砕け散り、石畳の上に散らばった。
 騎士は兜を片手にレイナの横を通り過ぎる。一人その場に残った黒き魔女はそれに振り返る事なく、現れた時と同様、その姿を虚空へと消した。



<Rune>
 「神の怒りよ、速き光よ! 偉大なる我が神の名に於いて招来せよ! ΠΡΤΣΥΦ!!」
 力ある言葉に応じて神の力が具現化される。
 黄色の法衣を纏った少女のその叫びに、幾筋のもの天からの電光が彼女を中心に突き刺さる!
 それはある者を直撃し、また海上に落ちてある者を痺れさせ、また海賊船と称する三隻の小型船を炎上させた。
 「出直して来な、光波斬!」 金色の髪の青年がおもむろに手にした剣を振りかぶると2〜3mの半月状の光が慌てふためく海の男達に襲い掛かった。
 「やりすぎだ,逃げるぞ!」
 爆音を背に、僕はやる気に満ちた二人の襟首を掴み、何も考えていない後の二人を伴ってその場から駆け出した。



 照りつける暑い日差し、青い空、白い砂浜、大地は丸かったと実感できるほどの広い海――そう、ここは常夏の地・アークス南西岸の観光地サマート。
 踏みしめる足下は砂に埋もれ、靴底に熱が伝わってくる。そして辺りには今の時期、アークス内地では味わえない日光と海の冷たさを楽しむ観光客が目立っていた。
 「眩しいですねぇ」 日差しにか、はたまた女性客にか,元々細い目をさらに細めながらラダーが言った。
 いつも手にしている銀色の長い筒が日の光を反射して、どう逃げても僕の目に入ってくる。故意か?
 「こう暑いと海にも入りたくなるよなぁ。でも例年ならようやくストーブを片付ける時期なのに」 ソロン達を思い浮かべる。今頃どうしているだろう。
 「あれ、アレフがいない」 気が付いて振り向くと、金髪の色男が消えていた。
 「アレフさんなら、ほら、ナンパに勤しんでいますよ」 とのラダーの言葉に海岸へと目をやる。


  「おねぇさん、お茶しない?」 
  「お呼びじゃないわ」 
  「俺と一緒に熱い夜を…」 
  「ばっかじゃない!」 
  「おお、貴方こそ私の捜し求めていた…」 
  「俺の女に何か用か?」 


 「バカだわ、恥ずかしい」 呆れたクレアの声。とことんフラレているのに次々と声を掛けている。不屈の魂の持ち主だ。
 「奴は放っておいて宿を捜しに行こうぜ。昨日から歩き通しで疲れちまった」 本当に疲れているのか疑いたくなる、汗一つ掻いていないアーパスは僕の腕を引っ張った。
 昨日の昼までは、冬が終わり春の兆しが見え掛けた、肌寒さを感じたほどだったが、一つ山を越えたところで気候がガラリと変わったのだ。
 このサマートを含む西の鷹公国ではその大半の領土をこの様な熱帯気候として有している。
 そしてここサマートは鷹公国首都ラワールより南へ50km程行った所にある漁村兼リゾート地。丁度その間には公国――いやアークス皇国最大の港町ミエールが存在している。
 そんなリゾート地までの街道で多少外れた所に『凍れる天使の像』という有名な遺跡があった。
 どうせならということで見に行ったのであるが、どこでどう道を間違えたのか海岸に出てしまい、さらに運が悪いことに一仕事終えた海賊達のアジトに出くわしてしまったのである。
 クレオソートとアーパスがここぞとばかり暴れて何とか彼らを煙に巻いたようだが。
 「ここでいいか」
 僕は宿屋の一件に入る。平屋のこの宿は、南国独自の作りで壁は土を押し固めて粘土で形を整えた、暑さと湿気に適した作りをしている。
 「いらっしゃいませ。何名様で?」 腰を叩きながら、日焼けしたおばあさんが奥から現れる。僕は人数分の金を払い、部屋へと案内してもらう。
 「ごゆっくり」 おばあさんはそう言うと、もと来た通路を戻って行った。
 「取り合えず、落ち着いたな」 藤製のベットに腰かけながら、僕は胸鎧を外す。
 三人部屋のこの部屋には僕とアーパス,クレアが。そして隣の二人部屋にはラダーとアレフが泊まることになっている。
 しかしこの時期は観光客のせいで宿が不足しており、僕達が腰を下ろした宿ははっきり言って、ガラの悪い連中の巣窟だったりする。
 食堂兼酒場にはこの海域を縄張りとしている海賊のような連中が酒を飲み、大地が揺れないことを謳歌していた。となると、さっきの海賊に出くわすかも知れない。
 「入りますよ、皆さん」 糸目のラダーが入ってくる。暑苦しい白いローブ姿ではなく、半袖単パンのラフなスタイルに着替えていた。
 が、手にはやはり筒を持っている。
 「涼しそうだね、ラダー」 
 「ええ、先程買って来たんですよ,ルーンも着ますか?」 言って同じものをもう一セットどこからともなく手に出す。
 「ああ、ありがと……って、そんなことしている時じゃない。アーパス,知っているんだろう? 水の祠は一体何処にあるんだ?」 僕の何度目かの言葉に、アーパスはようやく重い口を開き始めた。
 「喉、乾かないか?」 



