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 その日は朝から雪が舞っていた。

 「こりゃホワイト・クリスマスやなぁ」

 「そうだな」

 二人の男女が、窓から外を眺めていた。庭の梅の木の枝には白く積もり始めている。

 「今日だな、そのクリスマスパーティーとかいうのは?」

 「ああ、そうや。そろそろ菜々美ちゃんとクァウールさんが準備を手伝いにに来る頃やと…」

 ピンポーン

 「ほら、来た」誠はインターホンの音に微笑む。

 「ほな、イフリータも手伝い頼むで」

 「ああ」玄関に駆けて行く彼に、イフリータは微笑み…

 不意に胸を押さえた。顔を苦痛に歪ませ、窓に額を当てる。

 彼女の息が窓に当たり、白く曇って行く。

 「…せめて」イフリータは苦しそうに小さく、誰ともなく祈った。

 「せめて今日一日…もってくれないか? 木々よ、私にあと少しだけ力を貸して…」彼女の唇の端から、青い血がツゥと洩れる。

 玄関から賑やかな声がやってきていた。




 赤と白の衣装に彼は身を包んでいた。

 「めぇりーくっりすますぅぅ!!」

 ダンゴ鼻にでっぷりと太った腹,そして分厚い眼鏡をかけた彼は尼崎。

 そんな彼の掛け声で、パーティは始まった。

 というよりすでに始まっていたが。

 「水原、これ開けてみ!」

 「鷲羽先輩、また爆発するんじゃ?」手招かれ、彼はイフリータを伴って狂った科学者の手渡す箱をしげしげと見つめた。

 不意にその箱が横から奪い取られる!

 「あ!」

 「へへん、誠ぉ,コイツは俺が頂いた!」サンタ姿の尼崎だ。

 「こ、こら!」鷲羽の静止は遅く、彼は箱を開け、

 ボン!

 「「わぁ!」」

 白煙が立ち上り、尼崎の頭を包み込んだ。やがて煙は消え、後には、

 「髭が…」

 「白いぞ」

 「長いな」

 サンタの白く長い髭を生やした尼崎がいた。

 「鷲羽先輩、アレを僕に仕掛けるつもりやったんですか?」

 「ま〜、完璧なサンタも一人出来上がった事だし、終わり良ければ全て良し!」

 「…誠の髭…見てみたい」イフリータのボソリと呟いた。

 「え?」

 「捕まえろ!」鷲羽の水を得た魚のような号令!

 「「了解!」」尼崎、いつの間に来ていたのか陣内が誠を取り押さえに掛かる!

