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 バン!

 彼女は机を叩き、思い切り立ちあがる。

 その音に、他の閲覧客は一斉に彼女の方へと振りかえった。

 しかしただ机の上の資料を凝視するだけの彼女に、閲覧者達は怪訝な視線を送りつつも各々の読書へと戻って行く。

 ただ二人だけを残して。

 「これだ…こいつが…」

 彼女が見つめるは郷土資料『東雲の歴史』にある大正時のこの地の著名人写真。

 白黒ながらも写真と、肖像画を含めて大部分が中年の男達でその紹介文とともに埋まる章だが、2,3人の女性の姿も見て取れる。

 その中の一人に、探していた姿があった。

 古風な着物を羽織った女性,そのウェーブの掛かった長い髪と整った顔立ちは調べ物をする彼女自身。

 イフリータそのものが映っていたのである。



 イフリータは東雲私立図書館で調べ物をしていた。

 昼間の突如浮かんだ映像,すなわち一面の田んぼと木造の建物を眼下に、彼女自身が桜の木を見上げているあの光景。

 その時のイフリータは白い着物,どちらかというと浴衣に近いものを羽織っていた。

 また風景は間違いなく桜ヶ丘の桜の下。

 そこで彼女に思い付いたのは、その映像が『過去の景色』だったのではないかと言う事である。

 もしもその過去の景色の時代を知る事が出来れば、映像の中の彼女が一体何を考えていたのか,そうして今の彼女は一体何なのかを知る事が出来ると、そう思った。

 過去の資料と言えば図書館,こういう訳で彼女は郷土史を漁っていたのだが、とうとうその糸口を発見したのである。

 手にしたのは大正時の東雲を事細かに解説する希少な本。

 その一端に、映像の中の女性、すなわちイフリータと寸分も違わぬ女性の写真を見出したのだった。

 女性の写真はこれ用に取ったに違いない,椅子に座り背筋を伸ばした当時の令嬢のような扱いで撮られている。

 表情は何処となく柔らかで、余所行きの華やかな着物を纏っている。今の彼女とは雰囲気という点だけが異なっているように思えた。

 イフリータは期待を持って、説明文に目を通す。

 『東雲で初めて写真機が導入された時、撮られたもの。当時の女性の服装などが見て取れる。写真の人物は柾木家の女性』

 ”柾木家? 何だ、それは…”

 「何か調べものおすか?」

 「?!」

 突然の声に、イフリータは紙面に凝視した視線をそのまま声の向きに移動。

 訛りのあるその言葉は、一人の女性からのものだった。

 隣の東雲大学の学生であろうか,薄い水色のスーツに身を包んだ若い女性。その雰囲気は硬く、張り詰めた空気を身に纏っているように感じる。

 度の小さい眼鏡の奥に、切れ長の瞳が怪しい光を宿していた。

 「…いえ、何やら声をあげていたようやったから」

 「あ、すまない」イフリータは彼女に一礼。

 女性はイフリータの目にしていた書物の紙面に視線を向ける。

 ふと、彼女は首を傾げ…イフリータを眺める。

 そしてもう一度紙面を眺め…

 「…はて。何や、妙な事が?」

 目を瞑り、小さく頭を振って彼女。

 そしてもう一度紙面とイフリータを見比べる。

 「この写真の方、あんさんの御先祖?」

 イフリータは無言で首を横に振る。彼女は女性の思わんとしていることを察し、言葉を紡ぐ。

 「私も不思議に思っている。だからそれを調べているのだが」

 「…あんさん、お名前は?」

 「イフリータ」

 「外人さんおますか。ならウチと同じやわ」

 「外人?」イフリータは首を傾げる。

 確かに日本人の名前ではない。ということは外人なのか?

