枯れ葉が一枚、冷たく乾いた風に舞い、3Fにある窓ガラスに張り付いた。こげ茶色の、からからに乾いた葉だ。きっと握ると粉となって跡形もその姿を残さないだろう。
「桜の…葉?」
青年はそれを、ぼぅっとした瞳で見つめる。
外の寒さとは裏腹に、彼の居る鉄筋コンクリートの校舎中は暖房によって快適な温度に保たれている。壁一枚挟んでその温度差、湿度とも歴然とした差があった。
それ故にだ,閉じられた空間は外部との交わりがなく、僅かに二酸化炭素の濃度が増していた。それは結果的に,人それぞれの精神力に寄与するところ大だが,脳の活性を著しく低下させる。
すなわち、眠気、である。
ましてや食事を取った、昼休みもあと数分で終わりといったこの時間,じっと椅子に腰掛けたままの彼に眠気が襲わないはずもない。
そんな彼のぼんやりとした視線は枯れ葉からその先の裏山,てっぺんにそびえる桜の木に向う。
「?」眠気に細くなっていた彼の瞳が、桜の木に止まると同時にぱっちりと開かれた。
その意図するところは…驚き、困惑。
桜の木を見上げる様にして数人の男達の姿が見えたのだ。
彼等は作業着姿もあれば、スーツ姿もある。白衣姿の中年もいた。
やがて何を言い合っているのかは分からないが、複数の男達は納得したかのように裏山の向こう側に向って姿を消して行く。
“何や、一体…何かあったんか?”
彼,水原 誠は、その桜の木を見つめてその女性を想う。
初めて出会ったのは桜と血の舞う春の日。あの桜の木の下だ。
アメジストの瞳に優しさと心強さを抱いた、桜色の女性。
記憶を無くした,それでいて彼が懐かしく感じる、透明すぎる心の持ち主。
彼女の名はイフリータと言った。
彼女が誠の家に腰を下ろして、半年以上が過ぎた。その間に彼女の正体がはっきりする。
イフリータは、かつて心残りを残してこの地に散った故人・柾木 遙の心を受け継いだ桜の精であること。
そしてそれは彼女が人間ではないことを表わしている。
だが誠は驚きこそはしたが、それだけだ。
イフリータはイフリータである。それ以上でもなければそれ以下でもない。
いや、それだけで十分だった。何が分かったところでこれからのイフリータに変わりはないと思っていたから。
しかしこの世に変わらないものなど、存在しない。
この時の誠の知る情報では、どうにもならなかったに違いない。いや、全て知っていたとしてもどうにもならなかったはずだ。それを考えるならば、何も知らずに僅かでも彼女との時を多く刻むことが望ましい。
それこそが、彼女の願いだったのだから…
き〜んこ〜んか〜んこ〜ん♪
「! さて、授業や」
誠ははっと我に返り、午後の授業の準備を始めた。
窓に張りついていた枯れ葉は、風で落ちたのかすでに誠の視界の中から消え去っていた。
2人の女性が、そこにはいた。
昼休みも終わらんとしている、そんな時間。
その内の一人,カニ頭な彼女は難しい顔で机の上を眺める。
机の上には3つの書類が置かれていた。
一つは封筒。面には『東雲大学 合格通知書 鷲羽 涼子殿』というスタンプが押されている。封筒は未開封。
もう一つは赤と白のポストカード。
『12/24に水原邸にてクリスマスパーティーを開きます。遊びにきて下さい。 陣内 菜々美』と少し丸みの帯びた文字がボールペンで書かれていた。こちらの返事は既に出してある。
そして最後。
エア・メールで届けられたA4サイズの封筒だ。差出人は「死の天使」,宛先は「赤き巫女」。
彼女・鷲羽 涼子が難しい顔をしているのはこの封筒の中身を眺めて、である。
「大体察しはついてたけど、困ったものさね」
小学生にしか見えない童顔を曇らせて、彼女は一人苦笑。
彼女の手にする書類には、とある桜の精に関して「神官」という非科学的な立場からの見解が述べられていた。
その意見を取り入れつつ、鷲羽が科学的見地から状況を把握する。
「イフリータの出現は…もしかしたら私の嫌いな運命って奴かもしれないね」
