7−2
<Aska>
天が高い。青い、青い空。
風が私の頬を撫でて行く。その身に含んだ香りを私に残して。
採れたての果物の香り。
私の横を走り抜ける馬車の香り。
行き交う人々の汗や香水の香り。
それは生活の香り。
私はゆっくりと目を開く。
「すっごい人……!」
感嘆の吐息が漏れる。
今まで見た街の中で最も活気がある。
何よりも行き交う人々,売られる商品の種類が半端でなく雑多だ。
ここはこの大陸の中心地,アンハルト公国首都ロン。
ありとあらゆる人々と物品が交錯する、大陸のへそ。
「ほぇ〜」
ここはちょっとした高台になっている街中の大通り。
この街は中心にある直径10kmほどの湖にあるアンハルト公国の城を中心として、同心円状に広がっており、放射状に石畳で舗装された道路が走っている。
街もそのほとんどが石造りで、計った様に区画整備されていた。
特徴的なのは、他の国々に見られるような街をぐるりと囲む城壁はないこと。
いや、これは正しい表現ではないかもしれない。
目に見えない城壁がある。それは経済という名の果てしなく高く、強大な壁だ。
この国は軍を持たない。あるのは警察機構である公主の私軍だけ。
何故か?
北のアークス,東の清,西のザイル,南のササーン。
ちっぽけなこの国は強大過ぎる国々によって囲まれていることを逆手に取り、微妙なバランスの上に成り立っている。
どの国家にとっても、アンハルト公国に攻め入ることは他の3国を正面切って敵に回すこととなるのだ。
…ともあれ。
私達はアンハルト公国の首都に入った。
ここから南へ,私の中にある父の知識によるところの、炎の転移点であるファレイラ火山と呼ばれる活火山帯に向う為だ。
「キレイな街ね」
様々な文化が心地よく入り混じった、都市くらいの大きさしかない、小さいながらも活気のある国。
私は街を飛び交う生き生きとした精霊達に目を細めて…
「アスカ! なにぼぅっとしてんの!」
「アスカ殿,危ない!」
「お姉ちゃん!!」
妙に遠く、仲間達のそんな声が聞こえた。
「なぁ…に?」
振り返ると同時、
「止めてぇぇぇ!!」
「はぐぁ!」
どげしぃ!!
私は泣き叫ぶ女性の操る暴れ馬に跳ねられ、宙を舞ったのであった。
<Camera>
同じ風の中、茶色の髪を揺らしながら苦い顔をした若い男が一人。
ここは湖の中洲にそびえる城の中。
男の名はケイン=アンハルト。このアンハルト公国の公主である。
彼の目の前には宙に浮かぶ厚みのない大きなスクリーン。
そこを下から上へと流れる共通語に眉をしかめているのである。
「やっほ〜、ケイン,調子はどう?」
やたら陽気な女性の声が部屋に生まれる。
ケインはちらりとそちらを一瞥して、しかし再びスクリーンに見入った。
「どしたの?」
二十代後半の金色の髪が美しい女性だ。その容姿はザイル帝国に良く見られる民族ディアルである。ややタイトなスーツのような紫紺の服の襟には、公主の私軍である警察機構の士官であることを示す木の葉の銀糸が縫い込まれていた。
鋭くも、柔らかさを伴った青い瞳でスクリーンを眺める彼女。
次第にその表情に驚きの色が広がって行く。
「…どういうことよ、これ」
「読んだ通りのことさ,センティナ」
センティナ=ガーネッタ――ザイル帝国王族の外戚である彼女は、およそ4,5年前に出奔した姫君である。
品行公正な行いと礼節に乗っ取った立ち舞いはザイル帝国騎士のみならず、永遠の敵対国であるアークスですら尊敬の念を抱いている者は多い。
現在彼女は、先日行われたアークス南公国でのアークス×ザイルの戦いで受けた屈辱を晴らす為に、ここアンハルトに身を置いていた。
「読んだ通りって…ブラッドがそんなあっさりと死んだって訳?」
スクリーンに流れるのはザイル帝国で起きたある戦の緊急速報。
魔道による情報ネットの発達したこのアンハルトでは常識の技術だ。
「そう。それも対抗であるガルダにじゃあない。全く見知らぬ勢力に、ね」
呟くケインの声は僅かに震えていた。
ザイル帝国は先代国王の死去により、後継者争いが勃発した。
血の粛清と呼ばれるこの争いはザイル帝国にとっては必然の事項であり、この争いによって硬い支配体制を築けるのである。
血の粛清がおよそ三ヶ月ほど経過した現在、ザイル帝国首都イスファンの王城シンクロトロンの主は第五王子ガルダ=フラグマイヤーに決していた。
そんな彼に真っ向から対抗する、唯一の王族は第一王子ブラッド=フラグマイヤー。
ガルダより三つ年上の、実の兄である。
ブラッドはザイル帝国の南西に位置する魔の森と、そのさらに南にササーン王国に接するファレイラ活火山帯を背負ったタスタリア地方に陣を敷いた。
ブラッドは鷲軍を率いるグラッセ将軍を指揮官としたアークス南公国との戦いを視察している際に血の粛清が勃発した為、たまたま首都を取ることが出来なかった不運の男だ。
彼の下にはザイル帝国を支える4人の軍師の内3人と、その下に従う8人の将軍の内6人を従えている。このことからも彼の人望はガルダを抜いていたと言って良いだろう。
しかし、である。
帝国首脳部はブラッドに付き従ったが、その下である軍の中核・軍士級の大半がガルダに従ったのだ。
このことは『強い者に従う』というザイル帝国に住まう人間の根底に流れる気質が、ガルダの個人戦闘力を純粋に認めた事に他ならない。
このことにより戦力比率はガルダが7に対し、ブラッドは1。
この時点でガルダは、タスタリア地方に退いたブラッド率いる鷹軍を主体とした軍の代わりにアークスへの威嚇として一軍を配備。
また彼の下の唯一の軍師・ナーカス=リーを宰相に命じ、軍の一部を預けて経済封鎖を行うアンハルトに対して懐柔策を行う。
また不穏な動きを取られぬ様、各地に部隊を分散配備することとなる。
こうして残った余力はブラッドよりも僅かに多い程度の戦力。
彼は自らに従ったレード虎軍将軍に2000の正規騎士を与えてタスタリア地方平定へ。ブラッドのいる城塞都市ムガルはブレード城に向ける様に指示を下していた。
ケインは正直なところ、ブラッドにササーン経由で支援をしている。
