ゆったりとしたブラウン色のセーターとロングスカートに着替えたイフリータはイシエルの部屋の扉を叩く。
a.m.10:30,東雲祭が開幕してから1時間が経過していた。
「イシエル?」
扉の向こうから彼女は呼ぶが、返事はない。
カチャリ、ゆっくりと扉を開けるイフリータ。
部屋は無人だった。
と、机の上に置かれた書置きを、イフリータは見つける。
『先に行く イシエル=ソエル』
「? なんで?」
走り書きのそれを手に取り、イフリータは首を傾げるしかなかった。
「まこっちゃんに来て欲しいところがあるんだ」
「ちょ、こんな格好で行きたくないわ,着替えるから…」
「いいのいいいの!」
楽しげな足取りで出て行く彼等の背中を微笑みを向けて見送った彼女は、それが廊下の向こうへと消えて行くと同時にテーブルの上に視線を戻した。
「アフラ,コーヒーのおかわりは?」
不意なその声に、再びゆっくりと顔を上げるアフラ。目の前には暖かいコーヒーポットを手にした顔見知りが、満面の笑みを浮かべて立っている。
ジーンズ地のYシャツにズボン,カウボーイハットの下に長い髪を隠した少女だった。
『男装』を精一杯頑張っているようだが残念ながらそうは見えない。帽子の下の表情は明らかに女性のものであり、また大き目のシャツの胸元には僅かな膨らみが見てとれる。
「お願いするわ,クァウールはん」アフラは3分の1以下になったカップを出しながら微笑む。
「ところで誠はんや菜々美ちゃん達、追わんでよろしおすか?」
そんなアフラの問いに、クァウールは手にしたポットを傾ける。
白い湯気が立ち上り、そこから漂う芳ばしい香りが2人の鼻孔を擽った。
「私は丁度シェーラと交代の時間ですから。それに…」
「それに?」
アフラはカップを手に取り、クァウールを眺めながらブラックのまま一口。
「お昼すぎから東雲祭を一緒に廻るって約束してくれましたし」
既に見えない背を追う様に、クァウールの視線は廊下に向う。
「アフラは一人でどうしたの? あ、もしかして!」
「ん?」
嬉し恥ずかしそうなウェイターの態度に、首を傾げるアフラ。彼女はある一人のウェイトレスを指差す。それは…
「尼崎さんの女装が目当てで残ったの?」
「……本気で言うとるん?」絶対零度の視線。
「……サンドイッチ,お安くサービスしますよ?」
「貰いましょか」
クァウールは頭を下げ、アフラの前から去って行く。
それを顔を上げずにアフラは確認するとテーブルの上の起動中だったそれを改めて見つめた。
携帯端末,手帳サイズの簡素なそのフォルムに対し、小さな液晶画面の中に開かれたウィンドウの多くは『ハッキング』やら『パスワード解析』,『アクセス監視』など、およそ外観普通の女子大生からは想起されない語群が散らばっていたりする。
タタタタッ
彼女は目を細めてコンソールを軽快に叩く。僅かな電子音が彼女の耳に届くか,届かないかの大きさで鳴り、彼女の指がある程度動く度に何かを通告する。
「ありがとうございましたぁ!」
クァウールの声を廊下辺りに聞きながら、彼女は再びコーヒーの満たされたカップを摘み、軽く唇を濡らした。白く薄いカップの縁に僅かに朱が残る。
やがて彼女の携帯端末の液晶画面に開かれたウィンドウの一つに下から上へと止まることなく次々に文字が流れて始めた。表示されているのは秩序のなさそうに見えるアルファベット群。
しかしそれはごく一部であろう,知る者が見ればある一種のプログラムが実行中であることを知るはずだ。
やがて表示は唐突に止まる。
―――Complate!―――
その単語が最後に点滅。後、幾つかの文字列が列挙される。
それはこの東雲高校・大学を統括するネットワークサーバーに今現時点で接続しているユーザーの一覧だった。
学園内部からの接続,外部からの接続,そして…不明瞭な接続いや、侵入者。
「結構いはりますなぁ。ま、ウチも未許可でLevel.A接続どすが…」呟きながら苦笑する彼女。コンソールを叩く毎に表示された文字列は何らかの条件によって絞り込まれ、やがて数行となる。
そこまで来て、アフラは椅子の上に置いていたハンドバックから何やら取り出し、左の耳に。
それは小さなインカム。耳のイヤホンから口許まで伸びたマイクに、アフラはやはり小声では語り掛けた。
「姉さん?」
『ザッツザ…』雑音。
「ミーズ姉さん?」
『あら、アフラ』二度目の呼びかけに、ややノイズを伴ないながらも女性と思しき声がイヤホンからアフラに届く。
「準備はよろしおすか?」最後にコンソールを叩くアフラ。そこまで来て表示は二行に絞り込まれた。
