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水原邸 6:45 a.m.



 ピピピピピピピピピピ………ピッ

 音が止まる。

 雨戸から漏れる一条の光が寝台の上を照らす。

 澄みきった、真っ直ぐな光。今日生まれたばかりの光だ。

 その狭く照らされた空間には毛布の塊が映っていた。

 塊から白い手が伸びている。その先には、正しく時を刻む機械の小箱が握られていた。

 動きは止まる。

 しばらく、メトロノームな音だけが唯一の沈黙の部屋の吐息となる。



陣内邸 6:50 a.m.



 シャコシャコシャコ…

 左右への右手の動きを止める。掴んでいた物を放し、水道の蛇口へ。

 ジャー

 流音。

 蛇口をひねった指先が、透明なその流れを受け止める。

 ツメタイ

 その感覚が、彼女のほんの少し朦朧とした意識を完全に覚醒させた。

 洗面所,その目の前にある鏡に映った自分自身を彼女は今はっきりと見つめる。

 「おほよ,ままみ」

 歯ブラシを咥えたままの菜々美が鏡の中から笑いかけた。



水原邸 6:55 a.m.



 チッ・チッ・チッ・チッ・チィ・『10分過ぎたよ、起きなきゃダ・メ』

 白い手が握る時計から、女声の電子音が不意に流れた。

 チッ・チッ・チッ・チィ・『いい加減に起きないと、鷲羽ちゃん、怒るわよ〜』

 沈黙。

 チッ・チッ・『3・2・1…覚悟はいい? 必ず殺すと書いといて死ぬことはない「電撃イライラアタック」!!』

 「うぎゃぁぁぁ!!」

 暗闇の部屋に、電光と悲鳴が走った!

 沈黙。

 チッ・『さぁ起きた? 今日も一日、張り切って行きましょ〜』

 ごそり

 毛布の山が動く。

 中から出てくるのは一人の青年。

 彼は心もとない足取りでベットから降りると、唯一の扉に手をかけた。

 ガチャリ

 開く。

 朝の光が彼を迎えた。



陣内邸 7:00 a.m.



 「さっさと出てこんか,菜々美!!」

 「うっさいわね,バカ兄貴!! 女の子は時間が掛かるのよ!!」

 「これでは私が遅刻するだろうが!!」

 「男のクセに髪型なんてど〜でもいいでしょうが!」

 「よかないわ!!」

 「はいはいはい…」

 菜々美は洗面所の外で扉を蹴る人影を適当にあしらいながら、鏡を見る。

 そして最後にいつものカチューシャで髪を上げた。

 「よし、今日も元気!」

 鏡の中の菜々美は、彼女に向かって笑顔で指差した。



水原邸 7:05 a.m.



 ポテポテポテ…ガチャン。

 パジャマを着崩した誠は、心ここにあらずといった感じでリビングへの扉を開けた。

 窓からは新鮮な朝日が差し込み、光と伴にやってくる熱による仄かに暖かい香りと白く霞がかった空気が彼を包み込む。

 その足で誠はキッチンのヤカンに火を掛けた。同時にTVのリモコンを手にする。

 ブゥン

 電子起動音。

 『おはよう、朝日です。只今7:07分。次は』女性キャスターの元気な声が沈黙の空気を揺らし始めた。

 誠はキッチンから離れ、TVの前のソファに身を沈める。その体勢のまま、彼の瞳は再び閉じた。

 どうやら今までの一連の動きは毎日の決まった行動のようだ。血圧の低い彼は極端に朝が弱い。

 シュシュシュ…

 火の掛かったヤカンからもうそろそろの合図が掛かる。

 しかしそれに応える者はなく、無常にもTVの音だけがこの場を占拠していた。

 『今朝のニュースです。昨晩、東雲市役所のメインコンピューターが強力な力によるアタックを受け、ストップするという被害がありました。原因は悪質なハッカーによるいたずらと推定,これによる被害はないと、関係者は発表しております』

 ムクリ、不意に誠は起き上がる。

 ピー!!

 同時に、まるで図っていたかのようにヤカンからけたたましい音が流れた。

 が、それはすぐに誠によって止められる。

 『この事件に関し、ハッカーは新種のコンピューターウイルス「バグロム」を使用。当局はこの事件よりもウイルスの危険性を察し、緊急に対処するとのことです』

 やがて誠はヤカンのお湯を、昨晩の内に用意しておいたのであろう,ティーバックの入ったポットに注ぐ。

 鼻をくすぐる安らかな芳香がリビングを満たした。



陣内邸 7:25 a.m.



 「現実よりもい〜まはぁ〜 伝説の中で交わしぃたぁ 約束を〜信じてい〜たい♪」

 コーヒーの入ったカップを右手に、菜々美は台所に立つ。

 その左手にはフライパンが握られていた。

 「えすえふな月明ぁかりぃ〜♪ よっと!」

 左手を軽く動かす。

 厚みが均一な薄い卵焼きが円形に宙を舞う。

 再びフライパンの上に落ちたところで半分に折られている。

 「次元を超えたなぁにかぁ〜がぁ〜♪ えい!」

 再び左手を動かす。半分の薄焼き卵がまた半分に、そしてくるくると巻かれていく。

 「二人ぃを〜引き寄せてぇいくぅ〜♪ できあがりっと!!」

 まな板の上に棒状の卵焼きを置き、包丁で切っていく。

 そしてそれを小さな箱の中へ。

 箱の数は、二つ…



水原邸 7:40 a.m.



 白光が彼女の端正な面の輪郭を寝台の上に影として落とす。

 「んん…」

 閉じている両の瞳。その目じりに僅かにしわを寄せてから、彼女はゆっくりと身を起こした。

 「ん…」小さく背伸び。

 ゆっくりとその瞳が開かれる。朝日にアメジストの光が映った。

 「…・・」

 ぼぅっとした表情。彼女はベットを降りる。

 寝相は良くないのか、大きめなパジャマがかなりはだけている。

 それを気にすることもなく、彼女はそのまま誰かと同じ、頼りない足取りで廊下への扉のノブに手を掛けた。



陣内邸 7:45 a.m.