戦いはガルダに軍配が上がるであろうが、長引かせることによって経済封鎖を長期的に持続でき軍事力も疲弊、その間に有利に今後の取引を進めることが出来るはずだ。
しかしそんな彼の思惑はあっさり崩れることになる。
ブラッドとレード将軍が衝突する以前に、ブラッドの軍が堕ちたのである。
南に対する砦的な役目も有していた防御の硬い城塞都市ムガルのブレード城と周辺の町を占拠したのは、南に広がる魔の森の勇。
グラムバールという男だという。
「誰、そのグランバザールって?」
「…グラムバールだよ。私も聞いたこともない,情報は今集めているところだ」
ケインの頭の中ではブラッドの代わりにグラムバールと名乗る男が『使えるか?』の評価/調査に移っている。
予定は彼にとって『そうであってほしい』ものであって依存するものではないが、これほどの予想外のファクターは初めてだった。
「まぁ、どうとでもなる」
ケインは呟く。
彼の横顔を見つめるセンティナはそこに映るひたすら冷徹な気配に、人知れず息を呑んだ。
暴力王と彼は名を冠されていた。
グラムバール――姓はない。
そこかしこに血の跡の残るブレード城。質実剛健を基調とした城の、その王座にどっかりと腰を下ろしているのは身の丈2mを越える、上半身裸の男だ。
年の頃は20代前半であろう,まるで鎧のような赤銅色の筋肉を惜しげもなく晒し、ぼさぼさの黒く長めな髪の間に青みがかった瞳が覗いていた。
その彼の隣には4人の男女達が控える。
赤黒い法衣を身に纏ったスキンヘッドの巨漢。
遥か東方の衣装に身を包んだ隻腕、隻眼の中年剣士。
薄い麻製の服の内から豊満な胸を強調した、狼の頭と灰色の毛皮を持つノール族の女性。
剥げあがった頭にでっぷりとした腹を持つ、初老の男。
その誰もが黒い雰囲気を身に纏っていた。善人では、ない。
彼らの前に同じようなならず者に引っ立てられた男が一人。
知る者が見たのならば知るだろう。
品の良いローブに身を包んだこの男は、ザイル帝国の四人の軍師の一人であることを。
王座に身を預けるグラムバールの一声で、男は恐怖の表情で首を床に落した。
「グラムよぉ、殺しちまって良いのか? ザイル相手にマジで喧嘩売るつもりかよ?」
スキンヘッドの男が足元に転がってきた軍師であった男の首を蹴り上げながら呟く。
巨漢の男はニヤリと微笑み、彼を一瞥。
「破戒僧なんていう仇名が付いてるわりには弱気だな、チェルパン」
「ダサいねぇ」
「…リゼラ、お主はもっと女らしく思慮を持って行動しやがれ」
ノールの女性にも笑われ、チェルパンは彼女に毒づくが軽くいなされるだけだった。
そんな一同の前に次の捕虜が引き立てられてくる。
「女、か?」
チェルパンは一瞥。金髪、碧眼という典型的なディアル民族の少女は十代半ば。
前の男の血だまりの中で、無理矢理膝まづかされながらも毅然とした敵意を男に,グラムバールに向けている。
「誰だ?」 面倒くさそうに声を放つ巨漢。
「ブラッドの妻,第14位王位継承者のリプリー殿ですな」
初老の男がニタリと嫌らしい笑みを浮かべて彼の王に告げた。
「リプリー、あのブラッドの妻というのは本当か?」
グラムバールは城門に掲げてある30に差し掛かろうとしていたの男の首を思い浮かべながら少女に問うた。
「わらわはザイル帝国国王ブラッドの妻,リプリー=ヘルンノイズ。早急に我が夫の遺体を丁重に葬り、己の犯した罪を償う為にここで自らの首を跳ねなさい!」
恐れを心の端に追いやり、少女は叫ぶ様に訴える。
しかしグラムバールはつまらないものを聞いたかのように、自らの耳をほじって再び問うた。
「よく身内で結婚できるなー。それに歳の差も結構ないか?」
「無礼な!」
激昂するリプリー。
グラムバールは彼女の声をBGMに、仲間に尋ねた。
「どうする? コイツ?」
ビクリ、リプリーが大きく一つ、震える。
「切っちまおう」
隻腕の男が腰の刀に振れながら言う。
「犯っちまおう」
チェルパンが答えた。
「売っちまおう」
リゼラは嘲りの笑みをリプリーに向けて言う。
「ん〜,じゃ売っちまおう。ゼーレ、頼むぞ」
「承知しました、グラムバール様」
隣で控える初老の男が、兵士に押さえつけられたリプリーに近づく。
彼女にあからさまな恐怖の色が映った。
「わらわを売るとな?! 貴様! 王家に泥を…」
彼女の言葉はそこで途切れる。
ゼーレが彼女の長い髪を片手で掴んで部屋の隅へと投げたのだ。
老人とは思えない力で彼女の体は優に3mは飛び、控えていた商人風の男達に捕らえられる。
「王家の女は高く売れますぞ、王よ」
ゼーレの嬉しそうな笑みとは対称的に、両手両足を4人の男に捕捉されたリプリーからはとうとう悲鳴と泣き声が響く。が、すぐに声は遠く消えて行った。
「戦後処理なんぞ面倒くせ〜な、そう思わないか? 腐丸?」
グラムバールは鼻をほじりながら隻腕の異国の剣士に尋ねる。
剣士は答えることなく、面倒くさそうに欠伸を一つ。
「だよな! よし、俺は止めた。あとはセラに任せよう」
立ち上がるグラムバール。そんな彼にチェルパンとリゼラからは「やっぱりな」と苦笑が漏れる。
「おい、セラ。出て来い!」
虚空に向って声を荒げるグラムバール。瞬間も置かずに、彼の背後に一人の若い女が姿を現した。
ダークエルフのような浅黒い肌と、魔族に良く見られる銀色とも灰色ともつかない髪。やや尖った耳が豊かな腰まである髪から覗いている。人間ではない,妖魔か、もしくは魔族の類だ。
魔術師のローブを彼女なりに変形させた紫紺の衣装を身に纏い、おずおずとグラムバールを見上げた。
グラムバールは細い彼女の両肩に大きな手をどん,と置く。
びくり、セラは反射的な恐怖にであろうか,震えた。
「あとをやっとけ」
一言吐いて、グラムバールは彼女を王座に無理矢理座らせた。
「…そんな」
「出来ないって言うのか?」
彼女の肩を掴む両手に力を入れ、顔を近づけて凄みを効かせるグラムバール。
思わずセラの瞳が涙ぐむ。よほど彼が恐いのだろうか? はなはだ妖魔らしくない。
「セラっちを泣かせてんじゃねぇよ!」
ゲシィ!