一行目は携帯電話からのハッキングユーザー,場所は2−C。
そして二行目はやはり携帯電話からの名称未定・未登録のユーザー,場所は…
「校門前ですわ,バックアップは安心しておくんなまし」
『ありがと』
簡潔な言葉が戻ってくる。
「気をつけてぇな,ナハトはミーズ姉さんが知ってるのと多分全く違うタイプおす,昨日今日と潰した相手とは全く…」
『へぇ,どんなタイプなのかしら?』言葉尻を僅かに上げ、興味が湧いたのか尋ねる無線の先。
「徹底的にデータで攻めますぇ。それに電脳界から直接『こちら』側に影響を及ぼせる様やわ」
『ふぅん,だから手下に嗅ぎまわらせてたのね。でも大丈夫、そういうタイプなら会ったことあるし』余裕を十二分に含んだトーンがアフラにも伝わってくる。
「そういうタイプって…どこで会いましたん?」
『貴女よ』
含み笑いと共に、ノイズ混じりの女性の微笑みがアフラのそれと重なった。
歩道橋の上に、彼女はいた。
イシエル=ソエル。
彼女の居るそこは、誠とファトラが初めて出会った場所。
今は戦いの場。
イシエルの手前、5mの所に浅黒い肌の男が立っていた。薄汚れたターバンをその頭に巻き、エキゾチックなチェニックを着込んでいる。そして右手にはかつてイシエルが手にしていたのと同じタイプの錫状。
「イシエル=ソエルだな」低い声が、風に乗ってイシエルの届く。足下に流れる車のエンジン音より小さく、しかし直線的な力を持った殺し屋の声。
「失敗した私を始末しに来たか」苦笑のイシエル。
「ファトラの始末は今からつけるつもりなんだけどさ,もっともアンタ達からの指令ではなく私にケリをつけるために,ね」
「…我が使命はイシエル=ソエルの生命活動の停止のみ。鬼神三将が二,烈神アブザハール、参る!」
音もなく動く男。一気にイシエルとの距離が縮まった!
錫状による払い,それを軽く跳躍してイシエルはかわし、飛びざまの蹴りを繰り出す。
それもまたアブザハールが後へ飛ぶ事で回避。イシエルは歩道橋の手すりの上に着地。
「カーン!」
呪を込めた気迫を発しながら錫状を下から上へと振り上げるアブザハール,2mはある刃状の青白いエネルギーがイシエルのいた歩道橋の手すりを破壊した!
瓦礫が車道に降り注ぎ、二人の足下で複数台のブレーキ音と衝突音が続く。
「上か!」咄嗟に見上げるアブザハール。そこには太陽を背に一つの黒い影。
神具を頭上にアブザハール,白光が影を貫いた!
「残念ね」
「?!」
声は彼の耳元から。
影はやはり影の様に太陽の中に霧散する,同時にアブザハールは背中に強い衝撃を受けて気を失った。
壊れた歩道橋の上で倒れるアブザハールを見下ろすは無表情のイシエル。
「私は幻影のイシエル,道具がないからって丸腰って訳ではないっしょ。本当の強さはこの身の内にある…初期幻術に引っかかるなんて私を甘く見すぎ」
神具を拾い上げ、イシエルはアブザハールにはもはや目もくれずにその場を立ち去った。
じゃあぁぁん♪
耳をつんざくような弦楽器の撃音がアンプに増幅され巨大なスピーカーから飛び出した。
場所は青空の下,東雲高校の中庭だった。普段は生徒達の憩いの場として使用される青々とした芝生が茂る静かな場所。
しかし今は校舎をバックに簡易ステージが設置され、その上には数人の生徒と二つの2mはあろうかという巨大なスピーカーを門のように両隣に据えている。
そんなステージの上に、幾人かの学生に囲まれた長い金髪の若者がギターを抱えてニヤリ、微笑んでいた。
擦れたジーンズに黒を基調にしたシャツ,その身には鎖やら何やら、シルバーアクセがジャラジャラと鳴っている。
「どうです?」
ステージの端でミキサーの類を調整する男子学生の問いに、若者はビッと親指を立てる。
「しかし先輩が来て頂けるなんて思いもよりませんでしたよ,大学の方はお忙しくないんですか?」
こちらは学生服の上を脱ぎながら、若者と同じような服装に着替える東雲学生。
同じように残りの生徒たちも着替え始めた。
じゃあぁぁん♪ きゅぅぅん〜
若者が右手を弾くと同時に、再び発せられる音の奔流。しかし学生達はそのうるささに顔をしかめるどころか、嬉しそうにしていた
「…俺を呼んでいるのさ、生きた音がな!」
ハスキーな声が若者から漏れる。
「久々に奏でるとしようか,力天使のサウンドを」
きぃぃん〜じゃぁぁ〜♪
「「っしゃ!!」」
若者と同じような服に着替え終わった学生もまた、嬉しそうにそう雄叫びを上げながら各々の楽器を手にする!
