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  身を翻して逃げ出すカーリア! あっという間に人込みに消える。

  「シェーラ! 追って!!」 

  「分かった!!」 

  アフラはスカートの内側から銃を取り出し、追い駆けるシェーラに投げ渡す。

  「ファトラさん!」 

  対する誠はファトラをゆっくりとその場に横たえる。

  「イフリータ,救急車を!」 

  「分かった」 

  「待っておくれやす!」 小声ながらも、アフラの叱咤は2人に飛ぶ!

  「エルハザードの王女が暗殺にあったなんて、公にする訳にはいきません」 言いながらもアフラは周りを見渡す。特に誠達に視線を向けているものはいない,このお祭り騒ぎである,撃たれたことを気付かれてはいない様だ。

  「しかしこのままじゃファトラさんは…」 

  「わらわなら…大丈夫じゃ。急所は外れている」 苦しげに、ファトラは誠の手を強く握って微笑んだ。

  「アフラの言う通り、事を公にする訳にはいかん。何より…体育祭が中止になるやもしれん」 

  「そんな問題じゃないでしょう?!」 

  「わらわにとっては、少なくとも大きな問題じゃよ。ここまで皆で作り上げたものをフイにする訳にはいかぬからな」 小さく微笑む。

  「ファトラさん…」 

  「そこでお主に頼みたいことがあるのじゃが…」 

  「僕に出来る事なら」 

  「お主にしか出来ぬことじゃよ…」 力なく笑うファトラの瞳に、悪戯っぽい光が宿ったのをこの時の誠は知らない。




  奴は校門を抜け、住宅地を駆け抜ける。

  アタイはアフラから預かったベレッタをしまった胸を、上からきつく掴む。この銃はアタイの使う物に比べて軽い為に使い勝手は違うが、今はそんな文句をたれている場合ではない。

  しかし、カーリアが銃を使うのは正直、驚いた。

  暗殺者には独特の思想がある。すなわち、信じがたい話ではあるが、仕事に『誇り』を持っているのだ。故に自分自身のスタイルで目標を殺す,『殺し屋』とは違うのだ。

  そしてカーリアのスタイルはナイフ。ナイフ使いは一様にして銃を嫌う。

  曰く、無粋である。

  曰く、血の飛び方が芸術的でない。

  曰く、恐怖に慄く姿が見れない。etcetc...

  アタイにはどうもはっきりとは分からないが、言いたいことは分かるような気がする。

  「もっとも誠にゃぁ、わからねぇだろうな」 呟いて、苦笑。

  何故、誠の奴を引き合いに出す必要がある?

  アタイは頭を振って彼の顔を振り払う。全力で遥か前を行く人影を追い駆けた。

  そいつは左折する!

  閑静な住宅街だ。遠くから東雲高校の体育祭の音が聞こえてくるくらいの…

  アタイもまた、左折!

  途端、鼻に甘い香りが突き抜けた。

  「な…に…」 

  足を止めざるを得ない。

  住宅地の間に伸びる、普通の小路だったはずだ。

  それなのに…

  「どうなってんだ?」 

  足を踏み入れた小路は、上も下もない暗黒の空間だった。

  慌てて後ろを振り返るが、道どころか、住宅地のカケラすらなかった。

  全くの暗黒。

  と、前に見覚えのある女性の姿を発見する。白髪に褐色の肌の少女。

  「テメェ! カーリア!!」 アタイは銃を取り出し狙いを付ける!

  その声に、奴もまたアタイに対して銃を構える。

  銃はアタイの専門分野,こちらの方が早い!

  ガゥン!

  ギィン!!!

  突如現われたのは、アスファルトの壁だった。それはアタイとカーリアの間に立ち塞がる。

  「アンタには悪いけど、この子の始末は私がつけさせてもらうわ」 

  「?!」 

  そのアスファルトの壁の上に立つのは、仮面を被った女性だった。少し訛りの入った日本語に、仮面はエルハザードはロシュタリアに伝わる舞踊の際に用いられる、鬼神の面。

  「何でぃ,テメェは!」 

  敵であることを感じ取り、アタイは銃口をそいつに向けて引き金を牽く…が、

  冷たい何かが、アタイの腕に絡まった!