唐突にリゼラの後ろ上段回し蹴りがグラムバールのこめかみにヒット。
思わず暴力王は頭を抱えた。
「ま、まぁ、ここはセラ殿に任せようか。なんならリゼラ,お主はここに残るか?」 チェルパンが控えめに言葉をかける。
「う…いや、私もちょっと…さて、行きましょうか! ゼーレ爺さんはちゃんとセラっちをサポートすんだよ!」
「承知しております」
胸に手を当てて、似合わない敬礼をするゼーレ。
「あの…マスター……」
席を立って手を伸ばすセラ。しかし、
「痛てぇよ、リゼラ」
「アンタにゃ、それくらいしないと通じないだろ」
背を向けた4人には,特にグラムバールには声は届いてはいなかった。
セラは大きく溜息一つ。上げた顔には空虚という、氷のような無表情が広がる。
新たに兵士によって運ばれてきた捕虜の処遇を、一片の表情の変化なしにゼーレを伴って淡々とこなして行った。
タスタニア地方は草原と荒野の混在する、ある程度肥沃な土地だ。
その南部にはササーン王国との国境という位置付けとなるファレイラ火山帯が東西に伸びる。それを包みこむようにして亜人や妖魔の息づく未開の土地『魔の森』が太古より広がり、人間の侵入を阻んでいる。
この魔の森に住む種族は北のシルバーン共和国での亜人達とはその性質は全く異なり、大抵が人間に対する敵意,征服欲を有していた。
これは北は亜人の割合が多いのに対し、南のこの地には妖魔の割合が多いことに起因していることと思われているが定かではない。
さて、亜人と妖魔の違いであるがここには大きな差はない。人間の視点から、友好的な種族を亜人,敵意ある種族を妖魔と呼んでいるに過ぎないのだ。
このことから例えば、北の大地では亜人と分類される朴訥なドワーフ族は、南のこの地では強力無比な怪力を振るう妖魔として目に映ることとなる。
そんな生まれながらにして人間とは身体・魔力能力的に遥かに発達した彼らからの侵入を防ぐ為にザイル帝国建国当初に作られた砦たる街――それがここ城塞都市ムガルだ。
人間族の威厳を誇示するかのようなどっしりとした構えで威嚇するブレード城を中心としたムガルの街を今、妖魔達が闊歩していた。
そこかしこに火の手が上がり、住まう人々の悲鳴が時折聞こえてくる。
「良い感じに荒れてきたじゃねぇか」
無人となった屋台の棚から林檎系の果物を一つ取り、口に運びながらグラムバールは街を見渡す。彼に従うはノール族の女性リゼラ,異国の隻腕剣士腐丸の2人。
昨夜葬ったザイル帝国兵の死体に混じって、新しい市民の死体も転がっている。おそらくグラムバールの配下である妖魔の仕業であろう。
と、彼の前に気を失った人間の女性を肩に2人担いだ巨人が現れる。
身の丈3mほど,筋肉の塊のようなその男の顔には牙が覗いていた。人を食らう一族――オーガの戦士だ。
彼はグラムバールに視線を向け……慌てて頭を垂れる。そして肩に担いだ女性の一人を差し出した。
「あ〜、いらんいらん。まぁ、ほどほどにしておけよ」
オーガの戦士は恥ずかしそうに毛のない頭を掻いて彼の前から立ち去った。
「しっかしなぁ…さすがに視線が痛いな」
グラムバールはオーガの背中を見送りながら、隣のノール族に苦笑する。
「だったら殺しちゃえば良いじゃないの」
「そうもいかんだろ…」
街に出たグラムバールは隠れた無数とも思われる視線に気付いていた。
それは家にじっと隠れて様子を伺うムガル市民の目だ。
「やりたいことをやってきたアンタらしくないわね。アンタもそう思うでしょ? 腐丸?」
リゼラの問いかけに剣士は無表情。
ただその意に賛同するかのように腰の刀の鞘をカチン、鳴らす。
「そりゃ、ここら一帯をぶっ壊しちまえばスッキリするだろうな」
グラムバールのその一言に、隠れていた周囲の視線にあからさまな恐怖が生まれる。
「市民の一斉放棄が起きたらどうすんだ?」
「そん時は皆殺しにしちまえば良いじゃない。簡単でしょ? 現に今だって『お情け』で生かしてやってるだけなんだから」
「一応、王を名乗る以上はなぁ」 苦笑いのグラムバール。
彼は知っていた。リゼラのセリフは半ば本気であり、そして半ば演技であることを。
噂の伝播は早い。
ましてや、彼のおよそ人間離れした戦闘力は、昨日ムガル市民にとって忘れられない光景だったはずだ。
この談笑が耳をそばだてているムガル市民に伝わるのは明白である。
と、明らかに3人に向ってやってくる複数の人影が生まれた。
「ん? ありゃあ…?」
グラムバールの前に現れたのは5人の亜人。
「どうしたんだ? 雁首揃えて」
微笑むグラムバールに5者5通りの笑みが帰ってくる。
