7−1


 第七章


<Rune>
 日は西の地平線とも水平線とも区別のつかない、向こうへと沈みかけている。
 まばらに背の低い木々の生える大地に、己の足をしっかりと踏みしめながら、僕達3人は遥か前方に見える街を目指して歩いていた。
 ここはアークスの獣公国が一つ,西の鷹公国の北部である。
 そしてあと小一時間もすればたどり着けそうな街は、鷹公国首都でありアークスにおいて最大の貿易港でもあるミエールの街。
 今夜はこの街で体を休めることにしようと3人で決めたのだ。
 それにしても今日は色々なことがあった。
 僕とアスカが紡ぐ者と呼ばれる役割を負わされていたり、アーパスが水の守部だったり、伴に旅をしていたラダーが竜だったり……
 また、クレアがアスカに会う為に別れ、それにくっつく様にしてアレフとも別れたりと,さらには遥か南からここまで僕達は竜に乗ってやって来たり。
 なお、街まで竜に乗って行かないのは言うまでもなく好奇の目を避けるためだ。
 遥かな大昔ならまだしも現代において竜は、『竜もどき』と言われるワイバーンでさえ、絶滅危惧種に認定されているくらいなのだから。
 ”はて?”
 と、僕は足を止める。
 とん
 「あた!」 
 「どうしたんや?」 
 背中に軽く、女性のものと思われる額がぶつかる。
 僕は後ろの2人に振り返った。
 僕の背にぶつかって額を押さえながら、非難の視線を向けているのは20歳を前にしたくらいの女性。
 ショートカットの金色の髪に、どこか少年らしさを纏う端正な顔立ち。青い胸鎧に同色のマントを羽織り、腰には長剣を一振り差している。
 武装に固める重戦士と対極にある、僕と同じ軽戦士である。
 僕は彼女と同年代の同じ顔をした青年(というか男装の女性)とは長く旅を伴にしていた。
 他方、彼女の後ろで僕の停止に首を傾げているのは、薄紫色のゆったりとした神官着を着こなす、10代前半の女性。
 澄んだ紫紺の瞳に、同色の腰まで流した長い髪。神官着の上から装着されたいぶし銀色の胸当ては龍の彫り物の意匠が施されている。おそらく美術品としても通用する代物だ。
 右手には柄の長さが2mほどの斧槍(ハルバード)が握られている。
 そんな彼女を取り巻く雰囲気は、年上である金色の髪の女性よりも大人びいて見えた。
 いや、僕よりもずっと年上の――どこか成熟した女性の感がある。
 そんな2人を見渡し、僕はどうも自信なくこう口を開いた。
 「ところで…君、誰?」 
 金色の髪の彼女にも確認の為に同じ事を尋ねたくもあったが、怖いので遠まわしに。
 神官らしき蒼い髪の彼女に問う。
 彼女は僅かに眉を上げ、そして――
 「実はウチも同じ事を訊きたかったんや。アンタら、誰や??」 
 「俺もアンタに訊きたかったんだ」 金色の髪の彼女は神官に同じように問うた。
 僕らはお互い、顔を見合わせる。
 夏の終わりを感じさせる、北からの風がやけに冷たく感じられた瞬間だった。


 「僕はルーン=アルナート。アークス央国にあるエルシルドの街から来たんだ」
 僕達は誰もいない街道を横一列になって歩きながら自己紹介を始めていた。
 「へぇ…ああ、そうなん,アンタがクレオソートさんの言うてた人やね」 
 蒼い髪の彼女は、へぇ、とか、ほぅ、とか言いながら僕を上から下まで眺めまわす。
 「ふつ〜の男やんか」 つまらなそうに小声で溜息一つ。
 聞こえてるよっ!