  「な、何だぁ,こりゃ!!」 

  暗黒から生まれしは、アスファルトの触手。それは銃を握るアタイの手に絡み付き、指を固定する! 慌てて空いた方の手で引き剥がしに掛かるが、今度はそちらの手までも絡み付いてしまった。

  「く、くそっ!」 

  「アンタはそこで見ていな」 

  両手を拘束される形でもがくアタイを一瞥し、仮面の女はアスファルトの壁を消したかと思うとカーリアへと歩み寄って行った。

  「ち、近づくな!!」 明らかに仮面の女に脅えるカーリア。彼女は後ろに下がろうと足を動かしてはいるが一向に位置は変化していなかった。

  アタイにしてもさっきから前へと足は進んでいるのに、まるでその場で足踏みしているように前に進まないのである。

  「カーリア…」 仮面の女は気味の悪いほど優しい声で暗殺者に語り掛ける。

  「利き腕を潰されたばかりか、手段をも選ばなくなるとはね。見る影なしっしょ」 

  カーリアは仮面の女に向って銃の引き金を牽いた。

  が、火薬の弾ける炸裂音は、ない。

  「弾切れ。殺し屋は、私達には必要なしってこと、知ってるわよね?」 

  「…」 カーリアの表情に、明らかに恐怖の色が伺えた。恐怖を与える、死の天使と呼ばれるほどの暗殺者が与えてきたものと同じ物を受けている。

  「死になさい,カーリア」 

  「!!」 

  音もなく、アスファルトで出来ているのであろう,巨大な杭がカーリアの左胸に深々と突き刺さり、それは背に抜けた。

  破れた缶コーラの様に、赤い飛沫が暗黒を濡らす。カーリアの瞳から瞬時に光が失われるのが分かった。

  アタイはしかしその惨状から目を背ける事が出来なかった。

  まるで幻影のようだ,こんな馬鹿げたことが起る訳がない。あの仮面の女は魔法使いか?!

  だが、目の前であのカーリアが赤子の手を捻るように、いとも容易く殺された。それは事実だ。

  幻覚と思いたかった,しかしこの血の匂いと目の前の死は明らかに現実だった。

  仮面の女は闇に支えられ、倒れることも叶わぬカーリアの遺体を抱き上げるとこちらに振り返る。仮面の奥の表情は窺い知ることは出来ない。

  “ヤバイな…”アタイは腕を拘束されながらも戦闘体制を取り直す! しかし全く勝てる自信はなかった。このままではカーリアの二の舞は確実だ。

  「安心して良いわ。今日はこの子の始末をつけに来ただけだから」 そういう彼女の表情は笑っているかに見えた。

  「テメェは一体!!」 

  「私はイシエル,いずれの日か、貴方達の命を頂きに行くわ。それまでは怪我なんかしないようにね…」 

  イシエル,そう名乗った仮面の女の姿が闇の奥へと消えて行く。

  彼女の姿が見えなくなったと同時に、まるで霧が晴れて行くように闇が払拭されて行った。

  同時にアタイの手に絡み付いていたアスファルトの触手の感覚も、消える。

  「…一体??」 

  アタイは一人、銃を両手に構えて住宅地の真ん中で立ち尽くしていたのである。




  僕はファトラさんを背負って、イフリータと伴に保健室へ。

  運が良いのか悪いのか、薬臭い保健室は無人だった。

  僕はファトラさんをうつ伏せにベットに寝かしつける。その間にも、血は流れ続けていた。

  「どうする? 誠…」 

  「どうする言われても…」 心配そうに問うイフリータに答える術を僕は持っていない。

  止血しようにも、背中故に縛ろうにも縛れない。

  「誠…」 

  「何です?」 苦しげにうめくファトラさんに耳を寄せる。

  「昼休み以降に、わらわの出なくてはならない競技が一つだけ残っておる…代わりに出てくれ…わらわ中心の競技ゆえ、出ないとなると怪しまれる」 

  「分かりました。で、何の競技なんです?」 

  「昼一から始まる…応援合戦じゃ…」 

  “応援合戦…まぁ、大丈夫だろう”