一人はシルク地の法衣を纏ったダークエルフ,見た目は男か女か分からない若者だが、齢三千は優に過ごしているダークエルフの長・レーベン。
信じられないことにその隣で屈託のない笑みを浮かべているのは斧を担いだ、こちらも齢三千を過ごしているドワーフ族の長・ゴドラム。生まれながらにして宿敵たるエルフ族とドワーフ族が一堂に介する――それも長同士、すぐ隣にというのは信じられない光景ではある。
そして猪の頭を持つオーク族の長・バオゥ。コブリンを率いるホブコブリンのゲオルグ。
最後にオーガ族の長・ダイダラ。
この5人は魔の森での代表的な有力者達である。
「王よ、北に新たなザイルの一軍が姿を現しております」
頭を垂れ、臣下の礼を取って発言するのはレーベンだ。
「まだ襲ってくる気配はないが、先手を取った方が良くねぇか、旦那?」
「ジュンビハ、デキテイル」
ゴドラムの言葉にダイダラが嬉しそうに戦意を露にして畳み掛けた。
「そ〜だな〜,ちょっと考えるわ。取り敢えず休んどけ」
5人は頷き、各々姿を消して行った。
「ところで、チェルパンの奴は何処行ったんだ?」
グラムバールはスキンヘッドの破戒僧の姿がないことに首を傾げる。
「アイツなら神官狩りに行ったよ」
つまらないものを話すようにリゼラ。
チェルパンの信じる神は自由と力の邪神・テラーヌ。非常にマイナーな神である。
テラーヌは他の神を嫌う。信仰すらも束縛と考え、他の神の神官を殺すことによって神の信仰から解き放ち自由とすることを美徳と考える、ひたすら迷惑な神だ。
「……今日、帰ってこないな」
「あら、どうして?」
「この街の水の神の神官長はえらい美人なんだそうだ」
「その人も可哀相にねぇ……あ、一つ呼び寄せる方法があるわ」
リゼラはニタリ,狼の笑みを浮かべて呟いた。
「女よりも好きなものを餌にすれば良いのよ」
その言葉に、腐丸がリゼラと同じ笑みを思わず浮かべる。
グラムバールはまた、「しょ〜がねーなー」とぶつぶつ言いながらも城の外へと歩を進める。
新たな戦いが、始まる。
ムガルの街から北に5km。
陣の敷かれた虎軍の司令官室で、将軍レードは収集したばかりの情報に目を剥いていた。
ブレード城には彼が『狩る』べきだった謀反人・ブラッドの首が掲げられているというのだ。
それだけならば良い。戦を恐れたムガルの街の市民が一斉蜂起を起こしたものだと思えるからだ。しかし現状は全く異なっていた。
『魔の森より様々な妖魔達を率いた大男が城を落した』
報告書の内容は信じられないことである。
魔の森の妖魔達は互いに敵対している,その妖魔達のしがらみすらも無視してまとめあげた大男。グラムバールと名乗るこの男は、果たして人間であろうか?
何よりも、ブラッドの率いていたのはアークスに対して前線で戦っていた鷲軍の第一級兵士を主体とした正規騎士ばかり。
まとめあげたと言っても、プライドだけは高い妖魔達など烏合の衆のはずだ。
いくら疲弊していたとは言え、訓練を積んだザイル帝国の正規騎士2000余りが負けるはずもない。
それだけ妖魔の数が膨大だったのか…それとも。
「本当に魔の森の妖魔を従えていると言うのか?」
ならば,レードは考える。
この大男と懐柔したならば、魔の森の妖魔を味方に付けることが出来るのではないか?
それはアークスとの国境争いで泥沼化している北の戦線に活を入れる結果となるかもしれない。
”任務で失敗し、秘密裏に処刑された同僚の将軍グラッセのようにはなるまい”
ザイル唯一の将軍位となってしまったレードは、目の前のチャンスに信じもしない神に感謝した。
だが慣れないことをしたその瞬間、彼は自らの冥福を神に祈ることとなる。
「将軍! ムガルの街より敵勢力が出陣いたしました」
緊迫した騎士の声が、レードの耳に届く。
”味方に引き込むのは無理…か”
舌打ち一つ。
「数は?」
「およそ2500,うち1000が…ブラッド殿下の率いていた虎軍騎士でございます」
「なに?」
レードは眉をしかめる。1000という数はブラッドの手持ちだった兵士の半数以上だ。
これはブラッドとグラムバールとの戦いが、攻城戦でありながら素晴らしいほどの短期決戦で終結したことを物語る。
また敵勢力である亜人が残る1500あまりということだが、この内の8割方がコブリンやオークといった人間よりも遥かに生命力の低い種である。ザイル正規騎士にとって雑魚でしかない。
”しかし” レードは考える。
亜人は中には強敵もいるだろうが、問題はグラムバール側に就いた正規騎士達だ。
そもそも謀反人扱いされているとはいえ、王族に仕えていた騎士がどこの馬の骨とも分からない男に従うものだろうか?