 「や、やめ〜!」誠の悲痛な叫びは、パーティーの笑い声の中に消えた。




 「こころちゃん,その包みは何?」

 「あ、菜々美ちゃん」

 誠達の漫才を眺めていた小坂は、そう声を掛けてくる菜々美に振りかえる。

 彼女は手にした小さな包みを慌てて懐に隠した。

 「な、何でもないよ!」

 「何も隠す事ないじゃない」笑って菜々美。

 「誰かへのクリスマスプレゼント?」

 「…ヒミツだよ」小坂は微笑んでちょっと舌を出した。

 直接手渡す事はきっと出来ないだろう。帰り際にここに置いていくつもりだった。

 「このケーキは菜々美ちゃんが作ったの?」

 「え? う、うん!」

 話を変えた小坂は、自分の皿に盛ったケーキを一口,菜々美に尋ねる。

 「すごく美味しい。今度作り方教えて?」

 「ええ、良いわよ。でもこれ、クァウールさんのヒミツの調味料が効いてるんだ」

 「え? どんなの使ったの?」

 二人はしばしの料理談議に花を咲かせた。




 髭が伸びた誠に、それをからかう尼崎、陣内を眺めながらクァウールは隣の年配者に呟いた。

 「納得したと思い込めるんです,でもいつかは気付いちゃう」ジュースを一口、彼女は苦笑いのようなものを浮かべる。

 同じく誠と、それを見て笑うイフリータを眺めていた鷲羽は彼女にケーキを運ぶ手を止めて応えた。

 「理想と現実。思い込みはその二つの間にある壁みたいなもんだ。現実を理想と思い込む為のね」

 「思い込んだまま、気付かなければ幸せかもしれませんね」

 「結局、理想ってのはそういうものなんじゃないか?」

 「違いありません」二人は顔を合わせることなく微笑む。

 イフリータが誠の髭を引っ張っている。どことなくストレルバウのそれを思わせる誠の髭はほとんど付け髭の様に見えた。

 「でもきっと気付くはずです。いえ、もぅそんな事には気付いているでしょうね」

 「イフリータも子供じゃないんだ。いえ、むしろ私達よりも年上さ」

 再びケーキを頬張りながら鷲羽。

 「なるようになるさね。誠の奴はきっと納得しないよ、でも…幾ら頑張っても無理な事がある、それを知っている奴は強くなるよ」鷲羽は弟を見るような、穏やかな目で髭を剃る彼を見つめていた。

 「そんなことよりもさ!」と、鷲羽はクァウールに振り返る。

 そこにはからかいの色一色に染まっていた。

 「アンタ、脇役に徹してるけどさ。そんなんじゃ、誠は振り向いてくれないよ」

 意地悪く言う鷲羽に、だがクァウールは澄ました顔で答えた。

 「今はまだ、私に彼が振り向いてくれるほどの余裕はないと思いますもの」

 クァウールは外見のぼぅっとした雰囲気を蓑に、虎視眈々と自分の出るべき機会を窺っている。鷲羽は誠の行く末にある女難に、多少の同情をした。

 「現実的ですこと」呆れて鷲羽。

 「夢を忘れなければ、良いんですよ」クァウールは胸に手を当てる。

 そこには幼い字で書かれた古い手紙が入っている。その存在を知っているのは、この世には二人だけだ。

 「私は夢は、必ず実現するんです」ニッコリと笑って、クァウールは鷲羽に微笑んだ。




 「三番、尼崎 仁! 歌うは『僕はもっとパイオニア』!!」

 鷲羽持参のカラオケセットで盛りあがるリビングルーム。

 そこから離れ扉で仕切られた玄関との間の廊下で、二人はいた。

 「何? 話って?」

 菜々美は訝しげに目の前の女性に尋ねた。

 イフリータである。

 「菜々美は誠が好きか?」

 「へ?」いきなりストレートに言葉を叩き込まれ、菜々美はうろたえる。

 「い、いきなり何よ!」

 「答えてくれ」いつも表情に乏しいイフリータの中に、今回は真剣なものを感じ取り菜々美は小さく頷いた。

 「好きに、決まってるでしょう?」

 「そうか」イフリータに安堵と嬉しさの表情が広がった。菜々美は訳が分からなくなる。

 「誠はどうも、昔っから疎い所がある。菜々美ならきっとあいつをうまく導いてやれるよ。だから…」

 「ちょ、何言ってるのよ、イフリータ!」まるで後を任せるような事を言われ、菜々美は困惑。そして扉の向こうに見える、尼崎とデュエットを始めた誠を眺めつつ、逆に問う。

 「イフリータ、何があったのよ?」

 「私は…そろそろ消える」寂しげに笑って彼女。

 「消える?」

 「ああ、消えてなくなる,跡形もなく、空間に沸いた泡のごとく、な」

 菜々美は訳が分からなかった。確かにイフリータが現れたのは突然だったが、同じように突然消えるというのは納得できないことだった。

 「ええと…残念だけど、私にはアナタが何言ってるのか、さっぱり分からないわ」

 「そうか」にべもない。

 「要するに簡単に言うと、アナタはまこっちゃんの前から姿を消す、そういうこと?」

 イフリータは苦笑して頷く。

 菜々美は困った様に頭を掻き、本当に困った顔で尋ねた。

 「………アナタ,まこっちゃんが好きなんでしょう?」イフリータは頷く。

 「じゃ、なんで?」

 「仕方ないだろう?」あっさりとイフリータ。

 「仕方ないって…アナタ、それで納得するの?!」

 「………」無言。イフリータの表情からははっきりしたものが読み取れなかった。

 色々な感情が、そこにはある。諦めと、悔しさ,納得と悲しみ。

 菜々美はそんなイフリータを見つめた後、諦めた様に肩の力を落とした。

 が、しかし、菜々美はエネルギーを再充填するかのように拳を握り締めると、キッとイフリータを睨みつける!