  「分かりました、安心して下さい」 

  「ちゃんと…女装してわらわの代わりを務めてくれよ…」 

  「じょ、女装?!」 躊躇うが、この場合は仕方ない,自分に言い聞かせた。どうせカツラ被るくらいのものだろうし…

  「すごい嫌ですが、仕方ありませんね」 

  「…正直じゃのう…」 苦笑するファトラさん。

  パタパタパタ…

  廊下から足音が近づいてくる。

  少し遅れて入ってきたのはアフラさんと、ストレルバウ校長。そして如何にも怪しい黒いコートを纏った顔に古傷の目立つ男…

  「誠君、ご苦労だった。あとはこちらのブラックジャック先生に任せよう」 

  校長は僕にそう言うと、

  「この子かね,改造手術して良いというのは」 

  「「「言ってない言ってない」」」 

  「ならば帰らせてもらう」 

  「「「帰るなぁぁ!!」」」 

  「冗談だ」 

  「「「こんな時に冗談言うなぁぁ!!」」」 

  「いや、ホントは本気だったんだけどね」 

  「校長,大丈夫ですか、この人…」 アフラさんは心配そうにストレルバウ校長に尋ねる。ファトラさん本人もまた、ものすごい不安げに校長を見つめている。

  「大丈夫じゃよ、スーパードクターKの原形じゃからの」 自信を持って答える爺。

  「「「も、問題発言?!」」」 

  「さ、観客は出て行きなさい,さくさくと治すよ。私も次の予定が詰まっていて忙しいのだ」 ブラックジャックと名乗る怪しげな男に、僕達は保健室の外に放り出された。

  しばらくすると中から『チュイ〜ン』だとか『ガリガリ』だとか『あ、ヒューズが!!』とか似つかわしくない音声が聞こえてくるが、きっとそれはドイツ語なのだろう。

  「校長,コレクションを借りますぇ」 アフラさんはストレルバウ校長に一方的に言い放つと歩き出す。

  「誠はんは…化学実験室にでも待機していておくんなまし」 振り返り、彼女は追い駆けようとする僕を止める。

  「あ、はい」 

  「ちょっと、アフラ君?! ワシのコレクションというのは…」 慌ててアフラさんを追い駆けるはストレルバウ校長。

  「コレクションいうたらコレクションどす」 

  「ななな…なんでお主がそんなこと知っているんじゃぁぁ!!」 

  「ウチに知らないことでもある思うとるんどすか?」 

  口論を交わしながら、2人は校長室の方へと去って行った。

  「…なんやろ、コレクションって?」 

  「さぁ…」 僕とイフリータは顔を合わせて首を傾げる。

  取り敢えずその足で化学実験室へと向った。




  「水原君なら、ファトラさんと…あと2人の女の人と一緒に校舎に入って行くのを見たよ」 

  「サンキュ!」 

  菜々美とクァウールは体育祭の実行委員の一人にそう礼を言うと校舎に向って駆けて行った。

  今は昼休み,あちらこちらで弁当を食べる生徒の姿が目立つ。

  「ったく、まこっちゃんったら、いくら芝居でもキスまでする必要ないじゃないの!」 

  「全くです!」 

  「シェーラさんもシェーラさんよ,全くのダークホースだったわ」 

  「行方まで晦ませるなんて…でも」 クァウールは呟く。

  「ファトラ様と一緒にいたって言うのはどういう事かしら…それにさっきの言葉だとシェーラはいなかったみたいだけど…」 

  「そんな事はどうでもいいの!」 

  そして二人は校舎に入って行った。まず行くべき場所は誠のよくいるあそこしかない…




  机の上に並べられたのは本格的な女装道具だった。どこからこんな物を用意したのか、見当も付かない。

  アフラさんはファトラさんと同じ長い黒髪のカツラを片手に僕に椅子を指差す。

  「さ、ここに腰掛けて!」 

  「ホ、ホントにやるんですか?!」 僕は躊躇う。ファトラさんの変装というのは良いけど、アフラさんの妙な『やる気』は、なんか本来の目的とは違う方向へ向っているもののような気がする。

  「当たり前でしょう? さ、イフリータはん,そこのパウダー取ってくれません?」 

  「これか?」 

  「ああ、イフリータまでぇぇ!!」 

  「さっさと観念しぃや」 

  そう言うアフラさんの顔に、何か楽しげな物が見えるのはやっぱり僕の気のせいやろか?