ザイル帝国には流れる狩猟民族の血として『強い者に従う』というものがある。
だがそれにも限度はあるはず。この点が彼には理解し難かった。そしてこの時良く考えておくべき事でもあったのだ。
”ともあれ” レードは短慮にも思考を中断し、部下に指示を下す。
「戦闘準備! 騎馬隊を右翼と左翼に,歩兵隊を正面に配し、弓騎兵隊を後方へ配置せよ」
前面で敵を受けとめ、弓で数を減らしつつ、左右から騎馬隊で囲むという典型的なザイル特有の陣だ。
「相手が動くまでこちらは動くな,決してな」
立ち上がるレード。この時彼はまだ、グラムバールを味方に引き入れる術を考えていた。
ブラッドの遺産である1000名余りのザイル騎士は右翼と左翼に騎馬隊を展開し、正面に歩兵隊,やや後方に弓騎兵隊を配置するという、目の前のザイル虎軍と同じ陣形であった。
しかしその数はおよそ半分,さらのい士気の低さからも勝てる見込みは少ない。
そのさらに後方に展開した妖魔で構成された軍の中、ザイルの将軍位と思しき3人の騎士達が、戦場を前にしているにも関わらず上半身をそのままさらけ出しているグラムバールの前で膝まづいている。
「約束,確かに守っていただいているのですな?」
頭を下げたままの騎士の一人の詰問に、大男は面倒くさそうに答える。
「リプリーの命を守ってくれってやつだろ。分かってるっての」
「証拠は、ございますか?」
もう一人の騎士の問いに、グラムバールの眉がピクリと動く。
「死んだ証拠ならすぐ作ってやるぞ。あの細い首を落せば済むことだからな」
騎士達に緊張が走った。
「ぐだぐだ言ってね〜で、さっさと出陣して来い。嬢ちゃんの命なら絶対安全だからよ」
大男の言葉に3人の騎士達は敬礼一つ,自ら率いる軍団に戻って行く。
その後ろ姿を見ながら暴力王の隣に立つ、スキンヘッドの大男がニヤリと微笑む。
彼が杖代わりに手にしている、棘のようなイボのついた凶悪なメイスにはまだ暖かさを有した血が滴っている。
「ひでぇ話だな,グラムよぉ。守るべき主が奴隷として売られちまってるって知ったら奴ら、どんな顔するか」
「チェルパン,オレは嘘は付いてないぞ。小娘の『命』は守ってやった。よもやガルダとかいうザイルの新しい王も、自らの血族が市場に並んでるとは思いもしまい。とゆ〜か、これ以上もないほど安全な場所じゃないか?」
そんな暴力王にリゼラは含み笑い。
「でも売られた先は安全かしらね?」
「そんなんは知らんよ」
あっさりとグラムバール。
「まぁ、二度と表舞台には出てこれんだろうがな。金持ちには特殊な趣味持ってる奴が多いって聞くし」
そこで興味を失った様にグラムバールは幕僚であるダークエルフのレーベンに視線を向ける。
「それ以上に、アイツらの顔はもう見ることはないだろう。レーベン,乱戦になってきたら頃合を見てお前達の炎でアイツらもろとも焼き払え」
「承知」
悪魔のような笑みを浮かべるレーベンに、暴力王は満足げに頷いた。
「野郎ども! その炎が突撃の合図だ,せいぜい楽しもうぜ!」
「「応!!」」
雄叫びともつかない、野生の叫びが響き渡った。
レードは混乱していた。
同じ陣形で有無を言わさず戦いを挑んできた元同僚達に。
それ故に敵味方区別の付きずらい今の状況に。
何より、後方で全く動かない妖魔の軍団に対して。
現在、乱戦になりかけてはいるものの、数の差と疲労度などの点でレードの軍が圧倒的有利になっていた。
レードは後方で妖魔の軍団を見る。
動きは、ない。
”よし”
「左翼右翼の騎馬隊に指示,完全に包囲し、謀反人達を殲滅せよ!」
彼の指示は風の様に伝えられ、数を減じつつある元ブラッド配下のザイル騎士達に追い討ちをかける様に囲み、その包囲網は収束して行く。
その時だ!
円形になりつつある戦場の、その中心で黒い炎の柱が吹き上がる!
一本、二本、三本…
次々と吹き上がり、瘴気を纏った暗黒の炎は敵味方関係なくザイルの騎士たちを焼いていった。
その炎を契機としたように、妖魔の軍団が動き出す。
正面にオーガ・ドワーフの混成軍,右翼にコブリン達,左翼にはオーク達。
後方にはエルフやダークエルフといった魔術を操る妖魔達が続く。
動きは速い。
騎馬ほどではないが、人間の歩兵隊の倍以上の早さを有している。
”イカン!!”
レードは思わず叫びそうになる。
現在自軍は、慌て逃げ惑う敵ザイル兵の影響もあって完全な乱戦状態だ。
妖魔を率いる暴力王は『全て』のザイル兵を殺すつもりだろう。
ブラッドの配下であった元ザイル騎士達が何故に暴力王の指示に従ったかは不明だ。
しかしこれだけは言える。
”このままでは…全滅だ”
部隊を立て直すのはこの状況から時間が掛かる。
有能である将軍レードの頭の中は冷静な一つの答えを導き出していた。
”今は部隊を立て直し、退くべきか”
失敗によって処刑されたグラハの二の舞になりかねない結論を口に出す寸前、ある光景を見た。
正面のオーガやドワーフを遥か後方に置いて、飛び出している四人の人間の姿だ。
身の丈2mは越す、赤銅色の筋肉を鎧も付けずに露にした巨漢。その両手にはこちらも2mは越す巨大で肉厚な大剣が握られている。
後ろに従うは凶悪なメイスを手にしたスキンヘッドの大男。
東方伝来であろう,『切る』ことを目的とした武器・刀を振りかざす隻腕の異国の剣士。
斧槍を頭上で振り回す、狩人の目をしたノール族の女性戦士。
その四人の誰もに、狂喜の表情が浮かんでいた。
レードは直感する。
「暴力王グラムバール…」
そして彼は指示を下す。
「全力で、向かい来る敵勢力を叩け!」
戦場へ疾駆する四人。
「来るぜ!」
体全体で気配を感じ、グラムバールはいち早く対処した。
四人に向って飛び来るはザイル帝国名物,弓騎士による正確な弓矢による遠隔攻撃。
そして電光などの下位呪語魔法の遠隔攻撃魔法だ。
殺到するそれらに対し、グラムバールは鉄の塊である大剣を下段に…
上段へと人間とは思えない怪力とスピードで振り上げた!
豪ぅ!
純粋な力。
巨大な質量が空間を移動することによって生み出される、魔法でもなんでもない物理法則。
巨大な鉄の塊の音速を超える移動は、衝撃波を生み出して迫り来る全ての敵意を粉々に粉砕した。
一瞬、沈黙が訪れる戦場。
一瞬の後に訪れるは、妖魔軍からの歓声と敵味方入り混じったザイル騎士達からのざわめき。
その間を逃さずに四人は乱戦の中に突入した!