 「で、貴女は?」 
 僕はそんな彼女に尋ね返す。
 「ウチはメイセン。メイセン=リーガルや。聖山の巫女をやっとった」 
 「聖山の巫女?!」 
 僕は思わず声をあげる。
 聖山とは光の神官達の聖地の一つ。神なる知識の象徴とされる龍王が住まいし高山である。
 場所はアークスの鷹公国に属し、人の近寄りがたい森の奥にそびえている。
 そもそも竜は、遥か太古に人間よりも高度な社会を築いたとされる先文明の生き残りと言われている。知識体系,考え方,命,生態構造全てが人間とは異なるが、高度な知的生命体であるとされる。いや、人間よりも遥かに高度なのかもしれない。
 絵本で読むような昔では、竜と人間が争ったり,逆に盟約を交わしたりといった伝説が残されているが、近年では接触自体がほとんどない。
 原因としては竜の数が減少していることと、竜達が接触を拒んでいることが挙げられる。
 聖山とは、そんな竜達が人間との極度な関わりを絶つために光の神官達と約を交わした土地なのだ。
 そして龍王はその名の通り聖山に住まう竜達の王であり、光の神官達に知識を授けるとされる。
 ”ああ、クレアが龍王に会いに行ったのか”
 と、想像する。そこで青龍であるメイセンさんを遣わされたか,もしくは連れてきたんだろう。
 彼女は続けた。
 「ホンマはクレオソートさんの生き方を見て来い,って言われたんやけど…どうしてこないな事になってしもうたんやろ」 
 暗に、龍族最強といわれる黄金龍であるラダーの命令のせい――と言わんばかりに大きく溜息。
 「えと…それじゃ、山に帰る?」 僕は躊躇いがちに尋ねた。
 彼女は成り行き上、巻き込まれてしまっているにすぎない。もっとも彼女の翼は移動手段としては非常に魅力的だが……
 これから僕の向おうとする『地』は、ここからずっと北――虎公国を越え、リハーバー共和国のさらに北部の地なのだ。歩いて行ったら何ヶ月かかることか。
 メイセンさんはそんな僕の心を見透かす様に――いや、もしかしたら彼女の竜としての力は僕の心の壁なんてあっさりと見通せるのかもしれないが、ジッと見つめる。
 その澄んだ瞳に、思わず僕は目を逸らしてしまう。
 メイセンさんの見た目は14,5にしか見えないが、実際は全く異なるはずである。
 青竜である彼女は、時間の流れがゆったりとして、極めて長い。
 人化の魔法で竜としての年齢に合わせて人の姿を取ってはいるが、おそらく僕の50倍程――200歳を越えていると思うのだが。
 彼女が僕なんかよりも大人びいて見えるのはこの為だろう。
 メイセンさんは薄く微笑み、僕の背中をバシっと叩く。
 「ルーン、だっけか? 何言うとんのや,しばらく一緒にいてやるわ」 
 「そ、そう?」 
 「あの黄金竜にバレたら、ウチ、食われてしまうわ…」 
 小さく身震い一つ。それが理由かい!
 「で、こっちの人は?」 
 メイセンさんは僕の隣の彼女に視線を移す。金色の髪の彼女だ。
 彼女はメイセンさんを値踏みする様に眺めながら、僕にも改めるように言い放つ。
 「俺はアーパス=ブレット,人魚族だ。水の守り人と・し・て,ルーンに付いて来た」 
 彼女は最後の「として」に力を入れて、特に僕に向けて言ったようだ。何故だろう??
 人魚族もまた、竜族ほどではないが人間よりも時の流れがゆっくりと流れている。彼女は見た目よりも4倍――60年――ほど長く生きているはずだ。
 ともあれ聞いたメイセンさんは、ふぅんと呟き、アーパスをまじまじと見つめて言った。
 「ルーンが大好きなんやねぇ,アンタ」 
 「んな…?!」 
 「はぃ?」 僕は首を傾げる。
 顔を真っ赤にして絶句するアーパスは、ふるふると右手を腰の剣に伸ばし……
 「ちょ、ちょっと待て! アーパス!!」 起こりうる事態を想定し、僕はアーパスを後ろから羽交い締める。
 「離せ,ルーン! このアホ竜を切ってやるぅぅ!!」 
 「コラお前,今、光波斬打とうと思ってただろ!!」 アーパスの背中越しに気の流れを胸に感じながら、僕はますます強く彼女を捕まえた。
 光波斬は気を用いた剣術の中で最大の破壊力を秘めた技だ。漫才でツッコミに使うような技ではない。
 「アーパスはん,水の広さで知識はあっても、心がそれに追い付いてまへんな」 
 メイセンさんの静かな言葉に、アーパスの動きが止まる。
 「自分の気持ちは己自身にしか分からへん。それだけはしっかりと把握しとかんと、自分が何をやっているのか分からなくなるで」 
 アーパスはメイセンさんをジッと睨む。次第にアーパスの体から力が抜けてゆくのを感じ、僕は彼女を離した。
 「ところでメイセンさん,それってどういうこと?」 
 僕は彼女に尋ねる。
 「ルーンはんには言うとらん,分からんんでええわ。それと!」 
 メイセンさんは僕にピシっと人差し指を立てて告げた。
 「さんはいらん,メイセンでええわ。それと敬語使わんといてな。人間の言葉は分かりにくいさかいに」 
 「そ、そう?」 
 彼女の言葉が変わっているのはそのせいかな??