 「アナタが居なくなるっていうのは…私が納得できないわ!」

 「??」困惑のイフリータ。

 「何もかも、中途半端じゃないの! まこっちゃんが好きなんでしょう? それを言わないで消えるつもり? アナタはアナタ自身に納得してるの? まこっちゃんはアナタの気持ちをきっと知らないわ。だって筋金入りのニブさだから…」

 「そうだな」苦笑いのイフリータ。

 「そういうことを曖昧にして『消える』とか言わないでよ! 後腐れに腐れて、私まで腐っちゃうでしょ!」

 「…だが」イフリータの言葉を、菜々美は遮る。

 「悔しいけど…きっとまこっちゃんはアナタが好きなんじゃないかって思う。でもね、言葉にして言わないと結局は伝わらないと思うんだ」

 菜々美は知らない。夏の花火の美しい夜に、誠がイフリータに掛けた言葉を。

 そして半分は当たっていた。誠の言葉に、イフリータが明確な返事をしていなかった事を。

 「なら…言わない」その時の記憶を思いだし、はっきりとイフリータは告げる。

 「どうして? 好きだったら、言いなさいよ! 想いを伝えないで消えるつもり?」

 イフリータの瞳を見据える菜々美は、目を離すことなく眼力でイフリータに迫る。

 だが、イフリータはそれを抵抗なく受け止めていた。彼女の口から返事が紡ぎ出される。

 「好きだから、言わない。消える私が誠の心にいつまでも留まるのは…罪だ」

 「自惚れね。まこっちゃんはアナタの思い出だけにすがって生きていく程、弱くない」

 「そうだな、自惚れだな。でも、誠は優しいから…私のこの気持ちを知ったら、辛く思う。それが嫌なんだ。私の事で彼を辛くさせたくない」イフリータは扉の向こうの誠を眺めて寂しそうに呟いた。

 「…バカじゃない?」

 「?」

 「それが、『好き』ってことでしょう? 楽しいだけが『好き』じゃない。辛い事も『好き』って感情の一部なのよ。アナタが想いを伝え様と伝えまいと、まこっちゃんがアナタを好きだったら、その分だけ辛い想いはするのよ」

 「しかし!」イフリータはしかし菜々美の表情を見て口をつぐんだ。

 「そして…アナタは分からないでしょうね,好きなのに、我慢できないくらい好きなのに、そうと伝えられないってコトを。伝えられる立場にあるだけ、アナタは恵まれているのよ」

 「菜々美…」

 「まこっちゃんにしてもそう。アナタと同じ気持ちを持っているかもしれない。それなのに、伝える前にアナタが消えちゃったら…その気持ちは一体どこに行けば良いのかしら?」

 今度は、イフリータは菜々美の視線を受け止める事は出来なかった。

 つぃと視線を扉の向こうに逃がす。誠の姿は見えなかった。

 視線は泳ぎ、再び菜々美の元へと戻る。

 そこには挑戦的に微笑む菜々美の顔があった。

 「でもね、言っておくけど、私はアナタにまこっちゃんは渡さない。正々堂々の勝負で、まこっちゃんを私に振り向かせて見せるんだから!」

 ピッと人差し指をイフリータに向け、菜々美は笑う。

 「そうか」

 イフリータは寂しそうに微笑む。

 ”私が遥であろうとなかろうと,誠、私はお前を好きになっていたよ”

 夏のあの晩、イフリータはそう誠に告げた。そして誠もまたこう答えた。

 ”今の君自身が好きや”

 しかしそれは、家族として、人としての「好き」だ。異性としての「好き」ではない。

 それにイフリータは気づいてしまっていた。

 ”気付く前に、消えてしまえれば良かったな”