四人は真っ直ぐに乱戦の中を突っ切って行く。
道が、できた。
グラムバールの剣の一振りは、その空間に存在しているものを種類を問わず上下に切断。
チェルパンの赤黒いメイスはまるでスイカを割るかのように秒単位で対称を破戒して行く。
腐丸は返り血一つも浴びずに血糊の付かない刀で屍の山を築き上げ、リゼラの斧槍は三人の攻撃から運良く漏れた生物を刺し貫く。
近寄れる者はいなかった。
いや、まるで暴力の嵐に、騎士たる者達は自ら道を進んで開け始める。
「死ね!」
騎士達の間から紫電がグラムバールに向って走り抜けた。
騎士団に付き従う魔術師からの攻撃だ。
紫電はグラムバールに突き進み…
「ふん!」
ぱし
まるで蝿を払うかのように、軽く暴力王の右手で叩き落された。
「んなバカな!」
叫ぶ魔術師の口に次の瞬間、グラムバールの大剣が突き刺さり、彼ごと地面に縫い付ける!
投げたのだ。
隙ができた,そう騎士達は思ったに違いない。
丸腰になったグラムバールにここぞとばかり、引き腰だった騎士達は襲いかかる!
グラムバールは不敵に笑う。
「やっとまともに戦ってくれるかい?」
右ストレートが、殺到する騎士の一人の兜に突き刺さる。
グシィと金属とその中身の柔らかいものがひしゃげる音を立てて、幾人かの騎士を巻き込んで吹き飛んだ。
人間業ではない。まるでオーガ族――いやそれ以上の怪力だ。
間髪入れずに拳を繰り出すグラムバール,拳だけでなく蹴りも交え、あっという間に殺到した騎士達の数が減じた。
「んだよ,かかって来いったら」
愚痴るが全身暴力な大男に死ぬのを承知で近づけるほど、命を粗末にする者はいない。
彼はしぶしぶ大剣を拾い、仲間達が彼を追いかけてくるのを待つ。
すでに戦況は妖魔の軍がザイル軍を半分以上包囲し、本格的な乱戦を呈し始めていた。
その真っ只中で彼は戦場から離れて行こうとする一団を発見する。
「んだぁ? ありゃ??」
「どうした、グラム?」
追いついてきたチェルパン達三人に、戦線を離れつつある300m程先の騎上の騎士達を指差した。
「あら…あれってこのザイル軍の指揮官じゃないのかしら?」
「そうなのか?」
リゼラの言葉にグラムバールは大剣を肩に。
「どっちにしても、逃げ出すのはイカンよな」
大剣を振り上げ、彼はまるで川面に石を投げるかのように2mはあるそれを投じた!
「何だ何だ、あの怪物は!!」
馬上で冷や汗を流し、僅かな部下を伴って戦場を離脱するのは将軍レード。
彼はこの時、初めて知った。それは彼の指揮官として育った人生を否定する事実だ。
一番戦場で強いものは、戦略でも陣形でもない,強力な魔法でもないのだ。
圧倒的な一人の暴力、純粋な破壊の力。
それは戦を構成する全ての要因を根底から叩き潰し得る、最大の力だ。
その暴力が味方ならば、これ以上もない戦意の高揚。
敵ならば、死を予感する恐怖という名の戦意の喪失。
理論的には間違ってはいない。
だが、そんな存在などこの世にあるはずはない,そう彼は思っていた。
ありえない言葉の代名詞である、一騎当千という言葉すらあの暴力王には陳腐だ。
真っ直ぐ向ってくる暴力。レードは初めて戦場に出た時以上の恐怖に包まれた。
結果、乱戦を目の前に逃げ出したのである。指揮官としての責で処刑されても、彼にとってはそちらの方が恐ろしさの点ではまだマシだ。
「ぎゃぁ!」
「ぐわぁ!」
「ぐあっぁぁ!!」
背後で起こる悲鳴,徐々にそれが近づいてくる。
思わず振り返るレード。
彼が人生の最後に見たモノ。
それは草刈り機のように人を切り取りつつ飛び来る、巨大な鉄の塊だった―――
鮮血と伴に映像はそこで途切れる。
薄暗いその部屋には二人の男女の姿がある。
一人は黒い髪と黒い瞳、白い肌のディアルとニールラントの混血である若い男だ。
彼の名はガルダ=フラグマイヤー。三ヶ月前までは第五王子であったが、つい先程ザイル帝国帝王の座を得た男だ。
「惨敗、だな」
感情の現れない声で呟くガルダ。
パチン,と指の鳴る音はもう一人の女性から。
汚れ一つのない真っ白な翼と、白い仮面を付けた黒髪の美しい魔女。彼女の合図と伴に部屋に明かりが灯る。
ここはザイル帝国首都イスファン――王城シンクロトロンの東端にたつ尖塔の最上階に位置する会議室である。
映像を操っていたのは黒の魔女レイナ。彼女の監視の魔法は将軍レードにあらかじめ仕掛けられ、彼の目に映る映像をこの場へと転送し続けていた。
「魔法が効かない,そんな人間が存在するのか?」
椅子に身を預け、ガルダは年齢不祥の仮面の魔女に問う。
彼女はほっそりとした人差し指を己の形の良い顎に当て、瞬考。
「おりませんわ。ただ我々が用いている『魔法』というのは人の意志力を呪語という特定の振動数を用いて力へ変換する行為を差します。術者の意志力を遥かに越える意志力を持った者ならば、手で弾くという芸当は出来るかと」
「ほぅ、お前は出来るか,レイナ?」
「…無理ですわね」
「そうか」
ガルダはその鋭い目を窓の外,遠くタスタリア地方へと向けた。
「グラムバール、か。正直、戦いたくないタイプだ」
「弱気ですね,貴方らしくもない」
くすりと小さく微笑んで、レイナはガルダを見つめる。
黒騎士は瞳を輝かせていた。
まるで新しいおもちゃを与えられた子供の様に。
彼は振り返る,そしてレイナの仮面を見つめ、告げた。
「今の俺には手駒が足りん」
「私では貴方の力となれませんか?」
楽しむ様にレイナは問う。ガルダは首を横に振った。
「違う。お前やエルーン,ゼナは力ではあるが、戦力にはならん。結局現在のところ『使える』のは唯一の軍師であるナーカスだけだ、それも有能というわけではない」