 「いってきまぁ〜す!!」

 菜々美は玄関口でそう叫び、家を飛び出した。

 手には学生鞄と、包みが一つ。

 彼女が走るは、隣の家の玄関先。



水原邸 同刻



 『今日の星占い…』

 「…顔、あらおか」

 空になったカップをテーブルに置き、誠はソファから起き上がる。

 どうもまだ目が覚め切っていないらしい,足取りは危なかしい。

 少し下がったパジャマのズボンの裾を、右足だけかかとまで踏みつつよろけながらも洗面所への扉を開けた。

 引き戸,思った以上に軽い。

 「?」しかし未だ寝ぼけている彼は気付くのは遅かった。

 やはり扉の向こう側で開けようとしていた、寝ぼけた彼女がいたことに。

 ドタバタガタタン!! ガゴン ムニ ドカ…

 「くぅぅぅぅぅ!!!」後頭部をしたたかフローリングの床に打ちつけた誠は、くの字になって頭を押さえる。

 「あ、誠。おはよう」

 「? …!!」

 すぐ傍からの声に、誠は顔を上げて絶句、のち赤面。誠は完全に目が覚めた。

 「どうした、誠」ハスキーな声が飛ぶ。

 彼女、同居人イフリータは誠に覆い被さるように同じく倒れていた,誠が下敷きになったような感じだ。

 どうも未だぼぅっとした感じで、自分の下の誠の顔をまじまじと見つめるイフリータ。

 しかし顔を上げた誠の視線の先にはイフリータの顔ではなく、そこからやや下がったところ,着衣の乱れた彼女の胸が映っている。

 「ちょ、イフリータ,学校に遅れるさかい…どいてくれへんか」視線を顔ごと横に向け、誠は言う。

 その移した視線の先には唖然とした一人の少女の姿が。

 「? 学校…ああ、そうか。そんな時間か」そんなイフリータの声は一気にかき消される。

 「何やってるのよ,アンタ達は!」

 ビッシィ,二人を指差す菜々美。

 これだけ見れば、着衣を乱して抱き合う二人にしか見えない。

 「ち、違うんや,菜々美ちゃん。これはイフリータが倒れてきて…」

 「そうだったか? 誠が私に抱き付いてきたんじゃないのか?」淡々とイフリータ。

 「寝ぼけんといてや、イフリータ!!」

 「…朝はどうも弱いからな」

 「いいからさっさと離れて、着替えなさい!!」

 半ば呆れた、菜々美の叱咤が飛んだ。

 これが最近の、水原家における朝の日常である。



7:55 a.m. 〜



 連日のしとしととした雨は止み、つかの間の晴天。

 突き抜けるように高い青空には、あのやぼったい雲一つない。

 吹き抜けて行く僅かな空気の流れはサラリとした心地よい暖かさを肌に当てていってくれる。

 「じゃ、行ってくるで。出かける時はしっかり戸締りしておいてや」

 「行ってらっしゃい」

 僕は玄関先で手を振るイフリータにそう言い残して同じく手を振った。

 と、もう一方の手が掴まれ、引っ張られる。

 「さっさと行くわよ,もぅ、遅刻しちゃうじゃない!」

 頬を膨らませた菜々美ちゃんが僕の方を見ずに、僕の手を引っ張って前へ前へと進んでいく。最近、とみに機嫌が悪いように見えるのは気のせいなんやろか??

