6−2


 深夜。
 闇は月の明りを恐れるが、もっぱら夜は闇の世界でもある。その闇に紛れて幾つかの影が動き、そして蝋燭の炎のように人の命をいとも容易く奪っていく。
 ガートルートの砦――その一室で彼女は眠りに就いていた。不意にその銀色の瞳が見開かれる。
 「何があったの,燐牙?」 ベットから起き上がり、銀色の長い髪を手で纏めながらその女性――ローティスは闇に尋ねた。それに応じて闇の中から女性の返事が返ってくる。
 「ハッ、刺客が…かなりの数ですが、我々でどうにか撃退はできそうです。しかし手練れも多く含まれておりまして、何人かはすでに我々の警戒網を越えてしまいました」 くぐもってはいるが、若い女性の声だ。ローティスはテーブルの上に置かれてある小剣を手にする。
 「燐牙、貴女も戦線に加わりなさい。狼羽を失うことになるかもよ」
 「我々に私情は無用です……が、貴女の命のままに」 感情を押し殺した声にローティスは微笑み、足早に部屋を出た。



 殺気が生まれる!
 それもギラギラとしたそれではなく、まとわり付くような陰湿な気だ。相手を探るような殺気――暗殺者によく見られるそれである。
 青年――実直さと活力をそのまま形にしたようなニールラントの男は、愛用の大剣を手繰り寄せる。
 同時に天井が抜け、四人の刺客が彼を襲い、降ってきた!
 青年はその身を床に投げ出す。四人の刺客の持つ黒身の剣が彼が今までいたベットにそれぞれ突き刺さった。
 「何もんだ,お前等!」 大剣を抜き放つ青年。刺客の一人が切り掛かる。
 ギイッ,金属音を発して黒身の剣を受け止める青年。
 切り返し、刺客の胴をなぐ。
 が、普段ならば決まるその軌跡は、しかしこの部屋という閉鎖された空間では大剣を振うには狭すぎた。剣は近くのテーブルを破壊し、刺客には届かない。
 「ちっ」 舌打ち。状況を素早く判断し、優勢であることを知った刺客達は四人という絶妙なコンビネーションで剣を繰り出してくる。
 「やば…」 辛うじて剣撃を弾く青年。しかしそれも長くは続きそうにない。
 「ブレイド!」 その時だ。一つしかない扉が開き、現れた女性が何かを投げつける。それは刺客の一人の頭に炸裂,ぶつけられた刺客はたたらを踏む。
 「サンキュ」 刺客達に生まれた隙を見て、青年・ブレイドは投げられた小剣を拾い、刺客の一人の懐に入る!
 「まず一人!」
 刺客の首筋を切り裂くブレイド。切られた刺客は声を上げることすらなく血飛沫を撒き散らして絶命。
 構わず残りの刺客はブレイドに切り掛かる! が、小回りの効く剣を手にしたブレイドはその全てを弾き返し、刺客の左胸に剣を深く突き立てた!
 そしてそのままの体勢で刺客を盾にするようにもう一人の刺客に体当たりをかます。
 「落ちな」 二人の刺客を窓まで押し、勢いに任せて突き破り、落とす。
 「あと一人!」 いつの間にか刺客の剣を手にしたブレイドは残る一人に向かって素早く切り掛かる!