 「ウチはアフラ=マーンと言います」そんなイフリータの思考を知ることなく、女性は自己紹介をする。

 「マーンさん?」

 「…アフラと呼んで下さいます?」額に汗のアフラ。名字で呼ばれるのはなんか嫌らしい。

 「この写真の女性、イフリータはんとそっくりおますが、イフリータはんはこの…柾木家とは何や関わりありますの?」

 「いや、それが…ところでアフラ、さん。貴方、何故私の手伝いを?」

 「ウチは図書館の書士の職業が希望職おますから。こうして調べものしている方の手伝いもしますわ」

 いけしゃあしゃあと嘘八百を並べ立てるアフラ。

 「そうなのか。じゃあ、お願いする。ありがとう」

 「いいえ、どういたしまして。で、この写真の女性との関係は?」

 「それが…私は記憶がなくてね。ちょっとしたきっかけがあって、それを調べる為に図書館へ来たんだ」

 「記憶喪失、おますか」確認するように、アフラはイフリータの目を見て尋ねる。

 それに彼女は無言で頷いた。

 ”嘘言うてる訳でもなさそうやな。記憶を失った精霊,もしくは幽霊…どうやって祓うか”

 アフラは手を顎に当て小さく唸る。

 ”記憶を取り戻してやれば成仏するやもしれんな”