 僕は早足で菜々美ちゃんの歩速に合わせる。

 しばらく無言で歩く僕達。

 と、菜々美ちゃんは不意に立ち止まり、手にした包みを僕に押し付けた。

 「?」

 「菜々美特製お弁当。まこっちゃん、ちゃんとした食事してないでしょう? 栄養のバランス偏っちゃうよ」

 「ありがとな、菜々美ちゃん」僕はありがたくそれを受け取る。

 「あ」同時に僕は言い忘れていたことを思い出した。

 「? どうしたの? 忘れ物?」菜々美ちゃんは心配気に尋ねてくる。

 「今日、僕、研究発表会なんや」

 「? 何、それ?」案の定、彼女は知らない。

 「ストレルバウ校長が主催する、学術発表会ですよ」

 それに対する思いも掛けない言葉は背後からやってきた。

 「おはようございます,誠さん、菜々美さん」

 「おはよう、クァウールさん」

 「おはよ」

 僅かに息を切らせて、彼女は僕たちの横に並ぶ。

 「クァウールさん、何で知ってるの?」憮然と菜々美ちゃんはクァウールさんに尋ねる。

 「私にとって、おじいさまですから」対照的に、微笑んで柔らかく応える彼女。

 「あ、それもそうか」

 ストレルバウ校長はミーズ先生,クァウールさんの祖父の兄弟に当る人だそうだ。

 それもあって彼女達はストレルバウ博士の家にホームステイという形で一緒に暮らしているのである。

 「元々は博士がこの東雲に赴任してきた当初、生徒達に先端の技術を見せたくて知り合いの科学者達を呼んで開いたのが始まりなんや」

 「今では世界各国から、科学者達が集まるんです。一流の科学者達も必ずこのイベントにはチェックを入れているそうで、結構有名なんだそうですよ」

 「ふぅん。まこっちゃんは何か発表するの?」

 「うん、だからもし良かったら見に来てくれへんかな、と思うて」

 菜々美ちゃんはしかし、難しい顔をする。

 「今日はバレー部に助っ人頼まれちゃってるからなぁ…」

 「私、見に行っても宜しいでしょうか?」と、こちらはクァウールさん。

 「ええ、時間があったら見に来てください」

 「はい!」微笑む彼女。と、その間に菜々美ちゃんが入ってくる。

 「??」

 「やっぱり私も見に行く!」

 「え,助っ人は?」

 「いいのよ、何とかするからさ! そんなことよりも、走んないと遅刻するかもよ!」

 「って引っ張らんといてやぁ」

 僕は菜々美ちゃんに引っ張られて走り出す。後ろから息を切らせながらもクァウールさんが付いてくる。

 ふと、僕の手を掴む菜々美ちゃんの手に、いつもより妙に力が入っているような気がした。

 遠くに始業10分前のチャイムの音が聞こえてきていた。




 ポリポリ,いつものぼさぼさ頭を掻いて、担任の藤沢センセは連絡事項を手短に告げていく。

 朝のホームルーム。僕は半ば聞きながら外を見つめていた。

 ここから見える裏山のサクラの木は青々とした葉を付け、風に揺れている。

 久しぶりの日の光に、裏山全体がいつにも増して緑色が映えているように感じられた。

 「最後に、一時限目の情報処理の授業だが、担当の先生がこれまた突拍子もなく変わる」

 「どうして急に?」

 「ああ、今まで清音先生一人だけで全部のクラスを受け持っていたからな。増員だ」

 尼崎の問いに藤沢先生はあっさりと返す。

 「じゃ、また放課後な」言い残し、入れ替わるようにして一時限目の新任教師が入ってきた。

 「へ?」目が点になる。

 「「おお〜」」と、こちらはその他複数の男子生徒。

 女性の教師だった。問題はしかしそんなことではない。

 スタイルに自身のある人でないと着こなすことは出来ない、ピッタリとした体のラインの出る、黒いタイトスーツに身を包んだ彼女は、黒板に自分の名前を書く。

 『ディーバ=アウラウネ』 書き終え、威風堂々と向き直った。

 「宜しくな!」軽くウィンク,その視線の先には怪しい笑みを浮かべる陣内の姿があることに、この時の僕は気付いていなかった。




 なかなか分かりやすい一時限目の授業が過ぎ、他の生徒(主に尼崎を中心とした)のディーバに対する、よくある興奮が冷めやらぬうちにいつの間にやら昼休みに。

 「そや、資料まとめんと!」

 僕は発表会用の資料を部室に散乱させていたことを思い出す。

 発表会は隣に立つ東雲大学の方で今日の朝から行われている。僕は放課後,午後4時からだ。

 お腹が減るのを押さえて、僕は科学室へと走る。

 「何処へ行く? 誠よ」

 「あ、ファトラさん」いきなり僕の横を並走しだしたのは、ファトラさん。

 「ちょっと部室へ」

 「何故?」

 「放課後、東雲大学の方で研究発表会があるんですよ」

 「…アフラが出るとかいっておったやつか,何だ、つまらん」

 とブツブツ言ったかと思うと、ファトラさんはその速度のまま食堂の方へ進路を変えて行った。

 「つまらんって,一体なんやと思ったんやろ?」

 おそらくあの人の言う「面白い」は僕にとっては絶対に面白くないモノなんだろう。それだけは確信できた。

 渡り廊下を抜け、北校舎,特別教室錬にやってきた僕は科学室の扉を開く。

 「よっ,水原!」

 「鷲羽先輩,先輩も準備ですか?」

 奇怪な機械をチューニングするカニな髪型を眺めながら、僕は隣接する科学準備室に足を運ぶ。

 「今年はなかなか凄いわよ」科学室から、鷲羽先輩がそう、声をかけてくる。

 「へぇ…って、もうに見に行ったんですか?」

 「もち,授業サボってね」

 研究発表会,と僕は呼んでいるが、正式には『ストレルバウ科学アニバーサリー』というこの祭典は、東雲大学の校舎で毎年この時期に行われている。

 東雲大学は、ここ東雲高校とは対角線上,すなわちこの高校から見て背後の桜ヶ丘の左手,右の市立図書館の背後に位置する。

 隣接には違いないが、直接は繋がっていないため、大学生と高校生が敷地内ですれ違うことは少ない。

 当初はジャンルを問わずに行われていたこの祭典、今では参加する人数が増えたために、五つの学問毎のジャンルに分けられ、大学内の講堂を5つ借り切って行われている。

 なお、僕が出るのは化学分野,鷲羽先輩は機械科学の分野と、異なっている。

 「さっきなんてシュレディンガーの奴が時限炸裂爆弾作ってきたからね,湯川の核暴発弾頭もなかなかだったわよ。私もがんばんないとね」

 「ほ、ほどほどで頑張ってください」あまり関わりたくない単語の羅列に、僕は適当に相槌を打った。

 「そうそう」声が間近で聞こえる。振り返ると、鷲羽先輩がこちらに顔を覗かせていた。

 何かを僕に投げ渡す。

 「パンフだよ。ちゃんと時間通り部屋間違えないようにしなさい」

 「いくらなんでもこれには遅刻しませんて…」

 パンフレットをパラパラ,めくる。

 僕はC講堂で4:00から。題目は…

 隣に記載されている同時刻,A講堂の鷲羽先輩の題目が目に入り、慌ててそれを閉じた!

 「? どしたの?」

 「何でもあらへん」何考えてるんや? この人は!!

