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息を殺す。
周囲の音が、妙に大きく耳に届いてくる。
風に揺れる木々のざわめき。
鳥の囀り。
そして…
ザザザッ!
枯死した落ち葉を踏み荒らす音が近づいてくる。それは彼が身を隠す叢のすぐ側で停まった。
「出てこい、ファトラ,私からは逃げられないよ」
誠の耳にそんな声が聞こえてくる。
身を丸めて隠れる彼からは、追跡者の姿は見えない,というより見たくない。
しばしの沈黙。
ガサリ,それは動く。
「出てきてもらうよ,奥義・七転八倒乱れ投げ!」
追跡者・カーリアは大きく跳躍,両手を広げる動作で、彼女を中心として無数の何かが球状に飛び出して行く!!
カカカッッ!!
固い音。
ヒュヒュ! 誠はこめかみに風を感じた。
目の横を数本の黒い筋が通りすぎ、地面にそれは突き刺さる。
「ひっ!」 何かが塗られた黒い短剣だった,ギリギリのところで当たらなかったのは幸運である。
日頃運が悪い分をこんなところで使っているようだ。
「見つけたぞ!」
思わず叢から飛び出してしまった誠を、カーリアはねめつけた。
見るとそこかしこに無数の短剣が突き刺さっている。
「どっからこんなに出したんやぁ!!」 叫び、再び逃げ出す誠。
「私のナイフは百万発の宇宙銃なのよ」
ヒュヒュ!!
誠の制服を掠りながら、背後からナイフが幾本も飛んでくる。
「な、なんとかせんと」 己の不遇に泣きたくなるのを堪えながら、誠はひたすら走った。
”おかしい…”私は思う。
目の前を走るファトラは、かつてはロシュタリア警備隊と一緒であったとは言え、一度は自分を退けた体術の持ち主だったはず。
それが戦わずして逃げている,それも逃げ方は素人のそれと同様だ。
疑問はそれで終わらない。
そんな素人な逃げ方をする目標に対して、自分のナイフが一向に当たらないのだ。
ベタな言い方だが、百発百中を自負していたのが恥ずかしくなるほどだった。
「?」 微かな意志を感じ、ふと足を止める。
ガサリ
ガサリ
ガサリ…
遠くなるファトラの背中。その背中を守るようにして風に吹かれた木々が意志を持った動きを見せているように見えた。
”錯覚か?…どちらにせよ、嫌な林だ”
気を取り直し、眼光鋭く私は斜面を駆け上がる。
鬱蒼と茂る林を前に、二人は立ち止まった。
「で、ファトラよ,結構広いぜ」 シェーラは隣で小高い丘を形作る林を見上げたファトラに振り向く。
彼女は無言で獣道のような小さな山道に足を踏み入れた。
「おいおい!」 慌てて追いかけるシェーラ。
「頂上へ行く」 早足で振り返る事なくファトラは言い放つ。
「どうして頂上なんだ?」
その問いに、ファトラは頂上で桜色の小片を振り撒く大木を見上げて一言。
「そういうシチュエーションであろうが」
ニヤリ,微笑みを見せて彼女は答える。
「…成仏してくれよ」 今度こそ本気で、シェーラは誠の冥福を祈った。
走る走る走る…
薄暗い林の中、只でさえも夕方のこの時間,夜目が効かないとつまずいて転ぶことは必至だ。
だが、歩き慣れた地であるためか,僕は軽快に全力疾走を続ける。
胸が苦しい。
”運動しておけば良かったな”
思う。この事態を回避できれば、毎日運動しておこうと心に誓った。
と、急に視界が開ける!
「うっ」 眩しさに目を細める。
オレンジ色の光を背に桜色の花びらが舞う広場。
いつもの街を見下ろす頂上だ。
どっと、疲れと吐き気が沸き起こる。
「はぁ…」 大木に背を預け、僕は息を就いた。
視線を前に向ける。
夕日を顔に浴びた暗殺者が立っていた。荒い息をする僕と対称的に、彼女からは吐息の一つも漏れない。
「もぅ終わりにしよう,ファトラ」 静かな声が響いた。
カーリアは手を開く。光を照らし返すことのない、黒身の刀身が見えたような気がした。
避けようと体は動く。
カカッ!!
「!」 数本の内、2本が僕の左の肩口と脇腹の部分の制服を大木に縫いつけた!!
駆け出す足音が耳に届く。
”ヤバイて…”
ビビッ…制服を引っ張る,なかなか破れない。
視線を前に向ける。
ナイフを振り上げたカーリアの姿が目一杯に広がっていた!!