 「イフリータさん,ともかくこの…」

 「やっほ〜、イフリータじゃない!」アフラの言葉は陽気なその声に遮られる。

 「あ、鷲羽さん」イフリータは小さく会釈。と、鷲羽はチッチと人差し指を横に振り、訂正を加えた。

 「私の事は『鷲羽ちゃん』と呼ぶよ〜に!」

 「は、はぁ」

 「ところで何やってるの、こんなところで。あら、そちらの方は?」

 鷲羽はアフラの方へと視線を向ける。

 一瞬、アフラと鷲羽の視線が鋭く交錯した。

 「アフラさんという。この図書館で書士の手伝いをしているそうだ」

 「私は鷲羽よ、よろしくね、新人の書士さん」ニッコリ、鷲羽は微笑んで挨拶。

 「宜しく」対するアフラは鷲羽を小さく睨んで応答。彼女はイフリータに向き直り、先程の言葉を続ける。

 「ともかく柾木家というのを調べましょか。向かいの書庫の『東雲人物名鑑』を持ってきてくれません?」

 「分かった」イフリータはアフラの言葉に、その場を外れた。

 残されるはアフラと鷲羽。

 「なんの真似だい? アンタ?」鋭い視線で鷲羽はアフラを睨みつける。

 「貴方こそ、どういう理由であの女性を庇うんです?」

 「何故気付いた?」質問内容に答えることなく、鷲羽は異なる質問で返した。

 「ウチの血筋はエルハザードで代々神事を執り行う家系おます。人と物の怪の区別くらいつきますわ」

 「ふぅん、じゃ、あの娘は物の怪だっていうのかい?」

 「人ではありませんな」

 「なら、どうする?」

 「…しかるべき処置を施すべきどす。この世界に存在していて良いものではないはず」

 「どうしてそう思う?」

 「必ず、関わる人間はつらい思いをしますよって」

 「分かってないな。そんなこと、ないよ」

 「分かってないのはアンタやわ。ウチは、ウチの祖先達はずっと物の怪を相手にしてきた。その経験論や」

 「貴方自身の経験論じゃぁないわね」

 「…」

 「…」

 暫し睨み合う二人。

 「ところで貴方はあの娘、どう思う?」

 「どう思うって…」

 「正体は何かって事さ」

 「アンタが知ってるんやおまへんの?」

 「ちょいとデータ不足でね、確定できないのよ。自称・経験豊富な貴方の眼から見て、どう見える?」

 「…2つのソウルが見えますわ。同じ思いを抱いた、この世に悔いの残る思いが」

 「2つの魂ねぇ」

 「ウチばかりしゃべらせんといて。アンタはあの娘のこと、どれだけ知ってるの?」

 書物を持ってやってくるイフリータを見ながら、鷲羽は一言。

 「あの娘はここに居るべくして居る。最善の処置は、あの娘のやろうとしていることを影ながら応援してやる事だけさ」




 「ただいま〜」

 披露困憊の様子で、誠は玄関のノブに手を掛けた。

 鍵が閉まっている。

 「? イフリータ、出かけとんのか?」

 玄関脇に置かれた鉢を持ち上げると、玄関の鍵がある。

 誠はそれを手に取ると、家の扉を開けた。

 当然、中は真っ暗だった。

 「なんや、いつもイフリータがおるから気付かんかったけど…」

 誠は靴を脱ぎながら一人、呟く。

 「一人言うんは、こんなに寂しいものやったか?」

 リビングの明りを付ける。

 くぐもった蛍光灯の点灯音とともに部屋は照らされた。ヒヤリとした寒さが、誠を包む。

 同時に学校での極度な疲れが、自宅へ帰ってきた事で安心感が芽生えたのか、どっと誠を襲う。

 「晩御飯…そういや僕が当番やったな。何にしよ」

 重たい体を引き摺りながら、彼はキッチンへ。

 「ただいま〜」

 「おかえり」

 玄関からの声に、誠は微笑を浮かべて答える。

 足音に振り返ると…

 「おっす!」

 「あら誠はんやない?」

 見知った顔が2つ付いていた。

 「誠、ちょっとお客さん連れてきちゃった」

 両手一杯に書物を抱えたイフリータはそれらを机の上に下ろすと誠に言う。

 ”鷲羽先輩は良いとして…”誠はもう一人の女性に向き直る。

 ファトラの護衛役にして留学生のアフラ=マーン。何故彼女がイフリータと接点があるのか…

 アフラは何故か冷たい視線を誠に向けている。

 「お久しぶりです,アフラさん」

 「イフリータはんと二人暮らしおますか、まるで新婚さんのようやね」トゲのある口調で、アフラは誠に冷たい微笑を浮かべた。

 ”ああ、何か妙な勘違いしてる,っていうか勘違いじゃないような気もするけど、やっぱり勘違いや”

