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 五つの一m四方くらいのダンボールが、生徒会長室に積み上げられていた。

 それを見下ろす2人の男女。

 「陣内殿,これがそうなのか?」

 「ああ、これを使って『繋げる』。それよりも足りるのだろうな?」

 ボディコンの美女に、そうひょろりとしたブレザー姿の青年が尋ねた。その襟には生徒会長の証である襟章が光っている。

 「東雲祭の来客数はこれまでのデータを見る限り、大学部分も合わせて一万人近くある。それだけの生体エネルギーがあれば十分だ。それよりも、その『装置』は信用できるのか?」不快そうに、彼女はダンボールを見つめる。

 「おそらくこういった物を作らせたら世界一の人間によるものだ。心配あるまい。実行プログラムも後日、暗号化されて送られてくる予定だ」

 「よくそんな連中とアポが取れたものだな」やはり何が納得いかないのか、不満気に彼女。

 「お前にデモンストレーションとして東雲市役所を襲わせたのはその為だ。情報結界都市をいとも容易く落としたお前に興味を湧いたのさ」

 「ふぅん…」気のなさげに、彼女はダンボールの一つに腰掛ける。

 その彼女の様子に、青年は眉をしかめた。

 「ディーバよ、何が不満なのだ?」彼は尋ねる。しばらく沈黙。

 「…我らだけではこの世を征服できぬのか? 他人の力を借りねば、いけないのか?」彼女の言葉に、青年・陣内は薄く笑みを浮かべた。

 「何かを勘違いしていないか?」

 「何だと?」額にしわを寄せて、ディーバは応える。

 「利用できるものは利用する,他人の力を借りようとも、それが最も効率的ならばな。何より…他人の力を利用できぬものに支配者たる資格は、ない」

 「陣内殿…」

 「言うなれば、私はディーバ,お前を利用しているのだぞ」ニヤリ,怪しい笑みを浮かべて陣内。

 「わ、わらわは,……利用されているなどとは思っておらぬ! わらわは陣内殿が気に入っているゆえ…」

 バン!

 びくり,ディーバは自分の座るダンボールが手で叩かれる音に硬直する。

 目の前に陣内の顔があった。

 「何人でも構わない,他人にそう思われることが、支配者として絶対に必要なのだ。例え力があろうとも天才であっても資質がなければ、なれぬのだよ。分かるな、ディーバ?」

 「あ、ああ…分かった」

 キスまで数センチ,そんなアップで言い聞かされ、ディーバは面食らいながら頷いた。

 「では中身をチェックするぞ」

 陣内は満足げに頷くと、ディーバから離れ、ダンボールの一つを開ける。ディーバもまた、しばらくぼんやりした後、箱を開けていく。

 「ふむ」

 陣内は中身を一瞥した後、そんな彼女を眺めた。

 中身の金属性の部品を不思議そうに眺めるディーバ。

 その様子に、彼は小さく微笑む。

 ”例え失敗しても…最低限のことは成功させねばな”

 心の中で、彼はそんな彼女の横顔に誓った。




 彼女は目を覚ます。

 …おかしい

 それがまず初めに思ったことだった。

 柔らかなベットに寝かされていたのだ。

 白くぼやけた視界が、次第に明瞭に形を帯びてくる。

 白い、天井だった。

 目だけを右に、左に動かす。

 一般的な日本の一戸建て住宅の一部屋のようだ。彼女の寝かされたベットの足の方に扉が一つ、頭の方に窓が一つ、左手は壁、右手にはタンスと小さな机があった。

 窓から感じられる外の様子は、どうやら夕方,いや夜のようだった。光は入って来ていない。

 「一体…ここは…?」

 彼女は上半身だけを起こし…

 「っつ!」

 胸と背中に走る激痛に、元の体勢に戻った。

 彼女が着ているのは、着替えさせられたのであろう,薄い紺のパジャマ。その下の彼女の体には包帯が巻かれていた。

 その怪我の処置は素人のそれではない,医術を齧った、もしくは医者のそれだった。

 「しかし病院じゃないっしょ…」

 彼女はここに至る経過をリフレイン。

 夜,そう、夜だった。王室のお庭番たる2人の手錬れと切り結び、気の緩みから負けたのだ。

 そこに彼女の師・兼お目付け役のアルージャが割り込み…

 「帰れないな」呟き、苦笑する。

 もともと常に対立していたが師は師だ。それを勝負の邪魔をしたから刺したというのは許されはしないだろう。

 「生きては、いるっしょや」今更ながらに本気で刺しておけば良かったと後悔する彼女。

 壊された神具の僅かに残っていた幻覚機能を暴発させ、目くらまししてこうして逃げてきたは良いが、依頼の続行は困難だ。

 しかし、

 「依頼は絶対っしょ…」

 受けた依頼は必ず遂行する,それが彼女達,いや、暗殺者としての絶対の決まりである。

 失敗は施行者の死以外は、ない。彼女の手によって己のスタイルを見失ったカーリアを「殺し」たのはそれが一端である。

 ”幻覚と電撃は使えず…か。言われる通り、神具なんかに頼り過ぎてたっしょ”

