走れ!雪音ちゃん 中編
著 御調


4.史上最大の迂回道

 クルマは工事中で途絶している三原バイパスに入った。
 切れてる方から入ったので道が込み入ってたのだ。
 「あたしは甲南 凪沙(こなみ なぎさ)。神戸の高校生。この人とはサイトサークルやってんの」
 やっと少女が自己紹介できた。
 そう言う間にも車は疾走。やがて幾重のトンネルを抜けると大きな河が見えてきた。
 「でもバイパスに入る為だったらもう一段落ね」
 安堵の雪音に凪沙は激しく横に首を振る。
 「これからが本番よ」
 何処から声を出してるのか解らないような言い方だった。
 「でも国道2号から高速に入るんでしょ?」
 と言う雪音の言葉通り、クルマは2号線を離れて一層の山間部に入った。
 「2号線は外れるんだけどね〜」
 瞳に涙を貯め、もう凪沙は悲壮モード。
 すっ………
 本郷インターを何の気無しに通過する舞妓。
 「へ?」
 高速道に入らないでクルマが幹線道を先に急ぐ。
 河内
 福富
 大和
 見慣れない道路方向板の地名に、雪音にもクルマが明らかに広島から逸れてきているのが解ってきた。
 周りはどこの山奥かと思わせるのどかな田園風景が拡がる。
 いや、のどかを通り越して寂しい。歩いてはとてもじゃないがやり過ごせないところに来てる。
 その中を明らかに制限速度を超過して疾走し、黄色い稲妻と化している。
 まさにWRCを疾走するラリーカーとなっていた。
 「あ…の…舞妓さん?」
 「はい?」
 「広島に………行くんだよね」
 「行きますよ」
 「どう見ても山陰に向かってるのは気のせい…かな?」
 「大丈夫よ。カーナビもちゃんと西に向かってるでしょ」
 確かにコンソールに表示している地図はクルマが西に向かってることを示す。
 「あまりにも山に入りすぎてるような」
 ボンヤリしてきた雪音。と言うのもおなかが空いたままだったからだ。
 しかし、ソレが雪音と凪沙の明暗を皮肉にも分けるのであった。
 キュ〜っと絞られた道路はまもなく茂みに包まれて道路の先が200メートルも見えなくなった。
 峠道である。
 「きたぁ〜」
 もう表情無いまま涙が溢れる凪沙。
 雪音はこれからの悪夢をはかりかねた。
 きぃ〜!
 きゅ〜!
 ヴィヴィヴィヴィヴィ!
 フォフォフォフォフォフォン!
 クルマの音として聞いたことのない音までが響いたが、二人はそれどころではなかった。
 シートベルトがなかったら二人は車内を前後左右上下に転がりまくっていただろう。
 屈曲の激しい道路を50キロを切らずに走る舞妓のクルマ。
 しかも4輪駆動でクルマが道路に吸い付くように走ってるので左右に曲がるモーメントがモロに車内を揺さぶる。
 冷静なのは舞妓一人だった。
 しかも恐ろしいことに、
 こくっ………かくっ
 彼女の左手で御せられたミッションはこのクルマのスピードに似つかわしくないことに凄くゆっくりと動かしてる。
 クラッチを切って次のギアに繋ぐまで3秒近く間が空いてる。
 足の方はせわしなく動いてるのだが、腰から上の動きは幹線道でも時速40キロしか出さない高齢ドライバーのようにゆったりしている。
 実際、さっきから2速と3速しか入っていない。
 だからエンジン音はけたたましい。時折ギアの軋む音まで聞こえる。
 雪音と凪沙は殆ど不規則に揺れるアレジとゴクミの「シルブプレ人形」状態。
 むろんクルマに身をゆだねるのがやっと。
 線と化した瞳の幅からこぼれる滝の涙も飛沫に散る。
 峠が過ぎてクルマは下り坂。
 しかしエンジン音が高鳴っただけでスピードは変わらない。
 擦れ違うのも難儀な道路だが、ソレで時折対向車が来ようモノなら大変だった。
 かくん!
 ヴィ〜ン!!
 シートが裏返るんじゃ無かろうかなエンジンブレーキで二人は勢いよくお辞儀。
 ぎゅ!
 と、道路が膨らんだ所でぴったり路肩キツキツで停まる。
 微笑の会釈で対向車に合図を送ってすれ違いが終わると舞妓は「ごはんがススム君」の顔が裏返るようにクールな顔になってエンジンを吹かしてその回転が落ち込むのを見計らい、
 こくっ
 ゆっくりギアを入れる。
 ぎゅあ〜!
 また疾走するセダン。
 その舞妓の表情が軽く歪んだ。
 「ちぃっ!」
 またエンジンブレーキ。
 ひっくり返った勢いで前を仰いだ雪音と凪沙は表情が無くなった。
 青筋が顔一面を覆う。
 『しえぇぇぇえぇ!ダンプカーだぁ〜〜〜』
 今度の対向車はダンプカー。避ける隙はない。
 フルブレーキで停まった舞妓のセダンはその勢いでバックを始めた。
 『オイオイオイ…後方確認は大丈夫なの?』
 ツッコみたい雪音だったがもう言葉を発せられる状態ではなかった。
 ぐるっ!
 ソバの畦道に迷い無くバックのクルマを差し込む舞妓。
 ダンプカーが登板して行きこの危機は避けられた。
 発進しようとした舞妓だが、
 ぐらっ!
 思い切りクルマが傾く。
 外から見れば一目瞭然だが、軽トラがギリギリ停められる余地に無理繰り3ナンバーのセダンを差し込んだので脱輪しかけてる。
 『うわ……』
 雪音はツッコむ言葉を見失っていた。
 しかし舞妓は相変わらず、冷静にミッションを前進につなげる。
 ヴィヴィヴィヴィ……ぐぐ………グオォン
 荒々しくも実にゆっくりと畦道から脱出する舞妓。
 峠道が終わってやっと賀茂台地におりた舞妓のクルマだが、ドライバーと幽霊二人のような状態になっていた。
 「げぇ〜〜〜」
 コンビニに寄った舞妓だが、一目散に凪沙は反芻運動。
 雪音は朦朧だが凪沙ほど激しい拒否反応は起きなかった。
 それに舞妓は何事もなかったように、
 「ホットドッグ。雪音ちゃんのも買ってきたよ」
 と、コーヒーと一緒に手渡す。
 「はい………」
 とはいうものの、受け取るのがやっと。完全に酔っている。
 「………のちほど」
 この修羅場はもう一度続くのだが、時間がないので先に急ごう(苦