眉をしかめつつも、諦めたような彼女。
「宜しければ、お聞かせ願えませんか?」
水面に波一つ立てないおだやかさを以って、前に座る女性は尋ねる。
深い深い水の底,そう思わせる瞳に鷲羽の頭を掻く姿が映った。
「良いわよ。アナタだから話してあげるわ」小さく溜め息を吐いて、若き科学者は呟き始めた。
アフラの意見を基にした、鷲羽の見解はこうである。
イフリータは、ある触媒を通して2つのソウルが擬似的に1つとなった結果の意識だ。
2つのソウル,1つは恋人を待ち続けた故人・柾木 遙。もう1つは人の心を理解しようとした桜の精。
2つが溶け合い、生れたのがイフリータ。彼女は心を暖めながら、やはり故人・西野 啓一を待ち続けた。
その長い時間の中で彼女はここを良く遊び場にしていた、幼い水原 誠を知るようになる。
彼に亡き西野 啓一の面影を思い浮かべながら、イフリータは彼を見守り続けた。ある時は森の力を用いて転ぶのを受け止めたり、つい寝込んでしまった彼に木陰を与えたりと。
そんな長い時間は柾木 遙の記憶を霞の如く消しつつ、イフリータとしての自我が芽生え始めた。
やがてイフリータは次第に誠に心を惹かれるようになっていった。根底に遙の記憶もあったのも一因であろう,彼の傍にいたいと思うようになってゆく。
そんな時、鷲羽の発明品『リモコン君Ver.3.02』が暗殺者カーリアによって桜の木の前で破壊,暴走する。
発明品の力は誠の背後にあった桜の木に及び、イフリータが姿を現すことに相成った。
「だけどね,私のあんな未完成な発明品なんかでイフリータほどの質量をこんなにも長い時間、具現化させることは不可能なのよ」
吐き捨てるように呟いた鷲羽には、僅かな後悔の色が見えたような気がする。
「あくまで機械の暴走はきっかけに過ぎない。あの子が『存在』を続けるのにはそれこそ莫大なエネルギーが必要よ」
「そんなエネルギーは何処から来るのでしょう?」
「…アナタも知ってるでしょう? 蝋燭は消える寸前が一番明るいのよ」
「?!」彼女は小さく息を呑む。
鷲羽は立ち上がり、窓に歩む。外は乾いた風がグラウンドの砂埃を巻き上げて吹いている。
「イフリータはそのことにはとっくに気付いている。そして…そろそろ自分が『存在』することで何をしたいのか,気付く頃よ。それは柾木 遙や人の心を知らなかった桜の精の為でもない,イフリータ自身が望んでいることをね」
「それって…何なんでしょうか?」静かに、彼女は問う。
若き科学者はそんな彼女に小さく笑う。
「私に分かる訳ないでしょう? でも案外、とっても些細でいて、できるようでできない,夢みたいな願望なのかもしれないわね。アナタにだってあるでしょう? クァウール」
問われ、クァウールは瞬考。
そして、
「そうですね,叶ったら、もぅ私自身消えてしまっても良いって思ってしまうような夢。ありますわ」
乙女の瞳でクァウールは応えた。
「でも、それが叶ったら次の夢が生れると思います。その夢をステップにした、もっと素敵な夢を…」
「そうだよ、それが人間なのさ」
窓に反射する鷲羽の表情は、その童顔にもかかわらず、しかしクァウールなどよりも遥かに年上に,魅惑的に映っていた。
窓の外を吹く風にはやがて、白いものが混ざり始める。
肌を強く突き刺す冷気という槍を構えた白い妖精は、これから始まる己の舞台を祝うかのように空を舞い踊り始めていた。
真冬に咲く桜
君は満足なのか? 僕は納得できない…
納得したと思い込めるんです,でもいつかは気付いちゃう
男の子だろ! しっかりなさい!
さようなら
奴にはこんな所で立ち止まってもらっては困るのでな
勝てない勝負はしないのよ
ありがとう
区画整備問題は決着の方向へと向かい、今年中に着工に入るとの意見合意で成立。
東雲博物館は来年4月にはオープンする事となります、楽しみですね。
では次のニュース…
30 笑えない祭への序章 了