 ズズッーーと言う音が響く。風鈴の音が涼しげで暑さを忘れさせてくれる。
 「サマート名物そうめんっておいしいものなんですねぇ」 ラダーが一息ついて言った。
 「この海の遥か沖合いにマーマン達の住む海底都市があり、そこで海の神の神殿として水の祠は祭られている。しかしどうやって行くつもりだ? ルーン,あ、おばちゃん,天ぷらもう一皿追加ね!」 
 「海底…潜って行くっていうのはどう? あ、そうめんがもう切れかかってる,おばちゃん、そうめんも追加!」 
 「息,続くのか? それ以前に水圧がすごいぞ、う…」 
 「喋りながら食うなって,ほら、水」 
 「…ふぅ、何せ俺も行ったことはないからな」 意外な答えだった。
 「何を勝ち誇ってるんだ? しっかし海底かぁ」 アーパスの水の精霊によって水の中では息はできる。しかし水圧には耐えられないのだ。
 「人魚になる薬ってないの? おとぎ話であるじゃない、ほら」 
 「あんなもの、あるわけないだろ」 
 「マーマンになれる薬くらい、簡単に作れますよ」 意外な答えは意外なところから来た。ラダーはそうめんを啜る。
 「何て言った?」 アーパスは鋭い視線でラダーを見つめる。が、彼はそれを見ているのか見ていないのか、再びのんびりとした口調で答えた。
 「人魚薬ですね? 材料が一つ足りませんがそれがあればできますよ」 
 「「材料?」」 僕とクレアの声がハモる。
 「ええ、大海蛇の鱗が…そう、六人分ですから三枚ですね」 
 大海蛇…その名の通り海に住むウツボの怪物で、成獣は全長数十mに及びその牙には猛毒を持つ危険極まりない奴だ。
 しかし性格は一般的に臆病で、必要がなければ人を襲ったりしない。数もたいして多くなく、沖合いを寝倉としていることが多い。
 「大海蛇の鱗か…売ってる物でもないし、簡単に手に入るものでもないなぁ」 
 「他に手はないでしょう?」 クレアはもっともな意見を出す。
 「でも私は蛇って苦手だから…パス」 と彼女。確かにこの娘は蛇が苦手だ。原因は僕にあるのだが、これはずっと昔の談。
 「しかし…今は蛇よりも厄介な奴らに囲まれたようだなぁ」 僕はイリナーゼの柄に手をやった。
 僕達のテーブルを中心に、潮臭い男共およそ12名が囲んでいる。荒れくれ者といった風貌の彼らはどう見ても堅気の連中ではない。おそらく先程の海賊……
 彼らの包囲の輪が次第に縮まる。僕達はそれぞれの得物を手に席を立とうとし、
 「待ちな、手前等,陸で喧嘩は御法度だぜ」 カウンターからの鋭い声に全員の動きが止まった。
 腰まである黒く長い髪を一つに縛り、右目を黒い眼帯で覆ったいかにも海賊の女親分と言った感じの、二十代前半の女性。腰には二本の細身の剣を吊している。
 「ふん、誰かと思えばクローのじいさんトコの嬢ちゃんじゃねえか。テメエらの時代は終わったんだよ。おい、コイツもやっちまいな!」 リーダーらしきスキンヘッドの男が曲刀を振りかざす。それに従い、他の海賊達も剣を抜いた。
 ガッ!
 次の瞬間、スキンヘッドの男の顔面に女性の目にも止まらぬ飛び蹴りが決まっていた。間髪置かず、アッパーが男を吹き飛ばす。
 「「おお!〜」」 華麗な連続技に、僕達から溜め息と拍手が挙がった。それに髪を掻きあげ余裕の表情を見せる女性。
 が、倒れていたと思っていた男が素早く起き上がり、油断していた女性を後ろから羽交い締めにする。
 「クッ、甘かったか!」 
 「いや、効いたぜぇ,このまま締め上げてやる」 男の筋肉が盛り上がる。女性の顔に苦痛の表情が走る!
 「アーパス,クレア!」 僕の合図と供に二人は動いた。しかし残りの海賊達が立ちはだかる!
 「人のこと心配している暇があんのか?」 曲刀を構える海賊達。その背後から呻き声が聞こえてくる。
 「伏せて!」 背後からの声,僕達三人は床に身を投げ出す!
 ドン! 空気の塊が僕の頭上を駆け抜けた。半数の海賊が吹き飛ぶ,その開いた穴を駆け抜け、僕はスキンヘッドの男を狙う。
 「チッ!」 男は女性を僕に向かって投げ付ける。それを受け止め、そのまま倒れ込む前にイリナーゼを投げた!
 それは男の片腹を軽く切り裂く,電撃の力を伴って。
 「ガッ!」 男は今度こそ膝を付く。
 「親分! くそっ、覚えてろ!」 アーパス達を牽制しながら、他の海賊達は仲間を回収しながら宿屋を出て行った。
 「クレア!」 僕は神官の少女を呼ぶ。
 「クッ、やられたぜ」 女性は苦しそうに呟く。見た感じではおそらくアバラが数本折れているか…
 「すみません、巻き込んでしまって」 クレアの治癒魔法を聞きながら、僕は女性に謝る。それに彼女は首を横に振った。
 「あんな奴等をのさばらしておく私が悪いのさ、お嬢ちゃん,ありがとよ。もう大丈夫だ」 立ち上がる女性。しかしそのまま胸を押さえ、僕に倒れ掛かる。
 「無理しないで,私の治癒魔法は折れた骨を完全に戻せはしないのよ。少し休んで」 
 「すまないが…私を送って行って貰えないだろうか? なに、すぐ近くだ」 荒い息をする彼女に僕は頷き、肩を貸した。