5.作戦会議

 広島市中区、「エネルギアビルディング」。
 此処の駐車場に舞妓のセダンが滑り込んだ。
 運転席のドアが開かれ、右側からは颯爽と舞妓が降りる。
 「バムッ」と舞妓がドアを閉めると、左側からは前後から二人雪崩落ちた。
 「あら」
 『沈没している』二人を舞妓は両肩に抱え上げた。
 「「あら、じゃないですよ〜〜」」
 二人が口を利けたなら異口同音にこう言ったであろう。
 ビルの一角にある部屋にはこう書かれていた。
 『安藝急行株式会社 特別広報啓蒙係詰所』
 そしてそこの鍵を開けて中に入ると、つい立で囲った部屋があり、すぐ脇にこう立て看板。
 『関西情報サイト 三都物語』
 ………の上に、
 『工事中』の張り紙。
 舞妓は二人を引っ張ってそこに入った。
 畳の上でノビた凪沙と雪音。殆ど再起不能である。
 そうしてると部屋に二人の女性が入ってきた。
 「あ〜来てる来てる。電気ついてる」
 「暫く静かにしてなさい。どうせ舞妓さんに連れられた凪沙ちゃんがノビてて1時間は身動きできないんだから」
 「そうでしたね」
 その声を受けて舞妓は大部屋の方に顔を出した。
 そこには制服姿の長身な女性と小柄な女性が居た。
 「あ、こんにちは。岩崎さん、ケイちゃん」
 舞妓が声を掛けると『岩崎』と呼ばれた女性が、
 「マァ〜たブッ跳ばしたんでしょ? いい加減凪沙ちゃん車に乗れなくなるよ〜」
 と、舞妓の頭を手荒くなでる。
 一方、小部屋を覗いた『ケイちゃん』と呼ばれた女性が、
 「あら〜お客さんも。桃香さん犠牲者増えてるよ〜」
 と岩崎に言った。
 二人は此処広島の私鉄である「安藝急行株式会社」の乗務員。
 イヤ、正確には五嶋 蛍(ごとう けい)は車掌助手、岩崎桃香(いわさき ももか)は案内員である。
 二人が正気に戻ったのは、桃香が言ったとおり小一時間後であった。