 「…」 刺客はかわして後退,元来たベットの天井の穴まで向かう。
 「待ちやがれ!」 追うブレイド。刺客は懐から何かを投げる! 月の明かりにも反射しないそれもまた、黒身の短剣だった。
 「フン!」 三本叩き落とすブレイド,しかし…
 「うっ…」
 背後に生まれた呻き声に足を止める。
 「ローティス?!」 振り返るブレイド。その間に刺客の姿は消えた。
 「しくじったわ」 左肩に刺さった短剣を抜いて刀身を調べるローティス。彼女の纏う白い寝着は徐々に赤く染まり、その表情は早くも青白くなっている。
 「何の毒だ?」 自らの袖を破り、彼女の左肩をきつく締めるブレイド。
 「…ちょっと分からないわ。手投げ剣の毒だから高価な毒薬は使わないでしょうけど…体に力が入らなくなってきたわね」 震える手から剣を落とし、ブレイドにもたれ掛かるローティス。
 「神官を呼んでくる,あいつらなら大抵の毒は解毒できる!」 立ち上がるブレイドに彼女は首を振る。
 「大丈夫,もうすでに呼んであるわ。もっともこんな状況を想定してではなかったけど、ね」 苦笑する彼女。力なく呟き、ブレイドの袖をぎゅっと握った。
 「それより今はここにいて…」 ローティスは言って大きく溜息。
 「あ、ああ」 ローティスを抱き抱えるような形でブレイドはその場に座る。
 しばらく――ほんのしばらくだが静かな時間が流れる。それは妙に長く感じられた。
 「ほんと、笑っちゃうわ」 ローティスの震えた声がそれを破る。
 「この私が死を怖がっているの。今まで…どんな戦場でだってこんな事は感じたことはなかったのに。自分の死なんて全然怖くなかったのにね」 毒のせいか,彼女の言う恐怖のせいか、小さく震えるローティスをブレイドは無言で強く抱きしめた。
 「…」
 薄い寝着越しにローティスの心音が伝わってくる。それが少しづつ早くなっていくと同時に震えがなくなっていくのを感じた。
 「大丈夫、君は助かる」 耳元で囁く。
 「うん…」
 意識が遠くなりながらも彼女が小さく頷くと同時に、慌ただしそうな神官と衛兵達の足音が近づいてきた。



 「フラッツの仕業ね」 翌日、ローティスは会議の後、ブレイドの自室でそう言った。
 「さっきの会議では不明だって言っていたじゃないか」 
 「確たる証拠を持ってから正式に公言するところなのよ,会議って場所は」 
 「つまり勘だと?」 ソファーにもたれながらブレイドは尋ねる。
 「それなりに根拠はあるんだけどね。今、調べさせてるわ」
 髪と同じ銀色の瞳に光を宿し、彼女は言った。結局、短剣に塗られていた毒は強力な麻痺薬だった。ただ象ですらその一掠りで倒れてしまうという代物なので、量が多いと死んでしまうが。
 「フラッツ…か。現龍公の後見人だろ? どうしてそんな奴が俺を狙うんだ?」 
 「東の熊公国の現状を知っているでしょう?」 対側のソファーに身を下ろしながらローティスは尋ねる。
 「ああ、この間謀反を起こして央国と虎公国に潰された東の公国だろ? それが?」 
 「つまり公国と言えども潰されるのよ。今までは央国と公国の立場は文章上、同じだったの。その暗黙の了解を無視して潰した。すなわち他の公国にとってもそれが言える」 
 「潰してどうするんだ? 亀裂が走るだけじゃないか。東のそれは仕方ないにして無闇に公国を潰したりはしないだろう?」 
 「さぁ、どうかしら? 王族にもウルバーンのような野心家もいたし」 
 「でもどうして俺を狙う?」
 「貴方、エッジ=ステイノバの息子でしょう?」 呆れたように尋ねるローティス。ブレイドは頷く。
 「エッジは三年だけだけど、龍公の地位にいたじゃないの。何よりエッジは前龍公の母方の兄だし。彼の息子である貴方は現在の龍公にとって…」
 「だけどなぁ、俺にその気はないしさ」
 それは無論ローティスには分かっている。が、世間はそうは見ない。
 「関係ないわね。何より貴方はこの戦いでガートルートを解放した。勇者ステイノバの再来として4歳の幼い新龍公よりも貴方を支持する声の方が強いのよ」
 「じゃあ、何だ? フラッツってやつは俺が龍公にでもなるつもりでいるとでも思っているのか?」 
 「向こうはおそらく、ね」 
 「馬鹿馬鹿しい,そんな訳の分からん血縁で命を狙われるなんて頭にくるな」 
 「まぁね。そっちの方は私が何とかして尻尾を捕まえるわ」 
 「頼む。しかしお前、毒は大丈夫なのか? 昨日は死にそうだったのに、今朝から動き回っているが?」 心配気に尋ねるブレイド。