ステージの脇にはこんな立て札が立っていた。
『メタル同好会主催・力天使ライブ 13:00〜15:00
東雲高校生徒会主催・ダンスパーティ(バンド:メタル同好会)
15:00〜16:00』
開催まであと2時間…
「会長、スタンバイ完了しました」
「ふむ」
生徒会長室,大きな机を前に腕を組んで座る陣内に、訪れた男子生徒が告げた。
その腕には『文化祭実行委員長』の腕章がある。
「あの…」続けておずおずと彼はクソ偉そうな生徒会長を見つめた。
「15時からのダンスパーティは高校の中庭ですよね。でも会長のおっしゃられたあの5つの音響装置はなぜ中庭でなくて大学を含めたこの学園の外周に設置なさるんですか?」
3時から生徒会主催のダンスパーティが中庭にて催される。高校の中庭は大学を含めた学園の丁度中心に位置する、1000人ほど収容できる芝生のきれいな憩いの場だ。
そんな実行委員長の質問をすでに予測していたか,陣内は目を細めて応える。
「音響装置といっても実は音漏れ防止の機械でな。この学園は住宅地のど真ん中にある,いくら年に一回の文化祭といえども祭りの騒音は周辺に被害を与えるであろう」
「はぁ」
「それも時間は皆が羽目を外し出すトリ,さらにダンスのバンドを務めるのはメタル同好会、はっきりいってうるさくてかなわん。だからこそ消音効果をもたらすというあの装置を大学経由で科学部に組みたててもらったのだ」
陣内の説明に実行委員長の目が点になる。
「会長がそこまでお考えだったとは…私なぞはいかに文化祭を盛り上げるかしか考えていませんでした」俯いて男子生徒。それに陣内は小さく微笑む。
「お前はそれで良いのだ,それがお前達文化祭実行委員の仕事なのだからな。それ以外の仕事が我々生徒会の仕事だ、さ、分かったらさっさとこの祭を盛り上げて来い」
「はい! 失礼します」
男子生徒は嬉しそうに顔を上げ、部屋を出ていった。
「単純な…」陣内は小声で呟き、背もたれに身を預ける。
「無知ほど罪なものはないな」窓のカーテンの影から女性の声が聞こえる。
ゆっくりと姿を現すのは肢体のラインを強調したタイトなスーツに身を包むディーバ。
「こうとも言える」
立ちあがり、陣内は窓際の美女に視線を移す。その口元に彼独特のニタリとした笑みが浮かんでいた。
「無知ほど幸せなものは、ない」
ピッ!
電子音が、鳴る。
机の上のデスクトップパソコンには新しいメールの到着を知らせるメッセージがユーザーを待っていた。
『アリス=リデルからメールが届いています。添付ファイル『Godeye.exe』を『My Doccument』フォルダに展開しました』
東雲高校校門前―――
電飾にややデコレーションされた過ぎた、出るよりも入る方が多い入場門の隅で少年は小さく舌打ちしていた。
紫紺のウィンドブレーカーの懐に右手を忍ばせ、行き交う人々を見つめている。
その瞳は同じく紫紺…
小さく動いていた懐の右手がやがて止まり、何かを掴んで彼は俯いてそれを視認した。
長さ30cmほどの黒色の金属製の棒杖だ。その表面にはまるで笛の様に細かいキーが並び、何かの記号が描かれている。
その棒杖の端からはコードが延び、腰の携帯電話に直結していた。
「何をしている…あれから2日も経っているのに…」
棒状をねめつけて彼は呟く。
彼が腹心たる2人の手錬れにターゲットの周辺を探らせ始めたのは2日前のこと。
昨日、一人から交信が途絶え、そして今朝、またもう一人からも途絶えた。
「よもややられたか…それだけの手錬れが向こうにいるのならば…」
少年は顔を引き締める。そのすぐ横を同世代くらいの少年少女達が通り過ぎて行く。
だがもしも冷静に見る者がいればその異様さに気付いたかもしれない。笛を持つ少年は明らかに同じ年の少年達より、否,大人よりも遥かに老いているように感じることに。
「となれば、既に僕の居場所がバレている可能性は、高い」
言葉が終わるか終わらないかのその時だった。
人込みの中、彼が捕え、捕えられる2つの視線が人込みの合間を縫って絡み合う!
20mあまり先,一人の女性と少年との意識の距離が瞬間、0となる。
澄んだ青い瞳の女だった。迷いのない、まっすぐな殺意を込めた…
それは一瞬のこと,2人の間に開かれた道はすぐに人々によって埋められてしまう。
「チッ!」
少年は舌打ち一つ,その場を駆け出す。だがすぐにその足を止めることになった。
「ハァイ,ナハトちゃん。お元気?」陽気な声が、少年の動きを束縛。
目の前には薄い水色のシャツと同色系の長いスカートを佩いた20代後半の女性。
両の青い瞳には少年の紫紺の瞳が映り、輝いているのが見える。
「貴様は…」身構える少年。
ガラン…
女は手にしていた2本の複雑な形をした棒杖を少年の前に投げ出した。それらは乾いた音を立てて転がり、少年の爪先に軽く触れる。
それはイシエルの持っていたものと酷似する、壊れた神具。
「腕前はなかなか、かしら」
「お前が2人を倒したのか?」半眼で少年・ナハトは女性を睨み付けた。
「半年は規則正しい健康な生活を送ってもらうでしょうね」クスリ,微笑む彼女。
「アルージャの奴が言っていた、静音の清流・ミーズか…」
「ご大層な字だこと。もっとも私はOBなのよ」おどけてミーズは彼に答えた。
「へぇ、そうかい?」
不敵な笑みを浮かべるナハト。その彼の棒状を握った右手が素早く動く!
パン、パパンパン!