 「あの、アフラさん? ええと…」

 ポン

 そんな誠の肩を叩くは鷲羽。

 「ま、事実は事実じゃん?」

 「どうしたんどす? 別に誠はんが女性を託っていようと同棲してようと犯罪者っぽいことをしてようと、ウチにはなんも関係あらへんし、個人の趣味やしね」

 「なんや、ごっつう突き放した言い方やね。何もやましい事、しとらへんで」

 「はいはい、誠はんが何しようとウチにはなんの関係もありゃしません」

 「なんか切ないわ…」ガックリを肩を落として誠は呟く。

 そんな彼に、イフリータは一冊の貸し出された書物を差し出しながら告げる。

 「私の記憶に関する手がかりが見つかりそうなんだ」

 「ホンマか?!」

 「ほら、これ」資料その一、柾木家の写真。

 「手がかり…?」その年代を見て、誠は助けを求めるように鷲羽に振り向く。

 「まぁ、やれるだけのことはやってみようよ」

 「…出前でもとりますわ」

 「ウチ、握り寿司特上」

 「私はスペシャルダイナミックピザ5人前」

 「ええと…誠に任せるよ」

 「かけそば一杯にしましょうか?」受話器を手にしながら、誠は困った顔のイフリータに大きく溜息をついた。



 結局、分かった事。

   @ イフリータに非常に良く似た女性は大正7年にこの写真を撮られた。

   A 柾木家と呼ばれる当時の地主縁の人間らしい。

   B イフリータの見た記憶の中の映像は大正時代のもの。東雲高校の前衛,木造旧校舎の存在から推定。



 「難しい問題ですわ」アフラは困り果てて呟いた。

 「当時の資料なんかは戦争で散在してて、それも何処から調べたら良いか見当もつかないわね」こちらは鷲羽。

 「もう少し何かを思い出してもらわんと、どうにもなりもうもあらへんなぁ」

 「そうだな…ともあれ、ありがとう。ここまで付き合ってくれて」

 イフリータは三人に頭を下げる。

 「気にしないで頂戴。私達は単なる知的好奇心で付き合ってあげただけなんだから,ねぇ、アフラさん」

 「そうですな…」

 「じゃ、私達はこれで失礼するわ」鷲羽とアフラは立ちあがる。

 すでに時計の針は11時を指していた。

 「あ、途中まで送りますよ」

 「いいっていいって,そんなに遠くないしさ」

 「二人の時間をこれ以上邪魔する訳にはいかへんわ」

 「アフラさん,だから違いますって…」もはや言い返す気力が尽きた誠。

 「それじゃ、また明日学校で」

 「ほな」

 「お疲れ様でした」

 二人の少女は残る二人に手を振ると、水原家を後にした。

 「なんや、急に静かになったな」誠は玄関を閉めてそう、イフリータに言う。

 「うん、いなくなって初めて気付くな,結構うるさかったって」

 イフリータはリビングに散らばったお菓子の箱やお茶の入ったカップなどを片付けながら答える。

 「いなくなって初めて、か…」

 「? どうした?」

 「いや、何でもないよ」

 誠は同居人に笑って答えるしかなかった。




 普段ざわめきからは程遠いこの場所でも、体育祭直前となると生徒の影が目立つようになる。

 放課後、帰宅部の多いこの学校には珍しく、生徒達の姿が慌しさを伴って縦横無尽に駆け抜ける。

 「よぅ、誠! 何やっとる」

 彼は背後からそう声を掛けられ、ゆっくりと振り返った。

 後ろには両手一杯にダンボールやらスプレー缶やらを抱えた彼と同じ容貌の女性が立っている。

 「ああ、ファトラさんか。いえ、化学実験室が体育祭の荷物置き場になっちゃいまして、途方に暮れてたんですよ」

 言うまでもなく、誠の部活動が行われる部室でもある。

 「ふぅむ、まぁ、この時期は仕方ないようだな。図書室や音楽室も同じような状態じゃった。職員室と放送室くらいであろう、無事なのは」

 「そうなんですけどね」もとより諦めた表情の彼。と、ファトラを見てこう尋ねる。

 「ところでファトラさん、そんなに荷物持って重たくないですか?」

 「重たいに決まっておろうが」即答。

 「でしょうね」

 「持ってやろうという気持ちはないのか? お主には」

 コクリ、目一杯頷く誠。ファトラはそんな彼に額にしわを寄せた。

 「ったく! 可憐な乙女が両手一杯の荷物を持ってヨタヨタと歩いている,倒れそうなところを後ろからそっと抱きとめてやる、くぅ,まさに学園ドラマではないか!! そんなシチュエーションをまざまざと逃すとは、お主それでも男か?!」

 「ファトラさん、ヨロヨロしとらんとしっかり持っとるやないですか」冷静に指摘する誠。

 実はファトラ、かなり力のある方である。最も暗殺者と肉弾戦をやってのける女である,誠以上の力を持っていても不思議ではないし、それを目の前で誠は実際に見せつけられている。