 「解毒されたからもう平気よ。それに…」 言葉を切らす軍師。
 「それに何だ?」 不思議そうに尋ねるブレイドに顔を赤くするローティス。
 「ま、まぁ、そんなところよ。それじゃ、私は調べ物があるからここで」 
 「ああ」 ローティスは立ち上がり、足早に部屋を出て行く。
 「厄介なことに巻きこまれたな,安心して寝てもいられんがね」
 おそらくこの時点で彼にとってあらゆる意味で厄介なことに巻き込まれているということは、彼は未だ気付いてはいなかった。



<Rune>
 ここサマート近辺の海は、地形的には扇状の湾内である。湾と言ってもその広さは海岸線の長さでおよそ10kmほどあり、波もそれなりに強い。
 が、遠浅のこの地形は小島が点在し、珊瑚礁にもまた恵まれている。故に海産物は豊富であり、さらにそれらを寝床にする海賊もまた多いことは避けられない。
 また船を寝床とする海の民の存在も、その巧みな航海術から海賊行為を行うようになって行く。
 かつて――そう、五年程前までにはそれら海の荒れくれ者を一つに束ねていた海の英雄がいた。その名はクライザ=クロー。海賊クロー一族最後の英雄である。
 彼が病に倒れ、その一人息子が姿を消した後、威光は失われて行ったのだ。
 海は荒れ、略奪が横行し、それら陰の気を啜るために魔物まで現れ出す。
 それを全て潰し、元の海に戻そうと立ち上がった者がいた。その名はミース=クロー,クライザたるクロー[世の孫娘である。
 彼女は数少なくなった元一家の仲間を従えて、他の海賊が群雄割拠するこの海へとその身を投じる。
 その旗揚げとして、僕とアーパスの持つ遠距離破壊技に目を付けのであった
 「野郎共,気合い入れて行くぞ! これからが始まりだ!」
 右目の黒い眼帯がいかにも海賊であるとアピールするようなミース,いやクロー\世が数少ない部下達に叫ぶ。
 「「おお〜!!」」
 数は少ないながらも気合いは十分,そんな感じの声が青い空の下、船上に響き渡った。当然、その中には僕の声も含まれている。
 ミースの要求を受け入れた僕は、ラダーとアレフ,そして付いて来たがっていたクレアを残して、アーパスと供に彼女の船に乗り込んだ。
 ミースの船は一隻のガレー船。比較的大きなこの船はかなり古いが見るからに頑丈そうだ。それもその筈、彼女のお爺さんであり伝説にも名を残すクロー[世の駆っていた船なのだそうだ。
 その船にミースとその配下――言うなればクロー[世時代から彼女に従う海賊の一族が20余名,そして僕達2名が乗っている。
 目的地はサマート沖に浮かぶ珊瑚礁に作られた海賊のアジトの一つ――グレアム一家に奇襲を掛けようというのだ。
 グレアム一家は100名ばかりからなるこの近海でも大きめの海賊一家。かつてはクロー[世の部下のさらにその部下でもあったという、孫部下だ。
 「見えてきた!」 結構激しく揺れる船に手摺に掴まってアーパスが叫んだ。
 「ルーン!」 船頭でミースが呼ぶ。
 「挨拶がわりに一発ぶちこんでやんな」 女でもやはりクローの血を引くだけはある,部下の男達をさらに上回る気迫で僕に指示した。
 「え? いいのかなぁ」 
 「やるぜ、ルーン」 こちらもまた騒ぎ事が好きなアーパスが剣を抜いて口端を上げる。
 「光波斬!」 後ろからアーパスの放つ3mばかりの半月状の光が僕の頭上を飛ぶ。それに合わせ僕は腰から抜いたイリナーゼに力を込め、その半月状の光を押すように振り下ろした。
 「光波斬/相乗!」 光の十字と化した僕とアーパスの光の破壊弾は真っ直ぐと晴天の下、珊瑚礁の上に立つ海賊のアジトへと吸いこまれ、そして……
 ゴァ!
 その半分を吹き飛ばし、炎上させた。
 「突撃!」 ミースの合図の下、ガレー船は崩壊しかかったアジトへと向けて真っ直ぐと進む。
 遠目に見ても混乱しているグレアム一家に、数は少ないが手練れの揃ったミース一派が負けるはずもなかった。



 そんなこんなで一週間―――全てはあまりにもできすぎているように思えてならなかった。
 「フレーン一家盗伐、おめでとうございます!」 ミースの世話役である老海賊の号令下。
 「「おめでとうございます」」 広いはずの部屋に唸る程、埋め尽くされた海の猛者達がその後に続く。
 「戦いはこれからだ,だが今日一日は大いに騒いでくれ。乾杯!」 台上のミースがそう叫ぶと、会場はあっという間に無礼講となった。
 ミース一派の快進撃は続き、グレアム一家を倒した後、幾つかの海賊を潰した。