  「まこっちゃん!」 

  バァン! 化学実験室の扉が勢い良く開け放たれた。

  菜々美とクァウールの視界に入るのは3人の女性だ。目的の男はいなかった。

  菜々美は3人の内の1人、イフリータに視線を向ける。

  「イフリータ? まこっちゃんがここにいるって聞いたんだけど…」 

  イフリータは首を縦に振る。その意図が菜々美には読めなかった。

  「それってどういう…」 クァウールの呟きを聞きながら、菜々美はもう一度実験室を見渡す。

  イフリータと、これは…そう、アフラさんとかいうファトラの護衛,そしてその隣には何故か東雲高校の男物の体操着を着込んだ黒髪の美女が一人。

  「誠なら、ほら、ここに」 イフリータが顎でしゃくるその方向には、体操着の美女がいるだけだった。

  歳の頃は20前後だろうか,理知的な印象を受ける。そして何処となく容貌はファトラと似たものを感じた。ファトラが彼女と同じ年頃になれば、こんな感じになるだろう。

  菜々美がまじまじと見つめると、彼女は恥じらうように顔を仄かに赤らめて俯いてしまう。菜々美が男の立場ならば、その対応にクラリと来てしまうことは必至だ。

  慌てて菜々美は美女から視線を外し、イフリータに食ってかかる。

  「だから何処よ!」 

  「菜々美ちゃん…」 そんな彼女の袖を引っ張るのはクァウール。茫然と美女を見つめている。

  「何よ、クァウールさん?」 

  クァウールは震える指で美女を指差し、

  「あれ、誠さんです…」 確信を以って、呟く。

  「はい?」 菜々美は自分の耳を疑った。そして次に自分の目を疑った。

  「まこっ…ちゃん?」 

  「そうや…」 消え入りそうな声で、美女は菜々美に応える。

  「誠はんには今日の一部だけ、ファトラはんの身代わりを努めてもらうんどすぇ」 

  「…本当にまこっちゃんなの?」 

  「…そんなに見つめんといてや…恥ずかしいさかい」 

  女装誠は菜々美の視線から逃げるようにアフラの背後に隠れた。

  「変やろ、僕…」 

  「「かわいい!」」 菜々美とクァウールは同時に言った。

  「へ?」 思わぬ反応に呆気に取られて誠。

  「そやろ? ウチも誠はんに自信もて言うてるんやけどね」 

  「でもアフラさん,これじゃファトラさんに見えませんよ,化粧が上手すぎて20代に見えるわ」 しみじみと誠を見つめて菜々美。

  「あの〜」 恐る恐る誠は話に割って入ろうとするが、無視された。

  「ウチが自分にやろうようにやったんどすが…」 アフラは困ったように言う。

  「アフラは私よりも一つ歳下なんですよ,だから菜々美ちゃんと同い年なんです」 

  「へぇ〜,そうなの!? そうは見えない…あ、もちろん良い意味でね!」 

  「あの〜」 

  「ともかく、今度は私達に任せて、アフラ」 

  「立派な女子高生に仕上げてみせるから」 妙に意気込んで菜々美とクァウール。

  「それは楽しみやわ」 

  「と言う訳で…」 

  クルリ,三対の瞳が逃げ出そうとする誠を捕らえる。ヘビに睨まれたカエルのように、誠の動きは固まる。

  「「「観念しなさい」」」 

  「助けてぇ〜 イフリータぁ〜〜」 救いを求めて誠は壁際の彼女を見るが…

  「写真、撮る?」 

  使い捨てカメラを誠に向けて、嬉しそうに微笑むだけだった。



  誠が三人の女性達によって再び変えられて行く。

  大人びいた美女から、活発そうな少女へと。

  さっき、アフラによって瞬く間に女性に変わった時も驚いたが、化粧一つでこんなにも雰囲気が変わるのは見ていて面白かった。

  同じ事が、私にも起るのだろうか?