 雪音の来訪に、舞妓に加えて二人が会話に入った。
 「話は聞いたよン。ヒドい事されたね〜」
 「あたしも協力するよ」
 桃香とケイが口々に言う。
 「ありがとう………」
 まだ疲れで元気がない雪音。とにかく二人の助力も仰ぐことになる。
 まずは作戦会議になった。
 仕切るのは年長の桃香。
 米軍基地指令を祖父に持つ彼女は、こういう手際が最初から仕上がってるようだ。
 「まず要点は二つ。特産品をあと3つ以上仕込み、彼女のお姉さんの捜索、彼女に引き合わせるのが最終目的になるわ」
 「問題は後者ですね」
 「そうそう、雪音ちゃん、お姉さんが何処に行ったのかそれらしいことは言わなかったの?」
 三人の答弁にしかし雪音は答えを持ち合わせてなかった。
 「岩国と宮島って漠然とは聞いたんだけ、どこかまでは………」
 「ふっふっふ。ボクの出番が来たようですね」
 不意と雪音のディバッグがしゃべった。
 いや、雪音以外の人間には少なくともそう聞こえた。
 寄りかかるふうで雪音はディバッグに肘一発。くーを黙らせた後でこう言い繕う。
 「あ〜らイヤだ、ケータイの電気が入ってたみたい」
 と誤魔化すが、傍で凪沙が、
 「あら〜、ぬいぐるみが入ってるんだ。間が抜けててカワイイやン〜」
 と、ぐったりしていたくーを腕から引き揚げていた。
 「喋るぬいぐるみなんだ〜」
 何故か違和感無く受け止める舞妓だが、藝急の面々はそうではなかった。
 『喋るって……………如何にも話を聞いてたふうな言葉だったわよ』
 『この人らって、何が起こっても動じないのよね』
 青筋引いたまま凍っている雪音はどっちに併せて話を振ろうか悩んだ。


