年の瀬。
誠は呆然としていた。静かな彼の自宅には、彼一人しかいない。
もともと両親が仕事の都合で伴に,この場合は両親赴任と言おうか、をしているので、別に彼にとって静寂は苦痛ではなかった。
そう、思っていた。
「打つ手、なしや」
彼はリビングのソファの上で、力を抜いて体を預ける。
ここ数日、ロクに寝ていなかった。だがそれは苦痛ではない。
それ以上の苦痛が、彼の心を占めているのだから。
一昨日、彼は桜の精を救い出す方法の探求に心の中で終止符を打っていた。
いや、彼女と別れたあの晩、すでに諦めていたのかもしれない。
今の誠は、何をしたら良いのか分からずにただ、眠る事も出来ず、ぼうぅっとしているだけだった。
イフリータと別れたあの時から、彼はあらゆる手を尽くした。
しかし科学がどうこうという枠ではない。未知の分野だ。気力と根性だけではどうにもならなかった。
彼は唯一、科学でない分野を知り得ると思われる『死の天使』を名乗る、鷲羽の手にしていたレポートを作成した人物とも連絡をつけようとした。
だが、誠の思いつく事はすでに鷲羽が行っていた。分かる事は死の天使にしても、レポートに書かれた事だけだった。
「今から植物学を一から始めるにも…やっぱりあの時、指輪を渡したんは失敗やったかなぁ」
唯一、イフリータに関係のあると思われる宝石『イフリータ』の嵌った指輪。あれに何らかの鍵があったかもしれない。
古来から石には何かが宿るとも言われている。
「ごめんな、イフリータ」誠は大きく溜息。ソファに沈んだ。
ガシャン!
「?」
玄関が景気良く開く音に、彼は僅かに顔を上げる。
ドタドタドタ…
足音一つ、聞こえてきた。
「こら! 水原!!」
飛び込んできたのは、鷲羽だった。
「…こんにちは、鷲羽先輩」小さく笑って誠。
鷲羽はそんな誠に、怒りの形相で胸倉を掴んだ!
「菜々美ちゃんから聞いてよもやと思ったけど…なに腑抜けてんのさ!」
「鷲羽先輩…でももぅ僕には手の打ちようが」
パシィ!
目を逸らして呟く彼の頬を、鷲羽が景気よく引っ叩く。
「?!」
「舐めた事言ってんじゃないわよ,最後の最後までもがいて見せな! アンタのイフリータに対する気持ちなんてのは、その程度だったの!」
「…でも」
そんな彼の目の前に、鷲羽は新聞の切り抜きを突き付ける。
今日の三面記事だった。
『本日、区画整備事業に着工。東雲博物館建設は来年4月オープンまでに間に合うと予測され…』
東雲博物館,その立地場所は…
「学校の裏山! イフリータのいる場所…」記事に愕然となる誠。
と、
ベキィ!!
誠は思い切り拳で右頬を殴り付けられ、我に返った。
「わ、鷲羽先輩?!」
目の前には怒りに拳を震わせる鷲羽がいた。
「男の子だろ! しっかりなさい!」
「…」
「行きな,何もしないで分かり切った結果を待つより、最後まであがいて変わるかもしれない結果を見届けた方が納得するだろ!」
誠は彼女の言葉を最後まで聞かずに立ちあがる。
「鷲羽先輩、留守番お願いします!」
はっきりとした口調で、誠は振り返ることなく玄関に駆け出した。
ガシャン!
玄関が締まる音。
「…ったく」鷲羽は穏やかな微笑みを浮かべてソファに身を沈める。
「頑張れよ、私の後輩!」
桜色の小片が、舞い落ちる。
いつまでも、風景と言うものは変わらないと思っていた。
だが変わらないものなんて存在しない。
風の様に一定の形を取らない,だから『風』景というのだろうか?
長く慣れ親しんだその場所は、わずか二日ですでにその面影がなくなっていた。
木々の生えていた山は、すでに半分以上すでに半分以上、茶色の土が見えている。
僕は目の前を次々と通りすぎる大型トラックに茫然としていた。
「そろそろ倒れるぞ」
「おう,気を付けろ」
肝心の場所から聞こえてくるその声に僕は駆け出す!