「我が侭ですね」
「一つぐらい言っても良いだろう?」
「その一つが大きすぎますわ」
レイナは軽く身を翻し、黒いローブを揺らしてガルダの頬に右手を差し伸べた。
ひんやりとしたレイナの指の感触が緩衝材となって、ガルダの中で思考をゆっくりと、しかし確実にまとめあげて行く。
「俺が納得する者は、やはり俺自身で探さんとイカンか」
苦笑い,ガルダはレイナの右手を優しく払い、軽く彼女の頭を撫でる。
「私はエルーン殿のように頭を撫でられても嬉しくありませんわ」
柄に合わず、やや拗ねた様に魔女は言う。
「ではどうすると嬉しい?」
「決まっていますでしょ?」
仮面の下は微笑み,彼女は後ろへ二歩。
「強い貴方を私に見せてください。それだけが、この黒の魔女の喜び――」
言葉を残し、彼女は背中の翼を軽く動かしたかと思うと虚空へと溶け込む様に消え去った。
「強い俺、か。なかなか難しい注文だな」
ガルダは呟き、同じく一人、部屋を後にした。
アークスの南公国――龍公国は首都アンカム。
南30kmの所に南のザイル帝国からの防衛線・城塞都市ガートルートを構えている。
ここは前述のガートルートのような無骨な都市とは異なり、全体的に優雅で華やかな造りの都市である。
しかしながら現在、この優雅な都市は戦々恐々としていた。
戦支度を始める龍公直下の騎士団、雇われ戦士・魔術師や傭兵達の姿がある。
彼らは都市の北側にそびえる剛健優雅な城,現在の龍公の住まいを中心として集っていた。
現龍公は先日のザイル帝国侵攻の結果、若干四歳のゲラルドがその任に就いてはいるものの、実質の権限は母親である元王妃リラ,彼女の弟であるフラッツが握っていた。
そして今、全く似合わない鎧に身を包んだフラッツは神経質そうに口髭をいじりながら小さく震えている。
近頃、街の周囲を脅かしている盗賊団達。それらの排除というのが今回の挙兵の名目である。
実際は異なる。
先日、ガートルートに放っていた密偵からもたらされた情報によると、ガートルートにあった戦力は10分の1以下になっているはずだ。
理由は2つ。一つは一部の元龍公軍をアンカムに引き上げたこと。国防を名目にだ。
もう一つは、ガートルートの南にまで引いていたグラッセ将軍率いるザイル帝国鷲軍が、帝国内部の騒乱によりザイル帝国内の遥か南へ退避,入れ替わる様にして新生帝国軍の一軍がやってきて、二国間の国境付近にまで軍を引きあげたのだ。
これにより実質上、ザイル帝国のアークス侵攻は失敗に終わったということになる。
そしてガートルートに駐留していた龍公軍と騎士団は国境付近の警備の任に就く。国境間の威圧である。
ガートルートの現在の鎮守は、力を失っている現龍公の要請によりアークスの央国の騎士を中心に管理されている。
そしてその責任者は、アークス央国直下の騎士団長であるブレイド=ステイノバ。
彼は先々代の龍公であり、央国の第二騎士団長であったエッジ=ステイノバの忘れ形見であった。すなわち龍公となり得る資格を持つのだ。
リラ,フラッツらにしてみれば本人にその気はなくとも、世論はブレイドの働きを好意的に評価しているため気が気ではない。
さらに最近の盗賊騒ぎで治安を回復できない現龍公の評価は地に落ちてしまっている。
そこで元王妃リラはブレイドを亡き者にしようと暗殺団を仕向けた。
結果は失敗。
しかし虎視眈々と機会を窺い、盗賊討伐の名目で私兵を募ってきた。
そして先日、お家騒動でごたごたしているザイル帝国はとうとう兵を引き上げたのである。
ガートルートはその性質上、最終の砦であって兵を置いておくものではない。
ブレイドは本来の守護の目的の為に大半の兵をザイル帝国侵攻以前のように国境近くに配備。
もともと先日の戦で騎士や一般兵士を大幅に減らしていた所に、出来得る限りの国境付近への警備体制を取った為、現在のガートルートの守備はかなり弱いはずなのだ。
そこを、フラッツが突く。盗賊狩りと称した大部隊によって。
彼が集めたのは総勢200,おそらく今のガートルートには50もいないと思われる。
勝てる戦だった。ブレイドを亡き者にし、勝った後の処理はおそらく非難の的となることだろうが、その辺りはリラの手腕が光るはずだ。
しかしフラッツは恐れていた。
全てが誰かの書いた筋書き通りに進んでいるように思えてならない。
その誰かとは、彼の脳裏にはっきりと映っている。
先代が三顧の礼を以って迎え入れた戦略家――ローティス。
類稀な先読みの能力と、ずば抜けた独自の情報網を持った美しき女性。
その彼女が付いていながらの現在の状態。まるでフラッツらを誘っている様にしか見えなかった。
「だが…もうすでにサイは振られている」
もともと体力勝負ではなく知力勝負の彼は、直接の戦いに参加するつもりは毛頭ないが、やはりその場に出るということは恐ろしい。
彼は自分自身の頬を軽く叩いて喝を入れると、兵を率いて城を出る為に立ちあがった。
―――この日を境に、何故か討伐もされていないのに盗賊達の姿はすっかりと消え去ったという。
ブレイドは遠く、南の地平線を眺めていた。
太陽が、沈みゆく。
ガートルートのようやく修復された城のテラス。生暖かな強い風が、彼の黒い髪を撫でて行く。
と、背後に気配を感じ、振り返る。
銀色の長い髪を同じく風に泳がせる若い女性だった。
「なんだ、ローティスか」
「なんだとは酷い言われようね,緊急の用だっていうのに」
「緊急にしてはのんびりしてるな、お前」
指摘され、ローティスは苦笑。
「北のアンカムで動き出したわ」
「ふ〜ん」
関心なさそうにブレイド。視線を再び地平線の向こうへと向ける。
暗紫色から黒へと変わり行く西の空,風はそこから吹いてくる。