 「そうなの。この度プラエセンス社が開発したブロードバンドインフォディレクターの試作品なんだ。大阪からオペレーターがこういうぬいぐるみを介して情報のやりとりを行うんだよ」
 言った口が引きつるほど、雪音は我ながら苦しい言い訳だと後悔した。
 しかしくーに考えがあるのならそれに乗らない手はないようにも感じた。
 それに今は使えるモノはネコの手でもしばけという状態でもある。
 ただ、
 「どんなに手荒く使っても大丈夫なようにウレタンの緩衝材入りでGショック仕様! 10気圧防水、ホレこのとほ〜ぉり(CV 財津一郎)」
 と言うや、くーの手を掴んで机に2度ほどしたたかにバンバン打ち付けて強引に万歳。
 その背後でドスの利いた小声でくーに釘を挿す。
 「いらん事言わずにみんなの質問に答えるのよ」
 ガクガクブルブル
 くーはその仕業に硬直した。
 それを見た一同は瞠目するほか無かったが、とにかく先に話を進めねばならない。
 「で? ディレクターさんは行き先は解るわけ?」
 ケイが訊ねると、くーはいかにも機械が受理したような間をおいてこう喋りだした。
 「とにかく岩国に行かないと検索が出来ません。そちらに向かったのは確実なようです」
 格好のイイ事を言っているが、要は乙音の持ち物にセンサーを仕込んだなど此処で言う訳にはいかない。
 とにかく岩国に行ってそこで検索を掛けるフリをした方が得策だとくーは判断した。
 「岩国だったらバイクで40分も有ればいいかな」
 ケイがライディンググラブをはめて既に用意をしていた。
 「無理でしょ? さっきまで舞妓さんの車にシェイクされまくって、今度はこの寒いのにバイクで?」
 ソレを桃香が引き留める。
 「あ…そか」
 「それに特産よ」
 「マァ、すぐに揃うんだけどね…此処じゃ」
 そう言うや桃香は席を立って部屋を歩き回った。
 すぐに幾つかのモノを手に机に帰ってきた。
 「ほれ」
 机に並べられたモノに雪音は呆然とした。
 「………マジ?」
 そこにはそこいらヘンのスーパーで買ったとしか思えないモノばかりが並べられた。


6.意外でない再会

 机の上では、なぜかすぐに朝食が食べられる状態になっていた。
 まずマーマレードの瓶。ま、多少は中身が残ってる。
 「コレが広島なの?」
 すると桃香は答える。
 「アヲハタブランドのジャムは竹原のミカン園が発祥なのよ。キューピーの創始者が良質の蜜柑を求めて広島に根付いたのがアヲハタよ」
 次は食パン。
 「地元のパン屋なんて特産って言えないような…」
 「食パンはともかく、広島のタカキベーカリーは本場デンマークでも高い評価を受けてる由緒或る製パン業よ。『リトルマーメード』や『アンデルセン』は行ったこと無いかなぁ?」
 「そう言う所って地場でも行ったことがないよ…それにヨーグルトも?」
 「宮島対岸、大野町にあるチチヤスはヨーグルトの市販も、こういうプラカップ詰めの販売も日本初なのよ。東京の方でわりと評判があるのが意外だったわ」
 他にもまた変わったモノが揃ってる。
 「で………軍手?」
 「意外でしょ? ラバー加工の手袋のトップブランドは竹原にあるのよ。アトム手袋っていってて、今は自動販売機での販売に力を入れてるのよ。トラックドライバーに評判を得てるようよ」
 「………こっちは蚊取りマット?」
 「まだソレ使ってるんだけどね〜。フマキラーは日本で初めて電子機蚊取りシート『ベープ』を市販した会社なのよ。その拠点は大野町にあったの」
 「で、コレは冗談かな?」
 雪音がつまみ上げたのは「かっぱえびせん」。
 「ナニをおっしゃい、お好み焼きよりもメジャーでしょ? 珍味スナックのカルビーは元は広島の羊羹屋だったのよ」
 「マジ?」
 「今やポテチの顔役だけどね〜」
 (『かっぱえびせん産みの親』である松尾孝氏は今年10月28日に逝去されたそうです)
 う〜ん………あっと言う間に6点。課題は思い切りクリアーしている。
 しかしさすがに瓶やパンを持ち歩くのは………。
 みんな顔に出してソレを指摘。しかし持ち歩ける手袋やベープで数的にはクリア。
 「うぉ〜い」
 そうこう悩んでいるところに、男が入ってきた。
 一同がその男を見るが、雪音が振り向くと彼女と男は瞠目した。
 「あーーーーーっ!」
 雪音には見覚えがあった。
 朝別れたばかりの、河岸の男だった。
 「あの時のおじさん」
 「あんたァ此処に来とったンかぁ」
 「この人に拾われて」
 「………」
 男は雪音の指さす舞妓にジト目。
 「………よく生きとったのう」
 「何デスかぁ………」
 舞妓が不貞腐れた。
 後ろに少女が居た。ケイと同じぐらいの年代の女性だ。
 「岩下さんも間抜けナンよ〜。財布忘れたって………」
 そう言うや流しに言ってお茶を飲み始めた。
 桃香がそれを聞いて、
 「ど〜やって尾道に行ったんだか」
 と呆れるが、男が照れ不貞でこう返す。
 「オレンジカードが切れとったんじゃ。帰るのがないけェヒッチハイクを…と思うたらこいつが広島に行きよぉったけぇ」
 「舞妓さんやのぉて良かった〜って言ってた」
 チクリの女性だが、舞妓は呆れてこういった。
 「マトモに助手席に座れるのは岩下さんだけやもんな〜。府子(あつこ)がもっと早起きすりゃエエぇねン」
 自己紹介で男は岩下 清(いわした きよし)で安藝急行軌道電車の運転士、女性は桜咲府子(おーさか あつこ)で大阪の女子大生。舞妓のサイトサークルの主宰である。
 「それにしても今から朝食かい?」
 机の上を見て岩下と呼ばれた男は呆れた。
 「だってあり合わせで広島特産ってコンナ感じじゃない?」
 ソレを受けて岩下、
 「持っていくことを考えた方がエエじゃろ。それに罰ゲーム相手に一発ブチ喰らわしたらにゃあナランじゃろ」
 と言うや奥に入っていった。
 少しして、
 スパコーン!! ボンボンボン!
 白い物体が一同の上を跳梁した。
 「岩下さん!部屋の中でスパイクは厳禁です!」
 と舞妓にたしなめられ、 
 「ぐへ?」
 最後にくーに当たって机の上にとまったモノは………
 バレーボール?
 先程から?マークが消えない雪音に岩下が答える。
 「モルテンブランドは広島産じゃ。ワシはマツダに次ぐ広島のワールドメジャーじゃと思うとる」
 「よく岩下さん言ってたもんね、『あそこの社長宅に何年か新聞配ったことがある』って」
 「名セッターの猫田選手のユニフォームなんかあればエエンじゃがのう」
 もう一回奥に入って岩下がこういうモノも持ち出した。
 「こぉ言うのも有るぞ。打撃力は抜群じゃ」
 と、こらえた声で持ち出したのはナント金庫。
 ギリギリ持ち運べる立派な耐火金庫だ。
 「わ〜! そんなンスパイクしたら手が砕けます!」
 「ヤレヤレ〜! 砕いてまエ〜!」
 呆れる桃香と焚き付ける舞妓。
 「するかイ! クマヒラの金庫も今使ってないけぇ、使い道ありゃあ持ってけ」