炸裂音,続いて、
「うわ!」
「きゃ!」
「なになに?!」
ミーズはつい目の前の騒ぎに視線が移る。入場門の装飾ランプが電圧に耐え切れなくなったのか,連続して幾つか割れて人々に破片を振り撒いたのだ!
『ミーズ姉さん!』音を聞きつけたか、インカムの先からナビゲーターの声。
ミーズははっと我に返り、目の前の少年を視界に捕らえ…
「…アフラ,逃げられちゃった。入場門の電飾が割れてね」
『それがナハトの電脳界に作用して現実界に影響を及ぼす能力どす』戒めるような調子の言葉が、ミーズにノイズと共に届いた。
「厄介な能力ね。あの手に持ってた機械でそんなことしたのかしら?」ミーズはナハトの神具である棒杖を思い出しながら呟く。
『子供だからって油断したら負けどす。電影のナハトの力,日本だからこそ120%発揮されますぇ。一般人も巻き込まれる可能性が…』
「気を付けるわ」
言葉を切り、表情を改め堅い顔でミーズは電飾の破片で怪我をした見物人達を一見し、再び人込みの中へと消えて行った。
消えたその後を、長身の女性が訝しげな顔をして通りすぎる。
「何があったっしょ?」壊れた展示用の門を見上げる彼女。
しかし一瞥しただけで興味はなくなったのか、学園の中へ足を進め人込みの中へと再び潜って行った。
ギュィィィィンン♪
中庭にギターのサウンドが響く。
「どうしました? 先輩?」
ミキサーをいじる学生がステージの上の男にそう声を掛ける。
「時間は早いが、音をそろそろ暖めておこうかと思ってな」
「いいですね,やりますか!」
ドラムの調整をしていた男子学生が嬉しそうな顔をする。
「聴かせてくださいよ、先輩!」
「俺,初めて聴くんですよ」文化祭実行委員の腕章を付けた学生と、同じく舞台の雑用をこなしていたメタル同好会の学生もまたそうせがむ。
「よぉし,聴かせてやるぜ、俺の踊りをよ」
ギターに手を掛けるその男は嬉しそうにそう言うと密かに懐の携帯電話とギターとをケーブル接続。
ポケットからサングラスを取り出してそのまま目に。
ギィィァアアン♪
彼の,力天使のハッキングが始まった。
誠は菜々美に体育館までその手を引っ張られていた。
「ちょっと、そんなに引っ張らんといてぇな。スカートは歩きにくいさかい」
「時間がないのよ」
「時間?」
やがて菜々美は誠の手を引いたまま、何故か人のひしめく体育館を突き進む。
「何や?」
誠は体育館に集まる生徒や一般客の視線の方向を見る。ここ体育館では生徒総会などの講演が出来るように舞台も設置されている。皆の視線はそちらに向いている様だが…
「早く、まこちゃん!」
「ん、ああ」引っ張られて見るどころではなかった。
二人は舞台脇の楽屋部屋に飛び込む。
「何だ? あんたら?」
今やっている講演かなにかのスタッフであろう,野球部のジャージを着た男子学生が二人を怪訝な目で見つめる。
「飛び込み参加、水原 誠でお願いね」
「菜々美ちゃん?」首を傾げる誠。
「水原ぁ? ってこいつがか?」男子生徒はまじまじと誠を上から下へ眺める。
「…こいつはスゲェ,さ、早く行きな」感嘆の溜息と共に男子学生。
”飛び入り参加? 一体何にや?”
戸惑う誠を菜々美とジャージの男子生徒がその手を引っ張り舞台袖に。
「ちょ、二人とも、何する気や?!」
「「がんばれ!」」
舞台に蹴り出される誠。
パシャパシャ!
「っ?!」
たたらを踏んで舞台に足を踏み出すと共に強烈なスポットライトが左右から誠の目を焼いた。
彼は思わずライトに手をかざして光を遮る。
「「「おおお!!!」」」続いて向けられる歓声とどよめき。数えきれないほどの視線。
「??」
次第に光に慣れてきた目で、誠は辺りを伺い,そして硬直した。
舞台を見上げるのは先程掻き分けてきた見物客達の無数の視線。
誠と反対側の舞台脇に並ぶのは司会者と思しきスーツの男子生徒と女子生徒。二人の後ろに居並ぶのは老若男女を問わずに5人の何かの審査員らしき人達。
そして誠の背後,舞台の奥に並ぶ女装をした男ども。
舞台の上の方,飾り幕にはこう書かれていた。
『第3回 ミスター大和撫子・女装でポン!』
女装コンテストだった……
”菜々美ちゃ〜ん!!!”心の中で悲鳴を上げ、蹴り出された舞台袖を睨みつける誠。
菜々美は満足げな表情でで親指を立てて合図している。まるっきり意思は伝わっていない様だ。
「飛び入り別嬪さんの登場です」司会者の男子が先程のジャージの男子生徒から渡されたメモを見ながら解説する。
「え〜 二年の水原 誠さん。女装暦7年のベテランです,最近は裁縫にも凝っていて今着ているメイド服もお手製だということで」
「あの科学部の…ですよね。こんな趣味があったなんて残念だなぁ」