その表情は驚喜。
「しもうた!!」
振り下ろされた暗殺者の凶刃は、僕の胸へと真っ直ぐ吸いこまれていった…
二人の女生徒がその扉を叩いた。
ガラリ,扉を横にスライド。
「こちらに誠さんは来ていませんか?」
普段から比べるとやや緊張した声色で、彼女,クァウールは中にいる2人に尋ねた。
「あ〜、随分さっき出ていったけど…けほっ」 黒煙を一つ吐き、所々髪がちぢれた鷲羽は訪問者・クァウールに答える。
その横ではひたすら『誠め誠め』とぶつぶつ呪祖のように唱える、イッちゃった陣内が黒くこげていた。
「どちらにいったか、分かりますか?」
「水原先輩が危ないんです!」 隣の一年生が言う。
「危ない?」
「結構なことではないか」 興味津々モードに入った鷲羽と、正気に戻った陣内。
と、陣内はクァウールの隣に立つ彼女,こころを見て眉をひそめる。
「何を男物の制服を着ておる,校則違反だぞ!」
スパコ〜ン!!
ビッシィ! 誠の制服を着こんだ彼女を指さした彼はしかし、飛んできた鍋を額に受けて後ろへひっくり返った。
「それってどういうこと? こころちゃん」 重い声が、二人の女生徒の背中に掛けられる。
「菜々美ちゃん!」 振り返る小坂の前には眉をひそめた菜々美と、鞄を2つ持った尼崎がいた。異色のコンビである。
「これが廊下に落ちていたんだがなぁ」 鞄の一つを差し出す尼崎。その鞄は誠のものだった。
「久しぶりに一緒に帰ろうと思ったら…何があったの?! こころちゃん?」
「それが…」 言葉に詰まる小坂。彼女とて把握している訳ではないのだ。
自然とクァウールに小坂は無言で助けを求める。
「実は…」 言葉は遮られる。
窓の外から、予告なしの強烈な光が差し込んできた!!
瞬間、科学室はホワイトアウトする。
ほんの瞬間,すぐに元の科学室に戻る。
白光が残すは沈黙。
「なんだ、今のは?」 破ったのは陣内だ。
その横では鷲羽が怪訝な顔でノートパソコンを弾き、
「裏の山,桜ヶ丘だね,今のは。エネルギーの正体は…」
彼女の言葉はそこで途切れる。厳しい目をして、立ち上がる。
「何だか分からないけど、おもしろいことが起こってるんじゃない? 行ってみない?」 裏山を親指で指して、鷲羽は言う。
「そんな事より誠さんを…」
「なら、一緒に来た方が良いわよ。今のは誠が絡んでいるのは間違いないから」
言いながら、科学室を出て行く鷲羽。
逡巡の後、一人、二人,最後に野次馬の尼崎が追った。
木々の葉の間から、刺すような白光が二人に突き刺さる!
「何でぇ? これは…」
「すぐ近くだ!」
2人は足を踏み出す。
そして彼女達の視界が開けた!
「!?」 視界に飛びこんできたその情景に、シェーラは迷う事なく懐に隠し持ったルガーを二丁,それぞれの手に握り…
バキィィン!
音が響く。
カーリアの短剣は、僕の懐に入った鷲羽先輩の発明品を制服の上から砕いたのだ!!
「?!」 異なる感触に、暗殺者の表情が驚喜から戸惑いに変化。
裂けた制服から、物質的な流れすら感じる光の奔流が僕を,カーリアを,辺りを包んでいった…
光は生まれた時と同様、瞬時に何事もなかったように消え失せる。
無音。
僕の前には呆気に取られて尻もちをつき、目を瞬くカーリアの姿があった。
それも一瞬、彼女は思い出したように両手に短剣を持ち直し、縫いつけられた僕に迫る!
再び振り上げられる黒き牙。
ガガン!! 炸裂音。
パパキィィン!! 清音。
「んな!」 息が触れるか触れないかの位置に、カーリアの驚きに満ちた顔があった。
彼女の手にした短剣は根元から折られ、切っ先が2つ、地面に突き刺さっている。
僕達二人はその音の方向を見遣った。
こちらに駆け出してくる黒髪の少女と、白煙を上げる二丁の拳銃を横に構えた褐色の肌の同級生の姿がある。
「あ…」
「!? ファトラが二人?!」 すぐ側に動揺を感じ取る。
今までにない殺気が生まれ、僕に向く!