 するといつの間にやら彼女の傘下に加わりたいという者が増え、それとともに船の数が増して行ったのである。
 新たに加わって来るのは潰された海賊の残りであるとか、潰される前に加わってしまう者,騒ぎを聞きつけた海の民やクローに憧れてやってきた者など、千差万別。
 しかしそのどれにも共通しているのは、荒れくれ者と一言で片付けられる点であろう。
 そしてつい先程この海域,周囲250kmで最も大きな海賊フレーン一家を潰したのである。これでこのアークス西岸の半分近くを制したことになった。
 が、彼女の言葉通りこれからなのである。これから制そうとする――主に北側の海域は、海賊は海賊でも、言ってしまえが変だが武闘派として有名である。
 特にエントランス=メルクランという海賊は鷹公国水軍にすら攻撃を仕掛け、一個師団を壊滅させたりしている。さらに中には魔法や魔物を操っている一家もあるらしい。
 しかし、何はともあれここで僕達の手伝いは終わりと言って良さそうだ。たった一週間で終わるとは思ってもいなかった。
 彼女は僕とアーパスの力によるところが大きいなどと言うが、僕達二人は専ら『始めの挨拶』止りで、あとは彼女の指揮の上手さで決まってきたようなものだと思う。
 「アーパス?」 隣にいた相棒に振り返ると海の男達に混じって酒の呑み合いをしている。こいつはどうやらこういった連中と気が合うらしい。
 酒がどちらかというと苦手な僕は、部屋の熱気にたまらず会場を後にした。



 ミースの選んだ根拠地はサマート沖に浮かぶ孤島。ここにはすでに数十隻の船とそれを収納できる入り江,建造物が作られていた。
 僕は海風に当たる為、いつも乗っていたミースの船がある入り江までやってきた。
 さすがにこんな場所で呑んだくれる奴はいないようである。遠くから騒ぎ声がするだけだった。
 僕は桟橋の端まで歩き、遠く海を眺める。西に面したここからはほとんど沈み掛けた太陽で水平線が少しだけ赤く染まっている。弱い波と供にやってくる優しい潮風が僕の前髪を揺らした。
 「そこにいるのは…ルーン?」 不意の声に辺りを見回す。
 「上よ、上」 見上げると、ガレー船に人がいた。
 腰まである長い髪を風に任せ、白いゆったりとした服を着た、どことなくアスカに似た女性だ。
 「よっ!」 ガレー船から桟橋へ飛び降り、僕の前までやってくる。
 「どうしたの,その顔は? 私が分からないの?」 呆れたように彼女は言い、右目を手で隠す。
 「ミース?」 
 「そうよ、何で分からないの?」 首を傾げ、桟橋の端に腰かけるミース。僕もその隣に腰かけ、足を海水に浸した。
 「言葉遣いが違うね」 一番の疑問。
 「まぁ、こういう時もあるわ」 風に髪が流れる。石鹸の良い香りがする。
 「隻眼は嘘だったのか,何でまた?」 それにミースは軽く微笑む。
 「海賊って言えば髑髏に眼帯じゃないのよ」
 当然、という風に言い切った。あまりのさっぱりとしたその態度に僕達二人はしばらくの沈黙の後、ほぼ同時に押し殺した笑いを漏らす。
 今のミースはどう見ても海賊の頭領には見えない――普通の女性だ。
 「…私にはね、兄がいたの」 同じように海に足を浸して、彼女は突然言った。
 「父は叔父さんが跡を継がなかったから、兄に託したの。でも兄は魔法に興味をもっちゃって、家を出てアークスのエルシルドって街に行っちゃった」 
 「エルシルドに?」 
 「そう、それきり音沙汰なし。ずっと前のことだけどね。それにショックを受けて祖父は持病を併発して寝こんだわ。それ以来――色々と起こったの,悪いことがね。で、私は祖父に黙って付いてきてくれる部下を連れてこうして海に出た…」 
 「…辛いの?」 言って後悔する。辛いから話したのだ、話すことで辛さが和らぐと思ったから――そう、あの時の氷室のように。
 「少し…ね。でも私は海が好き。だから、例えどういう立場でも人に海を好きになってもらいたいから」 
 「僕は…海が好きだよ。多分これからも、ずっと」 
 「ありがと、ルーン」 ミースは微笑む。
 海賊の時にはないその優しい表情に、僕もまた微笑み返した。



<Camera>
 目が覚めた。本当に良く寝たような気がする,まるで丸一日寝ていたような。
 ザートはベットから身を起こした。軽く首を鳴らし、立ち上がる。
 「そう言えば、俺,いつ寝たんだ?」 思い出す,しかし記憶がぼやけている。
 そう言えば天使との戦いはどうなったのか? 地の転移点は? 全て昔のことのように思えた。