 恐い,それもとことん。
 円形のテーブルに用意された椅子に腰かけた僕達は、俗に言う言う「恐い人達」に囲まれていた。
 その数およそ8人,傍目からもどれもかなりの猛者であることは確かだ。先程の海賊よりも、その海賊度(どんな度合だ)は上だろう。
 そう。僕とクレアの二人は町の海賊とのいざこざに入りこんできた女性を送って、港に停泊する一隻のガレー船へ案内されたのであった。
 なお後の連中は飯屋の後片付けをさせられている。
 そしてその船の船室の一室に通されたのであるが…。
 「ねぇ、お兄ちゃん。一体この人達,何?」 小声で囁くクレア。
 「何って、海賊じゃないのか? それ以外に考えられないぞ,この格好と状況じゃ」 
 「こんなことなら後片付けに残れば良かった」 
 「全く…」 そんなやり取りを唯ジッと見つめる男達。暑くないのか,あんた等は。
 「おい」 正面の男がドスのきいた声で声を発した。
 「お嬢に怪我させたのは一体どこのどいつだ?」
 ドン,机におもいきり手を突いて詰め寄る海賊A。それと同時に包囲網が狭くなったような…。
 「知ってるんだろ、え?」 クレアに詰め寄る海賊B。が、その鼻先に短刀が飛び、壁に付き刺さった! 男の動きが止まる。
 ガチャ
 一つしかない扉が開く。そこからは先程の隻眼の女性と、体格のかなり良い白い髭を顔一面に生やした老人が現れた。
 「すまん、待たせたな,おい手前等、客人の話し相手をしろと言っといたのに何やってんだ? ああ?」 と、海賊Aに廻し蹴り一発。話し相手って、あんたなぁ。
 「ほら、とっとと出てった!」 海賊達を顎で扱う女性。それにしぶしぶ彼らは出て行った。部屋には僕とクレア,そして女性と老人の四人が残る。急に広くなった様に感じる。
 「ん?」 クレアが壁に刺さった短刀を抜いて首を捻っていた。
 「どうした? 神官殿」 
 「え? いいえ、何でも」 短刀を懐にしまい、クレアは席についた。
 はて、あの短刀はこの女性の投げたものではなかったのか?
 「実はお前達に頼みたいことがあってな。私があの酒場にいたのはお前達を待っていてのことだ」 席に着きながら、隻眼の女性は言った。
 「頼みたいこと?」 
 「ああ、先日お前達がゲインの一派――と言っても分からないな、海賊の一派を壊滅させただろう?」 サマートの来る途中のあの事を言っているらしい。
 「確かに。あれがあんたの仲間だったとか?」 尋ねる言葉に軽く笑う女性。
 「違うよ,あんなゴロツキ海賊なんぞ私等が潰すべきなんだ」 足をテーブルに投げ出して答えた。
 「私等って海賊に派閥でもあるの?」 
 「今はな。私はミース=クロー,かつてはこの海域を総べていたクロー[世の孫さ」 寂しげに言う彼女の言葉に僕の息が詰まった。
 初代海賊クローと鷹公王子との魔王『青』の討伐伝,さらに四代目クロー[世とアークス前国王との魔龍成敗は絵本になるほどの、あまりにも有名な話である。ま、それはまた別の機会にということで。
 いつの頃からだろう,おそらくはそのクロー[世が現役を退いた頃からこのアークス西海域での治安は悪化した。
 私掠船が横行し、魔物が出現する。そして現在では鷹公国と海賊との争いが絶えることはない。
 「しかし今となっては私らは、お前達が潰したゴロツキ集団と戦力的には大して変わらない,情けないことさ。跡を継がなきゃならない私にしてもその残党如きにこの有様」 
 「我々の頼みとはしばらくの間、我々の戦力となってくれないかということです。報酬はしっかりお支払します」 とこちらは初老の男の言葉だ。
 「しばらくの間とは?」 
 「ちょっと、お兄ちゃん,やる気なの?」 
 「少なくともこのサマートの漁民が安心して仕事ができるくらいの間だ」 ミースが答える。考える僕をクレアが非難の目で見つめていた。
 「…僕達は大海蛇を捜している。それに協力してくれるのなら」 隣で頭を掻くクレアを見て、僕は返事をする。
 「大海蛇? 人魚薬でも作るつもりか? 水の祠に用があるのならば私の知り合いの人魚に案内させるが」 ミースの予想外の言葉に僕達の動きが止まる。
 「決まりですな」 言って老人は席を立った。