 僕はアーパスに振り返り、疑問に思っていたことをそのままぶつける。
 「ところでアーパス,今は実体なのか?」 
 彼女は今まで、水の法術を用いて己の映し身の人形を遠隔操作していたのだ。
 今はしかし、どうなのだろう? 水の祠で別れた以来なので分からない。
 さっき後ろから抱きとめた時は……柔らかかったな,いやいや、違う!
 「実体に決まっているだろう? もぅ俺は水の祠に縛り付けられていないのだから」 
 「ふぅん…じゃ、どうして男装してないんだ?」 
 女の格好だとなめられるから,とか言っていたな。しかしながら口調は『俺』と変わってはいないけれど。
 「………必要がなくなったからさ」 
 小さく笑ってアーパス。その思惑は僕にはさっぱり分からない。
 「では改めて宜しゅうな,ルーンはん、アーパスはん!」 
 僕とアーパスの前に出て、後ろ歩きをしながらメイセンは笑う。
 沈みかけた夕焼けの赤と、黒く沈んで見える髪の蒼が、人ではないどこか絵画的な美しさを僕に印象付ける。
 「ああ」 とアーパス。
 「よろしくね」 僕もまた笑いかけて彼女と、アーパスに答え…
 前方を見た時に足が止まった。
 アーパスもまた一瞬遅れて足を止める。
 メイセンは気付かずに後ろ歩きのまま、ソイツを踏んづけた。
 「?? 何や、コイツ?」 
 後ろにたたらを踏みながら、まずはメイセンが踏んづけたモノ――体中、切り傷だらけの男――に屈み込む。
 「う…酷い傷じゃないか!」 
 僕は慌てて男の様態を調べる。右腕はおかしな方向へと折れ曲がり、もともと赤土だった道は異なる赤に染まっていた。
 男は中年には至らないくらいの,どこか人相の悪い、しかし冒険者らしき風体だ。かすかに血の匂いに混じって潮の香りもする。
 「ルーン」 
 何とか処置を施そうとする僕の手を、アーパスが止める。
 見上げると神の奇跡を起こせる神官であるメイセンもまた、首を横に振っていた。手遅れ、か…。
 「お前…」 
 かすかに男は声を出す。
 「一体何が?」 
 耳を近づける僕に男は倒れたまま声にならない何かをぼそぼそ言いながら、左手に握った筒状の物を震えながら差し出した。思わず手に取る。
 「これを…キャプテンに……」 
 搾り出す様にそれだけを言い、男の体から最後の力が抜けた。
 メイセンが短い祈りの句を捧げる。
 「一体何だろう?」 
 「それ、手紙かなんかじゃないのか?」 
 アーパスは僕から筒を奪い取り、先端部を思いきり引っ張る…と。
 ポン,と蓋のようなものが取れた。
 筒の中身には羊皮紙が数枚入っている。
 「これは…見なかった方が良いんじゃないのか?」 
 苦々しく呟くアーパスから羊皮紙の束を奪い取り、僕は目を通す。
 「………同感だな」 
 僕は頭から血が引いていくのを実感。
 「何や、何が書いてあるん??」 
 メイセンが僕の肩越しに書類を覗きこむ。しかし彼女にはまだ人間の文字が読めないのか、困った顔で僕に説明を求める視線を向け直した。
 「これはね、メイセン………」 
 道端に倒れた男の死体を苦々しく眺めながら、僕は手紙の中身――正確には鷹公国公主直々の指令書――を短くかいつまんで説明を始める。
 伝説となった英雄談と、あさましい人間の覇権争いを絡めて―――



 海賊クローの物語はあまりにも有名だ。
 元来このアークスの西海岸には、沖合いに点在する無数とも思われる小島にフィリポス族という海洋民族が古より生計を立てている。
 海に住まう彼らは王を持たず、国を形成しない。歴史の中では常に森に住まう亜人の如く、支配に組みこまれることはない。
 海賊クローはこのフィリポス族から生まれた英雄の一族である。
 僕が知り合ったミース=クローはその一族。彼女が5代目のクロー]世を襲名したのは先日のことだ。
 さて、その中でも彼女の先祖である海賊クローと鷹公の王子王女とか手に手を取り合った青の魔王盗伐は、数ある英雄談の中では群を抜いていると言って良いだろう。
 およそ250年前に発生した、海の魔物を支配下に置いた魔王『青』。
 その姿は一角鯨の如く巨大で、おばけくらげに勝るとも劣らない数の腕を持ち、咆哮は天高く轟くといわれていた。