 小さく溜め息。

 もともとあの神具と呼ばれる杓杖は、古より彼女の流派に伝えられてきた武器だった。

 幻覚剤を効果的に撒き散らし、これも古より伝えられる幻術の効力を飛躍的に増幅させる機能と、地電流と呼ばれる大地に流れる電流を操作する2つの機能を有している。

 かつてはアルージャが用いていたのだが、成人とともに譲り受けたのだ。

 その際、しわがれた老人の言葉の意味が今更ながらに思い返される。

 ”溺れるなよ,ひひひひひひ…”

 「結局、頼り過ぎてたか…」

 彼女は目を閉じる。

 どんな状況に陥ろうと、依頼は行わなくてはならない。例え失敗が目に見えていても、である。

 依頼を放り出すことは、暗殺者失格のレッテルを貼られ、同業者に背徳者として無条件に命を狙われることになるのだ。いくら彼女が手錬れとして名を馳せていると言っても、永続的に命を狙われたのではたまったのもではない。

 ”基本に戻ろう…”

 あのビルの上での戦いで、しかしながら双子のお庭番はアルージャによって深い傷を負ったはずだ。今、ファトラを守るのはシェーラ,アフラという護衛の2人。

 そして…

 「ミーズ、とか言ったな」

 アルージャが一目置いていた女性。残念ながら彼女はその情報を知らなかった。

 よっぽど個人情報を巧く隠している手錬れなのか,もしくは…暗殺者OBで年増ゆえ現役の彼女には知り得ない存在なのか…

 “ともかく怪我を治して体勢を立て直さないとな”

 ガチャリ

 不意に足の方にある扉が開いた。

 「!」

 入って来るのは2人の男女。

 「イフリータに医学の知識があったとは知らんかったわ」

 「昔とった杵柄…だよ,うん」

 「遙の記憶か?」

 「ああ。あ、誠、大きな声だすと起きる」

 「もう起きてるっしょ」

 「「あ」」

 彼女はそう、声を上げた。

 しかし痛みの為に身を起こすことは出来ない。

 “女の方がイフリータ,男の方が誠、か。女の方は気を失う前に会ったな”

 彼女はそこまで思い出す。そう、あの時、医者には連れて行くなと言った。今の口振りからするとそのイフリータというのが彼女を治療してくれたようだが。

 そんな彼女を覗き込む2つの顔。

 長いウェーブの掛かった柔らかな髪の女性と、そして…

 “!”

 彼女は戦慄を覚える!

 目の前の、彼女を見詰める男,いやそいつは彼女の命を奪うべき相手。

 “ファトラ…?!”