その殺気に身を捻る
制服が破れ、束縛から解放された
「計ったな!」 だがそれも数瞬遅く、カーリアの延ばした腕に胸倉を捕まれる。
”勝手に間違えただけやんかぁぁ!!”心の中で悲鳴。
と、僕を掴む暗殺者の手が、僕の後ろから延びた手によって捻り上げられた!
「?!」 驚愕の表情のカーリア。
同じもう一方の手が、カーリアの鳩尾に延びる!
掌底。
「うぐぅ!」 背後に1mばかり宙を舞い飛ぶ彼女、物凄い破壊力だ。
反作用で解放された僕を、後ろから抱きとめる柔らかな感触。あるはずの桜の木の堅い感触では、ない。
”? なんや、木の上に人がいた言うんか?”僕は桜の花の香りに包まれ、その人を見上げた。
たたらを踏みながらカーリアは倒れない。
そこへ接敵したファトラの容赦ないハイキックが彼女の首筋を襲う!
「…」 カーリアは上腕でガード,が、勢いを殺せずにやはり数m横へと飛ぶ。
ガァン! キィン! 再度、炸裂音と清音。
見えているのか,カーリアは宙を舞いながらも、手にした短剣で蠅を振り落とすように飛んできた弾丸を落とす。
着地,カーリアはそのまま後ろへ飛ぶ。
「…不確定要素が多すぎる」 憎々しげに呟く。
ファトラ,援護射撃をするシェーラ,そしてファトラもどきに、何より彼女に掌底を叩き込んだ手練れ。
「退くか…」 鳩尾から沸き起こる吐き気を伴う痛覚に、彼女は赤い唾を吐き捨てると背後に広がる林の中へと後ろ向きに飛びこんで行った。
「待ちやがれぇぇ!!」
ガン,ガガン!!
シェーラの弾丸は、しかし鬱蒼と茂った林の中へと消えて行くだけだ。
「生きては、おるな」 ファトラは背後に大勢の人の気配を感じながら、誠へと振り返った。
ガガン! ガァン!!
「何、これ?」 私は隣を行く兄に尋ねる。
「私に聞くな!」
「これはルガー633の銃声だね」 答えるは尼崎。
「銃声? 何で分かるのよ」
「マニアだから」 ニヤリ,カーリアに匹敵、いや別の意味でそれ以上の怖い笑みを浮かべる尼崎から視線を逸らして、私は先を急ぐ。
「ここに来るのは何年ぶりであろうな?」 兄の呟きがふと耳に届いた。
そう、ここは私達の格好の遊び場だった,特に頂上のちょっとした広場は。
”まこっちゃんは今でも時々頭を冷やしにきているみたいだけど”
つい昔の思い出に入ってしまうそうになるのを頭を振ることで阻止。
今はそんな時ではない。
私は前を行くクァウールを見る。
何があったか分からないけど、まこっちゃんが危険にさらされているのは確かなようだ。そしてその理由を彼女は知っている。
”何かあったら、許さないから”
自然と、足が早足になった。それは私に限らないことは、今この時は分からなかった。
やがて視界が開け、夕日と桜吹雪が私達を迎える。
僕はこの人を知っていた。
…良く知っている気がする。
しかし、思い出せない。やはり知らないのかもしれない。
不思議な雰囲気を纏った女性だった。
「会いたかったよ、誠」 ハスキ−な声。
耳元でそう囁かれ、背中から強く抱きしめられる。
”誰や、やっぱり知っているはずや!”
切れ長の瞳に雪のような白い肌,ウェーブの掛かった長い髪は降り続く桜吹雪と同じ色,だが人工的な色ではなく自然さを感じた。
”誰や?!”