 穏やかなアークス西海岸を66日もの間、大嵐と付近一体を大雨による洪水で沈めた『青』。
 そんな魔王に対して立ちあがるのは、海の覇者として声を上げたばかりの剛剣の使い手・若き海賊頭ブルース=クロー。
 彼は荒れくれ者の海賊達をまとめあげ、魔王に対抗した。
 対して海を司る鷹公国も黙ってはいない。
 当時の公主の三男であるフランツェは三叉の槍の使い手。
 さらに公主の長女ヒューロもまた、フランツェに負けず劣らずの槍の使い手だった。
 2人は抜群の戦闘力を誇る鷹公海軍を率いて魔王に立ち向かう。
 敵同士でもあった2つの勢力が、この時ばかりはお互い手を取り合うのは当然のことだった。
 3人の英雄は66隻の船を駆り、666匹の魔物に向い行く。
 戦いは熾烈を極めた。
 66刻の後に、とうとう魔王と相対したのは6隻の船。
 そのほとんどを犠牲にしながら、フランツェとクロー,ヒューロは魔王を一つの岩に封じこめる。
 そうして魔王『青』はその身を岩に変えられ、永遠に起き上がる事はない。
 その時に出来た岩の名は『鬼岩』。
 海から突き出した高さ10mの尖塔のような岩は、魔王『青』のなれの果てとして、そして海の守り神として、今でも多くの観光客が訪れ,且つ、海の民と鷹公国の国民の畏怖と尊敬の対象となっている。
 しかし戦いから3人の英雄は揃って戻って来なかった。
 戻ったのはクローと、そしてヒューロ。
 フランツェはというと、66の魔物と魔王の一人娘を打ち倒し、全身に傷を負いながらも最後の一撃を魔王『青』の心の臓へ。
 その際に魔王の力を奪うのと引き換えに、その命を広大な海に散らせたのだった。
 公国民はフランツェの功績を称え、悲しんだ。そして彼に『海勇』の贈り名を与えている。
 そしてこの事件以来、海賊クローは鷹公国より一目置かれることとなった。
 だがミースのお爺さんであるクロー[世ことクライザ=クローが現役を退き、クロー一族が一旦空位になった5年前――公主が現王であるミシガンに変わった頃から、アークス西海域での治安は一気に悪化の一途をたどることとなった。
 私奪船が横行し、魔獣が跋扈する。次第に交易も減り、公国の国力は低下する。
 すると海軍の力も弱まり、さらに治安が低下する…その繰り返し。
 その中でミースは己の血の使命に基づき、海域の南半分の治安と勢力をその手に収めた。
 同時に北半分では新興の海賊・エントランス=メルクランという男がまとめあげた。
 西海岸の北と南の、これから起こるであろう対立。
 その中で共倒れを狙いつつ一気に勢力挽回を図らんとする鷹公国海軍。
 と、言いたいところだが実際のところ、鷹公国は全く無視されていると言って良いだろう。実力・錬度ともに、現在のところ直接対立している実戦叩き上げの北側海賊達に、海軍は歯も立っていない状況だ。
 鷹公国民にしても、海の治安を保てなかった海軍よりも二大勢力の海賊に期待してしまうのは無理もないことだ。
 そこで公主ミシガンが発したこの指令書――おそらく複数が製作され、その内の一つを死んだこの男が己の命を引き換えに盗み出したのだろう。
 中身はこうだ。
 『青を駆り、賊を討て――』
 すなわち、魔王『青』の封印を解き、海賊を殲滅させろ,そういうことである。


 「じゃ、キャプテンっていうのは…やっぱり」 
 「エントランス=メルクランのこと…だろうなぁ」 
 僕とアーパスはお互い目を合わせ、はぁ,と深い溜息。
 ここでこんな手紙、読まなかったこととして破り捨てるのは…良心が痛むしなぁ。
 「ん?」 
 分かったのか分からなかったのか,メイセンが街道の遠くを見つめている。
 「来るで」 
 「はぃ?」 
 メイセンの言葉はやがて、街道の向こうに立ちあがる土煙で視認された。
 複数の騎馬隊、だ。
 「ヤバくない? ルーン??」 
 「そうだね…」 
 「この辺は見晴らし良いで」 
 丈の低い木々しかない。身を隠す場所は、なさそうだ。
 そんな内にも騎馬隊は接近,僕達の姿を見つけるなり…
 「「げ!」 」 
 再び僕とアーパスの声が重なる。
 一行は隊長と思われる騎士に習って、槍の切っ先をこちらに向けて突撃をかけてきた!