 動きかけた腕を、しかし慌てて意志の力で止める。

 ファトラとはウリ2つだが…そう、違う。

 こいつは男だ。さらに髪が短い。

 よくよく見ると表情もあのファトラ姫の刃物のような鋭いものがなく、温和に感じる。

 「僕の顔に何か?」

 首を傾げる彼,誠は寝台に横たわったままの彼女に首を傾げた。

 「い、いや…それよりここは?」

 「安心しろ。医者とか、そういう所には連れて行っていないから」

 「何があったか良く分からんけど、治るまでゆっくりして行ったらええ」

 誠とイフリータは、彼女にそういうとそれぞれの顔で微笑む。

 「僕は水原 誠。こっちはイフリータ。君は?」

 青年に尋ねられ、彼女は一瞬の躊躇。

 やがて口許を少し緩め、答える。

 「私はイシエル,イシエル=ソエルっしょ。ありがとう,イフリータ、誠」




 ゴゥゥゥウゥゥゥ…

 飛行機が、その巨体を青の中へと沈めて行く。

 そんな光景がひっきりなしに続くその空港。

 チェックアウトを済ませた少年の前に、やはり彼と同じ背丈の老人が立っていた。

 「イシエルが失敗したそうだな」

 少年とは思えない見下したような言葉使いに、しかし老人は頭を下げる。

 「あまつさえ,アルージャ、お前までイシエルに刺されるとは。部下の管理も出来ぬのか?」軽蔑しきった視線が、老人を刺す。

 「…もう仕分けありませぬ,若」感情なく、老人は答える。

 「分かっているとは思うが、これはただの暗殺依頼とは異なるのだぞ。我ら一族が王族お庭番を退け、晴れて裏の主役になれるかどうかなのだ」

 「その為に一族が誇るカーリアとイシエルを…」

 「僕が見たいのは結果だ。お前には失望したよ,アルージャ…」少年の目に冷たい光が宿る。老人の瞳に初めて感情が,恐怖の色が灯った。

 「死の天使の監視を恐れて、僕はあくまであの方に被害が及ばぬよう、依頼人を演じてきたがまったくの茶番だったよ。初めから頭首である僕が始末を付けるべきだったんだ」

 「…若」

 「お前は本国へ早々に帰り、一族を鍛え直せ。ファトラと…失敗したイシエルの始末は僕が直々に付ける」

 その言葉に、老人の体がピクリと反応する。

 「…やはりイシエルを?」

 「当たり前だ。失敗ならまだしも仲間、いや師に手を上げるとは既に暴走している,他流派にも迷惑をかける恐れもあろう」

 「…」

 沈黙するアルージャに、少年は僅かに眉をしかめた。

 「お前ともあろうものが、一人の弟子にそこまで入れ込んでいるとはな」

 「…あらゆる意味で逸材でしたゆえ。しかし、いた仕方ありませぬ」

 躊躇いがちに、老人は呟く様に言った。

 「まぁ、良い。お前は次なる時代に向けて、我らの地位をより確固たるものにするのだ」

 「はっ!」応え、彼は深深と頭を下げる。

 “さらばじゃ、イシエルよ。己の信ずる道を進むがよい”