思う間に、カーリアは林の中へと消える。
張り詰めていた緊張が同時に消えた。
場に誰とも言わずため息が吐かれる。
「君は一体…?」
僕の胸の前で組まれた彼女の両手に触れながら、後ろを見ずに尋ねた。
「イフリータ」 小声の短節が耳に届く。
一緒に僕の背中には彼女の小さな震えが伝わってくる。
「イフリータ?」 彼女の名であろうか,反芻する。
震えが一瞬、治まった気がした。
「生きているか、誠」 無責任なセリフが聞こえてくる。
「まこっちゃん!」 反対の方向から、聞き慣れた声が。
「運の良い野郎だぜ」
「一体何があったというのだ?」
「誠さん、その女性は一体?」 クァウールが僕の背中に視線を向けて言った。
視線を向けると彼女の他に鷲羽先輩,菜々美ちゃんや小坂さん、陣内や尼崎までいるではないか。
「ちょっと、アンタ誰よ,まこっちゃんから離れなさいよ!!」
なんか菜々美ちゃんは怒っとるし。
一同の視線がイフリータと名乗る女性に向けられる。
彼女は僕を一瞥し、困ったようにこう言葉を漏らした。
「私は…何なのだろう?」
恨みが篭った視線を丘に向ける少女。
足下のアスファルトの感触を感じながら一度は付いた膝を上げ、ゆらりを立ち上がる。
「次は必ず…殺してやるぞ,ファトラ!」 小さく吐き捨て、
コッ…
「!!」 後頭部に堅い何かを感じ、カーリアは電撃を撃たれた様に動きを止めた。
「知っておます? そういう科白を吐くキャラは、次回は必ず死にますよって」 流れるような音階を背に受けるカーリア。そこには感情は一切込められていなかった。
パァン…
桜色の風が、乾いた音と深紅の飛沫を乗せて流れてゆく…
05 Prelude 了
「記憶喪失ね」
しれっと、鷲羽先輩は一同に告げた。
白い、着物のような一風変わった服装に身を包む女性。
無表情の彼女はただ、誠を見つめている。
「何とか治らないんですか?」
「私に聞かないでよ,医者じゃないんだから。でも多分医者でも彼女を治すことはできないでしょうね」
「??」 意味ありげな鷲羽の言葉に首を傾げる誠。
「大丈夫だよ,誠。お前と自分の名を憶えているだけでも良しとする」
真摯な瞳で見つめられ、誠の視線が泳ぐ。
と、2人の間に一人の少女が遮った。
「何でまこっちゃんの名前を知ってるのよ、アンタ何者?」
「な、菜々美さん!」
「クァウールさんだって変に思わないの? ストーカーかもしれないじゃないの!」 首を傾げるイフリータを指差して菜々美は断言。
「菜々美ちゃん,そんな酷いことを…」
「まこっちゃんはど〜してそう甘ちゃんなのよ!」 一蹴。
「情けないな、ほれ」
「そないなこといわれても」 尼崎から鞄を受け取りながら、誠は菜々美Vsクァウールへと発展した戦いを眺めながら大きく溜め息。
「モテる男はつらいの」
「収拾はつけておけよ」
「モテとらんて…」
苦笑して誠に背を向けるファトラと陣内に彼は小さく反論を…
バシバシ!
「うげ!」 言葉を遮るように背中を思い切り叩かれ、振り向くとシェーラが立っていた。
「結構粘ったじゃねぇか,気に入ったぜ。ま、大変そうだがこれからもヨロシクな」 ニカッ,笑顔を見せる彼女。
が、彼女はいきなり後ろから突き飛ばされた。
「何しやがんでぇ!」
「鷲羽先輩,さっきの光は…」
「誠,私の発明品、壊したわね」 就いてくる小坂の言葉を聞かずに、誠に詰め寄るは鷲羽。
誠は思い出したように懐に手を入れ、残骸を出した。
真ん中からぽっきりと折れた黒い棒がある。
「ああ、酷い…」 それをひったくって鷲羽は涙。
「これがさっきの光ですか?」
「突き飛ばしておいて謝りもしねぇのか!」
「うるさいわねぇ」
「ホンマ、収拾つかへんな」 3人の女性からゆっくりと離れ、誠は桜の樹の根本で皆を見つめる女性の下に歩み寄った。
「お前には多くの仲間がいるのだな」
誠の姿を認め、彼女はそう呟いた。声色の中に僅かな寂しさを感じる。
「イフリータ?」
「それに比べ、私は…」 視線を下げる彼女。愁い,純粋なただそれだけを誠は感じ取った。
「一人きりなんて、悲しいこと言わんといてや!」 無意識に口から出る言葉。
「?!」 イフリータは顔を上げる。
「記憶が戻るまで、うちにいたらええ」
「「ええ?!」 」 約数名、言葉を聞きつけ驚きの声を上げる。
「…しかし」
「友達、やろ?」 誠は右手を差し出す。
無言のイフリータ。
やがて、彼女は慣れない微笑みを浮かべ、彼の手を取った。
鷲羽は手のひらを広げる。
「真実は桜の内へ消え行く,か」
その上へ舞い降りた小片を手に取り、ふっと息を掛ける。
小片は勢い良く宙を舞うも、いつしか風に乗り遥か彼方へと消えて行く。
「出来得ることならば、不意な出会いに幸あらん事を」
日は沈み、暗い赤緑色が西の空を染め上げる。
欠けた月が中天に差し掛かり、散り行く桜の大木とその根元を冷たい光で照らし出していた。
春ももう、終わる。
0 Spring 終