  菜々美の手によって、仄かな朱が誠の唇に触れた。

  「あ…」 

  私は呟く,既概視。

  遠い記憶が、呼び覚まされる。同じ事が昔、あった。

  そう、これは…

  私の意識は蘇る記憶の奔流に飲み込まれる…



  人差し指に付けた朱の粉を唇に近づける。

  寝台の上,白いシーツの上に置かれた手鏡を見ながら、彼女は色の薄い唇に色彩を与えた。

  鏡に映るのは若い女性,ウェーブの掛かった長い髪の間に、整った顔が伺える。その顔は良く見るもの,すなわち私だ。

  しかし肌は病的なほどに白く、顔色は健康からは遠く見える。

  髪が緩やかな風に揺れた。

  彼女は視線を鏡から窓へと移す。穏やかな春の日,青い空に草の香りを含んだ風が彼女の鼻孔をつく。いつも嗅ぎなれている薬と消毒液の匂いから一瞬だけ解き放たれた。

  カチャリ,反対側から扉の開く音が聞こえ、彼女は慌てて口紅と手鏡を隠す。

  「あ、ごめんなさい、脅かしてしまいまして?」 彼女と同い年くらいの,20代前半か10代後半の若い看護婦だ。その容貌は、イフリータの良く知る顔に良く似ていた。

  “菜々美…?”心で呟く。

  「夏樹さん…」 イフリータが思うのと同時に、記憶の中の彼女はほっと胸を撫で下ろす。

  「先生と間違えたのかしら?」 

  「そ、そんなこと…」 

  彼女の思った通りの反応に、夏樹は小さく微笑む。

  「その先生だけど、今日のお昼には戻るっておっしゃってましたから、そろそろだと…」 

  「ただいま〜」 

  そんな声が遠くから聞こえてくる。

  「噂をすればなんとやら,ね。あら?」 夏樹は寝台の上の彼女が手にしている紅を見つけて呟く。

  「渡来物の紅? 良く似あいそうね」 微笑む。だが当の持ち主は浮かない顔をしている。

  「どうしたの?」 

  「使い方が良く分からなくて…」 

  「じゃ、教えてあげる。貸してみて?」 夏樹は人差し指に紅を付けると、寝台の上の彼女の唇に、軽く触れてゆく。

  「コツは付けすぎず,ってところかな?」 

  「ありがとう」 

  「じゃ、私はお邪魔にならない内に引っ込むわね」 夏樹は微笑んでそう言うと、扉へと歩み寄る。

  「でも先生はかなり鈍感だから、行動で示した方が良いかもしれないわよ」 

  「もぅ! 夏樹さん!!」 

  冷やかすように夏樹は笑うと部屋を出て行った。寝台の上の彼女は夏樹に向って小さく頭を下げる。

  入れ替わるように、一人の青年が入ってきた。少しよれた白衣にカルテを手にしている。

  「こんにちわ,遙さん。具合は如何ですか?」 

  「は、はい。ここは空気が良いのでだいぶ良くなったような気がします」 彼女,遙は俯いて青年の顔を見ない様にして応える。

  「それは良かった」 言って、青年は寝台の傍らにおいてある椅子に腰掛けた。

  「柾木の叔父さんもすごく遙さんの身を案じていたからね」 

  「父にあったんですか? 啓一さん?!」 驚きに遙は顔を上げる。

  「うん、学会の帰りにね。君の容体を報告しに」 優しく微笑みを浮かべて、啓一は遙に応えた。

  “誠にそっくり…”遙の目を通してみる白衣の青年は、誠に良く似ていた。容貌ばかりか、その雰囲気すらも。

  「でも啓一さん、父とはあまり…」 

  「それは遙さんが心配することじゃないよ」 青年の言葉には彼女に要らぬ心配を掛けてしまった後悔の念が含まれていた。それに気付いた彼女もまた、後悔する。

  「ごめんなさい…」 

  「すまない」 

  同時に呟く。

  沈黙。

  そして、

  同時に微笑み。

  「夕方ごろ、散歩しませんか? 桜ヶ丘は今、満開だ」 

  「はい、喜んで」 

  「それじゃ、それまでおやすみなさい」 

  啓一は遙の額に右手を当てる。優しい暖かさが遙の額から全身に伝わって行く。

  「おやすみなさい…」 啓一を眺めながら、彼女はゆっくりを瞳を閉じる。

  やがて額の手が離れる。

  「その紅、良く似合ってますよ」 

  「え…?」 

  その言葉に瞳を開くが、すでに啓一は部屋を出た後だった。

  桜色の小片が一枚、空いた窓から彼女の手の上に落ちた…



  …イフリータ!」 

  「?! あ、何?」 

  「どうしたの? イフリータ?」 

  「調子、悪いんか?」 

  心配そうに私を見つめる彼女達,いや、一人は「彼」 だ。

  「ちょっとぼぅっとしちゃった」 私は小さく舌を出して微笑む。

  そして目の前の美女を見つめる。

  半袖・ミニスカートというチアガールの姿をした誠の姿。いや、正確には見事にファトラに化けた誠と言った方が良いか。

  「そっくりだな」 

  「そう言ってもらえると助かるわ。こんなんバレた日には学校これんようになるさかい」 

  誠は困ったように、そう答えたのだった。




  「どこにいってらしたの? ファトラ様?」 

  「とてもお似合いですわ、その衣装」 

  「とても楽しみですぅ」 

  「は、ははは…」 僕は引きつり笑いを浮かべる。

  ファトラさんのクラス,2−Dに戻るなり、女子達が集まってウットリとした表情で話し掛けてくるのである。以外や人望あるなとは思いもしたが、ちょっとそれはは雰囲気が異なるようだ。

  いくら菜々美ちゃんにいつも「鈍感なんだから」 と言われている僕でもこれだけは分かる。

  “これって…恋する乙女の目って奴やないか? あの人、クラスで何やっとるんやぁぁ?!?”