7.岩国の乱

 国道2号線を赤いYRVが西に進む。栄橋を渡ってクルマは山口県へ。
 サンタクロースの様に荷物満載の荷室。そして車内には府子と雪音が乗っていた。
 「全くあの人たちゃ妙にノリがエエんやから」
 ちょっと渋々モード。
 「本当にゴメンね」
 雪音は申し訳なさそうに言った。
 「あァええのやエエのや。サイトのネタになればこっちも儲けモンやし、岩国はまんざら知らん街やナイきに」
 だいたい何故、事の顛末が一番呑み込めていない府子がお伴だったのか。
 「じゃ…ってワシは今日車で来てないけぇのう」
 「舞妓さんの車借りたら?」
 「ナニ言よぉるン! アノ車は運転できるシロモンじゃないぞ?」
 「シロモンはひどいなァ」
 「あんたの車はメタルクラッチ(※)積ンどるじゃん。ヘタ打ったらミッション壊すワイ」
 「そうなの?」
 「………メタルクラッチは確かに入れたけど、そんな難しくない…」
 「難しいって! アンタだって車軸とエンジンの回転数合わせてつないどるシロモンじゃん」
 「え〜、そんなことまで頭に入れて運転してるんだ…舞妓やん」
 「イヤぁ、それほどでも………(CV 野原しんのすけ)」
 そう言えば雪音を載せたときもシフトは慎重だった。
 「おケイのバイクじゃ風邪ひきさんは必至だし………府子ちゃん、頼まれてくれる?」
 と、こんな訳である。
 (※ 競技用のクラッチ。一般の石綿を使ったクラッチ板ではなく、ブレーキパッドのような堅い接触子を使ったクラッチ板。殆ど半クラッチが効かないなど、取り扱いには注意が必要だが伝達ロスは激減する。筆者もコレに換装して変速機全損にしたお客に遭遇しました)