 「分かったよ、菜々美。私は残った力で理想を追い続けるとするよ」

 「??」

 そんなイフリータを、菜々美は困惑げに見つめるしかなかった。




 パーティは佳境に入る。

 熱唱する小坂を眺めていた誠は、肩を軽く叩かれた。

 「ん?」

 振り返ると、そこにはイフリータがいた。いつも誠に向ける僅かな微笑み。

 しかし誠は今のイフリータにはそれが仮面である事に気付いた。

 「何かあったんか? イフリータ」肩を掴む。

 「やっぱり、バレるか…」イフリータは溜息一つ。

 「そろそろ、私にも時間が来たみたいだ」

 「え?」イフリータの言葉に、誠の心のどこかで感じていた不安が増大する。

 「クリスマス・プレゼントだっけ? 私も用意してあるんだ」

 青い顔で言葉を続けるイフリータ。

 「イフリータ,調子悪いんか? 顔色が…」

 「もし」イフリータは誠の言葉を聞かず、いや、聞けずに続ける。

 「もし、パーティの後に時間があれば…あの桜の木に来てはくれないかな?」

 「桜の木に? 一体、何が?」

 言うまでもなく、学校の裏山の桜の大木である。

 イフリータはそれには答えず、僅かに微笑み…

 すぅっと消えた。

 「イフ…」

 誠は感触のなくなった己の手を困惑げに眺めていた。

 「皆さん、メリークリスマス!」

 歌い終わった小坂の陽気な声が、マイクを通してリビングルームに響き渡る。




 「水原!」

 「はい?」

 誠は直後、名前を呼ばれて我に返る。

 菜々美やクァウール、尼崎らが後片付けを始める中、彼を呼んだのは鷲羽だった。

 「何をぼ〜っとしてんのさ」

 「イフリータが消えて…」

 そんな彼に、鷲羽は束ねたレポート用紙を押し付けた。

 「何です?」

 「読みな」一言言われ、誠は素直に目を通す。

 死の天使から紅の巫女に宛てられたその手紙の内容に、誠の表情が読み進める毎に変わる。

 やがて…

 「何てことや,どうして気付かへんかったんや!」自分自身に怒り、彼はリビングルームを飛び出して行く。

 コートすら羽織ることなく家を出た誠の背中を鷲羽は表情もなく見送っていた。

 投げ捨てられたレポート用紙の最後はこう〆られている。

 『年老いたこの桜はおそらく数年前からであろう,すでに内部から腐りかけており、遅くともこの冬の内に寿命を迎えると思われる。倒れない事自体、不思議な力が作用しているとしか思えない状況である』




 白い空、雪が降り続ける。

 アスファルトはほんのりと白く染まり、積もる傾向を見せ始めている。

 その白い絨毯の敷かれた道を、彼は息を切らしつつ走り抜けた。

 黒い足跡が点々と残り、そして再びそれは白く埋まって行く。

 やがて彼が辿りつくのは東雲高校、そして同名の大学を突き抜けた、背後に広がった小高い小さな山。

 彼の視線の先は、その山のてっぺんに注がれる。

 焦点が山頂の大木に合った時、彼は息を飲んだ。彼の目の前を、白い雪が舞い落ちる。

 その雪に混じって、仄かに桃色がかった小片が彼の鼻の上に落ちた。

 「そんな…」

 彼は鼻の上のそれを指で摘む。桜の花びらだった。

 雪に混じって、桜の花びらが舞っている。

 視線の先の、桜の大木は白かった。温かみのある白だ。

 そう、

 「満開の…桜…」

 真冬に咲く桜だ。

 誠は驚きに呟きつつも、彼は山の中腹にある神社へと伸びる石段を駆け上がった。




 誠は石段を駆け上る。

 子供の頃からよく登った石段だ。目を瞑っても駆け上る事が出来る。

 そう、ここは誠にとって大切な場所だった。

 何か考え事がある時は、この先の廃れた神社の裏にある獣道を上って、この山の主である桜の木の下で寝そべる。

 ここは昔から落ちつく場所だ。どうしてかは分からないかった。

 敢えて問われたら、そう,ついこの間まではこう答えていただろう。

 ここから見下ろす街の眺めが美しいから。

 学校から近いから。

 静かだから。

 それが全て理由であり、また違ってもいた。

 ”そうや”

 彼は神社の裏手に回りこみ、山頂への短いけもの道を登りきる。

 見慣れた光景が、そこにあった。

 ”そうや!”

 山頂の桜の大木。彼がよく背を預ける、心落ちつく場所。

 誠の白い息が、風にたなびく。

 「ここには君がいたからや。ずっと僕を見守っとったんやな」

 彼女はコクリ、頷いた。

 桜の大木。雪化粧をする街並みを背景に、満開の桜の木がそこにある。

 その根元に、彼女は立っていた。

 「イフリータ」

 古い、誠自身は見たことのない遠い昔を思い出させる、赤い着物姿の彼女が穏やかな顔で立っている。

 あるはずのない記憶の既外視に困惑する誠と、そっと手を差し出す彼女との間に、雪と桜を身に纏った一陣の風が駆け抜けた。



31 Cross Word 了 


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