 ザートは服を着替え、胸鎧を着込む。その上から防寒用のマントを羽織り、最後に智天使シーケンスから受け取った剣を腰に吊した。
 瞬間、彼の頭の中にもやもやとしていたものがきれいになくなり、すっきりとする。
 「さてと、外の空気でも吸うか」 彼はテントを出ようとする。と、入口で何かが彼の胸にぶつかる。
 「よっ、ユーフェ。歩くときにはちゃんと前を見て歩けよ」 ぶつかってきたそれを受け止め、彼は言った。
 「ザート…?」 ユーフェは彼を見上げる。
 「? 何だ? 幽霊でも見るような目で」 首を傾げるその時には、魔術師は彼に抱きついていた。
 「一体何なんだ? ユーフェ?」 しかし彼女はそれには答えず、何かを我慢するように無言で彼を強く抱きしめた。


 ザートは一週間寝こんでいた。雪の強く降る晩、突然頭を抱えて倒れたらしい。それ以来、高熱に侵され衰弱して行った。
 が、昨晩どこからともなく現れた錬金術師に渡された薬で今のように回復したということだ。
 テントの中、ザートはユーフェと徨牙,駿牙に説明される。
 「風邪…かなぁ,確かにこっちにきて一回ひいたけど、それにしちゃ変だな」 
 「ユーフェが心配したのなんのって…うぷ」 しかし駿牙の言葉は魔術師の押しつけた座布団で止められる。
 「まぁ、治って何よりだ」 徨牙にザートは頷く。
 「ありがとな、ユーフェ」 笑って彼女の頭をクシャっと撫でた。
 「わ、私は…そんな風に改まんないでよ!」 顔を伏せるユーフェ。
 「その錬金術師ってのにお礼を言わなきゃな」
 「うん。でも現れたのも突然だったけど、いなくなるのもあっという間だったの」 
 「いなくなるって…この雪の中をかい?」 駿牙がユーフェに尋ねる。
 「他のことが目に入らなかっただけじゃないの」 
 「ち、違うわよ,本当にすぐいなくなっちゃったんだから!」 
 「…怪しいな,そいつ」 徨牙は続ける。
 「どうもおかしい。ザート,お前は一体何者なんだ?」 
 「は? お、俺か??」 突然矛先を立てられてザートは戸惑う。
 「何者って言われてもなぁ…アークスの騎士って答えれば良いのか?」 
 「智天使シーケンスとお前のその聖剣,それに今回の錬金術師、そもそも錬金術など死んだ学問だ。そんなものを信奉しているだけで怪しすぎる」 徨牙が考えながら言った。
 錬金術は彼の言う通り、すでに死んだ学問――すなわち否定されてこの世から消えた知識である。
 全ての力――自然のエネルギーや人の命までが元を辿れば一つであり、その根本たる物質――彼らはエリキサと呼ぶ―――を作り出すのが彼らの最終的な目的であった。
 が、現在ではそんなものはないと否定され、およそ千数百年前に捨てられた死学なのだ。
 「ザートって…どこかの小さな村の出なんだよね?」 おずおずとユーフェは、しかしためらうように尋ねた。それにザートは首を捻る。
 「そうなのか? 生憎と俺は幼い時の事は余り覚えていないんだ。その時その時生きて行くのが大変だったからね。でもどうしてそんなこと知ってんだ?」 
 「ん…まぁ、色々と。でも余り覚えていなくても、あの天使については心当たりがあるんでしょう?」 質問を濁しながらも、魔術師は剣士に尋ねた。
 ザートは無言で頷くが、しばらく思案した後、ようやく口を開いた。
 「例え何がどうであろうと、俺達は天使からこの転移点とやらをを守らなきゃならない。守っている内に分からなかったことは次第にはっきりしていくと、俺は思う」
 「そう,じゃあ最後まで見せてもらうことにするわ。ね、徨牙?」 女エルフの言葉にフードを目深に被った魔導師は、その奥の表情におそらく苦笑を浮かべながら、頷く。
 「取りあえず、錬金術師さんにお礼は言いたかったね」 見えるはずもない、アルキミアの背中を見るように、ユーフェはテントの入口に目をやった。
 その入口の扉が不意に開かれる。
 「やっほ〜、ユーフェちゃん,いるぅ〜」
 その声の主の姿を見た四人は、驚きに息を止めた。
 「どうしたの,ユーフェちゃん?」
 入ってきた女性に、ユーフェを除く三人が近づいてくる距離だけ遠ざかる。
 「な・な・な・何でナーフェ姉さんがここに?!」 震える人差し指で指さす。
 「「姉さん??」」
 「近くを寄ったからユーフェちゃんの顔を見にきたのよぉ。よかったぁ,元気そうで、ちっとも連絡入れてくれないんだもの、心配で心配で」
 言いながら女性,ユーフェを少し大人にしたような、しかしそっくりの女性はユーフェに抱きつく。