 すでにここから細かく視認できる,鷹公国の重騎士だ。その数、八騎。
 身に纏う揃いのフルプレートが、赤い光を鈍く照り返している。
 「問答無用、やねぇ」 
 言葉はどこかのんびりしているが、瞳に鋭いものを走らせてメイセンはハルバードを構えなおした。
 「どうする?」 
 アーパスもまた、腰の剣を抜き放つ。
 やる…しかないのか?
 いや,殺してしまっては僕達がお尋ね者だ。
 となれば…
 「アーパス,メイセン!」 
 僕は鋭く叫ぶ。
 「馬を、奪う!」 
 言い放ち、僕はイリナーゼを抜く,体中の気力を刀身に集中。仄かに光が、宿る。
 「光波斬!」 
 光の孤が、僕達三人と迫り来る騎士達の間の土をえぐった!
 「「「うわっぁぁ!!!」」」 
 どがしゃ、めしゃ!
 そんな音が、目の前でもうもうと上がった土煙の中から聞こえてくる。
 光波斬によって口を開いた穴に馬ごと騎士達は落ちたのだ。
 やがて、騎士のいない軍馬がよろよろと姿を現した。その数…四頭!
 一頭はメイセンが飛び乗り、あっさりと手懐ける。
 僕もまた一頭に駆け寄り、飛び乗った。
 「うわ!」 
 主人が違うことを認識した軍馬は、僕を振り落とそうと跳ねまわる!
 これは…乗れそうもないな…
 と、メイセンが馬を駆り僕の隣に並んだ。身を乗り出し、僕の乗った馬に何かをささやきかける。
 途端、馬はおとなしくなる。
 「何、やったの?」 
 「おとなしくせんと食べるで、って言ったんよ」 
 脅迫ですか…っていうか、竜って馬語話せるん??
 さて、アーパスは……と、こちらを見ている。
 僕に困った顔を向けると、そのまま後ろに飛び乗ってきた。
 「アーパス??」 
 「………馬、乗れないんだよっ」 
 背中にしがみつき、小声で言う。
 そう言えばアーパスが馬に乗ってるところ、見たことがないな。乗れなかったのか…意外だ。
 「ま、待てぇ!」 
 穴から這い出してきた騎士の頭上を僕達二騎は飛び越え、先に見えるミエールの街目がけて全力で馬を駆ったのだった。



 「?!?!?」 
 目を覚ましたら目の前にメイセンの顔があった。
 慌てて右へと寝返りを…うてない?!
 恐る恐る、背中の柔らかな感触を確認しながら首だけを後ろに向けると……アーパスがしがみついている?!
 何だ??? 一体何がどうなっているんだ?!?!
 日がようやく顔を出した朝っぱら、僕はいきなり混乱の中にいた。
 僕は、いや僕達は毛布を一枚かぶって床の上で寝ている。
 抜け出そうと僕はゆっくりと体をもたげ…
 「ん…」 
 「む〜」 
 メイセンが寝ぼけているのか,僕の腕を掴み、アーパスは服の背中の部分を掴んで離さない。いや、僕の動きに合わせて二人ともますます強く掴んでいるような気が…
 「起きたら…殺される」 
 さぁっと、顔から血が引くのを感じた。僕は改めて部屋を寝転がったまま見渡す。
 どこにでもあるような、典型的な宿屋の一室。
 一つだけのベットはしかし、空だ。
 僕は昨夜の出来事を、気を落ち着かせるためにもゆっくりと追想を始める。
 ここミエールはアークス最大の貿易港であるだけあって、かなり大きな街だ。
 最近は海の治安も海賊がまとまりだしたことにより、以前に比べ格段に良くなっていることもあって、活気も急速に戻ってきている。
 その影響だろうか,昨夜はどの宿も満室だった。
 たまたま一室だけ一人部屋が空いていたのを借り、アーパスとメイセンは窮屈ではあるがベットに,僕は毛布だけを借りて床で寝ることにしたはずだ。
 穴に落した公国騎士も、ちらりと見ただけの僕達に手配書をすぐにまわすことも出きるはずもなく、さらにこれだけ人の多い場所に紛れてしまえば見つかることもないだろう。
 そんな余裕からか、宿屋の一階にある大衆食堂では捕れたての魚料理と、春の終わりに精製されるクチリンゴ(小ぶりなリンゴの一種)の果実酒に僕達は舌鼓を打っていた。
 亡くなった男から受け取った公主の指令書は明日にでも海賊の一派に取り付けて渡せば良い,そう結論付けた上でだ。
 ほろ酔い気分で僕は早めに部屋に戻り、床に寝転がって…
 「…それだけ、だな??」 
 他に思い当たらない。
 どうして二人が床で寝てるんだ?? それも僕にくっつくようにして?!?!