淡々と会話を進める二人の司会者達。女生徒の方が誠を見ながら残念そうな,それでいて嬉しそうな顔をする。
「ないわぁぁ!!」ツッコミの誠。
「おや、その残念っていうのは?」無視される。
「結構、隠れファンって多いんですよ。でもこれだけ可愛ければグーかな?」
「それでは審査員の方々,点数をドウゾ!」
ばっと後を振りかえる男子生徒,5人の司会者達はそれぞれ手にした札を上げていく。
「10点 10点 9点 10点 9点で48点! 最高点で飛び入りの水原 誠さんが第3回 ミスター大和撫子・女装でポン!の王座に輝きましたぁ!」
「「「おおおおお!!」」」女司会者の結果発表に観客から声援が、後ろの参加者からは「ちくしょ〜」とか「来年こそは」とか「惚れたぜ」とか聞こえてくる。
「では見事王座に輝きました水原 誠さん,御感想をどうぞ!」首に花輪を掛けられ、馬鹿でかいトロフィーを渡された誠は、マイクを女司会者に突きつけられて硬直しかかった口を動かす。
「僕は…僕は男や…なんでこないなことになってしもうたんやろ」ガックリ膝を付く。
客席から押し寄せるような歓声と拍手を受けながら、舞台の幕は引いて行った………
「さて、ナハトは何処に…」
アフラは冷め始めたコーヒーを飲み干し、端末のコンソールに手を付ける。
ピピピピ…
途端、警告音が小さく響く。
それは前兆だった。
「ん?」アフラは警告を発するアプリケーションのウンドウに目を走らせる。
−−−システムに介入者あり−−−
「誰?」
彼女と同じ、ハッキングレベルがAの侵入者にアフラの表情が硬くなった。
次々に文字列が流れて行く。
−−−学園西門コントロールを奪取されました−−−
−−−東雲大学B3Fメインシステムアクセス権が全権掌握されました−−−
−−−東雲高校A〜Cブロックの電力コントロールが管理者からユーザー・力天使に移行しました−−−
………
……
…・
「何? これは?!」
アフラは慌ててコンソールを叩く。
しかし画面に流れる突然の侵入者への東雲学園メインコンピューターの各権利の移行は止まらない。
「ナハトの仕業? いえ、違う!」
ナハトのアクセスはアフラの携帯端末によって逐次観察されている。
彼女の液晶画面の端に展開されている学園の地図のウィンドウ。
そこにナハトの現在位置が赤い点で点滅しており、依然そのシステムへの影響力は皆無に等しいことをトレースしてあった。
トレースというより、予めアフラがシステムに関与してくる者にアクセスの段階でマーカープログラムを張り付け、その行動を追跡,及び時には制限する事が出来るようにしたのだが…
−−−ログイン監視システムがユーザー・死の天使からユーザー・力天使へと移行しました−−−
だがそんな地図のウィンドウから赤い光点が唐突に消失する。
「何者や、このパワーとかいうのは…ウチのマーカートラップを退けて、ウチの支配下にあるメインコンピューターのアクセス権を奪って行くなんて…」
信じられないものを見るような、そんな表情でアフラ。
「第一、メインコンピューターに張っておいたウチのガーディアンプログラム達はどうしたいいますの?!」
これ以上権利を剥奪されないようにキーボードを叩くアフラ。
しかしそれ以上の速度で力天使を名乗るハッカーはメインコンピューターに介入して行く。
まるで流れるような力強いリズムに乗って、侵入者はその力を広げて行く。
すでに今のアフラにナハトの姿は映ってはいなかった。
珍しくお気に入りの女の子も傍につけずに彼女は人通りの激しい校舎の廊下を一人フラフラ歩いていた。
「盛況よのぉ…」目を細めて往き過ぎる人々を眺める彼女,とクラス別の出し物の中の一つに彼女は目を付けたのか、つかつか歩み寄って行く。
『1−B,駄菓子』とあった。
「そこな娘?」彼女は売り子の女生徒にそう声を掛ける。
「はい? あ、ファトラさん。ひやしあめはいかがですか?」
顔を向けた少女は菜々美の同級生、小坂こころ。営業スマイルで飲み物を勧めた。
「…何じゃ、こころではないか。ところでひやしあめとは何じゃ?」
声を掛けたのが思わぬ知人である事に拍子抜けしたしたのか,しかしファトラはこころの勧める『ひやしあめ』とやらに興味を持ったようだ。
「はい、大阪ではメジャーな飲みモノですよ」
「ふむ、もらおうか」
「100円です」
紙コップに透明なその液体を注ぎ、ファトラに手渡す。
ファトラは受け取り、中身の匂いを嗅ぐ。
無臭。
「毒なんか入ってませんよ」苦笑いのこころ。
「いや、決まってこういうものはマズいという展開だからの」
「私はこれ、好きですよ」
「そうか?」ファトラはコップの中身をクィと一気に口に含む。
っぶぅ〜
「きゃ!」
襲い来る飛沫を身をかわして避けながらこころ。