 想いを残し、老人は少年の前から影の様に消え去った。




 僕は科学実験室でそれを組んでいた。

 文化祭の出し物はクラスはクラス,部活は部活。

 実質、一人だけの科学部である僕は必死にそれを組み立てていた。

 明日はついに、当日なのだ。今日、恐らく夜中まで残る事になりそうだ。

 「水原、今年の科学部の出し物は何にするの?」

 3年生はこの時期にはすでに受験だ、就職だ,などで部活は引退している。

 鷲羽先輩もまた、例外ではない。

 しかし東雲大学への推薦入学の切符を手に入れた彼女は、相変わらずここへ遊びに来ていたりする。

 「これですわ」

 僕は尋ねる鷲羽先輩に、身を退けて『それ』を見せる。

 「…何、これ?」

 彼女の前には、直径1m程度の円盤状の金属板。その真中からは電源コードが伸びている。

 「何って…分かりません?」

 「分からないって」首をぶんぶん横に振って、鷲羽先輩。

 「イオノクラフトですよ」

 「それって、負イオンが下から出て、浮くって奴?」

 「そうです」

 電気により負イオンを発生させ、その推進力で浮き上がるという、科学実験によくあるものだ。

 普通は指先大とかの小さなもので、材質も紙などだったりする。

 しかし金属性でここまで大きいものは、普通はない。

 「こんなんで浮くの?」

 「ストレルバウ博士から仕入れた特殊合金使ってます。何でも大学の方で開発したもんで、比重が0.5以下なんですわ」

 それ故に、大学のその研究室からも期待がかかっていたりするのだが…

 「へぇ。で、試した?」

 「まだ試していません。多分、8割方失敗でしょうね」僕はあっさりと結論付ける。

 人を乗せて飛ぶ、それを発想に作り出したものだが、どうにも電力が弱すぎて人が乗らない状態で一センチ浮くか浮かないかだろう。

 「本番はパフォーマンスとして,ですね。部員がそこそこいれば、それなりのものが出来るんですが、僕一人じゃどうにも」新入部員を選り好みする鷲羽先輩に遠まわしのグチ。

 「気合で何とかしなさいよ」

 あっさり跳ね除けられた。

 ガララ…

 と、戸が開く。

 「誠、いるか?」

 現わるるは文化祭実行委員を数人連れた生徒会長としての陣内。

 「何や、陣内?」

 「例の物、できてるか?」

 「ああ、そこに置いてあるで」

 僕は『それ』を指差す。

 科学室の端に並んだ5つの金属性の装置。大き目のスイカくらいの大きさの、組み立てたは良いが良く分からないものだ。説明書は手書きだったし。

 陣内は5つの装置に向かっていく。

 「ところで、それなんや?」

 「文化祭を演出する特殊な装置、といったところだな、おい!」

 「「は!」」

 文化祭実行委員達が台車に乗せてそれらを運び去って行った。

 「では、な!」

 「ああ」

 彼らは現れた時と同様、さっさと去って行った。

 「何? 今の?」

 鷲羽先輩が首を傾げる。

 「何でも文化祭の最後にある生徒会主催のダンスパーティで使うもんらしいわ。来年の予算脅されて組みたてさせられたんや」

 「…弱小部は肩身狭いわね」

 「「はぁ」」僕等は大きく溜息をつく。

 遠く、同じような準備に駆られた生徒の掛け声が、聞こえていた。




 石造りだがどこか暖かみのあるその建物。

 東雲から遥か遠く離れたその地。

 「ロンズ,ロンズはいませんか?」

 「はっ,ここに!」

 良く通る女性の声が、白亜の城に響く。

 召喚に応じて、一人の男が彼女の前に現われた。

 彼女はロンズと呼ばれる男に、封筒に入った資料を手渡す。

 「この方を洗いざらい調べなさい。いざとなれば私の名を用いても構いませんわ」

 「!!」

 その意味を男は知り、小さく身を震わせる。

 男は封筒の中身を取り出す。そこに記された名前と、写真を見て硬直。

 「………様、この方は」

 かすれる声で、事の重さとこれから起るであろう騒動を予測した彼はわなわなと呟く。

 「貴方がそのことを心配することはありません。でも…辛いでしょうけど、頑張って下さいね」

 女神のような全てを包み込む笑みと楽人が奏でるハーブのような声を受け、ロンズは流されるままに頷き、その場を立ち去った。

 “恐ろしい方だ…いや、そうではない。この国を思うが為…おいたわしや,ルーン様”