<Camera>
 糸のように細い月の出る夜、その冷たい明かりの下で蝋燭の明りが揺らめいていた。積もった雪は未だに溶けず、それは増える傾向にすらある。
 少女は氷のように冷たい水に浸したタオルを絞り、男の額に乗せる。ベットに横たわった男の顔色は白く、血の気を失っていた。
 「ザート…もう三日も水を」 ユーフェは水の入ったコップを口に触れさせる。しかしすでに受け付けず、水は彼の頬を伝って零れた。
 騎士ザートは唐突に倒れた、三日前のことである。
 まるで呪いかのように高熱を発し、いかなる薬、魔法も効かない。風土病という訳でもない。
 「このままじゃ、もたない…どうすれば」 不意に青年の顔が苦痛の顔に歪む。
 それに少女は右手でその額に触れ、何かを呟く。すると青年の顔から苦痛の表情は消え、安らかな眠りへと就いた。
 「ユーフェ,無理をするな。私が替ろう」 背後からの気配に彼女は振り返る。
 「泣いて…いるのか?」 徨牙に再び背を向ける魔導師。
 「ザートの夢を…その苦しみを共有しているの。そうすれば彼の苦しみの半分は私が受け持てるから……だから、今は私達二人だけにして」 
 「…分かった,だが無理をするな。お前まで壊れたらシャイロクが困るぞ」 
 「ええ」 そして気配が消える。が、直後に再び気配が生まれた。
 「何? 徨牙」 
 「そちらが騎士ザート=プラン殿かな?」 振り返るユーフェ。そこには一人の男が立っていた。
 星の明りを背に受けて、銀色の刺繍の入った黒いマントが視界を覆う。冷たい光を照り返す金色の髪を有した二十代後半の青年だ。幅広の帽子をその右手に持っている。
 「誰? 貴方は?」 
 「私はアルキミア,しがない練金術師です」 ニコリと男は微笑むとザートの眠るベットへと歩み寄る。
 ザートの顔を一目見、彼は懐から小さな小指大の金色の筒を取り出した。
 「月の明りを源に、その冷たき怒りを静める力となれ。メルクリウスの名の下に金を銀へ、銀を大気霊プネウマへ、そして万能なる…」 男の手の中で筒が光を放つ。
 そして光が収まると金色の筒は青い光沢を放っていた。
 「レディ,この錠剤を騎士に飲ませてあげなさい。これで彼は聖気に当てられることはないでしょう」 ユーフェに筒を渡し、錬金術師はそして唐突にテントから立ち去る。
 「聖気? この筒に薬が?」 ユーフェは筒の蓋を開ける。すると青い色をした錠剤が二粒、彼女の手のひらに零れた。
 「よく分からないけど、これで治るのなら…」
 ユーフェはごく自然な動作で薬を自ら口にし、ザートの唇に己の唇で触れた。
 騎士の喉を、魔術師の吐息に合わせて薬が通って行く。
 「ザート、頑張って――」
 悪夢を見ているのか、彼は額にしわを寄せ、小さな呻き声を挙げる。ユーフェはそんな彼の額に何度目になるか、手を当てて呪を呟いた。
 同時に彼女にはもはや見慣れた、繰り返しの悪夢が脳裏に映る。悪夢の苦しみを共有することによって少しでも和らげようとする法だ。下手をすると施術者の意識を狂わせる恐れもある危険な術である。
 何度目かになる映像は、熱気と伴に彼女に蘇った。