立ち入り禁止のプレートが付いたロープを潜り抜ける。
「おい、関係者以外は立ち入り禁止だぞ! 君,危ないからはいっちゃいけない!!」
背中からどなり声が投げつけられ、人が追ってくる気配を感じるが、気にする暇などありはしない。
息を切らしながら全力疾走。
視界の先にあるもの、それは…
「それを、それを倒さんとってやぁ!!」
「危ない!」叫ぶと同時に僕は警備員らしき男に羽交い締めにされた。
足を前に出す、が束縛され進まない。
「おい、誰か!」
二人、三人と僕を取り押さえる。
「くそ!」叫ぶ僕の前でそれは傾いた。それ…高台に生えるひときわ大きな一本の桜の木。
僅かに暖かな風に吹かれ、満開の花が一際多く散った。
根元にチェーンソーを引き抜いた工事作業者達が立っている。
彼らは一斉にその場を退いた。
ギギギ…
まるで骨が折れるかのような、嫌な響き。
取り押さえられたこの身では、耳を塞ぐ事も出来ない,いや、塞ぐわけにはいかない。
軋んだ音を立てて、桜の木はゆっくりと、ゆっくりと傾いて行く。その音は、彼女が悲鳴を耐えるかのように聞こえた。
僕は全てを目に焼き付けている。彼女が確かに、ここに居た事を忘れない為に。
「そんな,そんな!!」
「暴れるな!」警備員に取り押さえられ、僕はそれ以上近づけなかった。
目の前で、大木はまさに死のうとしている。
ドスン!
パァ…
重い音とともに、桜色の小片が一面に舞い散った。
「イフリータぁぁ!!」
僕は大声で叫ぶ。頬に暖かいものが伝って顎から地面に落ちた。
僕の脳裏に、優しいアルトの声色が僅かに聞こえた…様な気がした。
”さようなら、誠…お前の思い出に残れただけでも、私は嬉しいよ”
「イフリータ…」
”また、何処かで会えたらいいな…ありがとう”
「そうやな、イフリータ…大切な思い出を、ありがとうな」
確かに聞こえたその声に、僕は穏やかにそう応えていた。
33 去りましょう,貴方から 消えましょう,私から 了
その日は夕焼けが綺麗だった。
遮蔽物のなくなった小高い丘に、二人の男女が立っている。
『立ち入り禁止』、そう、この丘の周辺にはロープが張られているが特に警備員のいない今、彼ら二人の進入を止める者はいないようだ。
二人は丘のてっぺん,桜色の小片が舞い落ちている辺りで倒れた大木を見下ろしていた。
「しっかしお兄ちゃんが意外よね〜」女性の方が冷やかす様に男性に問うた。
それに髪を七三に分けた男は憮然と呟く。
「奴にはこんな所で立ち止まってもらっては困るのでな」
「へぇ?」ニヤリと笑って女性。
「奴は私の世界征服に必要な男だ。それだけだ。しかし菜々美,お前の方がおかしくはないか?」
「?」女性・菜々美は兄の言葉に首を傾げる。
「わざわざ敵に塩を送ることはなかろう?」
「へぇ、これこそ意外ね。お兄ちゃんが色濃い沙汰に気付くなんてさ」
「気付きたくはないがな」苦笑の陣内。珍しい、本当に珍しい表情だった。
菜々美はそんな兄に不敵な笑みを浮かべて応える。
「私はね、お兄ちゃん,勝てない勝負はしないのよ」
彼女は足元にかがみ込み、桜の木の枝を一本,折り取った。
そこには夕焼けの光を反射する、赤い指輪が絡まっている。
「私は約束したんだもの。正々堂々、勝負するってね」
「ふん,正々堂々とは、嫌な響きだな」
兄妹の笑い声が、冬空の下に流れた。
後日、陣内兄妹の行なった内容を聞いた鷲羽は、声を上げて笑いながら己の未熟に破顔したという。
「難しく考えるからいけない。何事もシンプルに、ね♪」
3 Winter 終