「な、何じゃこのさらりとした舌ざわりの割には極限まで甘さを追求し、アクセントとして加わるショウガのピリリとした辛さ!」
「そしていつまでも口の中に残るハッカ臭いような香り」こころが笑顔で付け加える。
「おいしいでしょ?」
「ま〜ず〜い〜ぞぉぉぉ!!」
背中に津波を背負ってファトラは雄叫びを上げた。ギロリ,こころを睨みつける。
「わらわにこんなものを飲ませおって…お主の体を以って償ってもらおう」
「い、いやぁぁ!!」逃げ出そうとするこころの腕をファトラは掴む。
「テメェのおとっつぁんの残した借金、娘のお前に払ってもらうぜ」
「いや〜! それだけは,それだけはご勘弁をぉ,お代官様ぁ!」いやいやと掴まれた腕を振るこころ。
「いやよいやよも好きのうち,げへへへ…」ファトラはよだれを拭い、野卑な笑みを浮かべる。
と、その後頭にかかと落としが炸裂した。
「何をやっている何を…」ハスキーな女性の声が付随する。
「ぬお、イフリータ?!」頭を押さえてファトラは振り返った。
呆れ顔の彼女がそこに立っている。
「いやなに、ついつい寸劇を。こころの奴がノリが良いものでな」
ファトラは言って視線を売り子に戻す。すでに彼女は仕事に戻っていた。
「おばちゃん,この駄菓子下さい」幼い子供が恐る恐るお菓子の一つを指さしていた。
「あ? おばちゃん?」ガン付けこころちゃん16歳。
「お、おねぇさん…」
「はい、いらっしゃいませぇ,20円ですぅ!」
視線をイフリータに戻すファトラ。
「…ええと、で、なんだっけ?」
「誠と同じ顔でそういうことをするなと言っているのだ。全く」イフリータは溜息と共に肩の力を落とす。それにファトラは頬を膨らませて反論した。
「この顔はもともとじゃ。それに…誠が何をしようとお主には関係ないではないか、付き合っているわけではあるまい?」
ニヤリ、いたずらっ子の様にファトラ。
「付き合っていれば文句はつけられるというのか?」しかし真剣な表情で返されてファトラは言葉に詰まる。
「そ〜いう訳でもないと思うが…まぁ文句は言えよう」
「どうして言えるんだ?」
「どうしてって…嫌じゃろう? 自分だけを見ていてもらいたい,そんな独占欲もあって『付き会う』ということになるのではないかな?」
「独占って…そんなつもりは」困った顔でイフリータ。
”ほぅ、コイツがこんな顔をするとは、な”
「お主がわらわに文句を言ったのは、誠とダブって見えたからであろうが。わらわがこころや色々なな女御に声をかけているのを気にいらないというのは、誠がそうしていることが許せないということであろう?」
「…そうなのかもしれないな」静かな笑いを浮かべるイフリータ。
彼女が顔を上げると同時に元気な声が二人に掛けられた。
「ファトラにイフリータじゃねぇか,珍しい取り合わせだな」
人込みを掻き分けて廊下の向こうからやってくるのは、
「シェーラではないか、何じゃ? それは??」
「なんだ、その格好は、勇ましいな」
異口同音のシェーラへの感想。
「イフリータまでそんなこというか…」シェーラは困った顔で己の男装姿を見る。しかし気を取り直したようにイフリータにニヤリと笑みを向ける。
「しかしよぉ、誠は女の子してるぜ」
「?」
言葉の意味が分からずにイフリータは首を傾げる。
「お前が男装,ということはもしかして誠は女装しておるのか…わらわそっくりになるのか?」
「ファトラより美人だったぜ」思いだし笑いを浮かべてシェーラ。自分自身も男装が似合っているのは棚に上げている。しかしファトラは彼女の言葉に美しい柳眉を逆立てた。
「なぬ! わらわそっくりの顔しよって、わらわより美しいだと? 許せぬ! いや待てよ,そうか、このわらわよりも美しいとな…楽しみよのぅ、ぐふふぅ」
「誠…お前はとうとうそういう道に…」
何か如何わしい事を考えて含み笑いを漏らすファトラに、衝撃を受けて愕然とするイフリータの対照的な姿はシェーラの笑いを増幅させるには十分なものだった。
東雲高校・東館2F廊下。
「ナハトは何処に行ったの? アフラ?」ミーズはインカムに向かって問う。
『ザァァァ…』
しかしノイズしか聞こえてこない。ミーズは溜息一つ,再び周囲に視線を走らせた。
その視界に、彼女にとって一番会いたくて、しかし今は一番会いたくない人物が映る。
逃げ様にも、すでに向こうも彼女を捕らえていた。
「おや、ミーズ先生。風邪はもう宜しいのですか?」
笑顔を向けて駆け寄ってるのは藤沢真理。
「藤沢様…ええ、まだ少し引きずってはいますけど」
コホン、小さく咳をして見せるミーズ。そんな彼女を藤沢はじっと見つめ、そしてボソリ、呟く。
「何かあったんですね」
「え…」
一つ、小さく震えるミーズ。
「初めて貴女とお会いした時と、同じ顔をされてますよ」