 僕が眠ったあと、何かあったのだろうか?
 「ルーン…」 
 アーパスの声に、思わず全身が凍りつく。
 「……寝言か」 力を抜いた。しかしまいった、どうやって抜け出そう?
 「ルーン…」 
 再びアーパスの寝言。何の夢を見ているんだろう?
 「ずっと、ずっと見ていたよ……水の向こうからずっとずっと」 
 背中から回された彼女の腕がぎゅっと、僕を後ろから抱きしめる。
 「アスカよりもずっと前から、見守っていたんだから…お前が生まれる、その時からずっと…」 
 「水の守り部として、かい?」 
 寝言に思わず尋ねてみる。
 「それは初めだけ…今は、違うよ」 
 答えが返ってきた? 起きて…いるわけではないみたいだけれど。
 「今は、違うの?」 尋ねてみて、言ってしまってから後悔する。
 「今は…今は………くぅ…」 
 答えが出ることなく、彼女の寝息は規則正しくなる。
 ほっとした。これは卑怯なことに違いない。何となく答えが分かっているから、そう思う。
 そしてほっとしてしまったのは、きっと彼女の気持ちに応えられないからだろうな,と思うのはやはり僕は高慢なんだろう…な。
 「む〜」 
 今度は僕の首に腕を回したメイセンだ。
 思ったよりもふくよかな胸が、僕の胸に押し付けられる。
 「おばけ…怖い…」 
 腕に力が、こもった。
 めき
 そんな音を身近に聞いて、僕は意識を失った。


 「まさか出るとは思わなかったな」 
 「怖かったでぇ」 
 先を行く二人は昨夜あの部屋で起こった恐怖体験を僕に朝食の間中、語って聞かせた。
 アレが出たらしい。
 幽霊という奴である。
 だから部屋が空いていたのか…もっともそれにかこつけて料金を値引かせたメイセンも、宿の主人としては厄介な客だったかもしれない。
 しかしアーパスもメイセンも幽霊に弱いとは…アスカもそういや、確か苦手だったな。
 一方、クレアは逆に強制的に成仏させてしまう娘だし、シリアなんかは捕まえて魔術の実験に使うだろうし。
 改めて女性というのは良く分からないと再認識する。
 なお、僕は目が覚めたら普通に床で一人で寝転がっていた。メイセンの竜としてのバカ力であろうか,首がしばらく変な角度に曲がってはいたが。
 早朝にあった出来事はまるで幻であったかのように、だが痛む首を僅かな証拠と感じながらも、僕達は港に向って歩を進めている。
 港に数多く並ぶ貿易船。
 それが全てまっとうな船と言うわけではない。中には海賊につながる,もしくは海賊そのものの船が紛れているはずである。
 そぅ、紛れて…
 「アレ?」 
 アーパスの指差す船に、僕は唖然。
 下がった帆には黒地に白い骸骨マーク。
 後部に立った旗にも同様のものが目立つ。
 そして…船首にはやっぱり髑髏のホーンが付いている。あからさまに海賊船だ。
 「コテコテや…」 メイセンが僕の心を代弁。
 「どうする? ルーン??」 
 「えと…乗組員の人に話してみようか?」 
 僕は額に汗しながらも、甲板へのはしごに足をかけた。
 その時である!
 背後にガシャンと、重い音。
 振り返る!
 「あ…」 アーパスの絶句。
 そこには四人の鷹公国騎士。そして頭上の甲板にも同数の騎士の姿。
 しまった,この船、海賊寄せのオトリ…か?!