 「…先輩,犯罪は起こしちゃいけまへん」無駄だと思いつつも、取り合えず尋ねてみる。

 「? 学校内は治外法権じゃない」サラリと言う鷲羽先輩。

 「んなわけあるかぁぁ!!」

 ちなみに鷲羽先輩の発表内容は…いや、思い出すだけで恐いから言わないでおこう。




 「うまくやったようだな」

 「わらわにとっては息をするのと同じ位のものじゃ」

 生徒会長室,どっしりとした机が一つだけ置かれ、その後ろの壁には二m角の、でかでかとした現生徒会長の写真が額に収まって飾られている。

 机をはさんで二人の男女が部屋の荘重とは正反対に質素な、菓子パンを頬張りながら何やら話している。

 「それにしては今朝のニュースでは発表されていたではないか」

 男の方、陣内克彦はヤキソバパンを一口,齧るとそう非難する。

 それに対し女の方、ディーバは一つ軽く鼻で笑うとパク牛乳を一啜り。

 「ちょっと転んでしまってな。まぁ、わらわの作ったウィルス『バグロム』のタラはパワーはあるんだが何分、小回りが効かんのでな」

 「バレていないだろうな?」

 「大丈夫じゃ。だからこそ、わらわがこの学校の教師になっているのではないか。それよりも、今日の作戦だが」

 「ああ」

 言いながら、陣内は机の上にB3の紙を広げる。

 そこには細かい線が縦横無尽に走った地図のようなものが描かれていた。

 「なかなか複雑じゃの」額にしわを寄せ、ディーバはメロンパンを口に運ぶ。

 「うむ。この大学は学術的にも世界的に重要な拠点の一つでもあるからな」

 しばらくの沈黙。二人の食事だけが唯一の動きとなる。

 「ところで陣内殿」

 「何だ?」

 「科学者達を幽閉してどうするつもりなのだ?」

 「奴等は世界的な著名人ばかり。それをダシに世界を強請る!」

 最後のヤキソバパンを口に放り込んで、彼は胸を張って言った。

 「ぬぅ、さすがは陣内殿。その卑怯さはわらわでは遠く及ばんぞ!!」

 「フフフ…ヒャ〜ッヒャッヒャ!!」

 「ホ〜ッホッホッホ!!」

 二人の高笑いが生徒会長室にいつまでも響き渡っていた。

 広げられた図面は、ネットワーク地図であることに気付く者は、極少数であろう。




 ポン,彼女は肩を叩かれた。

 振り返るとそこには微笑を浮かべた女性の姿がある。

 「クァウールさん?」

 「誠さんの発表を見に来られたんでしょう? こっちですよ」

 「う、うん」

 東雲大学,いつもはロクに学校に来ない大半の大学生の為に静まり返っている構内だが、今日ばかりは勤勉な学生や異邦人達によって活気づいている。

 人込みの中でクァウールが菜々美を見つけることが出来たのは奇跡に近いが、二人は人の流れに乗ってC講堂へと向かっていた。

 「ねぇクァウールさん」

 「何でしょう?」

 菜々美は隣を行く一つ年上の同姓に思っていたことを尋ねる。

 「何でまこっちゃんは私に『見に来ない?』って言ったんだろう?」

 周囲の人込みを見渡しながら不思議そうに続ける。

 「サクラが必要なわけでもないのに」辿りついたC講堂の入り口。そこで次々に人が入っていくのを確認しながら彼女は首を傾げた。

 「そうですね」クスリ、クァウールは小さく笑う。

 「菜々美さんは誠さんがいつも部活でやってること,どう思います?」

 「どうって…すごい怪しいと思う」

 「そうですね、私もそう思います。あ、ここ空いてますね」

 二人は空いた席に腰掛ける。

 階段状に席が設けられている講堂は二百人は入るであろうか、一番下に舞台がありその背後に巨大な白いスクリーンがある。おそらくOHPによる図がここに展開されるのであろう。