 岩国駅前をやり過ごすとそれでも、
 「広島から車に乗って麻里布(まりふ)に着〜いた〜此処は隣町〜♪」
 と、前川清の替え歌を歌ってる府子。
 「なんですか、ソレ?」
 意味不明の歌に府子は答える。
 「元々岩国は錦帯橋のある辺りが本拠だったんやけど、港のある麻里布町に山陽本線が出来るとそこに駅が出来て岩国市の中心地になった訳」
 木造の白壁に赤いスレート屋根の瀟洒な駅をやり過ごすYRV。岩徳線の西岩国駅だ。
 「だいたい此処が本当は岩国駅だったんよ。今はローカル線やけど、ホームは長いのがまだアルんよ」
 錦帯橋が間近になると、ザックの中に居座っていたくーがイキナリ案内を始めた。
 「旅籠きっかわ館にいるようです。錦川を少し遡って下さい」
 急な話で驚く府子だが、
 「簡易カーナビ。お気になさらず」
 と強引に流す。
 ソレはソレで、
 「………にしてもきっかわ館てけっこうエェ旅館やン。ウチも一度泊まってみたいねン」
 「そうなんですか?」
 二人の問答にくーが割り入る。
 「私の記憶が確かなら、きっかわ館は前菜の押し寿司・岩国寿司と、夏は鮎料理、冬は鶏と山菜野菜の「おおひら」鍋がが売りの落ち着いた風情ある旅館ですね」
 観秋モードが耳につきながらも雪音は、
 「とりあえず私も食べられるはずだったんだから、遠慮なく闖入するわ」
 と、もう思考回路が山賊状態。
 一方トラブルが苦手な府子はちょっと遠慮がち。
 「マァ、なにかあったら戻りない。ムチャは駄目よ」
 そうこう言ってるとクルマは木造建物の「旅籠きっかわ館」に着いた。
 YRVを降りるや否や雪音は帳場に突進、
 「たのもー!」
 と言うや、引き留める仲居やフロントを引きずって奥に入った。
 「………ムチャクチャやン」
 ソレを見送った府子はタダタダ瞠目するほか無かった。


 「姉ぇ上ぇ〜!」
 般若の形相で客間に闖入した雪音に、乙音と楳田は岩国寿司を口にしたまま固まった。
 寸秒間をおく間にも、雪音は二人の間の座卓に突進していた。
 浴衣姿の乙音がおだやかに表情に戻して、
 「アラ、大丈夫だったかどうか丁度心配してたのよ〜。こっち来て一緒に………」
 と言うが、その声は
 ボフっ!
 煙幕に遮られた。
 イキナリ部屋は真っ白に。
 「ささ。姫、こちらに」
 「隠遁とは卑怯なり姉上!」
 「ちょっとお客様!」
 「あら〜」
 けたたましい足音と怒号が輻輳する煙の中、何が起こったかは定かではない。
 煙が晴れてそこに残ったのは仲居3人とフロントマンだけだった。


 一方、国道2号線に戻るYRV。
 Go!Go!Go!Go!Go!Go!(CV 郷ひろみ)と言ってたかは定かではないが、かなりアワ喰って装束交差点を北に曲がった。
 「姉上には謀られましたが、戦利品を」
 と、助手席の雪音の膝には岩国寿司の角蒸籠がちゃっかりと載っていた。
 「………」
 もはや返事を見失った府子だった。
 この晩、屋形船が錦川を遡上していたことを知るモノは少ない。


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