 ふと溢れる涙を拭い、ロンズは白亜の城を駆けて行った。

 一方、女性はそんな彼の後ろ姿を見送りながら、紅茶の入ったカップを口許に。

 「見事にエサにかかったわね…バカなガレス様。フフフ…ウフフフフフフフ…」

 ピシィ

 彼女の手の中でカップが割れ、赤い色が増した紅茶が白い床の上に広がってゆく。




 文化祭がやってきた。

 この東雲祭は、大学の方と合同になっており、その文化レベルの高さから国内外の研究者にも注目されている。

 とは言っても、それは主に大学の方だけどね。

 「それじゃ、後で遊びに来てや」

 「ああ、分かった。行ってらっしゃい、誠」

 「? 何かあるの?」

 そう言って後から顔を出したのはイシエルさん。

 「文化祭があるんや。イシエルさんももし良かったら気晴らしに見に来てや」

 「…文化祭、か」

 考え込む様に彼女。そんなに考え込むことでもないだろうに…

 イシエルさんが来てから一週間。彼女の怪我はイフリータの看護もあってみるみる回復し、今ではすっかり良くなっている。

 「そうだな、いいっしょ。イフリータと後で行くわ。いってらっしゃい、誠」

 「はい!」

 僕は答え、2人を残して自宅を後にした。



 いつもより早足に過ぎ去って行く誠の背を眺め、私は空を見上げる。

 秋晴れだった。スカっとした清々しい朝だ。

 白い雲が、青の中に映えていた。

 白い…

 不意に私の視界が、白く染まる。



 「こほこほ…」

 「ほら、遙さん,風邪ひいちゃいますよ」

 「ごめんなさい、夏樹さん」

 私は窓を閉める。

 窓の外は白い妖精が舞い落ち、全ての大地を白く覆い隠していた。

 汚い物も奇麗な物も、その全てを隠してしまう。

 私は寝台に戻る。この数ヶ月は体が中から痛く感じることが多くなった。

 「ねぇ、夏樹さん」

 「ん?」

 私は布団を掛けてくれる彼女に、尋ねる。

 「啓一さんは、今頃何処にいるのかな?」

 「う〜ん、何処…なんでしょうね? 案外、地球の裏っ側にいたりして。早く帰ってくると良いんですけど、お人好しだから向こうの人に捕まってたりして」苦笑する彼女。

 その笑みは、とても寂しそうに見える。

 もしも私が夏樹さんくらい、体が丈夫だったら…そう思って、私は不思議に思った。

 彼女は、私よりもずっとずっと行動力があるし、諦めない人だ、なのに…

 なのに敵である私の世話をして、この身も心から気遣ってくれる。

 「夏樹さん…」

 「はい?」

 「どうして夏樹さんは啓一さんに付いて行かなかったの?」

 言葉にしてしまってから、後悔する。何故こんな事、聞いてしまったのか…

 カシャン

 「あ、ごめんなさい!」

 夏樹さんは私の枕元においてあったガラスのコップを落としてしまったようだ。

 「ええと、チリトリとホウキはっと…」

 彼女は履き取りながら、呟く。

 「私と啓一さんの時間はホンの少ししか重ならないから」

 「?」

 「あの人の心に決まった人は、どうしても退かせそうもないもの,女の私ですら、見ててお嫁さんにしちゃいたいくらい」

 カシャリ、チリトリにガラスの破片を集め、彼女は言う。

 「…」

 「だったら私は私の時間を、あの人はあの日との時間を過ごして行った方が良いでしょう? 何より…」

 夏樹さんは窓の外を見つめる。その視線は、だが窓の外よりもずっと遠くを見つめている様に見える

 「好きなのに、好きなれない時間を過ごすのは辛いもの」

 「…ごめんなさ…」

 「さ、夜も遅いわ、早く寝てくださいね」

 笑顔で夏樹さんは私に言うと、スキップしながら病室を後にして行った。

 私は心の中で謝りつづけながら、眠りの海に浸かっていく…

 と、目の前に、啓一さんが立っていた。

 「?! 啓一さん…帰って…」

 私は身を起こす! しかし、彼は寂しそうに首を横に振った。

 『ごめん』

 「?」

 『帰れないんだ。ごめん』

 辛そうに、彼は謝る。

 「帰れ…ない?」

 『ごめんね』

 ひたすらその言葉を呟きながら、彼は闇の中へと解けて行く。

 「啓一さん!」

 叫び,私は身を起こした。

 時計は朝の6時を指している。しかし窓の外はしんしんと雪が降りつづけていた。

 ガチャリ

 「夏樹さん?」

 扉の開く音に、私は視線を向ける。

 そこには呆然と、目の下が真っ赤になった彼女が立っていた。

 「…遙さん…あの、あのね」

 寝台に腰掛け、夏樹さんは震える声で続ける。

 嫌な、とてつもなく嫌な予感がした。

 「先生が怪我をした敵捕虜を庇って、味方に撃たれて…それで…」

 コクリ,彼女の唾を飲む音が、大きく聞こえた。

 聞きたくない,あってはいけない単語が、続く。

 「亡くなったって…」

 耳の痛くなるような重たい、重たい沈黙が病室に降りた。



 私は待つ。

 しんしんと雪が降り積もる。

 白く薄い浴衣の上に、同じ色の結晶が積もって行く。

 「帰ってくるよね」

 私は待つ。

 約束を破らない人だった。

 あの人と同じ桜の木に、触れる。

 そう、この下で誓った。

 私は指に嵌まる赤い石を見つめる。

 「帰って…くるよね」

 呟くたびに、現実がはっきりと見えてくる。

 「帰って…きて」

 赤い指輪を握り締め、祈る。桜の木に向かって私は語り掛ける。

 「もう一度だけ、貴方に会いたい。約束を、信じてます」

 胸が、痛い。

 「ぐ…ごほっごほっ!」

 咳き込む、白い浴衣と大地に、紅い点が1つ2つ、広がって行く。

 「啓一さん…待ってるから。私はここで貴方を待っている…ずっと、ずっと…」

 桜の木に身を預け、私は僅かに吹き始めた真冬の風に身を任せる。

 「ごほっ!」

 紅い飛沫が、広がって行く。

 ずるずると、私の体は桜の木の下にくず折れて行く。

 「啓一さん…」

 消え行く意識の中、私は指輪を両手で握り締め、悲しみを背負ってこの世から消え去って行く…

 ころり、赤い石は彼女の手から落ち、雪の中へと沈む。

 そんな私を見つめている私がいた。

 “貴方のその悲しみの意味を、知りたい”

 私は心からそう思う。

 目の前で、彼女は命を灯火を消して行く。それはもう、誰にも止められない。

 待っていたい,その悔いが彼女に留まっているのが見える。

 私は息絶えて行く彼女に、そっと手を伸ばした。

 “貴方のその悲しみ,喜びも怒りも想い出も、その全てを受け入れましょう”

 紅い、彼女の意志を込めた石が、私の手の内で光る。

 “暖かい…これが人の心…”