 二人が席につく頃にはすでに九割方、席は埋め尽くされていた、それでも次々と見物人は増えていく。

 「誠さんは菜々美さんに見せたいんですよ」

 「? 何を?」訳が解らないのか、やや憮然とした表情で菜々美は隣に腰掛けた誠の同級生を見つめる。

 しかしそれに彼女は微笑を返すだけで何も語ることはなかった。

 ブー

 ブザーが鳴る。

 同時に講堂内のライトは一斉に消え、騒がしかった観衆,といっても一人一人が科学者だが,は同時にしんと静まり返った。

 舞台上にスポットライトが照らされる。

 「あ」

 菜々美は小さく呟く。

 白衣を着た誠が一人、数百の瞳を真っ向から受けて立っている。

 その表情は今まで菜々美が滅多に見たことのないものだった。

 いつもの困ったような、ちょっとぼぅっとしたそれとは違う。

 菜々美の怒りに怯えたそれとも違う。

 よく菜々美に話す、自分の研究に対して楽しげに話すそれに…少し似ている。

 揺らぐことのない自信を持って、自らの見出したことを言葉に澱みなく訴える。

 生き生きとした、楽しげでいて芯のしっかりとした感のある、表情。

 子供の頃から誠を知っている菜々美では気付くことが難しい、大人の表情。

 「話の内容は、私には良く解りませんね」苦笑するクァウールの言葉は菜々美の耳に届いてはいない。

 講談上の誠は、スクリーンに展開された何かの科学物質を示しながら、実際に簡易実験をその場で行う。

 「「おお!!」」どよめきが起こる。もっとも何がすごいのかは菜々美はクァウールには解らない。

 ただ、菜々美の視線は誠に当てられたまま動くことはなかった。

 やがて解釈が終わり、質問討議の時間へと移る。

 次々と投げかけられる質問に、誠は時には即答,時には順序だてて答えて行く。

 やがて、司会者の言葉により、質問が止められる,どうやら時間が迫っているようだ。

 最後に誠は舞台の上で小さく一礼,覆っていた暗闇が講堂内のライトを付けることによって払われた。

 講堂内に拍手が起こる。

 「菜々美さん?」

 「え…あ、どうしたの?」無意識に拍手を送っていた菜々美はクァウールの呼びかけに我に返った。

 「クァウールさん。ちゃんとまこっちゃんのやってることを認めてくれてる人って、こんなにいたんだね」

 菜々美は講堂内を見渡しながら、溜息とともに呟く。

 「そうですね。でも誠さんはそれだけを見せたかったんじゃないと思いますよ」

 「…分かってる。ちょっとまこっちゃんのこと、見直した…かな?」

 二人は顔を見合わせて小さく笑い合うと、席を立った。




 「おつかれ!」

 「なかなか好評じゃったな」

 「おおきに!」

 誠は舞台裏,鷲羽とストレルバウの両人に迎えられ、満面の笑顔で応じる。

 「対して鷲羽君のは…」老人はジト目で隣の少女を睨んだ。

 「何よ,この祭典は別名、兵器の祭典でしょう!」

 「「違う違う」」二人の声がハモった。

 「何はともあれ、鷲羽君の発表も一部特殊な方々には好評じゃったから良いようなものを。何も実物持ってこんでも良いだろう?」

 「爆発させなかっただけでもありがたく思ってもらわなきゃ」

 誠は二人の物騒な話をなるべく耳にしないよう、歩く。

 ふと、通りかかったD講堂から聞き覚えのある声が響いてくる。

 「あれ…?」

 誠はパンフレットを広げる。

 D講堂は心理・情報学の発表だ。そしてこの時間は? 彼はスケジュール表を見る。

 『題目:集団心理と個別心理の差異,それに伴う情報操作  アフラ=マーン』

 「あ、ちょっとここ、見ていくさかい。二人とも先行っといてや」

 「? ちょっと!」

 「心理学に興味あるのかの?」

 そんな二人の声を背に、誠はD講堂へと走っていく。

 閉じられたD講堂の扉を静かに開ける。

 観聴者は極端に少なかった。OHPは使わないらしく、ライトは付けたまま、舞台上では一人の女性が講釈をしている。

 誠は静かに前の方の席につく。

 「すなわち、集団心理における物の感じ方,価値観とは異なる訳です」

 チラリ、アフラの視線が誠のそれとぶつかる。

 表情を変えることなしに、アフラは講釈を続ける。

 内容は心理という分野をコンピューター上に構築し、そのシュミレートを行った結果と考察というもの。

 人が少ないのは、誠や鷲羽のような言わば『派手』な分野ではなく、結構地味な分野の為なのであろうか。また、この講釈に限らず、全てインターネット上でリアルタイムで公開されているためにわざわざ足を運ぶことをしないことも一因であるのかもしれない。

 「それでは質問の時間に移ります」

 司会の声が響く。それに対し、アフラの前に据え置かれたモニターに質問事項が羅列されていく。どうやら彼女の分野に属する科学者達は誠達の分野とは異なり、本格的に通信に携わっている者が多い様だ。

 「まずはカナダのレミィさんからの質疑です…」

 司会の言葉に、やはりアフラは表情一つ変えることなく淡々と答えていく。

 やがて静かに時間が打ち切られた。

 パラパラと、拍手が送られる。

 アフラは舞台から降りると、真っ直ぐに誠の方へとやってくる。

 「来てくれたんどすか?」舞台上の無表情とは異なり、やわらかな微笑を浮かべて彼女は誠にそう言葉を掛ける。

 「ええ、近くを通りかかったもので。でも話の中身は半分くらいしか解らへんかったけど」苦笑。

 「専門分野でもないのに半分解れば凄いですわ。でも近く通りかかったって…」

 「僕、隣のC講堂で発表してたんですわ。科学部やから」

 「へぇ」言いながら、アフラは手にした資料の中からパンフレットを取り出し、見る。

 その目録の中に誠の名を見つけて納得。

 「大学生や科学者に混じって発表は疲れますやろ」

 「いいえ、皆、話が合うんで楽しいですよ」

 「ふぅん…若いのにしっかりしとりますな」

 「若いのにって…アフラさんも大して変わらんのではないですか?」

 「…」アフラは軽く自分の頭を掻く。

 「それもそうですわ,ウチ、誠はんと同い年やったな」苦笑いするアフラ。それに誠も微笑み…

 「え?」動きが止まる。

 「大学生ですよね」

 コクリ、アフラは頷く。

 「何で同い年って?」

 「ウチ、飛び級してますから。エルハザードでは12歳で大学卒業も珍しくないんどすぇ」そう言うアフラの言葉に誠は呆然とする。

 「じゃ、アフラさんは…」

 「ウチは今大学三年生の16歳」

 ”僕より年下やないか”唖然とする誠。

 「でもファトラ王女は去年大学卒業しましたぇ」それ以上に驚きの発言。

 「で、でも高校に…」

 「なんや、『ばら色の高校生活を送りたい』とか我侭言いましてなぁ」

 「…ファトラさんらしいですね」

 「本人の前では言ってはあきまへんで」人差し指を口の前で立てて、彼女は微笑む。

 「でも誠はんもエルハザードで生れ育ったなら、ウチなんかよりも先に大学卒業ですわ」

 「そんな無茶な…,あ、ということはシェーラさんも?!」

 無言。

 「勉強、見てやってや」小声でアフラは、そっと囁いた。




 光飛び交う電子の海。

 今、彼女の頬を掠めて飛び去って行ったのはD講堂へのカナダからの質疑文章だ。

 「ネットは広大だわ」

 どこかの有名人が吐いたそのセリフを口にして、彼女は海をひた走る。

 と、不意に彼女は立ち止まる。

 「PASSWORD:ちちんぷいぷいあらよっとひらいてくださいな♪」

 バリッ!

 空間が『破れる』。

 彼女の目の前に巨大な門が出現した。

 「あ〜、今から入る,聞こえておるか?」あらかじめ取り付けたインカムに向かってそう、言い放つ。

 『聞こえているぞ、ディーバよ。お前の動きはこちらからちゃんとトレースしている。無理なようなら無茶をせずに戻ってくるのだぞ』

 「陣内殿…わらわのことを心配してくれているのか?」

 『我々の素性がバレるのはまずいからな』

 「照れ隠しせんでも良かろうに…」

 『さっさと行かんか!!』

 聞こえてくる怒声に、ディーバは微笑むと胸の前で印を組む。

 ブゥン!

 彼女の前に一枚の図面が空中に展開された。先ほどのネットマップだ。

 「ふぅむ、なるほどな」指を鳴らすとそれは消える。

 ディーバは軽く扉を手で押して、中へと侵入した。

 キシャァァ!!

 「?!」

 踏み込むと同時に蟷螂のような怪物が、己の巨大な腕を振り上げディーバに襲いかかる!

 それを懐に飛びこむことで回避したディーバは、怪物の胸(?)と思われる部分に両手を当て、

 「Cls!!」声でない叫び。

 ギシャァァ!!