 「心配って……いつまでも子供じゃないんだから!」 ナーフェを引き離して彼女は言う。
 「じゃ、彼氏なんかできたのぉ?」 
 「どうして『じゃ』なのよ」 明らかに苦手なものに接するようにユーフェは言った。
 「どうやらユーフェの血縁者らしいな」 徨牙は小声でザートに囁く。
 「顔がそっくりね」 と駿牙。
 「性格はかなり違うようだが…」 こそこそと話をする三人に気付いたナーフェは彼らに向き直り、微笑んだ。
 「妹がお世話になってますぅ,私は姉のナーフェ、宮廷魔術師団の団員ですの」 
 「宮廷魔術師団? ユーフェと同じなんですか?」 
 「ええ、私達は姉妹で団長さんにスカウトされたんですぅ。あなたは?」 
 「あ、失礼しました。俺はザート=プラン。アークス第七騎士団に所属しています」 襟を正し、ザートは答えた。地位的にはナーフェの方が上であるからだ。
 ナーフェはザートを見つめる。言葉遣いは間延びしていて間が抜けているように思われがちなナーフェだが、ザートは彼女の自分の中をも見通すような視線に身動きが取れなくなっていた。
 時間にして二,三秒。ナーフェはそして驚いたように両手を口に当てた。
 「ユーフェちゃん、この人ぉ,あなたの何?」 
 「え? 何って…」 
 「彼氏って言うんだったらぁ、狙わないでおいてあげようかなぁ,なんて」 しかし、挑戦的にナーフェはユーフェに言い放った。
 「な、何言ってるのよ! どうでもいいけどどうしてここに来たの?! 近くを寄ったからじゃないはずよ」 顔を赤らめ、ユーフェは叫ぶようにして言う。
 「あらぁ、ばれちゃった? 私、団長さんに頼まれて転移点とやらにちょっと用事があるのぉ。はい、これがリース様の承諾書なのね」
 ナーフェは言って懐から一枚の紙を取り出す。それには確かに地の転移点への立ち入り許可を示したリースの認印。そして依頼書にはルースのサインがある。
 「それでぇ、ユーフェちゃんに案内してもらおうかなぁって思ったりなんかしてぇ」 
 「ルース様の指示って…何をするの? あれは危険よ,現に私だって」 言い掛けるユーフェの口をナーフェの人差し指が止めた。
 「大丈夫よぉ,ユーフェちゃんは根が真面目だからねぇ。私は操られないわぁ」 ユーフェは言葉を詰まらせる。聞き様によっては…いや、そのままだがユーフェのような失敗はしないと言っているからであろう。
 「ま,まぁ、案内しますよ。行きましょう」 ザートが二人の間に割って入るようにテントの入口に駆け寄った。



 何十もの衛兵の和を抜けて、ザートとナーフェ,ユーフェと野次馬的に付いてきた駿牙と徨牙の五人は古神殿へと足を踏み入れる。
 「へぇ、比較的新しいものねぇ。4、500年経ってるかしらぁ」 周囲に光の球を浮かべて、ナーフェは薄暗い遺跡の天井を見上げた。
 「新しいんですか?」 前を行くザートの問いに、ナーフェは微笑んで答える。
 「転移点とは、神々がまだこの大地に存在している頃に作られたと言われているわ」 ナーフェは間延びせずにはっきりとした言葉遣いで言った。
 「作られた?」 
 「ええ、転移点はプログラムの一環に過ぎない。神々がこの地を去る際にこの世界が聖、邪のどちらにも傾かないように作られた天秤のようなもの」 徨牙に彼女は答える。もっともその答えは本当の答えであるとは徨牙は考えないが。
 「プログラムっていうのは…?」 
 「地水火風という最も大きな力をそれぞれ吹き溜まりのように一ヶ所に集中させるようにしたもの―――それが四大転移点。そしてそれは認められた存在にのみ、純粋な力として作用する。その存在こそがその時点でのプログラムコア。人々には英雄とも言われるし、人柱であったりもする」 ザートはナーフェの事務的に紡ぎ出される言葉に頭を捻る。駿牙にしても同様のようだ。
 「神々はしかし、その転移点を無関係な存在に利用されることを恐れた。そこで四つのそれに扉という封印を施し、それを守る守り人を配し、さらに彼らに来るべき存在に対してそれぞれの力を十二分に発揮できるよう力を与えた」 
 「ナーフェ姉さん,どうしてそんなことを知ってるの?」
 下へと続く階段の途中、ユーフェは前を行く姉に尋ねる。しかしそれに関する返答は返ってこなかった。
 「その扉の封印だけど…ここにはそんなものはなかったわよ,それに守り人も」 
 「それはここが一度来るべき存在によって扉を破壊されたからよ。そして同様のことが、ここ地の他に火の転移点にも言えるわ。この二つはかつて開封され、その後簡単な封印がなされただけのようね。もっともそんな封印でも、普通の魔族や天使の目を欺くには十分だったみたいだけど」 