 「全く、わらわと同じ美しい顔を持つ割には気の効かんやつよの」

 「…ファトラさんやからね」誠は苦笑しながらファトラの抱える荷物の半分を持つ。

 相当に重いらしく、彼は一瞬つんのめるが何とか持ちこたえた。

 「もしもこれが菜々美ちゃんやシェーラさんやったら黙って手伝どうとるわ」

 「何じゃ、わらわはシェーラよりも力持ちと思うておるのか!?」

 「違いますの?」

 「ここがエルハザードなら、お主は死刑じゃぞ」

 「冗談ですよ」

 荷物を手に並んで歩く二人に、すれ違う生徒達は必ず視線を向ける。それに気付いた誠は小声で隣を行くファトラに尋ねた。

 「美男美女のカップルだからであろう」

 「美は付かんと思うけど」

 「今度エルハザードに招待してやろう。あれだ,服装違うだけでお主とわらわはそっくりじゃからな。それでだろう?」

 「いざとなったらすり変わる事が出来ますね」

 「実際、この間はそのお陰でお主は酷い目に会ったのではないか?」

 「そ,ですね」誠は苦笑。と、思い出した様に今度は真面目な表情でファトラに話しかける。

 「菜々美ちゃんからもしかして聞いたかも知れへんけど、イフリータの記憶の手がかりが見つかったんや」

 「イフリータの記憶の手がかり?」

 怪訝な表情のファトラに、誠は昨日あったことを手短に説明する。

 それにファトラは一つ一つ神妙そうに頷く。

 「どういう経緯か知らへんけど、アフラさんも手伝うてくれて」最後にそう締めくくり、誠。

 「因果なものじゃのぅ。案外世の中,狭いものじゃ」

 「アフラさんから何も聞いてません?」

 「昨日の今日の話であろう? 聞いておらんよ。しかし妙な話じゃな。そんな昔の人間とあの女が同一人物であるはずもなかろうし」

 「結局のところ、イフリータの記憶がゆっくりと戻るのを待つしかあらへんわ」

 「ふぅん、で、誠。お主としては記憶が戻ってほしいのか?」微笑を浮かべてファトラは問う。

 「? 勿論やないですか」ポカンとした表情で誠。

 「…そうか。まぁ、今はまだそう思うのかも知れぬな」

 「どういう事です?」

 「聞き流してくれ。最善は結局のところ、時に任せる事やも知れぬな」薄い微笑みは苦笑であろうか? 誠はファトラの言葉に首を傾げるしかない。

 「ところでファトラさんは体育祭は何に出場するんですか?」

 誠は話を変える。そろそろ2−Dが見えてくる。

 「知りたいか?」

 「はい」

 「秘密じゃ」あっさりファトラ。

 「そですか」と、こちらも負けじとあっさりな誠。

 「何じゃ、知りたいのではないのか?!」額に怒りの菱形を一つ浮かべて、彼女は荷物を抱えたまま誠に詰め寄る。

 「秘密言うたじゃないですか」

 「会話の弾まんやつじゃのぅ」

 「じゃ、何に出るんです?」誠は仕方なしに問い直す。

 「秘密じゃ」

 「…一体僕にどうしろと」

 「まぁ、お主じゃから教えてやろう。1500m走に100m、200m、300m走,それに…あとは当日のお楽しみじゃ」

 「何や、ほとんど出るんですか?! 体力続くんですか?」

 「わらわを誰と思うておる? 楽勝じゃよ、楽勝」誠に向かって小さくウィンク。

 「D組もホント、勝ちにいっとるな」

 そのD組の教室が見えてきた。ファトラは足で教室の戸を開ける。

 中では応援用の垂れ幕やら何やらを作る生徒達があたふたと駆けまわっていた。

 その内の一人の青年が、ファトラと誠の姿を見て慌てて駆け寄ってきた。人の良さそうな、紙を後で纏めた青年だ。

 「おお、天地! これ、後は頼むぞ!」その青年に、ファトラは荷物を投げ渡した。

 「は? う、うわぁぁぁ!!」

 ドガガシャァァ!!