 苦しかった。

 辛かった。

 嬉しかった。

 楽しかった。

 短いけれど、今までの私よりもずっと凝縮した想いが、私の中に解けて行く。

 桜としての私、遙としての私、赤き石に込められた人の想い。

 全てが、私の中に馴染んで行く。

 私はゆっくりと目を開く。

 “啓一さん…私は貴方を待ち続けましょう”

 そしてこの時、私は生まれた。紅き待ち人・イフリータは。

 雪のベットに包まれ、遙は満足げな表情で覚めることのない眠りに落ちて行った。



 「イフリータ?」

 私は肩を揺すられ、我に返る。

 「…イシエル」

 「びっくりしたっしょ。急にぼぅっとして声かけても気付かないし…寝不足じゃないの?」

 「そうかも、ね」私は薄く微笑む。

 と、イシエルは私の顔を見て不可解な表情をする。

 「? 何、笑って泣いてるんだ?」

 「え?」

 泣いている?

 私は頬を手の甲で撫でる。

 濡れていた。

 「あ、あれ?」

 湧き上がる涙。同時にかつての感情もまた呼び起こされる。

 酷く、悲しかった。

 でも、

 それは正確には私の感情では、ない。

 そうであっても、そうなることが分かっていても、実際思い出すと辛いものだ。

 「イシエル?」

 「何?」

 「運命って、あるのか?」

 「さぁ」

 イシエルは薄情にも、呆れ顔で両手を上げる。そしてその顔のまま、続けた。

 「でもさ、生まれてきたからには成すべき事は,いや、やらなくちゃいけないことはあるんじゃないか? それこそ自分自身の為にさ」

 「…そう?」私は疑問

 「私はそう思うよ」

 ならば、私の生まれた意味はなんなのだろう?

 過去の人間・啓一に会えるわけでもないし、私自身は会おうとは思わない。

 意味なんて、あるのだろうか?




 「えらくけったいな文化おすなぁ」

 「僕もそう思いますわ」

 喫茶店と化した2−Cにて、アフラさんは湯気の立つコーヒーを彼女のカップに注ぐ僕をまじまじと全身眺めまわしながらぼやいた。

 「そんなにまじまじ見んといてや」

 僕は視線から逃れるように、背を向ける。

 「…似合いすぎどす」

 「言わんといてください」僕は大きくため息、肩の力を落とす。

 僕の今の格好は、ふりふりのフリルの付いた長い藍色のスカートに白い華奢なYシャツ。赤いリボンなんぞを首元に付けていたりする。

 さらに長いストレートの黒髪のかつらなどを被らされていたり、胸にパットは入れられるわ…

 「棘のないファトラはんというかなんというか」

 それが遊びにきたアフラさんの第一の感想だった。

 始まった東雲祭の朝一番,僕はクラスの出し物である喫茶店で役目を果たしていた。

 無論、ただの喫茶店ではない。ウェイターを女子が、ウェイトレスを僕達男子がやっているのだ。要するに男女逆転である。

 「わぁ、まこっちゃんキレイ!」

 ガバリ、そんな声とともに背中から抱きしめられた!

 「な、なんや?!」

 振り返ると、それは菜々美ちゃんだ。

 と、それが第三者によって引き剥がされる。

 「うちの売りっ子に手を出されちゃ困るぜ、お客さん」

 極めて冷静に応対に勤めるは黒スーツに身を包むシェーラさん。

 おそらく今の自分自身の境遇にであろう、わずかに怒りに額を引きつらせながら菜々美ちゃんを睨み付けていた。

 菜々美ちゃんはそんなシェーラさんをしばしぼんやりと見つめ…

 「かっこいい…」呟く。

 もともと体格がしっかりしているシェーラさんは誉めていいのか分からないが、男装の麗人という言葉が良く似合っていた。

 「かっこいい言うなぁぁ!」

 涙がキラリ、シェーラさんはあらゆる障害物を凪ぎ倒し、喫茶店を走り出てしまう。その後を、

 「待って、シェーラさまぁ!」

 「一生付いていきますわ、お姉様!」

 何故か客としてきていた女の子達の一団が追いかけていった。

 「…なんなんや、一体?」

 その後姿を見送り、僕は呆然と一言。

 「まこっちゃんには知らなくていい世界があるのよ」

 何か達観したような表情で、菜々美ちゃんは僕の肩をポンポンと叩いた。

 今年の東雲祭も、一波瀾も二波瀾もありそうだ。


22 Come on ! 了 



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