あくまで声は硬いが、しかし優しく藤沢は彼女に言って手を差し出した。
「………」
「私で良ければ、力になりましょう」
”…ありがとう。貴方には私のこの姿は見せたくないから”
ミーズは無言で首を横に振る。
「そうですか。では頑張ってください」
手を引っ込め、彼は笑う。
「…止めないのですか? 私を」まるでいけないことをして親に叱られる少女のような、そんな弱々しい顔でミーズは彼に尋ねる。そんな彼女に藤沢は苦笑い。
「今のミーズさんはあの時のミーズさんとはもう違うのでしょう? あの時、貴女は痛みを知ってしまった,痛みを知った人間は知らない人間よりも相手の事を想う事が出来ます」
「でも、同じことを繰り返すかもしれませんよ」上目遣いに、ミーズは再び問う。
「もしそうならば…それはそうなることがベストなのかもしれませんね。でも私は貴女のことを信じていますから。人を生かすことに誓いを立ててくれた貴女の事を、ね」
ポン、藤沢はミーズの頭を軽く撫でる。
「…はい」笑顔で、彼女は彼に応えた。
「あ、そうだ、藤沢様?」
藤沢とは反対側に歩き出した彼女は、不意に思い出したように振り返る。
「何でしょう?」
「今週の日曜日、映画に付き合って頂けませんか?」
「…ええ、構いませんよ。良いですね」
「では、必ず!」ミーズは嬉しそうに言って、駆け出した。
死の天使はメインコンピューターの椅子に腰掛けている。
長い長い階段の上にあるたった一つの椅子。
と、階段がまるで砂の様に崩れ去った! 同時に椅子もまた支えるものをなくして下へ下へと落ちて行く。
死の天使はその灰色の翼を広げる。
「貴様が力天使か」
死の天使の見つめる先に、メカニックなフォルムを持った機械仕掛けの大男が立っていた。
金属で出来た機械仕掛けの翼を持ち、全身をいかつい機械の鎧を纏っている機械仕掛けの天使。
同じ天使であっても、目の前の死の天使とは相対する姿,すなわち機能を有していることが分かる。
力で押すタイプ,死の天使はそう感じ取っていた。
「貴方が高名な死の天使、ですね」慇懃にパワーが頭を下げる。
「私のネームを知っているとはね」苦笑の死の天使。
「先程ログは読ませていただきましたよ。貴方がこの電脳界最高峰と言われる東雲学園のネットワークに不法アクセスしているとは思いもよりませんでした」
「はたしてそうかしらね,私と知って喧嘩売ってるんじゃないの?」
「…勝てない喧嘩は、しませんよ」ニヤリ,機械の顔が笑みに歪んだ様に見えた様な気がした。
「シルフィード!」叫ぶ死の天使。
死の天使の広がった翼から、数陣の鋭い風がパワーに迫る!
シルフィード,それは風の妖精をイメージした素早い実行力が特徴のガーディアンオプション。
しかしそれらはパワーの目前で弾けて、散る。
「!?」
「論理空間の一部のフォーマットを変えさせていただきました。今や私の方がアクセス権の占有率が高い事をお忘れなく。さらに」
パチン,指を鳴らす。
途端、空間の質が変わった,黒から一面の銀色へと。
「ここはすでに私が占拠した空間だ,コール:バグロム『カツオ』!」
パワーの実行命令に応じて、銀色の中から次々と人型の昆虫のような化物が生まれ、死の天使に迫る!
「コール:シルフィード!」
風の乙女が迎え撃つ!
「シャァァ!」
「ぎぃぃ!!」
しかし速度がウリのシルフィードの行動は明らかに先ほどよりも低下していた。
隙を突かれ、シルフィードはカツオの鉄拳の元、次々と霧散して行く。
「独自フォーマットの空間だというの?!」
フォーマットとはプログラムを走らせる場の事。例えるならばスキーを履いたパワーがスケートリンクにいた死の天使を足元が氷ではなく、ふっくらとした雪の上に場を瞬時に移し変えた,そんなものだ。
それにより行動に関して、プログラムの変換という一つの工程を挟まなくてはいけない死の天使に対して、パワーはダイレクトに実行を出来る,そこに処理速度の溝が生まれるのである。
さらにこの場のフォーマットはあらゆる場所を渡り歩く事のできる翼を持った死の天使を以ってしても『飛び』難い、新しいフォーマットだった。
「言ったでしょう? 負ける喧嘩はしないって」
タップを踏む力天使,外見に似合わずに軽やかな体捌きで一気に死の天使との距離を詰める!
「死の風よ!」
死の天使の翼から吹きつける灰色の嵐!
「コール:バグロム『イクラ』!」
足元からやはり虫型の、がたいの良い怪物が生まれ、風に向かう。
壁と化した巨大な虫は死の風を受け、体表にヒビが入る。
が、それだけだった。崩れ去る事は、ない。
「んな!」死の天使の驚愕の内に、風は止む。
途端にイクラの影から踊り出たパワーは死の天使に渾身のボディーブローを炸裂!