 仕掛ける奴も奴だが、引っかかる僕達も僕達だ。
 「貴様ら!」 
 騎士の内の一人が僕達を確認して声を荒げる。昨夜の騎士の一人のようだ,ヤバイ!
 「動くな,武器を捨てて両手を挙げろ!」 
 小隊長格と思われる騎士が一歩前に出て、僕達に警告した。
 頭上の騎士達はクロスボウを構えていつでも撃てる体勢だ。逃げられ…ないな,こりゃ。
 「さて、海賊ども,長官から奪ったものを出してもらおうか?」 
 昨夜の騎士らしき男が言いながら僕に歩み寄る。
 長官…っていうのは海軍の総責任者のこと…かもしれないな。
 僕は周囲に視線をめぐらす。包囲網には隙がない。
 「仕方ないか」 
 懐から筒を取り出す。騎士の一人はそれを奪い取る様に右腕を振り上げ…
 ギシィ!
 空間が、軋んだ。
 「??」 
 「これは?」 
 「あやや??」 
 目に映るもの全てから色が消える。
 動くもののないモノトーンの世界に僕達三人は色を残したまま存在していた。
 「結界だ!」 
 腕を振り上げたままの騎士にはすでに目をくれず、僕はイリナーゼを抜き放つ!
 ”高位な魔族の仕業よ、私も見たことない術式ね”
 剣魔の警告。
 僕達三人はお互い背を合わせる。動くものも色のあるものも他には全くない。
 意識の和を周囲に展開させる,気を用いた察気術を限界まで引き上げるが…
 「クソッ!」 
 アーパスの舌打ちが僕を代弁する。この結界を施した本人の気配は全く掴めなかった。
 「なぁ、ともかく今のうちにここから逃げ出した方がええんとちゃう?」 
 メイセンの言葉が終わるか終わらないかのうちだ。
 突として僕とアーパスは生まれた巨大な気配に一歩後ずさった。耳を澄ませていたところに大声をかけられたような、そんな感覚だ。
 気配は真正面。
 通行人と思っていた灰色の男が、こちらに向って歩いてくる。
 歳の頃は僕より上だろう,20代前半の、やや褐色の肌を有した青年だ。
 黒い髪に白いチェニック,無彩色に見えるが唯一色があった。
 血の様に赤い瞳だ。
 「魔族?!」 身構える。
 ”いえ、微妙に違うわ…ハーフ,いえクォータ…”
 イリナーゼの声が聞こえたのか,青年は器用に右の眉だけを上げてコニカルな笑みを浮かべた。
 「おや、遠い親戚がいるのかな?」 
 敵意はないこをと示す様に両手を軽く振りながら、彼は僕達の前へとやってきた。
 「お前か、結界を張ったのは!」 
 叫び、剣先を向けるアーパスに青年はおどけた表情を見せる。
 「助けてあげようって『人間』にそんな態度はないんじゃないかな,レディ?」 
 「アーパス!」 
 しぶしぶ彼女は剣を鞘に戻す。おそらくアーパスには向かない男だろうと直感。
 「君がこんな結界を張ってくれたのか?」 
 僕もまた剣を戻し、彼に問う。
 青年は目で街への大通りへと僕達をいざなった。
 「海賊に用があるんだろう,君達は? 俺も海賊の端くれだからさ」 
 無音の中を歩きながら、彼は後ろ向きに歩いて尋ねる。
 「ああ。北の海域を治めるエントランス=メルクランって男に渡すものがある」 
 聞くや否や、モノトーンの男は爆笑。
 「なぁ、ルーン…コイツ、ヤバくないか?」 
 「変わった方やなぁ」 
 二人の意見に同感…
 「北の海域、か。海は一つだぜ、兄ちゃん!」 
 目に涙を溜めるほど笑いながら、しかし言葉に凛としたものを響かせて彼は僕の背をバシバシ叩く。
 彼はそのまま僕の脇を通り過ぎ、路端で露天商の売る飲み物の入った小さなボトルを四つ、掴み僕達にそれぞれ投げ渡した。代わりにアークス金貨を一枚、動かない店のオヤジの前に放り投げる。
 「海は一つなんだ。そうミースに教わらなかったのかぃ,ルーンさん?」 
 ボトルに口をつけようとした手が、止まる。
 男はボトルの中身を一気に飲み干し、ニカッと微笑む。コイツは……誰だ?