 「何じゃ、ちゃんと受け取らんか!」

 「「無茶苦茶しないでください!!」」ダンボールに押しつぶされた天地と、ゆっくりと荷物を下ろす誠はハモって叫ぶ。

 「最近の男どもはひ弱じゃのう。さて、わらわは校庭でランニングでもしてくるからな、後はしっかりやれよ」

 「はい」答え、天地と呼ばれた青年は、誠と共に廊下を駆け去っていくファトラの背を見送った。

 「大変だね」

 「お互い様ですよ」

 「「ふぅ」」

 C組とD組,敵ながらも二人の間には言葉に表せない妙な親近感が芽生えていた。

 「ところで…」

 「見つけたぜ! 誠!」口を開きかけた誠の後ろから、ドスの聞いた声が掛けられ、彼は硬直。

 ギギギと首だけ後に振り返り、

 「げ、シェーラさん!」

 「さ、練習練習!」

 「ひぃぃ!!」

 「いってらっしゃ〜い」シェーラと、彼女に首根っこを掴まれ引き摺られる誠を、天地は遠い目で二度目の見送りをしていた。



 同じ頃、怒号と罵声,叫び声が校舎の一角に響き渡っていた。

 「パンフレットの印刷に不備があるぞ! さっさと校正をなおさんか! それとそこそこ,その計算では紅白幕があと5mたりんぞ!」

 生徒会室,そこは今や戦場と化している。

 毎秒一人はここを出入りし、常に30人の役員が来るべき体育祭に向けての準備に右往左往している。

 その中で口うるさいながらも頭に来るくらい的確な指示を出す生徒会長の姿があった。

 「来賓用の椅子が足りぬではないか! そんなことでよくもこの高校へ入学できたな,足し算もできんのか! それをこっちに渡せ!」彼は机に向かう一人の実行委員の書きこむ書類を引ったくり、手にしたボールペンで空欄に何やら走り書き。