−−−アクセス・アウト−−−
その文字列が流れ、アフラは東雲学園のネットワークから叩き出された。
「………この、この私が」
ぎりりと、アフラは己の唇を噛む。白魚の如き指がコンソールの上で踊るが、画面には続けざまに次の警告が出てくるだけだった。
−−−アクセスは遮断されています。システム管理者に連絡下さい−−−
「誠!」
「誠はどこじゃ?」
二人の女性がそこに駆けこんだ。後から男装の少女も呆れ顔で喫茶店である教室に入ってくる。
「いらっしゃいませ〜ん♪」
出迎えるは女装(?)の何か,そこにあるは異形のモノ。
ふりふりのフリルついたスカートに、おどろおどろしい長髪のカツラ,出っ張った腹に入りきらないメイド服。
誠と同じ物を身につけているのにそいつは全く違うものだった。
「遊星からの物体X?!」慄くイフリータ。足が小刻みに恐怖に震えている。
「次なる暗殺者・ラブリンモンローか?!」ファトラは叫び、身構えた。
そして二人は口を揃えてそれにこう告げる。
「「こいつ、人間じゃねぇ!」」
「尼崎だ! 俺はセタガサンシローのCMですら脇役かい!」
さすがに涙を滲ませる尼崎。その形相に客はさらに引いた,恐い…
「いらっしゃいませ♪」救いの手を差し伸べる様に快い声が三人を出迎える。
それはコーヒーポットを手にした男装のクァウール。
「おお、クァウールではないか! ああ…目が洗われるようだ」ファトラは感涙。
「ちょ、抱きつかないでください!」そんな王女を引き剥がすクァウール。ボクサーのクリンチから逃れるような彼女にシェーラは首を傾げて尋ねた。
「あれ、誠の奴はどうしたんだ?」
「今は休憩の時間ですよ。イフリータさんお一人で?」
ファトラを尼崎に引き渡して身の安全を確保したクァウールは店内を見まわすイフリータに訊く。
「いや、ツレが先に来ていると思ったんだが…」イシエルを思い出しながら彼女は呟いた。
「ところであっちで鬼のようにキーボード叩いてるのは」続けてアフラを指差す。
ガタン,彼女は唐突に立ち上がった。ギロリ,クァウールに鋭い目を走らせる!
「クァウールはん! この学園のメインコンピュータールームへ案内して」携帯端末をバックにしまいながら、彼女は他には目も向けずに言う。
「? 一体急にどうして??」
「訳は後で話しますぇ,手遅れのならないうちに!」真剣な目のアフラを真っ向からクァウールは受け止め、そして力強く頷いた。
「分かりました。シェーラ,あとお願いね!」
「あ、ああ」気迫に押されて頷くシェーラ。
二人は廊下へと駆け出して行った。
「何だったんだ?」駆け去って行った2人の方向を眺めながらイフリータは唖然と呟く。
「アタイの休憩時間はもう終わりなのかよ」ぶつぶついいながらもシェーラはステンレスのお盆を手に…
殺気!
「いらっしゃいませ〜」来客に応える声。
尼崎?
その彼の向こうから、鋭い何かが飛ぶ!
「チィ!」
カカン!
シェーラがファトラに向けて放ったお盆が空中で何かにぶつかり停止、カランと床に落ちる。
お盆には10cm程の太い針のようなものが何本も生えていた。
人影が、ファトラに向かい走る!
シェーラは自らの懐に手を入れるが、間に合わない。
「!?」
長身の暗殺者から振り上げられる蹴りを、ファトラは両手でガード。
しかしその破壊力は彼女をそのまま後ろへと吹き飛ばした。
がしゃあぁん!
アフラのいたテーブルに激突。机が倒れ、コーヒーカップが床に落ちて砕ける!
ファトラは腰をしたたかに打って思わず呻き声をあげた。
「イシエル!」人影に対して叱咤が飛ぶ!
「イフリータか」ジロリ,人影・イシエルはファトラに気を向けたままイフリータに応えた。
「何をしてる」
「私は私にけじめをつける。誰のためでもない、私のためにファトラを倒し、そして新しい自分を見つけだす!」言い放ち、手にした錫状を構えた。
「させるかよぉ!」
懐のルガーに手を掛けるシェーラ。
「手を出すでない、シェーラ!」ファトラの鋭い声!
「んな!」いつもにない王女の気迫に、シェーラは手を止める。
「イシエル…とか言ったな」身を壊れたテーブルから起こしながらファトラ。しかしそれにイシエルは無言。
「お前は仕事ではなく自分自身の為にわらわを倒す、そう言ったな」
しばらくの沈黙。
やがてイシエルが口を開く。
「…お前には不本意だとは思うが、覚悟してもらおう。こういう形でしか、私は自分を見つめることができないようだ」小さく苦笑いのイシエル。
「ふぅん、変わったやつだ。面白いな、お主」体の埃を叩き落としながら王女は鼻で小さく笑った。
「わらわもただで付きおうてやる気はない。わらわの条件を飲めばタイマンで勝負してやろう」ニタリとした嫌な笑みを浮かべるファトラ。
「条件だと?」イシエルは怪訝に尋ね返した。
「わらわが勝ったら、お主にわらわの言うことを一つ聞いてもらう」
壊れたテーブルの上に腰を下ろし、ファトラは余裕の表情。
「殺す気で来なければ、死ぬっしょ」
「今のお主にわらわを倒せぬよ」悟り切ったようにファトラは彼女に言い放つ。
「良いわ,私も確実な方が良いしね」無表情にイシエルは同意する。
「では屋上に来い。ここでは営業妨害になるからな」
突然の状況に面食らったままの一般客達を見まわしながら、4人は各々異なる感情を抱いたまま喫茶店を後にした。
23 女装と殺意とマイレボリューション 了