 怪物の体が大きく瞬動したかと思うと、一瞬にして掻き消えた。

 『何があった? ディーバ?!』耳に届く陣内の声。

 「何でもない。市役所の時のように警備が手薄ではないな、やはり」

 周囲に目を配る。すでに彼女は同じ怪物に囲まれていた。

 すなわち、ガーディアンプログラムに。

 「Run Bugrom-Tara.exe!!」

 ディーバの力ある声に応じ、人型の鎧のような、奇怪な虫が現れる。

 「Run Bugrom-Tara.exe!!」

  「Run Bugrom-Tara.exe!!」

   「Run Bugrom-Tara.exe!!」

    「Run Bugrom-Tara.exe!!」

 続けざまに呼び出す。

 「では、思う存分暴れるのだぞ!」

 「「ウイィィィ!!」」

 敬礼した虫の怪物は、じりじりと包囲を縮めるガーディアンプログラムに襲いかかっていった。




 講堂とは異なる喧騒の満ちる空間。

 ごく普通の喧騒と言って良いだろう。

 気心の知り合った仲間同士、のんべんだらりと話す者。

 少し早めの夕食を取るもの。

 軽食を取りながら語らう者達。

 そんな中、誠はかなり遅めの昼飯を取っていた。

 東雲大学の学生食堂。二人用の席で彼は正面にアフラを伴って一心地付いていた。

 「今ごろお昼おますか?」缶紅茶を一口,彼女は誠の弁当を除き込む。

 普段、料理などしない彼女から見ても、それは凝った作りであることが解る。

 「昼は資料の最終整理で忙しかったもんで」苦笑する誠。

 「それは誠はんが作ったんでは…おへんなぁ」

 「あ、これは菜々美ちゃん,初めてアフラさんに会った時、隣にいた娘,覚えてます?」

 アフラは天井を見上げ、数刻。

 「ええ、利発そうな娘でしたな」

 「菜々美ちゃんいうて僕の幼馴染みなんやけど、その娘が作ってくれたんや。料理、うまいんやで」

 「へぇ。良く作ってもろうてるん?」再び紅茶を一口。仄かに誠の鼻腔をくすぐる香りが漂う。

 「ええ。アフラさんも一口食べて見ます?」

 それにアフラはやや眉をしかめる。そして呆れたようにこう言葉を紡いだ。

 「誠はん,その娘、大切にせなあきまへんよ」

 「? ええ」首を傾げつつも頷く誠。



 「あっれ〜,何処行っちゃったのかしら,まこっちゃん?」

 「もう高校の方に戻られたんではないですか?」

 大学構内を、二人の女子高生が歩く。

 二人とも普段のこの大学の様子を知ってるだけに、今日の混雑様はどうも慣れていない。

 「う〜ん、そうね。このまま探しても絶対見つかんないし」クァウールの言葉に賛同しかけた菜々美の袖を、彼女は引っ張る。

 「菜々美さん、喉,乾きません?」

 「そうね…」クァウールの指差した先には大学の学生食堂がある。通りに面したその建物は、ガラス張りの壁で食堂内部が良く見通せる物だった。見た感じ、結構繁盛しているようだ。

 菜々美の視線はそこへと延び、そして…

 「どうしました? 菜々美さん?」立ち止まったまま動かない菜々美に、クァウールは心配げに尋ねた。

 「…やっぱり、帰ろうか」しかしクァウールに視線を合わすことなく、菜々美は食堂とは反対方向へと歩き去っていく。

 「?? 待って下さい!」慌てて、クァウールはその背を追いかけていった。




 ドガン!!

 電子の扉が蹴破られた。

 中に殺到するは虫型の怪物数体と女性。

 彼女はその暗黒に満ちた部屋に入り込むと、

 「Capt!!」 力ある声を発動。

 瞬時に部屋に明りが灯った。広く、またそう思えば狭くなる部屋。

 「陣内殿,センターサーバーを占拠した。行動に移る!」

 『了解』

 ディーバが指を鳴らすと、空間にキーボードが現れた。

 一つ二つ三つ…

 現れたそれらを、彼女はまるで楽器を鳴らすように軽やかに打ち続けていく。

 『校門、閉鎖』

  『A講堂閉鎖』

   『B講堂閉鎖』

    『全ライト消灯』

     『学生食堂閉鎖』

      『外部ラインB-Xまで完全閉鎖』

       ……・

        …・・

         …

 次々に指示が下されていく。それは忠実に、東雲大学の現実世界に反映されていった。



 騒ぎは入り口から起こった。

 「あかねぇぞ、おい!!」

 ザー,ガシャン!!