 「かつての開封…というとこの土地の伝承にある魔王イリナーゼに関することか」 
 「そうね、私達の間ではそう考えられているわ,詳しくははっきりとしていないけど」 徨牙に対する言葉が終わったその時、階段が終わり、地下神殿へと出る。
 整然と敷き詰められた石は奇麗に平らに磨かれ、横に10数mの通路としてずっと先まで延びている。両壁面には5〜6mおきに等身大の人型の像が並べられていた。
 なお、かつていた尽きることのない土人形の衛兵はすでにミアセイア王子によりその魔法を消されている。
 「へぇ、外よりも暖かいのねぇ」 口調が元ののんびりとしたものに戻るナーフェ。
 大理石のようにきれいに磨かれた石の地面と壁面は、先へ進むといつしか普通の土へと変わっていた。
 先頭を行くザートの足が止まる。彼の視線の先には、彼らが明かりとして従えているのと同じ魔法光の球が三つ見えた。
 その光に照らされ、その存在が近づいてくる毎に輪郭がはっきりとしてくる。相手はこちらと違い、全く気にせずに近づいてきている。
 「あれは…ミアセイア王子?」 
 「彗牙? 彗牙じゃない!」 ザートは駿牙の声が重なる。
 魔法光に照らされた二人は赤い法衣を纏った黒髪の若者とダークエルフの娘だった。
 ダークエルフの娘は五人の誰とも目を合わせないように下に俯き、若者はナーフェと目を軽く合わせると何もなかったように横を通りすぎて行く。
 それをザートとユーフェ,エルフの二人はただ後ろ姿を見送るしかなかった。
 「彗牙の奴、どうも近頃姿を見せないと思ったら、あの王子のところにいたとはね」 その小さくなった後ろ姿を見ながら、駿牙は呟いた。
 「しかし様子が変だったな。目を合わせまいとしていた,何をしているんだ?」 
 「彗牙も子供じゃないんだから大丈夫でしょう? あの王子にしても悪い奴じゃなさそうだし」 
 「どうしてそう言えるんだ?」 ザートの問いに駿牙は徨牙を指さす。
 「あの王子は徨牙ほど不気味じゃないよ」 さすがにその言葉に徨牙はがっくりとうなだれた。
 「ミアセイア王子が何をやっていたかは気になるわ。ちゃんと許可を取ってあるのかしら?」 ユーフェは厳しい瞳をすでに見えなくなった二人に向ける。しかしすぐに思い直したように姉に振り返った。
 「さ、着いたわ、姉さん。ここよ」 行き止まりの土壁に、やはり土が盛られただけのように見える祭壇らしきものを指さし、ユーフェはナーフェに言う。
 今でも初めて来た時と同様、その祭壇と言わず壁と言わず強力な力を魔法を知らないザートですらそれなりに感じている。
 「さぁて、それじゃあ、お仕事を始めますかぁ」 ナーフェはそのまま祭壇へと歩み寄り、胸の高さまであるその土の祭壇の上に両手を付けた。
 途端、風もないのにナーフェのポニーテールに結んだ髪は解け、纏う灰色のロ−ブが定まらぬ風の中にいるようにはためいた。まるで眠っていた獣が起きたように力が狂ったように溢れ出したかのようだ。
 「姉さん!」 叫ぶユーフェとは裏腹に、ナーフェの表情は崩れる事なく、静かに目を閉じて湧き出る力の奔流に身を預けているかのように見える。
 やがて力の流れは小川のせせらぎのように静かなものとなり、そして治まった。
 ナーフェは目を開け、乱れた髪を手で撫で付けながら四人のところへと戻ってくる。
 「四大転移点ではそれぞれの精霊の王に会えるって言われているのぉ。現状に満足して欲しいものが何もない人なら力に振り回されることはないわぁ。それに私みたいに唯、地の精霊王に会いたい人とかもねぇ。ユーフェちゃんは真面目だから強くなりたいとか思うでしょう? だから力に飲まれちゃったのよぉ」 髪を下ろしたナーフェは言う。下ろすとやはりユーフェとの歳の差分、大人びいて見えた。
 「で、姉さんは地の精霊王と何を話したの?」 
 「シークレット」 微笑み、答える。
 「ルース様は同じような事を他の転移点でもやらせているの?」 
 「シークレット」 その表情には肯定とも否定とも取れないものが見えていた。
 「ユーフェちゃん、私お腹すいちゃった。何か食べよぉ,ね。ザートさんも駿牙さんも徨牙さんも」 
 「ちょ、ちょっと、姉さん!」 ナーフェに背中を押されて、ユーフェは仕方なしに祭壇の前を後にした。



 月の明かりのない満天の星空の下、ナーフェは微笑みを浮かべながら天を見上げる。