ローティスは主の横顔を見つめた。
彼はすでに彼女の行っていることを全て知っている,教えたつもりはない。
全ての状況を把握した上で自分なりの分析を行い、知ったと考えていいだろう。
”成長したわね”
ローティスは心の中で主を誇りに思う。彼に同時に惹かれている自分を意識する。
「俺は決めたよ」
「え?」 突な言葉に、彼女は思わず声を漏らす。
彼女に振り向くブレイドの瞳には、いつにも増して強い力が宿っていた。
「な、何を、決めたの?」
己の胸の音が強く聞こえ始めたローティスの問いに、彼は一枚の手紙を手渡した。
汚い字で書かれた、一枚の羊皮紙。
一読したローティスは首を傾げる。
「これは?」
「昔の親友からだよ,文面の通りさ。ザイルの南方に広がってる魔の森を〆たから、ザイルを征服するそうだ」
「事実かどうかの確認はしないの?」
「ザイルの本当のところの撤退は血の粛清のせいだけじゃない。そいつの影響もある」
再び視線を南に戻してブレイド。
文面は簡潔に、こう書かれていた。
『 ブレイドへ
魔の森を〆たから本格的にザイル帝国を盗る。
お前はそっちで援護に回れ。
グラムバール 』
「私の情報網にはまだ掛かってないわ」
憮然とするローティスにブレイドは軽く笑う。
「そうか。そのうちに引っかかるさ」
「それで…何を決めたのかしら?」
「王になる」
一際強い風が、ローティスの銀色の髪をかき乱した。
「…え?」
風の音と聞き間違えようもないが、思わず問い返す軍師。
「今の俺には大した力もない,できるときにやっとこうと思ってな」
微笑むブレイドに、ローティスは無言。
「そんなわけで、頼むぜ」
ぽん,軽く彼女の肩を叩いて、ブレイドはテラスを後にする。
成り行き上、ブレイドが王たる龍公に成らざるを得ない状況を作り出そうとしていた彼女の思惑は、良い方へと期待が裏切られて訳だが。
風の中、ローティスは呆然と呟いた。
「………マズイわ,本気で好きになっちゃうかもしれないじゃない」
<Aska>
私は寝返りを打つ。
ふかふかのベットの中だという感触ははっきりと分かる。
このまま寝ていたいけれども、そろそろ目を覚ました方が良さそうだ。
それ、1,2,3!
ぱっちり開いた視界に映りしは、巨大なトカゲのドアップだった。
「うきゃぁぁぁ!!」
「うおぉぉぉぉ?!?!」
お互いに叫び合う。
驚きの大きかったのはトカゲの方だったようだ。床にひっくり返っている。
「えと…」
上半身を起こし、私は冷静に彼(?)を見た。
トカゲの姿をした二速歩行の生物。確かリザードマンと呼ばれる種族だ。
人間から見ると恐ろしげに見える彼らだが、外見に似合わない繊細な心を持った種族であると私の知識にはある。
…繊細というか、気が小さいだけかもしれない。
「あの…大丈夫?」
私の問いかけに、リザードマンはおずおずと立ち上がった。セリフが逆の様な気がしないでもないけど。
「気が付きましたですか。早速皆さんにお知らせしたいところですが、夕食を摂りに外出をしておりまして」
かなり訛りのある言葉で答える彼(?)。
「ここどこ?」
「アルマ運輸の従業員用の臨時寝室でございますです」
「君は誰?」
「イーザ=ガランと申しますです」
「私はアスカ,アスカ=ルシアーヌ。よろしくね、イーザさん」
「よろしくです」
ニッコリと微笑んだのであろう,かなり恐いイーザさんの笑顔だった。
はて、ともあれアルマ運輸って…何?
「アスカさんは数刻前にハルモニアさんの馬に跳ねられたのでございますです。頭を打ってらしたので、皆さん心配してました」
「心配していながら皆いないっていうのは、ちょっと疑問だけど…」
「腹が減っては看病は出来ぬと皆さん申されてましたです」
誰も心配してないじゃん…
私はこの会社で働くハルモニア=シーレという女性の馬に跳ねられたそうだ。
何でもその場に居合わせた私の仲間達曰く、『アスカがぼ〜っと天下の往来で突っ立ってるのがイケナイ』だそうで。
しかしハルモニアさんは慌てて私をここへ運び込み、医者に診てもらった次第。
私がいつまで経っても目を覚まさないのでイーザさん一人を残して夕食に向ってしまったのだと言う。
「ごめんなさい、イーザさん,留守番させちゃって」
「いえ、僕は食事は三日に一回で済むので良いのです」
「…ダイエット?」
「違いますです」
そういう種なのだそうだ。
暇なので私は彼(多分?)に色々と尋ねた。
このアルマ運輸は、社長でありハルモニアの幼馴染みでもあるオラクル=フラントと副社長のアラムス=リーバ,そしてイーザさんの四人で経営されている。
主に魔道を駆使した『ネット』と呼ばれる技術で輸入輸出業を営んでいるという。
小さいながらも扱い額は大きく、なんでも今流行りのベンチャー企業だそうだが…私にはよく分からない。ルーンなら分かるんだろうなぁ。
イーザさんはその『ネット』とやらの扱いが巧いらしい。
らしいというのは説明は受けたけど、内容がさっぱり分からないから…
と、そんなこんなで扉が乱暴に開いた。
「起きた? アスカ?」
ネレイドだ。それも酔っている。
「土産じゃ、オラァ!」
「ぶっ!」
寿司折りを私の顔面目がけて投げ寄越し、去って行く。
扉の向こうには複数の人の気配。
「あ〜、心配しなくて大丈夫大丈夫。呑も呑も♪」
「でも…」
「アスカ殿は…」
「い〜から! ほっとけほっとけ,元気だし♪」
遠ざかって行く気配。
「「おいおい…」」
人知れず、私とイーザさんは扉の向こうにツッコミを入れていた。
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