 外が一望できるガラス張りの壁もシャッターが降りて閉ざされる。

 同時に照明が消え、食堂は暗黒に満たされた。

 「何や? 一体何が?」

 「落ち着き! 誠はん!」アフラの鋭い声が飛んだ。

 耳に届くは先程までのんびり談笑していた学生達のパニックに陥った叫びと、ガラスのような物が割れる音。

 「ゆっくり壁際まで移動した方が良いでしょうね」

 「その通りどす。錯乱した行動に巻き込まれたらたまったものやおへん」

 誠はゆっくりと立ちあがる。

 しかし完全な暗闇の為、方向を失いそうになる。

 「誠はん、こっちどすぇ」右手を掴まれ、引っ張られる。

 「ちょ、早いですよ、アフラさん」

 同時に立ち止まる。誠は壁に額を打ち付けた。

 「くぅぅ!!」

 「何やってるんどす? 誠はん」誠の手を下へと引っ張りながら、アフラの声だけが届いた。どうやらしゃがめという事のらしい。

 「さて、どうします? アフラさん」

 「どうします言われても…しばらく待つしか」

 『静粛に!』

 「「!?」」

 構内放送を用いて、機械的な声が流れた。

 『諸君は我々バグロム帝国の人質となった。死にたくなければ静かにしていることだ,ヒャ〜ッハッハッハッハッハ…ブッ』放送は切れた。

 「なんだよおい!」

 「いたずらかよ!」

 「誰か明りをつけてよ!」

 様々な声が飛ぶ。

 「一体何や、バグロム帝国いうんは?」半ば呆れて呟く誠。

 その彼の手を握るアフラの力が、やや強くなったような気がした。

 「どうしたんです? アフラさん?」

 「え? いえ、それにしても奇怪な連中がいたもんどすなぁ。どういう手段使ってこういうことをしたのか…」声色に慌てたものを含んで、アフラは尋ねる。

 「この大学は中央コンピューターで制御されてるんですよ。それを押さえたんでしょうね」

 「ハッカーの仕業どすか?」

 「その線でしょうね」

 「ということは、こちらから電脳世界に乗り込めば、解決するのではおへんか?」

 「でもどうやって…痛!!」誠の額に何か硬いものがぶつかって、落ちた。

 「誠はん?!」

 「大丈夫や,何やろ、これ」膝の上に落ちたそれは、

 「携帯電話?」手にして液晶ウィンドウに光を灯す誠。

 「それや!」

 「?」

 アフラはそう言い放ったかと思うと、ごそごそと懐を探る。

 取り出したのは小さな手帳サイズの携帯パソコンだった。

 アフラはPCの電源を入れる。

 ブゥン,起動音と画面に『Start Up』の文字。アフラの手元に弱々しい光が宿る。

 「携帯パソコンですか,もしやそれで?」

 「ええ、これで大学の中央コンピューターにアクセスしてハッカーを追い出しまひょ」

 「そんな…無理でしょう?」唖然と、誠は携帯パソコンの液晶バックライトにうっすらと浮かぶアフラの顔を見やった。

 「あ…」

 その表情を見て、誠は声を漏らす。

 何故気付かなかったのか,彼は自分を責める。

 そして握っていたアフラの手を、強く握り返した。

 「誠はん…ありがと」

 僅かに、そう,気付かれないほど僅かに右手から伝わってきていたアフラの震えが消えた。

 彼女はゆっくりと誠の手を離す。

 「ウチの腕前、見せてあげまひょ,誠はん!」

 PCを携帯電話に接続、アフラの白い指先がPCの上を踊り始めた。




 カツカツカツ…

 空間内を、ディーバは闊歩する。

 「ほぼわらわの手に落ちたな。あとは…」

 『犯行声明を世界中に伝えるのだ!』

 「OK! …ん?」

 『どうした? ディーバ?』

 「ゲート210が突破された?」



 タタタタッタタッタタッタタッタ…

 不規則なリズムを以って、アフラの思考は力を伴って電脳世界に具現する。

 『第一障壁、破壊』

  『第二障壁、破壊』

   『ガーディアン 破壊』

    『未知のウィルス 破壊』

     …………

      ……・・

       …・

 「すごい…」

 誠は隣からそれを覗き込み、思わず呟いた。

 「昔とった杵柄や。『ウィンド・プリーステス』っていう字名を付けられるくらいのハッカーおましたから」

 「昔って子供の頃からですか」二人、苦笑いを浮かべる。

 ガシャン,そんな音がすぐ近くから聞こえた。

 「おい、窓ガラス破ってシャッター壊せば出られるだろ」男性の声。

 「?!」

 闇に慣れ始めた視力で誠は見たのは、ガラス壁に向かって椅子を振り上げる男の影。

 「危ない!」誠はアフラを抱え込むようにしてその場に伏せる!

 「きゃ!」

 ガシャシャシャシャン!!

 「「うわぁぁぁぁ!!」」

 「「きゃぁぁ!!」」

 複数の悲鳴!

 ガラスは安物を使っていたらしく、割れても粉になる上等なものではなく、鋭い刃となって食堂に散ったのだ。

 「馬鹿なことを…」誠の腕の中、アフラは呟く。ガラスは安物でも、シャッターは電動で下りるものなのだ。こちらはしっかりとした作りになっているということは想像に価するはずだった。

 「怪我はありません? アフラさん!」

 「ええ、誠はんは?」

 「僕は平気やさかい。さ、早く」

 「ええ」

 二人は起き上がり、アフラは再びPCに指示を出し始めた。




 ディーバは初めて、眉を寄せた。

 破竹の勢いでこの中央コンピューターまで接近しうるハッカーがいる。

 「タラ! 行って消してくるのじゃ!!」

 「ウィ!!」

 出て行くタラ。

 それもつかの間、黒く焦げて部屋まで戻ってきた。

 「!?」

 ディーバは入ってきたハッカーの姿に後ずさる。

 消滅の風を身に纏った、翼在る女性。

 電脳世界でプログラムを視覚化できるディーバには、そう映っていた。

 それはアフラの映し身。



 「こいつおますな!!」

 アフラは叫ぶ。

 「こいつを倒せば!」

 アフラは攻撃プログラムを入力、リターンキーに手を伸ばした。



 『戻って来い,ディーバ!!』

 「陣内殿! しかしここまで来て…」

 その瞬間、彼女の目の前に立つ死の天使は大きく翼を広げた。

 『チィ、さっさと退くぞ!!』

 「だが!」

 ブワァ!!

 全てを消し去る、刃の風がディーバに襲い掛かった!!!