 「じゃあね、ユーフェちゃん。また近いうちに会いましょうねぇ」 視線を正面に戻し、彼女は愛する妹に言った。
 「姉さんも無茶しないでよ,何をやってるんだか分からないけどさ」 ユーフェの憮然とした言葉に、しかしナーフェは変わることのない微笑みを向けるだけである。
 「そうそう、ザートさん,貴方に伝言があるのぉ」 彼女はその隣の人物へと視線を移した。
 「俺に?」 騎士は首を捻る。
 「ええ、えっとぉ、確かねぇ――『生きなさい、貴方のためにも。そして貴方を取り巻いていくであろう、人達の為にも。私は貴方をいつまでも見守っていてあげるから』――だったかなぁ」 頭を軽く掻きながら、ナーフェは言った。
 「…そうか,ありがとう」 ザートはナーフェの現実の裏を見るような不思議な瞳を見つめ、寂しげな微笑みを浮かべる。
 「ちょっと、姉さん,一体それを何処から?」 
 「風と光よ、私を包みあの人の元へ」 ユーフェの言葉にわざと答えないようにか、ナーフェは呪文を発動させ、光に包まれる。
 「貴方達に幸、あらんことを。と、それからザートさん,ユーフェをよろしくね!」 言い残し、ナーフェは天高く消え去った。
 星の間を駆け抜ける流れ星を見上げる駿牙の頬に白いものが落ちてくる。
 「降ってきたな、もう雪は終わったと思っていたのに」 徨牙のうんざりとした声。
 「俺はテントに戻るぜ、おやすみ」 ザートは振り向かずに三人に向かって右手を挙げて歩き出す。
 「あ、ちょっと待ってよ,ザート!」 それにユーフェが彼の背中を追って駆け出した。
 「転びなさんなよ、ユーフェ。おやすみ」 駿牙の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ユーフェは足を滑らせてザートの背中に激突していた。
 「お前も気を付けろ、駿牙」 二人の様子を見て、徨牙は隣を行くエルフに言う。
 「あら、珍しい,あんたが人の事を心配するなんてさ」 さも珍しいと言わんばかりに口に手を当て駿牙は驚く。
 「…まぁ、いい」 彼には珍しく一瞬微笑みを浮かべると、やや歩足を速めて歩き出す。それに駿牙もまた、彼の背を追いかけるようにして軽足で進み始めた。



 この最果ての村に一件しかない宿屋、その一室に彼女は泊まっていた。
 ベットが一つと簡単な机と椅子が一つ――その部屋のベットの膨らみに幾つかの視線が集まっている。
 そしてその常人には感付く事のできない気配は刃となって天井裏――窓を突き破り、ベットの上の布団にくるまったそれに次々と突き刺さる!
 バン!
 一瞬遅れて、扉が唐突に外側から開かれた。そこには一人の男が抜き身の剣を手に提げて立っている。
 布団に刃を突き刺している六人の刺客の内、五人が一斉に懐から手裏剣を取り出し投げ付ける。
 キィン,キィン,キィン!
 無数と思われるとそれらを、男は手にした剣で次々と打ち払い、一気に間合を詰める。
 黒装束にその口許まで身を包んだ刺客,忍者達は布団に突き刺していた短刀を引き抜き、素晴らしいコンビネーションで接近戦に持ち込む。
 が、それが彼らにとっては誤った選択であった。
 男の剣は一太刀ごとに一人を切り伏せて行く。そして最小限の動きで忍者達の繰り出す刃を交わし、ものの数秒で五人を切り伏せた。
 「…何故これ程までの男がこの女に,だが目的は達成した!」 最後の一人は叫び、玉砕覚悟で男に切り掛かる!
 ザン! 軽い一太刀で忍者の右腕がその手にした短刀ごと床に落ちた。
 「残念だったな」 男はそう言い、ベットの上の布団を取り上げる。するとそこにあるものは、何処から持ってきたのか,巨大なハムが置いてあった。
 「そんな、バカな…」 片腕を切り落とされた忍者は呆気に取られる。
 「姫には外のテントに移ってもらった。今日は新月だからな,何となく見当は付いていたのさ」 言って男――シャイロクは抜き身の剣を一人だけ生き残った忍者に突き付ける。
 「あの禿げオヤジに伝えな,今に尻尾を捕まえてやる、とな」 シャイロクが軽く剣先を動かすと忍者の口許を隠していた布が落ちる。その下からはまだ若い女性の素顔が現れた。
 「クッ」 忍者は身を翻すと割れた窓から身を躍らせる。それを見届けた後、シャイロクは部屋を出て扉を閉めた。
 後には無残な五つの死体が星の明かりに照らされているだけだった。

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