 「これをさっさと藤沢に渡して来い!」

 「は、はい!!」

 実行委員は受け取ると、慌てて生徒会室を走り出ていった。

 「それに、そこ! 学年対抗リレーのバトンは全部で7本だ,12本も取り寄せてどうする!!」

 「すいません!!」

 「陣内会長! 石灰のライン引きは誰にやらせたら?」

 「何のための体育祭実行委員だ! 奴らにやらせろ! 生徒会委員がやる事ではないわ!!」

 「しかし…」

 「ええい! 実行委員長には私が直に話をつける,お前は次の作業に移っていろ」

 「はい!」

 「陣内会長! これは何処に…」

 「ったく、そんなことも分からんのか!?」

 体育祭まであと4日,怒涛のようなこの混乱は、生徒会室を中心として学校中に広がっていく最中であった。



 西の空に日が赤く燃えている。

 「つ,疲れた…」校庭のトラック,誠はその隅で腰を下ろす。

 来るべき祭典に向けての自主トレや、アトラクションの予行練習,設備配備の実行委員の姿が、暗くなりかけたこの時間でもまだ多く見受けられる。

 「大分、体力がついてきたじゃねぇか」彼の隣に、彼女は言いながら腰を下ろす。

 誠と同じようにタオルで汗を拭うは、やはり体操着姿のシェーラ。

 「おおきに,さすがに一週間もこの無茶なトレーニング積んでれば慣れるだけの体力が付いて来るわ」

 「普段から運動はした方が良いぞ,お前、体力がなさすぎだ」

 「シェーラさんがありすぎなだけやないですか…」ボソリ、呟く誠。

 「ん? 生意気な事を言う口はこの口か? ん?」シェーラは笑いながらもドスの効いた声で誠の口を引っ張り、凄む。

 「ご、ごべんなざい」

 「ともあれ、いよいよあと4日だな」

 「でも何でシェーラさんはそんなに勝負にこだわるんです?」

 そんな誠の問いに、シェーラは逆に問い返す。

 「何でお前はこだわらないんだ? やるからには勝たないと楽しくないだろ? 何より全力で戦わないと相手に失礼だぞ」当たり前だ,そう言わんばかりにシェーラ。

 「…そうですか,それもそうですね」小さく微笑み、誠は彼女に頷いた。

 「だろ?」

 「好きですよ」

 「え?」

 「そういう考え方って」

 「…そか,うん。そうだな」空を見上げてシェーラは言う。夕焼けに赤くその表情が映えている。

 「さて、そろそろ帰ろうぜ!」振り切る様に立ちあがり、シェーラは誠に手を差し出した。

 「ええ」それを取って、誠もまた立ちあがる。相当しごかれたらしく、少しフラついている。

 「帰りにラーメンでも食っていこうぜ。おごってやるよ」校舎に向かって歩みながらシェーラは後に振り返り言った。

 「おおきに、シェーラさん」



 生徒会長室、夜半。

 「ふぅ」

 この部屋の主は大きく溜息一つ。

 校長室の机と同じサイズ、形のその上にはまるでマンガの様に山と書類が詰まれている。

 「…さて、もう一頑張りだな」

 コンコン

 「? 入れ」この時間のノックを不思議に思いつつも陣内はペンを走らせながら応じる。

 「まだ居たのか、陣内殿」躊躇いがちに入って来るのは黒いタイトなスーツ姿のディーバ。

 「ディーバか。何の用だ?」

 「今日は宿直でな。陣内殿こそこんな時間まで何をやっておるのだ?」

 「体育祭の準備だ」

 「一人でか?」

 「私にしかできん仕事もある」

 彼女に顔を向けることなく、手を動かしながら答える陣内。

 ディーバは机の端に手を付いて、それを眺める。

 「…生徒会長なぞ、何故やるのだ?」彼女に不意に付いて出る言葉。

 「この学校の支配者だからだ」彼は即答。

 「体の良い雑用係のように見えるが?」

 「そうか? しかし私がこうしているからこそ、体育祭はしっかりと実行される。私の一存で決まるものもあれば決まらないものもある,それが楽しいではないか」

 「大変そうだが」不満そうにディーバ。それに陣内はペンの動きを止める。

 「支配者は常に忙しいものだ。それが嫌なら支配者になるものではないぞ」ディーバに顔を向け、陣内は告げた。

 その表情は憔悴の色も見えるが、ディーバが初めて陣内に会った時の雰囲気が強くそこにある。

 「そうか…わらわも手伝おう」

 「無用だ」再び新しい書類にペンを走らせながら東雲高校生徒会長は言い放つ。

 「陣内殿」

 「?」

 「一人で全てを背負い込む支配者などいないはずじゃ」

 「…」ペンを止める。

 「わらわの事くらい、信じてくれても良いのではないか?」

 「そうだな」顔を上げる陣内。そこにはいつもの不敵な笑みが浮かんでいた。




 それはセピア色の風景。

 「も〜いいかい?」

 「も〜いいよ!」

 「ええい! ちょっと待てぃ,誠!! あと10秒!!」

 「…い〜ち、にぃ〜い,さ〜ん…」

 桜の木に額を当てて数を数える幼い少年の姿があった。

 「よ〜ん、ごぉ〜お…」

 たどたどしく数を数える少年のその姿を、今日も私は優しい眼差しで眺めていた。

 何時からだろう、身の内に心を感じるようになったのは。

 「ろぉ〜く、なな〜、はぁち…」

 人の心をこの永きに渡って感じてきた。

 笑い、慕い、孤独、悲しみ,そして愛しみ。

 「きゅう、じゅう!!」

 少年は思い切り振り返る。

 「それじゃ,探すでぇ!」そう、叫ぶと彼は駆け出した。

 晴れ渡った空の下、少年の笑みが日の光に眩しく光る。

 「あ!」

 と、少年は地面に生える草に足を滑らせ、坂道を転げ落ちる。

 ”あぶない!”

 私は叫ぶ!

 背の低い木の枝が、少年の体をしっかりと受け止めた。

 「あたた…よいしょと」

 少年は何事もなかった様に起き上がり、再び駆けだし叢の中へ消えて行く。

 「陣内君みっけ!」

 「くそぉぉ!!」

 「菜々美ちゃん、みっけ!」

 「うっそ! ちゃんと隠れたのに!!」

 林の奥からそんな声が聞こえてくる。

 ”似てるな”

 私は思う。昔、彼女が想い続けた青年の面影を、少年は持っている。

 ”ずっと、見ていたいな”

 私は小さくそう、呟いていた。

 穏やかな風が、私の体を駆け抜ける。

 日の光をこの身一杯に受け、私は彼を見守った。



 …ん」

 頬に何か落ちてきた感触に、私は目を覚ます。

 「木の小枝?」摘むと、それは枯れた小枝だった。だが桜の新芽が付いている。

 私は頭を振りながら身を起こした。

 すっかりと日は沈み、生温い風が私の肌を打つ。

 カサカサ…

 頭上では風に葉を揺らした桜の木が月明かりを私から遮っている。

 「寝ちゃったな」

 傍らに置いた書物を手にすると、私は帰路へと就く。

 妙な夢を見た。

 けれど、

 どこか暖かな夢だった様な気がする。

 月は中天に差し掛かる。私は家で待つ彼を思い、下り坂を急ぎ足で駆け下りていった。


14 接触 了 



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