 雪の降る真夜中だ。
 少年は炎に包まれた小さいながらも豊かだった家の中、外の怒号と喧騒に恐れていた。
 何が起こったのか分からない。ただ分かることは、先程笑っていた父はこの世すでになく、己の住む家もなくなろうとしていることだけだった。
 「ザート!」
 若い母が、しゃがんで彼の肩に両手を乗せる。
 「貴方は生きなさい。何があっても生き延びるのですよ」
 炎に照らされた彼女の微笑みは、ザートの脳裏に写真の様に刻みついた。
 そしてユーフェは彼の意識を通して知る――智天使シーケンスと同じ人物であると。
 「母さん、僕…」
 呟くが早いか、彼女は床下の地下室への入り口を開き、彼を蹴り入れる!
 バタン! ズシン…
 頭上で入り口が閉まり、何が重いもの、本棚か何かが倒される音が響く。
 ザート少年は必死になって入り口を押し上げようとするが、びくともしなかった。
 やがて家の中に多人数の足音が聞こえてくる。
 「最後の一件だ。奪え奪え!」 粗野な中年の男の号令に、家のものをひっくり返す音が響いてくる。
 バタン,部屋の扉が開かれる音がした。
 「女がいるじぇねぇか,捕らえろ!」
 「盗賊などに汚されはしない!」
 「ぐわ! 指がぁぁ」
 「クソ、殺せぇ!」
 頭上で起こる戦いの音に少年は耳を塞ぐ。
 己の無力を呪い、突如訪れた暴力を恨んだ。そして母の死を止めることが出来なかった自分自身にも。
 ユーフェの胸は痛かった。どうにもならない虚脱感が襲う。
 「ザート…もう貴方は強いから…大丈夫だから…」 呟き、横たわる彼の胸に顔を埋めた。