 「もっとも、陸のモンが海のコトが分かるはずねぇか。でもアンタは人魚の匂いがするぜ、アーパスさんよ」 
 アーパスはしかし、彼の言葉に動揺を見せることもなく同様にボトルの中身を飲み干していた。
 「北の海賊は魔法を駆使するって言ってたな。遠見の魔法さえ使えりゃ、なんてことはない。俺達も有名にはなるさ、ルーン」 言い放つアーパス。
 まぁ、ミースさんの下で光波斬をぽこぽことぶっ放してれば、それをやってるのは誰か?なんてのは調べるわな。しかし僕が驚いたのはそんなことじゃないんだよ、アーパス。
 僕達が暴れていたのはあくまで、ミースさんの名が広まる前の段階での仕事だ。それ以降に僕達は表だったことに手を貸していない。
 すなわち北の海賊――いや、メルクラン一派は北を制圧する以前にすでに南側を視野に入れて行動していたことになる。
 言っては悪いが、このことからメルクラン一派はミースのようにその日暮しに近い制圧ではなく、しっかりとした計画と下準備に基づく理論立てた制圧を行ったと言えるだろう。
 僕とアーパスの名を知っている北の海賊――その事実だけでここまでの、おそらく真実に近い予測を立てることが出来る。
 ……こんな奴らに勝てるか,ミースさん?
 「まぁ、良い。君が海賊の一人と言うのなら、これをエントランス=メルクランに渡して欲しい。それとミースさんとは出来れば戦わない様にね」 
 僕は彼に筒を手渡す。彼は僅かに瞳を大きく開き、そしておもむろに中身を取り出した。
 「おい,勝手に見るんじゃ…!」 
 アーパスの言葉を彼は視線だけで詰まらせる。赤い瞳に黒い炎が燃えている,そう見えた。
 「ご先祖さんを復活させようってか、馬鹿どもが!!」 
 叫び、筒と中身の書類を地面に叩き付ける青年。
 途端、街が動き出す。全てに色が灯った。
 僕達と青年の間に人の波が生まれて二つに別ける。あっという間に路上に散らばった書類は人々によって踏み散らされた。
 彼の姿が人の間にチラリチラリと見え隠れする。
 「わざわざありがとよ」 
 そんな彼の声がしっかりと耳に届く。
 「このエントランス=メルクラン,確かに受け取った。あとは任せろ」 
 え?
 君が??
 思わず足が一歩、前に出る。
 僕の右肩をアーパスが軽く掴んで止めた。
 「海のコトは海のモンに任せな、ルーン」 彼女は、そう耳元でささやく。
 人込みの間から、赤い瞳が見えた。
 「そうだぜ,海には海の流儀がある。ミースと戦うかどうか――それも陸のモンが口出しすることじゃねぇとミースは言っていなかったか?」 
 「そいやそんなこと、別れ際に言ってたな」 とアーパス。そうなのか…?
 「今回の『青』もな,陸のモンに手を借りるまでもねぇよ。それにオレの人間側のご先祖は一度、やっこさんを倒してるんだ。子孫が負けるわけにゃ、イカンだろ」 
 笑い飛ばすような、軽快なエントランスの声。
 え? ちょ、ちょっと待て,ご先祖? 孫??
 「オレは青の子孫であり海勇フランツェを血族に持つ――何より今の海の覇者・エントランス=メルクランだ。まぁ、憶えておいてくれや,じゃな!」 
 瞬時にして、現れた時と同じく唐突に彼の気配は消えた。
 北の海の、いや,ミースさんとその名を二分する海の覇者の一人、エントランス=メルクラン。
 嘘か誠か、魔王『青』と死んだはずの海勇フランツェの血族?? 一体それはどう言うことだ?
 「へぇ、有名人やったんやねぇ。サイン、もろといた方が良かったんちゃう?」 
 場違いなメイセンの…ボケなんだろうか?? 天然かな?
 「おぃ、ルーン」 
 背中をアーパスに引っ張られる。
 「人の心配、してる暇はないぜ」 
 彼女が指し示す方向からは騎士達数名。彼らは僕達の方を指差し…駆けて来る!
 「逃げるぞ、アーパス,メイセン!!」 
 「ああ」 
 「はいな!」 
 「「待てぇぇ!!」」 
 怒号と鎧の響く音を背後に聞きながら、僕達三人はミエールの繁華街を駆け抜けて行った。
 そのずっとずっと先にある、北の大地を目指して―――

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