  それは甘かった。

  「素敵、ファトラ様!」 

  「応援していますぅ!」 

  他のクラス,いや、他の学年からも足を運んでやってくる女性徒多数。

  「は、ははは…どうも」 

  愛想笑いしか、出来なかった。




  「ふぅ」 

  「お疲れさん」 

  アフラは麦茶の入ったコップをシェーラに差し出した。

  来賓席,アフラと、イフリータ,そして菜々美が3人、少し遅めの弁当を摘まみながら今まさに始まろうとしている応援合戦を眺めていた。

  「どう?」 

  「…うん」 アフラの問いに、シェーラは苦い返事をする。

  「先を越された…と言った方が良いか。イシエルって奴が始末付けたよ」 

  「イシエル?!」 

  「知ってんのか?」 

  「幻影のイシエル,エルハザードでは1,2位を争う暗殺者どすぇ。薬物を使って人の五感を左右する,会った時に何か薬の匂い,しませんぇ?」 

  「幻影…やはり幻覚か」 

  シェーラは甘い香りと、あの上も下もない暗黒の空間を思い出す。

  「いいえ、真実どす」 

  「? お前、幻影って言ったじゃねぇか」 

  「感じる者が真実と思えば、幻影も真実になるんおますわ。あんさんも『これは幻覚だ』って思いませんでした?」 

  確かにこんな物は幻だとは思った。しかし腕に巻きついたアスファルトの触手の感覚は未だ生々しく残っている。

  「幻影だと思い込めないほどの力,それを持つのがイシエル。とんでもないものが出てきましたなぁ」 言ってアフラはお茶を一杯。

  「出てきましたなぁって、随分落ち着いてるじゃねぇか」 

  「…予め、イシエルが来ていると知っておくのとおかないのとでは、心のあり方が違いますぇ。来ると分かっている幻覚なら、少しは落ち着いていられますわ」 

  「そんなもんか?」 

  「そんなものです。で、イシエルはどうしました?」 

  「カーリアに止めを刺して、また来るような事言ってたぜ」 

  「ふぅん…」 アフラはそこまで聞くと、まるで関心のなくなったように始まり出した応援合戦に視線を向けた。

  「で、ファトラの具合は?」 

  シェーラは言葉を止める。2−Dの応援合戦,チアガールの真ん中で堂々と音頭を取るのは紛れもない、ファトラその人の姿があった。

  「なんかえらく元気だな」 

  「…鎖骨にひび入って全治4日」 呟くのはイフリータ。

  「え? じゃ、あれは?」 

  「まこっちゃん」 

  「…マジ?」 

  「「「マジ」」」 



  「こらぁ、声出して行くぞぉぉ!!」 

  「「押忍!」」 

  詰め襟学生服の陣内の指揮の下、横一列に並んで陣内と同じ恰好をした男子生徒が気合を持って答える。

  「大動院!」 

  「押忍!」 

  応援旗を持った陣内がその名を呼ぶと、ずいと一歩、並んだ列の中から一人、前に出る。

  「お前の男らしさ、見せてやれい!」 

  「押忍! ふれ〜ふれ〜,C組!」 

  野太い声を張り上げる大動院。それに後ろの男達が続く。

  「「フレフレC組 フレフレC組!!」」 

  「燃えて燃えて、燃え尽きろぉ〜〜!!」 

  「「燃え燃えて、燃え尽きろぉぉ!!」」 

  …・・

  審査員評価

  学生代表・鷲羽: 「演出が古いわね〜。なんか汗臭いわ」 

  ストレルバウ校長: 「あの筋肉,なかなか良いのぅ」 

  教師・藤沢: 「昔の男塾時代を思い出すぜ!」 

  教師・ディーバ: 「陣内殿…素敵だ(うっとり)」 

  …・・

  評価・10点中4点。



  「フレッフレッ,D組!」 

  「「フレッフレッD組!」」 

  まるで古の東京パフォーマンスドール並みの息の揃い様で踊るファトラもどき一行。

  “くぅぅ…確かに僕の動きは少ないけど、下手したらスカートの中、見えるで…”

  内心、縮み上がりながら誠は踊る。

  チアリーダーであるファトラを中心に、チアガール達は円を描きながら踊る。

  と、そんな時、一つの鋭い視線を感じ、思わずその方向を見てしまう!