 彼女を固めるタラ達が、風の中で砂のように散り…



 「…逃げられた?!」

 「え?」

 「なかなかのハッカーおますな」

 感心と伴に安堵の溜息がアフラから漏れる。

 やがて、シャッターが開いて行く。

 外から差し込むのは弱々しい月明かりと、点いたばかりの水銀灯の明り。

 照らされた食堂内は燦燦たる光景が広がっていた。

 多くはガラスを割った時の被害によるが、血を流して倒れているものが2,30名。

 「お疲れ様。さ、行きましょう,アフラさん」誠は立ちあがり、右手を差し出す。

 月明かりに、赤い雫が誠の指を伝ってアフラの手の中へと流れ落ちる。

 「!? 誠はん,怪我してるやおへんか!」慌てて誠の右腕を掴んで調べるアフラ。

 二の腕を制服ごとガラスの破片でばっさりと切られた跡があった。

 「あ、ホンマ。気付かへんかったわ」誠は笑って彼女に告げる。

 それを聞いてか聞かずか、彼女は懐からハンカチを取り出して、思いきり傷口の上を縛り付けた。

 「!!」声にならない叫びを誠は飲み込む。

 「ありがとな、誠はん」俯き、アフラは小声で言う。

 「お礼を言うのはこちらや」

 「ホンマ、ごめんなぁ…」彼女の言葉はそう、消え入った。

 「ア、アフラさん…?」

 声を殺して泣くアフラに誠はひとしきりおどおどとした後、彼女の肩を優しく抱いた。

 風と伴に、遠く救急車のサイレンが聞こえてくる。




 ディスプレイから女性が弾き飛ばされてくる。

 「無事か、ディーバ!」陣内は駆け寄った。

 生徒会長室,一台だけ備え付けられたパソコンを前に、ディーバは息を切らせて肩を上下させる。

 「助かったよ、陣内殿。強制送還させられなければあそこで『消滅』していた」

 悔しげに呟きながら、彼女は顔を上げる。

 目の前には何かを差し出す陣内がいた。

 彼女はそれを受け取る。

 「フルーツ牛乳?」

 「ま、それでも飲んで落ち着け。お疲れだったな、ディーバ」

 「しかし失敗だ!」

 「そうでもない」ニヤリ、陣内はディーバにそう悪に満ちた微笑を向ける。

 「ディーバ、お前の力と、お前の力を凌駕するハッカーの存在を知っただけでも、有益なものだった」

 「陣内殿…」

 しばしその言葉にディーバは考え、そして弱々しく微笑んだ。

 「そうだな、次は、もっと巧くやろう」

 「うむ」陣内は満足げに頷く。

 それを眺めながら、ディーバはフルーツ牛乳を一気に飲み干した。




 「ただいま〜」

 玄関を開ける誠。

 ドドドドドドドドド!!

 「い?」

 走ってくる何かの音に、誠はたじろぐ。

 「まこっちゃん、怪我はない,大丈夫だった?!?!」

 「誠、なんか凄いことが起こっていた様だが!!」

 飛び出してきたのは菜々美とイフリータ。

 二人は異口同音を同時に口にする。

 「だ、大丈夫や…」

 「って、怪我してるじゃないの!!」菜々美は叫び、誠の右腕を捻った。

 「うぎゃぁぁ!!」

 「菜々美,引っ張るな。誠が痛がっている」

 「アンタも引っ張ってるじゃないの!」

 「二人とも、引っ張らんといてや、傷口開くぅ!!」

 「「あ、ごめん」」

 ドッと額に冷や汗を流しながら、誠は大きく息を吐いた。

 「ガラスでちょっと切っただけやから。でも菜々美ちゃん,どうしてこんな時間にウチにいるんや?」

 「晩御飯を作ってくれている。私も手伝ったのだぞ」胸を張るイフリータ。

 「ちょっとだけだけどね」ボソっという菜々美に、誠は苦笑。

 「さ、皆で御飯にしましょ。お腹減ってないなんて、言わないわよね,まこっちゃん?」

 「う、うん…」試すように尋ねられ、つい頷いてしまう誠。昼が遅いのが悪かったことの様に思えてしまうのが情けないところだ。

 やがて水原邸に談笑と言う吐息が漏れた。

 並べられた晩御飯は菜々美だから作れると言った風な料理だったと、この時の誠は記憶している。





 「あの〜」

 「ん?」

 少年の躊躇いがちな言葉に、女性は面倒くさそうに視線を向ける。

 「いつになったら日本へ行ってくれるんです?」

 「だって、まだパスポートの申請中なんだからしょうがないっしょ?」

 「…ホントに暗殺者なのか?」

 「なんか言った?」

 「いえ,別に…」

 そのころの異国の地。

 暗殺者は動き始め…ない。


12 死の天使 了 




〜 Siesta


 薄暗い科学実験室。

 赤い液体の入った試験管。

 青年は不敵な笑みを浮かべつつ、もう一方の手に持った青い液体の入った試験管の口を傾ける。

 ドタドタドタ

 音が近づいてくる。

 「ん?」

 バタン!

 開く扉!

 「水原ぁ!!」

 「んな、尼崎ぃ?!」

 飛びこんできたのは彼のクラスメートの尼崎 仁。

 ニキビ面に団子鼻、突き出た腹がトレードマークなオタク青年だ(嫌なトレードマークだが)。

 ダダン!

 彼は誠の実験台を叩く。同時に精巧に組まれた実験機器が激しく上下し、試薬が零れる。

 「ちょ、ちょっと! 何するんや!」

 「何してるって、聞くのは私達の方よ」

 「?!」

 尼崎の後ろから現れたのは陣内 菜々美。呆れ顔で誠を見つめている。

 「また怪しい実験して…」

 「怪しくないわ! 万能の霊薬エリキサの合成をしとるんや!」

 「? なによそれ」怪訝に問う菜々美。

 「知らへんの? これを使って『柔らかい石』を生成してな、からくりサーカスを創立するんや

 「?? やっぱり怪しいじゃないの」

 「ええい、そんなことより!!」

 話をぶった切る尼崎。

 彼は誠を睨みつつ、尋ねる。

 「誠、一週間前の約束、忘れたのか?」

 「一週間前? 何やあったか?」

 「これだ…」肩をすくめる尼崎。入れ替わるようにして菜々美が前に出る。

 バン!

 「?」

 実験台に叩きつけるようにして一冊の冊子を置く菜々美。

 「なんや、これ?」

 「前に約束したじゃないの! 私達でカンヌ映画祭に挑戦する映画をつくろうって!!」

 誠は天井を見上げ、考える。と、

 ポン!

 思い出したのか、手を打った。

 「なんか言うとったなぁ,そう言えば」

 「写真部の俺がカメラマンを,鷲羽先輩が演出を担当して撮るってな。で、準備万端な今日から始めるって、あの時言ったろ」

 「そういや、そんな気が。で、どんな内容をやるんや?」

 菜々美は無言で実験台に置いた冊子に目配せする。

 誠は試験管を置いてそれを手に取った。

 「『Too Heat』?」

 「「『To Heart』じゃ! ボケェェ!!」」

 「うぎゃ〜!!」

 二人のアッパーを受けた誠は綺麗に円形の軌跡を描き、実験道具を巻き込んで吹き飛んでいった。

 「さ、残るはシェーラだけよ。行くわよ,尼崎先輩!」

 「菜々美ちゃんは元気だねぇ」

 ノびた誠の襟首を掴んで、菜々美は尼崎を伴い、鬼神の如く科学実験室を後にした… 



         企画物 第弐弾 『From Heart』  公開中!

                文筆    元
                挿絵    緒方ばんり
                       誠    : え? ホンマにやるん?
                       菜々美 : ええ、もちろんよ



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