 同時刻、ガートルートにそびえる城内で石をずらす音がした。
 耳の痛くなるような沈黙を破るその低い響きは、しかし気付く者はほとんどなく、気付いたとしてもそれほど気にする者もいなかった。
 要塞ガートルートの奥深く、比較的大きな図書室の中央で彼女は床にできた階段を見ている。
 ガートルートは歴史的な要塞都市であり、アークス以前の国家もまた、この地に要塞を築いていた。
 すなわち要塞の上に要塞を、そして破損した箇所には増設工事をと言った具合に古いものの上に新しいものを築いてできたのがこの城である。
 書士セリネことセレス=ラスパーンは燭台を手に階段を降りて行く。
 その階段にはほこりが数センチにもわたって積もり、使用者がここ数百年いないことを物語っていた。 階段はすぐに終わり、小さな小部屋へと彼女は出た。
 「これは魔法陣? 転移魔法ね」 燭台の明りで床を照らすと不思議なことに中心に円形にだけ埃が積もっていなかった。そしてそこには彼女ですら見たこともないような法円が描かれている。
 「おそらくこれがバベルの図書館への入口…リブラスルスの鍵を必ず!」 彼女は燭台を地面に置き、法円の中へと足を踏み入れた。
 不意に辺りの景色が黴臭い石部屋から天井まで数十mはあろうかという巨大な本棚と蔵書を誇る場所,それを前に彼女はいた。
 「ここは…バベルの図書館…なの?」 空気全体が光っているのか、視界はしっかりと確保できる。しかし聴覚はまるで死んでしまったかのように自分の声しか聞こえない。
 「そう、ここは貴方達人間の言うバベルの図書館。全ての知識と記憶,出来事を本という形で封じ、記録した物が置かれる所」 突然の声に彼女は振り返る。
 彼女の後ろには閲覧用の長机と、その向こうにはカウンターがあった。そのカウンターに声の主はいた。
 「貴方は…ここの管理者?」 歩み寄るセレス。
 「ええ、私は月読。時間神と呼ばれるこの図書館の管理人」
 茶色のローブに複雑な魔法文字を刺繍し、灰色の長い髪から覗く端正な顔立ちは男にも女にも見える。実際その両方でもあるのであろうが、それは今のセレスの興味対象外であった。
 「この地に人間が訪れるなど幾千夜ぶりであろうか。何をお探しか?」 月読は座ったままで彼女に尋ねる。
 「リブラスルスに関する文献を」 立ち止まり、彼女は言った。それに管理人は多少困った顔をする。
 「リブラスルスはあってなき存在,文献はあるがそれは膨大な物となろう。そしてあの高次な存在を人間であるお主に理解し得るであろうか?」 言いながら、月読は手元にあった紙に何やら書いていく。
 「これらを調べてみるが良い。ここでの時間はお前だけのもの、誰も,そして時である私も邪魔はすまい」 セレスは紙を受け取る。
 「ありがとう。それでも私は理解し、追わなければならない」 紙を一瞥し、彼女は背を向ける。そして、硬直した。
 「リブラスルス!」
 セレスは本棚の端にある椅子に腰掛けた異形の男を発見,飛び退き懐から短剣を取り出し…
 「クッ!」 電撃が走り、短剣は消える。
 「この地で暴力は許されていません」 後ろから月読の声。
 「君のことは調べさせてもらったよ,セレス=ラスパーン」
 『一対の白い翼』を持った若者・リブラスルスは氷のような微笑で言い放った。
 「私のことをいろいろ調べ回っているようだが、こんな所にまでやってくるとはいやはや、驚いたよ。全く困ったものだ」 リブラスルスは言いながら目を見開く。
 「教えてあげよう、私のやろうとしている偉業を,そして手伝うのだ」 
 「う、あ…」 リブラスルスの瞳,金と銀のそれぞれの不思議な色彩から放たれる魔力にセレスの動きが止まり、その思考にすらリブラスルスの意識が潜り込んでくる。
 「ぬ!」 リブラスルスが退く! 束縛の視線が解け、セレスはその場に膝を付いた。
 リブラスルスの回りには銀色の粉が取り巻いている。
 「いけませんね、そうでしょう,月読殿」 幅広の帽子を目深に被った男がリブラスルスから視線を移さぬままに言う。
 「アルキミア…堕ちた存在がこの私の邪魔をするか?」 リブラスルスが右手を横になぐと銀色の粉は風と供に消えた。
 「私は堕ちて強くなりました,自らの信ずる所へ進むからね。今では貴方にただでは負けないと確信していますよ」 
 「もっともこの場でやる気はないのだろう,そんなことになれば私はお主達を抹消しなくてはならなくなる」 いつの間にか、月読がセレスに手を貸しながら言う。
 「…ここは引くとしよう。しかしセレス=ラスパーンよ,婚約者のようになりたくなければ手を引くが良い」 しかし挑戦的な笑みを浮かべ、リブラスルスは姿を消した。
 「やれやれ、リブラスルス相手というのはきついものがありますね」 アルキミアは月読の肩を借りるセレスに向き直る。
 「セレス殿、自らの信じる道を進みなさい。例えそれが間違っていようとも、決して後悔のしない道を選びなさい」 微笑みを浮かべるアルキミア。その顔を燭台の下ではっきりと捉え、セレスは驚きのあまり硬直する。
 同様に彼もまた虚空へと消えていく。
 「あっ、待って! 行かないで!」 セレスの手が、しかし虚空を掴んだにすぎなかった。
 「どうして、死んだんじゃないの?! あの人なの?! 生きて,いえ、そんなことは…」 セレスの頬にはいつやら、見せたことのない涙が伝っていた。



 夜だった,いや時間は進んでいなかった。
 「私だけの時間とはこういうことね、しかし私は一体どうすれば…」 リブラスルスを知ったセレスは燭台を拾い、階段へと向かう。
 「私の思った通りにか,私は今まで貴方の仇を打つことばかり考えていたのに、貴方がそんなことを言うなんて…ね」 静寂の中、セレスの足音だけが響いていた。

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