  “ファトラさんを撃った暗殺者?!”

  キラリ,太陽の光を受けて光を放つはカメラのレンズ!

  “あ、あ、あ…尼崎かぃ!!”

  暗殺者以上の瞳の輝きをレンズとメガネの奥から放っていたのは、あの尼崎であった。

  脱力…

  と、踊りの一環で足を軽く上げた時だった。

  風が、短いスカートの裾をなびく…

  「あ…」 

  それは一瞬。気付いた者はいな…

  “げ…”

  尼崎が真っ白に燃え尽きていた…

  …・・

  審査員評価

  生徒代表・小坂: 「良く練習なさってますねぇ。でもありきたり…かな?」 

  生徒代表・柾木: 「僕のクラスですから、そう聞かれても…ねぇ?」 

  ストレルバウ校長: 「尼崎君? あとで写真を現像したらワシに売ってくれんかね?」 

  教師・ミーズ: 「これで藤沢様のクラスに一気に差を付けてあげる,ホ〜ッホッホッホ!」 

  …・・

  評価・10点中7点。



  「酷い目に負うたわ…」 

  呟き、彼は4人の女性が腰掛ける来賓席に顔を見せた。

  「お疲れ様、誠」 イフリータは重箱を1つ、やってきた誠に差し出す。

  「そう言えばお昼、まだやったな。ありがとう」 

  重箱の中は彼女が分けておいてくれたのであろう、丁度一人分の料理が詰まっていた。

  「もぅ女装解いちゃったの?」 

  「当たり前や!」 残念そうに言う菜々美に、誠は手にしたフィルムを丸めながら叫ぶ。

  「何だ、それ?」 

  「え? いや、ちょっと証拠隠滅にね」 シェーラは誠の手にした写真のフィルムを指差すが、それに彼は苦笑を漏らすのみ。

  「それより、シェーラさん。カーリアっていう暗殺者は?」 

  「ああ…」 話を変えた誠に、彼女は苦い返事。

  「あとで…話すよ。しかし誠,お前が頑張るから並ばれちまったじゃねぇか!」 シェーラは誠の頭をこずく。今やC組とD組は同じ点数で同率1位だ。

  「あとの種目は部活の発表とか球入れとか,あんまり点数になんないのばっかり…最後のクラス対抗リレーで決まるわね。まこっちゃんのクラスは誰が出るの?」 菜々美がお茶を一口、口に含んでから尋ねた。

  クラス対抗リレーとはその名の通り、クラスのメンツを賭けた戦いである。

  5人の生徒と、トリは担任,計6名によって争われる。

  「ええと、シェーラさんにクァウールさんに僕,陣内に、それから尼崎や」 誠は思い出しながらそう答えた。

  「?? 何よ、そのメンバーは?!」 信じられないものを見るように、菜々美は声を上げる。特に最後の尼崎というのが訳が分からない。

  「仕方ねぇんだよ,他の奴はちょうど前の種目の球入れに出てて準備に入れなかったり、実行委員で外れてたりしてな」 残念そうにシェーラ。

  「もっともファトラは出ないし、アタイ一人で差を付けてやるから安心しなよ」 誠の背を力一杯叩きながら、彼女は笑いながら言った。

  「まぁ、ほどほどに頑張りぃや」 

  アフラは校庭で実演される空手部の演舞を珍しそうに眺めながら、そう呟いた。

  “もしも勝った時のこと、憶えてるんやろか…”彼女は楽しげに笑うシェーラの横顔に視線を向けて、思う。そしてその隣の誠へ。

  “優勝したらなんか、デートどうこう言ったって、聞いたんどすが…あの娘,単細胞おますし…”

  お祭り騒ぎの東雲高校の校庭,それをまるで眼下に見守るように、桜ヶ丘の桜は両手一杯に付けた青い葉を風に振るわせていた。


16 女装 了 



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